2025年5月28日水曜日

Time is Monet

”La venue de l'avenir"
『未来の到来』

監督:セドリック・クラピッシュ
主演:シュザンヌ・ランドン、アブラアム・ワプレール
2025年カンヌ映画祭公式上映作品
フランス公開:2025年5月22日

今から四半世紀前、クラピッシュのY2K映画『Peut-être(日本上映題:パリの確率)』(1999年)は、2000年前夜のパリという”現時点”にいる優柔不断な男ロマン・デュリスが、あるタイムトンネルで繋がっている2070年の(温暖化の結果砂漠と化した)パリにいる70歳の息子ジャン=ポール・ベルモンドと出会い、息子が父におまえが今夜”決めて”くれなかったら俺も俺の家族もこの世にいないんだ、と諭すストーリーだった。過去が未来を決定するというロジック。確実な過去があってこそ成立する未来であるが、往々にして未来はその確かな姿の過去を知らない。2025年クラピッシュ新作は、子孫たち(未来=2020年代的現在)が全く予期していなかった先祖たち(過去=約150年前)を手探りでさまざまな手掛かりから驚きながら知っていく、というタイムサスペンスもの。
 事の発端は1873年生れの女性アデル・ムニエが所有していたノルマンディー地方の野中の一軒家(現在は廃屋として放置されている)が、地方再開発(ショッピングモール建設)の予定敷地の中にあり、その系図から探し当てた子孫たち約30人を召集して屋敷の売却を求めてきた。30人を代表してセブ(映像クリエーター、演アブラアム・ワプレール)、アブデル(定年を控えた教師、演ズィヌディン・スアレム ← クラピッシュ映画の大常連)、セリーヌ(エリート会社員、演ジュリア・ピアトン)、ギイ(養蜂家、演ヴァンサン・マケーニュ)が全権大使として物件の検証調査に。1940年代から放置され草ぼうぼうの野っ原の中で朽ちかけている田舎家の扉が役人の立会いのもとに錠が壊され、子孫四人は見知らぬ祖先アデルの世界に入っていく。
 映画は現在と過去の二元中継のやり方で、1895年、若きアデル(演シュザンヌ・ランドン)がそのノルマンディーの家を出て、生き別れになっている母オデット(演サラ・ジロードー)を探してパリに出発するシーンを映し出す。その畦道を行く馬車を追いかける恋人の若き農夫ガスパールとの別れの接吻、「手紙書いて送るから」と言いながら、この若い男女、どちらも読み書きができないのだった。馬車を乗り継いでセーヌ河口の船着場へ、そこからセーヌ川を上っていく蒸気船に乗ってパリまで。その船の中で出会ったル・アーヴル出身の二人の若者、画家のアナトール(演ポール・キルシェール)と写真家のリュシアン(演ヴァシリ・シュネデール)、最先端のアートの都となったパリで一旗上げようというこの二人が、右も左も知らないパリでアデルの強力な助っ人になる。長い船旅の末、船はパリに近づき、行くてにオスマン建築の街並み、そして1889年に完成したばかりのエッフェル塔が姿をあらわし、三人の若者は驚嘆する(いいシーン)。
 顔も知らぬ母から養育費だけは定期的に受け取っていたが、住所は知らない。知っているのはその養育費の代理送金人の弁護士の住所だけ。訪ねて行けば弁護士はオデットの居場所は知らないが仕事場なら知っていると、教えられた住所に行ってみるとそこは娼館だった。夢にまで見た母オデットとの再会は、大きな幻滅となり、失意の娘は母と別れ、モンマルトルのビストロに間借り下宿しているアナトールとリュシアンのところへ。ここから三人の若者のユートピア的共同生活が始まるのだが、これがすごくいいのだ。まず下宿大家のビストロのおかみさんへの労働奉仕で食材の買い出しに行かされるのだが、当時19世紀末のモンマルトルの裏側は野っ原、農地があったり牧草地があったりの田舎風景で、点在する農家から野菜や鶏卵や牛乳を調達する(アデルがノルマンディー娘ぶりを発揮して牛から直接乳搾りする)。アナトールは絵の売り込み。リュシアンは写真の売り込み、それぞれの才能が芽を出して行く。リュシアンは写真技術の飛躍的進歩で絵画は衰退してしまうという持論を展開する。この映画の後半で活動写真の到来(史実として1895年)も予告されるのだが、活動写真(映画)の到来で写真は衰退してしまうと誰もが思った。しかし130年経った今日でも絵画も写真も映画も衰退していない。このメッセージ重要。それはそれ。アナトールはアデルに裸体デッサンのモデルをお願いし、アデルはアナトールにガスパールへの手紙の代筆と読み書きの教授を乞う。わ、モンマルトルっぽい青春(cf アズナヴール「ラ・ボエーム」)。
 一方”現代”の四人の子孫たちも朽ちたノルマンディーの田舎屋敷の中から、多くの写真、手紙、絵画などを発見して、それらの手掛かりから先祖アデルの人となりやその行状をパズル謎解きをしていく。その壁に飾られた肖像写真(後でそれらが19世紀の大写真家ナダールの撮影によるものとわかる)と印象派風な油絵作品に四人は魅せられる。映画は当初全く面識のなかったこの四人が、それぞれの個人事情を越えてこのパズル解きに没頭するようになり、やがて古くからの大親友であったかのような親密なつながりを築き上げていく過程も描いていく。19世紀側で形成される三人の若者のユートピアと並行して、現代の側でも四人のユートピアが出来上がっていく。
 四人のそれぞれのプライヴェートストーリーも挿入されるのだが、その中で最も若いセブのそれがひときわ目を引く。演じるアブラアム・ワプレールは現在28歳の新進男優で母親は故ヴァレリー・ベンギギ。クラピッシュは当初この役にフランソワ・シヴィルを予定していたのに、都合がつかず、アブラアム・ワプレールに回ってきたらしいが、たしかにシヴィルとよく似たキャラクターである。セブは映像クリエイターとして自分では独創的な映像(ファッション動画、音楽ヴィデオクリップなど)を作ってきたつもりなのだが、押しが弱く、言いくるめられやすい。ずっと父親と二人暮らしで、家族というものを知らず、女性づきあいが下手。そういう中でこの先祖パズル謎解きを見ず知らずだった三人の大人と連帯して行動する体験は、セブを大きく変えていく。その変化につれて、セブがヴィデオクリップを撮っている女性シンガーソングライターのフルール(演”ポム”クレール・ポメ)との関係もしだいに深まっていく...。
 19世紀末の側では、アデルと母オデットが和解する。アデルが知りたい二つのこと、それはなぜオデットが長い間アデルを放っておいたか、もう一つはアデルの父親は誰か。第一の問いの言い訳としてオデットが若き日に退屈なノルマンディーを出てパリで新しい世界を見たいと願って行動したハイカラ娘だったことを知る。その冒険心と美貌は華やかなパリで花開き、多くのアーチストたちの心を虜にする。とりわけ一人の画家と一人の写真家が。第二の問いの答えはそのどちらかがアデルの父親である、と。
 現代の側では廃屋で見つかった印象派風の絵をめぐって、アブデルが旧知の美術館学術員のカリクスト・ド・ラ・フェリエール(貴族を想わせる高貴な名前、演セシル・ド・フランス ← クラピッシュ映画の大常連)の助けを求め、この四人組に合流し、そのコネクションでル・アーヴルの(フランス第二の”印象派”作品を所蔵する)アンドレ・マルロー美術館の研究室にこの絵の鑑定を依頼することに。その結果、なんと非常に高い確率で作者はクロード・モネ(1830 - 1926)である可能性がある、と。その場合の評価価格は想像できないほど、と。
 映画の見せ場の一つで、四人+カリクストの五人がかの田舎屋敷に戻り、養蜂家ギイが持ち込んだ怪しげな煎じ薬を一緒に服用し、五人同時に幻覚体験をするシーンがある(←写真)。五人のトリップ先は19世紀末のパリのサロン(おそらく1874年の最初の印象派グループ展)であり、ヴィクトール・ユゴー(一瞬のチョイ役でフランソワ・ベルレアンが演じている)がいたり、ボードレールがいたり、写真家フェリックス・ナダールがいたり、モネ、セザンヌ、ベルト・モリゾ、ルノワール....。この印象派グループを酷評する評論家にカリクストは殴りかかっていく...。
 19世紀の側で、アデルの父親の可能性が高いオデットを熱愛した二人の男とは、画家クロード・モネと写真家フェリックス・ナダール(演フレッド・テストー)であった。パリの超売れっ子マルチ芸術家となっていたナダール(その被写体として名高い女優サラ・ベルナールも登場)のところへアデルは確かめに行く。若き日のオデットと同じようにナダールはアデルの初々しくも野生的な美しさに惹かれ、被写体モデルを請う。21世紀人たちがノルマンディーの田舎廃屋で発見した女性のポートレート写真の数々(オデットとアデル)はナダール撮影のものだった。
 さらにアデルはもはやパリ圏にいない画家クロード・モネ(演オリヴィエ・グルメ)をあのジヴェルニーの家まで訪ねて行く。まだ「睡蓮」の連作を描く前の頃である。モネにもオデットの記憶は鮮烈であり、その運命を変えた人物と言っていい(↓後述)。その面影を残す娘のアデルをモデルにモネはかのジヴェルニーの日本庭園を背景に描き始める...。
 そしてこのクラピッシュ映画の”やりすぎ”とも言えるシーンが続く。時期は1872年、若き日のモネとオデットは、ル・アーヴルの港を見下ろすホテルに泊まっている。夜明け前にモネは起き、ホテルの窓から港を描き始める。やがてオレンジ色の太陽が昇る。オデットが起き出し、絵筆を止めないモネに身を寄せる。そしてオレンジ色の太陽が港の波の上に映えているのを、オレンジ色の絵の具の横ギザギザ線で、ザッザッザッザッ... 。この横ギザギザ線!オデットとモネのインスピレーションだった。2年後の1874年、『印象・日の出』と題され印象派誕生のマニフェスト的名画となるこの傑作が描かれた時、オデットはアデルを身籠ったと....。ちょっと、ちょっとぉぉぉ....。

 21世紀の四人はこのようにしてパズル謎解きを終える。アデル・モニエの末裔たる30人の子孫たちは皆クロード・モネの子孫でもあった。2時間6分の19世紀と21世紀を行き来する映画はこういうハッピーエンドで閉じられる。昨年2024年、印象派誕生150周年でオルセー美術館を初め色々なところで大規模なイヴェントが開かれたが、みんな本当に印象派絵画が好きなんだよねぇ。これ私に異論はない。そしてこの19世紀末という刺激的な時代のパリ、エッフェル塔やオスマン都市計画、印象派、象徴派、街灯がガス灯から電灯に変わるのをモンマルトルの丘から見下ろし驚嘆歓喜する三人の若者のシーンあり、みな美しい。予算的に大変高くついたのではないかな。クラピッシュ最大の映画冒険だったと思う。
 シナリオ上で気になったのが、若い日にパリの芸術家たちに引っ張りだこだった美貌のオデットが、どうして娼婦に身をやつすことになったのか。これはサラ・ジロードーの演技からは「後悔しない女」という印象で、まったくネガティヴな感じはない。時代に先んじたハイカラ娘が失速して歳を重ねても、たとえどんな境遇でもパリとそのアートを享受できる女性のような。だから娘アデルはこの母と和解できたのだと思う。
 主演アデル役のシュザンヌ・ランドンは父ヴァンサン・ランドン、母サンドリーヌ・キベルランという名優+名女優の娘。いいんじゃないですか?たぶん来春セザール賞にノミネートされることになると思う。ただ、かつての日本のお正月オールスター映画のように、重要キャスティング(優れた俳優たちという意味です)多数で、おまけにモネやらユゴーやらサラ・ベルナールやら歴史的人物も多く出てくるので、なにかおめでたい(万人受けする)映画のような印象が強い。私の観た公開初日(5月22日)昼14時の回では拍手喝采が起きたし。大家撮りの映画と言えよう( ← これ悪口です)。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『未来の到来(La venue de l'avenir)』予告編

