"Disco”
『ディスコ』
2008年フランス映画
監督:ファビアン・オンテニエント監督
主演:フランク・デュボスク、エマニュエル・ベアール、ジェラール・ドパルデュー、アニー・コルディー、リオネル・アベランスキー
ル・アーヴルはかつて北大西洋航路(Transatlantique トランスアトランティック、通称 Transat トランザット)の港町として、欧州と合衆国を結ぶ豪華客船の出帰航地でたいへん栄えておりました。また欧州海運の拠点としてフランスではマルセイユに次ぐ陸揚げ量を誇っていました。第二次大戦時にノルマンディー上陸作戦で壊滅的な打撃を受けたのち、戦後オーギュスト・ペレの設計によって再建された20世紀建築の町並みは、2005年にユネスコ世界遺産として登録されましたが、これには賛否両論があり、この直線的でコンクリートな町風景は、ソヴィエト・ロシアをも想わせるものがあります。私には美しいもののようには見えません。
同じフランスの港町なのに、マルセイユとル・アーヴルではどうしてこんなに違うのか。日照量の多さの違いは圧倒的です。ノルマンディーはいつ行っても雨が降っています。あちらは対岸が北アフリカであるのに、こちらは対岸が大ブリテン島です。マルセイユはフランス人にとって強烈なイメージのある唯一無二の個性ある町ですが、ル・アーヴルなど一生に一度もその名前を聞かずとも済んでしまうでしょう。フットボールのチーム(HAC)も弱いですし。
ジャック・ドミーは港町を舞台にした映画が3本あります。シェルブール(の雨傘)、ロッシュフォール(の恋人たち)、ナント(都会のひと部屋)です。この『ディスコ』という映画はこのドミー映画にたくさんのリファレンスを持っている作品です。雨降る町シェルブール→ル・アーヴル(同じノルマンディーですから当り前か)、クラシック・バレエ教室(ロッシュフォールではドヌーヴ先生。こちらはベアール先生)、港祭(ロッシュフォール)→海浜野外ステージ(ディスコダンスコンテスト)、造船所ストライキ(都会のひと部屋)→港湾ストライキ(ディスコ)...。リスペクト! そして映画の出だしなんか、ル・アーヴルの町の全景が海からと空からのパノラマ画像で、「ウェストサイド物語」も想わせたりします。
『アステリックス(のオリンピック)』、『シュティ(北の人々)』の爆発的ヒットに続いて、またもや(低俗)フランス喜劇映画かいな、と多くの映画評論家たちは嘆きました。おまけにこれに便乗するディスコ・ミュージック再評価の商戦(CD/DVD/テレビ特番、ナイトクラブ、ヴァカンスクラブ...)もありまして、識者たちはかなり冷ややかなコメントをあちらでも、こちらでも...。
70年代末から80年代前半、爺たちはディスコに行っていました。その名が示すように "Discothèque"はフランス語起源です。レコード庫です。生バンドではなくレコードをかけて音楽を楽しむところに始まり、それで踊れるスペースができちゃったわけです。言葉だけではなく、ディスコ黎明期は米国ブラック・ミュージックの中でそれと知られずにフランスが大きく幅を利かせていた時期でもあります。ヴィレッジ・ピープル、セローヌ、パトリック・エルナンデス...。フランスでは地方でもすごかったのです。地方ですごいことができるというのは、バンドでなくてレコードだからなのです。レコードといいスピーカーとミラーボールがあればよかったのです。この雰囲気を既に1994年に懐古的に表現したヒット曲が I AM (アイアム)の "Je danse le Mia"でした。ディスコダンス・コンテストが毎週開かれて、景品にアメリカ煙草1カートンなんていう時代でありました。
