2025年4月28日月曜日

私は今生きている(「十七歳」)

Ambre Chalumeau "Les Vivants"
アンブル・シャリュモー『生きとし生けるもの』

 
1997年生れ、現在27歳のアンブル・シャリュモーの第一作めの小説で、3月12日の発売以来現在まで書店ベストセラー上位(3刷、3万部)にあり、Z世代小説の旗手のような現象となっている。ジャーナリストとして既にメディアに露出する有名人であり、2020年からテレビTMCのトークショー番組「コティディアン Quotidien」(ホスト:ヤン・バルテス)の文化時評コメンテーターとなっている。因みにこの番組からはこのブログでも2作を紹介している作家リリア・アセーヌを輩出している。
 若いという字は苦しい字に似てるわ。小説はシャリュモーの自伝的な部分も含む「17歳→18歳」という1年間に集中している。それは2014年のパリに始まる。言わば”並に”裕福な3つの家族の子女ディアーヌ、コラ、シモンの3人は物心ついた頃から家族ぐるみの付き合いで、いつも一緒に遊び、毎夏同じところで海辺のヴァカンスを過ごしていた。17歳の夏のヴァカンスは、親たちの目から遠いところでの活動が多くなり、肝硬変が心配になるほどクロナンブールを浴びるほど飲み、ちょっと値の張る”煙”を吸った。On n’est pas sérieux, quand on a dix-sept ans(17歳の時など真面目なわけがない ー アルチュール・ランボー)。おそらく親たちと行く最後のヴァカンス、そして最後の三人一緒のヴァカンス。未成年最後の夏。9月(新年度)になれば将来(そんなものあるのか!)に向かって別れ別れになる。ディアーヌ(作者シャリュモーの化身)は将来何になるというアイディアがあるわけではないが、極めて成績優秀ゆえに、文系”プレパ”(エリート上級校入学準備クラス)を志願して書類審査パス。受け取った入学受理の手紙には入学前に(すなわち夏休み中に)多数の読むべき専門書/文献のリストが添付されていたが、ディアーヌは一冊も読めない。
 ディアーヌは学業こそ秀でているが、”男子が振り向かない”タイプ。容姿にも性的興味にも頓着しない。それに対してその親友のコラは少女の頃からマヌカンのような美貌で人目を引いていた。現在頭の大部分を占めているのがマチューという5歳年上の男との交際であり、長い間つきあっているにも関わらず、二人は別れたりくっついたりを繰り返している。マチューも美貌の男子で物腰にそつがなく、娘たちは黙っていても寄ってくるタイプだが、この美しいコラだけは他の女たちとは違う。自由にならない。だからこそ征服したい、モノにしたいというマッチョな欲望なのか。それを見せまいとしていい男を演じているのか。コラはそれを知っているからか、時々距離を取るのであるが、しばらくしてまた元のさやに戻る。その夏まで二人の性的関係は"前戯”どまりだった...。
 シモンはそんな二人の”兄貴分”で、両親からも他の子たちからも信頼される”いいやつ”で(そのことで弟のトマはずっと兄を嫉妬していた)、遊びごとのリーダーで、よろず相談役で、三人組の牽引者だった。だが、シモンはある夏、コラに”カミングアウト”し、そのことをディアーヌはコラを通して知る。コラはたぶんすんなりと受け取ったのだが、ディアーヌは少しモヤモヤしてしまう。だが三人組は変わらない...。
 新年度開始が近いある日、ディアーヌがプレパに入ったら(その軍隊式詰め込みカリキュラムのせいで)しばらくは三人で会うことができなくなる、今季最後の機会になるから、某パーティーに集まろう、シモンも来るから、とコラからの誘い。ディアーヌとコラは会場でいつものように暴飲して夜更けまでシモンを待っているが、シモンは遂に現れない。
 シモンの母セリーヌから電話。シモンが緊急入院し、昏睡状態に陥っている。午前3時、アルコール漬けの態で二人は病院に駆けつける。シモンは脳を侵す非常に稀なヴィールスに感染し、延命のためのさまざまな管をつけられて深い眠りに入っていて、その眠りはいつ醒めるのか医師たちは予測することができない。これが小説の19ページめまでのあらましである。