2025年5月16日金曜日

鎌倉らシューマン夫人

Aki Shimazaki "Ajisaï"
アキ・シマザキ『紫陽花』

1999年『Tsubaki (椿)』での文壇デビュー以来一貫してパンタロジー(五連作)形式で書き続けている在モンレアルのフランス語作家アキ・シマザキの、5番目のパンタロジーの第1作め。『Tsubaki』から数えると21作め。
 シマザキの小説に音楽が重要なファクターになるケースは珍しいことではないが、今回はクラシックピアノ楽曲(複数)とその作曲家(複数)、そして音楽家の生涯が大きく物語に切り込んでくる。
 それは、三度映画化され、漫画化もされ、宝塚化もされたクララ・シューマン(1819 - 1996)と9歳年上の夫ロベルト・シューマンと15歳年下の弟子ヨハネス・ブラームスという稀代の音楽家三人の三角関係である。わかりやすいので、とりあえず2008年ドイツ+フランス+ハンガリー合作映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲(原題:Geliebte Clara)』(ヘルマ・サンダース=ブラームス監督)の日本語版予告編をご覧あれ。これが小説の組立と大きく関係してくる。


 小説の時代はスマホが普通に普及している今日的現代である。滋賀県大津の百貨店オーナーの家の次男坊であるショータは、東京の国立大学の文学部の4年生で、卒論(テーマは『私小説の限界 (La limite des romans autobiographiques)』)を準備中、卒業後も修士課程→博士課程とアカデミズムのレールに乗り続けるつもりではあるが、並行して作家になるという野望もある。小説冒頭時点では金持ちのボンであり、経済的にはこの学業を続けていくのに何の不安もないのだが、このシマザキ新作では日本の教育費の高さ、公立私立問わず大学の高額学費の問題、返済奨学金と学費ローンで借金地獄に堕ち自殺にまで至る苦境に晒される日本の多くの学生たちの現状が、背景の情報として説明されている。これはカナダやフランスの読者たちはかなり驚くと思う。それから日本の文系、端的には文学部であるが、修士課程・博士課程の末に一体喰っていける未来があるか、”家元制度”にも似た文系アカデミズムピラミッドを極めていくには上位にある権威教授陣との”関係”がものを言うという封建的システムについていけるか、それは純粋に自由な研究とどれほど距離のあることなのか、といった日本の大学で学ぶ(文系)学生たちの深刻な閉塞感も。シマザキはその内部をかなり調査したのではないか。あるいはその内部にいた人かもしれない。小説の中でショータの重要な女友だちであるサヤの年上ボーイフレンドのH.という人物(文学部大学院生)を登場させているのだが、まさにこのH.こそ(純粋で自分を曲げずに研究したい故に)日本の大学の歪みをもろに被り、教授とのヨリが悪く修論を撥ねられ、学費ローン返済のためにバイトに消耗しながらも、大学を変えてでも博士課程に進みたいと苦しみ足掻いている。ショータは一度も会ったことのないこの個性的な苦学生に、ひょっとして自分の未来かもしれないという反面教師の姿を見ながらも、少々シンパシーを抱き気にかけている。
 ショータは大学入学後しばらくは東京都内に住んでいたが、人付き合いと喧騒が苦手で、ガールフレンドとの破局を機に通学に片道電車で一時間かかる鎌倉に引っ越して、海の見えるベランダつきのアパートに住んでいる(家賃は親払い)。鎌倉に惚れてしまった男。その数ある古い名所の中で最も気に入っているのが明月院(あじさい寺)である。その見事な紫陽花はショータを魅了するだけではなく、作家デビューを模索しているショータの初長編小説のインスピレーションともなっていく。『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』と題されることになるその小説は、鎌倉で女弟子しかいなかった箏曲教室を主宰している40代の未亡人のところへ、頼み込んで弟子入りした20代の若者が厳しい師匠夫人のもとで箏曲音楽の奥深さを極めていきながら、ディープな恋愛へと...。ハーレクインものではないか、これは。ま、それはそれ。そういう”純”文学小説を構想しているのであった。
 ショータには同じ大学の経済学部にいるベン(勉)というダチがいて、4年生で商社マンを目指しているが、ショータと違ってバイトを掛け持ちしないと生きていけない。メインのバイトはレストラン店員であるが、その他に破格に条件のいい家庭教師の話が舞い込んでくる。都内のオダという名の開業病院医師のブルジョワ家庭で、有名中学を目指す一人っ子小六男児の受験全科目+スポーツをコーチするという仕事。優男ジェントルマン医師の父親も好感が持てるが、それよりも美貌の夫人にベンの目は行ってしまう。このベンと前述のサヤ(短大を卒業して横浜でOLをしている)がショータの親友にして相互相談相手であり、ショータの作家志望を応援している。
 最初のカタストロフは6月末にやってくる。ショータの実家の家業、大津の百貨店が倒産し、両親夫婦は破産宣言を余儀なくされる。ショータの大学授業料は年度末まで払ってあるが、鎌倉のアパートの家賃はふた月先まででその先は払えない、食費生活費は自分で何とかしろ、と。ボンの身からビンボ学生に転落してしまったショータは、鎌倉の海の見えるアパートを去り安アパートを探さなければならない。生協その他でアルバイトを探し、ベンのように掛け持ちして自活費用および翌年の修士課程学費を捻出しなければならない。奨学金/学費ローンという道もあるが、それはなんとかして避けたい。← これわかる。借金恐怖症。借金と聞いただけで萎縮してしまい、その地獄のことばかり想像してしまうタイプ。← 私がそうだった。病気で22年続けた会社を畳まなければならなかった時、どうにかこうにか負債ゼロで終えられた時の安堵感ときたら...。それはそれ。
 成績優秀なショータであるから、バイトの件は塾教師と書店店員のポストを見つけ、当面の自活のメドが立ったのだが、問題は住処である。場所に拘らなければ安い物件は見つかるだろうが、ショータはその文学的インスピレーションの元である鎌倉を去り難い。鎌倉モナムール。あっと驚く渡りに船。ベンが家庭教師バイトをしているブルジョワ開業医オダが鎌倉に持っている別邸の住み込み管理人を探している、と。住み込みバイトであるから家賃はなし。故郷のショータの十何歳年上の兄は冷笑的リアリストであるから、こう警告する。
Rien n'est plus cher que ce qui est gratuit.
ただより高いものはなし。
久しぶりにこんな古い諺聞くと、言う人の顔の表情まで想像できる。それはそれ。これまで4年間別邸管理人として住み込んでいた数学科の大学院生が9月からボストンで博士課程を取ることになり、緊急で探している。小説の進行上、あとになってこの姿を消す大学院生というのも謎の人物となるのだが、この時点では置いておく。ベンがオダ夫妻にショータを推薦するや話はとんとん拍子で進み、ショータは件の鎌倉オダ別邸に採用面接に出かけていく。その海辺に立つ洋館の外門から入ると、そこには夥しい数の紫陽花が咲き乱れる庭園があり、やがてピアノの音が聞こえてくる....。
 クララ・シューマン「音楽の夜会」バラード、作品6第4番。瞬時にこの曲名がショータの脳裏に蘇えったのは、大津での少年時代にピアノ教室で女教師からみっちり鍛えられたレパートリーがクララ・シューマンの数々のピアノ曲だったからである。医師オダとの面接はつつがなく進み、そしてピアノの音が止み、面妖にもエレガントなオダ夫人がその場に姿をあらわす。この瞬間からショータは”寝ても覚めても”状態に陥ったのだが、それを隠し、ピアノを弾かれていたのはあなたですか、クララ・シューマンですね、とショータは夫妻の面接評価点をぐっと上げる好印象コメントを発し、採用が決まる。
 こうして鎌倉のオダ別邸の離れの部屋に暮らすようになった。週日は夫の医院を手伝うこともなく、横浜の音楽学校でピアノ教授をしているオダ夫人は、近年全くピアノに触れていないというショータの少年時のピアノ歴を知り、もったいないから鎌倉別邸サロンのピアノを自由に弾いていい、という許可を与えピアノ修行を再開するよう勧める。時々はレッスンをつけてあげるから ← ただより高いものはなし。とりあえずロベルト・シューマン「トロイメライ」を一緒にやってみましょう、ってな調子。
 オダ夫妻と息子のカズヤは週日は東京で暮らし、週末を鎌倉で過ごす。ショータはバイトと講義のない日は鎌倉で過ごすが、週末は終日バイトで稼がなければならない。だからオダ家族と鎌倉別邸で会うことはほとんどなく、横恋慕しているオダ夫人ともほぼすれ違いのはずだったのだが...。ある晴れた(講義もバイトもない)水曜日、海の微風に誘われるまま七里ヶ浜を散歩していたら、赤く塗装した一艘の小型船が波に揉まれて江ノ島の方角に向かっていくのが見える。あれあれ?これは子供の頃母ちゃんが語ってくれた昔の事件を思い出させる。1910年1月、真冬の荒れた七里ヶ浜沖で逗子開成中学の生徒12人を乗せたボートが突風に煽られ転覆、全員死亡。この七里ヶ浜の悲劇は時の女性教諭が歌詞を書き、「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」という歌になり、今も歌い継がれているはず。はてどんなメロディーだったかな?ショータは別邸に戻り、サロンに入りグランドピアノを開けてポロンポロンと右手でメロディーを弾き始める。おお、ちゃんと覚えていたぞ。今度は左手のテキトー伴奏アルペジオを加えて弾いてみる。ふむふむ悪くない。歌心をピアノに込めてもう一度弾いてみる。すると、サロンの後方から美しい歌声が介入してきたのだった。
真白き富士の根 緑の江ノ島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心
ピアノから目を上げると、そこにはオダ夫人が立ち、カンターレしているのであった。それも六番ある歌詞を全部スイングアウトしたのであった。音楽のマジック。なんか昭和の松竹純愛映画に出てきそうなシーン。あっと驚くショータ、今日はいないはずの夫人が何故に? ー 「ここは私の家よ、好きな時に来て何が悪いの」ー わ、きつい言い方。
 (この”七里ヶ浜沖難破”は小説後半で重要なファクターとして再登場する)
 オダ夫人は用もないのに鎌倉別邸に立ち寄ったわけではない。水曜日はショータが”非番”で一日鎌倉にいるとわかっていて、横浜の音楽学校の午後の授業の前にと、朝駆けで鎌倉にやってきた。ショータに会いたくて。あっさり白状するオダ夫人であった。その左手はピアノの鍵盤に触れ、ポロンポロンと「トロイメライ」の旋律をなぞっていく。ショータはその指に光る結婚指輪を凝視してしまう。そして吃りながら、オダ夫人に告白する。
Je... je suis amoureux de vous... depuis le premier jour.
ジュ... ジュスイザムルードヴー... ドピュイルプレミエジュール。
メロディーが止み、夫人の手が学生さんの顔を優しく撫で、夫人の唇が学生さんの唇に覆いかぶさる(p90)。あ〜あ...。
 こんなに詳らかにここで説明しなくてもいいような歯の浮くような展開であるが...。その2週間後の水曜日(水曜日というのもやや重要なファクターというのがあとでわかる)、”非番”のショータが別邸離れの部屋で遅く起きた朝、ラジオからメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番(この曲はメンデルスゾーンが22歳の時に作曲した、俺と同じ歳だったのか、という感慨)が流れている中、パジャマ姿の学生さんの部屋をノックする音あり。パジャマでおじゃま。ドアを開けるとそこにはオダ夫人が。「すぐ着替えます」「時間がないのでそのままで」ー 学生さんの部屋で朝のコーヒーを共に。(中略:ここで最初の愛情まじわりあり)ー L'amour physique est sans issue (肉体の愛は出口なし ー セルジュ・ゲンズブール)、35歳と22歳、その絶頂のあとで22歳くんは脳裏に不倫の2文字がチカチカ点灯し、自責の念にかられる。35歳夫人は落ち着き払って、「心配しないで、私と夫はもう終わりなの」と近未来における離婚を予告する。
 小説はこのあたりから、厚みも深みも含蓄もない、平板な”ハナシ”になってしまうのですよ。その辺の人から聞く”ハナシ”のようなストーリー。ふ〜ん、と聞き流してもいいような。夫ドクター・オダは、自分の医院の看護婦とできてしまって、もうヤヤコがお腹の中にいて...。ふ〜ん。息子カズヤの受験が終わるまで物音は立てないでおくが、合格したら即座に離婚して、来春3月にはカズヤと夫人はこの鎌倉の屋敷(夫人の祖父母から相続した夫人の所有不動産)に定住する、と。ふ〜ん。ではクララ・シューマンはどこに行ったのか? ショータはブラームスなのか? 好色医師オダはロベルト・シューマンなのか? ← この3番目だけが違う。ロベルト・シューマンを想わせる人物はあとで出てくる。

