2010年11月8日月曜日

最後に愛は勝つ

ARESKI BELKACEM "LE TRIOMPHE DE L'AMOUR"
アレスキー・ベルカセム 『愛の勝利』
 

(これから12月末までのカテゴリー<<新譜を聞く>>はすべて今年のベストアルバムですから)  

リジット・フォンテーヌの伴侶にして「共犯者」のアレスキー・ベルカセム(70歳)の40年ぶりのソロアルバムです。40年に2枚のアルバムを作る。どうして急に? という質問には,それまで作ろうという気がなかっただけで,なんとなく楽しそうだから,作る気になった,というような,この朴訥で「なんとなく」な人柄をよく伝える理由をぼそっと言ったりします。  この人,ヴェルサイユで生まれてるんです。信じられないでしょ? 単にこの「生地」のことだけでも,アレスキーという謎めいた人の意外性を浮き出させますよね。どこで生まれたの? - 「ヴェルサイユ。」 - ええぇっ!? となりますよね。  この人,ちゃんとコンセルヴァトワールで音楽を学んでいて,ミュージシャンとしてデビューしているんですね。これも意外ですよね。なんとなく学ばなくても生まれた時からのほほんとした音楽を身につけていたような感じがするのです。  すごい偏見ですかね。ブリジット・フォンテーヌは少女の頃から岸田今日子みたいだったはず,という偏見と同じですね。  優しい前衛,人肌の温度の前衛,アレスキー/フォンテーヌの持つヒューマンなイメージって一体何だったんだろうか,という問いへの答がこの70歳アレスキーのアルバムにわかりやすく展開されているように聞きました。  だって,このアルバムを聞かなければ,ブリジット・フォンテーヌのレパートリーの多くがシャービを土台にしていた,なんてこと気がつきませんでしたよ。これはもうシャービなんて言葉じゃなくても,70年代からこの人たちとつきあっているうちに染み込んでしまったわれらが内なるオリエント/アラブ・アンダルーズなんだなあ,と思いました。  夫唱婦随,ブリジットと同じような抑揚で,同じような声で,同じようなエモーションで歌うアレスキー・ベルカセム。実はリーダーシップはこっちだったんだなあ,と納得する11曲。ほとんどスタジオライヴ状態で録音された,とライナーに書かれていますが,演っている人たちが実に良い音を出してます。マルセル・ロフルールのアコーディオン/バンドネオン,ヴァンサン・セガル(ブンチェロ)のチェロ,ディディエ・マレルブ(ゴング)の笛,ハキム・ハマドゥーシュのマンドリュート,ヤン・ペシャンのディストーション・ギター...みんなアレスキー節を演るためにミュージシャンになったような感じの音ばかり出すんですよ。すごいなあ。老成した音楽ばかり。アレスキーが磁場を作っているのですねえ。10曲めの幻覚トリップの詩"CE SOIR-LA"のサウンドデザインをジャン=フィリップ・リキエルがしてるんですが,なんともサイケデリック。ああ,われらがセヴンティーズという感じがします。  そして最終曲のフォンテーヌ作詞の「愛の勝利」。勝利しちゃってますよぉぉぉ。

<<< トラックリスト >>>
1. MAGICIEN MAGICIENNE
2. L'AIR DE RIEN
3. LES FRAISES
4. LE ROCKER
5. SALOME
6. LA SEINE
7. LES BABOUCHES
8. LE BILLET
9. ON N'A QU'A DIRE COMME CA
10. CE SOIR-LA
11. LE TRIOMPHE DE L'AMOUR


ARESKI BELKACEM "LE TRIOMPHE DE L'AMOUR"
CD UNIVERSAL CLASSICS & JAZZ FRANCE 4764135
フランスでのリリース:2010年10月25日


(↓) "Les Fraises"(いちご)オフィシャル・クリップ


(↓)”Magicien Magicienne" (2014年ファン投稿クリップ)



(↓)"Le Triomphe de l'Amour" (愛の勝利)最後に愛は勝つ

2010年11月3日水曜日

日本人に生まれた娘



 10月の最終週に家族で日本に一時帰国してました。そのうち3日間は妻子は大阪で過ごし,その間私は東京で仕事の打合せなどをしていたのですが,娘は1日だけひとりで大阪から阪急電車に乗って京都へ。娘が赤ちゃんだった頃からわが家と親しくしている京都在の女性,理佐さんが娘を嵐山に案内してくれたのでした。
 1996年6月から主宰していたウェブサイト「おフレンチ・ミュージック・クラブ」の更新第2回目(つまり1996年7月)に,初めてブーローニュのわが家を訪れた理佐さんが,積み木で遊んでいる娘と一緒に写っている写真が掲載されたのでした。そうかぁ...。もう14年以上のつきあいかぁ...。理佐さんも,私も歳とりましたが,娘はどんどん成長し,今年は16歳になり,リセに通う青春まっ只中のマドモワゼルです。耳にはピアス,指爪にはマニキュア,顔にはメイク...。赤ん坊の時からフランスで育った娘ですから。
 日仏二つの文化を吸収して育ったとは言え,圧倒的に強いのはフランスで,日本はこうやって年に一度帰国して得られるものを「外人」のように吸収しているにすぎません。日本語は週に2時間の日本語補習校の授業だけでは,16歳の今でも小学5年の国語教科書についていくのがやっとです。コレージュ(中学)の社会の授業では,2年続けて率先して日本についての研究発表をするほど,日本への思いは強いのでしょうが,娘の思う日本はフランスがイメージしている日本に近いのかも,と思う時があります。その局面局面においては,私はフランス人が思い描くほど日本は良い国ではない,と思う時がありますし,逆にフランス人がその非を指摘するような悪い国でもない,と思う時もあります。私の目が客観的であるとは絶対に言えないのですが,娘にはフランス人の視点や評価を鵜呑みにすることがないように,また何が何でも「日本よいとこ」に帰結させようとしないように,きちんとした批判精神を備えてほしいものだと願っています。ただ,アイデンティティー的な不安定はどうするのか,ということを考えると,両文化の間に宙ぶらりんの状態の娘は,自分で解決がつけられるのか,と不安になることもありましょう。
 そういうことを日頃思っていた時に,この写真です。理佐さんのはからいで,嵐山で3時間かけて「舞妓さん」に変身した娘です。アイデンティティー問題なんかぶっ飛んでしまって,本当に「おまえは日本人の娘に生まれてよかった」と祝福したい思いです。おまえは日本人の娘として美しい,と。私がこういうこと書いてはいけないのだけれど,私の娘は美しい日本人の娘だ,と。顔からも姿からも日本の美が浮かび上がってくるではないですか。
 ほんのつかの間のことですが,娘は「日本の美」と化してしまったのです。夢のような時間だったそうです。こういう夢の機会を与えてくれた理佐さんに感謝。娘には一生忘れられない体験でしょう。
 外国人観光客たちが寄ってきて,一緒に写真撮ってもいいか,なんて聞いてくるんですね。その中にフランス人たちもいて,娘が(ネイティヴな)フランス語で受け答えするもんだから,フレンチーたちはびっくりですわね。娘の得意そうな顔を見たかったです。

