2018年3月22日木曜日

68年3月22日ナンテール校バリ封から50年


「誰もリーダーなんか望んでいなかった」

 68年5月革命はいつから始まったのか、ということには諸説あるが、後に大学のみならず工場や公務員(学校、病院、公営交通、役所...)やメディアや一般企業を巻き込んだ社会革命になっていくこの運動、大学から火がついたとするなら、この3月22日夜のパリ大学ナンテール校のバリケード封鎖が大きな出発点と言えるだろう。この50年後の今日のリベラシオン紙は、この革命から生まれたと言われる日刊紙リベラシオンの歴史的創刊者の一人で、その後33年に渡って編集長を務めてきたセルジュ・ジュリー(2006年の経営陣交替を機に同紙を解任させられている。↓写真)に、ナンテールにいた68年闘士としてインタヴュー(4面)を掲載している。
  ジュリーは68年当時すでに学生ではなく、高校教師兼ジャーナリストとなっていたが、60年代初めにフランス共産党と対立していた共産主義学生同盟(UEC)のメンバーであり、ジュリーの妻がナンテール校の図書館に勤めていて、68年3月22日の大学本部占拠は妻(既にバリケードの中で学生たちと一緒だった)から連絡があり、ジャーナリストとして駆けつけている。 奥さんが建物の鍵束を持っていたと言うから、占拠に重要な役割を果たしたのだろう。
 
 同じ時期に諸外国でも同じような学生運動があったのに、フランスの68年闘争が他に類を見ない広範囲な市民連帯を得て、社会運動と文化運動の大きなうねりとなって長期化したのはなぜか。ジュリーはそれはまず「リーダーの不在」が功を奏したと言う。誰もリーダーを望んでいなかった。そして既成の政治グループの組織性/党派性を超えられたから、ノンポリ学生やノンポリ市民たちに共感されたのだ、と。スローガンの一つ一つが詩であり、落書きの一つ一つがアートである時、私は日本の当時の立て看の「断固粉砕」の文字とは違うものを感じてしまう。インタヴューの一部を訳してみる・

ー リベラシオン「学生運動が賃金労働者の運動に拡張していったことを、どのように説明できますか?」
SJ : 大学生の反抗はアメリカ、メキシコ、日本、ヨーロッパ諸国のいたるところで起こっていたし、それはベビーブーム、ヴェトナム戦争、じわじわと進行していた文化革命がもたらしたものだ。これらの異議申し立て運動が油のシミのように広がっていった唯一の国がフランスだ。そこには学生運動の5月、社会運動の5月、その総合の5月があった。これには様々な理由がある。警察による弾圧はある重要な役割を果たした。学生たちの親たちはこの弾圧を信じ難く恥ずべきものという見方をしたのだ。2番目の理由は、当時既に闘争の危機が時代の空気としてあったということ。67年から68年初めにかけてのすべての労働争議は、監禁や占拠や機動隊との激しい衝突といった労働者側の暴力的な実力行使が特徴的だった。その春のルノー公社ル・マン工場の争議の最中に、かの1947年のスローガン「CRS = SS(機動隊=ナチ親衛隊)」が68年に再登場したのだ。これらの闘争の苛烈さは、地方からの人口移動のもたらした結果でもある。多くの田舎の農家の子弟たちが農家を離れ工場に就職した。彼らはCGT(フランス労働総同盟)に牛耳られた伝統的な労働組合の影響を受けず、農民一揆(Jacquerie)の伝統を受け継ぎ、警官隊を攻撃することをためらわなかった。彼らは県警本部に攻撃をかけ、逮捕され、2時間後には釈放された。というのは政治権力は農民運動を恐れていたのだ。私が思うにこれらの農村出身の若い工場労働者たちが、5月13日の巨大デモ(註:パリで80万人を動員した反ド・ゴールのデモ行進。高校生+学生+労組+市民)の後、ストライキの全国波及の最重要の要素を担ったはずである( ー 後略 ー )。
ー リベラシオン「この拡大はどのような形態をとったのですか?」

SJ : 3月22日の運動(ナンテール校占拠)は非常に重要な役割を果たした。それはひとつの目標対象、ひとつのモデルとして機能した。それは様々な「革命的な」潮流と、全然革命的でなかった人々を合流させ、あらゆる閉鎖的党派性を超越させたことが重要だった。3月22日グループとアジ演説者ダニー(ダニエル・コーン=ベンディット)は68年革命の雛形となった。それはひとつの運動であり、政党でも政党になりかけているものでもなかった。それは平和主義的であり絶対自由主義的であった。そこには綱領も計画も幹部もなかった。この理由ゆえに「3月22日」運動は組織に属さない人々や政治傾向にとらわれない学生たちに浸透していったのだ。5月と続く6月に唯一必要とされた形態は、「行動委員会」であり、これは絶対的にいたるところに設置された。どの企業にもどの役所にもこれは設けられた。3月22日運動と企業、大学、病院、工場などに次々に生まれた行動委員会は強く連携していた。フランスには何千もの行動委員会が生まれた。この運動はフランス大革命に先立つ三部会の陳情書に近い性格のものである。工場、事務所、病院などが占拠されるが、人々はみんな考えを出し合った。どうやったら別の方法がとれるか。これまでとは違うやり方で働き、生産し、組織化し、健康を守るにはどうしたらいいかを。これこそが68年の主たる現象である。ミッシェル・ド・セルトー(1925-1986 イエズス会司祭)が「1789年に人々がバスチーユ監獄をわがものとしたように、1968年5月に人々は言葉をわがものにした」と語ったのは極めて正当である。68年のスローガンの一つ「あなたの隣人に語りなさい」はこの精神的現象をよく象徴している。そして実際に人々は語り合うことを始めたのだ。これは例外的に共有的な瞬間であった。人々は個人的な仕方と同時に共有的な仕方で存在し始めたのだ。これはあらゆる国の歴史において希少な出来事だった。20世紀のフランスにおいてこの稀な出来事は、人民戦線、レジスタンス、抵抗戦と町々の解放、そして68年であった。これらは歴史を作った融合的な瞬間であった。フランス社会がこの事件で保ってきた奇妙な関係を説明するものは、その例外的な事件の性質であり、その強度であり、その全領土への拡がりとあらゆる職業とあらゆる社会階層の人々への拡がりであった。何百万という人々が68年5月に参加したのだ。この異議申し立てへの反対者たちが街頭に姿を表す(註:5月30日ド・ゴール支持派100万人デモ)には、ド・ゴールのバーデン=バーデンへの雲隠れ(註:5月29日)が必要だった。結論として、68年のゼネストは、フランスの20世紀史を通じて最大の社会事件として残るだろう。

