2025年1月31日金曜日

マル聖女マリア

”La Pie Voleuse"
『泥棒カササギ』

2024年フランス映画
監督:ロベール・ゲディギアン
主演:アリアーヌ・アスカリード、ジャン=ピエール・ダルーサン、ジェラール・メイラン
フランス公開:2025年1月29日

棒カササギ (イタリア語原題 "La Gazza Ladra" - フランス語題"La Pie Voleuse")』はジョアキノ・ロッシーニ(1792 -1868)作のオペラで、1817年にミラノのスカラ座で初演されている。大富豪の屋敷で働く召使女が、食器泥棒の嫌疑をかけられ窮地に陥るが、食器を盗んだ真犯人がカササギだったとわかり、ハッピーエンドとなる筋。映画と無縁なわけではない。家事手伝い女性マリア(演アリアーヌ・アスカリード)が雇い主の小切手偽造の嫌疑をかけられ窮地に陥るシナリオであるから。映画はマルセイユのその名も「ラ・ピー・ヴォルーズ(La Pie Voleuse)」という楽器店(ロッシーニゆかりの店名だからおかしくはない)に深夜泥棒2人組が潜入し、金目のものを求めて事務室を荒らしていたが、ドジなことに足場にしていた水道管が外れて破裂し、書類が散乱した床を水浸しにしてしまい、何も取らずにずらかってしまう、という始まり。
 マリアはベテランの派遣家政婦であり、数軒の老人家庭(および体の不自由な人の家庭)を巡回して必要な家事を提供している。その人柄の良さと仕事の質の高さで顧客たちとの関係は申し分なく、みな家族同然の親しさで信頼を寄せている。とりわけ下半身不随のモロー氏(退職者・寡夫。演ジャン=ピエール・ダルーサン)とは良好な関係で、ときおりマリアが市の魚屋から(プロの目で選んで)買ってきて昼食に調理するフィレのパン粉揚げが最高の好物になっている。インテリで言うことに文学的リフェランスも多いモロー氏は密かにマリアに思いを寄せている風もあるが、この距離が最上と自制しているようだ。一方マリアは僅かな年金しかない退職労働者夫ブルーノ(演ジェラール・メイラン)と二人暮らしであるが、キツキツの生活に家政婦業掛け持ちで必死に対応しようとしているマリアをよそに、ブルーノは年金のすべてをトランプ賭博に注ぎ込むばかりか、その負け分をマリアに尻拭いしてもらうダメ(マルセイユ)男。二人で買った(まあまあマシな)住宅はローン支払いで精一杯で、小さな贅沢だった小さなプールはコケで緑色がかった水が澱んでいる。映画の後半でブルーノが(再三迷惑をかけてしまった)マリアに問う「俺たち二人には何かまだ残っているのだろうか?」(シャルル・トレネ"Que reste-t-il de nos amours?"のようなもの)、マリアはきっぱり言う「まだあるのよ」。こういう老夫婦のありようは、アリなのだよ。ここがまたマリアの”聖女性” を浮かび上がらせるポイントなのですよ。だからこの点でモロー氏がマリアの心に隙いることはまず無理、なのだが...。

