Michel Houellebecq "CONFIGURATION DU DERNIER RIVAGE"
2013年夏に刊行されたミッシェル・ウーエルベックの詩集です。出た当時、民放TVカナル・プリュスの風刺報道番組「プチ・ジュルナル」がこの詩集を取り上げて、パリ・ゼニットのブーバ(今日のフランスで、ラ・フイーヌと並んで絶大な人気のあるラップ/ヒップホップ・アーチストです)のコンサートに詰めかけたファンたちに、このウーエルベックの4行の詩を見せます。
Tu te crois séduidante
Avec ta jupe en skaï
Et tu fais la méchante
Comme dans une pub Kookaï
おまえは合皮のスカート履いて
魅力的だと鼻高々
そしてクーカイのCMの女のように
悪さをするんだ
まあ、私の訳ではどんなニュアンスで伝わるか不安ですが、これは蓮っ葉で賢くなくてお金もなくてセクシーであることだけは負けたくない、そういう女の子をかなり侮蔑的に書いてるんですね。これを見た子たちはみんなこれがブーバのライムだと思って、悪くないね、ブーバらしくて暴力的だね、なんて論評するのです。それがウーエルベックの詩だと知らされて、「うそだね、これはブーバだね」と信じない者や、「あの野郎ブーバをコピーしやがって」なんて反応をします。笑えます。(↓それがこのヴィデオです)
Ils commentent du Houellebecq en pensant que c... par Gentside
それはそれ。ウーエルベックは初の小説『闘争領域の拡大』(1994年)よりも詩集(1988年と1992年)が先に刊行されていた人で、これまでに詩集は6冊発表されています。また小説の中に詩を挿み込むということはよくやっていました。『ある島の可能性』 (2005年)の最後に出て来る詩は、カルラ・ブルーニ=サルコジが曲をつけて "la possiblité d'une île"というタイトル(アルバム"Comme si de rien n'était" 2008年)で歌われています。また2000年にベルトラン・ビュルガラのトリカテル・レーベルから、ビュルガラ作のサウンドトラックに乗せて自作詩を朗読するアルバム"Présence Humaine"も発表しています。
で、2014年の4月にリリース予定になっているジャン=ルイ・オーベール(ex テレフォヌ)の 8枚めのソロアルバム"Les Parage du Vide"(虚無の周辺)が、この最新詩集『最後の岸辺の地形』の詩篇を抜粋して、オーベールが曲をつけて歌った、言わば「オーベール、ウーエルベックを歌う」というしろものなのです。ウーエルベック自身も参加しています。オーベールは良いと思ったことが余り無いので、全然フォローしておりませんでしたが、今回はちゃんと聞こうと思ってます。
とかく、厭世的で鬱病的で終末的で人間嫌い/女嫌いで... みたいなことが強調されて語られる作家・詩人です。しかし、今から4日前の爺ブログに追記で貼付けたジャン=ルイ・オーベールのヴィデオ・クリップ "Isolement"を見た時に、そのオーベール曲の分かりやすさだけではなく、ウーエルベック詩だってある種ストレートなおセンチさが強烈に感じられたのです。で、遅ればせながら、昨日この詩集を買って、読みすすめていくうちに、冒頭に紹介したようなブーバのファンたちにも受け入れられるようなパロールがいっぱいあるのだ、ということがわかったのです。
題名『最後の岸辺の地形』はウーエルベック調の「構え」を持ってますし、たどり着く「最後の岸辺」というのは、われわれ日本人庶民の感覚では三途の川の向こう岸であり、その「地形」とは賽の河原の風景のことなのだ、とうすうす見抜いています。
最初のアカシアが咲く頃 Au temps des premiers acacias
冷たく、ほとんど鉛色の太陽が Un soleil froid, presque livide
マドリードを弱々しく照らしていた Eclairait faiblement Madrid
その時 俺の命は分離していった Lorsque ma vie se dissocia.
マドリードか。この人はいたるところに賽の河原を見てしまうのでしょう。自らの死を疑似体験している時、どこにいようが周りの景色は賽の河原ですよね(なんとなく寺山修司的なインスピレーションで書いてますよね、わし)。
ボードレール、ロートレアモン、セリーヌ、ショーペンハウアー... などなどの名前を出してウーエルベックの詩を論じるなどという芸当は私にはできませんし、そんな必要を全く感じさせないようなポップさ、センチメンタリズム、非定型な自暴自棄をわかりやすく表現した詩句だと思って読みました。ブーバを聞く子たちの読み方が正解なんですよ。
あとで版元フラマリオン社から削除を求められるかもしれませんが、無許可で2篇を和訳してみます。
ISOLEMENT (隔離)
私はどこにいるのか?
あなたは誰なのか?
私はここで何をしているのか?
いろんなところへ連れて行っておくれ、
ここじゃないいろんなところへ
かつて私だったすべてのことを
忘れさせておくれ
私の過去を新たに作り直しておくれ、
夜に意味を与えておくれ。
太陽を作り直しておくれ
平静な夜明けを
私は眠くない、
私はあなたに接吻したい
あなたは私の友だちなのか?
答えておくれ、答えて。
私はどこにいるのか?
いたるところに火が燃えている
私はもう音が聞こえない
私は多分狂人になったのだ。
私は体を横にしなければならない
そして少し眠らなければならない
私の両目を洗浄することを
試した方がいいかもしれない
私が誰なのか教えておくれ
私の両目を見つめておくれ
あなたは私の友だちなのか?
私を幸せにしてくれるのか?
夜は終わっていない
そして夜は火となって燃えている
天国はどこにあるのか?
神々はどこに行ってしまったのか?
NOVEMBRE (11月)
私は河のほとりのカフェにやってきた
少し年老い、少し無感覚になって
私は新築のホテルの部屋でよく眠れなかった
私は体を休められなかった
午後の安らぎの中で
多くの二人連れや子供たちが一緒に歩いている
おまえによく似た少女たちの姿もある
娘としての第一歩を歩み始めた頃の
光の中に私はおまえの姿を見てとる
太陽の愛撫に包まれて
おまえは私に命のすべてと
その不思議の数々を与えてくれた
静寂に包まれて
おまえが眠っている公園に私はやってきた
空が落ちてきて、その空はバラで覆いつくされた
そして私はおまえの不在に苦しむ
私の肌に押し付けられるおまえの肌を感じている
私はそれを憶えている、私はそれを憶えている
そしてすべてが元通りに戻ってきてくれたら
どんなにいいだろうか、と望んでいる
和訳はBクラスですけどね、ここに二重三重の意味なんかない、と思いますよ。ありがたがって読む人たちは、どういう解釈をしようと言うのでしょうか。
カストール爺の採点:★☆☆☆☆
MICHEL HOUELLEBECQ "CONFIGURATION DU DERNIER RIVAGE"
Flamarion 刊 2013年4月 100ページ 15ユーロ
(↓2013年4月17日、詩集『最後の岸辺の地形』についてBFM-TV リュト・エルクリエフのインタヴューに答えるミッシェル・ウーエルベック)
Michel Houellebecq: l’invité de Ruth Elkrief... par BFMTV
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