 50年前の今日、3月22日、その大きなプレリュードがナンテールで奏でられた。今夜民放ラジオEUROPE 1で、音声ドキュメントによる「3・22」特番あり。「68年5月」に関しては、私も雑誌原稿を準備中です。

(↓)セルジュ・ジュリーはリーダーとして認めたくないのだが、これは「ナンテール校3月22日運動」の顔・スポークスマン・アジテーターだった赤毛のダニーことダニエル・コーン・ベンディット。

(↓)これも68年の歌。メアリー・ホプキン "THOSE WERE THE DAYS"
  We'd live the life we choose 私たちは自分が選んだ人生を生きていた
  We'd fight and never lose 私たちは戦ったし、負けたことなどなかった
    Those were the days, oh yes those were the days そんな日々だった

 

2018年3月12日月曜日

通りすがりの女たち 2018

ジョルジュ・ブラッサンス「通りすがりの女たち」
Georges Brassens "Les Passantes"

詩:アントワーヌ・ポル
曲:ジョルジュ・ブラッサンス

 ジョルジュ・ブラッサンス(1921-1981)の1972年のアルバム『フェルナンド』(♫フェルナンドを想っただけで、勃っちまう、勃っちまう...)の中の1曲。詩人アントワーヌ・ポル(1888-1971)が1911年に書いた詩が原作。ポルの死の1年前1970年、ブラッサンスが詩人から許諾を得て、9連からなる詩のうち、ブラッサンスは7連を取って曲をつけ、1972年12月ボビノ座で初めて公に歌われた。
 ブラッサンスが歌った7連を対訳してみた。
Je veux dédier ce poème
A toutes les femmes qu'on aime
Pendant quelques instants secrets
A celles qu'on connaît à peine
Qu'un destin différent entraîne
Et qu'on ne retrouve jamais

ほんの短い秘密の時間に愛した
すべての女たちに
知り合ったばかりなのに
運命がわざわいして
二度と会うことができなくなった
女たちに
私はこの詩を捧げたい


A celle qu'on voit apparaître
Une seconde à sa fenêtre
Et qui, preste, s'évanouit
Mais dont la svelte silhouette
Est si gracieuse et fluette
Qu'on en demeure épanoui

窓辺にほんの一瞬現れ
そしてすぐに消えてしまう女
だけどその細いシルエットが
いともすらりと優雅で
見るものがほれぼれしてしまうような

A la compagne de voyage
Dont les yeux, charmant paysage
Font paraître court le chemin
Qu'on est seul, peut-être, à comprendre
Et qu'on laisse pourtant descendre
Sans avoir effleuré sa main

旅の道連れの女
その両目に魅力的な景色が映り
旅の時間は短くなる
一人旅だとたぶんわかる
だけどその手に軽く触れることもせず
降りるのをただ見送ってしまう


A celles qui sont déjà prises
Et qui, vivant des heures grises
Près d'un être trop différent
Vous ont, inutile folie,
Laissé voir la mélancolie
D'un avenir désespérant

あまりに異なる男の傍にいて
灰色の日々を生きる
とらわれの女たち
無用な狂気だが
絶望的な未来への
憂鬱しかあなたの目には映らない

Chères images aperçues
Espérances d'un jour déçues
Vous serez dans l'oubli demain
Pour peu que le bonheur survienne
Il est rare qu'on se souvienne
Des épisodes du chemin

映り出された親愛なる女性像たち
挫かれた未来への希望の数々
あなたたちは明日には忘れ去られるだろう
ほんのすこしでも幸福が生き延びれば
その経過でのいきさつなど
稀にしか記憶されることはない


Mais si l'on a manqué sa vie
on songe avec un peu d'envie
A tous ces bonheurs entrevus
Aux baisers qu'on n'osa pas prendre
Aux cœurs qui doivent vous attendre
Aux yeux qu'on n'a jamais revus

人生に失敗したら
人はすこしだけ羨望を持って夢見るもの
垣間見られた幸福のすべてを
あえてできなかった接吻を
あなたを待っていたに違いない恋人たちを
二度とまみえることのなかったその瞳を


