2008年3月14日金曜日

いつだってアムールーズ


 
 ヴェロニク・サンソン『アムールーズの40年』
 Véronique Sanson "Petits Moments Choisis 1969-2007"


 原稿書く手が麻痺してしまってもう1週間くらい経つので,もう一度頭を空にしようと思って,このエントリーを書き始めました。あのインタヴューの前後,フランスにいる日本人,日本にいる日本人,数人の方たちにヴェロニク・サンソンについて聞いてみたら,やはりほとんど知らないですね。だったら私は何から始めたらいいのか。人となりを一通り説明して,この女性はすごいんだぞおおお,と書くべきなのか。
 ピアフ,バルバラ,サンソン。生きざまが歌になり,歌が生きざまになったこの3人の女性たちは,同じように多くの凄い歌と多くのつまらない歌を歌い,同じようにボロボロになってしまったのですね。
 ヴェロニク・サンソンは少女の頃から危険が大好きだった。スリルを愛していた。スピードを好み,趣味のように家出をし,学校が嫌いだった。それは一生変わらないんですね。あらゆる点で折目正しい優等生であったミッシェル・ベルジェとは,性向がまるで違う二卵性双生児のように,理屈を超えた磁力で結ばれた関係だったと言います。だから,ヴェロニクが外でいくらやんちゃをしても,いつでも帰っていけるような家が,ミッシェル・ベルジェとの生活であったようです。
 1967年,姉ヴィオレーヌと友人フランソワ・ベルナイムで組んだフォーク・トリオ,レ・ロッシュ・マルタン(Les Roche Martin)が,EMIパテ・マルコーニから4曲入りシングルでデビューします。インタヴューで言っていたのですが,この17-18歳の頃,ヴェロニクはたいへんな数の曲を作っていて,それはまだ引き出しの中にしまってあるのです。このベスト盤には入ってませんが,2001年のダブルベストアルバム"Les Moments Importants"に入っていた未発表のボサノヴァ曲"Clapotis de Soleil"(ヴェロさん最良のボサノヴァ曲であることは爺が保証します)は,17歳の作品でした。
 ピアノに向かえばメロディーが無尽蔵に出て来た時期でした。バッハ,ショパン,ドビュッシー,サティー,ガーシュイン,ビートルズ,ドノヴァン,セルジオ・メンデスが少女ヴェロニクをいろいろ刺激していました。
 1969年,ヴェロニク・サンソンはEMIパテ・マルコーニからソロ・デビュー・シングル"Le feu du ciel"(空の火)を発表します。この3枚組ベスト盤のCD1の第一曲めです。この録音はMagic Recordsの復刻編集盤「シクスティー・ガールズ」で既にCD化されていましたが,多くの人たちにとっては初めて聞く曲でしょう。その時のパテ・マルコーニの担当プロデューサーがミッシェル・ベルジェ。まったく売れなかったこのシングル盤の失敗の苦さを忘れるために,ヴェロニクは日本に飛びます。父親ルネ・サンソンが70年大阪万博のフランス・パビリオンの責任者として,68年から日本(神戸市垂水区)に住んでいたのです。ヴェロニクは7ヶ月間垂水の日本住宅に暮らして,日本を堪能します。
 爺のインタヴューは「あなたはそこで何を見たのか?」ということに集中するのですが,多くのことは忘れてしまっている。ただ,ひらがなとカタカナはまだおぼろげに覚えていて,私が持っていった日本の雑誌(ラティーナですけど)を一生懸命読もうとするんですね。「あ,この字覚えてる!」とうれしそうな声も上げていました。
 「この時期に日本で作った曲はありますか?」- 「もちろんたくさん作ったはずだけれど,今はっきりと思い出せるのは "FEMININ" (この曲は1977年のアルバム『ハリウッド』に収められ,この3枚組ベストではCD1の17曲目です),この曲は日本で書き始めて日本で書き終えたとはっきり言える」。
 71年,フランスに新しい(アメリカ系)レコード会社WEAが設立され,その新社長ベルナール・ド・ボッソンによってミッシェル・ベルジェがチーフ・プロデューサーとして抜擢されます。ヴェロニク・サンソンはそのエレクトラ・レーベル第一号アーチストとして,シングル盤という手順を踏まずに,いきなりアルバムでデビューすることになります。72年発表のアルバム『アムールーズ』は,フランス初の本格的女性シンガー・ソングライターの登場でした。この才能はキャロル・キングやジョニ・ミッチェルと比較され,ヴェロニクの名前は「サリュ」のような芸能誌よりも「ロック&フォーク」誌のようなロック誌で大きく取り上げられます。
 あの当時,フランスの新しい音楽は,クラシック音楽を学び,英米ロックの大きな影響を受けていた3人のピアニスト(ミッシェル・ポルナレフ,ジュリアン・クレール,ヴェロニク・サンソン)によって具体的なかたちになったのです。(このことはこの3枚組ベストのライナーでヤン・モルヴァンが書いています)