 この夏の終わりの大変動が若いディアーヌとコラをどのようにグジャグジャにしていったかというのがこの小説の主なテーマであるが、もう一人、二人とは次元の異なる大きなダメージを負ってしまったのがシモンの母のセリーヌである。この三人だけが病室のシモンを見つめる立会人であり、面会制限時間15分の間にそれぞれのシモンとの”対話”を試みる。それがいつまで続くのかは医師も含めて誰も知らない。
 セリーヌの”転落”はドラマティックである。シモンの入院の前奏のように、夫イーヴとの別離があった。元ジャーナリストで二人の子(シモンとトマ)の子育てのために現役を遠ざかっていたが、数年後その機会が来ても職復帰はできず、不定期ピジスト(フリーライター)の身に甘んじている。息子の災難を知った友人たちが、気晴らしにとパーティーに誘われるが、そこで言われる歯の浮くようなお見舞いの言葉の数々。フランス語ではこんな風には言わないが、日本語常套表現ならば「私にできることがあったら何でも言ってね」というアレ。「私にできることがあったら何でも言ってね」「私にできることがあったら何でも言ってね」「私にできることがあったら何でも言ってね」.... これは言われた方のムカツキを知ってのもの云いである。確信犯。張っ倒されたいんかオノレは。
 セリーヌは何も言わず、聞いたフリをして何も聞かず、ひたすら飲み続ける。何杯も何杯もとめどなく飲み続ける。家に帰っても飲み続ける。それしかないように飲み続ける。着衣のまま泥酔して床に倒れているセリーヌを介抱するのが(コレージュを終え、新学期にリセに入ったばかりの)次男トマである。兄シモンと比較されてあらゆる点で”見劣り”を感じていたトマは、乱れた姿の母を抱きかかえてベッドに運び寝かせる。これはたぶんシモンの役だったはず。母を支える人間が自分ひとりになってしまった。図らずもトマはこうしてシモンへのコンプレックスを克服していく。それぞれの”ポスト・シモン”はここでも始まっていく。

 コラはあの救急病院に駆けつけたあと、放心状態で未明のパリを彷徨いマチューのアパルトマンに辿り着き、極度のショックの癒しを求めたのか、マチューのところで眠りたかった。ところがマチューは泥酔・無抵抗のコラに、やっとこの機会が来たと言わんばかりに、”リラックスできる飲み物”を飲ませ...。これは男がそうではないと主張しようが明らかな同意なき性暴力であり強姦である。コラはこれを許さない。コラには前史があり、ペドフィリアの被害者だった。そのトラウマのせいで17歳になっても彼女が性関係を恐怖していた。長期の交際になったマチューにはいつかという気持ちがあったかもしれないが、マチューは無断で押し入った。しかもシモンの緊急時の日に。コラは絶対に許さない。P187 - 188、コラは赤々と燃えたぎるような憤怒の手紙を書いている。
「Je suis venue te dire que je te hais. 私はあんたが大嫌いだと言いに来た。今になって私はあんたが何ものかを知った。私はもう子供じゃないし、あんたのことをちゃんと認識した。あんたはもはや変なコブのついた奇妙な男なんかじゃなくて、哀れにも汚く犯罪的な変態でしかない。あんたに知らせてやる、覚えておいて、私はゾッとするほどあんたが大嫌いなんだと。あんたが私の体に無理矢理押し入った時に味わった私の痛みと同じ痛みをあんたにも味わせてやりたい。私が味わったように、汚され、裂かれ、自分自身でなくなってしまったような、吐くほどの罪悪感をあんたに味わせてやりたい。あんたの被害者たちのひとりで私よりも勇気ある女があんたを見つけ出して、あんたの竿(teub)を錆びたナイフで切りつけてくれたらいいと望んでいる。あんたはオシッコするたびにそこが焼けるように痛むのさ。あんたは血を吐けばいい。あんたは小学校の前を通ってモノが固くなって勃起したとたんに痛くなるのさ。あんたはもう二度と二度と二度とオルガスムを味わえなくなればいい。一生欲求不満で、痛み続け、苦しむのよ。愚かな間抜け野郎、あんたの臓器の腐敗はあんたが生きることの邪魔はするが、あんたは絶対に死なないんだ。私があんたが107歳まで生きることを望んでいるよ。107年の不幸が被さるように呪ってやる。あんたへの呪いが100倍になり、あんたの両腕は切り落とされ、あんたの肉体は焼かれ、あんたの内臓は引っ掻き回されればいい。私があんたの被害者だということを決して忘れないで。そしてこの判決文も。私のことをいつまでも覚えておいて。万が一あんたの間抜けなおつむが俺は改心したと思うようになっても、あんたがホームレスに2ユーロあげたり、あんたの祖母に絵ハガキを送ったりして、これで罪の償いをしたつもりになっても、それであんたがいい人間になったって思ったとしても、橋の下に川の水が流れるように、あんたが私にしたことは大したことじゃないって思うようになったとしても、私は絶対にあんたを許さないってことを永遠に覚えておいてほしい。私はあんたが長生きして孤独にボロボロになって死ねばいいと思ってることを絶対に忘れないで。」