Alors, aux soirs de lassitude
Tout en peuplant sa solitude
Des fantômes du souvenir
On pleure les lèvres absentes
De toutes ces belles passantes
Que l'on n'a pas su retenir

それゆえ 焦燥の夜に
思い出の亡霊たちの
孤独で胸をいっぱいにして
人は声もなく泣くのだ
とどめておくことができなかった
このすべての通りすがりの女たちを思って 

 男が人生で出会う幾多の女性たちへのオード。こういう普遍的なテーマですからね、フランス国内だけでなく世界的に愛され、イタリアのファブリツィオ・デ・アンドレ、米国のイギー・ポップのカヴァーもある。

 2018年3月8日、国際女性権利の日、ベルギー出身の24歳の写真家/映像作家シャルロット・アブラモウの制作によるヴィデオクリップが公開された。2017年秋からの素晴らしい女性たちの性暴力・性差別弾劾運動の盛り上がりを象徴するマニフェスト的な映像作品。ブラーヴァ。ベリッシマ。私はこういう女性たちを愛してやまない。

(↓)"Les Passantes" (Georges Brassens) video clip : Charlotte Abramow

2018年3月9日金曜日

ベルジェ+ギャル神話の現在

2018年1月に70歳でこの世を去ったフランス・ギャルに関して、ちょっと長めの原稿を用意している。1月から2月にかけてこのブログやラティーナの連載のために随分と資料は洗ったつもりでいたけれど、最近仏語版ウィキペディアを見たら、以前には気づかなかった(記載されていなかったはず。確証はない)以下のような数行がある。

1991年7月以来ミッシェル・ベルジェはマヌカンのベアトリス・グリムと暮らしていた。彼は(フランス・ギャルと)離婚して、彼女と再婚しサンタ・モニカに移住することを望んでいた。1992年夏、彼は南仏ラマチュエルの私有別荘に戻って休養していた。アルバム『ドゥーブル・ジュー』の録音はフランス・ギャルとの音楽的意見の食い違いによって彼を疲労困憊させ、弁護士を通じての夫婦問題の解決は彼の重い心労としてのしかかっていた。1992年8月2日、テニスの試合の後、心臓発作によってこのシンガーソングライターは斃れ、二人によるコンサートツアーの計画は頓挫した。

 これはフランス・ギャルの死後に書き加えられたものだろう。ただ、ミッシェル・ベルジェ(1947-1992)がその死の1年前からこのドイツ人マヌカンのベアトリス・グリムと恋仲にあったということは、2012年(ベルジェ死後20年)に音楽ジャーナリスト、イーヴ・ビゴが発表したベルジェ伝記本"Quelque chose en nous de Michel Berger"で初めて公にされた。それはある種理想化&神話化されていた「ベルジェ+ギャル」ストーリーを否定するものであった。60年代虚飾に満ちたロリータアイドルであったフランス・ギャルがその表面的な輝きを失った後、大人の女性として、音楽アーチストとして、まるで別人として第一線に復帰することを100%支えた稀代の作詞作曲家&プロデューサーのミッシェル・ベルジェの愛情物語は、80年代的社会的背景(ミッテラン、SOSラシスム、バンドエイド、エコロジー...)に呼応したポジティヴな左寄り世代の理想のように見られていた。アフリカに赴き、その窮状をなんとかしようとする夫婦の姿は、ボブ・ゲルドフと同じように聖人のように見えたものだ。しかし、歯に衣着せぬ論客にして夫妻と親しい位置にいたフランソワーズ・アルディは、ベルジェ生前の時から既に、この夫婦が(どこにでもある夫婦と同じように)問題も確執もあり、その愚痴聞きの役を買って出ていたことを証言していた。おまけにヴェロニク・サンソンという「ベルジェの過去」は常に「現在」となってフランス・ギャルを苛立たせていて、それはベルジェ死後にますます顕著になり「ベルジェ未亡人は私」と言わんばかりの...。
 ベアトリス・グリムは別ものであり、ベルジェ生前および死後(2012年まで)に、フランス・ギャルによってその存在も隠されていた、いわば「なかった話」である。実際ベルジェ&ギャルは離婚していなかったし、結果的には両者の遺作となる夫婦名義のアルバム『ドゥーブル・ジュー』 まで発表した直後のベルジェの死だったのだから。フランス・ギャルはベルジェの最後まで添い遂げた夫人であったのだから。
 このウィキペディアの記述で私が非常に気になるのは
アルバム『ドゥーブル・ジュー』の録音はフランス・ギャルとの音楽的意見の食い違いによって彼を疲労困憊させ
というくだりである。 このアルバムは1992年6月のリリースの2ヶ月足らずの時に降ってきたベルジェの突然死という事件によって、急にアルバムチャート1位、70万枚セールスの大ヒットとなった。私はこれはベルジェの死がなければこのような現象はなかったと思う。ミッシェル・ベルジェおよび(ベルジェ期)フランス・ギャルのアルバム全てを聞いてきた人間に言わせれば、この『ドゥーブル・ジュー』が最も精彩を欠く作品であることは明らかである。それが、ベルジェの死の20年後に、その頃離婚の危機にあったという「真相」が公になり、二人の白鳥の歌となったこのアルバムの不調に納得した人々もあっただろう。
 私が(↑)冒頭で書いた準備中の「ちょっと長めの原稿」とはフランス・ギャル個人名義の最後のスタジオアルバム『ババカール』(1987年)についての論考である。これもフランス・ギャルの死後に読んだことだが、フランス・ギャルはこのアルバムに最高の満足を感じていて、このアルバムとそれに続く全国ツアー "LE TOUR DE FRANCE 88" (音楽監督ミッシェル・ベルジェ)の大成功を「自分の歌手引退にふさわしい」と、ベルジェに引退希望を告げたのだそう。確かにここでアーチストとしてのフランス・ギャルは頂点であった、ということは後になってからでも多くの人々が納得するところであるだろう。ところが、ミッシェル・ベルジェは「フランス・ギャルの頂点」は、ミッシェル・ベルジェの頂点ではないと思うんですな。この引退をギャルのエゴイストな決断であり、ベルジェへの裏切りと取ってしまうんですな。わかりますか、お立ち会い?
 その辺のことも今準備中の『ババカール』論に書くので、興味あるムキは楽しみにしていてください。ただ、私は芸能誌的な記事は書かないので、ベアトリス・グリム(童話で有名なグリム兄弟の直系の子孫だそう) のことは触れません。悪しからず。