 さて底辺労働者夫婦マリアとブルーノにはひとり娘のジェニファー(職業ハイパーのレジ、演マリルー・オーシルー)がいて、長距離トラック運転手のケヴィン(演ロバンソン・ステヴナン。ゲディギアン映画では決まって気の良い好青年なのに最後貧乏くじを引かされる男役で、今回もしかり)と所帯を持ち、ニコラというメガネ&長髪の男の子がいる。このメガネ+長髪のか細い少年はどことなく少年ポルナレフを想わせるのだが、実際の少年ポルナレフと同じように並々ならぬピアノの才能がある。この少年をマリアはなんとかしてピアノで成功して欲しいと願うのであるが、底辺労働者夫婦であるジェニファーとケヴィンにはニコラにピアノを買い与えることなどできないばかりでなく、良い先生にお願いするピアノレッスン料も工面することもできない。孫可愛さのあまり、マリアが「私がなんとかするから」と。楽器店から月極レンタルでピアノを借り、来るべきピアノコンクールのために名のあるピアノ教授に特別レッスンをアレンジする。このピアノに関するもろもろの費用が、マリアの家政婦労働の合間に勝手知ったる顧客宅からの”ちょっと拝借"で賄われていたのである。このことは今のところ誰も知らない。特にピアノのレンタル料はモロー氏の小切手(マリアがモロー氏のサインをそっくりに真似て署名する)で支払われていて、ここから”アシ”がつくことになるのである....。
 ところでモロー氏には死に別れた妻(その前に離婚しているが)との間にひとり息子ローラン(演グレゴワール・ルプランス・ランゲ。ゲディギアン映画では決まって卑劣で陰険な野郎という役どころで、今回も前半はそのパターン)がいて、モロー氏との関係は冷え切っている。それはママっ子だったローランがモロー氏が母に酷い仕打ちをしたものと信じ込んでいて、母の死もそのせいだ、と。モロー氏は亡き母と自分に償い続けなければならないという考えに固まってしまっている。ローランはマルセイユ市内で不動産屋を経営していて、不動産業界ではやり手の妻オードレー(演ローラ・ネイマルク。ゲディギアン前作『そして宴は続く!』ではすごくヒューマンで良い役やってたのにぃ。ま、不動産屋がヒューマンであるというのは難しい注文か)を公私のパートナーとしている。このローラン夫婦不動産は見晴らしの良い一級地の稀な良物件であるモロー氏の家を買上げたいと画策しているが、モロー氏は耳を貸さない。その何度めかの売却相談でモロー氏宅を訪れたローランは断られた腹癒せに別れ際に机の上にあったモロー氏宛の封書を盗んでいく。その封書の差出人はマルセイユの楽器店「ラ・ピー・ヴォルーズ」...。
 映画冒頭で見た押入り泥棒事件の被害にあった楽器店は、水道管破裂で経理書類のたぐいがすべて水浸しになり、その中にモロー氏署名の小切手があり、インクが流れて小切手として無効になったので、モローにもう一度小切手を切り直して欲しい、という手紙を出したのだった。はて親父が楽器店と何の関わりが?と訝しんだローランは楽器店に出向き、それがピアノレンタルの保証金(千ユーロ)であることを知り、さらに不審に思い、そのピアノレンタル先の住所を突き止め....。ローランの邪悪な想像力のせいで推理はさまざまに飛躍(父親が若い愛人に貢いだ、etc)するのだが、詰まるところ第三者による小切手偽造詐欺であることは概ね把握され、ピアノの貸し出し先のジェニファーのアパルトマンに押しかけ、ローランはもろに悪徳不動産口調(これ、全世界共通みたいね)で凄んで、モロー名義の小切手で支払った全額返済しろ、告訴してやる... etc。
 ジェニファーはこれがすべて母マリアの仕業とわかり、動顛しながらも、母親ゆずりの勝気さで、誰にも(夫ケヴィンにも母マリアにも)相談せずに、一家に犯罪者の汚名が被さらないように、たった一人で解決しようとする。ここがこの映画のターニングポイント。ジェニファーは当座かき集められるだけのすべての現金を手にして、ひとりローランの不動産会社に。そして現金を差し出し、母を告訴しないでくれと涙の嘆願を...。ここでジェニファーとローランの目と目が超ストレートに視線をぶつけ合う。まさか....。これ、ゲディギアン映画では初めてだと思う。二人は電撃的に恋に落ちてしまうのだよ。
 このまさにパッションと呼ぶべき二人の極端に強烈な惹き合いは、(ゲディギアン映画には例外的な)あからさまな性情リビドーの表現も含めていよいよ昇華して、インターバルの超短い逢瀬を頻繁に重ね二人はどうにも離れられなくなってしまう。これは映画進行をラジカルに変えてしまい、当然双方のカップル(ジェニファーとケヴィン/ローランとオードレー)に壊滅的な打撃を与え、一旦すべての原因である中心人物マリアを蚊帳の外に置いてしまうほどなのだ。小切手詐欺事件の告訴はローランのジェニファーへの盲目的パッションゆえにローランは水に流すつもりだったのだが、ローランから破局別離を言い渡されたオードレーは激しい”逆恨み”で義父モロー氏に変わって告訴してしまう。
 マリアは警察に召喚され、事件当事者たちとの接触を禁止され、派遣家政婦の職を失う。ピアノは楽器店に戻され、ピアノ少年ニコラは途方に暮れる。そしてニコラの父ケヴィンは突然のジェニファーの(どうしようもないパッションゆえの)離別を...(なんてヤワなやつなんだ)涙ながらに受け入れるのですよ(この部分のシナリオ、私、承伏できない)。

 この万事休すの場面に及んで、一体モロー氏は何をしているのだ? ー ゲディギアン映画は善良な人々を救済しないわけがない。すべてを知ったモロー氏は、誰の助けも借りず、車椅子に乗り、自らの両腕の力だけで坂の多いマルセイユの住宅街を通り抜け、警察署に出頭する。そしてモロー氏名義で義娘オードレーがマリアを相手に訴えを起こした小切手偽造詐欺事件告訴をすべて取り下げる。その際、取調官を前にして、暗誦しているヴィクトール・ユゴーの長詩「貧しき人々(Les pauvres gens)」の最終の第10節の48行を朗読して聞かせる。厳しい気候にさらされた漁村に生きる貧しき人々のドラマ、女手ひとつで幼い子二人を育てていた隣家の女が昨夜死んだ、うちにはすでに五人の子供がいてみんな食うのがやっとだ、それでも残された二人の子を迎え入れて生きることを決める...。これは危機の時代(超リベラル資本主義/極端な弱肉強食競争に分断され最底辺で生きることを強いられた人々の時代)にも生き延びるためのヒューマニティーの問題なのですよ。モロー氏/ゲディギアンはそう言ってるんだ、ということがわからないでどうしますか。

