まず、起こった事件について。2023年2月22日午前10時、南西フランス、ピレネー=アトランティック県サン・ジャン・ド・リューズ市の私立カトリック系リセ、サン・トマ・ダカン校の第二学年クラスのスペイン語の授業中に女性教師アニェス・ラサル(当時52歳)が、突然席を立って教壇に歩み寄ってきた男子生徒(当時16歳)に胸部を刃物で刺され死亡した。殺人の動機は明らかではないが、少年には精神的疾患(”物憑き”状態)があったとされている。フランス全土に衝撃を与えたこの殺人事件に続いて、被害者アニェス・ラサルの葬儀が3月3日、ビアリッツ市のサント・ウジェニー教会で執り行われたが、その模様を中継したテレビニュース番組が映し出したのは、棺の置かれた教会の前庭(これをフランス語では "parvis パルヴィ”という)で、ナット・キング・コールの歌に乗って踊るひとりのダークコート姿の紳士だった。透明人間を相手に見事な”ペアダンス”を披露するこの紳士が故アニェス・ラサルの伴侶ステファヌ・ヴォワランだった。(↓)そのYouTube映像。
ダンスで知り合った亡き妻への最後のオマージュをダンスで。このひとりステップを踏みターンをするダンサーの姿に、フランス全土が涙したのだった。
ナット・キング・コールの"Je ne repartirai pas"は、ガンを病んでいた晩年の大歌手の生前最後の世界的ヒット"L.O.V.E"(1964年12月録音)のフランス語ヴァージョンであり、このフランス語のコーチをしたのが当時アメリカで活動していたリーヌ・ルノーだったと言われている。これは日本語版もあり坂本九や美空ひばりが歌っていたが、漣健児の日本語詞は「Lと書いたらLook at me. Oと続けてO.K.. Vはやさしい文字Very good. Eと結べば愛の字L-O-V-E. Loveは世界の言葉」となっている。ところがフランス語版はまるで違う。
ナット・キング・コールの"Je ne repartirai pas"は、ガンを病んでいた晩年の大歌手の生前最後の世界的ヒット"L.O.V.E"(1964年12月録音)のフランス語ヴァージョンであり、このフランス語のコーチをしたのが当時アメリカで活動していたリーヌ・ルノーだったと言われている。これは日本語版もあり坂本九や美空ひばりが歌っていたが、漣健児の日本語詞は「Lと書いたらLook at me. Oと続けてO.K.. Vはやさしい文字Very good. Eと結べば愛の字L-O-V-E. Loveは世界の言葉」となっている。ところがフランス語版はまるで違う。
Toi, qui n’as peut-être pas compris
きみはたぶんわかってなかったね
Quand je t'ai dit en quittant Paris
僕がパリを離れるときにきみに言ったこと
Je m'en vais le cœur lourd
僕は心を重くして去って行くけど
Mais je sais bien qu'un jour
その日が来たらすぐに
Dès que je le pourrais
きみの国に戻ってくるって
Dans ton pays je reviendrai
僕は信じているんだ
Toi qui ne m'avais rien répondu
きみは何も答えてくれなかったけど
Je sais que tu ne m'avais pas cru
きみは僕を信じてなかったと思うけど
Et pourtant me voilà
でもこうやって今僕はここにいる
Tu peux avoir confiance en moi
きみは僕を信用していいんだよ
Je ne repartirai pas
僕はもうどこにも行かない
Je ne repartirai pas
僕はもうどこにも行かない
全然ディメンションが違うのだ。この歌はここで亡き妻への愛のメッセージに見事に昇華してしまう。教会の前庭(パルヴィ)で姿のないきみと手を絡ませて踊る僕、約束したろう、ここに来るって、僕はもうどこにも行かない、僕はもうどこにも行かない.... Je ne repartirai pas....