(↓)ベルジェ+ギャルのアルバム『ドゥーブル・ジュー』(1992年)から"Superficiel et léger"、直訳すると「表面的で軽薄な」とは象徴的。



 

2018年3月2日金曜日

ポルト・ド・ラ・シャペル、赤信号待ち

ポルト・ド・ラ・シャペル、赤信号待ち
Au Feu Rouge

詞:グラン・コール・マラード
曲:アンジェロ・フォレー

アルバム Grand Corps Malade『Plan B(B案)』より

「幸いにして私には子供がいない」よくヤナはこんな独り言を言う
子供がいたらもっとつらいだろうし、もっと屈辱的だろう
どうやって身の回り品と同じように赤ん坊を扱えるのか
そんなことしたらこの長旅の末にその子は生きていられただろうか
ヤナは彼女の国の戦争と爆弾から逃れてきた
大統領軍と反乱軍と西欧軍の銃弾攻撃に
彼女は恐れをなしたが、一体誰が敵で誰が味方か分からなかった
ダーイッシュとクルド人軍、彼女は風がどっちから吹いてくるのか分からなかった
彼女の村を焼き払った火薬がどこから来たのか分からなかった
これらすべての顔を消し去った銃弾を誰が撃ったのか分からなかった
彼女は人間が狂ってしまったということだけは知っている
それがかの地、シリアだ
そこで狂気の震源が少しずつ形成されていたのだ
僕の車のウインドウに近づきながら、ヤナはそんなことを思っていた
僕はと言えば、「ノン」と手で拒絶して、車を再始動させてそそくさと去っていく
僕には多分少しばかりの小銭はあったはずなのに、急いでるんだ、行かなきゃ
僕は彼女の視線を忘れない、僕は赤信号待ちにヤナと目を交わしたのだ

あまりにも軽すぎる船は波に乗り越えられ
残忍な越境手引き人たちと仮留置センターの間を行き来するうちに
ヤナは彼女と一緒に国を逃げた人たちを全て見失ってしまった
彼女は今や一人になり恐れを抱き、いつも空腹だ
彼女と同じように逸れてしまった見知らぬ人たちだけが道連れだ
何週間も歩き続け、悪党に大金を払って
真っ暗なトラックの後ろに身を隠す権利を手に入れる
何ヶ月もの地獄の末、彼女は弾ボールの上で夜を過ごす
彼女のエルドラードはポルト・ド・ラ・シャペルの陸橋の下
僕の車のウインドウに近づきながら、ヤナはそんなことを思っていた
僕はと言えば、「ノン」と手で拒絶して、車を再始動させてそそくさと去っていく
僕には多分少しばかりの小銭はあったはずなのに、急いでるんだ、行かなきゃ
僕は彼女の視線を忘れない、僕は赤信号待ちにヤナと目を交わしたのだ

夜眠ればいつも強制送還の悪夢ばかり見る
彼女は避難民の資格が得られることを待っている
彼女は猿轡をはまられたような苦痛を感じながら、赤信号に立って物乞いする
ボロをまとった小さな王女、彼女はその権利について情報を集める
時々彼女は故国での学生生活のことを想像してみる
もしも正義が目を見開いてくれたら、もしもシリアに平和が訪れたら
彼女に考える力が戻った時には、彼女は微笑みさえもする
彼女はシリア語で夢を見るが、フランス語で泣いている
赤信号が緑になった時、僕は一瞬ヤナが目に止まった
僕は胸に小さな痛みを感じたのだが、遅れてるんだ、急がなきゃ、とアクセルを踏む
最も大きな悲劇の数々が僕らの目の前で起こっているのに、みんな急いでるんだ、行かなきゃ…
この視線のうしろには人間がいるんだ、僕は赤信号待ちにヤナと目を交わしたのだ


(↓)「赤信号待ち」オフィシャルクリップ。
出演者はすべて市民団体エマウス・ソリダリテの施設に収容されている難民たち。出身国と職業が記されている。弁護士、会計士、ITエンジニア、電気技師、学生、主婦、ダンサー...。「この視線のうしろには人間がいるんだ」!