 こうしてショータと夫人は毎水曜日に別邸離れ部屋で情交する関係になり、「ショータ」「スミコ」とプレノンで呼び合い、チュトワマン(tutoiement)で話す恋仲になる。シマザキが作品中でこの(日本語環境にはない)チュトワマンという親密性を強調するのは初めてではないが、
ー Désormais, au lit, nous nous appellerons simplement Sumiko  et Shôta.
ー En nous vouvoyant ?
ー Non, en nous tutoyant, d'accord ?
( ー これからはベッドではスミコとショータって呼び合うのよ)
( ー ヴーヴォワマンで?)
( ー やあね、チュトワマンでよ、わかった?)
 (p108)
こういうダイアローグはありえないのみならずグロテスクだと私は思うのだ。

 さて逢瀬を重ねていくにつれて、若者は次の春には身を隠すことなく堂々とスミコの恋人になれるのだ、という思いが強くなっていく。春よ来い。年が明け、郷里大津で正月を過ごしたショータは1月3日には鎌倉別邸離れに戻ってきて、翌日からのバイトに備えている。外は雪。Toc toc。ドアを叩く音。「ボナネ、ショータ!」ー 夫オダは愛人宅へ、息子カズヤはいとこの家、二人の不在をいいことにスミコは逸る心で若者のところへやってきた。勢いの新年情交のあと、スミコは今夜はこの部屋に泊まると言う。これがファーストナイト。長い冬の雪の夜、スミコは自分の過去を若者に語る....。

 まずオダ夫妻がショータを別邸管理人に採用した最大の理由は、夫妻がよく知るある男とショータの履歴書顔写真がよく似ていたからだ、と。男の名はキタノと言い、オダの高校時代からのダチで、オダの医師試験合格祝いのこの別邸でのパーティーでスミコ(この時既にカズヤの母)は初めてキタノと出会っている。派手で社交の名人であるオダと対照的にキタノはもの憂い静的(フランス!)文学科院生で、スミコとの間に電流が走る。修論のあと(バイトで旅費を貯めて)フランスに留学して現地で博士号を取り、帰国したら出身大学の恩師教授推薦で”助教”におさまることになっている、と。修士→博士→教授の道を歩み始めたショータはまずこの男との相似性に衝撃を受ける。キタノは横浜の出版社でアルバイトをしている。スミコはカズヤが保育園に入ったのを機会に横浜の音楽学校でのピアノ教授職を再開している。ある6月の水曜日二人は偶然横浜駅で再会する。一緒にコーヒーを。この時からスミコとキタノは毎水曜日の同じ時間に同じコーヒー店で会うようになる。At the same place, the same café, the same time... Me and Mrs Jones...。おわかりかな?ショータとスミコの別邸離れでの密会と同じ水曜日なのである。しかしショータとの肉体密会と異なり、キタノとスミコはカフェで会ってカフェで別れるプラトニックな関係だった。お互いの愛を知りながらも。
 キタノはスミコに小説を書きつつあることを告白する。ストーリーは言わぬがそのタイトルは『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』という。キタノがスミコに抱いたイメージは紫陽花の花だった。つまりスミコのイメージのヒロインというわけである。出来上がったら最初にスミコに読んでもらうという約束だったのに、遂にそれは叶わない。
 博士号を土産に約4年のフランス留学から日本に帰ってくると状況は一転する。出身大学の恩師教授が急死し、”助教”の座はキタノに回ってこない。どこの大学も受け入れてくれない。喰うために雑多の教職を掛け持ちしたり安い稿料で雑誌記事を書きまくったり、身を粉にして働かなければならない。ー(日本のアカデミズムの現状はこうなのだ、というシマザキの状況説明なのだね)ー キタノのストレスは限度を越え、精神を病んでしまう。"Schizophénie"と書かれているがこれは分裂症のことである。スミコの前でも感情の変調が抑えられなくなる。ー
 さて、ここでもう一度クララ・シューマンのことを思い返してみましょう。ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームスの三角関係において、狂気に駆られてライン川投身自殺を図り、その挙句2年後に精神病院で死んでしまうのですよ、ロベルト・シューマンは!
 ある嵐の日、鎌倉のオダ家別邸に姿をあらわしたキタノは、オダ夫妻にこれから江ノ島に行く、と告げ、(鎌倉と江ノ島を結ぶ)弁天橋を渡らずに、七里が浜から小型ボートを漕ぎ出し、江ノ島に向かうが高波がボートを巻き込み...。キタノが持っていたバッグにはかの『紫陽花の涙』の原稿が入っていたと言われる。しかし海難救助隊の懸命の捜索にもかかわらず、ボートもキタノも行方不明となって、数日後捜索は打ち切られる...。真白き富士の根...。

 スミコのシークレットストーリーをもって小説の長〜い第一部(147ページ)が終わり、続いてわずか10ページの第二部が2年後の後日談として加えられている。未亡人箏曲師匠と若い男弟子の恋愛小説『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』は完成し、文学誌S.(まあ「すばる」のことでしょうな)に掲載された後、好評につき単行本化され、ショータはその書店サイン会に招かれるほどの新人作家になっている。現在の住まいは鎌倉の海を見下ろすベランダのあるアパート、つまりかのオダ別邸離れに住む前にいた学生時代の古巣。スミコは離婚して旧姓に戻り、息子とかの別邸に住んでいるが、ショータとの関係は過去のものになっている。日本の大学アカデミズムに愛想が尽きたショータは修士課程後、もの書き+臨時教師で自由に生きることにした。そんな日に、新聞文化欄に載ったフランスで話題の日本人作家によるフランス語小説、という記事に目が点になる。作家はフランスで文学博士号を取得し、その小説は『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』と題されている、と。記事を読み終えた途端にショータのスマホが鳴り、画面にスミコと表示される...。(第一話完)

 ”連ドラ”の手法ですね。ネットフリックス時代の産物なんでしょうが。これまでのシマザキのパンタロジーでは一話ずつの完結性がはっきりしていたのだが、この『紫陽花』に始まるパンタロジーでは、第一話が「波乱はまだまだこれからだ」という終わり方。シマザキはこれからいろいろ出ますよ〜と、この第一話のいろんなところにそのタネを埋め込んだ感じ。鎌倉、大学アカデミズム、文学(業界)、クラシック音楽、フランス...。しかしそのほとんどが浅薄で表層的で、日本の常識的風景をガイドしているような印象(これは多かれ少なかれシマザキ全作品に通じる印象であるが)。私は上の”概説”で、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスの関係について説明を加えているが、シマザキの本文には何も詳しいことは書かれていない。クララ・シューマンの”重さ”をこのスミコ夫人に重ね合わせることなど、この小説ではまるで意図されていないかのように。それから”純文学作家”を目指すショータと、同じ志向を持ったキタノの、それぞれの”文学”観が全く見えないのはどういうわけか。ちゃんとした文学的リファレンスを示さないから、ハーレクイン作家並みと思われていいのだろうか。いろいろと不満が残る。
 もう一つ。大津の百貨店が倒産して、ショータの生活が一転して明日住むところにも困るような事態になった時、女親友のサヤが横浜の自分のマンションに一緒に住んで、と申し出るパッセージあり(p54)。「私料理うまいし、生活費は折半できるし、ショータのこと助けたいの」と強く主張するのだが、ショータは「それはデリケートな問題で、僕は恋人でもない女性と一緒に住むことはできないよ」と辞退する。この返答にサヤは当惑した表情でしばらく沈黙したあと、こう言う「ショータ、違ってたらごめんなさいね、私あなたのことゲイだとばかり思ってたのよ」(!!! ) ー この箇所、おおいに問題あると思う。

Aki Shimazaki "Ajisaï"
Actes Sud刊 2025年5月7日 170ページ 16,50ユーロ

カストール爺の採点:★☆☆☆☆


(↓)ビリー・ポール「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(1972年)

2025年5月7日水曜日

あんぽんたん

Michel Polnareff "Un temps pour elles"
ミッシェル・ポルナレフ『あんたんぷれる』

80歳。8トラック31分、歌もの4トラック、インストルメンタル4トラック。歌もの4曲の作詞はご本人。ご自分ひとりだけでやりました感あふれる晩期ナレフこれでもかアルバム。

私は音楽業界から身を引いて8年になるので、いろいろこの音楽界の時勢についていけないことがある。「ヨットロック Yacht Rock」なるジャンル用語はつい最近知った。これは70-80年代のソフトロックとかAORとか呼ばれていた夏向けの加州産(+加州産風)音楽で、陽光+ヨット+サマーブリーズという環境(+それ風ラウンジ環境)が似合う、不協和音排除のスムーズ・ポップ音楽のことらしい。ナレフ氏がフランスを去り加州に移住して50年の月日が流れた。90年代の”パリ/ロワイヤル・モンソー800日滞在”を差し引いても、これまでの80年の人生のうちの6割は加州で生きていた勘定になる。音楽が人生の(ほとんど)すべてであろうナレフ氏がこの環境に50年もいたら、街やFMでそのような音楽ばかり耳にしていたら、ご自身の同世代音楽から考えても、自然と(音楽も人生も)ヨットロック化するのは避けられないことかもしれない。別の見方をすれば、ナレフ氏の渡米後の50年の音楽はすべてヨットロックというジャンルに包含されるのではないか、とも思う。2018年11月、28年ぶりの(オリジナルスタジオ)アルバム『Enfin !』を爺ブログで紹介した時、全体を覆うあのどうしようもない大味さかげんは何なのかをうまく言い当てられなかったのは、あの当時私はヨットロックという用語を知らなかったせいだと思う。
 そのアルバム『Enfin !』の”不発”の原因について2025年3月24日のウエスト・フランス(Ouest France)紙のインタヴューでナレフ氏は"C'est difficile de défendre un album quand la maison de disques se trompe sur la gravure et que les gens pensent que les mixages sont ratés. Non, c'était la gravure qui était ratée "(レコード会社が「刷り(gravure)」に失敗したアルバムを弁護するのは難しい。それはミックスが失敗だったと思われてしまった。そうではない、失敗したのは「刷り」なのだ)と責任をレコード会社になすりつけた。当時のレコード会社はBarclay(Universal傘下)。そりゃあ喧嘩別れになりますわな。前作の自選ヒットピアノ弾き語りアルバム『ポルナレフポルナレフを歌う Polnareff chante Polnareff』(2022年)からナレフ氏はレコード会社を移籍してParlophone(Warner Music傘下)から発表するようになっているが、この新作『あんたんぷれる』は移籍第2弾。上述のウエスト・フランス紙インタヴューで新アルバムについて"Sur celui-ci, j'ai encore mis plus de moi-même et je pense que ça doit se sentir. C'est un disque plus habité que les autres, je trouve, peut-être moins parfait dans la production, mais plus humain, plus instinctif. Moins aseptisé, disons "(これには俺自身をずっと多く詰め込んでいるんだ、それは感じられると思うよ。他よりもずっと自分が入り込んだアルバムさ。作りの点ではパーフェクトではないかもしれないが、ずっと人間的でずっと本能的なんだ。毒抜きされてないとも言えるね)
 「作りの点ではパーフェクトではないかも」と言うのであるが、今日パーフェクトな”音楽”制作に欠かせないのがAI(エーアイ)である。愛がなくてもAIがあれば音楽は完璧になる。ところがナレフ氏はそれを嫌い(最先端テクノロジーにこだわり続けてきた50年だったのに)、このアルバムには一切AIは関与していない、と断言した。それが証拠に、と言いたかったためか、ピアノインスト演奏にはわざわざ”ミスタッチ”を残している(特に2曲め"Villa Cassiopée")。

