2008年3月3日月曜日

明日ヴェロさんに会うのです。



 もう1週間ぐらい仕事が手につかない状態。爺は手持ちのCDをすべて聞いて、ジャン=フランソワ・ブリウーの本とディディエ・ヴァロの本を読み直して、寝ても覚めても、この人のことばかり考えています。人はこれを恋と呼んでもいいでしょう。CDは80年代以降のものは買っても数度しか聞いていない状態だったのですが、この週末はその5枚:85年"VERONIQUE SANSON"(=通称ホワイトアルバム)、88年"MOI LE VENIN"(クリスチアン・ラクロワの衣装)、92年"SANS REGRETS"(書道のような大きな"S")、98年"INDESTRUCTIBLE"(砂漠のヒッチハイカー)、2004年"LONGUE DISTANCE"(白ソファに赤いバラ): を集中的に聞いて、いろいろな発見がありました。歌詞的には過去ばかり引きずっているのに、サウンド的には米国から完全に引き上げてきた85年から過去とばっさり切れているようです。爺はこの「ヴァリエテ寄り」をずっと嫌っていたのですね。しかし、私が歳取ってしまったのでしょうか、週末はこの5枚にこんなに良い曲が入っていたのか、と驚くことが多かったです。"Mortelles pensées"(in "MOI LE VENIN"), "Louise"と"visiteur et voyageur"(in "SANS REGRETS"), "J'ai l'honneur d'être une fille"(in "INDESTRUCTIBLE")などは、私自身の「サンソン・スタンダード」として残っていく曲でしょう。
 アルコール中毒のこと、2003年にピープル誌に報道された遺伝子系の血液病のこと、こんなことを考えると初対面第一声で Comment allez-vous ? と聞くのが、アラン・ルプレストの時と同じように重い質問になります。年齢よりもずいぶんと歳取って見える時があります。テレビで見ると動作が時々老婆風です。
 いろんなことを聞いてみたいです。大阪万博の時に住んでいた神戸市垂水区のこと、宝塚のこと、76年東京音楽祭のこと、そういう日本がらみのことから始めるつもりです。


PS:
2008年2月放送のフランス国営TVの番組「タラタタ」でのヴェロさんです。
もう2005年のライヴくらいから顕著なんですが、高い声が全然出なくて苦しそうです。
Vero "Taratata" 15 fev 2008

PS2:
2008年1月放送のフランス国営TVの特番「フェット・ド・ラ・シャンソン・フランセーズ」でのヴェロさんが、息子クリストファー・スティルスやミッシェル・フュガン、ポール・ペルソヌ、イヴ・デュテイユなどと一緒に歌う「アリア・スーザ」です。これなんか見ててとても苦しそうです。近年のグレコかブリジット・フォンテーヌにも似た老婆性が見えます。
Vero "Alia Souza" 23 Jan 2008

4 件のコメント:

Tomi さんのコメント...

ヴェロさんにベルジェのアルバム・カバーのことを聞くのは「誤った選択(質問)」なのでしょうか。
私はあのアルバム、とても好きなんです。 ベルジェが歌っているよりヴェロさんが歌うほうがはるかに好きです。 もし、質問がタブーでなければ、選曲のわけ(基準)が知りたいです。

Pere Castor さんのコメント...

 すみません。気もそぞろで,インタヴューのあとまでTomiさんのコメント見てませんでした。
  結果として私は「スティーヴン・スティルス」,「ミッシェル・ベルジェ」,「フランス・ギャル」という名前は一度も出しませんでした。芸能誌のまねごとはするまい,と思ったからです。いろいろ面白い話が聞けたので,それは別エントリーで。
 アルバム"D'UN PAPILLON A UNE ETOILE"はベルジェの死の7年後1999年に制作されています。この間にヴェロさんとフランス・ギャルの間で大変な確執があるのですが,「真の未亡人は誰か?」というレベルでの諍いではないのにマスコミはことをどんどん大きくしてしまいます。73年の別れからベルジェ/サンソンのコンタクトは断たれるのですが,ヴェロさんはベルジェが発表する歌に自分にしか知覚できない個人的なメッセージを感じるのですね。ヴェロさんはそれに対して歌で同じように暗号のような個人的メッセージをベルジェに返していくのです。これをヴェロさんは "chansons interposées"(仲介となる歌)と呼んでいます。たとえばベルジェが "Seras-tu la?"(きみは来てくれるかい?)と歌うとヴェロさんが "Je serai la"(来ますともさ)と歌って返すというものです。このようにベルジェとヴェロさんで見えない対話をしている曲がたくさんあるのですね。
 アルバム"D'UN PAPILLON A UNE ETOILE"はそういう歌をかなり入れてしまった,ヴェロさん個人の思い入れが支配的です。初期の歌に集中するのは,自分がその歌の成立に立ち会っていた,という意識もあります。世に知られているベルジェ・スタンダードが少ないのはそのせいです。70-72年頃,二人は同じトーンで歌えて,同じようなピアノを弾いて,同じようなヴィブラートで歌っていたのです。まるで双生児のように。この辺を過度に強調してしまうとフランス・ギャルは激しく傷ついてしまうわけですが,ヴェロさんは彼女を決して傷つけたくはない,と言いながら,自分でも過去(ベルジェ)のことを清算しないとこの先生きていけない,というギリギリの思いがあったのです。
 こういうことは時間が必要なのですが,このアルバムとその後の「サンソン,ベルジェを歌う・ライヴ」のアルバムを出したおかげで,やっとヴェロさんは吹っ切れるのですね。98年"Indestructible"まではまだベルジェに言い訳する曲(Je me suis tellement manquee)が含まれているのに,「ベルジェを歌う」(スタジオ盤/ライヴ盤)の後の2004年「ロング・ディスタンス」にはベルジェ未練の曲がゼロ。時は(やっと)過ぎ行く。Ce n'est rien。

Tomi さんのコメント...

「すご~くよく分かります!」と言ってしまっては、とても失礼だと思うのですが、ツシマさんが言わんとすることも心にグサグサ来ました。
特に
>70-72年頃,二人は同じトーンで歌えて,同じようなピアノを弾いて,同じようなヴィブラートで歌っていたのです。まるで双生児のように。
この部分は私が最も深く頷いてしまったところです。
でも結局のところ「仕事と私生活は別」なんですよ。だからベルジェはF・ギャルに行き着いたのだと思います。
余りにも似た二人では仕事は出来ても生活したらきっと息苦しくなってしまうのではないかなぁ~と、薄~い自己経験から考えます。
たくさんの裏話がありそうですねぇ。
少しずつお聞かせ下さい。
それにしてもモノクロの写真のお二人、とてもステキな笑顔です。

Pere Castor さんのコメント...

モノクロにしたのは、フラッシュによる「赤目」が出てしまって、いくら「赤目処理」をしても赤みが取れないので、カラーからモノクロにしてしまったのでした。
本人から許可取ってないので、こういうブログに載せてしまっていいものかどうか...。
ヴェロさんはTony Frankトニー・フランクという専用フォトグラファーがいて、今プレスとかCDジャケ等の写真は全部この人の署名が入っています。あまりうまい図とは思わないのだけど...。正直に言うと、本人の素顔を見てしまったので... トニー・フランクも大変苦労しているのだ、ということがよくわかりました。あとは、長年のアルコール中毒と、かの血液病で、ずいぶん早く老化していると思います。時々本当に老婆の顔になります。とても痛々しいのですが。