
2009年9月30日水曜日
I don't know OAI?

2009年9月29日火曜日
He's a rainbow.
フランソワ & ジ・アトラス・マウンテンズ『洪水に襲われやすい平原』
フランソワ・マリーは2003年からイングランド西部の港町ブリストルに住んでいて,その地の音楽シーンに溶け込んで活動しているフレンチーです。出身地はフランス西部の港町ラ・ロッシェルに近いサントで,ブリストルの前はラ・ロッシェルに住んでいました。この緯度を北に移しただけのような,フランス西海岸からイングランド西海岸への移住はどんな意味があったのでしょうか? 9月25日のレ・ザンロキュプティーブル誌のウェブ版のinrocks.comに,フランソワの紹介記事があり,それは「トリップホップの揺籃ブリストル」という言葉から始まります。なにしろマッシヴ・アタックとポーティスヘッドの町ですから。90年代からロンドンとは全く違った音楽的アイデンティティーを持つに至った新しいメロマヌ(音楽狂)の町,というイメージです。実験的で,何にでも手を出したがる,不定形な音楽志向を持った独習のマルチインストルメンタリスト,フランソワ君はこの町にすぐに馴染んでしまったのですね。
それに対してラ・ロッシェル(有名はフランコフォリー・フェスティヴァルがある,これまたりっぱなメロマヌの町のはず)は,フランソワ君にはそのアンビエントに親近性を持つことができなかったのです。レ・ザンロックのインタヴューによると当時のラ・ロッシェルの音楽傾向は「シャンソン」か「ファンク」かだったそうです。早くから室内実験のようだった彼の音楽は,それに合う環境を求めて北に向かったというわけですね。
2003年以来自主制作で何枚かCD作品を出していたようですが,このボルドーの小さなレーベル TALITRES RECORDSからこの9月に出た本作『プレーヌ・イノンダブル』が,フランス国営の音楽FM局FIPなどに注目され,多くの人に知られるようになりました。
フランソワの音楽は,そのヴィデオ・クリップやジャケットアートなどで見えるように,たいへん水彩画的です。透明度が高く,浮遊感があり,流動的です。その水が多めのパレットで色彩豊かに描かれる音楽です。ギターやピアノや管楽器や弦楽器と,さまざまな効果音(ドアの音,マッチ箱,ウォータードラム...),そして人間の音声も,すべてが水で薄められた水彩絵の具のように画用紙の上に流し出されるような感じです。雨が降ればすべて流れてしまいそうです。この固定されない儚さがフランソワの音楽の魅力だと思います。
このフランス語と英語で歌われるメランコリックでノスタルジックな音楽は,そのインタヴューによるとある種「ふるさとは遠きにありて思ふもの」というファクターもあります。音楽的に自分に合った環境に身をおいて,サティー的なフランスと印象派絵画的なフランスに想いを馳せているような望郷感ですね。それはヒップホップを哀愁の領域に引っ張り込んでしまったブリストルでなければ得られなかった感覚かもしれません。 アマンダ・リアーのようなアンドロギュノス的なヴォーカルが憂愁を際立てます。スペインのアルベルト・プラ,米国のマーキュリー・レヴ,アイスランドのシガー・ロスなどを初めて聞いた時の感覚が蘇ります。

フランソワの音楽は,そのヴィデオ・クリップやジャケットアートなどで見えるように,たいへん水彩画的です。透明度が高く,浮遊感があり,流動的です。その水が多めのパレットで色彩豊かに描かれる音楽です。ギターやピアノや管楽器や弦楽器と,さまざまな効果音(ドアの音,マッチ箱,ウォータードラム...),そして人間の音声も,すべてが水で薄められた水彩絵の具のように画用紙の上に流し出されるような感じです。雨が降ればすべて流れてしまいそうです。この固定されない儚さがフランソワの音楽の魅力だと思います。
このフランス語と英語で歌われるメランコリックでノスタルジックな音楽は,そのインタヴューによるとある種「ふるさとは遠きにありて思ふもの」というファクターもあります。音楽的に自分に合った環境に身をおいて,サティー的なフランスと印象派絵画的なフランスに想いを馳せているような望郷感ですね。それはヒップホップを哀愁の領域に引っ張り込んでしまったブリストルでなければ得られなかった感覚かもしれません。 アマンダ・リアーのようなアンドロギュノス的なヴォーカルが憂愁を際立てます。スペインのアルベルト・プラ,米国のマーキュリー・レヴ,アイスランドのシガー・ロスなどを初めて聞いた時の感覚が蘇ります。