 

2018年2月18日日曜日

おお、作家のお嬢さん

マリー・モディアノ『哀れな歌』
Marie Modiano "Pauvre Chanson"

 自作自演歌手としてもう5枚目のアルバムなんですが、初めてのフランス語アルバムです(それまでは英語)。歳のことで恐縮ですがこの秋(2018年9月)に40歳になられます。ノーベル文学賞作家のお嬢さんで、シンガーソングライターを本業にしていると自称していますが、詩集2編、小説1編を天下のガリマール書店から発表しています。誰から見ても「親の七光り」ですが、それでいいんじゃないでしょうか。今度の新アルバムにも、「パトリック・モディアノ作詞」が1曲含まれてますし。
 2006年のファーストアルバム『私はバラじゃない(I'm not a rose)』(これ当時カルラ・ブルーニなどで景気の良かったNAIVEから出た。同じ頃のリリースで、同社から米作家ポール・オースターの娘ソフィー・オースターのデビューアルバムもあった)の前年に、マリー・モディアノはスウェーデン出身(フランス在)のミュージシャン、ピーター・ヴォン・ポエル(読み方はこれが正しいとは思わないが、フランスではこう呼ばれている)と出会っている。このピーターはベルトラン・ビュルガラのA.S. ドラゴンのギタリストだった人で、同バンドでミッシェル・ウーエルベックをサポートしたことがあります(あ、これはこの記事を文学の方向に引っ張ろうとする私の無意識の行動です。忘れて)。このスエドワ君がリー・モディアノの公私共のパートナーとなり、マリーのアルバムの作編曲プロデュースをしながら、マリーの一児のパパになり、音楽レコード業界が不振となると自分でレーベルNEST & SOUNDを設立して、2013年からはこのレーベルからマリーとピーターの作品を発表しています。
 ピーター・ヴォン・ポエルだから、ということなんでしょうが、マリー・モディアノのアルバムのサウンドはヴェルサイユ系に近いものを感じさせますし、ビュルガラやエールやシャルロット・ゲンズブールなどで聞き慣れているアトモスフィアがあり、構えなくても安心な「フレンチ・タッチ」と言えます。今回のアルバムも木管アンサンブルやエアリアルなジャズや20世紀仏クラシック(ラヴェル、サティー、ドビュッシー...)なテイストがとても心地良いわけですが...。あとは曖昧でアンニュイなマリー・モディアノのヴォーカルと「詩」がどれだけものを言うか、というのがこのアルバムの真価です。初めてのフランス語ですから。
『哀れな歌(ポーヴル・シャンソン)』 はこのCDアルバムと同時に、天下のガリマール書店から詩集としても刊行されました(だからCDには歌詞ブックレットが付いていない。別で詩集を買えという魂胆でしょう)。文学の人の娘は文学。そういう望まれた文学性なのか。
例えば、このアルバムからの初のヴィデオクリップ作品で、スウェーデンの写真家/映画作家イエンス・アスールがクリップを制作した「怒りを癒す Guérir ma colère」という佳曲があります。アルバム最初の曲です。
 Guérir ma colère 私の怒りを癒す
Avant d’aller plus loin. 遠くへ行く前に
Sourire sur cette terre, この土地で微笑み
Se taire dans un coin. 街角で黙り込み
Oublier ma peine, 私の痛みを忘れる
Je ne vous la donnerai pas. 私はそれをあなたには与えない
Je dépose les armes, 私は武器を捨てる
C’est mon dernier combat. これが私の最後の闘い
Où est-il le vent lointain 野の草を揺らす
Qui berce les herbes folles ? 遠くの風はどこにある?
Où est-elle la main amie あなたにすべてを忘れさせてくれる
Qui vous fait tout oublier ? あの親しい手はどこにある?
Guérir ma colère 私の怒りを癒す
Guérir ma colère 私の怒りを癒す
Guérir ma colère… 私の怒りを癒す...

クリップはミニマル(え、たったこれだけのことなんですか?)で孤独で厳しく内省地獄で、文学性ありますよね(てか)。アンニュイなドラマですこと。

 そう、曖昧でアンニュイであることについていけなかったら、モディアノ世界には一生入り込めないわけです。これは父親のことですから、娘には何の関係もないと言っていいのですが、「モディアノ」という印をかざすからには、やっぱり聴く者/読む者はどうしても「そうでしょう」と思いたいところがある。で、3曲め、アルバムタイトル曲にして、詩集の表題でもある「哀れな歌」を聞いてみます。
Au dernier rang se ferment les paupières, 最後部の席でまぶたは閉じる
Des songes en contrechamp 夢は肩越しからの
Qu’on porte en bandoulière. 切り返しショットで
Non, je n’ai pas vu la captive ノン、私は波の中に消える
Se perdre dans les vagues, 囚われの美女を見なかった
Non, je n’ai pas vu sa silhouette ノン、私は海藻の中で踊る
Danser parmi les algues. 彼女のシルエットを見なかった
Mais le cœur a parlé, しかし心は語り
A vaincu la raison, 理性に打ち勝った
Les larmes séchées 涙を乾かし
On chante à l’unisson みんな声を一つに歌おう
Nos rêves déclinés  我らの衰弱した夢に
Pauvre chanson ! 哀れな歌を!
Les ombres qui passent 過ぎていく影は
Ne laissent pas de trace, あとを残さない
Toujours la même balade いつも同じ足取りで
Afin que le temps passe. ただ時をやり過ごすために
Mais je n’ai pas cru aux mirages しかし私は心の中に描かれた
Tracés dans mon esprit, 蜃気楼を信じはしなかった
Ces déserts, ces beaux paysages この砂漠、この美しい景色を
Que le jour a repris. 日はまた取り戻した
Mais le cœur a parlé, しかし心は語り
A vaincu la raison, 理性に打ち勝った
Les larmes séchées 涙を乾かし
On chante à l’unisson みんな声を一つに歌おう
Nos rêves déclinés  我らの衰弱した夢に
Pauvre chanson ! 哀れな歌を!
Sans un regret, 少しの悔いも無く
Je m’en vais solitaire 私は一人去っていく
Au gré des années 私が地下に放っておいた
Que j’ai laissées sous terre, 年月の流れに身をまかせ
Mais je n’ai pas dit que l’aurore me dicterait ses lois, しかし夜明けが私に決まりごとを教えてくれたりはしない
Non, je n’ai pas dit que le vent me mènerait à toi. ノン、風が私をあなたの元に連れていくことはない
Mais le cœur a parlé, しかし心は語り
A vaincu la raison, 理性に打ち勝った
Les larmes séchées 涙を乾かし
On chante à l’unisson みんな声を一つに歌おう
Nos rêves déclinés  我らの衰弱した夢に
Pauvre chanson ! 哀れな歌を!