(↓理佐さんが撮ってくれた『メイキング・オブ』の一部)

2010年10月22日金曜日

ワン・リの超常



Wang Li "Rêve de Sang"
ワン・リ『サンの夢』


 タイトルを見てフランス語の"sang"(血)なのかな、と思ったら,ワン・リの奥さんの名前だそうです。ワン・サン(Wang Sang)。このCDの美麗な4つ開きディジパックのアートデザインも彼女が手掛けていますから、グラフィック・デザイナーさんかな?と想像しています。
 ワン・リは1980年中国のシャンドン(山東)州に生まれています。大学卒業後,共産党員の両親が決めた進路に反抗し,2001年にひとりでフランスに移住します。数ヶ月の放浪生活の後,パリの西郊外イッシー・レ・ムーリノーのサン・シュルピス神学会にたどり着き,そこで修道生活に入ります。俗界と隔絶された世界に3年,ワン・リはそこで音楽の道を見いだしたのです。
 英語ではジューズ・ハープ(jew's harp)、フランス語ではガンバルド(guimbarde)、日本語では口琴,アイヌ語ではムックリ....。この楽器は古代より世界のさまざまな文化の中にありました。中国語では今日「口弦」(KouxianあるいはKou-huang)と呼ばれますが、古代にはHuang(フアンは竹かんむりに黄という字)と呼ばれ,紀元前5世紀に編纂された「詩経」にも登場しています。CDについている解説によると、古代中世と重要な楽器だったものの、14世紀頃から廃れ,中央ではほとんど使われなくなったものの、地方で民間伝承の楽器として細々と今日にまで伝えられてきたようです。その民間での使われ方として(アイヌのムックリと同じですが)、若い娘が好きな男の気を惹くために奏でる楽器だったことでも知られています。

 鉄製と竹製の数種のクーシャン(口弦)とフルス(葫芦絲。ひょうたん笛)を使ったワン・リのソロCDです。アルバムタイトル通り,奥さんのワン・サンの見た夢を音にしてみたのでしょう。「夢は無限の空間である」と解説に書かれています。それは海溝の深淵に限りなく吸い込まれて落ちていくイメージとなっています。そこで出会うクラゲや深海魚や見知らぬ生物の数々と対話します。光の届かない「グラン・ブルー」への旅です。このイメージはリュック・ベッソン映画「グラン・ブルー」と同じように胎内回帰であり、さらに人間個体が持っている太古の記憶の呼び起こしでもあります。太古,私たちはクラゲでもあり、プランクトンでもあったわけですから。
 ワン・リの作りだす音色は、そういう人間個体が知らずと持ってしまった懐かしさを刺激します。眠りに落ちてしまうかもしれません。水の中です。深い深い水の中です。18曲50分。聞き終わると、なにか長〜い眠りから覚めたような気になります。ふと頭に手をやると、海藻がついています(それはないか....)。

<<< トラックリスト >>>
1.REVE DE SANG (サンの夢)
2.HUMIDE - 2 (湿)
3.BAMBOU - 3
4.BAMBOU - 4 (竹林の中の風の匂いを覚えているかい?)
5.POISSON CHOUETTE (梟魚)
6.DONG TING (洞庭湖)
7.HUMIDE - 1 (漂・潜・滲)
8.LES RADIOLAIRES (放散虫)
9.AUX ABYSSES (深淵に)
10.CALMAR BIJOU (蛍イカ)
11.JASMINS AU FOND DE L'EAU (水底のジャスミン)
12.MEDUSE NOIRE (黒クラゲ)
13.VER DE POMPEI(ポンペイ・ウォーム)
14.UNE LOTTE DE MER EPINEUSE (トゲアンコウ)
15.POISSON SANS IDENTITE (正体のない魚)
16.MEDUSE BLEUE(青クラゲ)
17.MASCARET (高潮)
20.TROUBILLON (渦)

WANG LI "REVE DE SANG"
CD BUDA MUSIQUE 860197
フランスでのリリース 2010年11月8日



Wang Li - Chine
envoyé par ZamanArts. - Regardez d'autres vidéos de musique.