この手紙を持ってマチューの住む建物へ行き、郵便受けに入れる寸前までいくのだが、結局この手紙はゴミ箱の中に消えていく。それが”大人”になることだろうか。こんな時シモンがいてくれたら何と助言するだろうか。コラはその怒りをそのまま保持して、精力的にSNSや文献で性暴力被害のことを読み漁り、フェミニズムに開眼していく。コラの”ポスト・シモン”は歩みはこうして踏み出される....。

 ディアーヌは死に物狂いで予習復習しなければついていけないプレパの授業には気もそぞろで、シモンの難病の医学的情報をネットで調べたり、覚醒恢復のごく少ない症例、どんな治療法が有効か、昏睡した脳を刺激するとされる音(音楽)や言葉をシモンの病室で繰り返し実験してみたり...、シモンのことで頭がいっぱいになっている。成績はどんどん落ちていき、小学校で学業を始めて以来ずっと超優等生を続けてきたディアーヌは(超難しいクラスであるとは言え)初めて劣等生に転落する。あまりにも近くにいて、これからも近くにいるはずだったシモンの突然の眠り、それは不在でも消滅でもなく病室に横たわって”存在”している。この”物体”と私は語り続けるが、それは同じ友情か?そして私は一体シモンのどこまでを知っているのか?私に見えないシモンがあったのは知っているが、それはもう知りえないものなのか?そんな時、(同じようにシモンのすべてを知らなかったことを気にかけている)母セリーヌがディアーヌに核心的な問いかけをする「シモンはゲイなの?」(merde, merde, merde... とディアーヌは内心で叫んでいる)。私とコラはそのことは知らされたが、シモンがその種の交際をしていたかどうかについては何も知らない...。
 そしてある日病室付きの看護婦から、ひとりの少年がシモンとの面会を求めてやってきたことを知らされる。この病人の面会には親権者(この場合母セリーヌ)の許可が必要なので、母親と連絡を取り許可を得てから来るように、と追い返されたという。ディアーヌはそれがシモンの”恋人”だと直感した。ここからディアーヌはSNS(主にFacebook)のシモンのアカウントの内容を徹底的に分析し、この少年の割出しを試みる。ここのパッセージ、推理小説のようにワクワクする。3桁はあるだろう”友だち”の中から、知り合った時期、登場回数、一緒に写っている写真のあるなし、イベントやさまざまな事象に共通して”ライク”しているかどうか、共通のイベントに参加しているかどうか、コメントの交換の頻度と”熱”具合... などを分析して、”ホシ”を絞り出していく。そしてその結果、マキシムという少年が浮かび上がり、ディアーヌはかなりの確信を持ってFBメッセンジャーでマキシムにシモンのことで会いたいとメッセージを送る....。
 「私の知らないシモン」がそこに現れた。知らないことだらけのままシモンを失うかもしれなかったディアーヌは、このことで少なからず救済されている。エモーショナル。

