2026年10月26日月曜日

エレファンツ・メモリー

Patrick Modiano "L'éléphant"
パトリック・モディアノ『象』


Elephants never forget  ー と言われるほど、象の記憶力は優れたものだそうだ。この小説は”象”と自らの異名をつけた男の記憶にまつわる話である。なぜ、”象”なのか、それは身長195センチ、体重120キロという大男だからであり、道を歩くとそれだけで目立ってしまうが、パリを歩く男なのである。地下鉄には乗らない。小説の舞台はパリ左岸パリ7区の南西側の一角で、ユネスコ、シャン・ド・マルス、エコル・ミリテールなどが出てくるが、公官庁系の建物が多く、夜は閑散としていて人口密度もかなり低い。パリのような世界的大都市にありながら、人通りの少ない特異な地区と言えよう。この小説でも「砂漠」という言葉で形容されている。
 大男の名はリュド・ヴァン=ヴァール(Ludo Van Walle)と言い、年齢はかなりいっているはずであるが、まだ仕事はしている。大した収入ではないだろうが、出版社に嘱託されて、原稿チェック手直し、校正、英語やドイツ語の翻訳などを自宅でしていて、週に少なくとも2回は雇い主であるサブリエ出版社(7区と15区の境界にあるシュフレン大通りにある)まで徒歩で通っている。そこで同社の二代目社長である”オルンバシェ・フィス(Hornbacher fils)”(創業者オルンバシェの息子という意味)と社長室で会い、その週に済んだ仕事(校正、翻訳など)を提出し、次の仕事依頼の入ったファイルを受け取るという30分ほどの面談を習慣としていて、その後近くのカフェで一杯飲むというのも欠かせないものになっているほど二人の仲は親密なものである。そしてオルンバシェ・フィスはこの複雑そうな人生が滲み出ている老大男に、何度となくこう言うのである。
「あなたは回想録(Mémoires)を書くべきですよ」
それに対してヴァン=ヴァールはいつも答えは同じで
「でも私には何も記憶がないのですよ」

キーワードとして何度も登場するのが "amnésie(アムネジー)” という言葉で、私のスタンダード仏和辞典では「健忘症」「記憶喪失」と訳語が出てくる。これは記憶障害であり過去の記憶が抜け落ちて思い出せない状態で、物忘れが多いとか記憶力が弱いという意味ではない。過去にヴァン=ヴァールはその時その時の出来事を逐一アジェンダ(日付つき手帳)にメモしていたが、その手帳の数が30にもなり(←つまり30年も続けてきた)、ある日思い立って全部の手帳を廃棄してしまう。それで精神的にはどっと軽くなるのだが、それ以来アムネジー状態で、世界がガラス越しにしか見えないような感覚に付きまとわれる。重度の不眠症でもある。記憶は戻って来ないし、その手がかりになるものは(モディアノ小説なので)たぶんパリの街路にあるかもしれないが、この男は今やパリ7区の狭い範囲でしか行動できない。越境することを恐れているかのように。あるいは記憶の方が越境して大男のテリトリーに戻ってくるのを待つかのように。
 今おぼろげに憶えているのは、若い頃医者になりたかったということ。大学医学部に登録を希望して(女性)審査官と面接したが、数学を履修していなかったという理由で撥ね付けられる。その時から多分自分の人生は大きく変わったらしいが何も憶えていない。
 ある日、オルンバシェ・フィスがヴァン=ヴァールの5年勤続の記念に贈り物を進呈したいので何が欲しいか、と言うので、大男は精巧な双眼鏡が欲しいと答える。二代目社長は専門店で最良の双眼鏡を購入して大男に与えたが、「何をするのか」という問いに「遠くが見たいだけですよ」としか答えない。
 その日からヴァン=ヴァールは自宅アパルトマンに居ながら、通りを挟んだ向かいの建物の五つの窓を双眼鏡で観察し始める。言い換えれば「覗き」である。その双眼鏡は驚異的に精度が高く、あたかも覗き見る男が(音こそ聞こえないが)その室内に透明人間で入ってしまったセンセーションを喚起させ、中の人間の顔の肌の張りや、頭髪が染めているのがわかったり、ワイン瓶に貼ってあるラベルの銘柄が読めるほどなのだ。ヴィジョンは最新のドローン的だが、小説の描写はあくまで20世紀的な光学双眼鏡からの見え方である。日が暮れ、室内に照明が灯った頃からヴァン=ヴァールの観察は始まり、消灯する頃合いで終わる。観察される人物は3人:(名前は後日、建物のコンシエルジュ前にある郵便受けで知ったもので、本名であるかどうかは定かではない)

