2011年4月20日水曜日

闘うスカイロック



 スカイロックというFM局は私はほとんど聞きません。娘はラップにそれほど食指をのばさないということと,音楽をFMよりもインターネットで摂取する世代に属するので、これまたスカイロックを聞きません。娘が最も聞いているFM局はアドFMです。
 その看板"Le premier sur le Rap"(ラップのトップ・ステーション)がうたうように、このラジオ局は1996年から大きく方向転換して、それまでのFMポップス・ステーションから脱皮して,他の局が見向きもしなかったラップ,ヒップホップ,R&B(しかもほとんどがフランス”郊外”産)をプログラムのメインにすることによって他局と差別化して成功を収めました。鮮やかな成功です。
 ざっと歴史を紹介します。81年にFM電波が自由化され,全国で何百と生まれた自由FM局が84年に商業広告が許可になることで,多額のコマーシャル収入を得られる局だけが生き残るというFMビジネスの時代に移ります。自由ラジオ局La Voix du Lézard(ラ・ヴォワ・デュ・レザール。トカゲの声)は1983年に生れ,創業者はピエール・ベランジェ(1958 - ),学生の時から海賊放送/自由放送を積極的に用いるエコロジスト運動家だった人です。スローガンは「一歩進んだ電波 Une longueur d'onde d'avance」で,音楽的傾向はロック,ニュー・ウェイヴ,そしてまだそう呼ばれていなかった頃のワールド・ミュージック。このFMが一番面白かった頃,言わば第一次FM世代にベランジェは属するわけですが,FM商業化に伴い,ベランジェのパートナーとして,60年代イエイエ時代の旗頭番組「サリュー・レ・コパン」を制作していたダニエル・フィリパキとフランク・テノが加わり,往年の民放のコマーシャルのノウハウを使って,FM生存競争に勝ち残っていきます。1986年,ラ・ヴォワ・デュ・レザールは社名を「スカイロック」に変更,若い年齢層(15-25歳)に圧倒的に人気の高かったNRJ(エネールジー)の対抗馬として,若者FMステーションに変身します。
 FM業界にも音楽業界にも幸福な10年(1986-1996)が過ぎます。メガストアが次々に誕生し,メガコンサートが全国津々浦々で催され,メガヒット曲がたくさん生まれた10年でした。そして第一次FM世代は歳を取り,少年少女の好む音楽についていけず,成熟した音楽や懐メロに好みを変えていきます。そういうアッパー世代やミドル世代向けのFMネットであるシェリーFM,RFM,ウーロップ 2(現ヴァージン・ラジオ),ノスタルジーなども聴取率を確実にかせぎます。しかし,われらがスカイロックは96年に老いることを拒否して,NRJがあまりにも粗野で,凶暴で,反道徳的であるという理由で敬遠してきたラップを大胆に導入することで,次世代の15-25歳代のリスナーを勝ち取ったのでした。96年,若者たちが聞く3大FMネットは,NRJ(ポップ),スカイロック(ラップ,ヒップホップ,R&B),ファン・ラジオ(ダンスミュージック)となったのでした。
 こうして成功したFMネットは巨大企業化してメディアに派手に露出していきますが,冬の時代は突然やってきます。スカイロックは15-25歳層をターゲットとしているため、広告クライアントが限られています。インターネットという若者たちに急激に浸透してしまった媒体は、そのクライアントをどんどん奪っていき、広告収入が減少します。そこでスカイロックは自らがインターネットプロヴァイダーとなり、ヨーロッパ最大規模の無料ブログ提供スペースとして伸長します。私の娘が5年前に初めて作ったブログもスカイロック・ブログでした。そのブログスペースに広告を流し込んでいくことで、ラジオの広告収入減を補っていくわけですが、同社広告収入はいつしかラジオ5割/インターネット5割にまでなり、インターネット様々という態でした。しかし、その若者たちをソーシャル・ネットワーク(フェイスブック、ツイッター)がごっそりさらっていくのです。この激変は2010年から顕著で、テレラマ誌の数字によると同社の広告収入利益は2009年で8.2百万ユーロ、それが2010年には2.5百万ユーロにまで落ち込みます。

 4月12日、いつもと変わらず平常プログラムでオン・エアーを続けていたスカイロックのスタッフは、その放送のさなかに通信社AFPの短信で、社長ピエール・ベランジェが解任されたことを知ります。同社の7割の株を保有するホールディング会社Axa Private Equityによって、創業者にして3割の株保持者であるピエール・ベランジェは社長の座を追われ、新社長による(リストラを含む)合理化が始まる、と報道は伝えます。
 スカイロックのスタジオは、たちまちにしてレジスタンスのバリケードと化します。DJパーソナリティーはリスナーに向かって「きみたちの好きなスカイロックを守れ!」と訴えます。「スカイロックの死はラップの死に等しい、ラップの死は自由の死だ」などと飛躍したことも言うわけですが、これを聞いた若者たちは大挙してパリ2区のスカイロック社前に集まってきて、大きなデモになってしまったのです。
 放送では即座に届けられたたくさんのアーチストたちの連帯のメッセージが紹介され、電話ダイヤルインでスポーツ界のスターたち、芸能人たち、知識人たちがダイレクトに支援メッセージを言います。短時間でこれは大きな抵抗ムーヴメントとなってしまったのです。

 株主様たちはご存知なかったのです。ラジオとは何なのかを。株主たちはどの企業も皆同じで、利益が出なければトップを変えたり、リストラしたりということを自分たちが決められると思っていたでしょう。ところがラジオには「口」があり、大衆はラジオの側につくのです。スカイロックというのはただのラジオではない。ピエール・ベランジェという海賊放送や自由FMの時代からラジオ界のど真ん中にいた老戦士が率いるラジオです。ピエール・ベランジェこそスカイロックの「魂」そのものであるわけです。スタッフはそういう社長に惚れて、一緒にこのラジオを作ってきた人たちばかりなのです。だから若い時のベランジェと同じように、ラジオを使っての抵抗ゲリラ戦などお手のものなのです。
 そして当のピエール・ベランジェはスタッフに守られながら、スカイロック社長室に籠城しています。7割の株を持つホールディング会社Axa Private Equityから、株を買い取るための工作をしていると言われます。
 ウィキペディアの記述では4月12日から13日にかけて、全世界のツィッターで最もツィットされた言葉は "Skyrock"だったそうです。そしてフェイスブック上ではDéfendons la liberté de Skyrock(スカイロックの自由を守ろう)ページが創設され、4日間で50万人がその「ヴァーチャル抗議デモ」に参加したのでした。
 そして4月30日(土)にはパリのナシオン広場(歴史的には1963年にジョニー・アリディやシルヴィー・ヴァルタン等によるフランス最初のロック・フェスティヴァルが開かれた場所です)で、午後2時から真夜中までスカイロック支援メガコンサート(無料)が組まれています。
 この「自由 Liberté」という言葉、強いですよね。人の心を動かしますよね。たかだか一民間企業の経営紛争が、どうしてフランスの若者たち全体の「自由」に関わる問題にまで膨れ上がるのか? − 私は、これがラジオさ、と思って喝采しています。ラジオにはまだこれができるパワーがあるのです。あらゆるラジオがこういうパワーを取り戻して欲しいです。がんばれ、スカイロック!

(↓コロネル・レイエルのヒット曲のスカイロック支援の替え歌。バックにスカイロック闘争を伝えるニュース画像のコラージュ。ピエール・ベランジェの姿も見える)

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