2021年5月31日月曜日

太陽はもう輝かない

Oxmo Puccino "Les Réveilleurs de Soleil"
オクスモ・プッチーノ『太陽を目覚めさせる者たち』

クスモ・プッチーノ(本名アブドゥーライエ・ディアラ)は1974年セグー(マリ)に生れ、翌75年に母と共にパリ19区に移住している。以来、このいわゆる”難しい地区”(暴力、犯罪、ドラッグ...)と呼ばれるプラス・デ・フェット(Place des Fêtes)界隈で育ち、11歳でラップ/ヒップホップと出会い、13歳で既に自らラッパーとなっている。1990年代後半、文法や韻を無視する"フリースタイル”/”ハードコア”派のラッパー連合タイム・ボム(Time Bomb)(ピット・バカルディ、X-メン、リュナティック...)に参加。1998年タイム・ボムの解散後、ソロ・デビューアルバム『オペラ・プッチーノ(Opéra Puccino)』を発表、アルバムはじわじわと売れ始め、8年後の2006年にゴールドディスク(売上10万枚)を認定される。2001年、オクスモはジャック・ブレルの最後の録音曲のひとつ"L'Amour est mort"(1977年録音、2003年に"未発表曲"として初CD化)にインスパイアされたセカンドアルバム"L'Amour est mort"を発表。以前からそのシャンソンに近い叙情性とディクシオン(発話法、明晰な語り口)で評価を得ていたラッパーが、ここにきて「黒いジャック・ブレル」と異名をとるようになる。まあ、「黒いブレル」と呼ばれた人はいろいろあって、アブダル・マリックストロマエもそう言われることがある。マリ出身でグリオの家系ではないが、その賢者(あるいは知識人)的な佇まいやストーリーテリングの妙でグリオ的な評価もされている。しかし私にしてみれば、オクスモの一番の魅力はその深々と響く声であり、この声から発せられる明晰で詩情に満ちた言葉が多くの人の心を掴んでいるのだと思う。他ジャンルのアーチストたちからも呼ばれることが多く、バンジャマン・ビオレー、ベルナール・ラヴィリエ、サルヴァトーレ・アダモ、イブラヒム・マールーフ、デーモン・アルバーン(ゴリラズ)などと共演している。ヴィクトワール賞2回(2010年と13年)、2019年にはフランス文化芸術勲章を授与されている。とまあ、大変な大物になってしまった人であるが、一応私の最も好きなオクスモの曲のクリップ動画を貼っておきます。↓"365 jours(365日)"(2009年)


 オクスモ・プッチーノはこれまで3冊の本を発表している。詩集"Mines de cristal(水晶鉱)"(2009年)、ツィート選集"140 piles"(2014年)、ツアー随想記"Au fil du chant"(2019年)。そしてこれが初の小説というわけである。長い間構想はあったものの、 小説として発表しようというきっかけを作ってくれたのが、(同業ラッパーである)ガエル・ファイユの『小さな国』(2016年)だったという。それまでプッチーノは歌詞(ライム、パロール)と小説の違いについて考えたことがなく、同じようなものだと思っていたのだが、この『小さな国』を読んでその相違がはっきりとわかり、そのおかげで初めて小説を書きたいという欲望が湧き出た、と。試作のように短編をいくつか書き、人に見せずにそのままにしておいたが、 COVID19の外出制限(ツアーの中止)となって、暇つぶしの整理作業のうちに出てきたその短編の一編、これを外出制限の間に加筆してふくらませたのがこの作品。
C'est l'histoire de la rencontre de l'aube et du crépuscule qui se réunissent chaque matin et chaque soir par amour pour agrémenter le lever et le coucher du soleil.
これは日の出と日の入りを愛によって飾り付けるために毎朝毎夕現れる二人、曙と黄昏の出会いの物語。

