2008年7月13日日曜日

今夜は徹底的にノヴォ!



 エキスポ・カタログ『デ・ジュヌ・ジャン・モデルヌ / フランスにおけるポスト・パンク、コールドウェイヴ、ノヴォ・カルチャー 1978-1983』
 Collectif "Des jeunes gens Mödernes - Post-Punk, Cold Wave et Culture Novö en France 1978-1983"


 このエキスポは2008年4月3日から5月17日まで、レ・アールのアニエス・Bギャラリーで開かれていました。爺は行っていません。と言うか、こんなエキスポがあったことなど知らなかったのです。町と情報から遠いところに生きている証拠です。レ・アールなどもう何年も足を踏み入れていない世界なのでした。
 70年代半ば、レ・アールにはすでにマルク・ゼルマティの「オープン・マーケット」、ミッシェル・エステバンとリジー・メルシエ・デクルーの「ハリー・カヴァー」といった店があって、Tシャツやファンジンや自主制作レコードが流通していました。フランスで後に教祖的なロック・クリティックとなるイヴ・アドリアンは、ROCK & FOLK誌1973年1月号に"JE CHANTE LE ROCK ELECTRIQUE"(電気ロック讃)と題するマニフェスト的な記事を書き、MC5、イギーとストージーズ、フレーミン・グルーヴィーズなどを称賛し、その中で「PUNK, c'est l'orgasme électrique, le satori dirty(パンク、それは電気のオーガズム、ダーティーな悟りである」と宣言してしまったのです。一種の「われパンクを発見せり」ですね。
 その後ロンドンから「ノー・フューチャー」というパンクの死の宣告がやってきます。それは68年5月と同じように革命的で短命で、とりわけ社会的な事件でした。無産階級のアナーキーな運動に似ていました。度を越して増幅された音と度を越したスピードで演ぜられるこの音楽がひとつの規格となった時にパンクは革命ではなくなりましたし、元々革命に期待していなかった中産階級は次なるものをすぐに欲したのです。
 中産階級は「ノー・フューチャー」というスローガンに自分たちを結びつけることができなかった。やっぱり未来は好きなんだもんね、というテレビ世代のヴィジョンがあります。あの頃「当座の未来」は機械であり、テクノロジーであり、原子力でした。米ソのミサイルがいつ飛んできてもおかしくない脅威もありました。冷たいマシーンと友だちにならなければ、生き残れないような危機感もありました。
 われらがロック・クリティック、イヴ・アドリアンはパンク後の氷河時代の到来を見てROCK & FOLK誌1978年2月号に長稿を投じ、"AFTERPUNK"(アフターパンク)というコンセプトで説明します。まじに体でぶつかりあっていたパンクが終わり、アフターパンクはゲームである、と言います。それは自分と離れたゲームのコマ、アイコン、ヴァーチャルな代理自我が、画面上で生や愛を表現する、機械的/ロボット的なロマンティシズムとなり、実像よりも虚構を好む、テレビ世代のリアリティーとなります。音楽的には「アフターパンクは1977年に生まれている。オルファン(イヴ・アドリアンの代理自我的なフィクション上のヒーロー)が認める4枚のアルバム:クラフトワーク『トランス・ユーロップ・エクスプレス』、デヴィッド・ボウィー『ロウ』、イギー・ポップ『愚者』、デヴィッド・ボウィー『ヒーローズ』の中にアフターパンクは生まれた。鉄の色をした4枚のポートレートであり、ドイツの指導下に作られ、情熱ではなくインテリジェンスに従属した4枚のモダン・アルバムである」とアドリアンは断言します。
 アドリアンはこのようにボロボロで肉体的なパンクと惜別して、冷たいダンディズムのふるまいでアフターパンクを構想し、1980年にはさらにマジックミラーの内側的で、都市内隠遁者的で、スタイリッシュな虚構に閉塞的な未来を見ていく「Novö ノヴォ」というコンセプトを提出します。
 アドリアンの兄貴分的に、同じような耽美的で冷たいダンディズムをふりまいていたのが、リベラシオン紙の「アンダーグラウンド担当」ジャーナリスト、アラン・パカディ(1949-1986)です。それに加えてパンクバンド「アスファルト・ジャングル」のリーダー/ヴォーカリストで、Best誌(Rock & Folkより後発ですが、当時のフランスの2大ロック誌のひとつ)で論陣を張ることになるパトリック・ウードリーヌが混じり、フランスの「(パンク/ニューウェイヴ)ロック・クリティック三筆」を形成するようになります。
 こういう論客と、新聞雑誌メディア(Rock & Folk, Liberation, Best)と、レ・アールの数々のブティックが連動して、70年代末から80年代前半にかけて、短髪でクリーンで近未来的で機械的なポップ・ムーヴメントが展開されます。特徴的なのはグラフィズムやデザインが音楽のコンセプトと最初から合体しているような、デザイン性の高さです。ジャン=バチスト・モンディーノ、ピエール&ジル、グラフィック集団のバズーカなどが、このムーヴメントのヴィジュアル面を支え、特殊な審美性を醸し出します。このグラフィズムのヌーヴェル・ヴァーグはファクトリー・レコードや4ADと同時進行的に起こったものですが、そのエステティズムの極致のようなレーベルがノルマンディー地方に1978年に設立されたソーディド・センチメンタルSordide Sentimentalで、スロビング・グリッスル、ジョイ・ディヴィジョン、サイキックTV、ドゥルッティ・コラムなどが独特のパッケージングで発表されています。
 スティンキー・トイズ(後のエリ&ジャクノ)、エレクトリック・カラス、マリー&レ・ギャルソン、マルキ・ド・サド、タクシー・ガール、カス・プロダクト、リタ・ミツコ...。これらの音楽はフランスのメディアやメジャーレコード会社に黙殺されながらも、スタイリッシュなクオリティーを保ちながら地下シーンを沸かせていました。ニューローズ、セルロイド、スカイドッグ、ZEレコード、ドリアン、マヌカンといった独立レーベルがこれらのアーチストたちのレコードを出し、Rock & Folk誌ではジャン=エリック・ペランがそのシーンを「Frenchy But Chic(フレンチー・バット・シック)」という定期コラムを張ってバックアップしていました。また79年に再刊されたフランスを代表するカウンター・カルチャー雑誌アクチュエルは、このフランスの新しいアーチストたちを "Des jeunes gens modernes"(モダンな若い衆)と揶揄的に呼んだのでした。