 小説の時間は9ヶ月。さまざまな管を繋がれ眠ったまま延命させられていたシモンは9ヶ月で息絶える。この9ヶ月間のシモンを見つめていた3人の女たち、ディアーヌ、コラ、セリーヌそれぞれの変身を描いた300ページである。ディアーヌはプレパを落第し、プレパなどというブルジョワ家庭のお決まり路線のように分別なく従ってしまったコースを捨て、これからは違う(自分のための)道に踏み出すということに全く後悔はない。コラはフェミニズム視線で世を見つめ直し、マヌカン紛いの人形であることをやめ、これまでと違う出会いの可能性を仄めかせる新しい生活が始まる。少女から大人へ、という括りだけではない大きな”成長”がある。シモンは死に、それを見つめ生き残った者たちはみな”新しく”なる。その生き残った者にはシモンの弟トム、セリーヌの夫イーヴ(セリーヌとよりを戻す)、シモンの”友”マキシムも含ませて、作者は小説を終えるのである。Les Vivants 生きている者たち、というタイトルは最後にとても合点のいくものになる。
 Z世代の小説であり、私のような老人にはとても読み取れないその世代の風俗文化リファレンスが多く登場し、読むのに大変苦労したが、その甲斐は大いにあった。大切な人間の死を見つめて生き残った人間にとって「生きる」とは越えること、越えなければならないことだったとあらためて教えられた。この作者は私の娘よりも若いのだった。

カストール爺の採点:★★★★☆

Ambre Chalumeau "Les Vivants"
Stock刊 2025年3月12日  297ページ 20,90ユーロ


(↓)アンブル・シャリュモーの(ファースト)プロモーションインタヴュー
テレビで鍛えられた人の饒舌という感じ。悪口じゃなくて。


(↓)南沙織「十七歳」(1971年)

2025年4月11日金曜日

母の歳月

 "Ma Mère, Dieu et Sylvie Vartan"
『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』


2025年フランス映画
監督:ケン・スコット
主演:レイラ・ベクティ、ジョナタン・コーエン、シルヴィー・ヴァルタン、ジョゼフィーヌ・ジャピィ
フランス公開:2025年3月19日