・パンゲ:窓は一つ。年齢不詳の男、髪を染め、筋肉トレーニングをし、若づくりしようとしているが、双眼鏡の目は騙されない。時々、同年代の同じような体つきの男が訪問してきて、食事とトランプ遊びをし、その後二人で次の待ち合わせ場所に出かけるかのように深夜出かけていく。
・マダム・トゥーヴナン:年配の女性であるが、驚くほど若く見える。サロン、食堂、寝室の3室(3つの窓で中が見える)を使っていて、それと扉で繋がっている一部屋を(↓の)若い女性に貸している。
・イヴォンヌ・ブーレーニュ:若い女性。マダム・トゥーヴナンのアパルトマンに同居していて、その一部屋に寝泊まりしているが、家事一切を任されており、電話応答など秘書的なことも。フランソワ・ロッシと名乗る医師と交際していて、ロッシはマダム・トゥーヴナンの往診医でもあり、時々アパルトマンを訪れる。

 この双眼鏡の向こう側に見えた3人の人物が、ヴァン=ヴァールの「前生」と関わりを持っていたはずなのだが、それが何だったのかは杳として知れない。 ヴァン=ヴァールはこの世のものなのかそうでないのかわからない3人の人物を名状する言葉を探して、”fantômes(ファントーム=幽霊)”、”spectres(スペクトル=亡霊)”、”revenants(ルヴナン=幽霊、黄泉帰り)”の3つのうち、"revenants"が最も適合しているように思うのだ。

ある不在の時期を経て帰ってきた人、長い間見なかった人、再会するとは思えなかった人、と辞書は解説する。この言葉は夜双眼鏡でパンゲ、マダム・トゥーヴナン、イヴォンヌ・ブーレーニュを観察しながら彼が見舞われる感覚に合致していた。(p65)

 その記憶はまずマダム・トゥーヴナンに関連したものから唐突に姿を現し始める。午前となく午後となく聞いているラジオ局France Musiqueの放送から、あるピアノ曲が流れてくる。ヴァン=ヴァールの記憶を激しく刺激する昔聞いたことのある旋律。番組進行パーソナリティが曲名を告げる:ワーグナー楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「イゾルデの愛の死」ー フランツ・リストによるピアノ編曲。ヴァン=ヴァールはこの時までこの曲名は知らなかったが、このピアノを若き日に幾度も幾度も聞いていたのだ。あれはいつだったか....。医者になることを断念させられた頃か。パリ13区ポルト・ディタリー(Porte d'Italie)の屋根裏部屋に住んでいた。その建物の何階かから聞こえてくるピアノの音。いつも同じ曲。曲の頭から始めて、間違えると最初からやり直したり、途中から始めて同じパッセージを繰り返したり、通しで聞けないが、いつも同じ曲、この曲名も知らぬピアノ曲に魅せられて、階段を降りて、そのアパルトマンのドアの前で耳を澄ませて聞いていた。いつしかピアノが始まると降りて行って聞くようになった。そのアパルトマンのドアには、画鋲で1枚の名刺が貼られていた。名刺には「ムッシュー&マダム・トゥーヴナン」と印字されていた...。
 ポルト・ディタリーに住んでいた頃のことがおぼろげに記憶として戻ってくるが、双眼鏡の向うに見えるマダム・トゥーヴナンは、あれから何十年も経っているのに、全く歳を取っていないかのように若いままなのだ。果たして同じマダム・トゥーヴナンなのだろうか?