2010年10月21日木曜日

世界に広がるティケン思想









Tiken Jah Fakoly "African Revolution"
ティケン・ジャー・ファコリー『アフリカ革命』


   俺たちの代わりにアフリカを変えに来てくれる者など
   誰ひとりとしていやしない
   俺たちの代わりにアフリカを変えに来てくれる者など
   誰ひとりとしていやしない

   これらすべてのことを変えてしまうために
   立ち上がらなければ
   これらすべてのことを変えてしまうために
   俺たちが立ち上がらなければ

    ("Il faut se lever" 作詞マジッド・シェルフィ+ティケン・ジャー)

 ティケン・ジャー・ファコリー(本名ドゥンビア・ムーサ・ファコリー)は,フランスで5月革命があった年,1968年にコート・ディヴォワールのオディエネで生まれています。この42歳の若者は,2003年以来故国のコート・ディヴォワールにいられなくなって,マリのバマコに住んでいます。コート・ディヴォワール大統領ローラン・グバグボの側近から死の脅迫を受けているためだそうです。ティケン・ジャーはグバグボだけでなく,アフリカおよび世界の腐敗した権力を弾劾する歌を多く歌っています。アフリカの人々に「意識の目覚め」を喚起するのが彼の歌です。彼は数カ国語で歌いますが,私の場合,フランス語が一番良くわかるので,どうしても彼のフランス語曲に惹かれてしまいます。なぜならば,メチャクチャに分かりやすいからです。単に平易というのではなく,びっくりするほど明晰で,びっくりするほど正論なのです。これは(フランス語わかる人なら)誰でもすぐに膝を打ってリフレインを大唱和という感じなのです。
 私は生前ボブ・マーリーを一度も見ることができませんでした。1980年7月3日,5万人を集めたル・ブールジェのコンサートも遠くうわさに聞くのみでした。で,私はたいへんなファンというわけではなかったのですが,人がこのカリスマに夢中になるのはよく理解できました。なんと言ってもわかりやすいですし,明晰ですし。で,昨今のティケン・ジャーがやっている音楽を聞くと,彼はフランス語でミスター・ボビーに匹敵することをやっているんじゃないかと思ってしまうのです。西アフリカ,仏海外県アンティル,仏語圏ヨーロッパなどでは,おそらくこれほど明晰なメッセージを伝えられる「仏語」アーチストは他に例をみないでしょう。

   仲間でいたかったらIMFへの借金を
   最後の一銭まで払うことだな,とおまえは言う
   そうすればクラスの最優等生になれるぞ,とおまえは言う
   もう階級闘争の時代は終わったんだ,とおまえは言う

   俺のテレビから出て行け
   俺のテレビから出て行け

     ("Sors de ma télé" 作詞マジッド・シェルフィ+ティケン・ジャー)

 ティケン・ジャー・ファコリーの8枚目のアルバム『アフリカ革命』は,大上段に構えたタイトルのように見えましょうが,彼自身は何も構えていないのです。たぶん自然に革命のことを考えているでしょうし,革命は可能だという確信があるから,それを人に説く歌が歌えるのでしょう。

    Go to school my brother
    I say go to school
    You will understand very soon
    All the problems of your nation

     ("African Revolution" 作詞ジョナサン・クウォーンビ+ティケン・ジャー)

 革命の基本には教育が必要,とティケン・ジャーは説きます。文字を書き,本を読む,それが革命のイロハ。並のアーチストですと,こういうことにインテリが割って入ってイチャモンつけて,単純化を嘲笑して別の議論を展開してくるんですけど,ティケン・ジャーの場合,その歌聞けば,正論として通る並外れた説得力が感じられると私には聞こえます。
 バマコにいる間に親しんだマンダングの音と,ジャマイカ・ルーツなキングストンの音,私にはよくプロデュースされた一級のサウンドのように聞こえますが,それよりも何よりもティケン・ジャーは「俺たちでなければできないこと」を確信的にやっていることの迫力に圧倒されます。「俺たちの代わりにアフリカを変えに来てくれる者など/誰ひとりとしていやしない」のですから。
 マジッド・シェルフィ(ゼブダ)が詞で関わった2曲が群を抜いていいです。


<<< トラックリスト >>>
1. African Revolution (Jonathan Quarmby/Tiken Jah Fakoly/Thomas Naim)
2. Je dis non (Féfé)
3. Political War (feat. Asa) (Jonathan Quarmby/Tiken Jah Fakoly/Asa/Thomas Naim)
4. Marley Foly (Tiken Jah Fakoly)
5. Il faut se lever (Magyd Cherfi/Tiken Jah Fakoly)
6. Sinimory (Tiken Jah Fakoly)
7. Vieux Pere (Tiken Jah Fakoly)
8. Sors de ma télé (Magyd Cherfi/Tiken Jah Fakoly)
9. Votez (Tiken Jah Fakoly)
10. Je ne veux pas ton pouvoir (Jeanne Cherhal/Tiken Jah Faloly)
11. Initié (Tiken Jah Fakoly)
12. Laisse-moi m'exprimer (Tiken Jah Fakoly/Mr Toma)

TIKEN JAH FAKOLY "AFRICAN REVOLUTION"
CD BARCLAY/UNIVERSAL 5329306
フランスでのリリース 2010年10月4日


↓ "Il faut se lever"のヴィデオクリップ

2010年9月23日木曜日

Roll over Kétanou!(ケタヌーを蹴ったれ!)



