2025年8月3日日曜日

イニシャルズ BB

そして神はBBをお創りになった...

2025年9月でブリジット・バルドーは91歳になる。盟友(と言っていいのだろう)アラン・ドロンは1年前2024年8月18日にこの世を去り、マスコミから遠ざかって久しかったバルドーもこの時はドロンを偲ぶコメントをパリ・マッチ誌に寄せている。
Je suis dévastée, anéantie par la disparition de celui que j'ai toujours considéré comme un ami et même plus : un complice, voire mon alter ego. Alain referme la page d’un cinéma qui disparaît petit à petit et qui nous manque tant.
友であり、相棒でもあり、私の分身のようにも思っていた人を失い、私は打ちのめされ、途方に暮れています。私たちがとても惜しんでいたのに少しずつ消滅しつつあったある種の映画のページをアランは閉じたのです。

ページは閉じられる。ジャンヌ・モロー(没2017年)、ミッシェル・ピコリ(没2020年)、ゴダール(没2022年)、ジャン=ルイ・トランティニャン(没2022年)、ジェーン・バーキン(没2023年)...。神がBBをお創りになった頃の同時代人たちは近年つぎつぎに他界した。

 2009年12月、向風三郎は神がお創りになった頃のBBを回顧する記事を書いている。今からは本当に遠くなってしまった頃のことだ。夏が来れば思い出す「ラ・マドラーグ」(1963年)の歌のようなメランコリーを込めて、以下に再録します。

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この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2009年12月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。

50年代の性と文化の革命
ブリジット・バルドーを回顧する


の住む町ブーローニュ・ビヤンクール市のイニシャルはBB。巨大撮影スタジオを有して、かつては映画産業で栄えた町。そして第二次大戦後国有化されてフランス随一の基幹産業となったルノー自動車の町。その戦後最大の国際スターとなった映画女優ブリジット・バルドーがわが町と縁があるのはそのイニシャルだけではなく、わが町の映画スタジオで多く映画を撮っているし、その映画にはルノー・アルピーヌのスポーツカーを駆ってコートダジュールの海岸線を飛ばす小悪魔的なバルドーが見える。1968年、シャルル・ド・ゴール大統領は「ブリジット・バルドーはルノー社と同じほどの外貨をフランスにもたらしている」と、妙な比較をしてバルドーの国際的成功を称賛した。というようなこじつけっぽい因縁づけで、わが町の公立ミュージアムであるエスパス・ランドフスキーは、ブリジット・バルドーの大規模なエキスポジション(↑ポスター)を開催している(2009年9月〜2010年1月)。

 Les Années << Insouciance >>

とエキスポのサブタイトルにあり。「アンスーシアンス」の歳月。無頓着で暢気だった時代を訳せようか。バルドーがスクリーンの花となっていた50年代と60年代は、フランスが暢気な時代だったのだろうか。エキスポはその時代考証も欠かさず、フランス第四共和制最後の大統領ルネ・コティ(在位1954年〜1959年)の時代の雰囲気を写真で紹介していた。フランスは暢気どころか、大きく揺れ動いていた。戦後の復興期はフランスでは同時に植民地の独立期でもあり、インドシナではベトナム、ラオス、カンボジアの独立をめぐって戦っていたフランス軍は1954年のディエン・ビエン・フーの戦いで敗北し、インドシナから全面撤退を余儀なくされている。そして同じ1954年から激化したアルジェリア独立戦争があり、1962年の終結まで30万人に及ぶ戦死者を出す大惨劇となっていた。フランスはこれらの国際紛争の中で、弱い権限しかなかった大統領が何もできず、議会は紛糾するが解決策を出せず、というのがルネ・コティの時代であり、国民投票によって強力な権限を信任されたシャルル・ド・ゴールの第五共和制が成立(1958年)するまで非常に不安定な状態が続いた。
 そんな時代に、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などの家庭電化製品が普及し、低価格モデルの自動車(ルノー4シトロエン2CV)は一挙に大衆化してフランス全土を走り回るようになった。一見楽観的である物質的な進歩への期待と、終わらない戦争や核兵器の脅威への恐怖が混在し、サン・ジェルマン・デ・プレでは実存主義とジャズが若者たちを夢中にさせた。

 ブリジット・バルドーはその時代に対して「そんなことどうでもいいわ」と言い放って出てきたようなところがある。アルジェリアがどうなろうが、洗濯機がうまく回らなかろうが、そんなことはどうでもいい。そして何よりもまず「旧時代のモラルなんかどうでもいいわ」と言ってくれた最初の娘だった。遠く日本の東北の地にありながら、私の両親はブリジット・バルドーを嫌った。その時代の世界中の親たちはバルドーを嫌ったはずだ。しかしその子供たちはみんなバルドーに夢中だった。男の子たちはあらゆる妄想をたくましくしてこの娘の唇と肢体に熱中し、女の子たちはこの娘のようになりたくてその刺激的なファッションに身をつつみ、髪の毛をブロンドに染め、その仕草を真似た。
 エキスポの写真の一枚に、アメリカの双子の少女のものがあり、その可憐な二人はブリジット・バルドーに似ていないということを悲嘆して自殺した、と説明書きに解説されている。それほどまでの狂気を世界中に蔓延させて、バルドーは世界一スキャンダラスで世界一美しい娘として君臨した。

 1934年9月28日、ブリジット・アンヌ=マリー・バルドーはパリで生まれた。富裕な工業経営者の娘としてブルジョワ良家の教育で厳格に躾けられた少女は7歳でクラシック・バレエを始め、コンセルヴァトワールに進んでいる。父親はその文芸詩作で学士院から賞を与えられるほどの教養文化人で、その数ある趣味のひとつに映画があり、ブリジットは幼少時から父の回す撮影カメラに収められていて、エキスポではその幼児期に撮られた動画も公開されている。上流社会の繋がりで、出版界や映画界にも通じていて、雑誌「エル」の社長からカヴァーガールとしてスカウトされ、14歳で同誌の表紙を飾るモデルになっている。
 そして15歳の時に、当時22歳の映画監督助手だったロジェ・ヴァディム(1928 - 2000)と恋仲になるが、ブリジットの両親はこの関係を認めず、何度も二人を引き離そうとしている。しかしその3年後には両親も根負けし、ブリジットは晴れて18歳(未成年、当時の成人年齢は21歳)でヴァディムと結婚する。
 その18歳で初の映画出演を果たし、端役や助演役ながらも数本の映画を経験した19歳の春、国際的映画祭典であるカンヌ映画祭に”スターレット”(映画祭に売り込み目的でクロワゼット大通りで芸能フォトグラファーたちの被写体となる新人女優)として乗り込み、並み居る大スターたちを圧倒してブリジットは世界中から集まった芸能カメラマンたちのフラッシュを一身に集めてしまう。その場にいた映画スターたちのひとりにカーク・ダグラスがいて、彼はこのまばゆいばかりの新人女優をアメリカに連れ去ろうとした、という伝説がある。

 しかしバルドーが真の映画スターになるのはその3年後、1956年、夫ロジェ・ヴァディム監督の初の長編映画『素直な悪女』の主演女優としてである。この映画のフランス語原題は”Et Dieu... créa la femme"(そして神は女をお作りになった)。旧約聖書で神は最後に自分の姿に似せて人をお作りになったのだが、この映画題は”その上に”「女」をお創りになったと言わんとしている。高らかに新しい「女」の創生を宣言しているのである。この原題は少しも誇張ではない。22歳のブリジット・バルドー演じるジュリエット・アルディという名のヒロインは、全く新しい自由な女の出現を具体的なカタチとして顕現させた姿であった。
 舞台はブリジット・バルドーの庭とでも言うべき南仏コートダジュールのサン・トロペ。その美しい女ジュリエットは豊穣な愛情と欲望があり、タブーを知らず、旧時代の性道徳から解き放たれ、自由に踊り、自由に誘惑し、自由に愛することができ、太陽の下で裸になり、肉体の悦楽を謳歌する。クルト・ユルゲンス、クリスチアン・マルカン、ジャン=ルイ・トランティニャンという三人の男優を前にして、微塵の罪悪感も持たずに自由に愛を飽食する女、これは1950年代的な公序良俗道徳観からすれば、前代未聞のスキャンダルだったのである。たとえこの種のヒロインが登場する映画がそれまでにもあったとしても、それは悪女淫女としてネガティヴな結論を引き出して収拾をつけたものだが、ヴァディムの『素直な悪女』は初めて自由な女性が勝利する姿をポジティヴに提出したという意味でエポックメイキングなのである。
 そして映画と現実の境もなく、夫ヴァディムの回す撮影カメラの視線に晒されながらも、ブリジット・バルドーは共演男優ジャン=ルイ・トランティニャンと恋に落ちてしまう。
 上映に「18歳未満禁止」の成人指定がついたものの、完成ヴァージョンから何ヶ所も検閲カットされたのち、映画は1956年11月28日にフランスで劇場公開されるが、(旧時代モラルの色濃い影響のせいか)大きな成功には至らなかった。イギリスでは接吻シーンを含む映画の4分の3がカットされ、露骨に写実的な表現は英国映画人たちの酷評の的となった。アメリカでは検閲だけでなく、州によっては上映禁止処分にも処されたが、逆にそのことが大きな関心を集めることになり、結果として興行的には大成功を収め、1957年に400万ドルの収益を上げた。また香港ではフランスで1年間かかって得た入場売上の同額分の収益をたった1ヶ月で計上してしまった。こうして国際的大成功のあと、その評判を受けて1957年後半にフランスで再上映され、やっとフランスでも大ヒット映画となるのである。
 あの官能そのもののマンボを憑かれたように踊り続けるジュリエットを誰が忘れることができようか。この一作でブリジット・バルドーは世界のセックスシンボルとなった。神がお創りになったのは「べべ(B.B.)」(イニシャルにしてブリジット・バルドーの愛称)であった。無造作に垂らした波打つ長いブロンドの髪(地毛は栗毛色だったが、ヴァディムがこの映画のために金髪に変えた)、あるいはビーハイヴ(フランス語では”シュークルート”と言う)に盛り上げ、黒いアイライナー、厚い唇に縁取りつきの真っ赤なルージュ...。べべ神話は生まれ、世界中の娘たちがバルドーに似ようとした。シガレットパンツ、ジーンズ、Tシャツ、ビキニ水着、かかとのないバレリーナ靴、ウェストを強調する太いベルト、スカーフ、ヘアバンド、ブリジット・バルドーの発案と言われるヴィシー(ピンクと白のギンガムチェック柄)生地、ミニスカート、ミニドレス....。

 『可愛い悪魔』(1958年クロード・オータン=ララ監督)、『真実』(1960年アンリ=ジョルジュ・クルーゾ監督)、『私生活』(1962年ルイ・マル監督)、『軽蔑』(1962年ジャン=リュック・ゴダール監督)、『ビバ!マリア』(1965年ルイ・マル監督)、『ラムの大通り』(1971年ロベール・エンリコ監督)..... 21年間に約50本の映画に出演したのち、1973年ニナ・コンパネーズ監督の『スカートめくりのコリノのとても素敵なとても楽しい物語』(日本劇場未公開)を最後に映画界および芸能界から引退する。

 1958年、バルドーはサン・トロぺの東にある入り江の村ラ・マドラーグの広大なヴィラを買い取る。国際スターや大富豪たちが立ち寄り、夜な夜な狂乱のパーティーが催され、湾に停泊したボートからパパラッチたちが超望遠レンズでバルドーらの狂態を捉えようと待ち構えている。1966年に三人目の夫となるドイツの億万長者ギュンター・ザックスは、ブリジットへの結婚プロポーズのために、ヘリコプターからラ・マドラーグに無数のバラの花びらをふりまいたという。後年に地球規模の大ヒットバンドとなるジプシー・キングス(当時はロス・レイエス)は、早くからバルドーのお気に入りで、ラ・マドラーグのパーティーには欠かせない楽団として狂宴を盛り上げていた。引退後も常にパパラッチの超望遠レンズに脅かされながら、バルドーはラ・マドラーグで最愛の動物たちと一緒に暮らしている。
 自伝などでバルドーは現役中に映画界および芸能界のあり様を激しく忌み嫌っていたことを吐露している。1960年9月、私生活を際限なく脅かす芸能ジャーナリズムやファンたちの圧力に耐えきれず自殺を図っているが、芸能ピープル各誌はこのことを映画『真実』の共演者サミ・フレイとの恋のもつれによるものと書き立てた。2009年9月の日刊パリジアン紙のインタヴューでこの自殺未遂についてバルドーは、その責任はマスコミによる私生活破壊にあったと断言している。

 その私生活とは4度の結婚、一人の子供(二人目の夫ジャック・シャリエとの間に1960年に生まれたニコラ・シャリエ)、自伝の中で名前が出た愛人たち14人。音楽愛好者にはどうしてもセルジュ・ゲンズブールとの関係に興味が集中してしまうが、それは前述のドイツの億万長者ギュンター・ザックスとの結婚中の1967年に短くも激しく燃え上がるのである。「ラ・ジャヴァネーズ」をジュリエット・グレコに、「夢見るシャンソン人形」をフランス・ギャルに提供した作詞作曲家としてしか世に認知されていなかった当時のゲンズブールは、ブリジット・バルドーを新たなミューズとして「ハーレイ・ダヴィッドソン」、「ボニー&クライド」、「コミック・ストリップ」、「コンタクト」など十数曲を書き上げる。どれも掛け値なしに素晴らしい。ブリジットはこの耳の大きな作詞作曲家から与えられる曲すべてを愛し、その作者も愛するようになる。「私に世界で一番美しいラヴソングを作ってちょうだい」とミューズは言った。すると恋するセルジュは「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を一晩で書き上げた。1967年12月、パリのバークレイ・スタジオでバルドー/ゲンズブールによるオリジナル版「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は録音された。しかしブリジットは躊躇う。彼女が望んだ最も美しいカタチであろうが、性愛を直截的に表現したこのラヴソングは、バルドーが夫ギュンター・ザックスとのトラブルを避けるという大義名分で、発売されることなく1986年まで封印されることになる。
 2010年1月公開予定の映画『セルジュ・ゲンズブール ー その英雄的生涯』(ジョアン・酢ファール監督)では、元トップモデルの女優レティシア・カスタがブリジット・バルドー役で登場する。そのカスタ起用についてバルドーは「驚異的な美しさ。私の代わりになる人にこれ以上のものは望めないわ」と称賛している。