ル・アーヴルの町で、あの時代に大繁盛していたディスコ「ジン・フィズ」が、2008年再開店します。オーナーは地方ショービズ界のドン、ジャン=フランソワ・ジャクソン(いい名前だなあ。ここではマルタン・シルキュスMartin Circus の元ドラマーということになってます。演ジェラール・ドパルデュー)で、開店の打ち上げ花火として「ジンフィズ・アカデミー」と称するダンス・コンテストを催し、優勝者の景品はオーストラリア旅行です。ディディエ・グランドルジュ(フランク・デュボスク)は40歳の失業者で、別れたイギリス人女性との間にひとりの息子がいます。イギリスに住む息子は毎年ヴァカンスにはディディエと過ごすことにしているのに、息子の母親は文無しの状態であるディディエに息子は任せられないとヴァカンス中止が宣告されます。息子恋しさに奮起したディディエは、かつて地方のディスコダンスコンテストを総なめにしていた3人のダンスチーム「ビーキングス Bee Kings」を再結成し、「ジンフィズ・アカデミー」で優勝して、息子と二人でオーストラリアへ、と企てます。ディディエ・グランドルジュは、かつてのステージネーム、ディディエ・トラヴォルタを再襲名し、40歳でなまった体を鍛え直すべく、クラシック・バレエ学校の門を叩きます。そのコーチとなるのが、大富豪の娘でダンス教師、3年前に恋人を海で失った美貌の女性、フランス・ナヴァール(これもものすごく可笑しい名前。France Navarre。理由は爺が書いたフランスとナヴァールを見よ。演エマニュエル・ベアール)なのです。大規模家電販売店Dartyの販売員と、ストライキ中のル・アーヴル港湾労働者組合の委員長と、失業者ディディエの3人チーム「ビーキングス」は果たして「ジンフィズ・アカデミー」に優勝できるでしょうか....。
これねえ、爺は楽しみましたねえ。まず、ル・アーヴルという個性がない上に雨の降る町ね、おまけにこの映画ではほとんど若者が登場しないのです。中高年と老人と労働者しかいないような町。それで、若者たちを全く無視したような音楽、ディスコですよ。若い人にはわかりっこないギャグ。例えば「俺はボニー・Mのドラマーが死んだ時に、もう踊るのはやめようと決めたんだ」...って、ボニー・Mにドラマーなんかいないっちゅうに。爺はほとんど感動しましたねえ。
浜辺のディスコダンス・コンテストの時に、司会が実名出演のダニエル・ジルベール(70年代ジスカール・デスタン時代にテレビ界で最も人気のあった女性司会者で、81年ミッテラン大統領誕生以来テレビから姿を消していて、"ジスカールのテレビ”を象徴する人物です)で、数十年前のテレビタレントが田舎で司会業をまだ続けているという自虐パロディーみたいな図でした。それからこれも実名出演の70年代の長髪ナルシスト歌手フランシス・ラランヌが出てきて、ディスコ大会の特別ゲストに呼ばれようとしたところ、ドパルデューに「こいつはあんまりディスコじゃない」と言われて、「そうとも僕はあんまりディスコじゃないんだ、でもきみたちに会えてよかった。ありがとう」とナルシスティックに歌いながらル・アーヴルの倉庫街を去って行くシーンなんか、可笑しすぎて死ぬ思いでした。
驚いたことにディディエ・トラヴォルタとフランス・ナヴァールは純愛で、ちゃんとした接吻すらもしないで、結局「階級の違い」で結ばれずに別れていくんですね。これ、この種のコメディ映画ではほとんど不条理ですよ。この予定調和なし、というのもディスコっぽい感じがします。(何を言おうとしてるんですか?)