 筋のことばかり書いて、マリア(アリアーヌ・アスカリード)の素晴らしさについてほとんど書いてない、と反省。この映画のマリアはその花柄シャツのようにカラフルな花に溢れた陽光さんさんの女性である。顧客の老いた人々への誠意に嘘はなく、彼らが寄せる全的な信頼にすべて応えられるキャパシティーは賞賛するしかない。ある種ルーザー気味に余生を生きている夫のブルーノに対しては観音さまのようだ。経済的に不安定な娘夫婦を援助するだけでなく、孫ニコラのピアニストの夢を叶えるためならどんなことも惜しまない。この家事ヘルパーの仕事が好きだし、労働者であることに誇りを抱いている。そんなマリアの趣味はピアノ音楽であり、イヤホンにはいつもルービンシュタインのショパン。そしてマリアにはどうにも抑えられない小さな贅沢があり、それは採れたての生牡蠣をルービンシュタインのYouTube動画をスマホで見ながら食べること(↑)。
 警察署での最初の取調べの最後に、女性捜査官に対して、顧客たちとの調和的な全幅の信頼関係を自負し誇りに思っているマリアは、この少額の現金をポケットに入れることや自分用に小切手を書き換えることは許容範囲内だと思っていた、と漏らす。映画を観る者は誰もがそうだと思いますよ(そうだ、そうだ)。そういう危機の時代に生き延びるヒューマニティーを喚起する映画なのであり、フランスでも世界でもこういう文法でヒューマニティーを浮かび上がらせる映画作家は本当に稀だと思いますよ。多分にマルセイユの風景がそれを助けていることは確か。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『泥棒カササギ(La Pie Voleuse)』予告編

2025年1月20日月曜日

Amerika Perdida

Patrick Juvet "I Love America"
パトリック・ジュヴェ「アイ・ラヴ・アメリカ」

(1978年6月リリース)


2025年1月20日、ドナルド・J・トランプが合衆国の第47代大統領に就任した。その2024年の大統領選挙戦でも、昨日今日の就任祝賀イヴェントでも、トランプが自らのテーマソングのように多用されていた歌が、ヴィレッジ・ピープルYMCA」(1978年リリース)であった。言うまでもなく世界で最もポピュラーなゲイ讃歌であり、1970年代ゲイカルチャーのオーバーグラウンドでの台頭を象徴するディスコヒットであった。その歌の意図を無視して「アメリカには二つのジェンダーしかない、それは男と女である」とトランプは就任演説で名言した。ゲイ讃歌で嬉しそうに踊る大統領によって、私たちがこれまで築いてきたレインボー世界は破壊されようとしている。祝賀イヴェントに嬉々として花の舞台に立ったヴィレッジ・ピープルには、可哀想な奴らよ、と憐憫の情まで湧いてくる。
 ヴィレッジ・ピープルを1977年に世に出したのは、フランス人ふたりアンリ・ブロロ(Henri Belolo 1936 - 2019)とジャック・モラリ(Jacques Morali 1947 - 1991)のプロデューサーチームだった。ニューヨークのゲイのメッカ、グリニッジ・ヴィレッジの多様に奇抜なゲイカルチャーにインスパイアされ、ミュージカル歌手のヴィクター・ウィリス(提督、警官、Victor Willis 1951 - )を抜擢、他のメンバーは「ダンスができて、口ひげのある男」という新聞広告募集で集め、道路工夫、カウボーイ、GI、インディアンの扮装をさせた(以下略)。
 スイス人パトリック・ジュヴェ(Patrick Juvet 1950 - 2021)は1971年にフランスのバークレイレコードからデビュー、王子様タイプのアイドル歌手からグラムロック顔メイクさらにシンガーソングライターと変容し、1975年に当時作詞家(クリストフの一連の名曲)だったジャン=ミッシェル・ジャールと邂逅、ジャール/ジュヴェの作詞作曲コンビでちょっと音楽性高めの作品群を。そのコンビの最後の作品がフレンチ・ディスコの金字塔 "Où sont les femmes?"(1977年、LA録音)であり、これを機にLAに移住する。ところが相方のジャールが自らのシンセアルバム(1976年)の地球規模での大ヒットを生んでしまい、ジュヴェどころではなくなってしまい、コンビが解消される。(他の説では、ゲイのジュヴェが75年の出会いからジャールに狂熱的な片思いを抱いていて、それが一方的に拒絶されたのだ、と)。そんなで次の予定が立たなくなってしまったジュヴェはLAからニューヨークに移り、あてもなく当時最もハイプだったブロードウェイのナイトクラブ STUDIO 54にたむろしていたところ、アンリ・ブロロとジャック・モラリに声をかけられる...。
 時は1978年、ディスコ界で既に破竹の勢いのあったブロロ/モラリはジュヴェに英語で歌えばいいやんけ、あとのことはわしらにまかしとけばええがな、と。簡単な英語詞はヴィレッジ・ピープルのヴィクター・ウィリスが書いた。
When I first came to Manhattan
I was not surprised
The stories people had told me
Turned out to be no lies
All the different people
From all over the world they're living
A magic fills the air
There's music everywhere
I love America
I love America
I love America
America

