2008年11月9日日曜日

笑ってはいけないもの



 Jean-Louis Fournier "Où on va, papa?"
 ジャン=ルイ・フルニエ『どこに行くの、パパ?』


 「障害を持った子の死はさほど悲しいことではないなどと思い込んではいけない。それは普通の子の死と同じほどに悲しいものだ。生涯一度も幸せだったことのない子供の死、苦しむことだけのためにこの世に産み落とされた子供の死は残酷なものだ。その子の死は、その笑顔の思い出すら残すことができないのだ」(P.90)

 ジャン=ルイ・フルニエ(1938 - )はそれまでお笑い系の人でした。テレビ番組制作者、コメディー脚本家、コント作家などで、黒い笑い、黄色い笑いを含めたあらゆる笑いの提供者でした。またタブーを知らぬ黒いユーモアで知られた希代のボードヴィリアン、ピエール・デプロージュ(1938-1988)の演目の共同作家でもありました。どういう笑いかと言うと、例えば1998年の作品『神の履歴書』では、失業した神様が再就職探しに苦労する話です。その中で面接で人事部長がその履歴書を見て、どうしてあなたは「老い」をお創りになったのですか?と聞きます。すると神は「人間は醜くなったりリューマチが出て来たりした時に死ぬほうが、きれいで健康なままで死ぬよりもいいでしょう」とその創造を正当化します。フルニエによると、老いとはいつに始まるかと言うと、日焼けしていても醜くなったら、それは老いたということなのです。
 そういうふうに老人や、神や、宗教や、外国人や、一風変わった人たちを揶揄してユーモアで包んで笑わせるというのがフルニエのアートでした。ギ・ブドス、ハラキリ誌やシャルリー・エブド紙、カナル・プリュスの「ギニョール」などとも近い、あらゆるものを揶揄して笑いものにする側の人間です。笑いにタブーはないのか,本当に何を笑ってもいいのか,というのがこの人たちについて回る「笑いの限界」の問題です。非ユダヤ人がユダヤ人を笑うこと,非アラブ人がアラブ人を笑うこと,非黒人が黒人を笑うこと,健康人が病人を笑うこと...ここにリミットを設けようとするのが,「良識」であり,「道徳」であり,社会的秩序を壊してはならないとする権力の意志でもあります。
 この国には去年から,笑われることも揶揄されることも極端に嫌う大統領がいます。にも関わらず,大統領を笑いものにするお笑い芸はテレビやラジオに溢れていて,無法地帯であるインターネット上は言うまでもありません。それに対してこれまでも数件の訴訟を立てて大統領は自分への不敬を罰しようとしています。これがある日あらゆる大統領への不敬を禁止する法律となったらどうでしょう? 笑いの限界を「国」が決められることになったらどうでしょう? - ある種の笑いを作っている芸人やコント作者たちは,そういう限界を定められることを拒否して,命をかけて笑いを守ろうとする戦士でもあります。端的な例がコリューシュ(1944-1986)でした。
 さてフルニエの本です。フルニエですから条件反射的に読者は「今度はどうやって笑わせてもらえるのだろうか」という期待があります。70歳を迎えようとするフルニエは,これまで公にしていなかったことを初めて書きました。これは今まで書けなかったのです。まったく笑うことができない生々しい現実であったからです。

 愛するマチュー,
 愛するトマ,
 おまえたちが小さかった時,クリスマスに私は何度かおまえたちに本(例えば「タンタン」)を贈りたいという誘惑にかられた。そして読んだらおまえたちと一緒にその本について語り合いたいと。私は「タンタン」をとてもよく知っている。私はその全巻を何度も読んだんだから。
 私は一度もそうすることができなかった。それは無駄なことだから。おまえたちは読むことを知らなかったし,おまえたちは一生読むことができないのだから。


