2008年4月2日水曜日

ある日突然,トワ・エ・モワ....



 ヴェロニク・サンソン『ゼニット 93』
 Véronique Sanson "ZENITH 93"


 さきほど「ラティーナ」編集部と電話で話したところ,5月号の表紙がヴェロさんになるという話が進んでいるそうです。爺のような新座者の記事のために表紙まで飾ってくれるなんて,と感激しましたが,同誌の表紙を描いている偉大なブラジル人造形アーチスト,エリファス・アンドレアート氏(シコ・ブアルキやトッキーニョなどのジャケットイラストレーションもしている方なんですね)は....ヴェロニク・サンソンを知らないのだそうです。結構ショックでありましたね。やはりフランス語圏世界でないと,ヴェロさんはまるで知られていないというのが現実かもしれません。
 あのインタヴューの日から約1ヶ月が過ぎました。書きたいことは山ほどあったのに,字数との闘いで思いだけは盛り上がっていたのに,何もせずに果ててしまった(なんかヤらしいな,この表現)ような欲求不満の残る原稿を送ってしまいました。いつか雪辱戦しますよ。いつか必ずヴェロさんの本を書きますよ。誰も読んでくれないでしょうかね。テーマは「ヴェロニク・サンソンは歌うマルグリット・デュラスである」みたいな...。本気で考えています。

 ヴェロさんの最新の3枚組ベスト"PETITS MOMONT IMPORTANTS" をこのブログで紹介した時,この中の3枚目のライヴ集を聞くまで"Toi et moi"という素晴らしい曲の存在に気がつかなかったと書きました。私はヴェロさんのCDのほとんどを持っていますし,"Toi et moi"が収められているこの93年ライヴも発売時に買っていました。たぶん2.3回しか聞いていなかったんですね。もともとライヴ盤というのを軽視する傾向がありまして...。
 原稿書きながら,一番良く聞いたのがこのライヴCDでした。93年。ヴェロさん44歳ですね。前年にアルバム"Sans Regrets"(後悔なし。ある意味でヴェロさんの,noooon, rien de rien, noooon je ne regrette rien...みたいな悟りのアルバムでもあります。このアルバムから"Rien que de l'eau"というNO.1ヒットシングルも出ています)が成功をおさめていて,それを受けてのツアーなんですが,アメリカからミュージシャンをたくさん連れてきています。ゼニットにふさわしい凄腕ばかりの大所帯バンドで,ヴェロさんとは長いつきあいのベーシスト,リーランド・スクラーももちろんいます。そしてこの前年の92年の夏に,ミッシェル・ベルジェが急死しています。
 なぜ93年当時,このアルバムを2.3回聞いてやめてしまったか,という理由を思い出しました。9曲めに入っている「バイーア」という曲があって,これはヴェロさんの72年のファーストアルバムに収められていた短い曲で,初期ヴェロさんの最も美しいメロディーのひとつです。インタヴューで,この歌のことも聞いたんですが,この曲は想像の産物なのです。18歳頃のヴェロさんが未だ見ぬブラジルの町を想って作ったんですが,「バイーアに行きたいの,そこは雨の日なんかないの,雨の日という言葉は意味を持たないの」と歌っていたんですね。この美しい曲が,この93年ライヴでは残念なことに安直な打ち込みビートのエレポップ仕上げになっていて,私はおおいにがっかりしたのでした。たぶんこのせいで聞かなくなったんだと思います。
 
 聞き直してみるといろいろなことがわかってきました。"Rien que de l'eau"(一時深い関係になったギタリスト,ベルナール・スウェルの曲)は,曲を書けなくなったヴェロさんの始まりでした。この曲以来,自分で作詞作曲しない曲がアルバムにどんどん入るようになります。70年代初めのヴェロさんは体じゅうにメロディーが詰まっているような,豊穣なメロディー・メイカーだったのですが,その20年後にある種の井戸涸れになってしまうのです。しかし引き出しの中に未発表曲をたくさん持っている彼女は,この頃から十代や二十代に作った曲を新作アルバムに入れていくようになります。11曲めの"Panne de coeur"もアルバム"Sans Regrets"(1992)で録音されているものの,68年の姉ヴィオレーヌ+フランソワ・ベルナイムとのトリオ,レ・ロッシュ・マルタンのためにヴェロニクが作った曲です。
 この93年ライヴの時期,ヴェロさんは70年代の自分のレパートリーの読み直しをしていたようです。ファーストアルバム(72年)からの曲が"L'Irréparable"(2曲め),"Mariavah"(7曲め),"Tout est cassé tout est mort"(8曲め),"Bahia"(9曲め)そしてセカンドアルバム(72年)からは"Toute seule"(4曲め)。いずれもオリジナルヴァージョンとはかなり編曲を変えています。たぶん爺が一番聞いたアルバム"Hollywood"(1977)はアメリカでソウル系のミュージシャンだけで作られたヴェロさんのブラック・ミュージックアルバムですが,その中からも"Y'a pas de doute"(1曲め),"les délices d'Hollywood"(10曲め),"Bernard's song"(12曲め)と3曲入れています。大ヒット曲"Vancouver"(1976)(15曲め),エレクトリック・ギターに持ち替えての十八番 "On m'attend la-bas"(1973)(14曲め)も加えて,このライヴに支配的なのはヴェロさんの豊穣な70年代回顧なのです。
 そして,あとでわかるのですが,この70年代レパートリーはそのメロディーの最高音部がとても高いところで作られているので,この頃から徐々に歌えなくなってしまいます。2曲め"L'Irréparable"はオリジナルの最高音階がもう出ないために編曲を変えてあります。これを例外とすれば,この93年ライヴは,ヴェロさんが70年代レパートリーをオリジナルのトーンで歌えた,おそらく最後のライヴと言えるでしょう。
 アルバム中最もしっとりと歌われる(まあ,この事情ではあたりまえか)ミッシェル・ベルジェ作の"Seras-tu là"(6曲め)は,サンソンの弁では「自分に捧げられた歌」なんですが,それを死の1年後にお返ししてやる,という満場涙ただ涙,というシークエンスだと思います。こういうの苦手です。
 