 同じ72年,米ロックのスーパースター,スティーヴン・スティルスと電撃的な出会い。沖からの呼び声。危険が大好きなヴェロニクの本能を直接刺激する,抗しがたい誘惑。この時彼女はことの急激さに抵抗していないものの,いつもの「家出」と同じように何日かすればミッシェル・ベルジェのところに帰れるもの,と思っていたようなところがあります。しかしそうはいかないのです。73年結婚。アメリカ生活。男児出産。幸福でなかったということは絶対ありません。
 後悔,未練,アルコール中毒,長期にわたるスティルスとの離婚訴訟... 73年から81年にかけてヴェロニク・サンソンは5枚のスタジオアルバムを発表します。"LE MAUDIT"(74), "VANCOUVER"(76), "HOLLYWOOD"(77), "7EME"(79), "LAISSE-LA VIVRE"(81)。これがサンソンのアメリカ期で,その苦悩と悪い条件にも関わらず,私はこの時期のアルバム群が最もヴェロニクの生きざまが露出されているように聞こえます。痛ましいです。この時期,英語で歌われる歌はすべてスティルスへの恨み言であり,フランス語で歌われる歌はすべてミッシェル・ベルジェへの未練です。
 84年にアメリカのすべてを清算して,フランスに帰ってきたヴェロニク・サンソンは,"VERONIQUE SANSON"(85), "MOI LE VENIN"(88), "SANS REGRETS"(92), "INDESTRUCTIBLE"(98), "LONGUE DISTANCE"(2004)とオリジナル・スタジオアルバムを発表していて,フランスにいないとほとんどわからないでしょうが,出せばミリオン・セラーという高い人気を維持しています。88年にはシングル曲「アラー」をめぐって,サルマン・ラシュディー『悪魔の詩』と発売期が重なったために,イスラム原理主義者からの抗議と脅迫が相次ぎ,サンソンのオランピア劇場でのコンサートに爆弾テロの予告があり大騒動となりました。92年にミッシェル・ベルジェが急死し,和解も許しもないまま他界してしまったベルジェに,99年にベルジェへのオマージュアルバム"D'UN PAPILLON A UNE ETOILE"(加えてベルジェのレパートリーのみでのコンサートツアー)でその自分なりの決着をつけようとするのですが...。
 そういう悲恋の人である面が音楽的には強調されていますが,実生活では男性遍歴はいろいろあって,恋多き女性です。マスコミに意地悪く揶揄と嘲笑の対象となった,19歳年下のホモセクシュアルのコメディアン,ピエール・パルマードとの結婚(1995年)という事件もありました。そして有名なアルコール中毒です。2003年に息子クリストファーが母親の病院収容を強制的に断行します。2004年にはそのアルコール抜きの体験を語るためにテレビやラジオに多く出演して,アルコール中毒の危険性を声高に訴えていましたが...。
 しかし2003年にゴシップ雑誌が「不治の病い」というショッキングな見出しで,ヴェロニクの遺伝子系の血液病のことを報道します。疲労が激しく,抵抗力もなくなる病状が言われ,その年のピアノ弾語りコンサートツアーが全部キャンセルになり,再起不能説も出ました。

 こんな数行ではあまりよくわからないでしょうから,もうちょっと練った原稿は,今週末にがんばって書きます。その音楽を聞いた方が,爺の文章などより100倍も雄弁にこの素晴らしい女性の生きざまを物語ってくれるはずなのですが...。とりあえずこの3枚組ベストを聞いてみてください。発見はたくさんあります。特に3枚めのライヴ特集がすごいです。13曲めの "TOI ET MOI"(1993年ライヴ)など,このライヴCD(ZENITH 93)を持っている私も全然気がつかなかった隠れた名曲です。未発表のものですが,CD3の19曲目(最後の最後)に収められている1998年ライヴの「アムールーズ」ピアノ弾語りの録音は,その時40度の高熱がありながら,オーディエンスのヴァイブレーションに支えられながらの恍惚状態の演奏だったそうです。72年の若い日にのびのび出ていたこの曲の最高音部の声が,この98年のライヴのこの演奏を最後に出なくなったそうです。