 引退後のバルドーはとりわけ動物愛護運動家として知られている。1977年、カナダ北極圏の幼アザラシ狩猟の禁止を求める行動に始まり、各国政界のトップに直接談判するその姿は”動物愛護のジャンヌ・ダルク”を想わせた。狩猟、乱獲、動物生体実験、闘牛、宗教祭儀による動物犠殺、サーカス....、バルドーは動物を虐待するすべてのことに怒りを込めて、苛烈に反対運動を展開した。マスコミに登場する頻度が少なくなった引退後は、その登場の時はいつも怒りをあらわにした表情で動物の悲劇的状況を糾弾している。1986年、自らコレクションしていた貴金属アクセサリー類を競売にかけ、さらに19年間の封印を解いてゲンズブールとバルドーの「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」のシングル盤を発売し、それらの収益をもとに動物愛護団体「ブリジット・バルドー財団」を設立する。2006年に同財団は20周年を迎え、世界20カ国に6万人の大口寄付者を数えるという。同じ年、72歳のバルドーは自分が生きている間に必ずアザラシ猟禁止を実現してみせる、とカナダ首相に直接面会を求めたが拒否され、関節症を患い2本の松葉杖をついてその記者会見に姿を現した老バルドーの横に、ポール・マッカートニーの姿もあった。そして2009年7月には、フランスの新大統領夫人カルラ・ブルーニ・サルコジに公開書簡を送り、夫人から大統領ニコラ・サルコジに闘牛の全面禁止を説得するよう依頼している。
 反面、ブリジット・バルドーはポリティカリー・コレクトではない発言も多く、92年以来の夫となっているベルナール・ドルマルが極右政党支持者である影響もあろうが、イスラム教徒、同性愛者、組合系教職員、失業者、一部の外国人居住者などに対して問題ある中傷的発言を度々発してして、2008年には「民族的憎悪教唆」(incitation à la haine raciale = 特定の人種や民族や宗教の差別蔑視を煽動すること)の罪状で罰金刑に処されている。
 エキスポはそのオーガナイザーであるアンリ=ジャン・セルヴァが、エキスポカタログブック上で彼女の動物愛護活動には賛同しても、種々の発言に関しては同意しない、ということを明記してあって、彼女の政治的オピニオンの部分はこのエキスポには全く見られない。いいことだ。この素晴らしいエキスポは、映画スタートしてのブリジット・バルドー、50-60年代のアイコンとしてのブリジット・バルドー、多くの芸術家たちのミューズとしてのブリジット・バルドーばかりが見え、世界の同時代人たちが夢見た「BB(べべ)」とは誰だったのかが次世代人たちにもよくわかるように展開展示されている。1950年代、たったひとりブリジット・バルドーという女性の出現で風俗は変わり、価値観は変わり、女性たちは変わった。男たちはべべ以降の女性たちに圧倒され、たぶん、男女はもっと自由にもっと深く愛し合うようになったのだろう。今日、あなたの周りの女性たちをよく見てみなさい。みんなブリジット・バルドーに似ているはずだ。

(ラティーナ誌2009年12月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)

(↓)2025年アラン・ベルリネール監督ドキュメンタリー映画『バルドー』(フランス劇場公開2025年12月3日)予告編


2025年7月13日日曜日

憎みきれないろくでなし

Florence Seyvos "Un perdant magnifique"
フローランス・セイヴォス『華麗なる敗者』


2025年リーヴル・アンテール賞

家/脚本家のフローランス・セイヴォス(1967 - )の伴侶は映画監督アルノー・デプレッシャンである。そういうことで決めつけてはいけないのだが、それだけでわしらに親近感を抱かせる何かがある。初めて読む作家である。
 小説の時代はファックスが最新の通信手段だった頃、1980年代。話者は当時15歳のリセ生だったアンナ。2歳年上の姉イレーヌ(すなわち当時17歳)がいて、母親のモード(この名前は小説中一度しか出てこず、それを除いて小説中の呼称は"notre mère = 私たちの母”で一貫している)と、母親の再婚相手(すなわち義父)のジャックが、一応”四人家族”のような体裁で小説は進行する。アンナとイレーヌの血縁上の父である男、母親と離婚したアラン(この名前も小説中二度ほどしか出てこず、小説中の呼称は"notre père = 私たちの父”となっている)はカティアという女性と再婚していて、アンナとイレーヌはこの実父夫婦と週末やヴァカンスを過ごしていて、関係は悪いものではない。そしてジャックとモードの夫婦とアランとカティアの夫婦は、心底からではないにせよ奇妙な友情関係のようなもので結ばれており、二組の夫婦+二人の娘の6人で会食したり、クリスマスを過ごしたりしていた。これは離婚・再婚が重大な断絶事件ではなくなった1980年代頃の風潮を想わせ、あの頃の”進歩的”で言わば”左寄り”の中間裕福層30/40代に普通に見られた現象だと思う。フランスでは社会党ミッテラン大統領の誕生(1981年)以降の現象だと思われるが。
 母の再婚相手ジャックはアビジャン(コート・ジヴォワール)を拠点にしている実業家で、農業トラクターや建設土木機械を貸し出す事業を営んでいる。アフリカで開発や建設が急速に進んでいた時期なので、大きなプロジェクトと契約が取れれば巨額の収入もあっただろうが、売掛金の焦げつきも普通にあり、経営には波がある。社員を抱えず、ほぼ一人ですべてのことをこなしている一匹狼経営者だった。金遣いは荒く、衝動で欲しいものがあれば、買わずにはおれない性格だった。教養があり、趣味人でもあり、ダンディーであるが、その代わりアフリカにもフランスにも友人はいなかった。
 この男は野心家ではない。”アフリカで一旗挙げよう”系の白人フランス人ではない。アフリカを愛している、それは確かだ。たぶんフランス社会に適合が難しいタイプ。その夢はモードとイレーヌとアンナと一緒にアビジャンで”家庭”を築くことだった。暗い幼少期があったのかは明らかではないが、ジャックには家庭願望が強い。そして彼は幸福な家庭の父長になりたい。家族の指導者でありたい。しかも良き父長、良きリーダーになりたいのだ。主導権を握る善父というわけだ。モードとイレーヌとアンナにそれぞれ愛情の迸る手紙を送りつけたり、独創的なプレゼントを捧げたりする一方、二人の義娘には服装やマナーな言葉遣いを嗜めたり、権威的に接しもする。イレーヌとアンナはこの”物言う義父”が鬱陶しく、そのエキセントリックな素行が恥ずかしくもあった。小説の前半は、二人の少女たちの義父を敬遠したい気持ち、さらには剥き出しの嫌悪感すらも描かれている。
 小説は時間軸に従わないで進行するが、すでに冒頭からジャックの終わりが近い時期が描かれている。終わりは予定通り最後にやってくるのだが、その終わりに至る下り坂は緩やかだったり急だったりする。夢破れて滅びるのはジャックである。妻モードと義娘二人はその立会人であり、証人であり、観察者であり、直接の当事者であり、被害者でもあり、敵対者でもあり、共犯者でもある。この複雑な関係を15歳の少女アンナはどう体験していたのか、というのが小説の大きな主題である。
 四人はジャックの希望通り、短期間ではあるがアビジャンで家族として暮らしていた時期があった。大きな家に住み、ジャックは妻と義娘たちが快適に暮らせるように家の改造を繰り返し、実際にはそうでなくてもアフリカで成功した実業家のような体裁を誇示しようとしていた。ジャックはここにユートピアを築こうとして、3人に物質的快適を与えることを惜しまないのだが、それは空回りする。事情は隣家に引っ越してきた一家(多国籍企業に務めるインド系ビジネスマンのハリーとフランス人妻リディア+子供+猫)との交流で一転する。友人を持たない主義のジャックのせいで最初はギクシャクした関係だったが、ほぼ毎週末”アペロ”を招待し合う仲になり、さらにジャックがわざわざフランスから最新式のテーブルサッカー機を取り寄せ、二家族が夢中になって長時間興じるようになるや、笑いと歓声溢れる毎週末の大イヴェントとなってしまう。これがこの小説で最もユートピアに近い恩寵の時期として描かれている。ところがこの幸福は長続きせず、隣家一家はローマに引っ越してしまう。最もダメージを受けたのはモードで、親友になりかけていたリディアの不在が耐えられず手紙を頻繁に送るのだが、やがて精神の滅入りが顕著になる。それに誘引されるようにモードはマラリアに陥ってしまう。(モードはマラリア特効薬キニーネの副作用に悩まされていて、その服用が十分ではなかった。つまり最初からこの風土で生きることが難しかったということなのだ。)ジャックは家の中にモードを隔離し、娘たちに面会を禁止させる。娘たちは激しく反抗し、義父と暴力沙汰一歩手前まで敵対するようになる。四人の関係は崩壊寸前となり、その結果ジャックをアビジャンに残し、モードとイレーヌとアンナはフランスに帰り、ル・アーヴルのモードの家で暮らすようになる。
 しかしモードはジャックを見限ったわけではない。ジャックは見捨てられない。ジャックを支え続けなければならない。これは愛なのか。そんなものではないように思える。モードを引き付け続けるジャックの魔力とは何なのか。モードはジャックに「ナポレオン」のようなロマンティストで孤高で不遇の英雄の姿を思い描いていて、それを支える自分の行為も(並の人間にはできない)英雄的なものだと思っているふしがある。前夫との並の人間の生き方を捨てて、英雄的なジャックの世界に飛び込んで行ったのは、最初は目も眩むような冒険だったのかもしれない。その決死の選択の陶酔がまだ残っているのだろう。
 だが、その選択をキッパリと否定してしまうのが経済的現実である。ジャックのビジネスは失敗に次ぐ失敗で、借金は家屋やモードの親族の財産などが没収されかねないほど膨らんでしまっている。それの資金繰り・帳尻合わせ・逃げ口探しを全部任されているのがモードであり、ル・アーヴルで冬の暖房をカットしてしまうこともある。一時は大改装できるほど潤っていたアビジャンの貸屋をジャックは追い出されるほど困窮している。だがジャックは根拠のないハッタリのオプティミスムで、(毎回)今結ばれつつある契約が成立すれば、こんな窮状は簡単に克服できるとモードにも義娘たちにも豪語している。
 モードはそんなジャックを支えるためにル・アーヴルからアビジャンに出かけていく。10日の滞在予定が数週間になってしまう。その間イレーヌとアンヌはル・アーヴルの屋敷を自由に使い、時々は学校をサボり、ダチたちを家に呼んでアルコールと大音量音楽のパーティーに明け暮れる。娘たちは親たちの窮状を知らないわけではない。一時的でもそれを忘れないとやってられないのだ。
 そしてジャックもまた状況はどうあれ、クリスマスにはアビジャンからル・アーヴルにやってきた家族でクリスマス休暇を楽しむのだ。アンナにはこれが耐えられない憂鬱なのだ。早くいなくなってくれればいい、さらにジャックとの関係が早く断ち切られて欲しいとすら思っている。
 そういう流れであのジャックの死の前年のクリスマスはやってくる。モードは台所にいて、これまで一度も焼いたことのない七面鳥を不器用に準備していて、二人の娘はそれを手伝ったり、クリスマスツリーの飾り付けをしたりしている。この宵には前夫アランとカティアの夫婦もやってくる。夕方になり、家の前に骨董品屋のトラックバンが止まり、次から次に骨董家具を家の中に運び込む。ルイ16世様式の戸棚つき書机(仏語ではBonheur-du-jour)、骨董照明ランプ台、ペルシャ敷物...。ジャックは義娘たちにサロンを片付けてこれらの骨董家具の置き場所を作れと指示し、クリスマスなので搬送に同行した骨董商やその運送人たちに気前よくシャンパーニュを振る舞って上機嫌になっている。モードは何も見たくない。どれだけの負債を抱え込んでいるのかを知った上でのジャックの狂気の沙汰。モードはジャックがアビジャンに戻って行ったらこれらの宝物を全て返品するつもりでいる。しかしこれらの骨董家具に続いて、別のトラックが家の前につけ、玄関ドアから入れないので中庭側からサロンのガラス戸を開けて、巨大なグランドピアノが...。
 この家族でピアノを弾く者など一人もいない。一体誰が?「イレーヌが弾ける」とジャックはみんなの前で宣言する。幼少の頃1年ほどピアノのレッスンを受けたことがある。この日からこのピアノはイレーヌのためにサロンに鎮座し、ジャックはイレーヌがポロンポロンと弾くピアノを目の前で聴くことに恍惚となるのだ...。これがジャックの義娘への愛の表現であり、ピアノはジャックとイレーヌの愛の絆となるとジャックは勝手に思っている。
 モードは人生で最悪のクリスマスに深々と心を打ちのめされ、どうやって立ち直れるのか。話者アンナは、このクリスマスの翌朝早く目が覚め、寝室から階下の台所へ朝食に降りていく途中、このサロンに新たに置かれた全てのものが消え去っているはずだと願うが、すべては昨夜の位置にとどまっている...。
 この悪夢はどこまで続くのか。モードの懸命の交渉でも件の骨董家具は返品売却の目処は立たず、ジャックの負債の取り立ては家屋を失う段階にまで来ている。アビジャンのジャックは自分の都合が悪い時は全く連絡が取れない。もう限度はとっくに越えている。自分と娘たちを守らなければならない。ついにモードはアンナにこう漏らす「ジャックと別れるわ」。アンナはこの決断をおそらく理解はしたのだろうが、何もコメントできない。次いでモードはイレーヌに同じことを告げる。するとイレーヌはきっぱりと「ダメよ、私たちはジャックを守らなければならないのよ」と母に抗弁する。アンナはたぶんイレーヌが私の分まで代弁してくれた、と思ったに違いない。この姉妹はずっと義父を厭い、嫌悪し、いなくなってくれればいいと思っていたはずなのに!
 翌年のクリスマス、ジャックはフランスまでの旅費もなく、モードはアンナの積立預金から拝借してジャックに旅費を送金する。スーツケースもなく、買い物袋一つを手に持ち、ボロボロの為体でジャックはル・アーヴルにやってくる。糖尿病を極度に悪化させ、道中に気絶もしながらやってくる。ジャックは義娘たちに死ぬほどの激務で仕事しているが、景気は良い兆しが展望できる、俺にはお前たちの母親が必要なのだ、いつかまた四人で暮らせる日がきっと来る、と...。その数ヶ月後、ジャックはアビジャンで命を落とす...。

 小説はその40年後のアンナが、このどうしようもないろくでなしと生きた十代の数年間を回想するものであるが、この典型的なルーザーへの母モードのほぼ不条理な献身、そして二人の姉妹があれほど忌み嫌っていた義父に心が靡いてしまう変遷の記録である。ジャックのだらしなさ、その孤独なダンディズム、出来もしない約束の数々、過度な夢想家、ロマンティストそしてアフリカで失敗する白人。この生きざま/死にざまを作者は「華麗なる敗者 - Un perdant magnifique」と題したのだが、題はすべてを語っている。

Florence Seyvos "Un perdant magnifique"
Editions de l'Olivier刊 2025年1月、142ページ、19,50ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2025年1月、国営ラジオFrance Interの朝番7-10でレア・サラメのインタヴューに答えて『華麗なる敗者』について語るフローランス・セイヴォス。

2025年6月30日月曜日

愉快で詩的なメタフィジック

"Amélie et la métaphysique des tubes"
『アメリーと管の形而上学』

2025年フランス(アニメーション)映画 77分
監督:リアーヌ=ショー・アン&マイリス・ヴァラード
原作:アメリー・ノトンブ『管の形而上学』(2000年)
フランス公開:2025年6月25日


