2014年3月16日日曜日

渇いていた男

ユベール・マンガレリ『渇いていた男』
Hubert Mingarelli "L'homme qui avait soif"
 
 太平洋戦争の激戦のひとつで「ペリリュー島の戦い」というのがあります。玉砕の島です。日本軍1万1千兵と米軍2万8千兵による、1944年9月から2ヶ月強をかけて戦った攻防戦です。この小説ではその玉砕戦のディテールは紹介されていません。米軍が2週間もあれば簡単に制圧されるであろうと考えていたマリアナ諸島のひとつの小島は、日本軍が2ヶ月以上も凌いで防戦したのです。ほぼ全軍の1万人の日本兵が戦死しました。
 小説は1946年の日本が舞台です。ヒサオはこのペリリューの戦いの生き残りです。ヒサオは花巻から汽車に乗り、婚約者シゲコのいる北海道へ向かうはずでした。婚約の贈り物として翡翠の玉を旅行鞄に入れて、ヒサオは汽車に乗り込みますが、強烈な喉の乾きに襲われて汽車を降り、駅の水飲み場で水を飲んでいる間に、汽車はヒサオを置き去りにして発車してしまいます。翡翠の玉の入った旅行鞄は汽車の物置き棚に載ったまま。
 ヒサオは自分の失態が許しがたく、この汽車を走って追いかけて、旅行鞄を取り戻して、シゲコへの求婚の旅を続けようとします。米軍占領下、食べるものも何もかもが欠乏していて、人々の心もすさんでいた頃、このヒサオのドジは絶対的にリベンジ不可能である、と誰もが思います。まず徒歩(走りもしますが)で汽車に追いつくこと、そして旅行鞄が誰にも盗まれることなく回収できるということ、どちらもありえないことです。それでもヒサオはそれを遂行するしかない。
 小説はロードムーヴィーのように進行します。花巻から秋田へ、秋田から青森へ。走ったり、歩いたり、トラックに乗せてもらったりの旅で、ヒサオはさまざまな人々と出会います。心開いてくれる人などいない。敵か味方かわからない、親切なのか下心があるのかわからない、そんな人たちとの交流は言葉少ない東北人のそれで、最後まで猜疑心をぬぐい去れない。しかし、そんな人たちの間を泳いでいくことによって、ボロボロになりながらもヒサオは食べるものにもありつき、やがて青森の駅までたどり着くことができるのです。
 ヒサオにはペリリュー島の戦友でタケシという男がいました。父も母も知らぬタケシはヒサオだけが友であり、ヒサオはタケシの歌作りの才能を高く買っていて、タケシの歌は戦地でのヒサオの唯一の慰めでした。タケシの創作歌というのはこんな歌:二人が2本のロウソクを盗んで隠した、いつか二人は隠した場所に戻り、そのうち何本なくなっているのか確かめる....。ペリリュー島の岩山を日本軍はつるはしで掘っていって、いくつも回廊でつながれた秘密要塞を作ろうとするのです。上陸してくる米海兵隊と、最後までこの要塞で戦うつもりなのです。ヒサオやタケシたち一兵卒は来る日も来る日もつるはしで山の洞窟を掘り続けなければならない。ロウソクの光だけが頼り。掘り続ければ山の海側に突き抜けるのだろうか。誰も知らない。その時にタケシはこんな歌を歌う。本とは全然関係ないけれど、私はここで「ひょっこりひょうたん島」の海賊の宝探しのナゾナゾ・ソングを思い出したのです。「バビロンまでは何センチ」海賊たちはロウソクの長さ何センチが燃えてなくなるまでで距離を測ったという謎掛け歌でした。しかし、小説の中の歌は謎のままです。一体この掘る先に貫通はあるのか、米軍は上陸するのか、戦闘はあるのか、誰も知らずに兵士たちは掘り続けている。
 小説は戦後(1946年)のヒサオの青森までの闇雲な徒歩の旅と、戦中のペリリュー島の山の中での洞窟堀りが交互に現れて進行します。どちらも先が見えない進行です。ペリリュー島の生き残り帰還兵だったヒサオは、その戦争のトラウマとして、喉が渇くと自分のコントロールが全く利かなくなるという体質に変わっています。小説冒頭での汽車乗り遅れもそれが原因で、その渇きの発作はいつくるのかわからないのです。戦地から引き揚げて下宿したタイマキ夫人のところでは、タイマキ夫人は何も言わないけれど、毎夜眠ってからヒサオが悪夢で一晩中叫びっぱなしである、という自覚症状があるのです。婚約者のシゲコは、この発作や夜の叫びに堪えきれるだろうか?
 問題はそれよりも、どうやって汽車の網棚に置き忘れた旅行鞄(とりわけ婚約の贈り物である翡翠の玉)を取り戻すかです。敗戦で人の心が荒んでいた時代、進駐軍兵に怯えていた時代、ものがなかった時代といったことをこの小説は説明しません。説明のしようもなくこの状況はカフカ的で不条理です。ヒサオはナイーヴにも自分の不祥事を人に説明しようとしますが、誰一人として理解しないということが前もって決まり事になっているような世界が目の前にあります。誰も自分ひとりのことでそれどころではない。遺失物(しかも貴重品が入っている)などなくなって当たり前。予め絶望のある「青森行き」をヒサオは敢行します。予め絶望があったペリリュー島でも洞窟堀りのように。
 出会う人たちはみな口の重い東北の男たち。ヤクザか流れ者か、ものを取るために乱暴を働くものもいれば、秋田の浜の焚き火で採れたばかりの鯛を焼いて見ず知らずの男たちと分け合って食べる一団もあります。なんでできたのかわからないアルコールを回し飲みします。純朴素朴な一期一会なのか、行きずりの友情か、もののない時代の知恵でやっとこさ喰って生きているの触れ合い。(そのうちの二人、コムロとケイスケの間に同性愛的傾向あり)。秋田から青森の間、砂利トラックに乗せてくれたミヤケは、ひとりの小さな男の子を連れている。死んだ兄の子だがそれを機会あるごとにその母親に会わせるために青森に行く。その母子の再会は抱擁することもなく、一緒にものを食べることもなく、数分のにらめっこで終わる。そのためにミヤケは往復一昼夜のトラック運転をするのです。ミヤケもどうしてこんなことをしなければならないのかわからない。はっきりせずに何をしていいのかわからない人間ばかりなのです。
 主要道路と言えども道は穴ぼこだらけで、ミヤケのトラックは穴ぼこを避けきれず、ぼんぼんバウンドして進みます。その穴ぼこには昨夜の雨の水が溜っています。ヒサオは渇きの発作が起こり、ミヤケのトラックを止めて、一目散でその水たまりの水を飲み干します。ミヤケはそれをどうしてとも聞かない。
 米軍の砲撃にあい、ヒサオとタケシが掘っていた洞窟は閉ざされ、一緒に働いていた兵士たちは全員死んでいます、タケシは負傷し、発熱していますが、歌を歌い続けます。ヒサオは闇の中でつるはしと 鑿岩杭出口を探そうとします。渇きは襲ってきて、闇の中で手探りで死んだ兵士たちの持っていた水筒を探し当てては、それでタケシと共に渇きをしのぎます。その極端な渇きの末にタケシは死に、山を転げ落ちて、樹水や雨水や谷水やあらゆる水を採りながら行く宛てもなく逃げて行く先に、米兵の姿があります。
 あれやこれやで青森駅についたヒサオは駅員に遺失物が届いていないか尋ねます。そんなものはない。確かめたかったら車両清掃係のクロキに聞いてみろ。女のクロキは貨物車をバラック代わりにして住んでいます。ヒサオはここに旅行鞄は絶対あるはず、という確信があります。クロキのなしのつぶての返事に、ヒサオは逆上し、力ずくでクロキの貨車バラックに入り込み、旅行鞄を見つけ出し、強引に奪っていきます。小説の筋で行くと、一種のクライマックスなんですが、筆致は淡々としていて、当然あるべきヒサオのうれしさは描かれず、絶望も希望もある種無感動な事件になってしまいます。
 おしまいは青函連絡船です。生への希望を取り戻したような道程なのに、ヒサオはどんどん情緒が欠落していきます。シゲコのことは近づいているのに遠のいていっているような。そして、船上でひとりの米兵を見かけます。ヒサオはその一面識もない米兵にこみあげてくる憤怒の念が抑えられなくなっていくのです....。

