2011年4月26日火曜日

フリー・アズ・ア・バード



Mathias Malzieu "METAMORPHOSE EN BORD DE CIEL"
マチアス・マルジウ『空の果てのメタモルフォーズ』


 マチアス・マルジウの3作めの小説です。表紙を見ての通り、前作同様、大人(あるいは大きな子供)向けのファンタジー童話という趣向です。2作めの『時計じかけの心臓』に関しては拙ブログの2008年1月14日付け記事で紹介しています。これは既にマルジウのバンド、ディオニゾスによる仮想サントラ(拙ブログ2008年1月15日付け記事で紹介)がありましたが、この新作小説にはまだサントラがありません。小説の中に登場する歌はジョニー・キャッシュが多く、マルジウの近年のジョニー・キャッシュ傾倒が窺えます。
 この2作めと3作めの間に、『時計じかけの心臓』の映画化(3Dアニメ)が決まり、リュック・ベッソンがプロデュースし、マチアス・マルジウの監督で制作され、2012年公開の予定でプロジェクトは進行中です。このおかげで、彼のバンド、ディオニゾスは休止を余儀なくされ、バベットは2枚めのソロアルバム『ピアノ怪獣』(拙ブログ2010年11月13日の記事で紹介)を発表し、他のメンバーの一部もコルレオーヌCorléone)というバンド名でアルバムを出して、ディオニゾス復帰までの息継ぎをしています。
 この小説もまた映画のおかげでディオニゾスで活動できないマチアス・マルジウの「息継ぎ」でもあり、彼自身もロック・アーチストとしてステージに立てないフラストレーションをこの小説で晴している部分があります。ライヴでは小柄でまさにピーターパンのようにステージせましと飛び回るマルジウには、この興奮を長い間経験していないことは大変な渇きであるわけです。この小説のキーワードのひとつは「アドレナリン」です。一種のアドレナリン欠乏症と言える現状のマルジウは、この小説の主人公に「アドレナリン出まくり」状態を実現するためなら何でもする空中落下スタントマンを持ってきます。しかも「世界一ドジなスタントマン」なのです。
 トム・クラウドマン(Tom Cloudman)は幼い頃から空を飛ぶことを夢見ていて、手製の翼ではばたいてみたり、自転車に羽根をつけて坂を急降下したり、強風の日に蝙蝠傘を持って屋根から飛び降りたり、という、普通に考えつくあらゆることをやって失敗しますが、その何度も失敗して地面に叩き付けられる前の一瞬の浮遊時間に激しいアドレナリン分泌を覚えます。失敗することは全然恐くない。こうして彼は職業として「空中落下見せ物芸人」になり、サーカステントの最上段からバケツめがけて落ちたり、屋根から屋根に飛び移るのに失敗して広場に墜落する芸で人気を集めます。人々はこれをエンターテインメントとして見て、その失敗を笑って拍手するのですが、実は本人は本当に失敗していて、毎回全身打撲でボロボロになってしまうのです。それでもかまわない。この一瞬でも「飛んでいる」時のアドレナリンが一種のドラッグ効果を持って、彼にこの芸を続けさせ、いつかは本当に空を飛べるようになると信じているのです。
 ところがトムを病魔が襲います。これを作者は"La betterave"(ラ・ベトラーヴ。甜菜。ビート大根)を名付け,赤いぶよぶよした塊が体の中のあらゆるところを襲っていくイメージで描きます。実際のベトラーヴは(→)こんな形状ですが,確かに血腫とイメージが重なります。この腫れ物が体中に増殖して臓器や神経を攻撃します。すなわちこの甜菜大根型の怪物はガンのメタファーですが、この怪物にとって、空中落下芸人という職業で言わば自虐的に体をぐしゃぐしゃにしてしまったトムの体は、既に咀嚼されてある食物のようにおいしく食べやすいのです。
 収容された病院では、セクシーなガン科女医クエルヴォと肝っ玉看護婦のポーリーヌの制止を聞かずにやんちゃを繰返し、あらゆる病室の羽枕から羽根を抜き取って、自分の飛行芸のコスチュームを作り、病院廊下で飛行(落下)パフォーマンスを展開します。ステージ名「トム・メガトン・クラウドマン」の大ファンで、トムをヒーローと崇める白血病の少年ヴィクトールは、重い治療のために卵型の頭ばかり大きく見えますが、トムを心の支えにして闘病生活を送っています。しかしトムへのベトラーヴの浸食攻撃は激化し、病状は悪化していきます。