<<< トラックリスト >>>
1. FRIENDS
2. BE WATER (JE SUIS DE L'EAU)
3. WONDER
4. MOITIEE
5. REMIND
6. DO YOU DO
7. OTAGES
8. NIGHTS DAYS
9. YEARS OF RAIN
10. PIC-NIC
FRANCOIS & THE ATLAS MOUNTAINS "PLAINE INONDABLE"
CD TALIRES RECORDS CDTAL-049
フランスでのリリース 2009年9月14日
(↓) "BE WATER (JE SUIS DE L'EAU")のオフィシャルヴィデオクリップ
2009年9月23日水曜日
この人は終わってしまったのだ

10月号原稿を送った時に(ほとんど思いつきで)「来月号はジェーン・バーキンについて書きますから」とラティーナ編集長にメールしたのです。日本にも行ってましたし。実は映画も音楽もそんなに熱心に見たり聞いたりしたことがありません。本人には一度も会ったことがありません。ライヴはゲンズブール死後にカジノ・ド・パリで一度だけ見ました。芸能ショー的わざとらしさの度が過ぎるような印象でした。ジェーン・Bは何をやってもわざとらしいように見えます。おお,私は悪口を書いてしまいそうだ。ちゃんと資料を集めねば...。
と思ってピエール・ミカイロフ(元レ・デゼクセのギタリスト。ジャーナリスト。フランソワーズ・アルディ評伝を書いていて,この春は大変参考にさせてもらった。その他ノワール・デジール,バシュングなど著書多し。ほとんど3ヶ月に1冊の割で本が出ているみたいです)のバーキン評伝『シチズン・ジェーン』をフナックのネット通販で注文したら,2週間待ったあとで「品切れのため発送出来ません」の知らせ。そんな...。実際のところ,この本はどこの本屋でも見たことがないし,フナックの通販サイトでは2009年6月に出たことになっているけれど,他の通販サイトでは売っていないのです。
唐突ですがフェイスブックって使い道ありますね。私はアルディ評伝を読んですぐにミカイロフにフェイスブック友だちの申し込みをしたのですが,即OKでした。で,ミカイロフがそこでフェイスブックで何を言っているのかも注目していましたし,時々ミカイロフの「壁」にちょっかいを入れたりもしてました。だから,この『シチズン・ジェーン』の件は,直接著者にフェイスブックのメールボックス宛に問合せをしたのです。すぐに答えが来て「来年1月刊行予定で準備中」だそうです。
そこから2往復ぐらいのメールの交信があり,ミカイロフはそのタイトルにも関わらず「市民ジェーン」にはあまり興味がないと書いてきました。私は今「市民ジェーン」にのみ興味があるので,ちょっとがっかりでしたが,彼の興味というのはミケランジェロ・アントニオーニの『ブロウアップ』に現われた衝撃的な少女なんですね。そうかあ,私も『太陽が知っている(LA PISCINE)』(1968)では,アラン・ドロンやロミー・シュナイダーよりは少女ペネロープ(ジェーン・バーキン)ばかり見ていたような気がします。う〜む。ミカイロフの本が楽しみです。(今ミカイロフのバシュング評伝を読んでます。これ,後日ここで紹介します)
というわけでジェーン・バーキン原稿を無期延期にしたのです。
ではその代わりに何を書くかというと,カルラ・ブルーニ・サルコジなのです。感情的にならないように自制しないと...。個人的な恨みなどありません。なにしろ個人的には知らないのですから。フランスの少なからぬ人たちが持っているのは,アーチストとしてこの人を支持して「損をした」という市民感情であり,私はそれを共有する者です。この市民感情を敵に回して,この人はアーチストとして続けられるわけがない,と思うのです。極端なことを言えば,「カルラ・ブルーニはエヴァ・ブラウンである」というようなことを私は書こうとしているのです。それもあんまりだなあ....。
2009年9月16日水曜日
ステファヌ・ドリックに絵葉書を

STEPHANE DELICQ "DOUCE"
ステファヌ・ドリック『優しい女』
