2016年7月20日水曜日

リオに雨が降る

マリエル『ボサノヴァ』
Mary. L "Bossanova"

 2005年春、パリの独立プロダクション、NEOGENE MUSICという会社が制作し、メジャーの仏ユニバーサルが発売したアルバム。ファーストアルバムとは言え、一聴してすでに長いキャリアと豊富な音楽歴と「年齢」をもろに思わせるクロート芸。ミュージシャンもアレンジャーもスタジオも百戦錬磨の人たちがやっているようなスベスベ感。フレンチ・ボサノヴァですし。ある種の耳の快感を追求していけばこうなるという見本のような、楽器音たくさんのジャジー・ボッサの環境で、ささやき官能の女声ヴォーカルが縦横無尽の歌唱テクで歌います。フルートの音色と溶け合ってしまうような声です。私などは無条件でうっとりしてしまいます。
 そこまでなのです。そこまでなのは、どうしてなのか、ということは音楽の仕事を30年ほどしている私にもよくわからないものです。夏の南仏のレストランやバーのステージで、あるいは東京の無名クラブで、 「ええっ?どうしてこんなうまい人がこんなところで歌っているの?」って驚くことありませんか?
 90年代から00年代にかけて、まだ業界が大変な危機を迎える前、私も自分の琴線が震えてしまう新人アーチストに出会ったりすると、こういう音楽は多くの人たちに聴かれるべきだと奮起して、力いっぱい応援しました。配給・流通で応援するだけでなく、制作に出資することもありました。この場合、それが売れなければ、私の音楽感覚は当てにならない、私の耳は節穴だ、ということになるのです。デモ聴いたり、自主盤やライヴで発見したり、そういうところから始まって、ああでもないこうでもないと構想の議論したり、持って来る曲をほめたりケチをつけたり、ホームスタジオに差し入れに行ったり...。そうやって制作までつきあった作品は4作。そのうちちゃんとした録音スタジオで録音・ミックスしたのは1作だけ(つまりあとの3作はホームスタジオ制作)。プロデューサー(制作者)の真似ごとをしたのはこれだけ。結果として世の中に注目された作品は1つもありません。当然すべて赤字仕事で、そのうちに業界がそれどころではない危機状態になって、私は二度と冒険できなくなっただけではなく、社員ともお別れしなければならない急激な落ち込みを迎えたのでした。解雇された社員には「あの時、社長がプロデューサーを気取って道楽遊びをしていなかったら」と私の失策を非難する声もありました。自分が惚れて、自分で自信を持って制作に関わって、お金を費やして、ダメだったのだから、私の耳は節穴だったのに違いありません。
 話が逸れました。7月に自宅アパルトマンのちょっとした改装工事をして、そのためにレコードCD棚を別場所に移動するために整理していた途中で再会したマリエルのCDアルバムでした。あの頃好きでずいぶん聴いてたなぁ、悪くないのになぁ、なんで売れなかったんだろうなぁ...という思いが最初に。つまり今聴いても「悪くない」と思ってしまう。これが私の耳=節穴の動かぬ証拠でしょうかね。マリエル自身(作詞作曲、特に作曲)も一番いい曲ばかりここに詰めたはずだし、作詞陣もポロやネリー(二人ともオルタナティブ・ロック出身ですが、卒業してシャンソン畑の作詞家になった)といった才人だったし、エレナ・ノゲラ(リオの妹。この頃はカトリーヌの奥様だった)もデュエットで参加してるし。よく出来たアルバムだと思いますよ、今でも。しかし全く注目されなかったというのは、単に商業的な理由(例えばプロモーション予算が足りないとか、ラジオの後ろ盾がないとか...)だけではないのですよ。このアルバムに何が足りないのか?また逆に何が過剰であるのか?(後者については、私はこの過剰なスベスベ感なのだという気がする)。これがわからないとやっぱり「耳=節穴」のプロフェッショナルということでしょう。
 今さらながらに言い訳すると、私はこんな仕事をしながら、音楽の勉強を一切していない。まともに弾ける楽器もない。レコードCDの数は一般の人よりは多いが、コレクターではない。だから自慢のコレクションもない。いいオーディオ装置を持っていない。私の最高のリスニングルームはひとり運転中のカーステである。一番聴く音楽はシャンソン/ヴァリエテである。シャンソンというのが曲者ですかね。なぜならば、シャンソンはとりわけ詞・ことば・パロールでしょう。 私の音楽はそういう風に始まったのです。
 詩を書く少年でした。高校の時、ダチのバンドの作詞をしてました。大学はフランス文学科に入って、フランス近代詩を勉強してました。卒論はフランシス・ポンジュでした。70年代からレコードコレクションはもっぱらフランスものでした。今でもヴェロニク・サンソンの『アムールーズ』 (1972年)はアルバム全曲、ソラで歌えます。
 私はフランス語の音楽は詞に惚れます。メロディー・サウンド・歌唱なんか二の次にして聴いている場合が多いです。このことはフランスの新聞・雑誌のシャンソン批評がほとんど歌詞のことばかり論ずるということにも影響されています。私の聴き方ってこれでいいんだなあ、と安心してしまいますよ。だから私は音楽論はできないけれど、詞で音楽のことを語ることはできるのです。「音楽ライター」と呼ばれる人たちの仲間にはなれないですけれど。
 2016年7月現在、まだ準備工事が全然終っていないというリオ・デ・ジャネイロのオリンピックが8月5日から始まります。マリエルのこの2005年のアルバムは「リオに雨が降る」という歌が第一曲めです。詞はポロ(元レ・サテリット。シャンソン歌手。作詞家)が書いています。ポロにはこの春、ベルギーのSSWイヴァン・ティルシオー(オヴニー2016年3月15日号「しょっぱい音符」)のコンサートの時、初対面しました。やっぱりロッカーの面影が残る紳士でした。イヴァンにもいい詞を3曲書いています。このマリエルのアルバムにも5曲の詞を提供しています。ポロの詞による「リオに雨が降る」は、観光絵ハガキ的なクリシェを否定して、リオ・デ・ジャネイロの見せかけの華やかさが雨で溶けて流れてしまうイメージ、化粧や虚飾が流れ落ちて、本当の顔の祭りが始まるポジティヴなイメージが歌われています。