作詞ヴィクター・ウィリス、作曲パトリック・ジュヴェ&ジャック・モラリ、プロデュースがアンリ・ブロロ、フル・ヴァージョンが14分のディスコ曲 "I Love America"は1978年6月にリリースされた。これは「YMCA 」に先立つ。


 これが世界15カ国のディスコチャートのトップにランクされる。仏語ウィキペディアにはジュヴェのこんな談話が紹介されている「そこで俺の頭はどうかしてしまったんだ。でも後悔はしていない。2年間もの高級リムジンとファーストクラスとボディガードつきの生活は重要なことだったんだ。俺は莫大な金を手に入れたが、すべてをダメにした」。アルコールとドラッグ。90年代/00年代に何度かカムバックをトライするのだが、果たせていない。ま、芸能界ですから、ときどきは話題になるのだが。
 ヴィレッジ・ピープルのヴィクター・ウィリスが書いた歌詞の中に「All the different people / From all over the world they're living 」とある。 ”アメリカン・ファースト”とは真逆のアメリカ讃歌である。 ファンキー・ミュージックがいたるところから立ち上がるアメリカ。このマジックがアメリカだったら、夢見てもいいんじゃないか。半世紀以上前のスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」(1967年)のアメリカみたいな People in motion。そんなものは2025年1月、トランプの大統領就任演説でトータルに否定されてしまった感。 I loved America。

(↓)パトリック・ジュヴェ「アイ・ラヴ・アメリカ」、14分フルヴァージョン。

2025年1月17日金曜日

生者を眠らせ生者の屋根に雪ふりつむ 死者を眠らせ死者の屋根に雪ふりつむ

"La chambre d'à côté (The room next door)"
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』


2024年スペイン映画
監督:ペドロ・アルモドバール
主演:ティルダ・スウィントン、ジュリアンヌ・ムーア
2024年ヴェネツィア映画祭金獅子賞
フランス公開:2025年1月8日 