この「階級の違い」の現実にショックを受けたディディエが、家電量販店DARTYの小型バンのハンドルを握って、涙ながらにノルマンディー大橋を疾走するシーンの美しさよ、あの橋の風景は本当に美しい、これはフランス地方映画の醍醐味ですね。
おバカな映画に違いありません。爺が覚えている頃のディスコって、みんなおバカな踊りで、アース・ウィンド&ファイア、クール&ザ・ギャング、シャラマール、シック...みんな素敵なビート音楽で、自然に体が120BPMになったもんでした。若い人たちの間に「ディスコ復活」はして欲しくないですね。ずっと爺たちのものにしてとっておきたい、そんな「文化」ですね。「サタデーナイトって金曜日の夜のことじゃないの?」と不思議がる若い人たちだっていますでしょうに。
(↓)映画『ディスコ』予告編
『ディスコ』
2008年フランス映画
監督:ファビアン・オンテニエント監督
主演:フランク・デュボスク、エマニュエル・ベアール、ジェラール・ドパルデュー、アニー・コルディー、リオネル・アベランスキー
ル・アーヴルはかつて北大西洋航路(Transatlantique トランスアトランティック、通称 Transat トランザット)の港町として、欧州と合衆国を結ぶ豪華客船の出帰航地でたいへん栄えておりました。また欧州海運の拠点としてフランスではマルセイユに次ぐ陸揚げ量を誇っていました。第二次大戦時にノルマンディー上陸作戦で壊滅的な打撃を受けたのち、戦後オーギュスト・ペレの設計によって再建された20世紀建築の町並みは、2005年にユネスコ世界遺産として登録されましたが、これには賛否両論があり、この直線的でコンクリートな町風景は、ソヴィエト・ロシアをも想わせるものがあります。私には美しいもののようには見えません。
同じフランスの港町なのに、マルセイユとル・アーヴルではどうしてこんなに違うのか。日照量の多さの違いは圧倒的です。ノルマンディーはいつ行っても雨が降っています。あちらは対岸が北アフリカであるのに、こちらは対岸が大ブリテン島です。マルセイユはフランス人にとって強烈なイメージのある唯一無二の個性ある町ですが、ル・アーヴルなど一生に一度もその名前を聞かずとも済んでしまうでしょう。フットボールのチーム(HAC)も弱いですし。
ジャック・ドミーは港町を舞台にした映画が3本あります。シェルブール(の雨傘)、ロッシュフォール(の恋人たち)、ナント(都会のひと部屋)です。この『ディスコ』という映画はこのドミー映画にたくさんのリファレンスを持っている作品です。雨降る町シェルブール→ル・アーヴル(同じノルマンディーですから当り前か)、クラシック・バレエ教室(ロッシュフォールではドヌーヴ先生。こちらはベアール先生)、港祭(ロッシュフォール)→海浜野外ステージ(ディスコダンスコンテスト)、造船所ストライキ(都会のひと部屋)→港湾ストライキ(ディスコ)...。リスペクト! そして映画の出だしなんか、ル・アーヴルの町の全景が海からと空からのパノラマ画像で、「ウェストサイド物語」も想わせたりします。
『アステリックス(のオリンピック)』、『シュティ(北の人々)』の爆発的ヒットに続いて、またもや(低俗)フランス喜劇映画かいな、と多くの映画評論家たちは嘆きました。おまけにこれに便乗するディスコ・ミュージック再評価の商戦(CD/DVD/テレビ特番、ナイトクラブ、ヴァカンスクラブ...)もありまして、識者たちはかなり冷ややかなコメントをあちらでも、こちらでも...。
70年代末から80年代前半、爺たちはディスコに行っていました。その名が示すように "Discothèque"はフランス語起源です。レコード庫です。生バンドではなくレコードをかけて音楽を楽しむところに始まり、それで踊れるスペースができちゃったわけです。言葉だけではなく、ディスコ黎明期は米国ブラック・ミュージックの中でそれと知られずにフランスが大きく幅を利かせていた時期でもあります。ヴィレッジ・ピープル、セローヌ、パトリック・エルナンデス...。フランスでは地方でもすごかったのです。地方ですごいことができるというのは、バンドでなくてレコードだからなのです。レコードといいスピーカーとミラーボールがあればよかったのです。この雰囲気を既に1994年に懐古的に表現したヒット曲が I AM (アイアム)の "Je danse le Mia"でした。ディスコダンス・コンテストが毎週開かれて、景品にアメリカ煙草1カートンなんていう時代でありました。