原作はロラン・ペレーズ(1961 -  、弁護士、ラジオ/テレビコメンテーター、作家)の2022年発表の自伝的小説『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』。この作者はメディアにかなり露出している言わば”タレント”なので、その成り上がり方を自己肯定するマユツバもののセルフストーリーと構えて見た方がいいのではあるが...。カナダ人監督のケン・スコットは2011年の大傑作『Starbuck(日本上映題"人生、ブラボー!”)』を撮った人。この監督は流石にうまい。
 その『Starbuck』と同じ頃、2010年『輝くものはすべて(Tout ce qui brille)』(ジェラルディーヌ・ナカッシュ監督)で一躍トップスターの仲間入り(セザール賞新人女優賞)を果たしたレイラ・ベクティ、今や大女優の観のある41歳であるが、この映画ではモロッコ系セファラード(ユダヤ人)の肝っ玉かあさんの役で、その30歳から85歳まで(!)を演じている。私生活で伴侶であるタハール・ラヒムが同じ頃の撮影でアズナヴールのバイオピック『ムッシュー・アズナヴール』(メーディ・イディール&グラン・コール・マラード監督)で、17歳から晩年までのアズナヴールを演じていて、二人で”歳のとり方”を研究し合っていたという裏話あり。
 さて映画は1960年代から始まる。モロッコからの移民労働者家族であるペレーズ家はパリ13区のHLM(公団低家賃住宅)に住んでいる。子沢山(全部で8人だそうだ)で八面六臂の采配で家事を切り盛りするエステール(演レイラ・ベクティ)と、何でも助け合う”となり組”の奥さん連中、勝手知ったる何とかでいつも家の中におばちゃんたちがいる光景、どこか昔の日本の下町人情長屋のような賑やかさがすごくいい。エステールの夫のマクルーフ(演リオネル・ドレー)は工場労働者で昼にこの空間にいないせいだけでなく、かなり影が薄い。夫の意見などほぼ無視して子たちの教育と家事一切をこなすスーパーかあちゃん。臨月だというのに直前まで家事で大忙しの姿に、早く産院へ行け!、とおばちゃんたちに諭されて、地下鉄で向かうが、その地下鉄の中で産気づいてしまう。コメディー映画ですから。そして分娩室で無事男児(ロランと命名)を出産したのだが、分娩医師は険しい顔で「この子は片足が奇形(pied-bot ピエボ=湾曲足)で一生歩けない」と。エステールは信じない。何とかしてこの子の足を治して歩かせてみせる、と。映画はこの前半が抜群に面白い。どんな医師に診てもらってもロランの足は治る見込みがゼロと言われ、それでもエステールは奇跡を求めてあらゆる神に祈祷し、呪い師、アフリカ治癒師、万病快癒聖者を求めて西から東へ駆けずり回る。母は挫けない。絶対的に信じている。神というのはそのためにあるのだから。
 しかし現実は奇跡とは遠く、ロランの幼児期は両腕による這い這いの移動しかできず狭いアパルトマンだけがこの子の世界。這い這いでも兄姉たちとやんちゃができる光景がいい。兄弟姉妹の連帯結束はすごい。母エステールのしつけの勝利。教育には絶対の自信がある。そんなこんなで時は経ち、ロランにも義務教育就学年齢がやってくる。エステールはこの子が障がいのせいで学校で辛い思いをするのを避けるため入学を拒否する。すると教育委員会の(怖〜い)指導員マダム・フルーリー(←写真、演ジャンヌ・バリバール)がやってきて、入学は義務であると迫る。母は学校と同等の学力は必ず家庭でつけさせる、と定期的な学力チェックを条件に登校免除を。このマダム・フルーリーも厳格であるが熱血教育者であり、足繁くペレーズ家にやってきてはなんとかエステールを挫かせロランを学校に入れさせようとする。このあたり、無学な移民おばさんの自己流教育に”共和国教育”が負けるわけがない、というややレイシスト気味の意地が見てとれるが、二人のやり合いは非常に面白い。
 ロランに読み書き/算数計算/一般常識を教えるエステールの教育メソードは、ロランが最も好きで最も興味があることを通してすれば頭に入る、というもの。確かにロランは聡明な子であり、それだけでなくその教育を実践するロランの兄姉たちも非常に聡明なのだった。では幼いロランが夢中になっているものは何か、と言うと、それはシルヴィー・ヴァルタン(!)なのだった。母はシルヴィー・ヴァルタンの全レコードをロランに買い与え、ヴァルタンの記事のある新聞雑誌すべてを取り寄せた。ロランの兄姉たちはそれらを使ってロランにヴァルタンヒット曲の歌詞の読み方書き方を教えたり、ゴシップ記事の意味を解説したり...。家中にヴァルタンの歌が鳴り響き、近所おばちゃんたちを含めて、みんながヴァルタンの歌を歌いロランの”勉強”を応援する。この”ヴァルタン教育法”は映画観る者たちをどれだけしあわせにさせるか。この部分は『Starbuck(人生ブラボー!)』を彷彿とさせるハッピーさなのですよ。