Batignolles "Y'a pas de problème..."
バティニョール『ヤパドプロブレム』


 これは驚きました。ラ・リュー・ケタヌーの第三の男、オリヴィエ・レイトのソロ・プロジェクト「バティニョール」のファーストアルバムです。
 アコーディオンを抱え、ジャック・ブレル的なシャンソン抒情を前面に出すフローラン・ヴァントリニエ(そのバンド「タンキエット・ラザール」)、我流のフラメンコ・ギターでアラブ・アンダルシア〜北アフリカのライ/シャービまで取り込んでミニマル・ワールド・パンクを展開するムーラド・ミュッセ(そのバンド「モン・コテ・パンク」)。この2人に挟まれて、一体オリヴィエに何ができるのでしょうか?
 答えはロックでした。あなたたちが考えるようなロックではありまっせん。フランスに土着してしまったロック、つまりジャック・イジュラン〜ニノ・フェレール〜マノ・ネグラ/ピガール/ネグレズ・ヴェルト〜ゼブダ〜テット・レッド...。アコーディオンとジャヴァと曲芸とピョンピョン跳ねがギターリフと同居するロック。オリヴィエが、これほどまで(フランスの)ロック・カルチャーにドップリの人間だったとは、私は予想してませんでしたよ。一聴して、これはジャック・イジュランの再来ですよ。奇しくも2ヶ月前に「ラティーナ」原稿用に、イジュランを聞き直していたので自信持って言いますが、このアルバムと80年代イジュランとの類似性には驚くばかりです。ケタヌーの3人の中で、オリヴィエが突出して持っている演劇性が、イジュランのそれと似ているのかもしれません。
 Batignolles バティニョールとはパリ17区にある地区で、シャンソンファンにはバルバラの「ペルランパンパン」やイヴ・デュテイユの「バティニョール」で知られていて、絵画愛好家にはエドゥアール・マネ、アンリ・ファンタン=ラトゥール等のバティニョール派が頭に浮かぶでしょう。オリヴィエ・レイトは2006年までこの地区に住んでいたのですが、都会を離れ南西フランス、ミディ=ピレネー地方ロット県(フランスの地方観光地ではモン・サン・ミッシェルに次いで人気のあるロカマドゥールで有名)に移住します。言わばオクシタニアの住人となったわけです。ルーツ(ポルトガル)とパリの中間位置を探したら,ここになった,というふうな理由らしいです。ロット県の首府カオール(ワインでも有名)で、土地のマルチ・インストルメンタリスト(アコーディオン、ベース、ギター、ドラムス...)、オリヴィエ・コカトリックス(通称コカ)と出会い、何度かセッションした末に、こいつとは絶対面白いことができる、と新プロジェクト構想が浮かんだのです。そして同じカオール出身で、ジャズ/エクスペリメンタル/ヴァリエテ/クラシック/トラッド他あらゆるフィールドで百戦錬磨のアコーディオニスト、ティエリー・ロック(ソミ・デ・グラナダ)が加わります。トゥールーズ出身のアレクサンドル・ロジェがドラムス、カンタル県(ロット県の東隣)出身のロイック・ラポルトがギター/サックス/バンジョー/カヴァッキーニョ他。ロット県周辺の腕達者ばかりが集まって、がっちりしたバンドができてしまったのです。この辺が荒々しい味を売り物にするムーラドのモン・コテ・パンクとは全く違う路線なんですね。
 アルバムは2009年12月に録音されています。場所はロット県モンキュ(フランス人はこの村名を笑うんですよ。Montcuqと書くんですが,Mon culと同じ発音ですから)にある故ニノ・フェレール(1934-1998)の居城の中にあるステュディオ・バルブリーヌ(ニノの息子のアルチュール・フェラーリが管理している)です。なにかオリヴィエがミディ・ピレネー地方に非常に惚れ込んでしまって,このアルバムを土地の産物として作ろうとしていたかのようです。その証拠にアルバムの冒頭曲と最終曲は「Marché de Libos リボスの市場にて」という2台のアコーディオンがフィーチャーされたスコティッシュ曲(クンビア風でもある)で,リボスはロット県の西隣ロット・ギャロンヌ県の村です。4年間でとても土地に馴染んでしまった感じのオリヴィエです。
 4曲目「通りで Dans la rue」は,20世紀はじめのシャンソニエ,アリスティッド・ブリュアン(1851-1925)の詞にオリヴィエ・”コカ”・コカトリックスが曲をつけたものですが,これも妙にオクシタニアっぽいフォッホーで,ケタヌーでは絶対にできない類いの曲です。
 アリスティッド・ブリュアン詞に曲をつけたものがもう1曲あって,こちらはオリヴィエ・レイト作曲で,バンドのテーマ曲みたいな8曲めの「バティニョールにて A Batignolles」はごきげんなロックンロール仕立て。古い下町叙事詩を,ロックンロールに乗せて,というスタイルはフランソワ・アジ=ラザロ(ピガール,ギャルソン・ブッシェ)に共通するもので,こんなのを聞くと「ロックンロールの町,パリ」というイメージは全然陳腐じゃなくなるのです。
 ブリュアンの他に,モンマルトルの詩人/作詞家ベルナール・ディメイ(1931-1981。モンタン,アズナヴール,サルヴァドール,グレコなどの作詞家)の詞にオリヴィエ・レイトが曲をつけたものも2曲あり,3曲め「ねずみ Les Rats」と6曲め「こんなにも大きい俺の心 J'ai le coeur aussi grand」がそうですが,名調子の詞をオリヴィエは見事にロック(3曲めはミドルテンポ,6曲めはアップテンポ)にして返します。
 ノスタルジックに望郷する歌,7曲め「カザ・サラ Casa Sarah」では,モン・コテ・パンクのムーラドとファティもヴォーカル参加。
 ロイック・ラポルト,アレクサンドル・ロジェ,オリヴィエ・コカトリックス作の曲もそれぞれちゃんとアルバムに入っていて,オリヴィエ・レイトのひとりバンドではないところがいいですね。
 しかし,このアルバムでオリヴィエのヴォーカリストとしての力量が,ケタヌー内でのそれから想像できないほど抜きん出ていることがわかるのが,このアルバムの最大の収穫でしょう。アルバムタイトル曲(13曲め)「ヤパドプロブレム Y'a pas de problème」のカッコ良さは,信じられないほど。おそらくこれはオリヴィエに一生ついて回る,オリヴィエの金看板となる歌でしょう。