 ある夜サブリエ出版社からの帰り道、双眼鏡の向こう側ではなく、道を歩いている実物のマダム・トゥーヴナンとすれ違いかける。大男は思い切って話しかける「マダム・トゥーヴナンですね?ずいぶん昔に私たちは知り合いでしたが憶えていらっしゃいますか?」ー 「あなたは私のことを憶えているかも知れないけれど、私はあなたのことを憶えていない」と巻こうとする夫人に、大男はポルト・ディタリーの同じ建物に住んでいた、夫人はいつも同じ曲「イゾルデの愛の死」をピアノで弾いていた、と昔の記憶を喚起させる事柄を列挙する。もう巻けないと観念したか、夫人はその過去を認め、会話に入っていく。「今でもピアノを弾いていますか?」「ピアノの道はもうとっくに断念したわ」「私も医者になることを断念しました」「そうだったわね、あなた医学部志望だったわね」ー もう何十年も経っているのに夫人は同じ若さを保っていて、今の二人を他人が見たら、大男は夫人の父親に見えるのではないか、ヴァン=ヴァールは超現実的な印象に襲われながらも、会話を続ける。「私たちは二、三度近くのビストロで一緒に食事したこともあるんですよ。名前は忘れましたがあなたの友だちの声楽家も同席してました」「ロラン・ジェルボーね。若い頃の遊び友だち。場所はブラッスリー・マッセナだった」ー ロラン・ジェルボー、ブラッスリー・マッセナ、こういう固有名詞が出てきたおかげで大男の記憶はいよいよ鮮明に蘇ってくる。
 五里霧中を手探りで進むモディアノ小説であるから、ここで部分的に蘇った大男の記憶が何だったのかは明らかにされるわけがない。モディアノ読みはだからやめられない。
 次に若い女性イヴォンヌ・ブーレーニュ、ある日、近くのスーパーマーケット(Franprix)で食料品の買い出しから出てくるところを大男が初めて声をかける。「失礼します、私はマダム・トゥーヴナンの古い友人なんです。先日夫人と何十年ぶりに再会しました。この再会のこと夫人はあなたに話しませんでしたか?」ー「いいえ」ー「私はこの界隈に住んでいます。しばらく前にあなたと夫人が一緒にいるのを見かけました」ー「最近2回電話をかけてきたのはあなたなのね?」ー「そうです。あなたは夫人の秘書をされているのですか?」ー「秘書なんかじゃないわ。でも私はマダム・トゥーヴナンにとても感謝しているの。ある時期私がとても苦しかった時に夫人は大きな助けになってくれたの」・・・ ”私がとても苦しかった時期”がマダム・トゥーヴナンとイヴォンヌ・ブーレーニュを繋ぐことになった。これがヴァン=ヴァールの断片的に甦りつつある記憶にとって重要なことであろうという漠然とした直感はある。しかしこの初めての会話の感じでは、若い女性は夫人がポルト・ディタリーに住んでいたことも、ピアノを弾いていたことも全く知らない様子だ。大体においてこの若い女性が、その何十年も前のプラス・ディタリー時代に生きていたわけはない。だとしたら、この女性は”別の時代”に大男と接点があったのか? ー だがこの初めての会話で、ヴァン=ヴァールは若い女性の声に”聞き覚え”を感じ取る。それがいつ頃のことだったかを知ることはできないのだが。
 かのアパルトマンのある建物入口まで買い物袋を持った若い女性と随伴して行き、(彼女と夫人の知り合った経緯など)もっと話したい意志を伝えると、彼女は携帯電話の番号を大男に渡し、いつでも電話して、また会いましょう、と。たぶんイヴォンヌ・ブーレーニュは自分に告白したい何かがあるのだ、と大男は察した...。