 その30年後の回顧展が、あの当時レ・アールでその評価を確定的にしたファッション・デザイナーであったアニエス・Bの音頭取りで開かれたというわけです。このカタログはバズーカを初めとした当時のアンダーグラウンドなグラフィズムがたくさん載っていますが、私にとって最も興味深かったのは、イヴ・アドリアンとアラン・パカディという二人のロック・クリティック・ダンディーの冷たくもあり、悪ガキっぽくもある、妙なるロマンティスムによるロック批評に多くが割かれていることでした。キーワードはやはり「ノヴォ Novö」なのです。二つめの[o]の上のウムラウト[¨]にこだわってます。ドイツ接近、または東側接近に80年代的モダンの意味を持たせようとしているのでしょう。さっそくアドリアン/パカディの著作を読んでみようという気になりました。
 
 エキスポのプロモーション・ヴィデオのようなドキュメンタリーをデイリーモーションで見つけました。『The Art Pack - Des jeunes gens mödernes』。実に惜しいエキスポを見逃したものです。

 (←)またNaiveから同エキスポの2枚組コンピレーションCD"Des jeunes gens mödernes"(Marie & les Garcons, Norma Loy, Charles de Goal, Taxi Girl, Masoch, Kas Product, Tanit, Electric Callas, Casino Music, Suicide Romeo, Marquis de Sade, Etienne Daho, Lizzy Mercier Descloux, Modern Guy, Elli & Jacno, Tokow Boys....)も出ています。未聴です。なんとしてでも聞かねば。

 Collectif "Des jeunes gens mödernes"
(Naive/Galerie du Jour Agnès B。2008年5月。192頁。39ユーロ)

3 件のコメント:

かっち。 さんのコメント...

あまりにもツボな内容で参りました。
固有名詞だけで、御飯が3杯食べられます。
一番グっと来た名前がソルディデ・サンティマンタル。

さなえもん さんのコメント...

サイキックTV、ドゥルッティ・コラム

懐かしいす。去年のFUJIROCKに
ドゥルッティ・コラムが出るはずがドタキャン。
ヴィニ・ライリー体調不良のため。
さもありなん。

Pere Castor さんのコメント...

お二人ともコメントありがとうございます。
ただ,その辺(ジョイ・ディヴィジョン,ドゥルッティ・コラム....)のノスタルジーとは何の関係もないエキスポなんだから,関心をそこに集中されるのも困ったものである。
キーワードは「ノヴォ」。ここへの興味に切り替えてください。
イヴ・アドリアンによるとこの言葉は近鉄バッファローズの投手からインスパイアされたのです。(ウソです)。
実際は,アドリアンがパリ滞在中のイギー・ポップを取材に行ったら,そのホテルが NOVOTELという名前だった,ということに由来します。NOVOTELというのはフランス最大のホテルチェーン Accordの持つ,三ツ星クラスのアメリカン・スタイル無機質箱型ホテルで,フランスに数多くありますが,大体が市街地中心部から遠いところにあります。近未来的でロボット的でミラー的で氷河的な雰囲気のホテルです。こういうのが郊外に林立しているのを見た時,アドリアンは「これこそノヴォなり」と喝破したのでした。
私もこのホテルチェーンのことは知っていました。団体観光客が多く,欧州大陸各地からバスツアーで来る人たちがよく使うホテルでした。おのぼりさんたちが泊まるホテルなので「ノボテル」と呼ばれているのだ,と思っていました。