 極めて大仰なインストルメンタル曲(3トラック)で26分を占めた『Enfin !』と打って変わって、新作のインスト4トラックはそのヴィルツオーゾ・ピアノをフューチャーしたものばかり。ガキの時分から、これだけは誰にも負けない自信があったものであり、そのアートは人々を遠くに連れ去ってくれたり、夢見心地にさせたり、叙情に打ち震わせたり、感涙に咽ばせたり、心拍を止めさせたり(殺すなっちゅうに!)できるマジックであった。ヤノピの魔手。ナレフ氏は長年の修行でこの超能力をものにしたので、頭を使わずとも長年の手癖指癖で縦横無尽の必殺ノート/メロディー/ハーモニーが勝手に迸り出るのであった。それはスマホを手にした女性たちの超絶早打ちの指先のように、指先が脳内の思念思考・喜怒哀楽・エモーションに先んじて勝手に表現できてしまうアートなのだ。80歳の現在でも、そのマジックは健在なのだ、と証明したかったのであろう。この自信。
 例えば6曲め「Solstice(夏至)」はトリビュート・トゥー・ヒムセルフで「Nos mots d'amour(邦題:愛の物語)」(1971年)と「Lettre à France(邦題:哀しみのエトランゼ)」(1977年)のマッシュアップ・ピアノインストではないですか。ファンは涙するかもしれないですが。
 それから終曲8曲め「Un moment(一寸)」、これは私ちょっと(一寸)許せない。デレク&ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)の「レイラ」(1970年)、7分あるこの名曲の後半3分50秒の通称「ピアノ・コーダ(Piano Coda)」と呼ばれているピアノがリードするインスト部分ね、作曲は当時引っ張り凧のドラマーだったジム・ゴードン(1945-2023)とされているが、実際はゴードンの当時の恋人だったリタ・クーリッジだったという話。それはそれ。2枚組アルバム『いとしのレイラ』を手にしたのは東京で仏文科学生をしていた1年めで、とにかく好きで好きで。しかもハイライトナンバーの「レイラ」は後半が異様に好きで、レコード溝の3分20秒めから(つまり「ピアノ・コーダ」部から)針を落とすというのが習慣になるほど好きだった。ピアノと複数のスライドギターの絡みに軽く悶絶していたのですね。あれは千歳烏山の四畳半アパートだった。それはそれ。この稀代の名曲をナレフ氏はパクった。しかも長年の手癖指癖でなぞったようなやり方で。ちょっとちょっとぉぉぉ....(一寸一寸ぉぉぉ....)!

 さて歌ものである。作詞家に頼ることなく4曲ともナレフ氏が作詞した。ご自分では高いセンスだと思っているらしい”言葉遊び(jeu de mots)"は日本語で言うならば昭和ダジャレのような趣き。まずアルバムタイトルになっている "Un temps pour elles(あんたんぷれる)”は、「時に関係のない、永遠の、現世を超えた...」を意味する形容詞 "Intemporel(あんたんぽれる)"のもじりであり、直訳すると「彼女たちのためのひととき」となろう。彼女たちとの時は永遠なれという謂であろうか。アルバムタイトルは"elles"と複数形になっているが、アルバム1曲めは"Un temps pour elle(あんたんぷれる)"と"elle"単数形である。これは特定の”彼女”に捧げられているからで、プライヴェートで親密な内容なんだとナレフ氏は言う。
C'était un temps pour elle
彼女とのひととき
Quelqu'chose d'éphémère
海を見下ろしながら
Avec une vue sur la mer
何かしら儚い時

C'était un temps pour elle
彼女とのひととき
Quelqu'chose d'irréel
苦い味のする
Avec un goût amer
何かしら幻のような時

Et quand vient le matin
そして朝が来れば
Il n'reste rien
何も残っていない
Qu'un parfum inodore
香りのない残り香だけ
Mémoire d'un souvenir qui n'a jamais eu lieu
何も起こらなかったことの記憶だけ


"Mémoire d'un souvenir" 直訳すれば「思い出の記憶」、これは馬から落馬、頭が頭痛と同様の重複表現だと思うが、ま、いか。 "Un parfum inodore"を「香りのない残り香」と訳したが、いい表現ですね。お立ち合い、香りって残るものなのだよ。アキ・シマザキの最新作『アジサイ』の中で、鎌倉豪邸の離れの間借り人の学生ショータが、家主のブルジョワ夫人スミコと離れ部屋で情事を重ねるのだが、ショータの姉が初めて鎌倉に来て家主夫婦に表敬訪問した時、ブルジョワ夫人から漂うほのかな香りが「弟の部屋と同じ匂いだ」と直観するパッセージあり。香りは恐ろしい。この恐ろしさを知っているからナレフ氏は "Un parfum inodore"というシロモノを考案したのかもしれない。これは往年の叙情ナレフ節を思わせる佳曲のように聞こえた。

 次にこのアルバムで”ヒット曲”が出るとすれば、この曲をおいて他にないと多くのメディアが評する3曲め”Tu n'm'entends pas (きみには僕の声が聞こえないのかい)"である。リフレイン部の低音階からごく高音ファルセットに抜けていくナレフ伝家の宝刀メロディー&ヴォーカルに魅了されるムキも多かろう。
Je voudrais seulement te dire
僕がきみに言いたいのは
Que je veux te voir sourire
きみの微笑みが見たいということだけ
Je n'ai pas plus à te dire
きみを愛していて、きみが欲しいんだということ以外
Que je t'aime et te désire
僕は何も言いたいことはないんだ

Quand la musique est trop forte
音楽の音が強すぎて
Et que le son nous emporte
音が僕らを吹き飛ばしてしまうと
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい
Il suffit d'un soupir
ため息ひとつだけでもいいんだ
Mais le silence est pire
でも沈黙はサイテーだ
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい

Je voudrais seulement te dire
僕がきみに言いたいのは
Que j'aimerais te voir sourire
きみに微笑んで欲しいということだけ
Je n'ai pas vraiment plus à te dire
きみを死ぬほど愛しているということ以外
Que je t'aime à en mourir
僕はまったく何も言いたいことはないんだ

Quand la musique est trop forte
音楽の音が強すぎて
De ta bouche rien ne sort
きみの口から何の言葉も出てこない
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい
Il suffit d'un sourire
微笑みだけでもいいんだ
Mais le silence est pire
でも沈黙はサイテーだ
Tu n'm'entends pas
きみには僕の声が聞こえないのかい



歌詞1番と2番、ほとんど違いがない。このしつこさが、わしが何遍も言ってるのに、おまえには聞こえんのかい、と苛立っている老人のようでもある。無理しないでください80歳。このメロディーよっぽど自信があったんだろうね、続く4トラックめで同曲ピアノインストヴァージョンが控えている。自己陶酔気味の”歌う”ピアノである。ついでに言うと、リフレインサビの低音から最高音ファルセットにせり上がっていく部分、ミッシェル・ベルジェ(曲)/リュック・プラモンドン(脚本)のロック・オペラ『スターマニア』(初演1979年)の「遭難した地球人からのSOS(S.O.S. d'un terrien en détresse)」(オリジナルヴァージョン歌唱:ダニエル・バラヴォワーヌ)を想わせるものがある。聴き比べるとそりゃあバラヴォワーヌの方が美しい超絶ファルセットですよ。ま、それはそれ。

5曲め"Quand y'en a pour deux(二人分あるのなら)"はコミカル(ナンセンス)ソング。これは1970年サッシャ・ディステル(1933 - 2004)のシングルで"Quand il y en a pour deux, il y en a pour trois"(二人分あるんだったら三人分にもなる)という歌と関係ないってことはないんじゃないの?またフランシュ・コンテ地方には"Quand il y en a pour trois, il y en a pour quatre"(三人分あるんだったら四人分にもなる)という諺があると言う。これはどういうことかと言うと、一人分だったら二人でも分けられる、二人分だったら三人でも分けられる、三人分だったら四人でも分けられる、ケチケチせずにできるだけ分け合いましょう、という隣人愛教訓なのである。これをナレフ詞は「trois(トロワ=三人分)」を「toi (トワ=きみ一人分)」に変えてあるのね。
Quand y'en a pour deux y'en a pour toi
二人分あるのなら、きみ一人分はあるよ


これに何の含蓄があるのか? フランスの童歌(コンティーヌ)にインスパイアされたナンセンスソング「マチューの頭に毛が一本 Y'a qu'un cheveu sur la tête de Mathieu」(1968年、一応作詞はピエール・ドラノエである)と何万マイルの距離のある歌であるが、アルバムの中で一番ヨットロックっぽい楽曲だったりして。

 そしてこのアルバムに先行して昨年11月にAI動画で発表された7曲め"Sexcetera(セクセテラ)"である。前述のように、アルバム制作上でAIは一切関与していないと豪語するナレフ氏であるが、このクリップはAIだよと自慢げに語っている。そうとも。この御仁はTECHの超大国に住んでいて、その大統領はドナルド・トランプである。就任演説でトランプは高々と宣言した「わが国には二つのジェンダーしかない、すなわち男と女である」。1971年、ナレフ氏は高々と宣言した「Je suis un homme 僕は男なんだよ」。2025年の今日、米国のご時勢とシンクロしてか、ナレフ氏ははっきりとLGBTQ+フォビーをあらわにし、ヘテロ愛こそわが愛と...。
Mais on est où ?
俺たちはどこにいるんだ?
On est chez nous ?
ここは自分の国じゃないのか?