9月のあたまにレーベルから新譜案内でステファヌ・ドリックの2006年録音のライヴ盤が出ることを知りました。さっそく見本盤を取り寄せて聞きました。何か違うな、という妙なひっかかりがあり、それが何なのかわからないまま、形ばかりの「業者向け新譜インフォ」を作って流し、1週間ほど放っておきました。ものにもよりますがライヴ盤だと往々にして売るのが難しいのです。それから日本の人は「ジャケ」でものを決める場合が多いので、このアートワークではちょっときついのではないか、とも思いました。雨傘をさした女性の横顔写真です。それの上に漫画的な雨降り模様の点線が人為的に上刷りしてあります。タイトルの"DOUCE"のフォントも浮き袋状の丸文字で、その上にも雨の点線が加えられています。とても素人っぽい感じがしました。それよりも何よりも(明らかにプロのモデルではない)この女性の顔が不安げな表情で飾らずに露出されているのが気になります。お世辞にも褒められた出来のジャケットアートではないでしょう。なぜライヴ盤で、なぜこのジャケなのか。私には不満の方が先に来てしまったのです。
数日してドリックの調べものをしてインターネットをうろうろしていましたら、こういうマイスペース・ブログにぶつかりました。
Des Cartes Postales pour soutenir Stéphane Delicq (ステファヌ・ドリックを励ますための絵葉書を)
日付は2008年4月12日になっています。今からおよそ1年半前です。それはドリックの友人でベルギーでダンス教室を営んでいるカップル(ミシュリンヌとステファン)が,その友だちで女性ダンサーのエステル(このブログの主です)に送った手紙から始まります。- 彼の健康状態は日に日に悪化している。白血病と闘っている彼の気力はどんどん低下している。そこでミシュリンヌたちは考えた。ドリックを知る世界中のフォークの仲間たちがステファヌに絵葉書を送ったらどうか。世界の町の絵のついた励ましの絵葉書が届いたら,ステファヌの気力は少しでも向上するのではないか。それで奇跡が起こらないとは,誰が言えようか。- それをブログ主が転写して,世界中のフォークの仲間に訴えているのです。次の頁にはその全文のイタリア語翻訳がついています。(ディアトニック・アコーディオンのファンはイタリアに多いのです)。
私は驚いてすぐにレコード会社に電話しました。ロートル・ディトリビューシオンのリュック・ジェヌテーは長々と彼の知っている限りの事情を話してくれました。ステファヌ・ドリックはまだ生きています。しかし闘病生活はもう2年を越していて,かなり重いシミオテラピー(化学療法/抗がん剤治療)をしているそうですが,だいぶ衰弱しているようです。
このライヴ録音(2006年4月)は発病前のものだそうです。これをアルバムとして発表する準備をしている途中で闘病生活が始まります。準備作業はとぎれとぎれになり,遅々として進みません。そのうちにステファヌは,おそらくこれが自分の「白鳥の歌」になると覚悟していったそうです。
ジャケットのアートワークは彼が考案したそうです。この女性はステファヌの伴侶のドミニクです。『DOUCE - 優しい女』はドミニクに捧げられています。やつれて不安そうな表情で雨の中にいる女性です。リュック・ジェヌテーは最初にこのアートワークを見せられた時,「どうしようもない」と思って拒否しようとも考えたそうですが,われわれはここではドリックの意志を尊重してやるしかないでしょうに。
こうなると,このCDの聞かれ方は大きく変わってしまうではないですか。
私はつくづく情動に流されやすい質ですね。既に数回同じような経験をしていて,死と闘っている音楽アーチストのことを涙まみれの文章で長々と書き綴りました。難病(嚢包性繊維症)で体の自由がきかなくなってしまったマルク・ペロンヌ,脳腫瘍で死を覚悟していたアラン・ルプレスト,「ロックト・イン・シンドローム」で意識はあるのにしゃべることも手足を動かすこともできない状態が続いているギタリストのパトリック・ソーソワ...。
ステファヌ・ドリックはディアトニック・アコーディオン奏者ですが,リカルド・テジやノルベール・ピニョルのような革新的なヴィルツオーゾではありませんし,マルク・ペロンヌのようにシャンソンや映画音楽で活躍するわけでもありません。目立たず,学究肌で(クラシックピアノ出身です),音楽教室やバル・フォークが彼のメインの仕事場です。アルバムはこれまで自主制作で3枚発表していて,1990年の『アクアレル(水彩画)』,1997年の『天使の一座(ラ・コンパニー・デ・ザンジュ)』,2001年の『ひかえめな女(ラ・ディスクレット)』があり,2002年に『天使の一座』がメタ・カンパニーから日本発売されました。実際この3枚では『天使の一座』が群を抜いて良く,和声を重視した弦と木管とのアンサンブルで,稀代のメロディストとしてのドリックの叙情的な旋律が際立つという1枚で,日本ではアコ愛好者だけでなく,サティーやドビュッシーを叙情的に聞いてしまう人たちにかなりアピールしたと思います。