 それと前後してエステールは”ピエボ=湾曲足”を治せるかもしれないという矯正器具を開発したマダム・ベルジュポッシュ(演アンヌ・ル・ニ、この女優好き、プライヴェートではミュリエル・ロバンと同性婚)と邂逅。言わば”大リーグボール養成ギブス”のようなもので足に恒常的に変形力を加えるシステムで、これを24時間&数ヶ月装着していれば効果が表れる、と。長丁場の苦しい戦いなのだが、その苦しさからロランを救ってくれたのが大好きなシルヴィー・ヴァルタン、というわけ。ロランもペレーズ家のみんなも助っ人の隣家のおばちゃんたちもみんな頑張った。そして月日は経ち、ついにロランの足は治って立って歩けるようになる。この努力を端ですっと見ていた鬼の教育委員マダム・フルーリーは、エステールが息子に立派な学業を収めさせただけでなく、障がいを克服させたということを教育省に大称賛して報告し、その偉業は時の大統領(どういうわけかシラクになっている)からレジオン・ドヌール勲章を授かる、というところまで大ごとになるのである。あれもこれもすべてシルヴィー・ヴァルタンのおかげ。映画はここまでの前半が本当にしあわせで、feel-good movie かくあるべし、という見本のように展開する。
 後半はロランが大人になって(ここからロラン役を演じるのがジョナタン・コーエン)有能弁護士として成功していく話になるのだが、原作がそうだから仕方がないとしても主役/話者/映画の中心はロラン・ペレーズで、母エステールではない。奇跡のようにロランをここまで大きくしたという自負のある母には、ロランはいつまでも壊れもので保護監視の溺愛が必要だと思っているが、ロランにはそれが邪魔臭い。弁護士事務所を開設したはいいが、母が受付秘書その他なんでもしゃしゃり出てロランの独り立ちを妨げ、子供の頃にロランに奇跡をもたらしたように、大人になってもロランの大成功を”私が”もたらしてやる、というでしゃばりぶり。子離れの難しい親。子供の頃の徹底した”シルヴィー・ヴァルタン教育”のおかげで、大人になっても”生きたシルヴィー・ヴァルタン百科事典”のままであるロランは、意図せずもそのつながりが道をつくり、シルヴィー・ヴァルタン本人まで辿りついて、遂にはシルヴィー・ヴァルタンの顧問弁護士となってしまう。
 ここででしゃばり母ちゃんエステールは、一体誰のおかげで今日のロランの大成功があるのか、ということをシルヴィー・ヴァルタンに告げたくてたまらないのだ。だが、成り上がり弁護士のロランは、その過去(障がいのこと、”シルヴィー・ヴァルタン教育”のことなど)が世に知られたら、自分の今のポジションは吹っ飛んでしまうと恐怖している。私がシナリオも原作も含めてこの映画で納得がいかないのはここなのである。なぜロランにとってその過去は隠されなければならないのか。コメディー映画的進行ではあるとは言え、映画の後半は最愛の息子に更に”愛”を覆い被せようとする母と、それを体良く拒絶し、母の”愛”を圧殺しようとする息子の心理ドラマと化してしまう。前半のテンポの良さから一転して重くなっている。それはこの映画でロランの”リクツ”が勝ってしまっているからで、ロランの結婚とそれに続く子供誕生/家庭形成→妻の病死という自分史の浮き沈みのエピソードの影に老いた母エステールは出番を少なくしていく。
 母エステールがどうしてもシルヴィー・ヴァルタンに伝えたかったこと(手渡したかった手紙に書かれてある)、これが映画の収拾をつける鍵なのであるが、それを直接伝えることなく、母はこの世から去る。シルヴィー・ヴァルタンがペレーズ母子にとってどれほどの奇跡で、どれほどの神の慈愛であったか。母のその思いを踏みにじったままの状態で、ロランは母をあの世に見送ってしまった。ロランの悔いは限りない。
 その懺悔のようにロランはシルヴィー・ヴァルタンにすべてを打ち明ける。観音菩薩のような顔をしたシルヴィー・ヴァルタンは、エステールのしたことをこの世に残さなければ、とロランに告げる。こうしてロラン・ペレーズ著『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』というベストセラー本は生まれた、という結末。

