オデッセイ&オラクルはリヨンのサイケデリック/バロック系の4人組バンドでこれがサードアルバム。バンド名は60年代UKのサイケデリック/バロック・ポップのバンド、ザ・ゾンビーズのセカンドアルバム『オデッセイ・アンド・オラクル(Odessey and Oracle)』(1968年)から拝借しているが、このアルバムタイトルはジャケットアート制作者がスペルミスで正しくは"Odyssey"のところを"Odessey"としていて、この誤りを訂正することなくそのまま発売したという曰く付きの綴りを踏襲している。このゾンビーズのアルバムは「ふたりのシーズン(Time of the season)」(日本でも大ヒット、私は当時中学生でシングル盤を買った)というスマッシュヒットを含んでいただけでなく、サイケデリック/バロック・ポップの傑作アルバムとして後世まで高い評価を保って40周年盤も出ている。その盤は持っていないが、43年の時を経て今回初めて全曲をYouTubeで聴いた。チェンバロ、オルガン、メロトロン、(ビーチボーイズ流)コーラスハーモニー、音階起伏と音符が多めの対位法作編曲、エフェクト、なんとアーティーで格調高くカラフルな音楽であろうか。多くの後進たちに多大な影響を与えたであろう。そのひとつがこのリヨンの4人組であったというわけか。名前までいただいて。
さてリヨンのオデッセイ&オラクルが40数年前の先達と大きく違うとすれば、女性2人+男性2人のバンドであり、バンドのフロントとなっているのはファニー・レリティエというブロンド女性である。バンドの好き嫌いは99%この女性のヴォーカルで決定されるだろう。メンバーと担当を記しておこう。
ファニー・レリティエ(Fanny L'Héritier):ヴォーカル、エレピ、アナログキーボード
アリス・ボードワン(Alice Baudoin) : チェンバロ、ポジティヴオルガン、リコーダー、バロック・オーボエ
ギヨーム・メドニ(Guillaume Médoni):ギター、バンジョー、ベース、アナログシンセサイザー
ロメオ・モンテロ(Roméo Monteiro) : パーカッション
作詞作曲は全曲ファニーとギヨームの手になるもの。バロック楽器と60年代から80年代のヴィンテージ電子楽器を用いる。四の五の言わず、百聞は一聴に如かず、この新アルバム冒頭の曲を聴けば、どんなバンドかわかる。(↓)"Chercher maman(ママンを探しに)"
で、この「ママンを探しに」という曲の(コロナ期の録画なので観客なし)ライヴ動画(↓)がYouTubeに載っていて、このバンドが実際に複数のヴィンテージシンセを駆使して、ギヨームのギター(いい味出てる)とコーラスを絡ませてバロックアンサンブルになっている様子がわかる。私はこの動画見て、絶対このバンド見てみたいと猛烈に思った。
新作『クロコラマ』は11トラック41分のアルバムであるが、ファニーとギヨームのソングライティングの多彩さに驚かされる。(バロック)ソフトロック(5曲め"Le manège")、(バロック)サンバ(4曲め"Mascara")、(バロック)フォーク(7曲め"Antoine Rouge")、(バロック)ミュージカル映画風(8曲め"Les enfants")、(バロック)古楽ロック(10曲"Ferdinand L'Albigeois")...。それはファニーのヴォーカルの資質によるところだろうが、楽譜に忠実に難しい起伏の音階を歌い切るフラットな歌唱はある種童謡的でもアニメ的でもある。これは往年のNHK「みんなのうた」(60/70年代)に時々はさみこまれた(だいたいがアニメに彩られていた)「わかりやすい前衛」的なクリエイティヴな佳曲の数々に似ている。ちょっと難しめで高尚なことを、ソフトにユーモアを込めて、決してアグレッシヴになることなく、まる〜い音楽にしてしまう芸当。
