2007年11月25日日曜日
マイ・ベイビー、ベイビー....
バルバラ10周忌の日。
テレビのニュースやラジオの特番を見たり聞いたりで、それだけでこみ上げてくるものがあります。このアーチストに関しては書きたいことがたくさんある、そんな思いがどんどんふくらんでいきます。
バルバラに関して、日本の雑誌に書かせて欲しいと提案したのが、11月19日。翌々日、その件は上部に決定を仰ぐので待て、との返事。それでもこの命日が近づくにつれて気持ちが昂って、23日に再びメールしたら、そのあとで日本は三連休なのだと知って、ああ答えは来ないのだ、と納得。
リベラシオン紙ではリュドヴィック・ペロンが非常に簡潔で卓抜な筆致で、死後の評価の変容ぶりを書いています。嫉妬します。バルバラはインタヴューでは多くを語りません。ですから、続々出た評伝本(ヴァレリー・ルウー、ディディエ・ヴァロ...)と自伝本"Il etait un piano"が、このアーチストを知る上での多くの手がかりを提出しています。バルバラには父親から受けた体罰の痕とされる骨格畸形や、やけどあとがあったという証言は死後でなければ出てこなかったのです。
34歳で初めて自作自演歌手となったバルバラは、過去ばかりを歌うアーチストでした。笑い、おどけ、客を笑わせるショー・ウーマンであった彼女は、コンサート毎に45分から1時間のアンコール演奏を求められ、その熱狂はコンサート後の地下鉄の車両での客の歌うバルバラのレパートリーの大合唱となって続くのです。一体この怪物は何者なのか。「私は歌手ではなく、歌うピアノ弾き」と自称します。この震える声の持主は一体誰なのか。私にはそのすべてを知る由はありません。ただ、知っていることは少しはあるので、少し長々と書いてみたいと思っているのです。バルバラへの思いはいつも切ないです。
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