 モディアノの小説群に慣れている読者たちは、多くのモディアノ小説で垣間見ている戦後から作家デビューの頃までの作家とパリの暗闇の部分(”カタギ”でない人々、地下ビジネス、犯罪...)との関係が”文学”となっている点をよくわきまえている。暗闇の世界にいた人間にしか書けない文学である。この小説も読み進めていくにつれて、そのパリの闇の世界との繋がりの”記憶”を濃い霧の中から引き出そうとしているのだ、というのに気づいてしまう。モディアノ読みはこの濃い霧が少しずつ薄くなっていく進行に魅せられているのですね。
 まずそれが現れるのは、パンゲという人物。染髪、筋トレ、相棒、時間潰し(トランプ)、深夜の相棒連れの外出... 小説は名指しこそしないが"公安”の匂いが漂っているではないか。
 そしてマダム・トゥーヴナン。私がここで描写的解釈で書いてしまうと、小説の”味”を大幅に殺いでしまうことはわかっているのだが...。ヴァン=ヴァールの何十年も前(明示はされていないが1960年代)のポルト・ディタリー時代の記憶が戻っていくにつれて、当時かなり年上の夫と結婚していながら、かの声楽家の”友だち”は若い愛人であり、複数いたと思われる愛人のひとりに医学部志望学生だった自分もなっていた、と思わせるくだりがある。さらに現在時点で双眼鏡の向こうに見える夫人もまた、イヴォンヌ・ブーレーニュの恋人にして夫人の往診医であるフランソワ・ロッシと往診のあと情交の時間を設けていることが仄めかされている。さまざまな方向に伸びるアンテナを複数の情人を通じて張っているような(これは文面には現れないが私の想像)。だとしたら、あの若い女性も苦境を助けられたことによって夫人の”駒”になったのか。
 イヴォンヌ・ブーレーニュとの二度目の邂逅の時に登場する古いアメリカ車スチュードベーカー(ブーレーニュの恋人の医師フランソワ・ロッシの持ち物)が、いつの時代に飛び込んでしまったのかという錯覚と、高級であっても(ポルシェやフェラーリと違って)尋常の人々では手を出さない類の(ヤクザ趣味な)嗜好性を醸し出し、読者はいよいよモディアノ文学ワールドど真ん中の感を強めるだろう。
 ハレルヤ!この98ページの短い小説の76ページめに至って、リュド・ヴァン=ヴァールは出版社社長オルンバシェ・フィスにその進言に従って「私は回想録を書くことにしましたよ」と告げるのである。"ルヴナン(revenants)"たちの到来によって喪失状態だった記憶の断片の数々が戻ってくる、これを書き綴ったものは”回想録”と呼べるのだろうか。オルンバシェ・フィスの目に叶うものとなるのだろうか。
「それは厳密には回想録ではありません。ある男が彼のアパルトマンの向かいに住む何人かの人物を双眼鏡で観察する話です」(中略)
「この人物たちのスペクタクルが男の過去の断片を水面に浮上させるのです」(p76)
と作家はご丁寧にこの小説の種明かしをしてしまう。なるほど、最初からそういう魂胆であったか。ヴァン=ヴァールはこの時点でもう100枚ほど書いてしまっていると言い、まもなくオルンバシェ・フィスに草稿を見せられるだろう、とも。81ページめでこの小説は一人称(私)ではなく、「彼=il」あるいは「ヴァン=ヴァール Van Walle」という彼自身の名前の人物を話者として綴ることを決めたと。
そのことが文章にその遠く離れた存在感(une présence lointaine)と、この街区の通りを彷徨い歩く彼自身の象の歩みに似たリズム感を付与するかもしれない。(p81)
なるほど、読者は象の歩みに似たリズムでこの小説を読んでいる、と気付かされる。次いでその直後の83ページめから、小説の最大の山場、イヴォンヌ・ブーレーニュとの三度めの邂逅のシーンが始まる。
 一度めと同じようにスーパー(Franprix)で食料買い出しから出てきた若い女性は親しげに大男と会話を交わし、一緒にしばらく歩きませんかと誘う。マダム・トゥーヴナンと知り合ったきっかけや医師フランソワ・ロッシと夫人のアパルトマンを譲り受ける話があることなどを話しながら、ラ・モット=ピケ大通りとシャン・ド・マルスの交差する辺りに近づくと、ヴァン=ヴァールは本能的にこの場所は避けたほうがいいという生理的拒否感による息苦しさと不快感に襲われる。ブーレーニュはこのカフェで何か飲んでいきましょう、と大男をカフェのテラスに誘い、テーブルにつく。(こう書くとチープな怪奇小説のように思われるかもしれないが、ここが”異界”の入口だったことが後でわかる)ー 若い女性はいよいよ本題の告白のような「遠い昔に」あるいは「前生」であなたと知り合いだったような気がする、と言い出す。あなたの年齢で私の遠い昔(マダム・トゥーヴナンと接触があったのは1960年代)の知り合いであるはずがない、とヴァン=ヴァールは否定しようとするのだが、突然若い女性は教えていないはずの彼のファーストネームで「リュド」と呼びかける。カフェは混み始め、周囲の人声で二人に会話は途切れがちになる(相手の言うことがほとんど聞こえない)。その上奥からジュークボックスから流れる音楽が騒音のようにかぶさってくる。「あなたこれを知っていますか?ジュークボックスというものはもうこの世にはないのです。あなたはこれがどういうものなのか知っているんですか?」ー カフェの外を見るとシャン・ド・マルス周囲に「パニエ・ア・サラド panier à salade」(”サラダの水切りざる”と別称された悪名たかきシトロエンの警察遊撃車)が待機している。いよいよ息苦しさが限界近くに達して大男はここから立ち上がって出ていかなければと思うのであるが、体が硬直して動けなくなってしまう。すると隣のテーブルにいるのがパンゲと深夜のトランプ相棒の二人になっていて、こちらに向かってくる気配を窺っているではないか。全身の力を振り絞って象は立ち上がり、若い女性の腕を取って外に向かって駆け出す。振り向かずに全速力で”異界”の外へ逃げ出して行く。トゥールヴィル大通りに辿り着いたところで、ヴァン=ヴァールは女性の腕を放し、
ー 気分はどうですか ?
ー ええ、ごめんなさい、急に気分が悪くなったの。
ー 私もです。私は常にこの交差点とカフェを避けるようにしていました。
ー あなたが正しいわ。何か悪夢の中にいたような感じだった。このことをフランソワに話すわ。彼は医者だから説明できるかもしれない。
二人はマダム・トゥーヴナンのアパルトマンのある建物まで歩いて行き、戸口で別れ際に若い女性は大男に深刻な声でこう言った「リュド、私たち危機一髪だったのよ」。