 「7歳から107歳までの子供たちにおすすめ」と映画会社(Haut et Court)のコピーにあり。子供向けアニメーション映画である。この映画化に合わせて、6月1日ノトンブの出版社アルバン・ミッシェルから絵本版アメリーと管の形而上学』(イラスト:アレクサンドラ・ガリバル、36ページ)も出版された。このアニメと言い、この絵本と言い、原則は子供向けなのである。ただ、小さい子供に「形而上学(Métaphysique)」なるムツカシイ題はだいじょうぶなのだろうか。しかも「管の」という限定語がかぶさると、ますますお子さんたちにはだいじょうぶなのか、と心配になってくる。
 原作『管の形而上学』(ノトンブ9作目の作品、2000年アルバン・ミッシェル刊)はまったく子供向けの小説ではない。やや衒学的で捻くれたノトンブ文体、読者が分かろうが分かるまいが、並みの人間とは格が違う視点論点で進行する。並みの人間ならばあろうはずがない新生児→乳児→幼児の記憶を、偉人伝/自分史のように開陳する。その中でこの新生児は恐れ多くも「神」であると断じているのだ。(↓)小説冒頭の12行。
始まりには何も無かった。そしてこの無は空っぽでも朧げなものでもなかった。その無とはおのれ自身に名づけられたものであった。そして神はそのことを良いことと見ていた。この世のために神がなにものも創造しなかったかのように。この無ほど神に相応しいものはなく、神はそれで満ち足りていた。
神の両目は常時開いていて、じっと動かなかった。たとえそれが閉じられていたとしても事情は何も変わらなかったろう。そこには何も見るべきものはなかったし、神は何も見なかった。神は茹で卵のように張りがあり身が詰まっていて、丸みを帯び、不動の姿勢を保っていた。

こんなの読むと面食らいますよね。アメリーさんは無の状態で神として生まれた、というわけですから。平たく言えば、この人は2歳半まで「植物」あるいは「野菜」(担当小児科医の表現)のように、全く無反応で不動で泣くことも声を出すこともしない生物だった、ということ。三十数年後に自分の生い立ちをフィクション化して書いたものだ。
 しかしノトンブの諸作で神話として作り上げられてきたこの作中人物「アメリー」の「1967年神戸生まれ」という誕生譚は事実ではなく、実際のアメリー・ノトンブは「1966年7月9日、エテルベーク(ベルギー)生まれ」ということらしい。「神戸生まれ」は”そうであったらいいのになぁ”の領域であったのだが、散々書いたあとなので引っ込みがつかなくなっている話。まあ古今の大作家ではよくあること、と流してしまおうではないか、お立ち会い。
 さてこの『管の形而上学』で作中のアメリーは生後2年半「神」であり、目を見開いたまま動かない植物状態であった。その神は栄養物を上から注入し、必要分を摂取したのち、下から排出するだけの「管(tube)」であった。この不動の野菜である「管」は、目を見開いたまま何も見ず、何も頓着せず、神のように鎮座していた。こういう原作の”小難しい形而上学論考”を子供向けのアニメに脚色すること、ほぼミッション・イムポシブルのように思われましょうね。しかし、映画って何でもできるんですよ。
 これはルイス・キャロル『アリス』がディズニー動画『不思議の国のアリス』にまったく別物として昇華してしまったケースと似ているかもしれない。トーンはまさに「不思議の国のアメリー」であり、カラフルで、ともすればサイケデリックで、パラダイス的で、時おり印象派(スーラの点描)的なワンダーランドの中の、緑色の目をした幼女の冒険譚である。She comes in colors everywhere. それはノトンブがその多くの著作の中で夢見続けている”日本”のイメージのカラー見本のように見えるではないか。
 (日本ではよくあることという注釈つきで)ある大きな地震が起こった日、管=神は突然覚醒し、2年半の不動の野菜状態から抜け出し、神の怒りを表現するかの如く、激しい音量で泣き叫び、それは四六時中止まなくなる。この覚醒に両親は狂喜し、父パトリック(外交官=在日ベルギー領事)はベルギーにいる祖母クロードに今すぐ飛行機で神戸に来てください、と。しかし覚醒した神は目覚めたままほとんど眠ることもなく(睡眠時間2時間という今日まで続くアメリー・ノトンブの不眠症はこの時から始まったとされる)、大音量の号泣を繰り返すばかり。これには子供部屋を共有する兄アンドレ(当時7歳)姉ジュリエット(当時5歳)もたまったものではない。母ダニエルは、生後2年半の”遅れ”を取り戻すための(成長に必要な)泣くことの集中的復習なのだと解釈する。だが神には、”進んでいる”だの”遅れている”だの、比較する対象などない。神と比較できるものなどありえようか。泣き叫ぶ神はそのありのままの時間を生きている。家族はたまったものではないが、神には知ったことではない。
 そして奇跡は起こる。空を飛んで神戸にやってきた祖母クロードがハンドバッグに潜ませて持ち込んだベルギー産ホワイトチョコレートのタブレット、これをパキンと割って泣き叫び続ける幼女の口に含ませると....。
 これが”人間アメリー”の誕生の瞬間であった。9ヶ月の胎内滞在ののち、3年近くの胎外コクーン滞在を過ごしたのち、アメリーは誕生し、世界を見ることができ、家族と言葉を話し(最初に発した人間語は「掃除機 Aspirateur」)、そのワンダーランドを冒険することになる。見たい、知りたい、触れたい... このワンダーランドはアメリーのものさ。アニメだとこういう展開はまさにワンダーフルな絵の連続で、観てる子供たちはさぞうれしいであろう、爺の私もうれしいうれしい。
 その絵の最重要なエレメントが夙川の山側に展開される花鳥風月であり、ノトンブ家の借家とその隣家のカシマさん(借家の家主でもある)の広大な日本庭園の風景なのだった。クロード・モネによって夢見られた”日本”とでも言っておこうか。それはとりもなおさずアメリー・ノトンブの諸作品で夢見られている”日本”でもあるのだ。怪物の貪欲な口をした錦鯉、蛙、バッタ、蝶、四季折々の花々、ときおり出現する妖怪たち...。
 この不思議の国日本をやさしく教えてくれるのが、家事手伝いのニシオさんだった。ニシオさんはすべてを知っていて、この世界の秘密を解き明かしてくれる。人間アメリーはこのニシオさんを”母たるもののすべて”を備えていると思い、”母”と慕うようになる。ニシオさ〜ん!それは困ったことすべてを解決する魔法の呪文でもあった。そしてニシオさんがアメリーという名前の半分は日本語では「雨」と書いて、天から降る”la pluie”のことなのよ、と教えると、わたしは最初から日本人だったと深く固く信じ込んでしまったのだった...。日本人の母のニシオさんと、日本人のわたしアメリー、これがノトンブの生涯を通してまとわりつく日本との一体感であり、既に自分の中に血肉化されたものとしての日本という、不可能な信じ込みの始まりであった。
 それはアメリーにとって完璧な世界であった。Un monde parfait. だがその完璧な世界は無惨にもアメリーに禁じられてしまうのである。ここが、ノトンブの場合(例えば1999年”Stupeur et tremblements"『畏れ慄いて』で典型的なように)あまりにステロタイプな”日本人”の世界観で辻褄を合わせてしまうのだよね、とても残念。この『管の形而上学』では、家主のカシマ夫人が先の戦争で家族をすべて失っていて、その殺害者たる欧米諸国に消すことのできない怨念を抱いている。その供養のお盆の灯籠流しにニシオさんが(敵側の人間たる)アメリーを連れていき、灯籠に先祖の名を書かせて流した、という現場を見てしまい、カシマ夫人は激怒し、ニシオさんを先祖の死を汚した(敵に魂を売った)非日本人となじり、ノトンブ家の家事手伝い職から解雇してしまう。アメリーにとってニシオさんを失うことは人生を失うことに等しい。人生の終焉に3歳で直面したアメリーは、この世に未練などない、と自殺を図るのである。
 小説『管の形而上学』は、この3歳にして世の無情を悟り、自殺を図るというカタストロフィーを”文学”にしたものである。しかし、子供向けアニメがその自殺という主題をストレートに描いてしまうのは、さすがにまずい。このデリケートな部分は、”自殺”と匂わせないかたちでアメリーが池に溺れていくというイメージで表現され、子供向けアニメのための救済として、カシマ夫人がアメリーを救い出し、ニシオさんは許され、ノトンブ家に復帰する、というハッピーエンドにつながっていく....。

 アニメーション映画としては、それはそれは文句なく超一級の出来栄えでしょう。総合映画サイトALLOCINEによると、全プレス評の平均が「3,9」という高さで、入場者数も第一週(6月25日〜7月2日)で7万人弱でボックスオフィス第10位の好成績である。プレス評のうち硬派のテレラマがベタ褒め(TTTT Bravo )でこう書いている。

Le célèbre roman d’Amélie Nothomb se transforme en pépite pop, drôle et poétique, pour une délicate fusion entre animation française et japonaise.
アメリー・ノトンブの著名な小説が、フランスアニメと日本アニメの繊細なフュージョンによって、愉快で詩的でポップな金塊(pépite)に変身。
私もアニメのクオリティーには驚いて観ていた。ノトンブ絡みで日本の描き方のディテールで文句つけたくなるところはややあれど、7歳から107歳の子供たちはワンダーワールドの旅を十分に楽しめただろうと思う。いいんじゃないですか? ノトンブは(未来の)新しい読者たちを獲得することになっただろうけれど、この子供たちが小難しい(形而上学)言語を読めるようになってこの原作小説を読んだとき、やはり原作は別ものだと思うだろうし。それが”文学”への入り口になったりするんでしょうし。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)アニメ映画『アメリーと管の形而上学』予告編 

(↓)日本人音楽家・福原まりが担当したオリジナル・サウンドトラックより「神、管 (Dieu, le Tube)」

2025年6月28日土曜日

傷だらけのティーンスピリット

”Enzo"
『エンゾ』


2025年フランス+ベルギー+イタリア映画
監督:ローラン・カンテ
演出:ロバン・カンピーヨ
主演:エロワ・ポウー、マクシム・シルヴィンスキー、ピエルフランチェスコ・ファヴィノ、エロディー・ブシェーズ
フランス公開:2025年6月18日



2024年4月にガンで急逝したローラン・カンテ監督(『壁の中で Entre les murs』2008年カンヌ映画祭パルム・ドール賞、2012年『フォックスファイア』...)が制作半ばだった映画を盟友で共同脚本家だったロバン・カンピーヨ監督(『120BPM』2017年カンヌ映画祭グランプリ)が引き継いで完成させた“ローラン・カンテ監督/ロバン・カンピーヨ演出”と銘打たれた作品。脚本はローラン・カンテ+ロバン・カンピーヨ+ジル・マルシャン。  
 舞台は南仏地中海岸の風光明媚な町ラ・シオタである。マッシリア・サウンドシステムのタトゥー/ムスー・テがラ・シオタを地盤にしているので、気持ち的にはとても親近感のある町なのだが、一度も行ったことはない。タトゥーの影響でイメージ的には造船所+漁村という労働者人民の汗っぽい土地柄を想っていたのだが、この映画で主に登場するのは豪奢なヴィラである。豪華プールつき。16歳のエンゾ(演エロワ・ポウー)はそのヴィラに住む一家の次男坊。父パオロ(演ピエルフランチェスコ・ファヴィノ)は大学教授、母マリオン(演エロディー・ブシェーズ)はエリート・エンジニア(映画の中で、エンゾが母に給料いくらもらっているのか、と問うシーンあり、高額所得者だが、夫は私より収入が少ないとあっけらかんと答えている)、兄(長男)ヴィクトールは両親に逆らうことなく”敷かれたレール”のように大学進学の道を進むが、エンゾはこの何ひとつ不自由のない環境を自分の居場所と感じることができない。懐疑的で未来も現在も掴まえられない。空論は要らない。具体的で手で掴めるものが欲しい。エンゾは学業を半ばにして、家屋建設現場の左官工の見習いとして働き始める。「不安定な青春期(あるいは反抗期)」と通り一遍の解釈をする両親は、それを一過性の気まぐれとして寛容する。父と母でその寛容の度合いは異なる。父は”まっとうな方向”への軌道修正を強く望むゆえ、”意見”を垂れるためエンゾとは口論が絶えないが、その”親心”は誠実なものである。建築現場へ毎朝手弁当を持たせて送り出す母は、エンゾの選択を尊重するが、時が経てば自然と”こちら側に還ってくる”という楽観論がある。
 エンゾは絵を描くことに長けているが、親が勧める美術方向への進学を頑なに断る。具体的な”手の職”を求めて飛び込んだ左官職見習いだが、この強靭な肉体を要する仕事の技能習得はエオンゾの意に反して難しいものがある。親方に怒鳴られながら覚えていくが、それはデリケートな精神の持ち主には(あるいはブルジョワのボンボンには)着いていくのが難しいものであろう。このなかなか一人前に育ってくれない見習い工に業をにやして、雇い主の土建屋のボスが、未成年のエンゾの法的責任者である両親と解雇の可能性を含む”話”をしたい、とエンゾを連れて...。行ってみて初めてこの豪奢なヴィラに住む一家の息子だったと知った土建屋ボスは、その”階級的圧力”にビビってしまい、エンゾの問題を申し立てることすらできず、恐縮して退散してしまう...。  エンゾにとって”相応しくない場所”と反抗しているこのヴィラ的環境が、周りの人間たちからはエンゾに相応しい場所と見えていて、建築現場の”剥き出し”の環境はエンゾにそぐわない、というのが多数派の考え方だ。だが、繊細な小僧だったエンゾは厳しい徒弟修行のせいで徐々に筋肉質の肉体を獲得していく。  その厳しい徒弟修行のコーチ役となるのが、現場の先輩格であるウクライナ移民の二人、ミロスラヴ(演ヴラディスラヴ・ホリク)とヴラード(演マクシム・スリヴィンスキー)である。二人とも家族をウクライナに残して出稼ぎに来ているが、招集令があれば兵士となって(対ロシア戦)前線に行かなければならない。二人とも軍隊の体験はある。年上のミロスラヴは祖国・家族のために前線で戦うことに肯定的でいつでもその準備は出来ていると言うが、ヴラードは消極的で懐疑的でむしろ避けたいと考えている。エンゾはヴラードに問う、おまえの”居場所”はウクライナであり、そこで祖国のために戦うことではないのか、と。エンゾにつきまとう”居場所”の問題である。  二人の雄々しきスラヴ男は生っちょろかったエンゾを弟分のように連れ回し、”スラヴ式”大人の男の世界に引き込もうとする。酒、パーティー、女たちとの付き合い方...、エンゾは背伸びしてその世界について行こうとする。16歳。お立ち会い、ご自分の”あの頃”を覚えてますか?背伸びしてたでしょうに。
 エンゾに左官のイロハを文字通り手取り足取りで教え込んだのはヴラードである。頼りになる筋肉質の優男である。”兄ィ”である。親の血を引く兄弟よりも、である。そして工事現場の埃まみれ汗まみれのスキンシップである。このあたりは『120BPM』を撮ったロバン・カンピーヨの真骨頂のような、男と男の官能が香るシーンが本当にうまい。かくして16歳のエンゾに、全く自分にコントロールできない(il est plus fort que moi)ホモセクシュアリティーの萌芽が訪れる。抑えが効かなくなる。苦しい。この”兄ィ”と一緒にいたい。離れたくない。この想いは成就できないのか。  おそらくエンゾの探していた”居場所”はこの男の腕の中だったのである。建前上(表面上)ヴラードはヘテロであり、愛する女性もいる。ヴラードは若いエンゾの恋慕を予め拒絶する態度を示すのであるが、エンゾのエスカレートするパッションを見捨てることができなくなる。なにしろ”いい兄ィ”なので。しかし、ヴラードの拒絶を許容できないエンゾの暴走はいよいよ常軌を逸し、ヴラードの目の前で工事現場の足場最上部から自ら転落してしまう....。