 二人の息子への手紙のかたちでこの本は始まります。150頁のこの書はフルニエが持った二人の重症障害児の息子への断章集です。これは「障害児と共に生きる」といった愛と感動のリポートの類いの書物ではありません。「彼らと共にある時,天使のような忍耐力が必要だが,私は天使ではない」とフルニエは書きます。また彼らのおかげで,フルニエは普通の子の親たちが持つ勉強・進学・将来の職業への心配苦労を味あわずに済んだ,というような苦し紛れで負け惜しみの苦いユーモアが随所に現れます。
 新生児に障害があることはすぐにはわかりません。ある日成長が遅れているのではないか,と気づき,その遅れは大したことではないのか,それとも重大なことなのかの判断にも時間がかかります。身体的に障害があるとわかっても,脳の方は大丈夫だから,と言われ,またしばらく時間が経って,いろいろな病院の検査の末,ある日勇気ある医師が「身体的な障害と精神的な障害」を最終的に宣告します。1962年に生まれた長男マチューでこのドラマを体験したフルニエは,妻が次に妊娠した時に,二度同じことがあるわけがない,と信じ込みますが,1964年に生まれたトマは同じように障害のある子だったのです。
 その極端に苦渋に満ちたユーモアは,それを「この世の終わり」のようなショックと言うのですが,フルニエの「この世」は二回も終末を迎えてしまったわけです。
 インタヴューの中でフルニエは「パトス(悲壮,感の極み)を避けること」を肝に銘じて書いたと言います。この二人の不幸な子を前に,親の溢れる愛情は毎日川のような涙を流す,というシーンはありません。しかし,そのやり場のない悲しみと憤怒は,一度だけ激情となって,二人の息子を車のバックシートに置いたまま,ウィスキー1本を飲み干して目を閉じてアクセル全開で突っ走りたい,という衝動があったことも吐露されます。
 ハンディキャップとは何か,障害とは何か。ノーマルであることとノーマルでないこと。フツーであることとフツーでないこと。フルニエは省察します。自分はガキの時分からフツーであることが大嫌いだった。人と違う目立ったことをし,人と違うということが自慢だった。そういう親の子として,人と全く違う子で生まれたわが息子たちを,どうして自分は祝福してやれないのか。
 フルニエの想像は,この地球の上で限りなく不幸なこの二人の子供は,もしかしたらどこか他の天体ではフツーに生きられるのではないか,と考えたりします。またこの子たちは羽をもがれた鳥であり,羽さえあれば空と調和して生きられるのではないか,とも。
 あまり良い父親の姿はありません。呼吸し,時々ぎゃあぎゃあわめくだけのこわれもの人形のように世間から見られている二人の息子の前で,何もできずに立ち尽くすしかない男です。親の気も知らないで,と舌打ちすることもあります。
 「どこへ行くの,パパ?」というたったひと言のフランス語しか言えない息子です。Où on va? 私たちはどこに行くのか? 僕たちはどこへ行くのか,教えてパパ。父親は家に行くと答えたり,海に行くと答えたり,障害者施設に行くと答えたりしますが,子供はその答なんか関心がないのです。この子たちにも父親にもこの問いの答はないのです。
 ヴァカンスで海へ行きます。トマは海が嫌いです。それを知りながら話者は無理矢理浜辺まで車いすを押して行きます。トマは困惑の極みで,こう叫びます「ウンチ!ウンチ!」,こう言えば父親は方向転換をしてくれるはずだと思ったのでしょう。フルニエはこのことに驚くべき発見をします。トマはうそをつくことを知っている,と。

 この150頁は不可能かもしれない父親と重障害児の息子二人の魂の交流です。斜に構え,皮肉っぽいポーズもありますが,揶揄はもっぱら「ノーマル」とされている世界の側に向けられます。そして「ノーマル」と思っていた自分自身への揶揄でもあります。泣笑いの本です。読む者がこの本で笑う部分も少なくありませんが,それはこの子たちと一緒に奇妙な「ノーマル社会」とその一員であるフルニエを笑うことです。
 もしもおまえたちがノーマルだったら - この仮定に託されたフルニエの蓄積された思いは,あれもできたかもしれない,これもできたかもしれないの末に,やっぱり不幸かもしれないと無理矢理に結語しようとするのです。おまえたちがノーマルだったら,障害児の親になるかもしれないじゃないか,と。
 結論はありません。この二つの魂と共に生きた父親の記録があるだけです。よく選ばれた言葉で,時おり詩的に,時おり散文的に,ノーマルと非ノーマル世界を行ったり来たりする旅行記のような趣きもあります。ノーマルな人間は深く揺さぶられてください。


 2008年度フェミナ賞受賞作品
 Jean-Louis Fournier "Où on va, papa?"
 (Stock刊 2008年9月。156頁。15ユーロ)



 

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