"On est chez nous"(ここはわれわれの国だ)ー これはフランス極右政党FN(→ RN)が2017年大統領選挙の際に同党党首マリーヌ・ル・ペン候補を支持するスローガンだった。ここはわれわれの国だ → われわれでない者はここから出て行け。ナレフ氏がこのスローガンを知らなかったわけはなかろう。この歌のコンテクストは、ここはどこなのか?こんなにも”非ヘテロ”に陣地を奪われているのか?ここはわれわれの国なのか? ー となろうが、20-21世紀の性文化の変遷を(加州とフランスという現場で)ご自分でも生きてきたわけではないのか? いたく失望しましたよ。

(追記)ジャケットアートは(これもAI介在なしの)実写写真(フォトグラファー:ローラン・セルーシ)だそう。これは素直にすごいと思いました。

<<< トラックリスト >>>
1. Un temps pour elles
2. Villa Cassiopée (instrumental)
3. Tu n'm'entends pas
4. Tu n'm'entends pas (reprise instrumental)
5. Quand y'en a pour deux
6. Solstice (instrumental)
7. Sexcetera
8. Un moment (instrumental)


MICHEL POLNAREFF "UN TEMPS POUR ELLES"
LP/CD/Digital Parlophone/Warner
フランスでのリリース:2025年4月25日


カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)2025年4月28日フランス国営ラジオFrance Interの朝番7-10でレア・サラメのインタヴューに答えるナレフ氏

2025年4月28日月曜日

私は今生きている(「十七歳」)

Ambre Chalumeau "Les Vivants"
アンブル・シャリュモー『生きとし生けるもの』

 
1997年生れ、現在27歳のアンブル・シャリュモーの第一作めの小説で、3月12日の発売以来現在まで書店ベストセラー上位(3刷、3万部)にあり、Z世代小説の旗手のような現象となっている。ジャーナリストとして既にメディアに露出する有名人であり、2020年からテレビTMCのトークショー番組「コティディアン Quotidien」(ホスト:ヤン・バルテス)の文化時評コメンテーターとなっている。因みにこの番組からはこのブログでも2作を紹介している作家リリア・アセーヌを輩出している。
 若いという字は苦しい字に似てるわ。小説はシャリュモーの自伝的な部分も含む「17歳→18歳」という1年間に集中している。それは2014年のパリに始まる。言わば”並に”裕福な3つの家族の子女ディアーヌ、コラ、シモンの3人は物心ついた頃から家族ぐるみの付き合いで、いつも一緒に遊び、毎夏同じところで海辺のヴァカンスを過ごしていた。17歳の夏のヴァカンスは、親たちの目から遠いところでの活動が多くなり、肝硬変が心配になるほどクロナンブールを浴びるほど飲み、ちょっと値の張る”煙”を吸った。On n’est pas sérieux, quand on a dix-sept ans(17歳の時など真面目なわけがない ー アルチュール・ランボー)。おそらく親たちと行く最後のヴァカンス、そして最後の三人一緒のヴァカンス。未成年最後の夏。9月(新年度)になれば将来(そんなものあるのか!)に向かって別れ別れになる。ディアーヌ(作者シャリュモーの化身)は将来何になるというアイディアがあるわけではないが、極めて成績優秀ゆえに、文系”プレパ”(エリート上級校入学準備クラス)を志願して書類審査パス。受け取った入学受理の手紙には入学前に(すなわち夏休み中に)多数の読むべき専門書/文献のリストが添付されていたが、ディアーヌは一冊も読めない。
 ディアーヌは学業こそ秀でているが、”男子が振り向かない”タイプ。容姿にも性的興味にも頓着しない。それに対してその親友のコラは少女の頃からマヌカンのような美貌で人目を引いていた。現在頭の大部分を占めているのがマチューという5歳年上の男との交際であり、長い間つきあっているにも関わらず、二人は別れたりくっついたりを繰り返している。マチューも美貌の男子で物腰にそつがなく、娘たちは黙っていても寄ってくるタイプだが、この美しいコラだけは他の女たちとは違う。自由にならない。だからこそ征服したい、モノにしたいというマッチョな欲望なのか。それを見せまいとしていい男を演じているのか。コラはそれを知っているからか、時々距離を取るのであるが、しばらくしてまた元のさやに戻る。その夏まで二人の性的関係は"前戯”どまりだった...。
 シモンはそんな二人の”兄貴分”で、両親からも他の子たちからも信頼される”いいやつ”で(そのことで弟のトマはずっと兄を嫉妬していた)、遊びごとのリーダーで、よろず相談役で、三人組の牽引者だった。だが、シモンはある夏、コラに”カミングアウト”し、そのことをディアーヌはコラを通して知る。コラはたぶんすんなりと受け取ったのだが、ディアーヌは少しモヤモヤしてしまう。だが三人組は変わらない...。
 新年度開始が近いある日、ディアーヌがプレパに入ったら(その軍隊式詰め込みカリキュラムのせいで)しばらくは三人で会うことができなくなる、今季最後の機会になるから、某パーティーに集まろう、シモンも来るから、とコラからの誘い。ディアーヌとコラは会場でいつものように暴飲して夜更けまでシモンを待っているが、シモンは遂に現れない。
 シモンの母セリーヌから電話。シモンが緊急入院し、昏睡状態に陥っている。午前3時、アルコール漬けの態で二人は病院に駆けつける。シモンは脳を侵す非常に稀なヴィールスに感染し、延命のためのさまざまな管をつけられて深い眠りに入っていて、その眠りはいつ醒めるのか医師たちは予測することができない。これが小説の19ページめまでのあらましである。

 この夏の終わりの大変動が若いディアーヌとコラをどのようにグジャグジャにしていったかというのがこの小説の主なテーマであるが、もう一人、二人とは次元の異なる大きなダメージを負ってしまったのがシモンの母のセリーヌである。この三人だけが病室のシモンを見つめる立会人であり、面会制限時間15分の間にそれぞれのシモンとの”対話”を試みる。それがいつまで続くのかは医師も含めて誰も知らない。
 セリーヌの”転落”はドラマティックである。シモンの入院の前奏のように、夫イーヴとの別離があった。元ジャーナリストで二人の子(シモンとトマ)の子育てのために現役を遠ざかっていたが、数年後その機会が来ても職復帰はできず、不定期ピジスト(フリーライター)の身に甘んじている。息子の災難を知った友人たちが、気晴らしにとパーティーに誘われるが、そこで言われる歯の浮くようなお見舞いの言葉の数々。フランス語ではこんな風には言わないが、日本語常套表現ならば「私にできることがあったら何でも言ってね」というアレ。「私にできることがあったら何でも言ってね」「私にできることがあったら何でも言ってね」「私にできることがあったら何でも言ってね」.... これは言われた方のムカツキを知ってのもの云いである。確信犯。張っ倒されたいんかオノレは。
 セリーヌは何も言わず、聞いたフリをして何も聞かず、ひたすら飲み続ける。何杯も何杯もとめどなく飲み続ける。家に帰っても飲み続ける。それしかないように飲み続ける。着衣のまま泥酔して床に倒れているセリーヌを介抱するのが(コレージュを終え、新学期にリセに入ったばかりの)次男トマである。兄シモンと比較されてあらゆる点で”見劣り”を感じていたトマは、乱れた姿の母を抱きかかえてベッドに運び寝かせる。これはたぶんシモンの役だったはず。母を支える人間が自分ひとりになってしまった。図らずもトマはこうしてシモンへのコンプレックスを克服していく。それぞれの”ポスト・シモン”はここでも始まっていく。

 コラはあの救急病院に駆けつけたあと、放心状態で未明のパリを彷徨いマチューのアパルトマンに辿り着き、極度のショックの癒しを求めたのか、マチューのところで眠りたかった。ところがマチューは泥酔・無抵抗のコラに、やっとこの機会が来たと言わんばかりに、”リラックスできる飲み物”を飲ませ...。これは男がそうではないと主張しようが明らかな同意なき性暴力であり強姦である。コラはこれを許さない。コラには前史があり、ペドフィリアの被害者だった。そのトラウマのせいで17歳になっても彼女が性関係を恐怖していた。長期の交際になったマチューにはいつかという気持ちがあったかもしれないが、マチューは無断で押し入った。しかもシモンの緊急時の日に。コラは絶対に許さない。P187 - 188、コラは赤々と燃えたぎるような憤怒の手紙を書いている。
「Je suis venue te dire que je te hais. 私はあんたが大嫌いだと言いに来た。今になって私はあんたが何ものかを知った。私はもう子供じゃないし、あんたのことをちゃんと認識した。あんたはもはや変なコブのついた奇妙な男なんかじゃなくて、哀れにも汚く犯罪的な変態でしかない。あんたに知らせてやる、覚えておいて、私はゾッとするほどあんたが大嫌いなんだと。あんたが私の体に無理矢理押し入った時に味わった私の痛みと同じ痛みをあんたにも味わせてやりたい。私が味わったように、汚され、裂かれ、自分自身でなくなってしまったような、吐くほどの罪悪感をあんたに味わせてやりたい。あんたの被害者たちのひとりで私よりも勇気ある女があんたを見つけ出して、あんたの竿(teub)を錆びたナイフで切りつけてくれたらいいと望んでいる。あんたはオシッコするたびにそこが焼けるように痛むのさ。あんたは血を吐けばいい。あんたは小学校の前を通ってモノが固くなって勃起したとたんに痛くなるのさ。あんたはもう二度と二度と二度とオルガスムを味わえなくなればいい。一生欲求不満で、痛み続け、苦しむのよ。愚かな間抜け野郎、あんたの臓器の腐敗はあんたが生きることの邪魔はするが、あんたは絶対に死なないんだ。私があんたが107歳まで生きることを望んでいるよ。107年の不幸が被さるように呪ってやる。あんたへの呪いが100倍になり、あんたの両腕は切り落とされ、あんたの肉体は焼かれ、あんたの内臓は引っ掻き回されればいい。私があんたの被害者だということを決して忘れないで。そしてこの判決文も。私のことをいつまでも覚えておいて。万が一あんたの間抜けなおつむが俺は改心したと思うようになっても、あんたがホームレスに2ユーロあげたり、あんたの祖母に絵ハガキを送ったりして、これで罪の償いをしたつもりになっても、それであんたがいい人間になったって思ったとしても、橋の下に川の水が流れるように、あんたが私にしたことは大したことじゃないって思うようになったとしても、私は絶対にあんたを許さないってことを永遠に覚えておいてほしい。私はあんたが長生きして孤独にボロボロになって死ねばいいと思ってることを絶対に忘れないで。」

この手紙を持ってマチューの住む建物へ行き、郵便受けに入れる寸前までいくのだが、結局この手紙はゴミ箱の中に消えていく。それが”大人”になることだろうか。こんな時シモンがいてくれたら何と助言するだろうか。コラはその怒りをそのまま保持して、精力的にSNSや文献で性暴力被害のことを読み漁り、フェミニズムに開眼していく。コラの”ポスト・シモン”は歩みはこうして踏み出される....。

 ディアーヌは死に物狂いで予習復習しなければついていけないプレパの授業には気もそぞろで、シモンの難病の医学的情報をネットで調べたり、覚醒恢復のごく少ない症例、どんな治療法が有効か、昏睡した脳を刺激するとされる音(音楽)や言葉をシモンの病室で繰り返し実験してみたり...、シモンのことで頭がいっぱいになっている。成績はどんどん落ちていき、小学校で学業を始めて以来ずっと超優等生を続けてきたディアーヌは(超難しいクラスであるとは言え)初めて劣等生に転落する。あまりにも近くにいて、これからも近くにいるはずだったシモンの突然の眠り、それは不在でも消滅でもなく病室に横たわって”存在”している。この”物体”と私は語り続けるが、それは同じ友情か?そして私は一体シモンのどこまでを知っているのか?私に見えないシモンがあったのは知っているが、それはもう知りえないものなのか?そんな時、(同じようにシモンのすべてを知らなかったことを気にかけている)母セリーヌがディアーヌに核心的な問いかけをする「シモンはゲイなの?」(merde, merde, merde... とディアーヌは内心で叫んでいる)。私とコラはそのことは知らされたが、シモンがその種の交際をしていたかどうかについては何も知らない...。
 そしてある日病室付きの看護婦から、ひとりの少年がシモンとの面会を求めてやってきたことを知らされる。この病人の面会には親権者(この場合母セリーヌ)の許可が必要なので、母親と連絡を取り許可を得てから来るように、と追い返されたという。ディアーヌはそれがシモンの”恋人”だと直感した。ここからディアーヌはSNS(主にFacebook)のシモンのアカウントの内容を徹底的に分析し、この少年の割出しを試みる。ここのパッセージ、推理小説のようにワクワクする。3桁はあるだろう”友だち”の中から、知り合った時期、登場回数、一緒に写っている写真のあるなし、イベントやさまざまな事象に共通して”ライク”しているかどうか、共通のイベントに参加しているかどうか、コメントの交換の頻度と”熱”具合... などを分析して、”ホシ”を絞り出していく。そしてその結果、マキシムという少年が浮かび上がり、ディアーヌはかなりの確信を持ってFBメッセンジャーでマキシムにシモンのことで会いたいとメッセージを送る....。
 「私の知らないシモン」がそこに現れた。知らないことだらけのままシモンを失うかもしれなかったディアーヌは、このことで少なからず救済されている。エモーショナル。