ルモドバール初の英語映画 。2020年代的今日のニューヨークが舞台。今やベストセラー作家となったイングリッド(演ジュリアンヌ・ムーア)の書店サイン会で、駆けつけた知人から(長い間連絡を取り合っていない、90年代からの)旧友のマーサ(演ティルダ・スウィントン)がガン闘病入院中と聞く。戦地リポーターとして世界中の紛争地に赴き記事を書いていたマーサ、イングリッドが病院に見舞いに行くとその姿は重い治療のせいで青白く痩せこけたものになっている。この場面では私が9年前から慣れ親しんでいる化学療法(ケモセラピー)、免疫療法(イミュノセラピー)、最先端開発中新薬の治験プロトコールなどの語彙が出てくる。マーサは医師に言われるままいろいろな治療を受けるのだが、その治療で受けるダメージは大きく、結局期待された結果は得られず、病気は陣地を広げていく。これは(私を含めた)多くの患者が体験することで、治療ダメージの苦しさの方が命を縮めていってると思ってしまうのですよ。マーサは余命宣告されてしまったからには、自分の尊厳を維持しながら自分の流儀で死んでいきたいと考える。いわゆる尊厳死を選択したわけだが、この映画の舞台の合衆国では違法である。マーサはダークウェブ上で致死薬を購入し、自分が今こそその瞬間と思えばこれで命を断てる。これが自分ひとりでできれば一番いいのかもしれない。だが、(はた迷惑な話と思われようが)誰かに最期を見取られたいとう気持ち、これわかってもらえますか? 
 マーサには家族がいないわけではない。成人した大きなひとり娘のミッシェルがいる。しかし関係は冷え切っていて、娘は女手一つで育てた母親と距離をおいたまま和解しようとしない。マーサの病状を知ってもなお、なのである。これは娘の出生にまつわる(その父に関する)秘密と嘘によって険悪化したものであるが、この娘との消えない確執が死にゆくマーサの最大の心残りである。
 死の準備を進めるマーサは、自らの最期に立ち会うことを親しい友人3人に頼むが悉く断られ、最後にやってきたイングリッドに白羽の矢を立てる。イングリッドは断れない。これは言わば”共犯者”となることを受け入れたに等しい。そしてイングリッドはマーサの理想の共犯者となるよう努めるのである。
 「私の快楽の源泉はすべて枯渇してしまった」とマーサは言う。これが病気の”真実”である。その状態を見て、まだ五体が動くではないか、という楽観論を述べ、危機的状態を見ようとしない人々を私は多く知っている。生きる喜びがすべて消え失せた状態、これをおしまいにしたいという欲求は正当化されないものなのか。映画はそれを問い、死に行く者の尊厳に加担する。そしてそこは友がいてくれたら。
 マーサはその行程を演出しようとする。季節は冬。ニューヨークから車で2時間ほどの美しい自然に囲まれた郊外ウッドストックのプール付き別荘を1ヶ月レンタルする。”コージーな”という形容詞が似合う人工的色彩の映える絵画的(エドワード・ホッパーデヴィッド・ホクニー...)環境。マーサはここに隣同士の二つの寝室にイングリッドと滞在するつもりでいた。決まり事はひとつ、マーサは毎晩自分の寝室の(赤い色の)ドアを半開きにして眠る、もしもイングリッドが朝起きた時そのドアが閉まっていたら、マーサはこの世にいないというしるし。ところがマーサの思惑に逆らって、二つの寝室は隣同士ではなく、メザニン(中二階)の階上と階下に位置している。そこでマーサは階上に、イングリッドは階下に部屋をとる。映画題”ザ・ルーム・ネクスト・ドア”は実際にはそうではなかったのに意味深なニュアンス。
 マーサの思惑のつまずきは他にもあり、このプランに絶対不可欠の品である致死薬の入った封筒を、マーサはニューヨークの自宅に置き忘れてしまい、大パニックでニューヨークに引き返してイングリッドと二人で家中をひっくり返して探し回るというシーンがある。また、別荘滞在の日数がだんだん重なってきたある日、イングリッドはマーサの部屋の赤いドアが”ついに”閉まっていたのを見つけてしまい、最大級の悲しみに襲われ、茫然自失の状態で佇んでいると、マーサが何事もなかったように目の前に現れ、「風でドアが閉まってしまったのかもしれない」と。イングリッドは果てしない悲しみから果てしない怒りへと転じ、もうこのゲームをやめにしたいと...。
 思惑どおりに行かないつまずきのすべてが映画のドラマチックなエピソードになる。このつまずきの重なりが二人の女性を否応なしに強烈に引き寄せていく。アルモドバール一流のメロドラマ展開と言えよう。
 上に述べたように死を決したマーサの最大の心残りは娘ミッシェルとの確執であり、その出生にまつわる真実を娘に伝えられない後悔である。映画は若き日のマーサと娘の父親となることを知らずにイラク戦争に兵士として招集され、精神を病んで帰ってきた男フレッド(演アレックス・ホフ・アンダーソン)がいかにして死んだかというエピソードを映し出す。このマーサの回想はマーサの死後イングリッドによって娘ミッシェルに告げられるという映画の最大の救済と恩寵の瞬間が結末にある。
 しかしその前に、このマーサとイングリッドの行為が犯罪となってしまうアメリカの法社会にどう対処するか、ということもマーサはシナリオとして考えておかねばならなかった。リアルな社会は死ぬ自由もそれを幇助する自由も認めない。この映画が負ってしまった社会サスペンスの側面も実に見事に描かれていて、その助け舟的に関わってしまう男ダミアン(悲観的な環境問題ライターで、過去において別々の時期だがマーサともイングリッドとも愛人関係にあった。演ジョン・タートゥーロ、うまい!)の介入も光っている。
 マーサ(戦地リポーター/ジャーナリスト)とイングリッド(作家)という文字の世界におけるインテリ熟女二人である。その会話は知的刺激に富んでいて、その人工的色彩の絵画的空間に溶け込んで、映画を観る者の耳に快い。