ステファヌ・ドリックとはその頃一度だけ電話で短く話したことがあります。それは日本から手紙が良く来るのでびっくりしている,という話でした。自主制作盤なので,裏ジャケにドリックの自宅住所が書いてあり,それで日本の人たちが手紙を送れたんでしょう。日本にいるフランス人からも,東京のCD店でこんなCDを見つけられてうれしくてしかたなかった,というような手紙が来たそうです。
Googleに日本語で『天使の一座』と入力してごらんなさい。発売から7年も経っているのに,個人ブログにこのアルバムのことを書いている人があちらこちらに見ることができます。細く長くこの人気は続いているようです。
フランスではディアトニック・アコーディオンのワークショップなどでドリックが教えたり,ドリックの作品が取り上げられたりしていますが,その中で最も知られている曲がこの『天使の一座』の冒頭に収められている「生きる(vivre)」という5拍子ワルツ曲です。ドリックに特徴的な和音弾きでメロディーが展開される美しい曲です。YouTubeを見ると,いろんな国のアマチュアディアト奏者がこの曲を演奏しているヴィデオが数編公開されています。つまりこの曲はもうディアトの世界では「スタンダード」となっているのでしょう。
話を新しいライヴアルバム『優しい女』に戻しましょう。2006年4月,南仏ラングドック・ルーシヨン地方ロゼール県の人口121人の小さな村サン・フルール・ド・メルコワールのテアトルでのライヴ録音です。人口から考えると,一体何人の人がこのコンサートを見ていたのか,不安になりますが,拍手の鳴り具合は悪くありません。共演はジャズ・インプロ(とトラッド)界の腕達者3人です。
*フランソワ・ミショー(ヴァイオリン/ヴィオラ。MAMというバンドで4枚アルバムあり)
*カトリーヌ・ドローネー(クラリネット。フリージャズもすれば,マルク・ペロンヌと共演したりもする。ドリック『ひかえめな女』に参加)
*ナタナエル・マルヌーリ(コントラバス。ジャン=リュック・ポンティーの娘でピアニストのクララ・ポンティーのジャズトリオのコントラバシスト)
これにドリックのディアトが加わるわけですが,この4者を『天使の一座』のような編集された室内楽アンサンブルにまとめることは,このライヴではしていません。主旋律/主題を引っ張る楽器としてディアトニック・アコーディオンはやや押され気味です。アコとクラリネットとヴァイオリンで作られる和声はうっとりするほど美しいのですが,ソロインプロに入るとミショーのヴァイオリンもドローネーのクラリネットもディアトとは音数も高低のレンジもまるで違うので,ややうるさい時がないではありません。やはりドリックの本領というのは,美しいメロディーをシンプルに湿度高めに聞かせることなのだなあと思いました。
6曲め「レ・ノヴィス〜ラ・トワノン」という二部形式の曲の後半は,ドリックのディアトの独奏です。ここでやっと,これまでスタジオ盤では聞けなかったドリックのテクニックのヴァリエーションがよくわかります。リカルド・テジと比較して聞くのも面白いかもしれません。
4曲め「クレダンス-マリルー-クレダンス」はクレズマー風な早めの2拍子ブーレで,ドリックのメロディーに他の3人が縦横無尽の装飾和声部で切りかかりますが,それが茶目っ気たっぷりな上にスリリングです。
5曲め「優しい女」は何度も同じことを話しかけていくような繰り返し主題が切ない,マイナーの5拍子ワルツです。このコンテクストでは涙が出そうになります。
そして8曲めにドリックは,前述の『天使の一座』の名曲「生きる(vivre)」を再演します。和音ばかりで展開する主題,山も谷もあり,晴れも雨もあり,鼓動音のようなコントラバス...いくらでも深読みできる6分45秒。このライヴの時はそうでなかったかもしれません。今,これを聞いたら,「生きる(vivre)」,これはほとんど叫びではないですか。
<<< トラックリスト >>>
1. LES PETITES SOEURS (Valse à 8 temps)
2. ELOQUENCES (Mazurka-Valse à 5 temps)
3. ALDEBARAN (Valse à 5 temps)
4. CREDANSES-MARILOU-CREDANSES (Bourrées à 2 temps)