 ユベール・マンガレリは1956年ロレーヌ地方生れの作家です。17歳で海軍に志願し、3年の間水兵として大西洋、太平洋を巡り、海軍をやめてからもヨーロッパを放浪、フランスに帰ってさまざまな職業に着きながら、1989年から小説を発表。2003年に『四人の兵士』(日本語訳出版あり) でメディシス賞を受賞。日本語では『おわりの雪』(2004年)、『しずかに流れるみどりの川』(2005年)、そして『四人の兵士』(2008年)がそれぞれ白水社から出版されていて、いずれも訳は田久保麻理氏。だから、この『渇いていた男』も日本で出版される可能性ありましょうね。日本を舞台にした小説ですし。
 著者が日本に住んでいたか、あるいは日本で取材したかどうかはわかりません。それなのに、出て来る日本人たちは、無口な上に何かを秘めたような重いペルソナージュばかりで、簡単に読み込めません。時代がそうだからかもしれないけれど、島尾敏雄の小説やつげ義春の漫画を想わせる、全体的な仄暗さ(モノクロトーン)が、私のようなそんな戦後を体験しなかった、やや後に生まれた人間が上の世代の人間から聞かされていたその時代の暗さとシンクロする説得力があります。

カストール爺の採点:★★★☆☆
 
Hubert Mingarelli "L'homme qui avait soif"
STOCK社刊 2014年1月 156ページ 16ユーロ



 

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