<<< トラックリスト >>>
1. MARCHE DE LIBOS (O LEITE/O COCATRIX)
2. C'EST QUAND QU'ON VIT (O LEITE/O LEITE - KARIM ARAB)
3. LES RATS (BERNARD DIMEY/O LEITE)
4. DANS LA RUE (ARISTIDE BRUANT/O LEITE)
5. Melle ZINZIN (O LEITE/O LEITE)
6. J'AI LE COEUR AUSSI GRAND (BERNARD DINEY/O LEITE)
7. CASA SARAH (O LEITE/O LEITE)
8. A BATIGNOLLES (ARISTIDE BRUANT/O LEITE)
9. INSOMNIE (O LEITE/O LEITE)
10. CIRQUE TROC (O LEITE/LOIC LAPORTE)
11. LE CHAMEAU (ALEXANDRE ROGER/ALEXANDRE ROGER - YANNICK PUYBARET)
12. PETIT SOFIANE (O LEITE/O LEITE)
13. Y'A PAS D'PROBLEME (O LEITE/O LEITE)
14. MARCHE DE LIBOS - INSTRUMENTAL (O COCATRIX)
+ 1 GHOST TRACK

BATIGNOLLES "Y'A PAS DE PROBLEME"
CD L'AUTRE DISTRIBUTION AD1745C
フランスでのリリース : 2010年10月11日


(↓)2010年2月イヴリーでのライヴの映像。"Y'A PAS DE PROBLEME"と"LE MARCHE DE LIBOS"

Batignolles en concert l'intégral 4e partie
envoyé par chartrestw. - Regardez d'autres vidéos de musique.

2010年9月20日月曜日

カメラに向かって地〜図

Michel Houellebecq "La carte et le territoire" 
ミッシェル・ウーエルベック『地図と領土』


 学だけではものは書けません。これは自戒の言葉でもあります。ウィキペディアに書いてあるようなことを右から左から集めてコンパイルすると原稿になってしまうことがあり,文責われにあらずが見え見えな文章を人様に見せていることが,向風三郎においてはままあります。雑な仕事をしてはいけません。
 ウーエルベックの博識は半端ではありません。この分野においては誰をも納得させ論破できる知識と持論がある,という分野を数多く持っているのです。この小説だけに限っても,コンテンポラリー・アート,建築,ツーリスム,ガストロノミー,安楽死,ゲイ事情,刑事事件捜査...これらの多岐に渡る専門分野において,読む者はいちいちそのデータと持論展開に説得させられるのです。おまけにこの小説の主人公たちは,それらの専門分野の他に,たいへんなTVウォッチャーであり,美容院や歯医者待合室に置いてある雑誌の世界にも通じていて,恋人との破局にジョー・ダッサンの歌を口ずさみながら,ほろほろと泣いてしまうのです。これを私は遠距離と近距離の両方に長けた観察眼と批評眼を持った「バリラックス作家」と名付けたいのです。それはメガネを用いずに,目つきの悪い裸眼でなされるのです。
 小説はジェド・マルタンと名乗るプラスチック・アーチストが主人公です。絵画,写真,ヴィデオなどコンテンポラリー・アートで世界的に成功していく男です。その父ジャン=ピエール・マルタンは,建築士から身を起こして,東欧や北アフリカなどにリゾート・ヴィレッジを構想し建築する会社を設立し,成功のうちにリタイアし,パリ郊外でひとりの隠居生活を送っています。ジェドの母親はジェドが物心つかない頃に謎の自殺を遂げてこの世にありません。
 この父と子の関係が小説のひとつの重要な軸となっていて、毎年のクリスマスには二人だけで夕食をするのが二人の欠かせない行事です。一種ゲンズブール父子(ジョゼフとセルジュ)をも思わせるところがあり、父子で審美眼が異なります。若い頃は持論などテーブルに持ち出すことなどなかったのに、歳取るにつれて、成功した息子に挑むように論を吹きかけてきます。息子は微妙に変化してくる父親に、二人の間にぽっかり空いた穴が徐々に小さくなるのを感じます。その穴はいつかは埋まってしまうという期待です。その穴とは、なぜ母親が自殺したのか、という真相です。父親は発病し、直腸ガンと診断され、生き延びるためには人工肛門を移植しなければなりません。父親はそんな思いをしてまで生き延びる必要はない、と死を覚悟します。その最後のクリスマスは、衆人の目が耐えられないという父親の提案で、初めてジェドのアパルトマン(暖房のコントロールが利かない)を訪れて、惣菜屋で買ったメニューで夕食します。お互いにこれが最後という思いがあったでしょう。シャンパーニュ/ワインを次から次に空にし、父親は建築論や芸術論をまくしたてます。ジェドはいよいよその時が来たと感じます。ところが父親は残酷にも「その時」はないのだ、と告げます。おまえの母親がなぜ死んだのか、俺にも全くわからないのだ、と。
 父親は息子に告げずに国境を越え、(安楽死を合法化している)スイスで命を断ち、ジェドはその安楽死クリニックを見つけるや、その怒りを抑え切れず、応対に出た女性を激しく殴打してしまいます。この父子のストーリーだけで、小説3冊分ぐらいの大いなる悲しみが襲ってきます。
 今度のウーエルベックの小説はこのように徹頭徹尾「まとも」なのです。尖った人たちではない、一般のあなたや私のような多くの名もない人たちが慣れ親しんだような「文学」にとても近いのです。ジェド・マルタンは口べたで恥ずかしがりで非社交的で、現代芸術で世界的な成功を収めながら、金に興味のない、パリで最も個性のない街区である13区のアパルトマンを引っ越そうとしない、近くのスーパーで買ってくるレトルト食品をひとりで食べる、そういうアーチストです。
 ジェドの最初の世界的成功は、ミシュラン社製の種々の地方ロードマップをカメラで写し、それを数倍に引き延ばしたものを一連の作品として発表したもので、ミシュラン社がバックアップして開かれた最初の個展はこう題されます:

