2007年11月17日土曜日

スタン誕生



 スタニスラス『綱渡りの歌』
 STANISLAS "L'EQUILIBRE INSTABLE"


 世のすべてのロマンティスト諸姉諸兄のみなさん、春夏秋冬の風の香の移りを頬に受けただけで涙してしまうセンシブルな同志のみなさん、喜びたまへ。両の腕を大きくひろげて迎えたまへ。
 スタンはあなたたちのためにやってきた。スタンは爺のためにやってきた。
 ありがたや。ありがたや。神よ祝福されてあれ。
 すべてのポルナレフィアンたち、すべてのマッカートニストたち、驚愕せよ。
 スタンは疾風怒濤の海からやってきた。ほせい体躯のポセイドン、昼のごはんは鶏丼だ。

 スタニスラス・ルヌーは1972年のある日あるところで生まれた。海の底かもしれない。3歳でソルフェージュを始め、あらゆる楽器を触りまくった。12歳でパリ・オペラ座(ガルニエ宮)で少年オペラ歌手として初舞台を踏んでいて、「マクベス」(ヴェルディ)と「トスカ」(プッチーニ)にソロ役を取り、共演者のひとりルチアーノ・パヴァロッティはこの少年をして「プチ・テノール」(チビ低能)とあだ名して可愛がった。そして「トスカ」の最終公演のあと、オペラ・ガルニエ管弦楽団の指揮者ジェームス・コロンから、その成功の記念に指揮棒をいただいた。これが引導となって、スタン少年はパリの西郊外シュレンヌのコンセルヴァトワールを経て、ボストンのバークレー音楽院、さらに19歳でパリ音楽師範校の指揮科に入り、その3年後にはマッシー管弦楽団の指揮者ドミニク・ルイツの助手の地位を得て同学校を卒業している。今日スタニスラスは師匠ルイツの座を継ぎ、マッシー管弦楽団の常任指揮者となっていて、同時にパリ音楽師範校の指揮科教授である。つまりクラシック音楽のマエストロの王道をまっしぐらだったわけである。
 それと平行して、かくれロック・フリークでもあったスタンはバンドを組んだり、ロックバンドのセッションにキーボディストとして参加したり、というフツーの若者っぽいこともしていた。またマッシーの指揮者となってからも、カロジェロ、パスカル・オビスポ、セリーヌ・ディオン、クール・シェン(ex NTM)などのストリングス編曲・指揮の仕事もしていて、ヴァリエテ界と通じていた。
 カロジェロがアイドル小僧であったのはレ・チャーツ(Les Charts)というポップ・トリオ(カロジェロとジョアキノのマウリッシ兄弟と、そのダチのフランシス)にいた時であるが、そのカロジェロの弟であるジョアキノ・マウリッシとスタニスラス・ルヌーは2000年にピュア・オーケストラ(Pure Orchestra)というエレクトロ・ポップのデュオを組んでいて、2001年に"Singin' Dog"(Universal France 5868072)というアルバムを発表している。まあ爺がちょっと聞いた感じではモジョみたいな(英語歌詞)フレンチ・タッチ・エレクトロ・ポップであったが、目立たない結果に終わったようである。(シングルヒットした"U and I"は一聴の価値あり)。
Pure Orchestra
 ちょっとがっかりしたのは、スタンの兄にチボー(Thibaud)というフォーク・ポップ系の自作自演歌手がいて、ルヌー兄弟は2004年にチボー名義のソロアルバム "Les Pas Perdus"(消えた足跡)というアルバムを発表している(CD化はされず、ネット上のダウンロードのみ)。ルーファス・ウェインライト寄りのヴァリエテ・フォークのように聞こえる。 
Thibaud "Les Pas Perdus"
 このようにヴァリエテ界での仕事も多くしているので、オフィシャルのバイオグラフィーが書いているような、クラシック界の若き俊才が突然にポップ界に「天下り」したような転身劇ではない。ヴァリエテ界でかなり苦労した末でのスタニスラス・ルヌーのソロ・デビューであり、この実像の方が爺にはしっくりくる。昔の人はクロート(玄人)を「苦労徒」と当て字して、その匠は一日にしてなるものではないことを寓意したものであるが、スタンは玄人であり、天使や王子様ではなく、苦しみながら海の底からのぼってきたポセイドンである。