 さてスタジオ盤に録音されていない,このアルバムにしか入っていない"Toi et Moi"(3曲め)です。アダルトでメロウなボッサです。これでも十代の時の作曲だそうです。すごいですね。この「カッ!カッ!」という喉声パフォーマンスは,別のレパートリーで「アリア・スーザ」を歌う時もやるんですが,ブラジル的なんでしょうね。インタヴューの時聞いたら,こういう曲まだまだ引き出しの中に残っているって言うんですよ。

 「ボサノヴァだけでアルバム作りませんか?」と思いきって聞いてみたのです。そうしたらヴェロさんはボサノヴァだけだと飽きると言うのです。サルサやカリプソなども混ぜて,「ラテン」(ラテン・ビッグバンドを使ったダイレクト録音)のアルバムを作る予定はあるのよ,たぶん3年以内に実現するわ,と言ってました。ちょっとアンリ・サルヴァドールみたいなところがありますね。

<<< トラックリスト >>>
1. Y'A PAS DE DOUTE
2. L'IRREPARABLE
3. TOI ET MOI
4. TOUTE SEULE
5. LE TEMPS EST ASSASSIN
6. SERAS-TU LA
7. MARIAVAH
8. TOUT EST CASSE, TOUT EST MORT
9. BAHIA
10. LES DELICES D'HOLLYWOOD
11. PANNE DE COEUR
12. BERNARD'S SONG
13. RIEN QUE DE L'EAU
14. ON M'ATTEND LA-BAS
15. VANCOUVER


Véronique Sanson "SANSON ZENITH 93"
WARNER MUSIC FRANCE CD 4509940882
フランスでのリリース:1993年



PS 1 :
ヴェロさんのオフィシャルMyspaceに,2007年12月放送の国営フランス2の朝番組"Thé ou café"でのスタジオライヴの「トワ・エ・モワ」の映像が載ってました。気の弱い人は見ない方がいいかもしれません。これはまさに「歌うマルグリット・デュラス」の図でありますね。
Véronique Sanson "Toi et Moi" (Dec 2007)


PS 2 :
何日か前にシラクのことを書きましたが,関連したことを蛇足的に書くと,ヴェロさんは2000年6月21日,フェット・ド・ラ・ミュージック(音楽の日)に,エリゼ宮(大統領官邸)中庭で,シラク夫妻の招待客1600人の前で,ピアノ弾語りのコンサートを開いています。
レジスタンスの英雄であり,戦後ド・ゴール派政治家として国会議員でもあった父ルネ・サンソンの影響もあり,ヴェロさんは保守ド・ゴール派にシンパシーがありました。68年5月革命の時には,学生/労働者の運動に反対する,ド・ゴール派のデモ行進に19歳のヴェロさんも参加しています。左翼に近い傾向のあったミッシェル・ベルジェとは,政治的には全く違う考え方をしていたようです。(その反面,フランソワ・ミッテランに対してはその深い敬意を一度ならず表明しています)。
そのド・ゴール派の正統後継者であるシラクが大統領になって,そのエリゼ宮の「プライヴェート・コンサート」ですから,まあヴェロさんにしてみれば栄誉なことだったんでしょう。
また,件の『銀行口座』本によると,シラクが初めて日本を訪れたのは,70年大阪万博の時だったとされています。あ,これ,まずいですよね。大阪万博フランス・パビリオンの館長がルネ・サンソンで,この時期ヴェロさんも数ヶ月日本に滞在しています。シラクとヴェロさんの初対面は大阪だったりする可能性もあるわけですね。そうするとヴェロさんは(その後をフランスを変えてしまうことになる)「何か」を知っているかもしれません...。

1 件のコメント:

かっち。 さんのコメント...

おじさんが本を書く!聞いたか新緑よ、という気分です。とても嬉しい。おじさんのこういう発言は初めてではないか。マルグリット・デュラスであると言われてヴェロニさんが喜ぶかどうかは別だけれども…。なんだか私は私デュラスとは関係ないと言わないかしら。でも、そこに説得力があるとの翁の戦略なのでしょう。期待します。