 そしてこの冬の映画でおおいにものを言うのが(ニューヨークでもウッドストックでも)窓の外にしんしんと舞い落ちる雪なのである。この何度かある雪のシーンで必ずマーサが(暗誦してしまっている)ジェームス・ジョイスの短編『死者(The Dead)』(1914年、短編集『ダブリン市民』の一篇)の最終行をくちずさむのである。
His soul swooned slowly as he heard the snow falling faintly through the universe and faintly falling, like the descent of their last end, upon all the living and the dead. (端折り訳)雪は世界中にかすかに降り続ける すべての生者と死者の上に かすかに降り続ける
この"upon all the living and the dead"(すべての生者と死者の上に)というのが、この映画のすべてを集約しているように思う。三好達治「雪」(太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。)と同じ。われわれはこの降りゆく雪の下にいて生者も死者も同じ時を過ごしているのである。そして、映画最終部で母マーサの死んだウッドストックの別荘にやってきた娘ミッシェル(ティルダ・スウィントンの見事な二役)の上にも雪は舞い落ちてくる。すべてを覆ってしまう雪の優しさと悲しさに胸打たれて映画館を出るという冬の映画。脱帽。

カストール爺の採点:★
★★★★

(↓)”La Chambre d'à côté"(フランス公開ヴァージョン)の予告編


(↓)『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(日本公開ヴァージョン)の予告編

2025年1月5日日曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ 2024

 


2024年6月11日、フランソワーズ・アルディが亡くなった。

始恒例となった爺ブログのレトロスペクティヴ、2024年に掲載された記事の中からビュー数の多かった順で上位10位の記事を振り返り、1年を回顧します。2024年に発表した記事の数はなんとたったの42本しかなく、近年は50〜60本を越えていたのに、42本というのは2016年(つまり、病気前の現役バリバリで仕事していた頃)の水準まで落ちてしまったというわけです。言い訳をさせていただくと、発表本数は42でも、発表せずに”書きかけ”で管理ページに残っているのが16件もあって、端的に言えば、書けなくなっているのです。根気の問題もあれば、日々喪失している日本語力の問題もあります。そんな中で、私にとって最も重要で最も深く”つきあってきた”アーチストのひとり、フランソワーズ・アルディが80歳で亡くなった時、私はなんとしてでも「ちゃんとしたもの」を書いて追悼しなければ、とかなり苦しんでいた。とりわけ”La Question"(1971年)、”Message Personnel"(1973年)、"Le Danger"(1996年)の3枚のアルバムを繰り返し繰り返し聴き直し、私はこの人の”人生”ではなく「音楽と詞」への最大のオマージュを捧げようとしていた。これだけで”書きかけ”4件。... 果たせなかった ...。このことが象徴しているように、私はしみじみ”衰え”を身にしみて感じている。誰に依頼されているのでもない、自分のための記録ではあるが、つきあってくださる皆さんがいることは励みになっています。ありがたいことです。
  2024年7月8月、パリ・オリンピック&パラリンピックはテレビのみの”参加”だったけれど、ああ、フランスに生きていてよかったなぁ、と思える稀有な瞬間の連続であった。長生きして本当によかった。
 映画は共に”文学”絡みだけれど、クリスティーヌ・アンゴの初監督セルフ・ドキュメンタリー『ある家族 Une Famille』と、ニコラ・マチュー2018年ゴンクール賞作品の映画化『彼らの後の彼らの子供たち』(リュドヴィック&ゾラン・ブーケルマ監督)が、最も強烈に印象に残った2作だった。

 音楽では、(これまた書きかけで止まってしまったのだけど)85歳ブリジット・フォンテーヌの新作アルバム『ピック・アップ』がことのほか嬉しかった1枚。世の人たちすべての傾向だと思うが、音楽をアルバム単位で聴くことが本当に少なくなった。LPは(操作が)面倒臭いと思ってしまう人間のひとりである。聴き続ける気力を維持したいが、それよりも刺激のある新しい音楽が欲しい。10〜12トラック/35分〜45分のスケールで。
 文学は2024年はゴンクール賞ルノードー賞もすごい作品だったので実りある1年だったと思う。とりわけガエル・ファイユ、私はうれしくてたまらん。そしてこれも書きかけ止まりなのだが、自身と家族の暗部と傷と雪解けの可能性ばかりを書き続けてきたエドゥアール・ルイの最新作『崩壊(L'Effondrement)』(38歳でボロボロの死を遂げた異父兄の人生の再検証)は、やはり(時間がかかっても)ちゃんと紹介せねばと思っている2024年最重要作品です。

 では2024年爺ブログのレトロスペクティヴ、1年間多くの人たちに読まれた記事10本です。

(記事タイトルにリンク貼っているので、クリックすると該当記事に飛べます)


1. 『小説ミドリ事件(2024年3月18日掲載)
在東京のフランス人ジャーナリスト西村カリンの初の小説作品。2月にフランスの死刑廃止を成し遂げたロベール・バダンテールが亡くなり国葬→パンテオン入りを果たし、日本で死刑囚袴田巌が58年かかって無罪を勝ち取った、という年(=2024年)のタイミングで発表された、日本の死刑制度の現状をひとつの事件(自分の子3人を殺した福島県双葉町出身のシングルマザー)に立ち会いながら照射する勇気ある小説。ジャーナリストとしてではなく、”作家”として書きたかった著者の強い思いがよく伝わってくる。日本人にこそ読んでもらいたい書であるが、日本での出版予定はあるのだろうか? とにかく当ブログ記事は2024年で最も反響のあったものであり、西村カリンさんへのささやかな援護射撃になったのではないか、と思っているのだが、どうだろうか?