 3月19日の封切以来、観客の入りは上々で、4月には動員数100万を突破した。レイラ・ベクティには、これが芸歴上最高の演技と言われる映画になるかもしれない。母は強く、母は奇跡的で、母は同時に悲しい。こういうテーマはコメディーであっても泣かせる。幼児から少年まで3人の子役によって演じられたロランの快演、マグレブ系ジューイッシュという戯画的な役柄ながら体当たりで30歳から85歳までを見事に演じきったレイラ・ベクティ、これには本当に頭が下がる。しかし上に書いたように、成人したロランが中心になる後半にはかなりモヤモヤしてしまったので....。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』予告編


(↓)1965年「レナウン・ワンサカ娘」(小林亜星作詞作曲)

シャル ウィ ダンス

←2023年3月3日、生徒に刺殺された妻・スペイン語教師アニェス・ラサルの遺影と棺の前で踊る夫・ステファヌ・ヴォワラン

ず、起こった事件について。2023年2月22日午前10時、南西フランス、ピレネー=アトランティック県サン・ジャン・ド・リューズ市の私立カトリック系リセ、サン・トマ・ダカン校の第二学年クラスのスペイン語の授業中に女性教師アニェス・ラサル(当時52歳)が、突然席を立って教壇に歩み寄ってきた男子生徒(当時16歳)に胸部を刃物で刺され死亡した。殺人の動機は明らかではないが、少年には精神的疾患(”物憑き”状態)があったとされている。フランス全土に衝撃を与えたこの殺人事件に続いて、被害者アニェス・ラサルの葬儀が3月3日、ビアリッツ市のサント・ウジェニー教会で執り行われたが、その模様を中継したテレビニュース番組が映し出したのは、棺の置かれた教会の前庭(これをフランス語では "parvis パルヴィ”という)で、ナット・キング・コールの歌に乗って踊るひとりのダークコート姿の紳士だった。透明人間を相手に見事な”ペアダンス”を披露するこの紳士が故アニェス・ラサルの伴侶ステファヌ・ヴォワランだった。(↓)そのYouTube映像。

ダンスで知り合った亡き妻への最後のオマージュをダンスで。このひとりステップを踏みターンをするダンサーの姿に、フランス全土が涙したのだった。
 ナット・キング・コールの"Je ne repartirai pas"は、ガンを病んでいた晩年の大歌手の生前最後の世界的ヒット"L.O.V.E"(1964年12月録音)のフランス語ヴァージョンであり、このフランス語のコーチをしたのが当時アメリカで活動していたリーヌ・ルノーだったと言われている。これは日本語版もあり坂本九や美空ひばりが歌っていたが、漣健児の日本語詞は「Lと書いたらLook at me. Oと続けてO.K.. Vはやさしい文字Very good. Eと結べば愛の字L-O-V-E. Loveは世界の言葉」となっている。ところがフランス語版はまるで違う。

Toi, qui n’as peut-être pas compris
きみはたぶんわかってなかったね
Quand je t'ai dit en quittant Paris
僕がパリを離れるときにきみに言ったこと
Je m'en vais le cœur lourd
僕は心を重くして去って行くけど
Mais je sais bien qu'un jour
その日が来たらすぐに
Dès que je le pourrais
きみの国に戻ってくるって
Dans ton pays je reviendrai
僕は信じているんだ
Toi qui ne m'avais rien répondu
きみは何も答えてくれなかったけど
Je sais que tu ne m'avais pas cru
きみは僕を信じてなかったと思うけど
Et pourtant me voilà
でもこうやって今僕はここにいる
Tu peux avoir confiance en moi
きみは僕を信用していいんだよ
Je ne repartirai pas
僕はもうどこにも行かない
Je ne repartirai pas
僕はもうどこにも行かない

全然ディメンションが違うのだ。この歌はここで亡き妻への愛のメッセージに見事に昇華してしまう。教会の前庭(パルヴィ)で姿のないきみと手を絡ませて踊る僕、約束したろう、ここに来るって、僕はもうどこにも行かない、僕はもうどこにも行かない.... Je ne repartirai pas....