 病棟の夜の彷徨の果てに、トムは非常螺旋階段のてっぺんにある鉄扉を押し開けると、病院の屋上と思われたそこはなんと雲の上の鳥の国でした。そこにはエンドルフィンと名乗る、赤い羽根に覆われた半分鳥で半分人間の女がいました。(一般名詞の「エンドルフィン」は脳内モルヒネなどとも言われ、脳内で機能する神経伝達物質のひとつで、多幸感をもたらす、とされます。)この「半鳥女」をマルジウは、"femmoiselle"(ファモワゼル)というきれいな造語で綴りますが、femme (女)と oiselle(雌鳥)の合成語であり、後半の方は demoiselle(少女、未婚女性)のニュアンスも含まれましょう。「鳥嬢」とでも訳語をあてたくなります。エンドルフィンは昼は人間の姿を持ち、夜にファモワゼルとなる二重の生を生きています。彼女の一族の起源は18世紀の科学者で、古典詩や神話に現れる半人半獣を「愛」による突然変異で実現してしまったのです。しかし半人半獣族はこの世に隠れて生きることを余儀なくされ、地球上で数えるほどの人口(この言い方おかしいですね)しかいませんが、各人は(この言い方もおかしいですね)はこの種を絶やさず後世に残すことが使命となっているのです。エンドルフィンはトムに取引きを申し出ます。「あなたの病いを直し、あなたの空を飛びたい夢を実現させてあげる代わりに、あなたは私に子種を提供する」。トムはそれに二つ返事で同意するのですが、その代償の大きさを知らなかったのです。
 ここには愛があります。トムはこの半鳥女を電撃的に愛し、その世界に属する者になりたいと欲します。そのためならば死んでもいい、と。陳腐な歌の文句のようなこのことです:「愛のためなら死んでもいい」。この小説ではそれがマルジウ一流の想像力で、ある種ルイス・キャロル的な想像力で、トムの望むすべてを実現させてしまうのです。その代償にトムは「人間としての死」を受け入れるのです。
 ガン転移は進行し、トムの人間としての肉体はどんどん破壊されていきますが、トムの体は体毛に代わって羽毛に覆われるようになります。首を前後に振って歩くようになり、猫を怖がるようになります。メタモルフォーズ(変態)は死と同じスピードでトムの中で進んでいき、体はどんどん小さくなっていきます。
 この小説で最もエモーショナルなパッセージはエンドルフィンがトムに鳥としての飛行術を教えるところです。それはトムの積年の夢が果たされる瞬間でもあり、愛する女性の属する世界へのデビューでもあります。そのダブルの夢の出来事のクライマックスに、エンドルフィンはこう言うのです:「私、妊娠したわ!」。俺はパパになった。この喜びは文字通り天にも昇る思いなのです。そしてこのパパは生まれて来る子の前に「俺がパパだよ」と現れることが出来ない、という運命を引き受けてしまったのです。
 実はエンドルフィンの昼の「人間の姿」であったのは、ガン科女医クエルヴォでした。エンドルフィン=クエルヴォは、ドジな見せ物芸人だった頃からトムに目星をつけていて、自分たちの種族を後世に残す協力者の候補として「愛の視線」を送っていたのでした。クエルヴォ、ポーリーヌ、ヴィクトール等に見守られて、トムの変態は最終段階となり、体が鳥のサイズになると同時に脳も比例した大きさになり、言語機能を失い、人間トムは死に、鳥のトムは空に飛び立って行きます。より正確にはトムは空のひとかけらに変身してしまうのです。小説の原題の"Métamorphose en bord de ciel"とは「空の淵に変身する」ことなのです。...その数ヶ月後、エンドルフィンは男児を出産します。

 2作めでティム・バートン映画のような冒険奇譚ファンタジーを書いたマルジウは、この3作めでは同じようなファンタジー文体を使いながら、「愛」「死」「再生」をじっと見つめているような小説を書きました。飛行や病気や薬物はすべてメタファーとして登場し、ポップ・ミュージックのクリエーターらしいポップな表現は前作とは変わらないのに、「死」を受け入れる青年の描写は戦慄的です。マチアス・マルジウはアンファン・テリブルという言葉が似合いすぎる表現者、と私は再確認しました。

MATHIAS MALZIEU "METAMORPHOSE EN BORD DE CIEL"
ISBN : 978-2-0812-4906-6
(2011年3月FLAMMARION刊。160頁。17ユーロ)


(↓オフィシャルサイト)
www.metamorphoseenborddeciel.com/ 

(↓2011年3月、パリ、テアトル・デュ・ルナールで開かれた『空の果てのメタモルフォーズ』出版記念パーティーの動画)

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