昨日マニュ・チャオ原稿を書き終えました。
私が89年に入社したメディア・セット社に,ディディエ・パスキエという人がいて,彼は同社の営業マンをしながら,オルタナティヴ・レーベルALL OR NOTHINGのプロデューサーだったのです。マノ・ネグラの前身バンドであるホット・パンツや,フランソワ・アジ=ラザロとマニュ・チャオのバンドであるロス・カラヨスのレコードを制作していたレーベルです。私はその頃はヴァリエテだけしか頭になかった時期なので,ディディエから見本盤をもらっても,あまり関心を示さなかったのでした。
マノ・ネグラはその頃アルバム『パチャンカ』の大ヒットで,ディディエや私から見ればかなり天狗になっていた時期でした。喰うや喰わずの生活をしていたパンク小僧たちが,急に金を持ったら...。そしてディディエがホットパンツの権利をめぐって,マノ・ネグラから訴訟を起こされたのです。私のうろ覚えの記憶では,ディディエがホットパンツ制作のギャラをミュージシャンに払っていない,あるいは現金払いのため払ったという証拠書面がない,という理由で,この権利をディディエから奪い取ろうとしていたような話だったと思います。貧乏プロデューサーのディディエは寝耳に水で,かわいそうに,3年前のスタジオ費やバンド飲食費の領収書のかわりになるものを一生懸命探して...。そしたらマノ・ネグラ側から「ホットパンツのレコードが東京のレコード店で見つかった。あんたたちには輸出の権利はないはずだ」というイチャモンまでついて。そのレコードを東京に送っていた張本人は私でした。
そういう事情があって,89年当時の状況では,私はマノ・ネグラのマニュにしても,ブッシュリーのフランソワにしても,できることなら近づかないでおこう,としていたのでした。
その後のマニュの発言にしても,たいへんひっかかるのは,レコード産業全般に対する嫌悪感ですね。レコード会社から強制されることを拒否して,創作の絶対の自由を死守し続けたマニュですから,衝突することは多かったと思います。俺は音楽を人々と分かち合いたいわけで,レコード売上げの利潤をレコード会社と分かち合いたいわけではない,なのです。前者が達成されれば,後者など必要ないのです。時々出て来る「俺はもうCDを出さない」発言は,レコード会社にとっては脅威ですが,時代の趨勢であり,マニュのような南米の山の奥まで行ってでも人々と音楽を分ち合いたいアーチストは,無料配信された方がずっと自分の目的に近いものになるのです。
マニュは "GROS"(グロ。大物。メジャーアーチスト。メジャーな音楽)は無料(違法)ダウンロードしたってかまわない,とはっきり言っています。その中には当然自分の音楽も含まれます。ただ小さい独立のアーチストや大国でない国の音楽などは買ってあげた方がいいんじゃないの?とは思っているようですが,そのあとすぐに「CD買う金があるんだったら,恋人と映画見に行く方がずっといい」なんて言ってしまうんですね。
というわけで,今後,マニュ・チャオの新曲の無料ダウンロード公開がどんどん増えていきそうな感じです。
9月11日,フランス共産党機関紙ユマニテ主催の「ユマニテ祭り」にマニュ・チャオ&ラジオ・ベンバを見に行きます。11日夜はメインステージにマニュ・チャオ,同じ時間のサブステージにアラン・ルプレストというがっちゃんこですが,迷わずマニュ・チャオです。
12日土曜日は,今朝の爺の窓 (2009年夏) で書いたように Le Grand Feu de Saint Cloud があるので行けませんが,メインはディープ・パープルです。今年のユマニテ祭りのプロモーション・ヴィデオもかわいらしく「スモーク・オン・ザ・ウォーター」づくしで,笑えます。
13日日曜日はマチネ17時にジュジュ様です。「イ〜〜ヴァノヴィッチ」って歌うんでしょうね,やっぱり。
(↓)Fête de l'Huma 2009 でのマニュ・チャオ
2 件のコメント:
それらのCDを買っていた張本人です、さなえもんです。
面白い手紙とインタヴューペーパーを発見。
ディディエから93年にこんな手紙をもらっています。
「僕は本当にLOS CARAYOSが好きだ。
でも、彼らはバンドを止めてしまっている。
なぜなら”MANO NEGRA"が原因でね。」
そしてインタヴューペーパー、マニュ直筆 93年。
「ALL OR NOTHINGでは、HOT PANTSのアルバムを
出して売れてるっていうのに、彼らからは連絡
ひとつないんだ。そういうわけで、インディムーヴメント
の中でも不正直な人達もいるのだ。」
まあ、お互い色々と言い分もあるでしょう。
>輸出の権利
なんか苦笑いしてしまった。そんなものがあるんですね。
と言うより「一言挨拶しろ」って言いたかったのかな?
いずれにせよ、ユマニテ祭り(CM可愛い!)に向けて
足腰鍛えてね。私は一昨日(スペシャルズ再結成)の
ライブの筋肉痛が今日出ています。
マニュは後に自分のバンドを「マノ・ネグラ」と名乗ることを禁止されるでしょ。(Mano Negra Illegal)
一部の人だけというわけじゃなくて,全体が「権利」に対してピリピリしているのが音楽業界。だからインターネットでアナーキーな状態になった時に,権利でギチギチだった音楽業界って対応できなくておろおろしてるじゃないですか。マニュはそういう状態を歓迎しているようだし,そういうアーチストたちも少なくない。
今年のユマニテ祭りは「赤旗まつりに紫」というオモムキでしょ。「あかむらさき」か。マニュはマノの頃から「黄色に黒手」か。ジュジュ様は色に例えたら「銀色」かな(どういう意味ですか?)。
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