 若いという字は苦しい字に似てるわ。エンゾは一命を取り止め、リハビリを終えブルジョワ家庭に戻り、一家でイタリアにヴァカンスに出かける。ウクライナ移民労働者の二人ミロスラヴとヴラードはウクライナに戻り、兵士として戦場に赴く。イタリアでローマ時代の遺跡を家族で散策している途中、エンゾのスマホが鳴り、相手が戦場にいるヴラードと知るや、家族の目を避けて遺跡の岩壁に身を隠し、忘れじの”兄ィ”と交信する、というのがこの映画のポスターのシーンであり、映画のラストシーンでもある。戦場にいても愛は死なない。愛は死なない。苦しくても愛は死なない。私が書くととてもチープな表現に思われるかもしれないが、愛は死なない、そういう救済を持って終わる映画が悪いわけないじゃないですか。故ローラン・カンテにあらためて合掌🙏

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『エンゾ』予告編

2025年6月20日金曜日

あかん悪漢小説

Raphaël Quenard "Clamser à Tataouine"
ラファエル・クナール『タタウィンでくたばれ』

 2025年6月現在、書店ベストセラー1位。1991年生れ当年34歳の男優(兼映画作家/脚本家/プロデューサー)のラファエル・クナールの初小説作品。初稿は7年前、出版社にことごとく拒否されたそうだが、昨今映画俳優として評価が急上昇(2024年セザール新人男優賞)して事情が変わったのだろう、初稿に大分”直し”を入れられたものの、無事フラマリオン社から出版の運びとなった。当初”ピエロ・チッチ Pierrot Tchitch"という筆名を用意していたが、出版前に変更してクナールが著者名となった。まあラファエル・クナールの名がなければこのベストセラーはあり得なかったであろう。それだけクナールは昨今の映画で世に憚るキャラクターになっているのである。

 小説は一人称で書かれ、その文体はクナールの(独特のイントネーションの)話声が聞こえてきそうな不逞さが浮かび上がる。作中の注意書きでも、メディアのインタヴューでもクナールはこの小説は私小説ではなく純粋なフィクションであり、文中の話者の思想と行動を作者(クナール自身)は全く弁護するものではない、と強調している。この小説の話者は反社会妄想者(ソシオパット Sociopathe)であり、女性ばかりを標的にしたシリアル・キラーである。
 タタウィンTataouine)はチュニジア南東部に実在する地方都市であり、主人公が2024年にフランスで起こした6件の連続殺人事件の後、”高飛び”した場所である。話者はここでその連続殺人を記録した手記を”文学”として書き上げるである。
 タタウィンで話者は住処として、フランス人老婆リリアンヌが切り盛りしている(夕食付き)民宿に逗留する。この老婆と毎晩夕食を共にするのだが、話者はなぜか彼女とウマが合い、やがてその打ち解けた身の上話から、老婆が過去において一時は頂点を極めた映画プロデューサーだったことを知る。全面的な社会不適合者のはずだった話者が、老婆との触れ合いに和み、親密さの度合いを濃くしていき、老婆が毎明け方4時に目を覚まし、便所で小用するのを毎度手伝うまでに関係が密になる。この人生で初めての他者との融合的調和に幻惑したか、話者は老婆に自分は小説を書いていると告白する。そしてリリアンヌにこの作品の最初の読者になってくれないか、と。
 こうして本書の25ページめからがリリアンヌによって読まれる話者の”小説手稿”というかたちで進行する。プロローグは2024年1月、ここで話者は8階建ての建物の屋根から飛び降り自殺を試みるが、踏みとどまる。この社会との折り合いの悪さは既に頂点に達していて、社会に順応する意志などこれっぽっちもなく、ましてや生きている理由など何もない。死ぬしかないのだが、話者はこの自殺未遂で「ほとんど死んだ」と自己納得し、一匹狼社会復讐アクティヴィストに変身してく。ここの箇所、自殺断念→シリアル・キラー化、という推移に私は何らの論理的整合性を読み取れないのだが、話者はそんなものに拘っているヤカラではない。朝決心したことを昼にあっけなく翻す、説明なんぞどうでもいい、という文体で書かれているのだ。かと言って野卑な”郊外語”に溢れた”町”小説というわけでもない。膨大な読書経験と学歴(化学専攻)と豊富な雑学に裏打ちされた読ませる無頼文学なのだ。映画で見られるこの男優のキャラから想像して読み始めるとかなり面食らう。
 卑劣にも自殺を断念した男はその代償を他人を殺すことによって埋め合わせる。勝手なリクツだが、凶悪犯罪者のリクツなどこんなものだろう。予め社会から拒否され、自らもそれを拒否した男による社会への復讐は、男から可視できる社会の最上部から最下部まで(つまり男から手の届く”全社会”)の女たちを一人一人惨殺することだった。6階層の女たちが選ばれ、小説はそこから6章に分かれて殺人劇が展開される。

Acte I : L'aristocrate (貴族夫人)
Acte II : L'ingénieure (女技師)
Acte III : La femme de footballeur (フットボール選手の妻)
Acte IV : La jeune active (若い活動的な女)
Acte V : La caissière (レジ係の女)
Acte VI : La SDF (ホームレスの女)
 小説は殺人鬼が惨たらしく標的を殺害するという描写がメインなのではない。話者がこの女と決めた標的にどのように巧みに接近していくか、接近し、信頼を勝ち得、打ち解け、その私生活の細部まで打ち明けられるほど親密な関係を構築できるのか、これが非常に面白いのである。最上流、上流、中流、下層、最下層という標的の社会環境でそのアプローチプロセスはそれぞれ全く異なり、話者は入念な観察と分析をもってターゲットをものにする。それぞれの社会階層の人間模様も鮮やかに見えてくる。ちょっとバルザック的。これがこの小説を”文学”たらしめているのだと思う。
 第1章「貴族夫人」は高級住宅地区パリ16区の聖テレーズ礼拝堂の中で標的が定められる。ローマ・カトリック系の由緒ある教会で、著名な慈善活動(恵まれない子女たちの更生援助団体)の本部でもあり、富裕で敬虔な信者たちが毎度のミサに集う。話者はこの神妙な空間を嫌っておらず、批評的な聞き方であるが司祭の説教も有り難く拝聴する。話者の一列後ろの礼拝席でミサに一人で参列している身なりも身のこなしも貴婦人そのものの中年女性を観察し、接近する。最も重要な働きをするのが言語(Langage ランガージュ、言葉づかい)である。グルノーブル郊外出身の社会経験の乏しい(予め社会に拒否され、自らも社会を拒否した)話者が、なぜこのような実生活での接点のない階級(上層も下層も)の人種と臆することなく接触できるのか、それは膨大な量の読書によって獲得した数々のランガージュのおかげだ、と話者は説明している。口が上手いのではない。その階層の人間たちと話せるランガージュを持っているということなのだ。ミサが終わり礼拝堂出口へ向かう参列者たちの歩みの渋滞に乗じて、男は貴婦人に話しかけ始める。今日の司祭の話のことから始まり、ミサの常連でもないのに聖テレーズ礼拝堂の界隈の話題に移り、15区に住んでいるがこの礼拝堂近くのフランソワ・ミレー通りに仮住まいを買ったばかりですよ、と。「まあ偶然ですね、私たちは言わばご近所同士ね」と貴婦人が親近感を示し始める。この住まいや生活の場の近さを知ることは警戒心をかなり取り除くものらしい。こうして男は善良な中年貴婦人の防御を解き、名をマルトという男爵位の貴婦人が未亡人であり、代々受け継いでいるブルゴーニュ地方の城主であり、パリとブルゴーニュの半々の生活をしていることを知る。城の維持費が嵩張りすぎて、家計は苦しい、とやんごとなき婦人の苦言を話者は理解する。格好の話し相手と出会った男爵夫人は、今朝お隣さんからいただいたプラムのタルトがあるので、一緒に召し上がりませんか、と16区オトゥイユ街の超豪華アパルトマンに男を招待する...。(そこが話者の第一殺人事件の犯行現場となる)
 貴婦人には20数年前にガンで死んだ夫=男爵との間にオルタンスというひとり娘がいるが、この娘が小説の最終部(タタウィンでの後日談=エピローグ)に登場する。

 第二の事件は、若い(と言っても40代か)エリート富裕層の女性で、ひところ”ヤッピー”と呼ばれたアーバン社会階層と言っていいのかな。一流メーカーの上級エンジニアであるエレーヌは国立病院のがん研究医師の夫フランクとの間にひとり娘のマルゴがいて、リセの理系セクション最終課程にあり進学試験準備中。特に化学が弱いというので家庭教師として(スーパー等に張り紙広告を出していた)話者が起用される。エンジニアであるからその”理系”方面の知識は大変なものなのだが、それを納得させられるだけのハッタリ知識を話者(学歴詐称しているが実際は大学中退)が持っていて、まんまとこの富裕家庭の中に入り込むことができた。娘マルゴとの師娣関係はすこぶる良好で、母エレーヌは家庭教師に全幅の信頼を。”進歩的”女性を自認するこの母は往年の”ニューエイジ”系の厳格なヴィーガンであり、唯一の飲料がアーモンドミルクであり、いつも冷蔵庫の中にある。そしてこの家は彼女の”進歩的”ネットワークを通じて、アメリカからオペア学生を迎えている。1年の予定で迎えられたカトリンという名のジョージア州出身の娘は、仏語学習という名目でやってきたが、実際はパリの無秩序な自由を謳歌するのが主目的で、家へのドラッグの持ち込みなどでエレーヌと衝突することが多い。話者はこのカトリンとエレーヌの反目関係を利用しない手はない、と直観する。家庭に受け入れられ全幅の信頼を得ている家庭教師は、ある日、冷蔵庫の中のアーモンドミルクの瓶の中に青酸カリを混入する。事件が発覚すると、嫌疑は家庭と諍いの絶えなかったアメリカ人学生に集中する...。

 このようにひとつひとつのエピソードが巧妙なシリアルキラーの邪悪な画策がまんまと成功する悪漢小説ストーリーなのである。同時にそれぞれの社会階層に特徴的な人間模様が鮮やかに描かれているのである。軽妙な文体にも関わらず鋭い観察眼が発揮されている。上手い。

 こうやって全部の章を紹介していくと大変な行数になるので、もう一つだけでとどめておくが、第3章の「フットボール選手の妻」は前章のエレーヌというブルジョワ家に生まれたブルジョワと異なり、本来ならばそのポジションにいるはずのない”成り上がり”富豪層の話である。話者はレセプションのホスト・ホステス派遣エージェントに臨時職契約で就職、各種イベントでホストとしてゲストのお世話・接待を。ある夜、フランス最強のプロサッカーチームPSGの試合後レセプションで、スター選手ネストール・ゴンザーグと波長が合ってしまい、気に入られ、次回からのイベントにゴンザーグから指名が入るようになる。話者がこの社会階層・身分・階級を容易く越境でき、その関係に溶け込めるのは話術や所作というテクニック上のことではなく、自然体として人に不安を抱かせることのない”好人物”っぽさが効いているのだろう。まるで幼なじみのダチが会話するようにネストールとの関係は親密化し、ブージヴァルにあるスター選手の豪邸でのホームパーティーにも”招待客”として参加を許される。前庭に並ぶベントレー、ランボルギーニ、ポルシェ、フェラーリを横目に、話者は公営貸自転車ヴェリブで豪邸にやってくる。仏サッカー界のVIPが集ったこのガーデンパーティーは音楽とシャンパーニュと山海珍味でいよいよ盛り上がっていくのだが、夜半にネストールと美貌の妻シンディーの間に始まってしまい、激怒したシンディーは邸宅の中に引き込んでしまう。宴は何事もなかったように続くのだが、話者はシンディーを探して人気のない館の中に入る。三階建て(日本式に数えると四階建て)のてっぺん、屋上バルコニーにシンディーがいて涙に暮れている。南仏ヴィルヌーヴ・ルーベの貧しい家庭出身のシンディーは、専門学校の研修で(スキーリゾート地)ムジェーヴのホテルで働いていたが、従業員特権で利用していたサウナルームに、既に大スター選手だったネストールが入ってきて、双方一目惚れ、電撃的な恋に落ちた。あれよあれよという間に婚約、結婚、超派手で豪奢で虚飾に満ちた世界に。シンデレラガール。ふんだんに金はあるのに、スターの妻として自由が制限される身に。このストレスをスター選手は理解できない。こんな打ち明け話を話者は神妙に聞いてやるのである。そしてそれを解放するかのように、シンディーを三階屋上(日本式には四階屋上)から突き落とすのである....。(パーティーの喧騒で誰もこのことに気がつかず、事件は”自殺”として処理される....)