アルバムタイトル曲「クロコラマ」は、素晴らしいアニメのクリップと共に発表されたが、今日のウルトラリベラル資本主義の寡占階級をワニに喩えて、童謡のように子供たちにもわかるように世界を牛耳る超金持ちたちの悪行の数々を歌う歌であるが、数種のアナログシンセサイザーで表現されるワニたちの所業が聞きもの。
歌詞「クロコラマ」(↓)
クロコたちがまた悪巧みの箱を取り出したぞ
悪どい策謀の貯蔵庫だ
飽食経済に目をギラギラさせ
クロコたちが猛威をふるう
広告看板のうしろで待ち伏せし
クロコたちは易々と人々の頭脳と時間を盗み
それを大株主たちの利益のために転売する
クロコたちは億万長者
儲かる商売には頭をペコペコ下げ
オレンジの果肉を小分け鮮度包装で売り
労働者たちをまんまと騙してゼニ稼ぎ
満腹するドラゴンたち
ただの湧水をプラスチック瓶につめて売り
その金を戦略的メディアに投資する
あらゆるニューステレビ局のおかげでクロコはメディア映え
実利に長けたクロコたちだ
クロコたちは海の底を傷つけるために歯をギラギラに研ぐ
その快挙に高笑いし、両顎を高く突き上げる
もっと富を増やすためにクロコたちは血生臭い計画を立てる
クロコたちは未来を先取り
クロコたちは子供たちを殺してワニ皮バッグを作る
税金を払わないための抜け穴もある
バハマ諸島でクルーズ遊び
クロコたちはマフィア野郎
クロコたちは身内の敵たちも見逃さないが
世の偉大な独裁者たちとは仲良しなんだ
大地はズタズタ、労働者たちはボロボロ
クロコは大虐殺者
このまま進めば近いうちにクロコの世は滅びる
人間たちは権利を取り戻す
古い世界を葬る屍衣を人民は縫い上げる
クロコよ、覚悟しておけ
この曲の他にもう1曲ヴィデオクリップと共に発表されたのが3曲め「私はまどろみ(Je suis l'endormie)」。このモノクロで時代っぽく加工されたクリップはファニー・レリティエ自身がひとりヒロインとして出演している。シリアスな映像とストーリーであることはわかると思う。病院あるいは鉄条網で囲まれた収容所を裸足で脱走してきた女という図。私はミレーヌ・ファルメールのデビュー曲"Maman a tort"(1984年)の病院を想ったし、ミレーヌ・ファルメールという芸名のもととなったアメリカ女優フランシス・ファーマー(1913 - 1970)の受けた極端な精神病治療法のことを想った。
歌詞「私はまどろみ」(↓)
私はまどろみ
病室のベッドの上
午前の睡り
私の耳には静寂
私の目には風呂の水
私が飲み込むのは無意味私はパンティーをはき
体には古代の膏薬が塗られる
一滴のシャンパーニュ ― なんて私はバカなの
エレベーターの音が聞こえる
看護師の腕 ― 怖いわ
停電 ― もう時間なのね
蔦のコルセットで
体を締めつけられ
私のまぶたを縫いつける
私を別人に変えるやり方を
あの人たちはよく知っている
光を奪われ
私の紐はほどけていき
私の体は軽くなる
光を奪われ
私を別人に変えるやり方を
あの人たちはよく知っている
サイケデリックにして病的な歌であるが、おそらくこのアルバムのベストトラックと思われる。しかしアルバムはこの曲だけではない。たくさんの人に発見していただきたいバンドである。かなり力をこめて応援している。
<<< トラックリスト >>>
1. Chercher Maman
6. Crocorama
8. Les Enfants
9. Mélodie 1
CD/LP/Digital Another Record & Dur et Doux
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)2020年5月、フランスのコ禍ロックダウン中に、Radio Nova のために"遠隔録音/録画”したオデッセイ&オラクル「私はワニを見た(J'ai vu un croco)」
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