2025年4月3日、ジュリアン・クレールが最新アルバム”Une Vie”(5月23日リリース)の先行ファーストシングルとして”Les Parvis(パルヴィ)"と題された歌を発表した。亡き妻の遺影と棺を前に葬儀協会の前庭(パルヴィ)で踊る紳士のことを歌った歌である。エモーショナルなクレールの歌唱とポール・エコルの詞に心打たれた人のひとりが、喜劇俳優/脚本家/随筆家/時事コメンテーターのフランソワ・モレルだった。4月11日国営ラジオのフランスアンテール、朝のレギュラー時評でフランソワ・モレルは、このジュリアン・クレールの新曲を紹介した。3分間。この放送内容をそのまま日本語訳してみます。
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フランソワ・モレル
”Sur les parvis"
《 Il tourne, il tourne et il danse
くるくると彼は踊る
Sur les pavés du parvis
パルヴィの敷石の上で
Dans ses bras il tient l'absence
その腕に不在の女
Son bel amour qu'on a ravi... 》
天に召された最愛の女を抱いて
この世界を救えるものといったら何があるだろう? 詩? 歌? とっておきのメロディーに乗ったいくつかの選りすぐりの言葉? この雑音だらけの世界で、ひとつの声が立ちのぼり、それは人々を安堵させ、慰めてくれる。
今回の時評はおそらく最も馬鹿げたものとなろう。なにしろこの3分間の時評はある3分の歌についてのことなのだ。皆さんのおっしゃる通りだ。それについて御託を並べるよりも歌を聴く方がいいに決まっている。
《 Il tourne, il tourne
くるくると彼はターンする
Et c'est encore de la vie
これはまだ生きていることなんだ
Ayons parfois l'élégance
時としてパルヴィの上でくるくる廻る
De tournoyer sur les parvis 》
優雅さを持とうじゃないか
そしてそれは一大奮起と言えるし、尊厳さとも言え、私たちの中の最良のものを呼び起こしてくれる。
私はと言えば、たしかに皆さんののおっしゃる通り、私の貰うギャラを正当化するためにおしゃべりをしているに過ぎない。
この歌"Les Parvis(パルヴィ)"の歌詞はポール・エコルが書いた。エコル(学校)の言葉。クレール(聖職者)の旋律。この歌を作曲し、歌唱しているのはジュリアン・クレールである。
私はわれわれが17歳だった時のアイドルたちが80歳を迎えようとしていることを知った。時間はこの問題には関係がない。良いものは良いのだ。
この歌はわれわれすべてが共有しているひとつの過去の出来事について語っている。自分の生徒のひとりに殺されたスペイン語教師アニェス・ラサルの棺の前で、その伴侶ステファヌ・ヴォワランが踊り出したのだ。Je ne repartirai pas(僕はもうどこにも行かない)、ナット・キング・コールの歌のフランス語版に乗って。アニェスとステファヌはダンスで知り合った。踊ることによってしか男は女にさよならを言えなかったのだ。それはとても風変わりなことであり、とても衝撃的なことだった。この映像を見た者は誰一人としてそれを忘れることなどできない。詩的に突飛なことであり、生命を守るためのダンスであった。悪は決して勝つことなどないのだ、と言いたげな。踊るこの男の顔の表情に、その微笑みに、この女性と巡り逢えた喜びと同時にこの女性を失った無限の悲しみを読み取ることができたのだ。
《 Dans ses mouvements
彼の動きの中に
Tous deux se rejoignent
二人が重なり合う
L'espace d'un instant
この瞬間
C'est la vie qui gagne 》
生命は勝つのだ
確かに一曲の歌は世界を変えることなどできない。だが歌は世界を和らげ、勇気づけることもできるし、私たちに命の火を灯すよう働きかけたり、パルヴィの上で輪舞する優雅さを見出させたりもするのだ。
では私はもう黙り、皆さんに曲を聴いていただきましょう。
天に召された最愛の女を抱いて
この世界を救えるものといったら何があるだろう? 詩? 歌? とっておきのメロディーに乗ったいくつかの選りすぐりの言葉? この雑音だらけの世界で、ひとつの声が立ちのぼり、それは人々を安堵させ、慰めてくれる。
今回の時評はおそらく最も馬鹿げたものとなろう。なにしろこの3分間の時評はある3分の歌についてのことなのだ。皆さんのおっしゃる通りだ。それについて御託を並べるよりも歌を聴く方がいいに決まっている。