ピアノのワンノートが8回トントントントントントントントンと。これだけで必殺のバラード曲になってしまうんです。いい曲、いい編曲じゃないですか。しかし、私の翻訳も下手ですけど、このよく分からない歌詞。このフラットな歌唱。情緒が乾いてしまいますよね。高踏ですよね。この「モディアノ」という名前がなければ、成立しないものだと私は思いますよ(悪口です)。

で、ブツブツ言いながらアルバムの最後までくると、終曲10曲めに「悲しみの黒犬(Le chien noir du chagrin)」というタイトルからしてちょっと惹かれてしまうオーラを持った歌があります。

そんなこんなの後で
きみは通りの名前を忘れてしまった
でもそいつはきみをあのバーまで連れて行ってくれる
人っ子ひとりいたためしのないバーへ

その犬はこう呼ばれていた
悲しみの黒犬
悲しみの黒犬


覚えてるかい? きみは言ってた
夢の中でそいつを見たって
そいつはいつも同じ時刻にやってきた
7時、夜の7時に

そいつはこう呼ばれていた
悲しみの黒犬
悲しみの黒犬


そいつはあのバーの前で止まるんだ
人っ子ひとりいたためしのないバーへ
すると二人の楽士が演奏するんだ
くだらない曲をね、くだらない曲さ

きみは中に入っていく、すると私がいるんだ
隅っこのテーブルで、きみを待っている

ずっと前から
このバーには人っ子人りいたためしがない

1匹の犬を除いてはね、そいつはこう呼ばれていた
悲しみの黒犬
悲しみの黒犬

ミステリアスで不透明で一体何がここで、と不安がもくもくもくと煙ってくるじゃないですか。たったこれだけの歌詞で、得体の知れない暗黒物語を視覚化できるのですよ。これ、作詞がパトリック・モディアノその人です。モディアノ印というのはこういうものなのだよ、と教示しているような。かないませんなぁ。

<<< トラックリスト  >>> 
1. GUERIR MA COLERE
2. IDEAL & BANCALE
3. PAUVRE CHANSON
4. SI LA SI RE
5. L'AMOUR A REBOURS (feat PETER VON POEHL)
6. IMPASSE DES OUBLIES
7. NOS REVES
8. ENTRE CHIEN ET LOUP
9. L'INDIANA
10. LE CHIEN NOIR DU CHAGRIN

MARIE MODIANO "PAUVRE CHANSON"
CD PVP / NEST & SOUND  PVP12CD
フランスでのリリース: 2018年2月9日

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"ENTRE CHIEN ET LOUP" (ライヴ): マリー・モディアノ+ピーター・ヴォン・ポエル(g)