見せかけのそぶり、パレオ
偽りの喜び、ウソの電話番号
ニセの太鼓が立体音で聞こえてくる
リオに雨が降る時

偽物のジャングル、ドライフラワー
紙粘土細工の鳥
それらの絵の具がみんな水になって流れていく
リオに雨が降る時

私たちの子供じみた遊びを笑うのは雨
私のメイクを流し落としてしまうのは雨
それは水、夏の影
私の肌の上には、もう数滴の水玉しか残っていない
リオの町を包む鉛色の空の下で

ラララ....

それでも、とても暑い
それでも、空はとても青い
リオに雨が降る時
悲しみもまたひとつの贈り物
舗道は蛇のように曲がりくねり
銀色の影を映す鏡のよう
タクシーはみんな先に出ちゃった
リオに雨が降る時

私たちの子供じみた遊びを笑うのは雨
私のメイクを流し落としてしまうのは雨
それは水、夏の影
私の肌の上には、もう数滴の水玉しか残っていない
リオの町を包む鉛色の空の下で

ラララ....

(「リオに雨が降る」 詞:ポロ/曲:マリエル)

 ちょっとぐらいボロが見えてたっていいじゃないですか。施設の不備や進行のまずさ、そんなものを吹っ飛ばして、リオはオリンピックを本当の祭りにしてくれますよ。人々の上に雨が降れば、本当の顔が見えてくる。民の上に雨降りませ(Shower the people)。 私の耳は節穴であるかもしれないけれど、マリエルの「リオに雨が降る」は素晴らしい歌だという確信は消えません。

(↓)マリエル「リオに雨が降る」、2005年パリのクラブ・ル・レゼルヴォワールでのライヴ動画。


(↓)マリエルのアルバム『ボサノヴァ』のEPK(2005年公開)。この他に公開されている動画がないんです。残念。

 

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