 B級映画、B級ロマン・ノワール、悪漢小説の類のリファレンスをふんだんに取り入れたオムニバス殺人日記は”読ませる”魅力に溢れている。話者の人物像は、100%殺人衝動に憑かれたサイコパスとしては描かれず、黒いユーモアもある微妙な”揺れ”(生粋の人間嫌い変質者が見せてしまう殺人対象への感情移入)が、これを”文学”たらしめているのだと思う。この本がベストセラーになるのは、”一癖も二癖もある”ものに出会った時のニヤニヤ笑いをみんな経験したのだろう。道徳性を問われると身も蓋もない作品ではあるが、それが”文学”の領域さ、と作者と共に哄笑しようではないか。

Raphaël Qunard "Clamser à Tataouine"
Flammarion刊 2025年5月14日 190ページ  22ユーロ


カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)5月8日、国営ラジオFrance Interの朝番でソニア・ドヴィレールのインタヴューに答えるラファエル・クナール。

2025年5月28日水曜日

Time is Monet

”La venue de l'avenir"
『未来の到来』

監督:セドリック・クラピッシュ
主演:シュザンヌ・ランドン、アブラアム・ワプレール
2025年カンヌ映画祭公式上映作品
フランス公開:2025年5月22日

今から四半世紀前、クラピッシュのY2K映画『Peut-être(日本上映題:パリの確率)』(1999年)は、2000年前夜のパリという”現時点”にいる優柔不断な男ロマン・デュリスが、あるタイムトンネルで繋がっている2070年の(温暖化の結果砂漠と化した)パリにいる70歳の息子ジャン=ポール・ベルモンドと出会い、息子が父におまえが今夜”決めて”くれなかったら俺も俺の家族もこの世にいないんだ、と諭すストーリーだった。過去が未来を決定するというロジック。確実な過去があってこそ成立する未来であるが、往々にして未来はその確かな姿の過去を知らない。2025年クラピッシュ新作は、子孫たち(未来=2020年代的現在)が全く予期していなかった先祖たち(過去=約150年前)を手探りでさまざまな手掛かりから驚きながら知っていく、というタイムサスペンスもの。
 事の発端は1873年生れの女性アデル・ムニエが所有していたノルマンディー地方の野中の一軒家(現在は廃屋として放置されている)が、地方再開発(ショッピングモール建設)の予定敷地の中にあり、その系図から探し当てた子孫たち約30人を召集して屋敷の売却を求めてきた。30人を代表してセブ(映像クリエーター、演アブラアム・ワプレール)、アブデル(定年を控えた教師、演ズィヌディン・スアレム ← クラピッシュ映画の大常連)、セリーヌ(エリート会社員、演ジュリア・ピアトン)、ギイ(養蜂家、演ヴァンサン・マケーニュ)が全権大使として物件の検証調査に。1940年代から放置され草ぼうぼうの野っ原の中で朽ちかけている田舎家の扉が役人の立会いのもとに錠が壊され、子孫四人は見知らぬ祖先アデルの世界に入っていく。
 映画は現在と過去の二元中継のやり方で、1895年、若きアデル(演シュザンヌ・ランドン)がそのノルマンディーの家を出て、生き別れになっている母オデット(演サラ・ジロードー)を探してパリに出発するシーンを映し出す。その畦道を行く馬車を追いかける恋人の若き農夫ガスパールとの別れの接吻、「手紙書いて送るから」と言いながら、この若い男女、どちらも読み書きができないのだった。馬車を乗り継いでセーヌ河口の船着場へ、そこからセーヌ川を上っていく蒸気船に乗ってパリまで。その船の中で出会ったル・アーヴル出身の二人の若者、画家のアナトール(演ポール・キルシェール)と写真家のリュシアン(演ヴァシリ・シュネデール)、最先端のアートの都となったパリで一旗上げようというこの二人が、右も左も知らないパリでアデルの強力な助っ人になる。長い船旅の末、船はパリに近づき、行くてにオスマン建築の街並み、そして1889年に完成したばかりのエッフェル塔が姿をあらわし、三人の若者は驚嘆する(いいシーン)。
 顔も知らぬ母から養育費だけは定期的に受け取っていたが、住所は知らない。知っているのはその養育費の代理送金人の弁護士の住所だけ。訪ねて行けば弁護士はオデットの居場所は知らないが仕事場なら知っていると、教えられた住所に行ってみるとそこは娼館だった。夢にまで見た母オデットとの再会は、大きな幻滅となり、失意の娘は母と別れ、モンマルトルのビストロに間借り下宿しているアナトールとリュシアンのところへ。ここから三人の若者のユートピア的共同生活が始まるのだが、これがすごくいいのだ。まず下宿大家のビストロのおかみさんへの労働奉仕で食材の買い出しに行かされるのだが、当時19世紀末のモンマルトルの裏側は野っ原、農地があったり牧草地があったりの田舎風景で、点在する農家から野菜や鶏卵や牛乳を調達する(アデルがノルマンディー娘ぶりを発揮して牛から直接乳搾りする)。アナトールは絵の売り込み。リュシアンは写真の売り込み、それぞれの才能が芽を出して行く。リュシアンは写真技術の飛躍的進歩で絵画は衰退してしまうという持論を展開する。この映画の後半で活動写真の到来(史実として1895年)も予告されるのだが、活動写真(映画)の到来で写真は衰退してしまうと誰もが思った。しかし130年経った今日でも絵画も写真も映画も衰退していない。このメッセージ重要。それはそれ。アナトールはアデルに裸体デッサンのモデルをお願いし、アデルはアナトールにガスパールへの手紙の代筆と読み書きの教授を乞う。わ、モンマルトルっぽい青春(cf アズナヴール「ラ・ボエーム」)。
 一方”現代”の四人の子孫たちも朽ちたノルマンディーの田舎屋敷の中から、多くの写真、手紙、絵画などを発見して、それらの手掛かりから先祖アデルの人となりやその行状をパズル謎解きをしていく。その壁に飾られた肖像写真(後でそれらが19世紀の大写真家ナダールの撮影によるものとわかる)と印象派風な油絵作品に四人は魅せられる。映画は当初全く面識のなかったこの四人が、それぞれの個人事情を越えてこのパズル解きに没頭するようになり、やがて古くからの大親友であったかのような親密なつながりを築き上げていく過程も描いていく。19世紀側で形成される三人の若者のユートピアと並行して、現代の側でも四人のユートピアが出来上がっていく。
 四人のそれぞれのプライヴェートストーリーも挿入されるのだが、その中で最も若いセブのそれがひときわ目を引く。演じるアブラアム・ワプレールは現在28歳の新進男優で母親は故ヴァレリー・ベンギギ。クラピッシュは当初この役にフランソワ・シヴィルを予定していたのに、都合がつかず、アブラアム・ワプレールに回ってきたらしいが、たしかにシヴィルとよく似たキャラクターである。セブは映像クリエイターとして自分では独創的な映像(ファッション動画、音楽ヴィデオクリップなど)を作ってきたつもりなのだが、押しが弱く、言いくるめられやすい。ずっと父親と二人暮らしで、家族というものを知らず、女性づきあいが下手。そういう中でこの先祖パズル謎解きを見ず知らずだった三人の大人と連帯して行動する体験は、セブを大きく変えていく。その変化につれて、セブがヴィデオクリップを撮っている女性シンガーソングライターのフルール(演”ポム”クレール・ポメ)との関係もしだいに深まっていく...。
 19世紀末の側では、アデルと母オデットが和解する。アデルが知りたい二つのこと、それはなぜオデットが長い間アデルを放っておいたか、もう一つはアデルの父親は誰か。第一の問いの言い訳としてオデットが若き日に退屈なノルマンディーを出てパリで新しい世界を見たいと願って行動したハイカラ娘だったことを知る。その冒険心と美貌は華やかなパリで花開き、多くのアーチストたちの心を虜にする。とりわけ一人の画家と一人の写真家が。第二の問いの答えはそのどちらかがアデルの父親である、と。
 現代の側では廃屋で見つかった印象派風の絵をめぐって、アブデルが旧知の美術館学術員のカリクスト・ド・ラ・フェリエール(貴族を想わせる高貴な名前、演セシル・ド・フランス ← クラピッシュ映画の大常連)の助けを求め、この四人組に合流し、そのコネクションでル・アーヴルの(フランス第二の”印象派”作品を所蔵する)アンドレ・マルロー美術館の研究室にこの絵の鑑定を依頼することに。その結果、なんと非常に高い確率で作者はクロード・モネ(1830 - 1926)である可能性がある、と。その場合の評価価格は想像できないほど、と。
 映画の見せ場の一つで、四人+カリクストの五人がかの田舎屋敷に戻り、養蜂家ギイが持ち込んだ怪しげな煎じ薬を一緒に服用し、五人同時に幻覚体験をするシーンがある(←写真)。五人のトリップ先は19世紀末のパリのサロン(おそらく1874年の最初の印象派グループ展)であり、ヴィクトール・ユゴー(一瞬のチョイ役でフランソワ・ベルレアンが演じている)がいたり、ボードレールがいたり、写真家フェリックス・ナダールがいたり、モネ、セザンヌ、ベルト・モリゾ、ルノワール....。この印象派グループを酷評する評論家にカリクストは殴りかかっていく...。
 19世紀の側で、アデルの父親の可能性が高いオデットを熱愛した二人の男とは、画家クロード・モネと写真家フェリックス・ナダール(演フレッド・テストー)であった。パリの超売れっ子マルチ芸術家となっていたナダール(その被写体として名高い女優サラ・ベルナールも登場)のところへアデルは確かめに行く。若き日のオデットと同じようにナダールはアデルの初々しくも野生的な美しさに惹かれ、被写体モデルを請う。21世紀人たちがノルマンディーの田舎廃屋で発見した女性のポートレート写真の数々(オデットとアデル)はナダール撮影のものだった。
 さらにアデルはもはやパリ圏にいない画家クロード・モネ(演オリヴィエ・グルメ)をあのジヴェルニーの家まで訪ねて行く。まだ「睡蓮」の連作を描く前の頃である。モネにもオデットの記憶は鮮烈であり、その運命を変えた人物と言っていい(↓後述)。その面影を残す娘のアデルをモデルにモネはかのジヴェルニーの日本庭園を背景に描き始める...。
 そしてこのクラピッシュ映画の”やりすぎ”とも言えるシーンが続く。時期は1872年、若き日のモネとオデットは、ル・アーヴルの港を見下ろすホテルに泊まっている。夜明け前にモネは起き、ホテルの窓から港を描き始める。やがてオレンジ色の太陽が昇る。オデットが起き出し、絵筆を止めないモネに身を寄せる。そしてオレンジ色の太陽が港の波の上に映えているのを、オレンジ色の絵の具の横ギザギザ線で、ザッザッザッザッ... 。この横ギザギザ線!オデットとモネのインスピレーションだった。2年後の1874年、『印象・日の出』と題され印象派誕生のマニフェスト的名画となるこの傑作が描かれた時、オデットはアデルを身籠ったと....。ちょっと、ちょっとぉぉぉ....。

 21世紀の四人はこのようにしてパズル謎解きを終える。アデル・モニエの末裔たる30人の子孫たちは皆クロード・モネの子孫でもあった。2時間6分の19世紀と21世紀を行き来する映画はこういうハッピーエンドで閉じられる。昨年2024年、印象派誕生150周年でオルセー美術館を初め色々なところで大規模なイヴェントが開かれたが、みんな本当に印象派絵画が好きなんだよねぇ。これ私に異論はない。そしてこの19世紀末という刺激的な時代のパリ、エッフェル塔やオスマン都市計画、印象派、象徴派、街灯がガス灯から電灯に変わるのをモンマルトルの丘から見下ろし驚嘆歓喜する三人の若者のシーンあり、みな美しい。予算的に大変高くついたのではないかな。クラピッシュ最大の映画冒険だったと思う。
 シナリオ上で気になったのが、若い日にパリの芸術家たちに引っ張りだこだった美貌のオデットが、どうして娼婦に身をやつすことになったのか。これはサラ・ジロードーの演技からは「後悔しない女」という印象で、まったくネガティヴな感じはない。時代に先んじたハイカラ娘が失速して歳を重ねても、たとえどんな境遇でもパリとそのアートを享受できる女性のような。だから娘アデルはこの母と和解できたのだと思う。
 主演アデル役のシュザンヌ・ランドンは父ヴァンサン・ランドン、母サンドリーヌ・キベルランという名優+名女優の娘。いいんじゃないですか?たぶん来春セザール賞にノミネートされることになると思う。ただ、かつての日本のお正月オールスター映画のように、重要キャスティング(優れた俳優たちという意味です)多数で、おまけにモネやらユゴーやらサラ・ベルナールやら歴史的人物も多く出てくるので、なにかおめでたい(万人受けする)映画のような印象が強い。私の観た公開初日(5月22日)昼14時の回では拍手喝采が起きたし。大家撮りの映画と言えよう( ← これ悪口です)。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『未来の到来(La venue de l'avenir)』予告編

2025年5月16日金曜日

鎌倉らシューマン夫人

Aki Shimazaki "Ajisaï"
アキ・シマザキ『紫陽花』

1999年『Tsubaki (椿)』での文壇デビュー以来一貫してパンタロジー(五連作)形式で書き続けている在モンレアルのフランス語作家アキ・シマザキの、5番目のパンタロジーの第1作め。『Tsubaki』から数えると21作め。
 シマザキの小説に音楽が重要なファクターになるケースは珍しいことではないが、今回はクラシックピアノ楽曲(複数)とその作曲家(複数)、そして音楽家の生涯が大きく物語に切り込んでくる。
 それは、三度映画化され、漫画化もされ、宝塚化もされたクララ・シューマン(1819 - 1996)と9歳年上の夫ロベルト・シューマンと15歳年下の弟子ヨハネス・ブラームスという稀代の音楽家三人の三角関係である。わかりやすいので、とりあえず2008年ドイツ+フランス+ハンガリー合作映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲(原題:Geliebte Clara)』(ヘルマ・サンダース=ブラームス監督)の日本語版予告編をご覧あれ。これが小説の組立と大きく関係してくる。