 このあと、象の記憶は正確に蘇る。あの悪夢のようだったラ・モット・ピッケ大通り/シャン・ド・マルスのカフェでの出来事は正しい記憶ではなかった。遠い昔(1960年代)大男が20歳の頃、そのカフェのテラスに座っていたのはリュド・ヴァン=ヴァールひとりだった。彼はある女性(イヴォンヌ・ブーレーニュと瓜二つ、あるいは彼女本人)と待ち合わせをしていた。その女はポルト・ディタリーのマダム・トゥーヴナンのアパルトマンの隣に住んでいて、若いヴァン=ヴァールが好きで通っていた右岸の盛り場プラス・ブランシュで知り合った。待ち合わせの時刻になっても女は現れない。待てども待てども来ない。カフェの中は人で混み始め、その中に若い頃のパンゲと思しき男と明らかに警官風な出立ちの男たちもいる。シャン・ド・マルスにはシトロエン遊撃車が待機している。待ち合わせ時刻から30分後頃、パンゲとその相棒がカフェの外に出る。向こうからかの女性がカフェのテラスに入り、ヴァン=ヴァールのテーブル目指して歩いてくる。すると背後からパンゲと警官が女を捕まえ、パンゲはすかさず女の両手に手錠をはめ、カフェから連れ出す。女とヴァン=ヴァールの目が合い、それがその場を離れろという訴えだということを悟る。「危機一髪」で難を逃れたという結末ではなかったのだ。誰が密告したのか。

 象の記憶が蘇ったところで、向かいの建物に双眼鏡越しに見えた「ルヴナン」たちは姿を見せなくなり、どの窓にも灯りは点らなくなる。建物のコンシエルジュの女性に尋ねると、郵便受け居住者リストにある「マダム・トゥーヴナン」はもう20年前に引っ越してここにいない、リストから外すのを忘れただけだ、と。ではこの「イヴォンヌ・ブーレーニュ」は?と聞くと、それは私は何も知らない、答えられない、と言う。
 この世ではこのように秘密で守られている人たちがいる。秘密が明かされるとこの世に居られなくなる人たちがいる。だから知らないと言われれば、そういう人なのだと深追いはしない方がいい。モディアノの小説は地下や暗闇や都市の深部にいるそういう人たちの蠢きの気配を描写するが、それが何かを暴露することはしない。秘密で守られている人たちを守っているのだろう。この太陽光線や明るい照明を浴びることを避けている人たちのおぼろげなアウトラインだけで、それは文学的にわれわれの想像力を刺激してやまない。もやもやしてよく見えないものはわれわれが想像力で参加するしかない。この象と呼ばれた老いた大男は、初めから「アムネジー」(記憶喪失)という”言い訳”つきで、この双眼鏡越しの過去断片の幻視体験に入って行くのだが、この「わからなさ」「思い出させなさ(こんな日本語あるか?)」の闇が少しずつ白んでいくグラデーションにモディアノ読みはどれほど刺激を受けるか。老いた大男が最後に”小説”を残す、読後空飛ぶ象の気分にまで軽くなる98ページ体験であった。

Patrick Modiano "L'Eléphant"
Gallimard刊 2026年10月1日 98ページ 16ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)エレファンツ・メモリー「マングース」(1970年)

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