5. DOUCE (Valse à 5 temps)
6. LES NOVIS (Mazurka) - LA TOINON (Valse)
7. P'TIT GOUT D'HORIZON (Valse)
8. VIVIRE (Valse à 5 temps)
9. L'ARENTELLE (Valse)
STEPHANE DELICQ "DOUCE"
CD L'AUTRE DISTRIBUTION AD1518C
フランスでのリリース:2009年10月12日
PS :
「ステファヌ・ドリックに絵葉書を」と訴えていたブログに書かれていたステファヌ・ドリックの郵便住所を以下に記します。
Stéphane Delicq :
CLINIQUE MEDICALE DU MAS DE ROCHET
563, chemin du Mas de Rochet - B.P. 59
34172 Castelnau-le-Lez FRANCE
この住所はまだ有効です。ドリックの『天使の一座』を愛された日本の方たちから絵葉書が来たら,どんなにうれしいでしょうか。
PS 2
まだステファヌ・ドリックを聞いたことのない人は、 メタ・カンパニーの通販サイトで『天使の一座』を試聴してください。(『天使の一座』日本語詳細)
PS 3
ステファヌ・ドリック公式サイトにも 試聴できるページがあります。
『天使の一座』に収められた「生きる(vivre)」のMP3フルヴァージョン。
PS 4
10月25日
『優しい女』の日本配給用ライナーノーツを執筆中、いろいろな新事実がわかり、このエントリーの本文も一部訂正しました。
2009年9月15日火曜日
ル・ブーケ・フィナル

このおそばは日本のものです。夏に日本に行っていた妻子が旅行中メールで私に見せびらかすために撮ったものです。ネギとナメコだけのシンプルなものですが,私には十分なティージングで悔し涙が出ました。
8月22日から「疑似ラマダン」をしていました。私の友人で回教徒でないジル・フリュショー(ブダ・ミュージック)が,毎年欠かさずラマダンをしていて,年に一度の毒抜きはいいもんだぞ,と勧めてくれたのがきっかけでした。日の出から日没まで何も飲食しないということは,この時期だと私の習慣では朝食も昼食も食べられないことになってしまいました。私の場合なぜ「疑似」なのかと言うと,初心者ゆえ,やはり水分は取らないと苦しいので,日中の茶だけは飲むようにしていて,茶菓子代わりに角砂糖をひとかけふたかけ食べていたのでした。角砂糖を食べる図はなんとなくカフェにいる犬になったような気分でした。
スタートはとても辛いものでした。自分を鼓舞するつもりでフェイスブックにその日の気分を書き綴ったりしましたが,本当に辛かった。その間にロック・アン・セーヌの3日間(私たちは2日しか行ってませんが)があったりして,夜にはフードスタンドでものを買って食べるものの,最後までコンサートを見る体力なんてほとんどありませんでした。1日めのメインのオアシスが例のドタキャンをした時は,実は内心は「ほっ,救われた」と思ったものです。3日のメインのザ・プロディジーも見ずに,娘に「MGMT見たんだから,もういいよね」と頼んでさっさと退散しました。
かなりマゾな体験でした。特に土日は目の前で妻子がものを食べている図とぶつかりますし。事務所に行ってぼ〜っとしているのが一番なんですが,土日はオーシャンやカルフールに買い出しに行ったり,娘の家具の組み立てをしてやったりとか,ラマダンにも関わらずこき使われるのです。
週日は週日でつらいものがあり,私の場合水曜と木曜には肉体労働(集荷や梱包)があるので体力が必要なのです。一番の敵は眠気でした。日中に眠いのはもちろん,夜にものを食べたらすぐに眠くなってしまうのです。おそらく毎晩10時間は眠っていたと思いますが,それでも日中に眠くて,仕事に手がつかなくなってしまいます。あと,人と話すのがいやになります。電話でも用件だけですぐに切りたくなります。なるべく人と会わないようにはしていましたが,それでも会うと相手が何を言っているのかわからなかったり,自分でも何を言っているのかわからなかったり...。
日曜日が3回過ぎた9月7日,私は事務所で1日中ほとんど仕事をしていないことを悟りました。この疑似ラマダンの目的のひとつでもあった「体重減らし」に至っては,摂取する水分が多すぎるのか,まったく効果がないのがわかりました。一体私は何をしていたのでしょうか?