 小説の時代はスマホが普通に普及している今日的現代である。滋賀県大津の百貨店オーナーの家の次男坊であるショータは、東京の国立大学の文学部の4年生で、卒論(テーマは『私小説の限界 (La limite des romans autobiographiques)』)を準備中、卒業後も修士課程→博士課程とアカデミズムのレールに乗り続けるつもりではあるが、並行して作家になるという野望もある。小説冒頭時点では金持ちのボンであり、経済的にはこの学業を続けていくのに何の不安もないのだが、このシマザキ新作では日本の教育費の高さ、公立私立問わず大学の高額学費の問題、返済奨学金と学費ローンで借金地獄に堕ち自殺にまで至る苦境に晒される日本の多くの学生たちの現状が、背景の情報として説明されている。これはカナダやフランスの読者たちはかなり驚くと思う。それから日本の文系、端的には文学部であるが、修士課程・博士課程の末に一体喰っていける未来があるか、”家元制度”にも似た文系アカデミズムピラミッドを極めていくには上位にある権威教授陣との”関係”がものを言うという封建的システムについていけるか、それは純粋に自由な研究とどれほど距離のあることなのか、といった日本の大学で学ぶ(文系)学生たちの深刻な閉塞感も。シマザキはその内部をかなり調査したのではないか。あるいはその内部にいた人かもしれない。小説の中でショータの重要な女友だちであるサヤの年上ボーイフレンドのH.という人物(文学部大学院生)を登場させているのだが、まさにこのH.こそ(純粋で自分を曲げずに研究したい故に)日本の大学の歪みをもろに被り、教授とのヨリが悪く修論を撥ねられ、学費ローン返済のためにバイトに消耗しながらも、大学を変えてでも博士課程に進みたいと苦しみ足掻いている。ショータは一度も会ったことのないこの個性的な苦学生に、ひょっとして自分の未来かもしれないという反面教師の姿を見ながらも、少々シンパシーを抱き気にかけている。
 ショータは大学入学後しばらくは東京都内に住んでいたが、人付き合いと喧騒が苦手で、ガールフレンドとの破局を機に通学に片道電車で一時間かかる鎌倉に引っ越して、海の見えるベランダつきのアパートに住んでいる(家賃は親払い)。鎌倉に惚れてしまった男。その数ある古い名所の中で最も気に入っているのが明月院(あじさい寺)である。その見事な紫陽花はショータを魅了するだけではなく、作家デビューを模索しているショータの初長編小説のインスピレーションともなっていく。『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』と題されることになるその小説は、鎌倉で女弟子しかいなかった箏曲教室を主宰している40代の未亡人のところへ、頼み込んで弟子入りした20代の若者が厳しい師匠夫人のもとで箏曲音楽の奥深さを極めていきながら、ディープな恋愛へと...。ハーレクインものではないか、これは。ま、それはそれ。そういう”純”文学小説を構想しているのであった。
 ショータには同じ大学の経済学部にいるベン(勉)というダチがいて、4年生で商社マンを目指しているが、ショータと違ってバイトを掛け持ちしないと生きていけない。メインのバイトはレストラン店員であるが、その他に破格に条件のいい家庭教師の話が舞い込んでくる。都内のオダという名の開業病院医師のブルジョワ家庭で、有名中学を目指す一人っ子小六男児の受験全科目+スポーツをコーチするという仕事。優男ジェントルマン医師の父親も好感が持てるが、それよりも美貌の夫人にベンの目は行ってしまう。このベンと前述のサヤ(短大を卒業して横浜でOLをしている)がショータの親友にして相互相談相手であり、ショータの作家志望を応援している。
 最初のカタストロフは6月末にやってくる。ショータの実家の家業、大津の百貨店が倒産し、両親夫婦は破産宣言を余儀なくされる。ショータの大学授業料は年度末まで払ってあるが、鎌倉のアパートの家賃はふた月先まででその先は払えない、食費生活費は自分で何とかしろ、と。ボンの身からビンボ学生に転落してしまったショータは、鎌倉の海の見えるアパートを去り安アパートを探さなければならない。生協その他でアルバイトを探し、ベンのように掛け持ちして自活費用および翌年の修士課程学費を捻出しなければならない。奨学金/学費ローンという道もあるが、それはなんとかして避けたい。← これわかる。借金恐怖症。借金と聞いただけで萎縮してしまい、その地獄のことばかり想像してしまうタイプ。← 私がそうだった。病気で22年続けた会社を畳まなければならなかった時、どうにかこうにか負債ゼロで終えられた時の安堵感ときたら...。それはそれ。
 成績優秀なショータであるから、バイトの件は塾教師と書店店員のポストを見つけ、当面の自活のメドが立ったのだが、問題は住処である。場所に拘らなければ安い物件は見つかるだろうが、ショータはその文学的インスピレーションの元である鎌倉を去り難い。鎌倉モナムール。あっと驚く渡りに船。ベンが家庭教師バイトをしているブルジョワ開業医オダが鎌倉に持っている別邸の住み込み管理人を探している、と。住み込みバイトであるから家賃はなし。故郷のショータの十何歳年上の兄は冷笑的リアリストであるから、こう警告する。
Rien n'est plus cher que ce qui est gratuit.
ただより高いものはなし。
久しぶりにこんな古い諺聞くと、言う人の顔の表情まで想像できる。それはそれ。これまで4年間別邸管理人として住み込んでいた数学科の大学院生が9月からボストンで博士課程を取ることになり、緊急で探している。小説の進行上、あとになってこの姿を消す大学院生というのも謎の人物となるのだが、この時点では置いておく。ベンがオダ夫妻にショータを推薦するや話はとんとん拍子で進み、ショータは件の鎌倉オダ別邸に採用面接に出かけていく。その海辺に立つ洋館の外門から入ると、そこには夥しい数の紫陽花が咲き乱れる庭園があり、やがてピアノの音が聞こえてくる....。
 クララ・シューマン「音楽の夜会」バラード、作品6第4番。瞬時にこの曲名がショータの脳裏に蘇えったのは、大津での少年時代にピアノ教室で女教師からみっちり鍛えられたレパートリーがクララ・シューマンの数々のピアノ曲だったからである。医師オダとの面接はつつがなく進み、そしてピアノの音が止み、面妖にもエレガントなオダ夫人がその場に姿をあらわす。この瞬間からショータは”寝ても覚めても”状態に陥ったのだが、それを隠し、ピアノを弾かれていたのはあなたですか、クララ・シューマンですね、とショータは夫妻の面接評価点をぐっと上げる好印象コメントを発し、採用が決まる。
 こうして鎌倉のオダ別邸の離れの部屋に暮らすようになった。週日は夫の医院を手伝うこともなく、横浜の音楽学校でピアノ教授をしているオダ夫人は、近年全くピアノに触れていないというショータの少年時のピアノ歴を知り、もったいないから鎌倉別邸サロンのピアノを自由に弾いていい、という許可を与えピアノ修行を再開するよう勧める。時々はレッスンをつけてあげるから ← ただより高いものはなし。とりあえずロベルト・シューマン「トロイメライ」を一緒にやってみましょう、ってな調子。
 オダ夫妻と息子のカズヤは週日は東京で暮らし、週末を鎌倉で過ごす。ショータはバイトと講義のない日は鎌倉で過ごすが、週末は終日バイトで稼がなければならない。だからオダ家族と鎌倉別邸で会うことはほとんどなく、横恋慕しているオダ夫人ともほぼすれ違いのはずだったのだが...。ある晴れた(講義もバイトもない)水曜日、海の微風に誘われるまま七里ヶ浜を散歩していたら、赤く塗装した一艘の小型船が波に揉まれて江ノ島の方角に向かっていくのが見える。あれあれ?これは子供の頃母ちゃんが語ってくれた昔の事件を思い出させる。1910年1月、真冬の荒れた七里ヶ浜沖で逗子開成中学の生徒12人を乗せたボートが突風に煽られ転覆、全員死亡。この七里ヶ浜の悲劇は時の女性教諭が歌詞を書き、「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」という歌になり、今も歌い継がれているはず。はてどんなメロディーだったかな?ショータは別邸に戻り、サロンに入りグランドピアノを開けてポロンポロンと右手でメロディーを弾き始める。おお、ちゃんと覚えていたぞ。今度は左手のテキトー伴奏アルペジオを加えて弾いてみる。ふむふむ悪くない。歌心をピアノに込めてもう一度弾いてみる。すると、サロンの後方から美しい歌声が介入してきたのだった。
真白き富士の根 緑の江ノ島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心
ピアノから目を上げると、そこにはオダ夫人が立ち、カンターレしているのであった。それも六番ある歌詞を全部スイングアウトしたのであった。音楽のマジック。なんか昭和の松竹純愛映画に出てきそうなシーン。あっと驚くショータ、今日はいないはずの夫人が何故に? ー 「ここは私の家よ、好きな時に来て何が悪いの」ー わ、きつい言い方。
 (この”七里ヶ浜沖難破”は小説後半で重要なファクターとして再登場する)
 オダ夫人は用もないのに鎌倉別邸に立ち寄ったわけではない。水曜日はショータが”非番”で一日鎌倉にいるとわかっていて、横浜の音楽学校の午後の授業の前にと、朝駆けで鎌倉にやってきた。ショータに会いたくて。あっさり白状するオダ夫人であった。その左手はピアノの鍵盤に触れ、ポロンポロンと「トロイメライ」の旋律をなぞっていく。ショータはその指に光る結婚指輪を凝視してしまう。そして吃りながら、オダ夫人に告白する。
Je... je suis amoureux de vous... depuis le premier jour.
ジュ... ジュスイザムルードヴー... ドピュイルプレミエジュール。
メロディーが止み、夫人の手が学生さんの顔を優しく撫で、夫人の唇が学生さんの唇に覆いかぶさる(p90)。あ〜あ...。
 こんなに詳らかにここで説明しなくてもいいような歯の浮くような展開であるが...。その2週間後の水曜日(水曜日というのもやや重要なファクターというのがあとでわかる)、”非番”のショータが別邸離れの部屋で遅く起きた朝、ラジオからメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番(この曲はメンデルスゾーンが22歳の時に作曲した、俺と同じ歳だったのか、という感慨)が流れている中、パジャマ姿の学生さんの部屋をノックする音あり。パジャマでおじゃま。ドアを開けるとそこにはオダ夫人が。「すぐ着替えます」「時間がないのでそのままで」ー 学生さんの部屋で朝のコーヒーを共に。(中略:ここで最初の愛情まじわりあり)ー L'amour physique est sans issue (肉体の愛は出口なし ー セルジュ・ゲンズブール)、35歳と22歳、その絶頂のあとで22歳くんは脳裏に不倫の2文字がチカチカ点灯し、自責の念にかられる。35歳夫人は落ち着き払って、「心配しないで、私と夫はもう終わりなの」と近未来における離婚を予告する。
 小説はこのあたりから、厚みも深みも含蓄もない、平板な”ハナシ”になってしまうのですよ。その辺の人から聞く”ハナシ”のようなストーリー。ふ〜ん、と聞き流してもいいような。夫ドクター・オダは、自分の医院の看護婦とできてしまって、もうヤヤコがお腹の中にいて...。ふ〜ん。息子カズヤの受験が終わるまで物音は立てないでおくが、合格したら即座に離婚して、来春3月にはカズヤと夫人はこの鎌倉の屋敷(夫人の祖父母から相続した夫人の所有不動産)に定住する、と。ふ〜ん。ではクララ・シューマンはどこに行ったのか? ショータはブラームスなのか? 好色医師オダはロベルト・シューマンなのか? ← この3番目だけが違う。ロベルト・シューマンを想わせる人物はあとで出てくる。

 こうしてショータと夫人は毎水曜日に別邸離れ部屋で情交する関係になり、「ショータ」「スミコ」とプレノンで呼び合い、チュトワマン(tutoiement)で話す恋仲になる。シマザキが作品中でこの(日本語環境にはない)チュトワマンという親密性を強調するのは初めてではないが、
ー Désormais, au lit, nous nous appellerons simplement Sumiko  et Shôta.
ー En nous vouvoyant ?
ー Non, en nous tutoyant, d'accord ?
( ー これからはベッドではスミコとショータって呼び合うのよ)
( ー ヴーヴォワマンで?)
( ー やあね、チュトワマンでよ、わかった?)
 (p108)
こういうダイアローグはありえないのみならずグロテスクだと私は思うのだ。

 さて逢瀬を重ねていくにつれて、若者は次の春には身を隠すことなく堂々とスミコの恋人になれるのだ、という思いが強くなっていく。春よ来い。年が明け、郷里大津で正月を過ごしたショータは1月3日には鎌倉別邸離れに戻ってきて、翌日からのバイトに備えている。外は雪。Toc toc。ドアを叩く音。「ボナネ、ショータ!」ー 夫オダは愛人宅へ、息子カズヤはいとこの家、二人の不在をいいことにスミコは逸る心で若者のところへやってきた。勢いの新年情交のあと、スミコは今夜はこの部屋に泊まると言う。これがファーストナイト。長い冬の雪の夜、スミコは自分の過去を若者に語る....。

 まずオダ夫妻がショータを別邸管理人に採用した最大の理由は、夫妻がよく知るある男とショータの履歴書顔写真がよく似ていたからだ、と。男の名はキタノと言い、オダの高校時代からのダチで、オダの医師試験合格祝いのこの別邸でのパーティーでスミコ(この時既にカズヤの母)は初めてキタノと出会っている。派手で社交の名人であるオダと対照的にキタノはもの憂い静的(フランス!)文学科院生で、スミコとの間に電流が走る。修論のあと(バイトで旅費を貯めて)フランスに留学して現地で博士号を取り、帰国したら出身大学の恩師教授推薦で”助教”におさまることになっている、と。修士→博士→教授の道を歩み始めたショータはまずこの男との相似性に衝撃を受ける。キタノは横浜の出版社でアルバイトをしている。スミコはカズヤが保育園に入ったのを機会に横浜の音楽学校でのピアノ教授職を再開している。ある6月の水曜日二人は偶然横浜駅で再会する。一緒にコーヒーを。この時からスミコとキタノは毎水曜日の同じ時間に同じコーヒー店で会うようになる。At the same place, the same café, the same time... Me and Mrs Jones...。おわかりかな?ショータとスミコの別邸離れでの密会と同じ水曜日なのである。しかしショータとの肉体密会と異なり、キタノとスミコはカフェで会ってカフェで別れるプラトニックな関係だった。お互いの愛を知りながらも。
 キタノはスミコに小説を書きつつあることを告白する。ストーリーは言わぬがそのタイトルは『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』という。キタノがスミコに抱いたイメージは紫陽花の花だった。つまりスミコのイメージのヒロインというわけである。出来上がったら最初にスミコに読んでもらうという約束だったのに、遂にそれは叶わない。
 博士号を土産に約4年のフランス留学から日本に帰ってくると状況は一転する。出身大学の恩師教授が急死し、”助教”の座はキタノに回ってこない。どこの大学も受け入れてくれない。喰うために雑多の教職を掛け持ちしたり安い稿料で雑誌記事を書きまくったり、身を粉にして働かなければならない。ー(日本のアカデミズムの現状はこうなのだ、というシマザキの状況説明なのだね)ー キタノのストレスは限度を越え、精神を病んでしまう。"Schizophénie"と書かれているがこれは分裂症のことである。スミコの前でも感情の変調が抑えられなくなる。ー
 さて、ここでもう一度クララ・シューマンのことを思い返してみましょう。ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームスの三角関係において、狂気に駆られてライン川投身自殺を図り、その挙句2年後に精神病院で死んでしまうのですよ、ロベルト・シューマンは!
 ある嵐の日、鎌倉のオダ家別邸に姿をあらわしたキタノは、オダ夫妻にこれから江ノ島に行く、と告げ、(鎌倉と江ノ島を結ぶ)弁天橋を渡らずに、七里が浜から小型ボートを漕ぎ出し、江ノ島に向かうが高波がボートを巻き込み...。キタノが持っていたバッグにはかの『紫陽花の涙』の原稿が入っていたと言われる。しかし海難救助隊の懸命の捜索にもかかわらず、ボートもキタノも行方不明となって、数日後捜索は打ち切られる...。真白き富士の根...。

 スミコのシークレットストーリーをもって小説の長〜い第一部(147ページ)が終わり、続いてわずか10ページの第二部が2年後の後日談として加えられている。未亡人箏曲師匠と若い男弟子の恋愛小説『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』は完成し、文学誌S.(まあ「すばる」のことでしょうな)に掲載された後、好評につき単行本化され、ショータはその書店サイン会に招かれるほどの新人作家になっている。現在の住まいは鎌倉の海を見下ろすベランダのあるアパート、つまりかのオダ別邸離れに住む前にいた学生時代の古巣。スミコは離婚して旧姓に戻り、息子とかの別邸に住んでいるが、ショータとの関係は過去のものになっている。日本の大学アカデミズムに愛想が尽きたショータは修士課程後、もの書き+臨時教師で自由に生きることにした。そんな日に、新聞文化欄に載ったフランスで話題の日本人作家によるフランス語小説、という記事に目が点になる。作家はフランスで文学博士号を取得し、その小説は『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』と題されている、と。記事を読み終えた途端にショータのスマホが鳴り、画面にスミコと表示される...。(第一話完)