 2025年4月3日、ジュリアン・クレールが最新アルバム”Une Vie”(5月23日リリース)の先行ファーストシングルとして”Les Parvis(パルヴィ)"と題された歌を発表した。亡き妻の遺影と棺を前に葬儀協会の前庭(パルヴィ)で踊る紳士のことを歌った歌である。エモーショナルなクレールの歌唱とポール・エコルの詞に心打たれた人のひとりが、喜劇俳優/脚本家/随筆家/時事コメンテーターのフランソワ・モレルだった。4月11日国営ラジオのフランスアンテール、朝のレギュラー時評でフランソワ・モレルは、このジュリアン・クレールの新曲を紹介した。3分間。この放送内容をそのまま日本語訳してみます。

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フランソワ・モレル
”Sur les parvis"


《 Il tourne, il tourne et il danse
くるくると彼は踊る
Sur les pavés du parvis
パルヴィの敷石の上で
Dans ses bras il tient l'absence
その腕に不在の女
Son bel amour qu'on a ravi... 》
天に召された最愛の女を抱いて


この世界を救えるものといったら何があるだろう? 詩? 歌? とっておきのメロディーに乗ったいくつかの選りすぐりの言葉? この雑音だらけの世界で、ひとつの声が立ちのぼり、それは人々を安堵させ、慰めてくれる。

今回の時評はおそらく最も馬鹿げたものとなろう。なにしろこの3分間の時評はある3分の歌についてのことなのだ。皆さんのおっしゃる通りだ。それについて御託を並べるよりも歌を聴く方がいいに決まっている。

《 Il tourne, il tourne
くるくると彼はターンする
Et c'est encore de la vie
これはまだ生きていることなんだ
Ayons parfois l'élégance
時としてパルヴィの上でくるくる廻る
De tournoyer sur les parvis 》
優雅さを持とうじゃないか


そしてそれは一大奮起と言えるし、尊厳さとも言え、私たちの中の最良のものを呼び起こしてくれる。

私はと言えば、たしかに皆さんののおっしゃる通り、私の貰うギャラを正当化するためにおしゃべりをしているに過ぎない。

この歌"Les Parvis(パルヴィ)"の歌詞はポール・エコルが書いた。エコル(学校)の言葉。クレール(聖職者)の旋律。この歌を作曲し、歌唱しているのはジュリアン・クレールである。

私はわれわれが17歳だった時のアイドルたちが80歳を迎えようとしていることを知った。時間はこの問題には関係がない。良いものは良いのだ。

この歌はわれわれすべてが共有しているひとつの過去の出来事について語っている。自分の生徒のひとりに殺されたスペイン語教師アニェス・ラサルの棺の前で、その伴侶ステファヌ・ヴォワランが踊り出したのだ。Je ne repartirai pas(僕はもうどこにも行かない)、ナット・キング・コールの歌のフランス語版に乗って。アニェスとステファヌはダンスで知り合った。踊ることによってしか男は女にさよならを言えなかったのだ。それはとても風変わりなことであり、とても衝撃的なことだった。この映像を見た者は誰一人としてそれを忘れることなどできない。詩的に突飛なことであり、生命を守るためのダンスであった。悪は決して勝つことなどないのだ、と言いたげな。踊るこの男の顔の表情に、その微笑みに、この女性と巡り逢えた喜びと同時にこの女性を失った無限の悲しみを読み取ることができたのだ。

《 Dans ses mouvements
彼の動きの中に
Tous deux se rejoignent
二人が重なり合う
L'espace d'un instant
この瞬間
C'est la vie qui gagne 》
生命は勝つのだ


確かに一曲の歌は世界を変えることなどできない。だが歌は世界を和らげ、勇気づけることもできるし、私たちに命の火を灯すよう働きかけたり、パルヴィの上で輪舞する優雅さを見出させたりもするのだ。

では私はもう黙り、皆さんに曲を聴いていただきましょう。


国営ラジオフランスアンテールの朝番「7−9」、2025年4月11日午前9時放送のフランソワ・モレルの時評は(↓)のリンクで聞くことができます。
https://www.radiofrance.fr/franceinter/podcasts/le-billet-de-francois-morel/le-billet-de-francois-morel-du-vendredi-11-avril-2025-8497404

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(↓)LOVEは世界のことば、とナット・キング・コールも歌っている。