  LA CARTE EST PLUS INTERESSANTE QUE LE TERRITOIRE
    地図は土地よりも興味深い

 わかりやすいでしょう? 地図は実際の土地よりも美しく、人の目を引く。写真は実像よりも魅力がある。コピーはオリジナルを凌駕する。ヴァーチャルはリアルを越える。このコンセプトの成功例は枚挙を問わないわけですが、ジェドのアートはミシュラン社のマーケティング戦略も相まってまんまと大成功してしまうのです。そのミシュラン社のマーケティングの責任者がロシア出身の絶世の美女であるオルガ。ジェドとオルガは当然のごとく恋に落ちるのですが、この関係において、それまでのウーエルベックの展開に欠かせなかった「エログロ」がこの小説にはないのです。そしてジェドはその熱愛にも関わらず、この絶世の美女が自分から去って行くことを妨げられず、別れを受け入れるのでもなく立ち尽くし、後でおいおい泣いてしまうのです。ね? 信じられないほどまともでしょう?
 ジェドはその成功に未練がないようにバッサリと写真を捨て、具象画に転向します。大なり小なりの職業人たちの肖像画を描きます。近所のパン屋職人や、一日中銀行の前に立つガードマンといった無名の人々から、自分の創った建築会社を定年で去っていくジェドの父親、さらにスティーヴ・ジョブスやビル・ゲイツのような著名人まで、仕事を持つ人々の肖像を連作します。その肖像シリーズの中に「作家ミッシェル・ウーエルベック」もあります。このジェドにとって第二回めの大きな個展のために、その個展カタログの序文を「ミッシェル・ウーエルベック」その人に依頼します。
 この小説に登場する「ウーエルベック」氏はそのパブリック・イメージ通り、神経質で厭世的で病気がちで不潔で、世捨て人のようにアイルランドの田舎に犬と一緒に住んでいますが、このジェド・マルタンとのやりとりで展開される小説作者による一種のセルフ・ポートレートは、その衰弱の度合いでは自虐的と言えそうだけれど、最終的に「いい奴」に落ち着いていて、その男は多分長いことなく死にゆく男のイメージなのです。この序文依頼をウーエルベックに受諾させるのに最も重要な条件は何か、それを(これも実名で登場する)「フレデリック・ベグベデ」が「金だよ」と教えてくれます。ジェドは大金の稿料を提示し、さらにジェド画の「作家ミッシェル・ウーエルベック」肖像をお礼として、この仕事を受けさせます。この二人には孤独者同士の淡い友情が生まれていきます。
 「ウーエルベック」序文の効果もあって、ジェドの肖像シリーズの個展は大成功し、その絵の売上合計は3千万ユーロに達します。その栄光など自分にとっては何でもないのです。前回と同じように、ジェドはこのシリーズときっぱり決別し、創作活動休止期に入ります。アイルランドからフランスの人知れぬ田舎に引っ越してきた「ウーエルベック」に約束の肖像画を届けに行きますが、この再会がおそらく最後の面会になるということを二人は知っています。
 
 小説第3部(P273〜)は、「ミッシェル・ウーエルベック猟奇殺人事件」とでも呼ぶべき、本格的な推理小説仕立てで展開します。「ウーエルベック」はフランスの田舎の一軒家の中で、バラバラ切断死体となって見つかります。「ガイシャの身元は?」ー「ミッシェル・ウーエルベック、有名な作家だそうです」ー「聞いたことないなあ...」なんていう捜査官のやりとりがあります。パリ司法警察(ケ・デ・ゾルフェーブル)のジョスランという刑事が、この謎の惨殺事件を担当しますが,このジョスランもまた何らエキセントリックなところのないフツー人として描かれます。解剖や死体を見ることが耐えられず,医学部を2年で断念して警察官になった男が、今またバラバラ死体を直視しなければならない試練を体験します。若い伴侶とは結婚せずに同棲していて、子供をもうけず,その代わりにミシューという名のビション犬を飼っています。このミシュー(一般的にはミッシェルの愛称)がまたウーエルベックの化身でもあるのですが。
 捜査線上にジェド・マルタンの名前が浮かんできます。読者はうすうすとジェドが犯人でなければ,この小説の収拾がつかないのではないか、と感じながらページを進めて行くでしょう。つまり、オルター・エゴを殺害しなければ、エゴは生き延びれない,みたいなストーリーを期待するわけです。ところが....。ジェドは下手人ではないのです。

 この派手な殺人事件と,ジェド・マルタンの華麗な成功ストーリーを除いては、未来でも過去でもない、今ある現在の今あるフランスを冷静かつ正確に捉える遠近両用視点の文章が続く430ページの長編です。大小説を読んだ気になります。これはベストセラー上位にあっても、誰もが納得するでしょう。そして、ウーエルベックの作品群にあって,初めて何らの論争のタネにもならない小説なのです。とやかく言う前に、とにかく読んでみろや、と言いたくなる一冊です。読んだら「大小説」とはどんなものかが、たやすく了解されるはずです。

MICHEL HOUELLEBECQ "LA CARTE ET LE TERRITOIRE"
FLAMMARION刊 2010年9月 430頁 22ユーロ


(↓11月8日、ミッシェル・ウーエルベック,2010年度ゴンクール賞受賞のインタヴュー。)