 スタニスラス『L'equilibre instable(あやうい平衡、不安定な均衡)』は、高久光雄さんの表現を借りれば「美しきロマンの復活」(これはナレフ様1978年アルバム"Coucou me revoilou"の日本題)とでも称したい、久しく聞くことができなかったロマン主義志向のアルバムである。鳥の飛翔に嫉妬し、風の行方に遠い国を想い、花の香に涙ぐみ、木漏れ陽に目を閉じて万華鏡を楽しむ....そういう人たちが待望していたアルバムに違いない。だから爺も待望していた。
 スタンが長年の研鑽の上に身につけたクラシック・オーケストラの魔術を駆使し、細やかな叙情表現はお得意のアートであり、そのあたりはかつてのイージーリスニング楽団をサンプルしたフレンチ・タッチDJたちとは格が違うのである。弦の震えはこういう風に聞こえて欲しい。ここでカスタネット、という時に入ってくれるカスタネット、ロマンの人たちならば予知できる音が出てくる不思議。21世紀的環境で生きる爺たちに、ああ、まだこういう音で音楽が作れる人がいたのだ、という懐かしい安堵感。ありがっとう、スタン。
 シングルとしてラジオにオンエアされている第1曲め"Le Manege"は、このアルバムではフル・ヴァージョンの4分48秒だ。すごい。メカーノ「イホ・デ・ラ・ルーナ」以来、ポップ界で最も美しいワルツに違いないこのメリー・ゴーラウンド曲は、回転と上昇と下降に心地よい目眩をおこそう。スタンのヴォーカルは自然にオーケストラに溶けているソロ楽器であり、出るべき高音がそのノートに達してヴィブラートする人間のエモーションを伝えるリード楽器である。機械で作られたものとの違いを感じてほしい。
 2曲め"La belle de mai"(5月の美しい人)は、古典的な愛の儚さを歌う哀歌であるが、子供たち、かつては愛の儚さはたくさんの歌を生んだのだよ、と教えてあげたいくらい、昨今聞かれないテーマのエレジーで心が震える人も多いだろう。
 4曲め"La debacle des sentiments"(感情の激流)は、カロジェロ君(ベース、ギター、ヴォーカル)をフィーチャーした歌で、タイトルからして疾風怒濤の曲であってほしいのだけれどそうはいかず、ペリー・ブレイクの音処理にも似た、遠くに聞こえるピアノとカロ君の連打ベースが嵐の満ち引きのようで妙である。
 5曲め"Entre deux femmes"(二人の女性の間で)と6曲め"Ana quand bien meme"(それでもアナは)は、マッカートニー趣味がよくわかるしゃれたバラードとソフトロックで、5曲めの方ではフィリップ・ユミンスキーのこじゃれたギターが聞こえる。
 7曲め"Nouveau Big Bang"(新ビッグ・バン)は、アルバム中唯一の疾風怒濤もので、ストラヴィンスキー、バリー・ライアン「エロイーズ」、ポルナレフ「想い出のシンフォニー Dans la maison vide」系の展開であるが、劇団四季のミュージカルの一番の山場のようなわざとらしさが、どうも爺は苦手である。
 8曲め"L'absinthe pour l'absent"(不在者のためのアプサント酒)は、なんとゲンズブールへのオマージュのデカダンスものであるが、スタニスラスに欠けているのはこういう曲になくてはならない退廃文学趣味で、ジャン=ルイ・ミュラのように滲み出る毒のようなものが全くないのだ。スタンも万能ではない。
 11曲め"A d'autres"(他人には)は、雨降るロマン・ノワールのように始まるバロックな(音楽様式ではなく、異形な、という意味ね)佳曲で、謎(エニグマ)やチェス盤やコード番号が顔を出して、アルバムタイトルが示す不安定な世界が最もよく表現されている。
 12曲め"Memoire morte"(死んだ記憶)は、最初の最高音から徐々に降りて来る音階ヴォーカルから鳥肌ものの、消えていく記憶を追っていくドラマティックなバラードで、この透明な悲しみは追っても追っても追い切れないものに何度も何度も手を伸ばしていく。もうこうなると爺はぐじょぐじょだ。
 最終曲13曲め "L'hiver"(冬)はスタニスラスからのクリスマス・プレゼントのような曲で、アントニオ・ヴィヴァルディの『四季』の「冬」をベースにした冬讃歌。浮ついた季節が終わり冬は私を大地にもどしてくれる、光を待望する冬こそ私の季節、冬はすべての戦争を凍らせてくれる、と歌っている。「すべての緊急事を凍結させ、クリスマスの火を囲んで踊ろう、冬にきみの目は美しく輝く」ー なんて美しい結語。こんなすてきなクリスマス・ソングは、ルーチョ・ダッラ「ストルネロ」(1984 アルバム "Viaggi Organizzati")以来初めて聞いた。ヴィヴァルディとルーチョ・ダッラの言語で「ブオン・ナターレ!」とクリスマスを祝福したくなる曲だ。2007年の冬は、この歌で越せそうだ。