 ”連ドラ”の手法ですね。ネットフリックス時代の産物なんでしょうが。これまでのシマザキのパンタロジーでは一話ずつの完結性がはっきりしていたのだが、この『紫陽花』に始まるパンタロジーでは、第一話が「波乱はまだまだこれからだ」という終わり方。シマザキはこれからいろいろ出ますよ〜と、この第一話のいろんなところにそのタネを埋め込んだ感じ。鎌倉、大学アカデミズム、文学(業界)、クラシック音楽、フランス...。しかしそのほとんどが浅薄で表層的で、日本の常識的風景をガイドしているような印象(これは多かれ少なかれシマザキ全作品に通じる印象であるが)。私は上の”概説”で、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスの関係について説明を加えているが、シマザキの本文には何も詳しいことは書かれていない。クララ・シューマンの”重さ”をこのスミコ夫人に重ね合わせることなど、この小説ではまるで意図されていないかのように。それから”純文学作家”を目指すショータと、同じ志向を持ったキタノの、それぞれの”文学”観が全く見えないのはどういうわけか。ちゃんとした文学的リファレンスを示さないから、ハーレクイン作家並みと思われていいのだろうか。いろいろと不満が残る。
 もう一つ。大津の百貨店が倒産して、ショータの生活が一転して明日住むところにも困るような事態になった時、女親友のサヤが横浜の自分のマンションに一緒に住んで、と申し出るパッセージあり(p54)。「私料理うまいし、生活費は折半できるし、ショータのこと助けたいの」と強く主張するのだが、ショータは「それはデリケートな問題で、僕は恋人でもない女性と一緒に住むことはできないよ」と辞退する。この返答にサヤは当惑した表情でしばらく沈黙したあと、こう言う「ショータ、違ってたらごめんなさいね、私あなたのことゲイだとばかり思ってたのよ」(!!! ) ー この箇所、おおいに問題あると思う。

Aki Shimazaki "Ajisaï"
Actes Sud刊 2025年5月7日 170ページ 16,50ユーロ

カストール爺の採点:★☆☆☆☆


(↓)ビリー・ポール「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(1972年)

2025年5月7日水曜日

あんぽんたん

Michel Polnareff "Un temps pour elles"
ミッシェル・ポルナレフ『あんたんぷれる』

80歳。8トラック31分、歌もの4トラック、インストルメンタル4トラック。歌もの4曲の作詞はご本人。ご自分ひとりだけでやりました感あふれる晩期ナレフこれでもかアルバム。

私は音楽業界から身を引いて8年になるので、いろいろこの音楽界の時勢についていけないことがある。「ヨットロック Yacht Rock」なるジャンル用語はつい最近知った。これは70-80年代のソフトロックとかAORとか呼ばれていた夏向けの加州産(+加州産風)音楽で、陽光+ヨット+サマーブリーズという環境(+それ風ラウンジ環境)が似合う、不協和音排除のスムーズ・ポップ音楽のことらしい。ナレフ氏がフランスを去り加州に移住して50年の月日が流れた。90年代の”パリ/ロワイヤル・モンソー800日滞在”を差し引いても、これまでの80年の人生のうちの6割は加州で生きていた勘定になる。音楽が人生の(ほとんど)すべてであろうナレフ氏がこの環境に50年もいたら、街やFMでそのような音楽ばかり耳にしていたら、ご自身の同世代音楽から考えても、自然と(音楽も人生も)ヨットロック化するのは避けられないことかもしれない。別の見方をすれば、ナレフ氏の渡米後の50年の音楽はすべてヨットロックというジャンルに包含されるのではないか、とも思う。2018年11月、28年ぶりの(オリジナルスタジオ)アルバム『Enfin !』を爺ブログで紹介した時、全体を覆うあのどうしようもない大味さかげんは何なのかをうまく言い当てられなかったのは、あの当時私はヨットロックという用語を知らなかったせいだと思う。
 そのアルバム『Enfin !』の”不発”の原因について2025年3月24日のウエスト・フランス(Ouest France)紙のインタヴューでナレフ氏は"C'est difficile de défendre un album quand la maison de disques se trompe sur la gravure et que les gens pensent que les mixages sont ratés. Non, c'était la gravure qui était ratée "(レコード会社が「刷り(gravure)」に失敗したアルバムを弁護するのは難しい。それはミックスが失敗だったと思われてしまった。そうではない、失敗したのは「刷り」なのだ)と責任をレコード会社になすりつけた。当時のレコード会社はBarclay(Universal傘下)。そりゃあ喧嘩別れになりますわな。前作の自選ヒットピアノ弾き語りアルバム『ポルナレフポルナレフを歌う Polnareff chante Polnareff』(2022年)からナレフ氏はレコード会社を移籍してParlophone(Warner Music傘下)から発表するようになっているが、この新作『あんたんぷれる』は移籍第2弾。上述のウエスト・フランス紙インタヴューで新アルバムについて"Sur celui-ci, j'ai encore mis plus de moi-même et je pense que ça doit se sentir. C'est un disque plus habité que les autres, je trouve, peut-être moins parfait dans la production, mais plus humain, plus instinctif. Moins aseptisé, disons "(これには俺自身をずっと多く詰め込んでいるんだ、それは感じられると思うよ。他よりもずっと自分が入り込んだアルバムさ。作りの点ではパーフェクトではないかもしれないが、ずっと人間的でずっと本能的なんだ。毒抜きされてないとも言えるね)
 「作りの点ではパーフェクトではないかも」と言うのであるが、今日パーフェクトな”音楽”制作に欠かせないのがAI(エーアイ)である。愛がなくてもAIがあれば音楽は完璧になる。ところがナレフ氏はそれを嫌い(最先端テクノロジーにこだわり続けてきた50年だったのに)、このアルバムには一切AIは関与していない、と断言した。それが証拠に、と言いたかったためか、ピアノインスト演奏にはわざわざ”ミスタッチ”を残している(特に2曲め"Villa Cassiopée")。

 極めて大仰なインストルメンタル曲(3トラック)で26分を占めた『Enfin !』と打って変わって、新作のインスト4トラックはそのヴィルツオーゾ・ピアノをフューチャーしたものばかり。ガキの時分から、これだけは誰にも負けない自信があったものであり、そのアートは人々を遠くに連れ去ってくれたり、夢見心地にさせたり、叙情に打ち震わせたり、感涙に咽ばせたり、心拍を止めさせたり(殺すなっちゅうに!)できるマジックであった。ヤノピの魔手。ナレフ氏は長年の修行でこの超能力をものにしたので、頭を使わずとも長年の手癖指癖で縦横無尽の必殺ノート/メロディー/ハーモニーが勝手に迸り出るのであった。それはスマホを手にした女性たちの超絶早打ちの指先のように、指先が脳内の思念思考・喜怒哀楽・エモーションに先んじて勝手に表現できてしまうアートなのだ。80歳の現在でも、そのマジックは健在なのだ、と証明したかったのであろう。この自信。
 例えば6曲め「Solstice(夏至)」はトリビュート・トゥー・ヒムセルフで「Nos mots d'amour(邦題:愛の物語)」(1971年)と「Lettre à France(邦題:哀しみのエトランゼ)」(1977年)のマッシュアップ・ピアノインストではないですか。ファンは涙するかもしれないですが。
 それから終曲8曲め「Un moment(一寸)」、これは私ちょっと(一寸)許せない。デレク&ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)の「レイラ」(1970年)、7分あるこの名曲の後半3分50秒の通称「ピアノ・コーダ(Piano Coda)」と呼ばれているピアノがリードするインスト部分ね、作曲は当時引っ張り凧のドラマーだったジム・ゴードン(1945-2023)とされているが、実際はゴードンの当時の恋人だったリタ・クーリッジだったという話。それはそれ。2枚組アルバム『いとしのレイラ』を手にしたのは東京で仏文科学生をしていた1年めで、とにかく好きで好きで。しかもハイライトナンバーの「レイラ」は後半が異様に好きで、レコード溝の3分20秒めから(つまり「ピアノ・コーダ」部から)針を落とすというのが習慣になるほど好きだった。ピアノと複数のスライドギターの絡みに軽く悶絶していたのですね。あれは千歳烏山の四畳半アパートだった。それはそれ。この稀代の名曲をナレフ氏はパクった。しかも長年の手癖指癖でなぞったようなやり方で。ちょっとちょっとぉぉぉ....(一寸一寸ぉぉぉ....)!

 さて歌ものである。作詞家に頼ることなく4曲ともナレフ氏が作詞した。ご自分では高いセンスだと思っているらしい”言葉遊び(jeu de mots)"は日本語で言うならば昭和ダジャレのような趣き。まずアルバムタイトルになっている "Un temps pour elles(あんたんぷれる)”は、「時に関係のない、永遠の、現世を超えた...」を意味する形容詞 "Intemporel(あんたんぽれる)"のもじりであり、直訳すると「彼女たちのためのひととき」となろう。彼女たちとの時は永遠なれという謂であろうか。アルバムタイトルは"elles"と複数形になっているが、アルバム1曲めは"Un temps pour elle(あんたんぷれる)"と"elle"単数形である。これは特定の”彼女”に捧げられているからで、プライヴェートで親密な内容なんだとナレフ氏は言う。
C'était un temps pour elle
彼女とのひととき
Quelqu'chose d'éphémère
海を見下ろしながら
Avec une vue sur la mer
何かしら儚い時

C'était un temps pour elle
彼女とのひととき
Quelqu'chose d'irréel
苦い味のする
Avec un goût amer
何かしら幻のような時

Et quand vient le matin
そして朝が来れば
Il n'reste rien
何も残っていない
Qu'un parfum inodore
香りのない残り香だけ
Mémoire d'un souvenir qui n'a jamais eu lieu
何も起こらなかったことの記憶だけ


"Mémoire d'un souvenir" 直訳すれば「思い出の記憶」、これは馬から落馬、頭が頭痛と同様の重複表現だと思うが、ま、いか。 "Un parfum inodore"を「香りのない残り香」と訳したが、いい表現ですね。お立ち合い、香りって残るものなのだよ。アキ・シマザキの最新作『アジサイ』の中で、鎌倉豪邸の離れの間借り人の学生ショータが、家主のブルジョワ夫人スミコと離れ部屋で情事を重ねるのだが、ショータの姉が初めて鎌倉に来て家主夫婦に表敬訪問した時、ブルジョワ夫人から漂うほのかな香りが「弟の部屋と同じ匂いだ」と直観するパッセージあり。香りは恐ろしい。この恐ろしさを知っているからナレフ氏は "Un parfum inodore"というシロモノを考案したのかもしれない。これは往年の叙情ナレフ節を思わせる佳曲のように聞こえた。

 次にこのアルバムで”ヒット曲”が出るとすれば、この曲をおいて他にないと多くのメディアが評する3曲め”Tu n'm'entends pas (きみには僕の声が聞こえないのかい)"である。リフレイン部の低音階からごく高音ファルセットに抜けていくナレフ伝家の宝刀メロディー&ヴォーカルに魅了されるムキも多かろう。
Je voudrais seulement te dire
僕がきみに言いたいのは
Que je veux te voir sourire
きみの微笑みが見たいということだけ
Je n'ai pas plus à te dire
きみを愛していて、きみが欲しいんだということ以外
Que je t'aime et te désire
僕は何も言いたいことはないんだ

Quand la musique est trop forte
音楽の音が強すぎて
Et que le son nous emporte
音が僕らを吹き飛ばしてしまうと
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい
Il suffit d'un soupir
ため息ひとつだけでもいいんだ
Mais le silence est pire
でも沈黙はサイテーだ
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい

Je voudrais seulement te dire
僕がきみに言いたいのは
Que j'aimerais te voir sourire
きみに微笑んで欲しいということだけ
Je n'ai pas vraiment plus à te dire
きみを死ぬほど愛しているということ以外
Que je t'aime à en mourir
僕はまったく何も言いたいことはないんだ

Quand la musique est trop forte
音楽の音が強すぎて
De ta bouche rien ne sort
きみの口から何の言葉も出てこない
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい
Il suffit d'un sourire
微笑みだけでもいいんだ
Mais le silence est pire
でも沈黙はサイテーだ
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい



歌詞1番と2番、ほとんど違いがない。このしつこさが、わしが何遍も言ってるのに、おまえには聞こえんのかい、と苛立っている老人のようでもある。無理しないでください80歳。このメロディーよっぽど自信があったんだろうね、続く4トラックめで同曲ピアノインストヴァージョンが控えている。自己陶酔気味の”歌う”ピアノである。ついでに言うと、リフレインサビの低音から最高音ファルセットにせり上がっていく部分、ミッシェル・ベルジェ(曲)/リュック・プラモンドン(脚本)のロック・オペラ『スターマニア』(初演1979年)の「遭難した地球人からのSOS(S.O.S. d'un terrien en détresse)」(オリジナルヴァージョン歌唱:ダニエル・バラヴォワーヌ)を想わせるものがある。聴き比べるとそりゃあバラヴォワーヌの方が美しい超絶ファルセットですよ。ま、それはそれ。

5曲め"Quand y'en a pour deux(二人分あるのなら)"はコミカル(ナンセンス)ソング。これは1970年サッシャ・ディステル(1933 - 2004)のシングルで"Quand il y en a pour deux, il y en a pour trois"(二人分あるんだったら三人分にもなる)という歌と関係ないってことはないんじゃないの?またフランシュ・コンテ地方には"Quand il y en a pour trois, il y en a pour quatre"(三人分あるんだったら四人分にもなる)という諺があると言う。これはどういうことかと言うと、一人分だったら二人でも分けられる、二人分だったら三人でも分けられる、三人分だったら四人でも分けられる、ケチケチせずにできるだけ分け合いましょう、という隣人愛教訓なのである。これをナレフ詞は「trois(トロワ=三人分)」を「toi (トワ=きみ一人分)」に変えてあるのね。
Quand y'en a pour deux y'en a pour toi
二人分あるのなら、きみ一人分はあるよ


これに何の含蓄があるのか? フランスの童歌(コンティーヌ)にインスパイアされたナンセンスソング「マチューの頭に毛が一本 Y'a qu'un cheveu sur la tête de Mathieu」(1968年、一応作詞はピエール・ドラノエである)と何万マイルの距離のある歌であるが、アルバムの中で一番ヨットロックっぽい楽曲だったりして。

 そしてこのアルバムに先行して昨年11月にAI動画で発表された7曲め"Sexcetera(セクセテラ)"である。前述のように、アルバム制作上でAIは一切関与していないと豪語するナレフ氏であるが、このクリップはAIだよと自慢げに語っている。そうとも。この御仁はTECHの超大国に住んでいて、その大統領はドナルド・トランプである。就任演説でトランプは高々と宣言した「わが国には二つのジェンダーしかない、すなわち男と女である」。1971年、ナレフ氏は高々と宣言した「Je suis un homme 僕は男なんだよ」。2025年の今日、米国のご時勢とシンクロしてか、ナレフ氏ははっきりとLGBTQ+フォビーをあらわにし、ヘテロ愛こそわが愛と...。
Mais on est où ?
俺たちはどこにいるんだ?
On est chez nous ?
ここは自分の国じゃないのか?