《 Il tourne, il tourne
くるくると彼はターンする
Et c'est encore de la vie
これはまだ生きていることなんだ
Ayons parfois l'élégance
時としてパルヴィの上でくるくる廻る
De tournoyer sur les parvis 》
優雅さを持とうじゃないか
そしてそれは一大奮起と言えるし、尊厳さとも言え、私たちの中の最良のものを呼び起こしてくれる。
私はと言えば、たしかに皆さんののおっしゃる通り、私の貰うギャラを正当化するためにおしゃべりをしているに過ぎない。
この歌"Les Parvis(パルヴィ)"の歌詞はポール・エコルが書いた。エコル(学校)の言葉。クレール(聖職者)の旋律。この歌を作曲し、歌唱しているのはジュリアン・クレールである。
私はわれわれが17歳だった時のアイドルたちが80歳を迎えようとしていることを知った。時間はこの問題には関係がない。良いものは良いのだ。
この歌はわれわれすべてが共有しているひとつの過去の出来事について語っている。自分の生徒のひとりに殺されたスペイン語教師アニェス・ラサルの棺の前で、その伴侶ステファヌ・ヴォワランが踊り出したのだ。Je ne repartirai pas(僕はもうどこにも行かない)、ナット・キング・コールの歌のフランス語版に乗って。アニェスとステファヌはダンスで知り合った。踊ることによってしか男は女にさよならを言えなかったのだ。それはとても風変わりなことであり、とても衝撃的なことだった。この映像を見た者は誰一人としてそれを忘れることなどできない。詩的に突飛なことであり、生命を守るためのダンスであった。悪は決して勝つことなどないのだ、と言いたげな。踊るこの男の顔の表情に、その微笑みに、この女性と巡り逢えた喜びと同時にこの女性を失った無限の悲しみを読み取ることができたのだ。
《 Dans ses mouvements
彼の動きの中に
Tous deux se rejoignent
二人が重なり合う
L'espace d'un instant
この瞬間
C'est la vie qui gagne 》
生命は勝つのだ
確かに一曲の歌は世界を変えることなどできない。だが歌は世界を和らげ、勇気づけることもできるし、私たちに命の火を灯すよう働きかけたり、パルヴィの上で輪舞する優雅さを見出させたりもするのだ。
では私はもう黙り、皆さんに曲を聴いていただきましょう。
国営ラジオフランスアンテールの朝番「7−9」、2025年4月11日午前9時放送のフランソワ・モレルの時評は(↓)のリンクで聞くことができます。
https://www.radiofrance.fr/franceinter/podcasts/le-billet-de-francois-morel/le-billet-de-francois-morel-du-vendredi-11-avril-2025-8497404
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(↓)LOVEは世界のことば、とナット・キング・コールも歌っている。
https://www.radiofrance.fr/franceinter/podcasts/le-billet-de-francois-morel/le-billet-de-francois-morel-du-vendredi-11-avril-2025-8497404
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(↓)LOVEは世界のことば、とナット・キング・コールも歌っている。
2 件のコメント:
早朝、先程見たばかりの夢の気分のまま読みました。このところ友人の訃報が続いていた中でこのブログに出会ったのは、きっと意味があると思います。踊ることの、あるいは一緒に歌うことのもつ優しさと、それでも拭えない悲しさが、、、紹介ありがとうございます。
ありがとうございます。この紳士の限りない悲しみを伴うエレガントさに私たちは心打たれます。このような追悼表現はおそらく誰にもできない。ただそれは生きている側の人間にしかできない。この人はわれわれの側の人なのだ。残酷な生のありのままを優雅さで包むこと、ごく稀であれそれは歌やダンスで可能なのだ、この限りない愛に突き動かされた紳士や、アーチスト、詩人にはそれができ、それに触れる私たちが心動かされる。私たちがまだ生き続けられるのは、そういう人たちがいる世界にいるからではないでしょうか。
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