ル・アーヴルの町で、あの時代に大繁盛していたディスコ「ジン・フィズ」が、2008年再開店します。オーナーは地方ショービズ界のドン、ジャン=フランソワ・ジャクソン(いい名前だなあ。ここではマルタン・シルキュスMartin Circus の元ドラマーということになってます。演ジェラール・ドパルデュー)で、開店の打ち上げ花火として「ジンフィズ・アカデミー」と称するダンス・コンテストを催し、優勝者の景品はオーストラリア旅行です。ディディエ・グランドルジュ(フランク・デュボスク)は40歳の失業者で、別れたイギリス人女性との間にひとりの息子がいます。イギリスに住む息子は毎年ヴァカンスにはディディエと過ごすことにしているのに、息子の母親は文無しの状態であるディディエに息子は任せられないとヴァカンス中止が宣告されます。息子恋しさに奮起したディディエは、かつて地方のディスコダンスコンテストを総なめにしていた3人のダンスチーム「ビーキングス Bee Kings」を再結成し、「ジンフィズ・アカデミー」で優勝して、息子と二人でオーストラリアへ、と企てます。ディディエ・グランドルジュは、かつてのステージネーム、ディディエ・トラヴォルタを再襲名し、40歳でなまった体を鍛え直すべく、クラシック・バレエ学校の門を叩きます。そのコーチとなるのが、大富豪の娘でダンス教師、3年前に恋人を海で失った美貌の女性、フランス・ナヴァール(これもものすごく可笑しい名前。France Navarre。理由は爺が書いたフランスとナヴァールを見よ。演エマニュエル・ベアール)なのです。大規模家電販売店Dartyの販売員と、ストライキ中のル・アーヴル港湾労働者組合の委員長と、失業者ディディエの3人チーム「ビーキングス」は果たして「ジンフィズ・アカデミー」に優勝できるでしょうか....。
これねえ、爺は楽しみましたねえ。まず、ル・アーヴルという個性がない上に雨の降る町ね、おまけにこの映画ではほとんど若者が登場しないのです。中高年と老人と労働者しかいないような町。それで、若者たちを全く無視したような音楽、ディスコですよ。若い人にはわかりっこないギャグ。例えば「俺はボニー・Mのドラマーが死んだ時に、もう踊るのはやめようと決めたんだ」...って、ボニー・Mにドラマーなんかいないっちゅうに。爺はほとんど感動しましたねえ。
浜辺のディスコダンス・コンテストの時に、司会が実名出演のダニエル・ジルベール(70年代ジスカール・デスタン時代にテレビ界で最も人気のあった女性司会者で、81年ミッテラン大統領誕生以来テレビから姿を消していて、"ジスカールのテレビ”を象徴する人物です)で、数十年前のテレビタレントが田舎で司会業をまだ続けているという自虐パロディーみたいな図でした。それからこれも実名出演の70年代の長髪ナルシスト歌手フランシス・ラランヌが出てきて、ディスコ大会の特別ゲストに呼ばれようとしたところ、ドパルデューに「こいつはあんまりディスコじゃない」と言われて、「そうとも僕はあんまりディスコじゃないんだ、でもきみたちに会えてよかった。ありがとう」とナルシスティックに歌いながらル・アーヴルの倉庫街を去って行くシーンなんか、可笑しすぎて死ぬ思いでした。
驚いたことにディディエ・トラヴォルタとフランス・ナヴァールは純愛で、ちゃんとした接吻すらもしないで、結局「階級の違い」で結ばれずに別れていくんですね。これ、この種のコメディ映画ではほとんど不条理ですよ。この予定調和なし、というのもディスコっぽい感じがします。(何を言おうとしてるんですか?)
この「階級の違い」の現実にショックを受けたディディエが、家電量販店DARTYの小型バンのハンドルを握って、涙ながらにノルマンディー大橋を疾走するシーンの美しさよ、あの橋の風景は本当に美しい、これはフランス地方映画の醍醐味ですね。
おバカな映画に違いありません。爺が覚えている頃のディスコって、みんなおバカな踊りで、アース・ウィンド&ファイア、クール&ザ・ギャング、シャラマール、シック...みんな素敵なビート音楽で、自然に体が120BPMになったもんでした。若い人たちの間に「ディスコ復活」はして欲しくないですね。ずっと爺たちのものにしてとっておきたい、そんな「文化」ですね。「サタデーナイトって金曜日の夜のことじゃないの?」と不思議がる若い人たちだっていますでしょうに。
(↓)映画『ディスコ』予告編
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
PS 1:
某ファンサイト管理人さんがコメント欄でおっしゃってた『港町シャンソン』のジャケです。(←写真をクリックすると拡大します)。
