2010年11月20日土曜日

ピガールのど真ん中で



 カウンターの下にオレンジ色の電光看板みたいについている、お月様と猫がケンカしている図。これがこの「オ・ノクタンビュール Aux Noctambules」という店のシンボルマークです。ノクタンビュールとは、スタンダード仏和辞典では「1.夜遊びの好きな人、夜出歩く人。2.[古]夢遊病者(=somnanbule)」と訳されています。
 月と猫が騒々しいから、眠れない人々、当たっているイメージではないでしょうか。パリでそういう人たちが出かける場所というのは、19世紀後半から「ピガール」と決まっていたわけです。
 モンマルトルの丘の南の麓を横切る一本の大通り(一本でも名前は西半分がクリシー大通り、東半分がロッシュシュアール大通り)とそこから枝葉して広がるたくさんの小道に、セックスシアター、セックスショップ、キャバレー、バー、ショー小屋、風俗バーなどが軒を並べています。いわゆる歓楽街ですが、これを仏語では 「Quartier chaud カルチエ・ショー」(熱い街区)と言います。
 トゥールーズ・ロートレックの絵に描かれ、近代シャンソンの開祖と言われたアリスティッド・ブリュアンが出演していたことで知られるキャバレー「黒猫亭」(Le Chat Noir) が開店したのが1881年のこと。そしてブランシュ広場の名物となる「赤い風車」(Le Moulin Rouge)」の開店1889年。シャンソンと演し物で人を呼ぶ店が次から次に出来て、夜の世界のギャングたちが町を牛耳るようになり、売春窟も林立します。1918年に酒類と電力を制限する法律が通り、21時以降の営業は遊郭だけが許可されるようになり、ピガールの一角とそれを握る暗黒街の男たちだけが莫大な利益を手に入れることになります。遊郭は20年代にはピガールだけで177軒あり、娼婦の数は2000人と言われました。戦後になって遊郭/赤線/売春窟は法律で禁止されますが、その法の網をくぐっての売春はなくならず、80年代までフランス最大の「色街」として栄えます。しかし、90年代からエイズ禍の波はピガールを直撃し、セックス産業は急激に衰え、町の灯が消えかけたところに、オルタナティヴ・ロックやヌーヴェル・セーヌ・シャンソンがこの町を支え、腹の突き出た観光客たちよりも、音楽好きな若者たちがピガールに還ってきます。エリゼ・モンマルトル、ラ・シガール、ロコモティヴ、ブール・ノワール、ディヴァン・デュ・モンド、トロワ・ボーデ...。ピガールは変わりました。しかし、アリスティッド・ブリュアンや「ル・シャ・ノワール」の頃のピガールがまた還ってきた、とも言えるでしょう。
 「カフ・コンス(Caf'conc')」は、カフェ・コンセール(café concert)を約めた愛称ですが、19世紀からパリの飲食店で開かれていたシャンソンやダンス音楽の小コンサートのことを意味していました。それが19世紀末から20世紀にかけて、大きなレヴュー・ショー興行のホールに変わったのが、英語由来の「ミュージッコール Music Hall」と呼ばれる劇場です。シャンソンの最前線はこのカフ・コンスからミュージッコールに移行し、カフ・コンスは1910年代には廃れて、町から姿を消していきます。
 「オ・ノクタンビュール」はその1910年代に開業し、2010年の今日、いまだに「カフ・コンス」を名乗る、パリでも超稀れなカフェ・バーであり、今日でも21時を過ぎると、カフェ奥のサロンにあるステージにシャンソン歌手が出て、ノスタルジックなシャンソン・ショーを開いています。この由緒ある場所は、この2010年1月にエイズで逝ったアーチスト、マノ・ソロ(1963-2010)の歌に歌われ、レコード・デビューする前のレ・ネグレス・ヴェルトが根城にしていた、ということでも知られています。
 そのカフ・コンスの「デビュー・ド・ソワレ」(宵の口)、夕のアペリティフ時間、昨今のフランスのカフェ・バーでは英語をそのまま使って「ハッピー・アワー Happy Hour」と称して、ドリンク値段を安くした時間帯にしてますが、17時から21時まで、われらが友、マヌーシュ・ギタリストの波多野君がこの秋から毎晩演奏しています。
 お客様は様々で、観光客もいれば、地元の酔漢もいれば、モンマルトルを愛する画家などのアーチストもいれば、エリゼ・モンマルトルやラ・シガールでのコンサートの前に一杯飲みに来る音楽ファンもいれば、という感じです。われわれが冷やかしに行った11月19日(金曜日)の夜には、波多野君とサイドギタリストのマニュのコンビのファンというロシアの画家が、二人に自作の絵をプレゼントする、という感動的な場面もありました。
 このピガールのど真ん中で、アーチストとしてピガール色に染まって土地に根を張っていく波多野君、とてもいい感じです。まぶしいです。うらやましいです。

(↓ジョルジュ・ブラッサンスの代表曲のひとつ「レ・コパン・ダボール(友だちが最優先)」を弾く波多野君とマニュ君)

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