2010年9月13日月曜日

(プタン!)デ・カンソン,デ・カンソンで半年暮らす〜

 MOUSSU T e LEI JOVENTS "PUTAN DE CANÇON"  ムッスー・テー エ レイ・ジューヴェン 『プタン・デ・カンソン』  もっと掘り下げる時間が必要だと思いますよ。次から次に生まれて来る曲を,止むに止まれぬ表現への欲求で,次から次にCDにしてしまうタトゥー。この多産家ぶりは,ひところのジャン=ルイ・ミュラのようでもあり,また女流作家アメリー・ノトンブのようでもあります。  ムッスー・テー・エ・レイ・ジューヴェン名義の4枚目のアルバムです。木版画か砂絵のような,造船所とクレーンと工場煙突の煙と暗い顔をした労働者の群れ,空には暴虐の雲(それはないか),レンガ色のモノトーンなジャケットデザインです。発売元の「シャン・デュ・モンド」は,かつてフランスの労農系やソヴィエトのプロパガンダレコードや,南米の革命フォルクローレを出してた会社なので,そういう見方をされてもしかたないかもしれません。デュパンのファーストアルバム『L'Unisa (リュジナ)』(2000年)は,マルセイユの隣接工業地帯フォス・シュル・メールの製鉄工場の黒煙と赤い火の粉がフィーチャーされたインダストリアル・オクシタン・アルバムでしたが,タトゥーの場合は汗流して働くイメージとはほど遠いキャラクターです。ちょっとミスマッチのジャケットアートに見えますが、しかし,土台にはやっぱり抵抗の精神と、闘志肌の兄さん,タトゥーの心意気が見える図柄です。  ファーストアルバム『マドモワゼル・マルセイユ』は,マルセイユとその1930年代,アフリカもジャズも近かったエキゾなアコースティック・ブルースという方法で,マッシリア・サウンド・システムとは全く違ったことをするんだ,という気概みたいなものがありましたが,アルバムを追うに従って,自然体のタトゥーを出せばレイ・ジューヴェンになるという,タトゥー印のシャンソン・マルセイエーズ連作になってしまいました。  全国ネットの国営の音楽FM局FIPがファーストアルバムから毎回強力にバックアップするものだから,パペーJ・ジャリやガリ・グレウのワイスターよりは数段上の全国的知名度を獲得したムッスー・T&レイ・ジューヴェンは,おそらく「マッシリア後」唯一延命できるバンドでしょう。(ワイスターが解消した,という話を9月あたまにおきよしさんから聞きました。)  今バンドはヴォーカル+マシーンのタトゥー,バンジョー/ギターのブルー,パーカッションのジャミルソンに加えて,ドラムスにフレッド・ゼルビノ,パーカッションにデリ・カという布陣。つまりカナメはブルーとタトゥーが作っているということですね。マッシリアの『ワイと自由』も、ワイスターの前作『ルールドへ行け』も、カナメはブルーだったようなところがあり、ギターが牽引車となっている傾向を強く感じます。ブルーはもはや縁の下の力持ちではなく、屋台骨です。ギターが制するとバンドはピンク・フロイドになる、という論もあります。それと今度のアルバムではブルーのヴォーカルがしっかり聞こえ、(8)La Marraineでは半分リードヴォーカルを取っています。ブルーの勢力拡大はどこまで続くでしょうか。  作詞も作曲も全13曲フランソワ・リダル(タトゥーの本名)/ステファヌ・アタール(ブルーの本名)の連名になっていて,レノン=マッカートニーよりもジャガー=リチャーズの趣きがあります。ブルーの伸張の証し。歌詞がプロヴァンサル語(オック語)になっているのは5曲(1-3-6-11-12),5曲め「波の町 Ciutat de l'ersa」は歌詞はフランス語(オイル語と言うべきか)でリフレイン部だけがプロヴァンサル語,残り7曲(2-4-7-8-9-10-13)はフランス語ですが,当然マルセイユ訛りのフランス語です。  1曲め"Putan de Cançon"(この忌々しき「歌」なるもの)は、長い間道連れとしている「歌」への愛憎を歌います。「この忌々しき歌は、常に閉じこもり、カビ臭く、信心深く、貧困や虐殺や血を好み、しょっちゅう墓場に出入りし、暴君たちと踊る」と歌う時、この歌とは「ラ・マルセイエーズ」(フランス国歌)のことではないか、と勘ぐってしまいます。「この歌は昼も夜も地球上を駆け巡り、どこかで戦争があると、必ずこの歌が聞こえてくる」と歌詞は言います。「ラ・マルセイエーズ」は「君が代」ではありません。この歌は武器を取って祖国と同胞家族を襲う敵と闘え、と市民を鼓舞する戦闘歌です。この歌は国粋主義者にも革命家にも同じように歌われる、不思議な歌です。この疑問については本人(タトゥー)に聞いてみたいです。  2曲め"Empeche-moi"(俺を押さえ込め)は、世の中がどんどん単一思考化され、万人と同じように暮らすことを強いられている流れに逆らって、「俺が俺であり続ける」ことは世に順応しないことであるが、もしもそれが悪いなら、「俺が俺であることを妨げてみろってんだ」というレジスタンスの歌。  4曲め"Mon Ouragan"は、カップルの痴話喧嘩みたいなもんで、おさまりがつかなくなると嵐(ouragan)よりもひどい状態になる恋人の前で、その鎮まりを待つしかない男の哀歌。  5曲め「波の町 Ciuta de l'ersa」は、港町マルセイユの心意気を「俺の町の人たちは重なり合い、混ざり合い、接吻し合い、口角泡飛ばしてしゃべるのが好きなんだ」と歌います。     波の町     船の町     喧嘩の花     金属製の花     砂の縞模様     築山の縞模様     船底の花     ミストラルの花  引き潮時に海底が陸になり、そこでごろごろ船底を見せてころがっている舟が花のように見える、というイメージは美しいですね。  6曲め「アルバ7 Alba 7」(フランス語式に読むとアルバセット、オック語的にはアルバセーテかな?)