2009年9月10日木曜日

ゼブダはヴィデオで帰ってきた

 私の住むブーローニュ・ビヤンクールにも中心街通りのひとつに「ジャン・ジョレス大通り」があり,その道の地下にあるメトロ駅の名前は「ブーローニュ・ジャン・ジョレス」になっています。保守のめちゃくちゃ強い地盤なのに,この「ジャン・ジョレス」という名前の目立ち方はやや意外とも思われますが,保守でも大丈夫な偉人の地位を獲得した人なのでしょう。サルコジでさえ,リファレンスとしてジョレスの名前を出したことがありますから。  Jean Jaurès ジャン・ジョレス(1859-1914)は,南西フランス,タルン県カストルで1859年9月3日に生まれていて,今年は生誕150周年にあたり,いろいろ記念行事が行われているところもあります。社会主義者です。1902年フランス社会党の創立メンバーのひとりです。1904年日刊紙ユマニテ(後にフランス共産党機関紙)の創刊編集長です。1914年バルカン半島の緊張にも関わらず不戦平和を訴えて,参戦派極右に暗殺されます。54歳で命を落としています。この死によって,不戦派の勢力が弱まり,フランスは第一次世界大戦に参戦してしまうのです。  その暗殺された場所が,パリ2区モンマルトル通り146番地の「ル・クロワッサン」というカフェで,そんなことも知らず,かつてタカコバー・ママが仕事していた界隈にあったので時々行ってましたが,ある日突然パトロンが「あんたたちジャン・ジョレスを知っているか?」と話しかけてきて,無学な日本人に歴史の講釈をしてくれたのを,よく覚えています。  さてジャン・ジョレスはトゥールーズで学び,土地の新聞デペッシュ・デュ・ミディで論陣を張り,1892年タルン県カルモーの鉱山で不当解雇に端を発した労働争議に全面的にコミットしてその大ストライキを支持します。こうして労働者の権利を擁護する社会主義者として人望を集め,国会議員に当選して中央政界に出ていくわけです。  最新の地方選挙でトゥールーズが,長かった保守市政から抜け出して,左翼市政に代わったのですが,その地方選挙の統一左翼リストにゼブダのマジッド・シェルフィの名前があったことはこのブログでも書きました。で,トゥールーズ市がこの土地の大偉人のひとりジャン・ジョレスの生誕150周年記念に,ゼブダの協力を要請したのです。  ゼブダは何度か再結成の動きがあったものの,今日まで5年間活動休止状態が続いていましたが,この話に乗ってしまったんですね。ただし新曲を録音したわけではありません。1998年に,ジャック・ブレル没後20周年のトリビュートアルバム(バシュング,フォーデル,ケント,ノワール・デジール,テット・レッド,-M-,アルチュール・Hなど12組が参加)のために,ゼブダはブレル作の「ジョレス」という曲を録音しています。トゥールーズ訛り丸出しのゼブダならではの「ジョレス」です。 Pourquoi ont-ils tué Jaurès ? やつらはなぜジョレスを殺した? Pourquoi ont-ils tué Jaurès ? やつらはなぜジョレスを殺した? この録音を再利用して,このジョレス生誕150周年記念に使うことにしたのです。しかしこれだとあまりにも手抜きなので,ゼブダはヴィデオ・クリップを新たに制作したのです。マジッド,ムスタファ,ハキムなどが,1892年カルモー鉱山での労働者となってヴィデオ出演しています。このヴィデオはトゥールーズをはじめ,ミディ・ピレネー県の全部の公立小中学校で教材として使われることになっています。  ゼブダ,ちゃんと帰って来い。

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