日本コロムビアのDENONレーベルから1970年にリリースされました。グループ名は「原田信夫とザ・キャラクターズ」。おそらく一番左が原田信夫さんでしょう。女性の人は宝塚出身だそうで,そういう目鼻立ちをしていますよね。歌の横文字題にご注目ください。"CHANSON DU PORT"とあります。阿久悠さんじきじきの仏語訳でしょうか?『港の歌』となると戦前の国民唱歌の「空も港も夜は晴れて,月に数増す舟の影,はしけの通いにぎやかに,寄せ来る波も黄金なり」という,港が昼夜関係なく繁盛していた大海運貿易時代を思わせる歌がありました。ル・アーヴル,マルセイユ,ヨコハマ,コーベ...みんな同じだったのでしょう。
ついでに伴奏楽団名にもご注目ください。シャルル・オンブル楽団 CHARLES OMBRE ET SON ORCHESTREとなっています。これを見た当時の人たちは,ま,おフランスのオーケストラ!と思ったかもしれまっせん。シャルル・オンブルという楽団指揮者は一体どんな人なんでしょう? インターネットで一通り検索してみましたが,答はありまっせん。日本コロムビアから出ているアーチストのバックや,ヒット曲インストカヴァー,イージーリスニングの再カヴァーなどのレコードがシャルル・オンブル楽団名義で出ています。おそらく,日本コロムビアの専属スタジオ楽団なんだと思うんですが,「日本コロムビアオーケストラ」という正規楽団の影に隠れた覆面楽団なのではないか,つまり,固定した楽団メンバーなどなくて,そのセッションの日の都合で日雇いで集まってくる凄腕スタジオ・ミュージシャンの集まりではないか,などと勝手に予想したりしています。因みに「オンブル OMBRE」というのは「影」を意味するフランス語ですから。影の楽団,ザ・シャドウズ,みたいなもんじゃないか,と。
4 件のコメント:
度々すみません・・・
記事のタイトルに惹かれて出てきてしまいました。これって「港町シャンソン」ですよね(^^)。阿久悠さんの初期の作品だったように思います。”どこにもあるような男と女”というフレーズを意味も知らずに子供の頃歌ってました(笑)。
映画に直接関係ない話題ですみません。ところでディスコと言えば私は、シルバー・コンベンションを何故か思い出したりします。確かドイツ、G・モロダー系だったような・・・??ではまた。
某ファンサイト管理人さん,
コメントありがとうございます。「港町シャンソン」は,振りがついてましたよね。どこかに映像があるのではないか,と昨日一所懸命探したのですが,見つかりませんでした。
ディスコとは時代が違うけれど,この歌,なにか『ロッシュフォールの恋人たち』を和製ムードコーラスでやっちゃった,みたいな印象があります。記憶の彼方なので,違ってたらごめんなさい。
ディスコは決して米英主導型ではなかった。イタリア,ドイツ,フランス,ベルギーが疑似ブラック・ミュージックを追求してったら,ディスコになっちゃったみたいなところがありますよね。モロダーですけど映画『ミッドナイト・エクスプレス』のテーマは,私にはエヴァーグリーン中のエヴァーグリーンで,長距離運転には欠かせません。
カストール様
まさかこのBlogでキャラクターズの写真を見るなんて思ってもおりませんでした(笑)。確か踊って歌えるグループでバックコーラスもありましたよね。阿久さんがどこかで「この曲は力を抜いてありていに作った詞。でも作詞家として認められる事になる潮目の曲だった・・・」みたいな発言をされていたのを何かで見た記憶があります。でもこのBlogでこんな話題をしてよろしいのでしょうか<私(^^;
脱線ついでに、ディスコと言えば、PinkLadyのアメリカ進出盤、あのM・ロイドが制作した盤もいまだに結構評判が良いみたいですね。PinkLadyのfanじゃない人の支持も多いらしいです。Julie・沢田研二さんのイギリス制作盤みたいなモンでしょうか・・・(^^;。以上脱線しまくりですみません。
ps
キャラクターズ・・・なつかしかったです。ついでに、カサノバセッテとかいませんでしたっけ?(笑)
某ファンサイト管理人さん,いつもありがとうございます。阿久悠がお好きなんですね。
私は地理的な理由もあって,日本の歌は70年代末で終わってしまっているので,浦島太郎状態なのです。この辺になると,日本で会って酒を飲む相手たちから,まったく取り残されて悲しい思いをしています。
昨日のブログで書いた作詞家ジャン=ルー・ダバディーは,年齢もマルチなフィールドで活躍するところも「なかにし礼」的であると以前日本の人に言われたのですね。本当かなあ?と私は疑ってかかりますけど,なかにしの仕事などほとんど知らない私は,比べることもできないのです。
ピンクレディの増田けい子のフランスデビュー盤(1990年)は確か持っていたはず。今週末探してみようっと。
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