 小説の時間は9ヶ月。さまざまな管を繋がれ眠ったまま延命させられていたシモンは9ヶ月で息絶える。この9ヶ月間のシモンを見つめていた3人の女たち、ディアーヌ、コラ、セリーヌそれぞれの変身を描いた300ページである。ディアーヌはプレパを落第し、プレパなどというブルジョワ家庭のお決まり路線のように分別なく従ってしまったコースを捨て、これからは違う(自分のための)道に踏み出すということに全く後悔はない。コラはフェミニズム視線で世を見つめ直し、マヌカン紛いの人形であることをやめ、これまでと違う出会いの可能性を仄めかせる新しい生活が始まる。少女から大人へ、という括りだけではない大きな”成長”がある。シモンは死に、それを見つめ生き残った者たちはみな”新しく”なる。その生き残った者にはシモンの弟トム、セリーヌの夫イーヴ(セリーヌとよりを戻す)、シモンの”友”マキシムも含ませて、作者は小説を終えるのである。Les Vivants 生きている者たち、というタイトルは最後にとても合点のいくものになる。
 Z世代の小説であり、私のような老人にはとても読み取れないその世代の風俗文化リファレンスが多く登場し、読むのに大変苦労したが、その甲斐は大いにあった。大切な人間の死を見つめて生き残った人間にとって「生きる」とは越えること、越えなければならないことだったとあらためて教えられた。この作者は私の娘よりも若いのだった。

カストール爺の採点:★★★★☆

Ambre Chalumeau "Les Vivants"
Stock刊 2025年3月12日  297ページ 20,90ユーロ


(↓)アンブル・シャリュモーの(ファースト)プロモーションインタヴュー
テレビで鍛えられた人の饒舌という感じ。悪口じゃなくて。


(↓)南沙織「十七歳」(1971年)

2025年4月11日金曜日

母の歳月

 "Ma Mère, Dieu et Sylvie Vartan"
『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』


2025年フランス映画
監督:ケン・スコット
主演:レイラ・ベクティ、ジョナタン・コーエン、シルヴィー・ヴァルタン、ジョゼフィーヌ・ジャピィ
フランス公開:2025年3月19日

原作はロラン・ペレーズ(1961 -  、弁護士、ラジオ/テレビコメンテーター、作家)の2022年発表の自伝的小説『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』。この作者はメディアにかなり露出している言わば”タレント”なので、その成り上がり方を自己肯定するマユツバもののセルフストーリーと構えて見た方がいいのではあるが...。カナダ人監督のケン・スコットは2011年の大傑作『Starbuck(日本上映題"人生、ブラボー!”)』を撮った人。この監督は流石にうまい。
 その『Starbuck』と同じ頃、2010年『輝くものはすべて(Tout ce qui brille)』(ジェラルディーヌ・ナカッシュ監督)で一躍トップスターの仲間入り(セザール賞新人女優賞)を果たしたレイラ・ベクティ、今や大女優の観のある41歳であるが、この映画ではモロッコ系セファラード(ユダヤ人)の肝っ玉かあさんの役で、その30歳から85歳まで(!)を演じている。私生活で伴侶であるタハール・ラヒムが同じ頃の撮影でアズナヴールのバイオピック『ムッシュー・アズナヴール』(メーディ・イディール&グラン・コール・マラード監督)で、17歳から晩年までのアズナヴールを演じていて、二人で”歳のとり方”を研究し合っていたという裏話あり。
 さて映画は1960年代から始まる。モロッコからの移民労働者家族であるペレーズ家はパリ13区のHLM(公団低家賃住宅)に住んでいる。子沢山(全部で8人だそうだ)で八面六臂の采配で家事を切り盛りするエステール(演レイラ・ベクティ)と、何でも助け合う”となり組”の奥さん連中、勝手知ったる何とかでいつも家の中におばちゃんたちがいる光景、どこか昔の日本の下町人情長屋のような賑やかさがすごくいい。エステールの夫のマクルーフ(演リオネル・ドレー)は工場労働者で昼にこの空間にいないせいだけでなく、かなり影が薄い。夫の意見などほぼ無視して子たちの教育と家事一切をこなすスーパーかあちゃん。臨月だというのに直前まで家事で大忙しの姿に、早く産院へ行け!、とおばちゃんたちに諭されて、地下鉄で向かうが、その地下鉄の中で産気づいてしまう。コメディー映画ですから。そして分娩室で無事男児(ロランと命名)を出産したのだが、分娩医師は険しい顔で「この子は片足が奇形(pied-bot ピエボ=湾曲足)で一生歩けない」と。エステールは信じない。何とかしてこの子の足を治して歩かせてみせる、と。映画はこの前半が抜群に面白い。どんな医師に診てもらってもロランの足は治る見込みがゼロと言われ、それでもエステールは奇跡を求めてあらゆる神に祈祷し、呪い師、アフリカ治癒師、万病快癒聖者を求めて西から東へ駆けずり回る。母は挫けない。絶対的に信じている。神というのはそのためにあるのだから。
 しかし現実は奇跡とは遠く、ロランの幼児期は両腕による這い這いの移動しかできず狭いアパルトマンだけがこの子の世界。這い這いでも兄姉たちとやんちゃができる光景がいい。兄弟姉妹の連帯結束はすごい。母エステールのしつけの勝利。教育には絶対の自信がある。そんなこんなで時は経ち、ロランにも義務教育就学年齢がやってくる。エステールはこの子が障がいのせいで学校で辛い思いをするのを避けるため入学を拒否する。すると教育委員会の(怖〜い)指導員マダム・フルーリー(←写真、演ジャンヌ・バリバール)がやってきて、入学は義務であると迫る。母は学校と同等の学力は必ず家庭でつけさせる、と定期的な学力チェックを条件に登校免除を。このマダム・フルーリーも厳格であるが熱血教育者であり、足繁くペレーズ家にやってきてはなんとかエステールを挫かせロランを学校に入れさせようとする。このあたり、無学な移民おばさんの自己流教育に”共和国教育”が負けるわけがない、というややレイシスト気味の意地が見てとれるが、二人のやり合いは非常に面白い。
 ロランに読み書き/算数計算/一般常識を教えるエステールの教育メソードは、ロランが最も好きで最も興味があることを通してすれば頭に入る、というもの。確かにロランは聡明な子であり、それだけでなくその教育を実践するロランの兄姉たちも非常に聡明なのだった。では幼いロランが夢中になっているものは何か、と言うと、それはシルヴィー・ヴァルタン(!)なのだった。母はシルヴィー・ヴァルタンの全レコードをロランに買い与え、ヴァルタンの記事のある新聞雑誌すべてを取り寄せた。ロランの兄姉たちはそれらを使ってロランにヴァルタンヒット曲の歌詞の読み方書き方を教えたり、ゴシップ記事の意味を解説したり...。家中にヴァルタンの歌が鳴り響き、近所おばちゃんたちを含めて、みんながヴァルタンの歌を歌いロランの”勉強”を応援する。この”ヴァルタン教育法”は映画観る者たちをどれだけしあわせにさせるか。この部分は『Starbuck(人生ブラボー!)』を彷彿とさせるハッピーさなのですよ。
 それと前後してエステールは”ピエボ=湾曲足”を治せるかもしれないという矯正器具を開発したマダム・ベルジュポッシュ(演アンヌ・ル・ニ、この女優好き、プライヴェートではミュリエル・ロバンと同性婚)と邂逅。言わば”大リーグボール養成ギブス”のようなもので足に恒常的に変形力を加えるシステムで、これを24時間&数ヶ月装着していれば効果が表れる、と。長丁場の苦しい戦いなのだが、その苦しさからロランを救ってくれたのが大好きなシルヴィー・ヴァルタン、というわけ。ロランもペレーズ家のみんなも助っ人の隣家のおばちゃんたちもみんな頑張った。そして月日は経ち、ついにロランの足は治って立って歩けるようになる。この努力を端ですっと見ていた鬼の教育委員マダム・フルーリーは、エステールが息子に立派な学業を収めさせただけでなく、障がいを克服させたということを教育省に大称賛して報告し、その偉業は時の大統領(どういうわけかシラクになっている)からレジオン・ドヌール勲章を授かる、というところまで大ごとになるのである。あれもこれもすべてシルヴィー・ヴァルタンのおかげ。映画はここまでの前半が本当にしあわせで、feel-good movie かくあるべし、という見本のように展開する。
 後半はロランが大人になって(ここからロラン役を演じるのがジョナタン・コーエン)有能弁護士として成功していく話になるのだが、原作がそうだから仕方がないとしても主役/話者/映画の中心はロラン・ペレーズで、母エステールではない。奇跡のようにロランをここまで大きくしたという自負のある母には、ロランはいつまでも壊れもので保護監視の溺愛が必要だと思っているが、ロランにはそれが邪魔臭い。弁護士事務所を開設したはいいが、母が受付秘書その他なんでもしゃしゃり出てロランの独り立ちを妨げ、子供の頃にロランに奇跡をもたらしたように、大人になってもロランの大成功を”私が”もたらしてやる、というでしゃばりぶり。子離れの難しい親。子供の頃の徹底した”シルヴィー・ヴァルタン教育”のおかげで、大人になっても”生きたシルヴィー・ヴァルタン百科事典”のままであるロランは、意図せずもそのつながりが道をつくり、シルヴィー・ヴァルタン本人まで辿りついて、遂にはシルヴィー・ヴァルタンの顧問弁護士となってしまう。
 ここででしゃばり母ちゃんエステールは、一体誰のおかげで今日のロランの大成功があるのか、ということをシルヴィー・ヴァルタンに告げたくてたまらないのだ。だが、成り上がり弁護士のロランは、その過去(障がいのこと、”シルヴィー・ヴァルタン教育”のことなど)が世に知られたら、自分の今のポジションは吹っ飛んでしまうと恐怖している。私がシナリオも原作も含めてこの映画で納得がいかないのはここなのである。なぜロランにとってその過去は隠されなければならないのか。コメディー映画的進行ではあるとは言え、映画の後半は最愛の息子に更に”愛”を覆い被せようとする母と、それを体良く拒絶し、母の”愛”を圧殺しようとする息子の心理ドラマと化してしまう。前半のテンポの良さから一転して重くなっている。それはこの映画でロランの”リクツ”が勝ってしまっているからで、ロランの結婚とそれに続く子供誕生/家庭形成→妻の病死という自分史の浮き沈みのエピソードの影に老いた母エステールは出番を少なくしていく。
 母エステールがどうしてもシルヴィー・ヴァルタンに伝えたかったこと(手渡したかった手紙に書かれてある)、これが映画の収拾をつける鍵なのであるが、それを直接伝えることなく、母はこの世から去る。シルヴィー・ヴァルタンがペレーズ母子にとってどれほどの奇跡で、どれほどの神の慈愛であったか。母のその思いを踏みにじったままの状態で、ロランは母をあの世に見送ってしまった。ロランの悔いは限りない。
 その懺悔のようにロランはシルヴィー・ヴァルタンにすべてを打ち明ける。観音菩薩のような顔をしたシルヴィー・ヴァルタンは、エステールのしたことをこの世に残さなければ、とロランに告げる。こうしてロラン・ペレーズ著『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』というベストセラー本は生まれた、という結末。