 綱わたり師のようにアンバランスで、軽やかに早足な35歳スタニスラス・ルヌーのデビューを心から祝福します。
 世界中のロマンティストたちのご意見をうかがいたいです。

<<< トラックリスト >>>
1. Le menage (Amaury Salmon/Stanislas Renoult)
2. La Belle de mai (Patrice Guirao/Stanislas Renoult)
3. Les lignes de ma main (Elodie Hesmes/Stanislas Renoult)
4. La debacle des sentiments (Amaury Salmon/Stanislas Renoult)
5. Entre deux femms (Julie d'Aime/Stanislas Renoult)
6. Ana quand bien meme (Amaury Salmon/Stanislas Renoult)
7. Nouveau Big Bang (Elodie Hesmes - Stanislas Renoult/Stanislas Renoult)
8. L'absinthe pour l'absent (Elodie Hesmes - Stanislas Renoult/Stanislas Renoult)
9. Le temps des roses (Elodie Hesmes/Stanislas Renoult)
10. L'age bete (Stanislas Renoult)
11. A d'autres (Fredric Doll/Stanislas Renoult)
12. Memoire morte (Amaury Salmon/Stanislas Renoult)
13. L'hiver (Stanislas Renoult/Stanislas Renoult - Antonio Vivaldi)

CD POLYDOR/UNIVERSAL FRANCE 5303542
フランスでのリリース : 2007年11月19日


 

 

4 件のコメント:

Pere Castor さんのコメント...

おとといアップした元投稿に,ノルウェン・ルロワのデビューヒット曲「カッセ」(2003)の作曲者がスタン・ルヌーであることを知って残念に思った,という数行があったのですが,あとで調べたら,作曲者はスタンではなく,元レ・チャート(カロジェロ,ジョアキノ,フランシス)のひとり,フランシス・マジューリであることがわかりました。それで姑息にも,その数行を削除してしまいました。不審に思った人,ごめんなさい。

それから スタンのマイスペース には,今『ル・マネージュ』のフル・ヴァージョンが置かれています。それから部分ですが,ヴィヴァルディ四季の「冬」を使った『L'Hiver』も聞くことができます。

来年2月19日のアランブラでのコンサートの告知も出てますが,フル・オーケストラでやるのでしょうか?

匿名 さんのコメント...

スタン・ルノー氏はマイスペースの曲を変えてます。今は聴けないけれども、以前は Le temps des roses が一押しでした。おじさんのコメントはないけれど、あれも良い曲でした。プロっぽい詞が駄目だったのでせうか。ノルウェンのデビュー盤ではマッシーオケを指揮してました。

なにはともあれ、こいつはノーヴィス(駆け出し)じゃない、満を持しての登場だという感じです。なんか凄く音楽を知っている感じがどうにもただ者じゃない。

Pere Castor さんのコメント...

かっち。君、コメントありがとうございました。
今夜 Europe 1のチエリー・ルコンの番組にイヴ・シモンが出て(イヴ・シモン新譜はレ・ザンロック、テレラマ等各誌絶賛なので、聞いてみないといかんかな、と思っていたところでした。)、そのサブゲストでスタニスラスが出て、ピアノ(スタン自身)、アコースティック・ギター、ヴァイオリン、ハープという編成で2曲ナマで演奏しました("Le manege"と"La debacle des sentiments")。オーケストラの楽器群のひとつとして溶け込んで歌っていたのと違って、「裸をさらす」ような感じがする、と1曲歌ったあとで言ってました。このアコースティックセットでもほとんど乱れのないパフォーマンスでしたが、オーケストラあってこそのスタンという印象は否めません。(しかし良い根性しているわ)。
 2月19日のアランブラでのコンサートは80人のフルオーケストラは無理だけれど、20人くらいの編成になる予定で、自分はピアノを弾いて指揮しながら歌うのだそうです。絶対見に行きます。

Pere Castor さんのコメント...

チエリー・ルカン(ごめん、"ルコン”ではなかった。Lecamp )の番組 Generation Europe 1のイヴ・シモンとスタニスラス出演分のアーカイヴは
Europe 1
に置いてあります。
このベージの下の方にある
23H00 GENERATIONS EUROPE 1 THIERRY LECAMPのところまで行って、「PLAY」をクリックすると聞くことができます。
とても楽しい番組なので、フランス語のわかる方は最初から最後まで全部聞いてみてください。
スタニスラスの「ル・マネージュ」は18分33秒頃(15分刻みのスケールの2回目の3分33秒頃)から始まります。身震いしますよ。