2. 『追悼ポール・オースター:九分九厘の幸福(2024年5月1日掲載)
2024年4月30日、77歳で亡くなったニューヨークの作家ポール・オースターの追悼の意を込めて(2004年と2006年に書いた)二つの過去記事を再録したものの一つ。現代アメリカ文学など全くの門外漢である私であるが、オースターだけは熱心に読んでいた。門外漢の書くオースター紹介であるが、現在まで爺ブログには5本のオースター記事があり、いずれも多くの人に読まれている。20年も前に書かれたものでも、である。オースターの最後の小説『ボームガートナー』(2023年)に関しては、ちょっと遅れて7月31日に(思いを込めて)(”追悼ポール・オースター3”として)長い紹介記事を掲載したのだが、これが夏の時期だったせいか、オリンピックの真っ最中だったせいか、少数の読者にしか読まれていない!オースターの最後に相応しい力作なので、ぜひ読んでみてください。

3. 『追悼ポール・オースター:おめえも来るか(2024年4月30日掲載)
ポール・オースターが亡くなった日に、どうしていいのかわからなくなり、とっさに私のオースター初体験のことを書いた20年前の記事(Web版”おフレンチ・ミュージック・クラブ”に初出)を再録することにした。そう、これも私が”書けなくなった”証拠で、2024年の爺ブログでも「ラティーナ」、「エリス」、「おフレンチ・ミュージック・クラブ」に書いた記事をちょくちょく再録して、お茶を濁すという傾向があった。あまり感心できない傾向ではあるが、この20年前の記事にしても、自分がこんなことが書けたんだ、という大きな驚きがある。私の日本語は今よりずっと確かで豊富であった。まるでモノ書きのようではないか。オースターを初体験した衝撃と長いつきあいの始まり、私はこういう自分であったことを忘れて久しいようだ。だからたまにこうやって過去と再会することが必要なのだ。長いつきあいと言えば、この記事のコメントで、本当に長いつきあいになってしまった吉田実香さんが登場している。また楽しからずや。

4. 『ちびのフランチェーゼと呼ばれた天才彫刻家の愛と死とイタリア(2023年12月30日掲載)
2023年ゴンクール賞小説、ジャン=バティスト・アンドレア著『彼女を見守る Veiller sur elle』の長編600ページをほぼ紹介してしまう長〜いネタバレ記事。記事中で重ねて強調しているが、この作品はゴンクール賞らしからぬ大衆エンタメ小説である。フランスで60万部売れ、世界34ヶ国語で翻訳されているそうだが、日本語版はどうなっているだろうか?映画化が決まり、2026年公開で制作進行中だそう。超一流のエンタメ映画になるのであろう。2024年フランスの大衆映画のチャンピオンは『モンテクリスト伯』(デュマ原作)であった。そして2024年12月に修復完成再開院したノートルダム大聖堂に因んでヴィクトール・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』は再び驚異的ベストセラーになった。われわれはこういう”大絵巻物”系ストーリーに弱いところがあるのだね。エンタメ特有の金銭臭もぷんぷんするのだが。

5. 『余は如何にしてルワンダ人となりし乎(2024年9月20日掲載)
2024年ゴンクール賞選考で最後までカメル・ダウード『天女たち』と競り合い、最終的にルノードー賞を獲得したガエル・ファイユ『ジャカランダ』の超長いネタバレ紹介記事。第1作目の長編小説『プティ・ペイ』(2016年)はルワンダの隣国ブルンジを舞台にした迫り来る内戦と大虐殺を少年の視線で捉える作品だった。『ジャカランダ』はフランスのヴェルサイユでテレビニュースを通してしかルワンダ大虐殺を知らなかったフランス/ルワンダ混血少年が、後年ルワンダ現地でその悲劇を再検証していく、1994年から2020年までルワンダなるものを自分の血と肉としていく青年ミランの魂の軌跡。夫と子供を虐殺で失いそれでも人道活動に奔走する女性ウゼビ、その祖母で115歳で往生したルワンダ立国から現代までのすべての歴史を記憶しているロザリー、そのロザリーの曾孫でロザリーの記憶を書き残そうとする少女ステラ、この3人の女性の素晴らしさが、この小説の重要な説得力であり、小説をアフリカ女性讃歌にも高めている。文句なしの★★★★★。