9月10日昼まで事務所にいたタカコバー・ママが,もう見てられないから食抜きをやめて一緒にベルヴィルで中華を食べよう,と誘うのに私は抗することができず,疑似ラマダンは20日めでストップしました。がんばったわりに何の見返りもなく,体重が減らないだけでなく,体の調子はおかしくなるし,頭の回転は冬眠しているように鈍くなるし,妻子からは「アホ」のように見られるし...。ほとんど何もしていないのに溜ってしまった疲労はものすごく重く,もとに戻すのに4日間はかかりました。泣きっ面にハチでした。頭と口が重く十分な睡眠を取っても眠い状態はやっと昨日ぐらいから抜けつつあるようです。アホな話です。いつまでも若いと思っていたら大間違いですよ,同志たち。
泣きっ面にハチという表現をフランス語では "C'EST LE BOUQUET"(セ・ル・ブーケ)と言います。
同志たち,これが9月12日 LE GRAND FEU de SAINT CLOUD のル・ブーケ・フィナル(最後の乱れ打ち)です。↓はYoutubeからの拝借したものです。間に聞こえる打楽器の音は,ジャズ・ドラマー,ベルトラン・ルノーダンのイムプロヴィゼーションです。
そして↓は娘がわが家のベランダから同じものを撮影したもので,言わば"Yutube"です。力の入らない歓声を上げているのは爺です。
2009年9月10日木曜日
ゼブダはヴィデオで帰ってきた

2009年9月2日水曜日
今朝のフランス語「ラ・ビーズ」
フランスのファーウェスト,ブルターニュのフィニステール半島の先っちょにある漁港の町ル・ギルヴィネックは,2007年秋に,欧州連合の決めた漁獲量割当のために漁に出られなくなった漁民たちが抗議運動を起こし,漁船団で港湾封鎖するなどの実力行使をして,漁民たちの救済を訴えました。その11月6日,大統領サルコジはわざわざル・ギルヴィネックまで出かけて行って実情視察をしようとするのですが,漁港で大勢の漁民たちから激しい怒号/罵声/ヤジ/卑語を浴びてしまいます。この模様はデイリーモーションなどインターネット上で大々的に伝播され,一躍このル・ギルヴィネックという町はアンチ・サルコの象徴のようになってしまったんですね。
さて,そのル・ギルヴィネックがまたニュースねたになっています。女性市長エレーヌ・タンギー(保守/大統領多数派/UMP党)が通達を出し,A型インフルエンザ予防対策として,市役所職員間の「過剰な抱擁による挨拶 embrassades superféctoires」を自粛するように命じたのです。すでに市役所内では,こういう挨拶ができなくなっていて,この通達は新学期の始まった幼稚園や小学校まで適用されることになっています。
この難しい表現の embrassades superféctoires とは何かと言いますと,町言葉では「ラ・ビーズ la bise 」なんです。つまり,頬と頬をくっつけて口でチュッ,チュッと接吻音を出す(あるいは頬に接吻してしまってもいいんですが),同性異性関係なく,ごく親しかろうがそんなに親しくなかろうが,どんな相手でも普通にする,肌と肌のコンタクト挨拶です。
これをこの市長さんは,石鹸による手洗いの励行や,一回使ったティッシュペーパーで2度鼻をかまないこと,とか,そのティッシュを捨てるための密封型ゴミ箱を設置すること,などと同じように重要なこととして,「ラ・ビーズ自粛」に市民の理解を求めます。既に幼稚園では,卓抜なるアイディアを持った先生がいて,紙製のピンク色のハートをいっぱい籠に入れておいて,子供が好きな子供に愛情を表現したい時は,ラ・ビーズの代わりにこのハートをあげるようにする,というのです。そんなもので愛情が伝わるのでしょうか。幼稚園の子供からスキンシップを取り上げるのって,考えものですが,それよりも衛生第一。
そう,衛生第一。公共の保健が最優先される2009年秋・冬です。公道での唾はき,啖はきはもともと禁止されているのですが,プロ・サッカーの試合をテレビで見ると選手がしょっちゅう唾はきをしているので,これを禁止させよ,という動きもあります。唾はきにイエローカードが出るようになるかもしれません。
ラ・ビーズ禁止令,抱擁禁止令,接吻禁止令,いろいろ出てくるでしょうね。親しい者同士に接触することを市長令で禁止するところまで,A型インフルエンザによる異状事態は進行しているのでしょうね。
未来の子供たちは「フランスには2009年まで『ラ・ビーズ』という不潔極まりない習慣があった」と歴史教科書に読むことなるかもしれません。

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