 3月19日の封切以来、観客の入りは上々で、4月には動員数100万を突破した。レイラ・ベクティには、これが芸歴上最高の演技と言われる映画になるかもしれない。母は強く、母は奇跡的で、母は同時に悲しい。こういうテーマはコメディーであっても泣かせる。幼児から少年まで3人の子役によって演じられたロランの快演、マグレブ系ジューイッシュという戯画的な役柄ながら体当たりで30歳から85歳までを見事に演じきったレイラ・ベクティ、これには本当に頭が下がる。しかし上に書いたように、成人したロランが中心になる後半にはかなりモヤモヤしてしまったので....。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『母と神とシルヴィー・ヴァルタン』予告編


(↓)1965年「レナウン・ワンサカ娘」(小林亜星作詞作曲)

シャル ウィ ダンス

←2023年3月3日、生徒に刺殺された妻・スペイン語教師アニェス・ラサルの遺影と棺の前で踊る夫・ステファヌ・ヴォワラン

ず、起こった事件について。2023年2月22日午前10時、南西フランス、ピレネー=アトランティック県サン・ジャン・ド・リューズ市の私立カトリック系リセ、サン・トマ・ダカン校の第二学年クラスのスペイン語の授業中に女性教師アニェス・ラサル(当時52歳)が、突然席を立って教壇に歩み寄ってきた男子生徒(当時16歳)に胸部を刃物で刺され死亡した。殺人の動機は明らかではないが、少年には精神的疾患(”物憑き”状態)があったとされている。フランス全土に衝撃を与えたこの殺人事件に続いて、被害者アニェス・ラサルの葬儀が3月3日、ビアリッツ市のサント・ウジェニー教会で執り行われたが、その模様を中継したテレビニュース番組が映し出したのは、棺の置かれた教会の前庭(これをフランス語では "parvis パルヴィ”という)で、ナット・キング・コールの歌に乗って踊るひとりのダークコート姿の紳士だった。透明人間を相手に見事な”ペアダンス”を披露するこの紳士が故アニェス・ラサルの伴侶ステファヌ・ヴォワランだった。(↓)そのYouTube映像。

ダンスで知り合った亡き妻への最後のオマージュをダンスで。このひとりステップを踏みターンをするダンサーの姿に、フランス全土が涙したのだった。
 ナット・キング・コールの"Je ne repartirai pas"は、ガンを病んでいた晩年の大歌手の生前最後の世界的ヒット"L.O.V.E"(1964年12月録音)のフランス語ヴァージョンであり、このフランス語のコーチをしたのが当時アメリカで活動していたリーヌ・ルノーだったと言われている。これは日本語版もあり坂本九や美空ひばりが歌っていたが、漣健児の日本語詞は「Lと書いたらLook at me. Oと続けてO.K.. Vはやさしい文字Very good. Eと結べば愛の字L-O-V-E. Loveは世界の言葉」となっている。ところがフランス語版はまるで違う。

Toi, qui n’as peut-être pas compris
きみはたぶんわかってなかったね
Quand je t'ai dit en quittant Paris
僕がパリを離れるときにきみに言ったこと
Je m'en vais le cœur lourd
僕は心を重くして去って行くけど
Mais je sais bien qu'un jour
その日が来たらすぐに
Dès que je le pourrais
きみの国に戻ってくるって
Dans ton pays je reviendrai
僕は信じているんだ
Toi qui ne m'avais rien répondu
きみは何も答えてくれなかったけど
Je sais que tu ne m'avais pas cru
きみは僕を信じてなかったと思うけど
Et pourtant me voilà
でもこうやって今僕はここにいる
Tu peux avoir confiance en moi
きみは僕を信用していいんだよ
Je ne repartirai pas
僕はもうどこにも行かない
Je ne repartirai pas
僕はもうどこにも行かない

全然ディメンションが違うのだ。この歌はここで亡き妻への愛のメッセージに見事に昇華してしまう。教会の前庭(パルヴィ)で姿のないきみと手を絡ませて踊る僕、約束したろう、ここに来るって、僕はもうどこにも行かない、僕はもうどこにも行かない.... Je ne repartirai pas....


 2025年4月3日、ジュリアン・クレールが最新アルバム”Une Vie”(5月23日リリース)の先行ファーストシングルとして”Les Parvis(パルヴィ)"と題された歌を発表した。亡き妻の遺影と棺を前に葬儀協会の前庭(パルヴィ)で踊る紳士のことを歌った歌である。エモーショナルなクレールの歌唱とポール・エコルの詞に心打たれた人のひとりが、喜劇俳優/脚本家/随筆家/時事コメンテーターのフランソワ・モレルだった。4月11日国営ラジオのフランスアンテール、朝のレギュラー時評でフランソワ・モレルは、このジュリアン・クレールの新曲を紹介した。3分間。この放送内容をそのまま日本語訳してみます。

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フランソワ・モレル
”Sur les parvis"


《 Il tourne, il tourne et il danse
くるくると彼は踊る
Sur les pavés du parvis
パルヴィの敷石の上で
Dans ses bras il tient l'absence
その腕に不在の女
Son bel amour qu'on a ravi... 》
天に召された最愛の女を抱いて


この世界を救えるものといったら何があるだろう? 詩? 歌? とっておきのメロディーに乗ったいくつかの選りすぐりの言葉? この雑音だらけの世界で、ひとつの声が立ちのぼり、それは人々を安堵させ、慰めてくれる。

今回の時評はおそらく最も馬鹿げたものとなろう。なにしろこの3分間の時評はある3分の歌についてのことなのだ。皆さんのおっしゃる通りだ。それについて御託を並べるよりも歌を聴く方がいいに決まっている。

《 Il tourne, il tourne
くるくると彼はターンする
Et c'est encore de la vie
これはまだ生きていることなんだ
Ayons parfois l'élégance
時としてパルヴィの上でくるくる廻る
De tournoyer sur les parvis 》
優雅さを持とうじゃないか


そしてそれは一大奮起と言えるし、尊厳さとも言え、私たちの中の最良のものを呼び起こしてくれる。

私はと言えば、たしかに皆さんののおっしゃる通り、私の貰うギャラを正当化するためにおしゃべりをしているに過ぎない。

この歌"Les Parvis(パルヴィ)"の歌詞はポール・エコルが書いた。エコル(学校)の言葉。クレール(聖職者)の旋律。この歌を作曲し、歌唱しているのはジュリアン・クレールである。

私はわれわれが17歳だった時のアイドルたちが80歳を迎えようとしていることを知った。時間はこの問題には関係がない。良いものは良いのだ。

この歌はわれわれすべてが共有しているひとつの過去の出来事について語っている。自分の生徒のひとりに殺されたスペイン語教師アニェス・ラサルの棺の前で、その伴侶ステファヌ・ヴォワランが踊り出したのだ。Je ne repartirai pas(僕はもうどこにも行かない)、ナット・キング・コールの歌のフランス語版に乗って。アニェスとステファヌはダンスで知り合った。踊ることによってしか男は女にさよならを言えなかったのだ。それはとても風変わりなことであり、とても衝撃的なことだった。この映像を見た者は誰一人としてそれを忘れることなどできない。詩的に突飛なことであり、生命を守るためのダンスであった。悪は決して勝つことなどないのだ、と言いたげな。踊るこの男の顔の表情に、その微笑みに、この女性と巡り逢えた喜びと同時にこの女性を失った無限の悲しみを読み取ることができたのだ。

《 Dans ses mouvements
彼の動きの中に
Tous deux se rejoignent
二人が重なり合う
L'espace d'un instant
この瞬間
C'est la vie qui gagne 》
生命は勝つのだ


確かに一曲の歌は世界を変えることなどできない。だが歌は世界を和らげ、勇気づけることもできるし、私たちに命の火を灯すよう働きかけたり、パルヴィの上で輪舞する優雅さを見出させたりもするのだ。

では私はもう黙り、皆さんに曲を聴いていただきましょう。


国営ラジオフランスアンテールの朝番「7−9」、2025年4月11日午前9時放送のフランソワ・モレルの時評は(↓)のリンクで聞くことができます。
https://www.radiofrance.fr/franceinter/podcasts/le-billet-de-francois-morel/le-billet-de-francois-morel-du-vendredi-11-avril-2025-8497404

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(↓)LOVEは世界のことば、とナット・キング・コールも歌っている。