6. 『Jay le taxi, c'est sa vie(2024年11月18日掲載)
単独親権の国ニッポンにあって、日本人妻によって子(娘)から引き離されてしまったフランス人夫の「娘との再会」悲願達成なるか、という一見(国際)社会派映画。ベルギー人ギヨーム・スネ監督『Une part manquante (また君に会えるまで)』(日本語を話すロマン・デュリス主演)。爺ブログでは取り上げる作品を低く評価したり貶したりということは非常に珍しい。日本が絡んでいるからという理由で神経質になるほど私はウヨクではない。だが、ちょっとひどい映画。2024年は日本関連ではイザベル・ユッペール主演の『Sidonie au Japon(シドニー、日本で)』という映画も紹介しているが、これもどうしようもなくひどい映画で...。これもそれもヴェンダース『パーフェクト・デイズ』症候群なのだと思うのだが、私は『パーフェクト・デイズ』はちゃんとした評価してましたよ。

7. 『やりすぎたらバランスが壊れる(2024年4月14日掲載)
濱口竜介の『悪は存在しない』は、プレス評では賛否両論あった映画だが、私の周囲のフランス人の間では否定論がほとんどで、『ドライブ・マイ・カー』を絶賛した人たちの落胆は大きかったようだ。まあフランスでの観客の入りも今ひとつだったし、新聞雑誌の12月の年間映画回顧でこの映画を持ち出すところは皆無だった。爺ブログは好意的に評価しましたよ。この映画のプロモーションで言われた「エコロジカルな寓話」というキャッチコピーだけれど、その方面を強調するのであれば、ある種のわかりやすさが要求されるのだと思う。カオス、カタストロフが結論部にある”寓話”などありえない。初めからこの映画は寓話などではなかった。観る者の思い込みをくつがえすのも映画の力だと私は思った。濱口が当代で最も突出した映画作家の一人であることには疑いの余地はない、と言ってしまおう。

8. 『1990年、ドロン vs テレラマ(2024年8月21日掲載)

8月18日、アラン・ドロンが死んだ。私にとってこれはほとんどどうでもいいニュースだった。その超巨大なエゴに嫌悪感すら抱いていた。芸能界に迎合的なメディアを除けば、この希代の大俳優は触れることを避けるべき厄介な存在であった。1990年(34年前)硬派の文化批評誌テレラマの(当時若手の)女性ジャーナリスト、ファビエンヌ・パコーは果敢にもこの怪物にインタヴューすることに成功するが、その内容は...。なお、この死の時期に、爺ブログでは2023年5月の掲載以来、驚異的なビュー数を記録しているアリ・ブーローニュ(歌手・マヌカンのニコの息子で、認知されていないが父親はドロンと主張していた)の記事(これも2001年におフレンチ・ミュージック・クラブに書いたものの再録)が再びビュー数を急上昇させ、現在累積9000ビューを超えて、爺ブログ歴代4位になっている。これは日本の読者のドロンへの関心の高さ、ということをこのブログでも証明しているのだね。

9. 『華麗なるアンドレ・ポップの世界・その1(2024年7月12日掲載)
作編曲家/楽団指揮者アンドレ・ポップ(1924 - 2014)の生誕100年没後10年の記念CDボックスを入手したのがきっかけで、ちょっとまとめて紹介しようかなと思って始めた記事。これも”書きかけ”(トム・ピリビ、ポルトガルの洗濯女、恋はみずいろ、マンチェスターとリバプール...)が4本あり、まだまだ書きたいとは思っているのだけれど...。”Song for Anna(天使のセレナード)"はウクレレ奏者ハーブ・オオタ(オオタ・サン)による世界的大ヒットということと、ポール・モーリア楽団等のオケものイージーリスニングのスタンダードということは知られていても、アンドレ・ポップの曲だということはあまり知られていない。そういう目立たなさがアンドレ・ポップの魅力でありましょう。

10.『華麗なるアンドレ・ポップの世界・その2(ジェーンBの命日に)(2024年7月16日掲載)
ジェーン・バーキンが76歳で亡くなった日の一年後に書いた記事。1974年のジェーン・Bのシングル「マイ・シェリー・ジェーン」は、詞ゲンズブール、作編曲アンドレ・ポップという珍しい顔合わせ。記事は”芸能人形”のようであった1970年代のジェーン・Bと、「栄光の30年」の終焉期のフランスについても言及している。日本、英米を含めて1970年代はテレビが色々な文化事象を牛耳ると同時に低俗化したと私は思っているが、レコード音楽業界が限りなく巨大化したのもこの時期で、そういう時代に「大ヒットメイカー」のような目立ち方をすることなく、職人芸でこの世界の土台を固めていたような人物がアンドレ・ポップだったのではないかな。この「華麗なるアンドレ・ポップの世界」のシリーズは2025年に必ず再開させます。刮目して待て。