2018年2月15日木曜日

I saw the light

"L'Apparition"
『顕現』

2017年制作フランス映画
監督:グザヴィエ・ジャノリ
主演:ヴァンサン・ランドン、ガラテア・ベルージ
フランス公開:2018年2月14日

 映画の始まりは戦争です。フランスの大手日刊紙ウェスト・フランスの特派戦場リポーターのジャック(演ヴァンサン・ランドン)は、かの戦場(特定されてませんがシリア)で相棒のカメラマンを失い、自分も耳を負傷してフランスに戻ってきます。友の死と戦場のトラウマから抜けられずに、自宅の窓を全て段ボール紙で覆い、家族とも他人とも交わることができません。そんなボロボロの状態の時に、バチカン法王庁から仕事の依頼が来ます。
 南東フランス、アルプス地方の小さな村で、当時16歳の孤児の修道女アンナ(演ガラテア・ベルージ)が山中で聖母マリアの顕現を体験し、その告白を受けた村の教会の司祭ボロディン(演パトリック・ダサンサオ)がそれを信じてアンナを聖母と交信したメッセンジャーとして奉り、その噂は急速に世界のカトリック信者に広がり、今やおびただしい数の巡礼者たちがアンナを一目見ようと世界からこの村の教会に押し寄せるようになりました。その現象の異常な拡大にカトリック本山のバチカンも黙っていられず、バチカンからの調査協力を拒み続けるボロディン(反権威主義的な田舎司祭という位置づけ)の元に正式な教理典範調査団(この「奇跡」を法王庁として認可するか否かの調査団)を送りつけます。キリスト法学者や心理学者など5人からなるバチカン調査団の一員として、ジャーナリストのジャックも依頼されたのです。「俺はこの分野とは何の関係もない」と最初は断るのですが、関係ないから客観的でジャーナリスティック(証拠がない事実は認めないというプロの視点)な方法での調査が可能であるというバチカン側の見方。つまりバチカンは常にこのような「奇跡」には懐疑的であり、ほとんどの場合否定し「異端化」するのが慣例。なぜジャックがこの仕事を受けたか、という答えはないんですが、この映画の傾向として「ミステリー解き」が大きな流れで、最初の戦争との符合というのも最後にわかるんです。なぜこれとこれが繋がるのか? ー というのにハッと気づく時、偶然ではなく必然だと思うと、そこに神の手の介在を思ったりするじゃないですか。無宗教者にとっての宗教のちょっとしたきっかけでしょうに。まあ、それはそれ。
 山の村に来てみたらびっくり。何台ものバスが外国人巡礼者たちを連れてやってきて、村の広場や「顕現」目撃現場の野にはすでにアンナが見たとされる白装束&青いベールのマリア像が建立され、周りで巡礼者たちや奇跡にすがろうとする病人や障害者たちが讃美歌を歌ったり祈りを捧げたり...。観光名所化して、お土産屋にはアンナの肖像絵ハガキ、ロウソク、マグカップ、スノーグローブなど様々な「アンナ・グッズ」が売られているのです。そういう巡礼者たちの群れを割って司祭ボロディンと今や18歳になったアンナが教会への道を進むと、ハレルヤの声、アヴェ・マリアの合唱、アンナに近づき祝福の言葉をいただこう、アンナに触れようという人たちが蟻んこのように寄ってきます。アンナはと言えば、聖女の装いではなく、見習い修道女という身分で尼僧着やヴェールをかぶることもなく、質素な灰色のスウェットパーカー+ウールのカーディガンを着ています。しかしその顔、その物腰は...。
 映画はこのガラテア・ベルージという若い女優の素晴らしさに多くを負っていると思いますよ。キリッと上がった眉、見据えたら動かない大きな目、 幼さと狂気を秘めた顔立ち、何事にも動じず全てに答えを持っているような語り方...。「私は嘘つきではない」と言う時、こちらはそれを信じるしかないではないか。調査団は心理医学の検査も行うのだが、反応は全て正常で、アンナの発言に虚偽の可能性は少ない。しかし...。
 身元不明(sous X)の新生児として収容され、施設と受け入れ家庭と転々として育ち、学校も特別な問題はないが目立たない子だった。賞罰なし。フランソワはそういうアンナの境遇上にあるはずの何か隠されたものを追っていきます。学校と施設での交友関係をしらみつぶしに一人一人当たっていく、という地味な探偵捜査活動です。
 他の調査団は目の前にある証拠品から崩していくのが手っ取り早いと、アンヌがマリア顕現の時に拾ったとされる「聖遺物」である、古い血痕のついた布切れ(これをボロディン司祭はガラスの容器に納め、聖骸布のように奉って教会の宝物にしている)を、科学分析にかけるのです。この時、バチカンからフランスの裁判所を通じて、フランスの警察が強制執行で教会に入り込み、抗議する信者たちをなぎ倒して暴力的にこの聖遺物を押収するシーンがあり、かなりショッキングです。この聖遺物を守ろうとした者たちの先頭にアンナもいたのです。聖女的な立ち振る舞いです、が...。
 科学分析の末、その聖遺物が全くの偽物であったとわかった時点で、もうこの顕現奇跡の話は全部ウソという結論で調査は終わるはずでした。少なくともフランソワを除く調査団員たちはこれ以上何もすることがないと...。
 しかし、フランソワの執拗な探索は、アンナの特殊な交友関係やある殺人事件との関わりなど複雑な要因に次々にぶち当たり、アンナが守り通そうとしている秘密に近づいていきます。一方アンナは聖母顕現の真実が危うくなることの重さ、そして守るべき最重要の秘密の重さに食事ができなくなり衰弱していきます。「俺は真実しか知りたくない」とフランソワは言います。フランソワの真実とは顕現が本当か嘘かということだけでなく、その事件に関わる全てのことの真実なのです。なぜここまで懐疑的で執拗なのかは、映画最初の戦争トラウマがおおいに原因していて、戦争によって壊された何かが取り戻せないからなのです。アンナはフランソワに言います。
Il y a trop de colère en vous pour accepter ce que j'ai vu.
あなたの中には怒りが多すぎて私が見たものを認めるわけにはいかないのです。
  フランソワもそこから抜け出そうとしているのです。アンナはその手がかりである、ということにフランソワは気づいていきます。そしてその兆しとして、この映画は(あくまでも奇跡としてではなく)フランソワに襲ってきた(戦争で傷つけられた)耳の激痛に、アンナが手をその耳に触れ、フランソワの頭部を胸に抱き寄せることによって痛みを止めてしまうのです。やはり奇跡なのかもしれません。
 アンナが最後まで隠そうとしていた、施設時代の唯一無二の親友メリエム(演アリシア・アヴァ)のことが、フランソワに突き止められそうになり、アンナによる顕現体験が偽りであったことが確定的になったとき、アンナは嵐の山中で苦しみの果てに殉教者のように命を落とします。フランソワは、ヨルダンでNGOの一員として難民支援活動をしているメリエム(結婚して一児あり)のもとに赴き、アンナの事件の顛末を報告し、そこで新しい事実を知るのです。すなわち、顕現の奇跡は本当にあり、聖女となるべき少女は本当にいたということを...。