<<< トラックリスト >>>
- CD 1 (EN STUDIO 1969-1981) -

1. LE FEU DU CIEL (1969)
2. BESOIN DE PERSONNE (1972 "AMOUREUSE")
3. BAHIA (1972 "AMOUREUSE")
4. BIRDS OF SUMMER (1973 "AMOUREUSE - ENGLISH VERSION")
5. COMME JE L'IMAGINE (1972 "DE L'AUTRE COTE DE MON REVE")
6. DE L'AUTRE COTE DE MON REVE (1972 "DE L'AUTRE COTE DE MON REVE")
7. CHANSON SUR MA DROLE DE VIE (1972 "DE L'AUTRE COTE DE MON REVE")
8. ALIA SOUZA (1974 "LE MAUDIT")
9. LE MAUDIT (1974 "LE MAUDIT")
10. BOUDDHA (1974 "LE MAUDIT")
11. VANCOUVER (1976 "VANCOUVER")
12. WHEN WE'RE TOGETHER (1976 "VANCOUVER")
13. REDOUTABLE (1976 "VANCOUVER")
14. ETRANGE COMEDIE (1976 "VANCOUVER")
15. SAD LIMOUSINE (1976 "VANCOUVER")
16. BERNARD'S SONG (1977 "HOLLYWOOD")
17. FEMININ (1977 "HOLLYWOOD")
18. LES DELIRES D'HOLLYWOOD (1977 "HOLLYWOOD")
19. MA REVERENCE (1979 "7EME")
20. MI-MAITRE MI-ESCLAVE (1979 "7EME")
21. DOUX DEHORS, FOU DEDANS (1981 "LAISSE-LA VIVRE")
22. JE SERAI-LA (1981 "LAISSE-LA VIVRE")
23. PANNE DE COEUR (未発表。1969デモ)
24. LOUIS (未発表。1971デモ)

- CD 2 (EN STUDIO 1983-2007) -
1. ALLAH (1988 未発表 First VERSION)
2. MARIE (1988 "MOI LE VENIN")
3. MORTELLES PENSEES (1988 "MOI LE VENIN")
4. ENTRE ELLE ET MOI (duet with CATHERINE LARA. 1991 Catherine Lara album "SAND ET LES ROMANTIQUES")
5. SANS REGRETS (1992 "SANS REGRETS")
6. LOUISE (1992 "SANS REGRETS")
7. RIEN QUE DE L'EAU (1992 "SANS REGRETS")
8. LES HOMMES (1992 "SANS REGRETS")
9. VISITEUR ET VOYAGEUR (1992 "SANS REGRETS")
10. MELANCOLIE (duet with YVES DUTEIL. 1994 Yves Duteil album "Entre elles et moi)
11. J'AI L'HONNEUR D'ETRE UNE FILLE (1998 "INDESTRUCTIBLE")
12. JE ME SUIS TELLEMENT MANQUEE (1998 "INDESTRUCTIBLE")
13. CA VOUS DERANGE (2001 Compilation "LES MOMENTS IMPORTANTS)
14. VUE SUR LA MER (2004 "LONGUE DISTANCE")
15. LA DOUCEUR DU DANGER (2004 "LONGUE DISTANCE")
16. LONGUE DISTANCE (2004 "LONGUE DISTANCE")
17. LE TEMPS EST ASSASSIN (未発表ヴァージョン。1983)
18. UN PEU D'AIR PUR ET HOP (Duet with CLEMENTINE CELARIE。新録音。2007)

- CD 3 LIVE -
1. VERONIQUE (LIVE 1981 "SANSON AU PALAIS DES SPORTS")
2. MONSIEUR DUPONT (LIVE 1981 "SANSON AU PALAIS DES SPORTS")
3. TOUTE UNE VIE SANS TE VOIR (LIVE 1981 "SANSON AU PALAIS DES SPORTS")
4. AINSI S'EN VA LA VIE (LIVE 1985 "L'OLYMPIA 1985")
5. TOUT VA BIEN (LIVE 1985 "L'OLYMPIA 1985")
6. SALSA (LIVE 1985 "L'OLYMPIA 1985")
7. CELUI QUI N'ESSSAIE PAS NE SE TROMPE QU'UNE SEULE FOIS (LIVE 1985 "L'OLYMPIA 1985")
8. JE LES HAIS (LIVE 1989 "L'OLYMPIA 1989")
9. FULL TILT FROG (LIVE 1989 "L'OLYMPIA 1989")
10. CHRISTOPHER (LIVE 1990 "SYMPHONIQUE SANSON")
11. POUR CELLE QUE J'AIME (LIVE 1990 "SYMPHONIQUE SANSON")
12. L'AMOUR QUI BAT (LIVE 1990 "SYMPHONIQUE SANSON")
13. TOI ET MOI (LIVE 1993 "ZENITH 1993")
14. LES DELICES D'HOLLYWOOD (LIVE 1993 "ZENITH 1993")
15. UNE NUIT SUR SON EPAULE (duet with Marc Lavoine. 1995 "COMME ILS L'IMAGINENT")
16. ON M'ATTEND LA-BAS (duet with Paul Personne. 1995 "COMME ILS L'IMAGINENT")
17. L'IRREPARABLE (未発表ライヴ。1982)
18. C'EST LE MOMENT (未発表ライヴ。1984)
19. AMOUREUSE (未発表ライヴ。1998)