は、スペインの町アルバセーテを歌ったものですが、この町はスペイン戦争時に国際義勇軍の拠点となったところで、「マッシリア・ファイアヴァン(マッシリアよ進め)」と歌いながらこの町をボロ車(ルノー7)で散策するタトゥーが、町からふつふつと湧き出てくる闘士魂を感じとり、自らの闘士の心を鼓舞されるのです。 7曲め「マルセイユより愛を込めて Bons baisers de Marseille」は、雲のない青空のひと片と、ちょっとだけ風と岸辺の匂いを小包につめてきみに送れたらいいね、と遠くにいる友に書き送る歌です。マルセイユは天国ではないけれど、仲間(コレーグ)たちのいるところなのです。    きみがそこで辛い生活を送っているのは    きみのせいじゃない    土地を離れるのは、それも定めだ    もしきみがすべてを捨てられるなら    俺はきみを探しに行き    俺の仲間たちの国へきみを連れ帰るよ  8曲め「ラ・マレーヌ La Marraine」は、造船所の町ラ・シオタ(タトゥーの家とそのホーム・スタジオのある町)らしい、進水式の歌。ラ・マレーヌとは進水式を司る女性で、その役は船を命名し、シャンパーニュの瓶を投げつけること。この日ばかりは、たとえ労働争議があっても、造船所の労働者たちは「停戦」して、この進水を喜び合い、マレーヌへのリスペクトは絶対なのです。船を愛し、海を愛する人たちの聖なる祭儀なのですね。一種の誕生/分娩の瞬間ですから。  9曲め"Quand je la vois, je fonds" (彼女を見ただけで俺は溶けてしまう)は、軽妙洒脱なラヴソング。溶けてドロドロになる、というのはだらしないけれど、その魅力にノックアウトという感じがよくわかります。逆に固まってゴチゴチになる、というと、エロっぽくなってしまいますから。「彼女がコーヒーなら、俺は砂糖。彼女がミルクなら、俺はコーンフレーク。彼女が俺の太陽なら、俺は雪の結晶」と続いて、「彼女がマルセイユ女なら、俺はその石鹸」というオチが来ます。オチ:マルセイユ石鹸はよく落ちるという含蓄もあります。  ファビュルス・トロバドールやラ・タルヴェーロの早口問答歌を想わせる10曲め「時計 L'Horloge」は,笑ったり愛し合ったりものを書いたりする時間を人々はどんどん失い,その代わりにものを所有したり欲しがったり他人のものを妬んだりして時間を無駄にしている,という世相諷刺歌です。最後の節がこう歌います:「与えたり助けたり和解のための言葉をかけたりすることに人々はもう時間をかけたりしない。その代わり,呪いの声を上げたり怒号の叫びを上げたりすることばかり。そして,変わることなんか絶対にありっこないんだ,と言い合うことで時間をつぶしている」。  11曲めのセレナーデ「俺の星が輝く夜 Dins La Nuech de Mon Astre」は,アナザー・サイド・オブ・ムッスーTで,夜の帳が降りると悦楽の魔法使いたちが宴を始め,悦楽の扉の鍵をあけ,こっちへ来〜い,こっちへ来〜いと誘惑してきます。「都会の灯りの向こう側に俺の森があり,その悦楽の主は乳色の女神」などど,タトゥーが星の光で官能マンに変身するの図ですね。こういう怪物退治にニンニクは通用するのでしょうか?  ブルーによる1分15秒のイントロ,どことなくライ・クーダーの趣きあり,12曲め「海の宵 Seradas de la mar」は,このアルバムの白眉と言えるでしょう。宵と言っても,日没後時間が経っても,バラ色の夕映えが残っていて,湾は宝石の色をして,岸辺はそれを包む指輪のよう,そこに世界が一本の指を通すのです。まるでジャン=ミッシェル・フォロンのアニメのような,ポエティックな情景が描かれます。     絵描きの太陽が     バラ色の狂乱を描く     海の宵     向かいの壁には     帆のように大きなシーツが干されている     風が強く吹いたら     それは飛んでいき     地球のさまざまな夏の光景を見にいくだろう     テーブルを囲んでいる     「トロバール」の兄弟たちに     俺の歌も仲間入りするだろう Trobar トロバールとは発見し,創造すること。トロバールする人のことをトロバドールと言います。詩を書き,過去を記憶し,未来を予言し,リラの音に合わせて歌う人ですね。タトゥーがこういう象徴派的な詩を(オック語で)書き,ブルーのギターインストが描写的に夕暮れの海を表現していくとき,私はこれはトルバドールだと膝を叩くのです。こういう歌がこのバンドを違う方向に引っ張っていってくれるかもしれない,という期待が生まれます。  終曲13曲めの「2匹のハエ Comme 2 mouches」 は酒好きの2匹のハエが,カフェのテーブルにやってきて,酒の入ったコップにたかって,その液体をすすったら,天国の心地になる,という歌。歌詞は1番がラム(系カクテル。カイピ,ティ・ポンチ,ダイキリ...),2番がウィスキー,3番がマルセイユ名物のパスティスとなっていて,天国にどんどん近くなっていくわけですね。  しあわせのうちに13曲43分が終了します。 <<< トラックリスト >>> 1. PUTAN DE CANCON 2. EMPECHE MOI 3. LO DINTRE 4. MON OURAGAN 5. CIUTAT DE L'ERSA 6. ALBA 7 7. BONS BAISERS DE MARSEILLE 8. LA MARRAINE 9. QUAND JE LA VOIS, JE FONDS 10. L'HORLOGE 11. DINS LA NUECH DE MON ASTRE 12. SERADAS DE LA MAR 13. COMME 2 MOUCHES MOUSSU T E LEI JOVENTS "PUTAN DE CANÇON" MANIVETTE RECORDS / LE CHANT DU MONDE フランスでのリリース 2010年9月23日 PS 9月29日 (↓)9月28日、パリ、アランブラでのムッスー・T&レイ・ジューヴェン。「マドモワゼル・マルセイユ」