 アンナを短時間に世界的に知らしめたのはインターネットです。21世紀が舞台ですから、こういうネット上での世界同時中継や、アンナ・グッズの販売や、イカサマにしか見えないことも映画は見せます。ハイテクを使ってアメリカやオーストラリアにまでアンナを「プロモーション」しようとする米人聖職者アントン(演アナトール・トーブマン)という奇妙な人物も登場します。「バチカンが信じなくても、世界の何百万という信者がそれを信じれば、それはキリスト教的真実になる」とアントンは言います。確かに。
 アンナを信じそうになる瞬間は、フランソワにも映画を観る者にも確実に訪れます。観る者のエモーションは、殉教者のように息絶えるアンナで最高に高鳴るはずです。たとえ真実はそこになくても。こういう映画ですから、救済がなければいけません。そういう点では、フランソワは戦争で壊された自分をやっと治癒することができる結末であり、聖なるものもこの目で見てしまうような稀有な体験者として人間界に戻るんでしょう、多分。
 アンナとメリエムの関係については、もっと映像も時間もあってもいいと思いましたし、ここが最もミスティック、という点がぼかされているのがやや不満。しかし、不器用に迷う生身無骨者をやらせたらヴァンサン・ランドンに勝てる者はないですね。すごい俳優です。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『顕現(l'Apparition)』予告編


  
 

2018年2月13日火曜日

世界の起源

(この記事は向風三郎FBタイムラインの2018年2月13日ポストの再録です)

テレラマ誌今週号は、こんな感じで大きな女性器デザインの表紙で、8ページの女性器に関する特集記事、題して “Le sexe féminin est fabuleux”(信じがたきかな女性器)。信じがたいほど素晴らしいというのは漠然と知っているのだが、その実体というのはタブーが多すぎて誰にも知られないようにされてきたではないですか。これはノルウェーのまだ31歳と28歳という若い二人の女医さんニーナ・ブロシュマンとエレン・ストッケン=ダールの共著で世界的ベストセラーとなっている(33ヶ国語で翻訳されている。日本語まだですか?)”GLEDEN MED SKJDEN” (2017年1月発表。フランス語訳 “LES JOIES D’EN BAS”(=下の方の悦び)(→表紙写真)は2018年1月刊行、ちなみに英語版のタイトルは “WONDER DOWN UNDER - A USER’S GUIDE TO THE VAGINA”)のフランス発売に合わせての著者インタヴュー込みの紹介記事です。
 
フランス語版は”Tout sur le sexe féminin(女性器のすべて)という副題がついていますが、知らないことがあまりにも多すぎるのは、女性たちや医学界でも事情は同じ。有史以来綿々とこういうものらしいからこういう風に扱って、子供にこのように教えられるべき、というリクツは「男性」識者/「男性」医学者が作ってきたもの。快楽のメカニズムさえ、男がこうなんじゃないの?と考えたものでしょう。女性の性的オーガズムとは膣に陰茎が挿入されなければ得られない、という嘘が暴かれたのは20世紀後半になってからのこと。原理的に女性は受身である、という男性支配原則は何の根拠もない、ということは女性器そのものが証明しているのです。
それからヒーメンという得体の知れない「膜」(!)、一体誰があのような「出血劇」を考え出したのでしょうか? 
男の私が言うと、いろいろとアレですが、タブーを一つ一つ壊していかないと、女も男も「こんなものが性的快楽なのか」の程度で終わってしまうと思うのです。私はこの本読みますよ。女性器のこと好きですが、何も知らないのですから。
なお、この若き女医お二人、「男性器編」も準備しているそう。男性器についても、私たちは何も知らないでしょうに。

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追記(2018年2月14日)

(↓ YouTube) 著者の女医さん二人ニーナ・ブロシュマンとエレン・ストッケン=ダールによる、ヒーメン神話の嘘に関するレクチャー。女性のこの部分で性交体験者/未体験者を判断できるという太古からある俗説が医学的根拠がないことを具体的に説明。フラフープにサランラップ張って、それをパンチで破るというイメージ化が笑える(これは俗説のイメージ)。俗説から解き放たれよ。未体験者であるかどうかは女性本人に聞くしかないのだが、その問いに答える・答えないは女性が決めること、という結論、喝釆ものです。


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再追記(2018年2月15日)

テレラマ記事ですごくいいなぁと思ったこと : 一般向けとは言えこれはぶ厚い「医学書」なので最初はそんなに部数が出るものではなかったし話題にもならなかった。最初の書評は、ノルウェー放送協会のウェブサイト上で、その中で評者ジャーナリストは「あまりの情報の多さに辟易して」「本書は読者たちからあらゆるセックスへの欲望を奪い去ってしまうだろう」という酷いものだった。この批評は即座に大変な数のノルウェー女性たちから大反撃を受けて(たぶん今日日の日本語的表現では)「炎上」してしまうのですよ。ここからこの本のブームは始まったのです。だから著者の二人は今やその火付け役となったジャーナリスト氏に感謝しているほどだ、と。余裕余裕。