"On est chez nous"(ここはわれわれの国だ)ー これはフランス極右政党FN(→ RN)が2017年大統領選挙の際に同党党首マリーヌ・ル・ペン候補を支持するスローガンだった。ここはわれわれの国だ → われわれでない者はここから出て行け。ナレフ氏がこのスローガンを知らなかったわけはなかろう。この歌のコンテクストは、ここはどこなのか?こんなにも”非ヘテロ”に陣地を奪われているのか?ここはわれわれの国なのか? ー となろうが、20-21世紀の性文化の変遷を(加州とフランスという現場で)ご自分でも生きてきたわけではないのか? いたく失望しましたよ。

(追記)ジャケットアートは(これもAI介在なしの)実写写真(フォトグラファー:ローラン・セルーシ)だそう。これは素直にすごいと思いました。

<<< トラックリスト >>>
1. Un temps pour elles
2. Villa Cassiopée (instrumental)
3. Tu n'm'entends pas
4. Tu n'm'entends pas (reprise instrumental)
5. Quand y'en a pour deux
6. Solstice (instrumental)
7. Sexcetera
8. Un moment (instrumental)


MICHEL POLNAREFF "UN TEMPS POUR ELLES"
LP/CD/Digital Parlophone/Warner
フランスでのリリース:2025年4月25日


カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)2025年4月28日フランス国営ラジオFrance Interの朝番7-10でレア・サラメのインタヴューに答えるナレフ氏

2025年4月28日月曜日

私は今生きている(「十七歳」)

Ambre Chalumeau "Les Vivants"
アンブル・シャリュモー『生きとし生けるもの』

 
1997年生れ、現在27歳のアンブル・シャリュモーの第一作めの小説で、3月12日の発売以来現在まで書店ベストセラー上位(3刷、3万部)にあり、Z世代小説の旗手のような現象となっている。ジャーナリストとして既にメディアに露出する有名人であり、2020年からテレビTMCのトークショー番組「コティディアン Quotidien」(ホスト:ヤン・バルテス)の文化時評コメンテーターとなっている。因みにこの番組からはこのブログでも2作を紹介している作家リリア・アセーヌを輩出している。
 若いという字は苦しい字に似てるわ。小説はシャリュモーの自伝的な部分も含む「17歳→18歳」という1年間に集中している。それは2014年のパリに始まる。言わば”並に”裕福な3つの家族の子女ディアーヌ、コラ、シモンの3人は物心ついた頃から家族ぐるみの付き合いで、いつも一緒に遊び、毎夏同じところで海辺のヴァカンスを過ごしていた。17歳の夏のヴァカンスは、親たちの目から遠いところでの活動が多くなり、肝硬変が心配になるほどクロナンブールを浴びるほど飲み、ちょっと値の張る”煙”を吸った。On n’est pas sérieux, quand on a dix-sept ans(17歳の時など真面目なわけがない ー アルチュール・ランボー)。おそらく親たちと行く最後のヴァカンス、そして最後の三人一緒のヴァカンス。未成年最後の夏。9月(新年度)になれば将来(そんなものあるのか!)に向かって別れ別れになる。ディアーヌ(作者シャリュモーの化身)は将来何になるというアイディアがあるわけではないが、極めて成績優秀ゆえに、文系”プレパ”(エリート上級校入学準備クラス)を志願して書類審査パス。受け取った入学受理の手紙には入学前に(すなわち夏休み中に)多数の読むべき専門書/文献のリストが添付されていたが、ディアーヌは一冊も読めない。
 ディアーヌは学業こそ秀でているが、”男子が振り向かない”タイプ。容姿にも性的興味にも頓着しない。それに対してその親友のコラは少女の頃からマヌカンのような美貌で人目を引いていた。現在頭の大部分を占めているのがマチューという5歳年上の男との交際であり、長い間つきあっているにも関わらず、二人は別れたりくっついたりを繰り返している。マチューも美貌の男子で物腰にそつがなく、娘たちは黙っていても寄ってくるタイプだが、この美しいコラだけは他の女たちとは違う。自由にならない。だからこそ征服したい、モノにしたいというマッチョな欲望なのか。それを見せまいとしていい男を演じているのか。コラはそれを知っているからか、時々距離を取るのであるが、しばらくしてまた元のさやに戻る。その夏まで二人の性的関係は"前戯”どまりだった...。
 シモンはそんな二人の”兄貴分”で、両親からも他の子たちからも信頼される”いいやつ”で(そのことで弟のトマはずっと兄を嫉妬していた)、遊びごとのリーダーで、よろず相談役で、三人組の牽引者だった。だが、シモンはある夏、コラに”カミングアウト”し、そのことをディアーヌはコラを通して知る。コラはたぶんすんなりと受け取ったのだが、ディアーヌは少しモヤモヤしてしまう。だが三人組は変わらない...。
 新年度開始が近いある日、ディアーヌがプレパに入ったら(その軍隊式詰め込みカリキュラムのせいで)しばらくは三人で会うことができなくなる、今季最後の機会になるから、某パーティーに集まろう、シモンも来るから、とコラからの誘い。ディアーヌとコラは会場でいつものように暴飲して夜更けまでシモンを待っているが、シモンは遂に現れない。
 シモンの母セリーヌから電話。シモンが緊急入院し、昏睡状態に陥っている。午前3時、アルコール漬けの態で二人は病院に駆けつける。シモンは脳を侵す非常に稀なヴィールスに感染し、延命のためのさまざまな管をつけられて深い眠りに入っていて、その眠りはいつ醒めるのか医師たちは予測することができない。これが小説の19ページめまでのあらましである。

 この夏の終わりの大変動が若いディアーヌとコラをどのようにグジャグジャにしていったかというのがこの小説の主なテーマであるが、もう一人、二人とは次元の異なる大きなダメージを負ってしまったのがシモンの母のセリーヌである。この三人だけが病室のシモンを見つめる立会人であり、面会制限時間15分の間にそれぞれのシモンとの”対話”を試みる。それがいつまで続くのかは医師も含めて誰も知らない。
 セリーヌの”転落”はドラマティックである。シモンの入院の前奏のように、夫イーヴとの別離があった。元ジャーナリストで二人の子(シモンとトマ)の子育てのために現役を遠ざかっていたが、数年後その機会が来ても職復帰はできず、不定期ピジスト(フリーライター)の身に甘んじている。息子の災難を知った友人たちが、気晴らしにとパーティーに誘われるが、そこで言われる歯の浮くようなお見舞いの言葉の数々。フランス語ではこんな風には言わないが、日本語常套表現ならば「私にできることがあったら何でも言ってね」というアレ。「私にできることがあったら何でも言ってね」「私にできることがあったら何でも言ってね」「私にできることがあったら何でも言ってね」.... これは言われた方のムカツキを知ってのもの云いである。確信犯。張っ倒されたいんかオノレは。
 セリーヌは何も言わず、聞いたフリをして何も聞かず、ひたすら飲み続ける。何杯も何杯もとめどなく飲み続ける。家に帰っても飲み続ける。それしかないように飲み続ける。着衣のまま泥酔して床に倒れているセリーヌを介抱するのが(コレージュを終え、新学期にリセに入ったばかりの)次男トマである。兄シモンと比較されてあらゆる点で”見劣り”を感じていたトマは、乱れた姿の母を抱きかかえてベッドに運び寝かせる。これはたぶんシモンの役だったはず。母を支える人間が自分ひとりになってしまった。図らずもトマはこうしてシモンへのコンプレックスを克服していく。それぞれの”ポスト・シモン”はここでも始まっていく。

 コラはあの救急病院に駆けつけたあと、放心状態で未明のパリを彷徨いマチューのアパルトマンに辿り着き、極度のショックの癒しを求めたのか、マチューのところで眠りたかった。ところがマチューは泥酔・無抵抗のコラに、やっとこの機会が来たと言わんばかりに、”リラックスできる飲み物”を飲ませ...。これは男がそうではないと主張しようが明らかな同意なき性暴力であり強姦である。コラはこれを許さない。コラには前史があり、ペドフィリアの被害者だった。そのトラウマのせいで17歳になっても彼女が性関係を恐怖していた。長期の交際になったマチューにはいつかという気持ちがあったかもしれないが、マチューは無断で押し入った。しかもシモンの緊急時の日に。コラは絶対に許さない。P187 - 188、コラは赤々と燃えたぎるような憤怒の手紙を書いている。
「Je suis venue te dire que je te hais. 私はあんたが大嫌いだと言いに来た。今になって私はあんたが何ものかを知った。私はもう子供じゃないし、あんたのことをちゃんと認識した。あんたはもはや変なコブのついた奇妙な男なんかじゃなくて、哀れにも汚く犯罪的な変態でしかない。あんたに知らせてやる、覚えておいて、私はゾッとするほどあんたが大嫌いなんだと。あんたが私の体に無理矢理押し入った時に味わった私の痛みと同じ痛みをあんたにも味わせてやりたい。私が味わったように、汚され、裂かれ、自分自身でなくなってしまったような、吐くほどの罪悪感をあんたに味わせてやりたい。あんたの被害者たちのひとりで私よりも勇気ある女があんたを見つけ出して、あんたの竿(teub)を錆びたナイフで切りつけてくれたらいいと望んでいる。あんたはオシッコするたびにそこが焼けるように痛むのさ。あんたは血を吐けばいい。あんたは小学校の前を通ってモノが固くなって勃起したとたんに痛くなるのさ。あんたはもう二度と二度と二度とオルガスムを味わえなくなればいい。一生欲求不満で、痛み続け、苦しむのよ。愚かな間抜け野郎、あんたの臓器の腐敗はあんたが生きることの邪魔はするが、あんたは絶対に死なないんだ。私があんたが107歳まで生きることを望んでいるよ。107年の不幸が被さるように呪ってやる。あんたへの呪いが100倍になり、あんたの両腕は切り落とされ、あんたの肉体は焼かれ、あんたの内臓は引っ掻き回されればいい。私があんたの被害者だということを決して忘れないで。そしてこの判決文も。私のことをいつまでも覚えておいて。万が一あんたの間抜けなおつむが俺は改心したと思うようになっても、あんたがホームレスに2ユーロあげたり、あんたの祖母に絵ハガキを送ったりして、これで罪の償いをしたつもりになっても、それであんたがいい人間になったって思ったとしても、橋の下に川の水が流れるように、あんたが私にしたことは大したことじゃないって思うようになったとしても、私は絶対にあんたを許さないってことを永遠に覚えておいてほしい。私はあんたが長生きして孤独にボロボロになって死ねばいいと思ってることを絶対に忘れないで。」

この手紙を持ってマチューの住む建物へ行き、郵便受けに入れる寸前までいくのだが、結局この手紙はゴミ箱の中に消えていく。それが”大人”になることだろうか。こんな時シモンがいてくれたら何と助言するだろうか。コラはその怒りをそのまま保持して、精力的にSNSや文献で性暴力被害のことを読み漁り、フェミニズムに開眼していく。コラの”ポスト・シモン”は歩みはこうして踏み出される....。

 ディアーヌは死に物狂いで予習復習しなければついていけないプレパの授業には気もそぞろで、シモンの難病の医学的情報をネットで調べたり、覚醒恢復のごく少ない症例、どんな治療法が有効か、昏睡した脳を刺激するとされる音(音楽)や言葉をシモンの病室で繰り返し実験してみたり...、シモンのことで頭がいっぱいになっている。成績はどんどん落ちていき、小学校で学業を始めて以来ずっと超優等生を続けてきたディアーヌは(超難しいクラスであるとは言え)初めて劣等生に転落する。あまりにも近くにいて、これからも近くにいるはずだったシモンの突然の眠り、それは不在でも消滅でもなく病室に横たわって”存在”している。この”物体”と私は語り続けるが、それは同じ友情か?そして私は一体シモンのどこまでを知っているのか?私に見えないシモンがあったのは知っているが、それはもう知りえないものなのか?そんな時、(同じようにシモンのすべてを知らなかったことを気にかけている)母セリーヌがディアーヌに核心的な問いかけをする「シモンはゲイなの?」(merde, merde, merde... とディアーヌは内心で叫んでいる)。私とコラはそのことは知らされたが、シモンがその種の交際をしていたかどうかについては何も知らない...。
 そしてある日病室付きの看護婦から、ひとりの少年がシモンとの面会を求めてやってきたことを知らされる。この病人の面会には親権者(この場合母セリーヌ)の許可が必要なので、母親と連絡を取り許可を得てから来るように、と追い返されたという。ディアーヌはそれがシモンの”恋人”だと直感した。ここからディアーヌはSNS(主にFacebook)のシモンのアカウントの内容を徹底的に分析し、この少年の割出しを試みる。ここのパッセージ、推理小説のようにワクワクする。3桁はあるだろう”友だち”の中から、知り合った時期、登場回数、一緒に写っている写真のあるなし、イベントやさまざまな事象に共通して”ライク”しているかどうか、共通のイベントに参加しているかどうか、コメントの交換の頻度と”熱”具合... などを分析して、”ホシ”を絞り出していく。そしてその結果、マキシムという少年が浮かび上がり、ディアーヌはかなりの確信を持ってFBメッセンジャーでマキシムにシモンのことで会いたいとメッセージを送る....。
 「私の知らないシモン」がそこに現れた。知らないことだらけのままシモンを失うかもしれなかったディアーヌは、このことで少なからず救済されている。エモーショナル。

 小説の時間は9ヶ月。さまざまな管を繋がれ眠ったまま延命させられていたシモンは9ヶ月で息絶える。この9ヶ月間のシモンを見つめていた3人の女たち、ディアーヌ、コラ、セリーヌそれぞれの変身を描いた300ページである。ディアーヌはプレパを落第し、プレパなどというブルジョワ家庭のお決まり路線のように分別なく従ってしまったコースを捨て、これからは違う(自分のための)道に踏み出すということに全く後悔はない。コラはフェミニズム視線で世を見つめ直し、マヌカン紛いの人形であることをやめ、これまでと違う出会いの可能性を仄めかせる新しい生活が始まる。少女から大人へ、という括りだけではない大きな”成長”がある。シモンは死に、それを見つめ生き残った者たちはみな”新しく”なる。その生き残った者にはシモンの弟トム、セリーヌの夫イーヴ(セリーヌとよりを戻す)、シモンの”友”マキシムも含ませて、作者は小説を終えるのである。Les Vivants 生きている者たち、というタイトルは最後にとても合点のいくものになる。
 Z世代の小説であり、私のような老人にはとても読み取れないその世代の風俗文化リファレンスが多く登場し、読むのに大変苦労したが、その甲斐は大いにあった。大切な人間の死を見つめて生き残った人間にとって「生きる」とは越えること、越えなければならないことだったとあらためて教えられた。この作者は私の娘よりも若いのだった。

カストール爺の採点:★★★★☆

Ambre Chalumeau "Les Vivants"
Stock刊 2025年3月12日  297ページ 20,90ユーロ


(↓)アンブル・シャリュモーの(ファースト)プロモーションインタヴュー
テレビで鍛えられた人の饒舌という感じ。悪口じゃなくて。


(↓)南沙織「十七歳」(1971年)