 時は太陽がもう輝かなくなったポスト・アポカリプス記。主人公は13歳の少女ロジー、両親は既にこの世になく、祖父のエドモンと二人暮らし。野菜と薬草の元となる花や草を育てて暮らしていたが、太陽が出なくなってから植物の成長は止まり、エドモンの老体も不調となって咳き込んでばかり。世界一の大富豪ノエが太陽光を独り占めしたからに違いない、とエドモンは老体に鞭打って直談判を試みるが叶わず、体の不調をいよいよ深刻化していく。祖父の命を救わんとロジーは愛車(自転車)ハーレイにまたがり、ひとり敢然と太陽を再び昇らせるために旅に出る。その道程で出会うのは : 冷たい風を吹きまくる嫌われ者のクレピュスキュール(夕闇)、その心の恋人のオーブ(朝焼け)、世界一美しい女ヴェニュス、大ホラ吹きの有名人ファモス、魔術師の女イルラとその夫で猫のシンノ、幾多の星を漁網で釣り上げる漁師モモ、酔いどれギャンブラーで太陽の目覚まし番だったベラット....。
 『オズの魔法使い』、『不思議の国のアリス』、『星の王子さま』、一連のティム・バートン映画を想わせるファンタジーである。当ブログでもかなり高く評価していた(近作はそうでもない)マチアス・マルジウ(ディオニゾス)のファンタジー小説群と同じ傾向の"文学”と言えよう。絵本、BD、アニメになった方が本領を発揮しそうな"コント"(conte。日本で使われる"コント"とは異なる「物語」「架空の話」「お伽話」の意味)である。奇想天外な登場キャラ、魔術や超自然現象などがものを言う世界なのだ。言うまでもなくそこには絵空事ではない環境危機が寓意の中心となっているわけだが、物語で描かれる少女の旅路は求道的で哲学的である。ロジーは太陽を再び昇らせることができる(可能性のある)人を探して東奔西走するのだが、その出会いは多くのヒントを与えはするものの、その人は望みを叶えることはできない。次から次に消えていく望みの果てに、最後まで道連れとなったクレピュスキュールとオーブの友情に支えられて、最終的に「自分がやるしかない」、ロジー自身が太陽を探しあて連れ戻すしかない、と悟るのである。
 その道程は二十数年前19区のハードコア・ラッパー/機関銃 ライム射手だった男が、メタファーの魔術師と呼ばれ、暗黒叙情の語り部となり、黒いジャック・ブレルと異名をとり、ヴィクトワール賞、文化芸術勲章を授かるに至る道のりとパラレルなものであろう。環境危機に打ちのめされた世界にあって、こんなにもひとりの少女のポジティヴな行動に光を見出してしまっていいのか。これにはもっと説明と違うアクションが必要であろう。オクスモ・プッチーノは2020年のある日自分の拠り所であった音楽が消えてしまった時に"小説"を書き始めた。音楽とは違う表現を得たことで生き返ったと思っていて、この第一作のあとも書き続けたいと望んでいる。
 絵のないBD、画面が闇のアニメ映画のように読めるこの作品、決して読みやすい文体ではない。イマジナティヴなメタファーやユーモアはラップのように直感できるわけではない。私の読み方が下手なのか。もっとラップのような速度でぐんぐん読み進めばいいのか。日本語化たところで、その文体がどんなものかをわかっていただくわけにはいかないだろうが、少しだけためしてみよう。大ほら拭き(今の言葉ではインフルエンサーか)にして大スターであるファモスとの出会いが全く何の役にも立たなかったことに落胆し、消耗し、疲れ果て、眠りに落ちたロジーは、その落胆を慰めるようなカラフルな夢を見る:
(・・・・)彼女は大きく息を吸い、何も考えずに水に飛び込んだが、その入水はあまりにも優美で、海の青いシーツにまったく皺を寄せることはなかった。世界と空と夜から護られて、ロジーは呼吸する必要を全く感じることなく深みへと泳いでいき、四肢の動きは早まっていった。海底に近づき、まさに足をつけようとした時、海底の砂が渦巻き、もっと暗い海底の奥への入り口となって開き、彼女は降下を続け、肩の後方に見える海面は小さくおぼろげな発光点に変わっていった。彼女の前には金色のきらめきがクジラの歌声に合わせて踊っていた。
光に近づいていくにつれて、怖くも震えることもなくなり、ロジーは水が赤く染まっていくのを見ても驚かなかった。あたりは明るくなり、水は緑色に変わり、きらめきは遠ざかっていった。ロジーが腕と脚をバタバタさせると、水の色はまた変わった....。危険な跳躍をした時のように彼女の胃はキリキリ舞いをしたが、それでも彼女は水の底へと降り続け、海底にどんどん近づき、しまいに光の前で海底に足をつけた。その熱は猛烈で、まるでピザ焼きの窯の中のようで、魚たちは大急ぎで退散したが、ロジーは何も感じなかった。それは一種の歓迎の熱であり、彼女はその輝きと二人だけで対面し、その周りは漆黒の夜の闇だった。彼女は大きな水の流れの奥にあるのが祖父の姿だと思った。
ー おじいちゃん? ねえ、おじいちゃんなの? 私は太陽はただ休みが必要だっただけなんだと思うの。ママンみたいに眠ってしまうんじゃなくて、パパみたいにいなくなっちゃうんじゃなくて... 。パパは帰ってくるって、おじいちゃんもうずいぶん前から言わなくなったよね。
ロジーが祖父だと思って話しかけている光の球は何も答えない。
(p113〜115)

私は最後まで読んだが、この音楽アーチストの大ファンでこの本を買った人たちの多くは、最後まで読まずに脱落したのではないか、と思う。私にも『オズの魔法使い』やティム・バートン映画と比較して論じることなどかなり無理があるように思う。私にとってこれは"文学”ではない。音楽とライムの達人であっても万能ではないし、オクスモ・プッチーノは得意な領分でがんばってくれればいい、と思ってしまうのですよ。

Oxmo Puccino "Les Réveilleurs de Soleil"
JC Lattès刊 2021年5月19日  170ページ 19ユーロ

カストール爺の採点:★☆☆☆☆


(↓)2021年5月、初小説のプロモーションとして、読書体験、エクリチュールなどについて語るオクスモ・プッチーノ。


(↓)ウォーカー・ブラザース「太陽はもう輝かない」(1966年)

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