3CD WARNER MUSIC FRANCE 2564696990
フランスでのリリース 2007年12月



PS.1 : 1988年にイスラム原理派からの爆弾テロ脅迫の対象になった「アラー」という曲があります。この曲は編曲・プロデュースをミッシェル・ベルジェにお願いしています。15年ぶりの共同作業です。これは結局再会/和解というドラマティックな展開にはならず、プロがプロに依頼してプロの仕事をプロとしてする、という次元を脱しません。ヴェロさんはこの仕事に当時はケチをつけませんでした。シングルもアルバム「Moi le venin」に入ったヴァージョンもベルジェ・プロデュースのものが使われました。
 ところが、ベルジェ死後ずいぶんたった近年、このベルジェの編曲が気に入らなかったことを告白しています。「その前に録音した私の最初のヴァージョンの方がずっと良かった」。このことにヴェロさんはずいぶん執着していたようなのです。15年の後に再会して感覚の違いがはっきりしてしまった、ということでしょうか。この3枚組ベスト盤のCD2の1曲めの「アラー」は、ヴェロニク・サンソン編曲の未発表ヴァージョンが収められています。
 残念ながら爺は「アラー」という曲自体にあまり感じるものがないので、どっちもどっちという感想でありますが...。


PS 2 :
ミュージックライフ1974年度人気投票
女性ヴォーカリストですね。カーリー・サイモン、スージー・クワトロ、キャロル・キング...トップ3だけ見ても、黒革ロックとシンガーソングライターの時代だったことがわかります。ダイアナ・ロスとシルヴィー・ヴァルタンに挟まれて、13位にヴェロニク・サンソンです。フランソワーズ・アルディ(20位)より上だったんですね。まあ、こんなランクって投票半分、編集部のスポンサー(広告主様)への心配り半分でできてると思いますが、ヴェロニク・サンソンはその前の年もその後の年もなく、1974年だけです。爺は女性の目立つ大学の女性学生数が圧倒的に多い学部学科に在籍しておりましたので、74年のヴェロニク・サンソン人気は爺の周りでは「真実」でした。学科が学科だからみんな「アムールーズ」原語で歌っていましたし。

1 件のコメント:

あるデザイナー さんのコメント...

はじめまして。
東京に住む日本人です。
Véronique SansonのZénith 1993について調べたいことがあって検索にかけたらヒットしましたので、読ませていただきました。
ヴェロニク・サンソン、よいですよね。
長い間、アメリカ産のポピュラー音楽に慣れ親しんだ身には、どこか奇抜で、どうにかして他と違おうとするフランス人気質のようなものが全面に出た傾向のあるフレンチポップにはどうも親しみを持てずにいましたが、短期間ながらパリに暮してみて、いろいろ聴くうちに、そうでないものもあるにはあることがわかり、とくにサンソンのセンスにはアメリカにはない洗練を感じました。
不思議なことに、わたしにとってサンソンの声は「女性」とか「男性」とかいった違いを感じさせないのです。いわゆる女性ヴォーカルものを聴くのとはまた別の感覚です。それも、男っぽい女性や女っぽい男性が自然に共存しているフランスの空気感から出てきた一面なのかな?と勝手に想像しています。
わたしが半年ほど滞在したのはもう14年も前のことになりますが、RFMをよく聴いていて、そこから好みのポップスをいろいろと仕入れました。とくに当時まだ新しかったサンソンの前述のライヴのToi et moiがよくかかっていて、大好きになりました(ただ恥ずかしながら持っているアルバムはこれ一枚)。いまでもときどきRFMを録りためたテープを聴いたりしています。他にも、Laurent VoulzyやDiane Tellなども気になり、タイトルがよく聞き取れないので、fnacの売り場のお兄さんの前でちょっと歌ってCDを買い求めたり(歌唱力の問題でわからないことも多く)しました。
いまはどんなものがよく聴かれているのでしょうか。
日本ではフレンチというといまだにゲーズブールやバーキン、シルヴィ・バルタンあたりのイメージが強く、ほとんど市場が開発されていないような現状です。
ちょっと立ち寄ったつもりが長くなりました。
失礼いたします