2025年3月29日土曜日

棋士棋士盤々

"Le joueur de Go"
『碁盤斬り - Bushido』

2024年日本映画
監督:白石和彌
主演:草彅剛 清原果耶
(日本公開:2024年5月17日)
フランス公開:2025年3月26日


棋は「指す」、碁は「打つ」。日本語は難しい。将棋を指す人は「棋士」、碁を打つ人も「棋士」。日本語は難しい。この映画は江戸時代の「碁打ち」にまつわる作品であり、江戸をはじめ全国いたるところにある碁会所を舞台にした「賭け碁」のシーンが多く登場する。とは言え主人公の元彦根藩士の浪人柳田格之進(演草彅剛)は碁の名人でありながら清廉潔白・謹厳実直を絵に描いたような武士ゆえ、”原則的に”賭け碁はしない、しても最後の終局勝利の一手を打たず、相手に勝たせて賭け金を払って去るという堅物。私は五目並べは知っていても囲碁のことなど何も知らない人間であるが、この映画でひとつ知ったのがこの柳田の極意技としている「石の下」(フランス語字幕で"Le jeu sous les pierres"と出る)という戦法。日本語ウィキでは「意図的に相手に石を取らせて空いた交点に着手する手筋のこと」と解説されている。そう言われても私にはさっぱりだが、映画上で(だいぶ冒頭の部分で)柳田が遊郭の女将お庚(演小泉今日子)に実戦で「石の下」をつかい、講釈するシーンがある。これでも私にはさっぱりだが、要は相手に陣地を容易に取らせ、相手に絶対の勝運ありと思わせておいての逆転技、ということらしい。勝ち欲は墓穴を掘る。それぞれのひと打ちがその度に相手をも強くする攻撃と防御の盤上ゲーム、それが碁である。なるほどねぇ。そしてこんなことも言う「己の利ばかりを探求しては勝つことができない」。なるほどねぇ。柳田の最良の碁友となる商人・萬屋源兵衛(演國村隼)は、元は強欲吝嗇で知られた男であったが、柳田の碁の哲学に感化され己の利ばかり追求していたことを恥じ、誠意の商人に変身して商売も成功していく。こういう高尚な碁の哲学をうんちくするシーン多々あり。碁の棋士のフィロソフィー、これを「棋士道」と言うのだろうか。ところがこの映画は”棋士道”ではなく武士道の映画を標榜していて、英語圏上映題は「Bushido」となっている。
 今や世界一の柔道王国となってしまったフランスでは、日本および極東起源の格闘技(マーシャルアーツ)が90年ほど前からこの地で根を張り(フランス柔術クラブ設立は1937年)、”道”と名のつく競技はフランス全国津々浦々に”Dojo(道場)”を開き、その技術的ハウツーだけでなく礼儀作法およびその精神とフィロソフィーをも伝授していった。礼に始まり礼に終わる。マスターを”Sensei(先生)"と呼ぶ。勝つと思うな思えば負けよ。この道場精神に染まったフランス人を揶揄するフランス語表現が "tatamiser(タタミゼ = 畳と化す、生活に畳を取り入れる)であり、"tu es tatamisé"と言えば「おまえは日本かぶれだな」というニュアンスもあり、「柔道的に(過度に)礼儀正しいやつだな」という意味でも使われる。
 飛躍した例ではないと思うが、1960〜80年代にフランスにも(破竹の勢いのあった)日本企業が多く進出してきて、現地で「日本式経営」を実践する動きがあり、朝礼やラジオ体操の導入、残業奨励、就労後の飲み会などで現地労組と反目することがままあった。その場合も日本精神のプロパガンダが否応なしについてまわるわけだが、サムライ的なるもの、武士道的なるものがビジネスにおいても必須であり、そのおかげで日本企業は世界的に成功してきた、という論法で...。私が1996年から2017年まで運営していた会社が常時ジリ貧だったのは、そういう精神が皆無だったから、という自覚はある。
 さて問題はこの映画で制作側が世界にアピールしようとしている武士道である。世界においてもサムライムーヴィーや日本格闘技の普及によって、これは新しい言葉ではない。ブシドー?ああ聞き覚えがあるねぇ、という感じ。もう一度武士道を見直そう。Bushido is not dead. Make Bushido great again. この映画のフランス配給会社(Hanabi)が制作した映画パンフレット(映画館で無料配布)の最終面(→写真)には、ご丁寧にも「武士道7つの徳(Les 7 règles du Bushido)」が解説されていて、武士の絶対の守りごととして「義・忠義・名誉・礼・勇・仁・誠」をフランス語で説明している。この映画では浪人となりながらも忠実にこの七つの徳を守ってきた武士として柳田格之進を特徴づけている。その武士道ウェイをまっしぐらに進む男をヒーロー的に描き、日本的武士道の美しさを大々的に讃えてアピールする映画か、と見るとそうではないのだ。(下に貼る予告編の中でもはっきり出てくるセリフであるが)映画の後半で柳田は「私は今日まで清廉潔白であろうと心がけて生きてきた、だがそれは正しかったのであろうか?」と自問するのである。言わば武士道への疑いであり迷いである。これがどれほどこの映画を救っているか。この映画はお題目通りの武士道礼賛ムーヴィーにはなっていない、ということなのだ。ここのところとても重要。
 映画の大筋はリヴェンジ・ストーリーである。そしてクライマックスとして斬首シーンを持ってくる。そのことは「見事本懐を遂げられました」と称賛の言葉で肯定される。ー これは私には全く受け入れ難いことなので、はっきり言っておく。武士道訓の義や忠義や名誉を守る最終の解決が「死」(相手の死でもあり、自分の死でもある)であるという考え方を日本社会はず〜〜〜っと抱き続けている。美しいとすら考えている。世界中で廃止されているのに日本で死刑制度が無くならないのは、「死」こそ解決であり大団円であるとする根の深い”殺生禁断”否定観のゆえであり、その考え方を支えているもののひとつに武士道思想がある。これを日本の美学であるとして映画作品にしたものはいくつもあるが、2025年にまだそれを継承するものだったらこの映画ははっきり間違いであると言える。
 「死」はこの映画の中で武士の特権として義や忠義や名誉を全うする具体的行為として現れる。萬屋源兵衛邸での源兵衛と柳田の碁の対局中に源兵衛の50両という大金が無くなり、その部屋に柳田と源兵衛しかいなかったことから、柳田に嫌疑がかけられる。事実無根ながら柳田はその汚名を着せられた不名誉を晴らし、身の潔白を証すために「切腹」を企てる。名誉のために自死するのが武士。ここで柳田の娘お絹(演清原果耶)が「母上の仇も打たず、濡れ衣を着せられたまま死んでしまうのですか?」と、目の前で起きた不名誉よりも、もうワンランク上の不名誉を晴らすのが武士ではないか、と父に喝を入れるのである。不名誉にはランキングがある。フランス人にわかるかな? 映画はそれと同じ頃に柳田がかつて彦根藩を追われる元となった冤罪事件の真相と、その冤罪を首謀した藩ライバルの柴田兵庫(演斉藤工)が柳田の妻(お絹の母)にも手を出していて、その苦悩の果てに妻が琵琶湖に入水自殺した、という事実が明らかになる。お絹の言うように、これは”50両問題”など霞んでしまうレヴェルの重大事であり、ここで父と娘は一世一代のリヴェンジ・プロジェクトに乗り出すのである。静的な映画前半から打って変わって血湧き肉躍るワクワクの後半へ。わかりやすい。
 娘は自分の清い体を担保に遊郭女主人お庚から50両を借り、柳田は不本意ながらその50両で萬屋50両問題を一旦解決するものの ー が、もしもその失われた金が萬屋で見つかった場合は、萬屋源兵衛とその跡取り養子弥吉(演中川大志)の首を頂戴するという条件 ー その50両の返済期限は大晦日まで、返済されずに年が明けたらお絹は女郎としてデビューするという約束。柳田父娘の一世一代の賭け。この古風な日本映画のような盛り上がり方、テレラマ誌は褒めている。On ne boude pas son plaisir devant ce divertissement élégant et délicieusement rétro. (この華麗にして甘美にレトロな娯楽映画を味わう愉しみには何の不満もない ー テレラマ誌2025年3月26日号)

 仇敵柴田兵庫はと言うと、かの冤罪のタネとなった彦根藩家宝の巻物着服がバレて藩を追われ、流れの浪人となって、これまた碁の名人の特技を活かして、各地で賭け碁で荒稼ぎして生きていると聞く。柳田は三度笠&合羽の旅ガラススタイルで、柴田を追って東西南北津々浦々の碁会所を巡っていく。ロードムーヴィー化。当時碁会所というは全国にこんなにたくさんあったんですねぇ、と驚くけれど、ま、映画ですから。時は過ぎ、年の瀬、回り回って柴田は江戸の年末忘年大碁会に現れるらしいという噂。その大碁会を取り仕切る胴元が長兵衛(演市村正親、この俳優素晴らしいですね)、柳田が柴田に申し出た碁の一騎打ちを柴田が受けようとしないのを窘めて「男が命を賭けると言うからには、よくよくあってのことではございませんか」と喝を入れる。このシーンたまらないですね。で、命掛けての碁の勝負、長期戦となるも柳田は必殺の「石の下」で勝利するが、負けを認めたくない(2020年のトランプのような)柴田は刀を抜き、柳田に斬りかかる...。

 タランティーノ映画の逆輸入のような殺陣シーンだと思った。エンターテインメント的にはここをクライマックスにしなければ。そしてそのカタルシスのように斬首シーンが来る。あ〜あ...。
 蛇足のように加えられる、萬屋源兵衛と弥吉の斬首未遂シーン、原作の落語の幾多のヴァージョンのひとつでは「ことの起こりはすべてこの碁盤にある」と柳田が言うらしいが、二人の首の代わりに碁盤を真っ二つに斬り落として、「柳田格之進碁盤斬りの一席でございました」と高座を降りるのだそうだ。まあ、このまま終わると武士道ヒーロー譚でしかなくなるのであるが...。多くの観客がそれで満足するならばそれもよし。ジャパニーズ・エンターテインメントとしてはゲイシャ、チャンバラ、ハラキリ、桜と富士... 盛沢山に詰めてあるので、外国ウケするソフトパワーの条件は揃ってますし。しかし...。
 
 映画は柳田に「清廉潔癖であろうと心がけて生きてきたが、それは正しかったのか」と自問させる。これは crise existentielle (実存的危機)。この迷いこそこの映画を救っているものだと私は思う。武士道の七つの徳を忠実に尊守してきた男が、それは正しかったのかと問い、リヴェンジの旅の途中途中で武士社会の矛盾や黒々とした事情や武士道を守ったが故に不幸になっていった武士たちの不条理を知っていくにつれ、その疑いは深まっていく。この映画ではここをわかってあげなくちゃ。「本懐を遂げられましたぞ」と喝采されるのを虚しく思う柳田を見てやらなくては。単純な武士道礼賛ではない部分を見てあげなければ。とは言え、映画はそれを意図的に浮き彫りにしてるとは言えないのですよ。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)フランス上映版"Le Joueur de Go" 予告編

(↓)おまけ。仏語版予告編。可笑しい。

2025年3月22日土曜日

死出のVoyage Voyage

”On ira"
『オンニラ』

2025年フランス映画
監督:エンニャ・バルー
主演:エレーヌ・ヴァンサン、ピエール・ロタン、ダヴィッド・アラヤ、ジュリエット・ガスケ
フランス公開:2025年3月12日

れわれの世代では、”On ira"と第一声が来たら、”tous au paradis"と下の句が出るものと決まっている。”On ira tous au paradis"、ミッシェル・ポルナレフ1972年のヒット曲(日本題は「天国の道」)で曲ポルナレフ+詞ジャン=ルー・ダバディー+編曲ジャン=クロード・ヴァニエという強力トリオの作品だった。誰でも天国へ行く。泥棒だろうが聖者だろうがみんな天国へ行く、俺だって天国へ行く。ゴスペル風な大合唱を従えて歌われる祝祭的な死者礼賛葬送ソングと聞くべし。世界の多くの習俗で死者を送ることはお祭りである。これで思い出されるポップヒット曲が英国シンガー、カーメル(Carmel McCourt)の「サリー」(1986年)であり、歌とダンスとスウィングジャズに乗って天国へ旅立つ死者サリーの晴れやかな顔のMVが印象的だった。そしてこの映画の中でも、主人公一行4人が偶然立ち寄ったロマ(ジタン)の野営キャンプで、ひとりの死んだ女性のために大々的な祝宴が催されていて、”たまたまの客人”として歓待される。天国の道はこのように祝福されてほしいと私も願うよ。
 もとカド・メラッドの相棒(二人組カド&オリヴィエ)で、喜劇人・俳優・監督・脚本家のオリヴィエ・バルーの娘エンニャ・バルー(1991年生れ)の初監督長編映画。アルモドバール『ルーム・ネクスト・ドア』(2025年1月公開)、コスタ=ガヴラス『最後の息(Le dernier souffle)』(2025年2月公開)に続いて、安楽死/尊厳死をテーマにした映画であるが、これは名目上は”喜劇”。コメディーとして死にゆく者を笑って送り出す映画かと言うと、このテーマをそんな軽さで描くわけにはいかない。この国で安楽死/尊厳死は長い間真剣な議論がされているのに、隣国(スイス、ベルギー...)と異なりいまだに法制化に至る状況ではない。フィクション映画とは言え、軽薄な冗談は許されないような世の目がある。
 80歳のマリー(演エレーヌ・ヴァンサン)は、十数年前乳がんを発病、片方の乳房を失ったがしばらくして別箇所でがん再発、化学療法や免疫療法などいろいろ重い治療を受けたもののがんの進行は止まらず、ステージ4の状態。ほどなくして来るとわかっている耐え難く醜く長い苦痛を避け、威厳を持って自らの意志で死の世界に入りたい。マリーは家族に相談することなく、”自殺幇助”が合法的に許されているスイスに行って死を迎えることを決断する。そのスイスの機関の(フランスの)エージェントで契約署名に行くことになっていて、親族の同意署名が必要なため、息子のブルーノ(演ダヴィッド・アヤラ)に同行してもらい、その道々でブルーノにこの決断を告白しようと思っていたのだが、約束の時間になってもブルーノは来ない。悪い人間ではないのだがドリーマーにしてルーザーゆえに金欠トラブルが絶えず、口座欠損の弁解で銀行で足止めを喰らって母親との約束を守れない。その時マリーの家に居合わせたのが介護ヘルパーのルディー(演ピエール・ロタン、2024〜25年メキメキ頭角を現してきたコミック系男優)で、”レノン”という名のネズミをペットとして飼っている、気の良い一見献身的な介護マンでありながら、これも生活にだらしないルーザーで、生活苦(ホームレス)で介護宅に勝手に居候したり、ヘルパー会社から当てがわれている車を住居代わりに使ったり、ヘルパー会社から解雇されかかっている。マリーはその事情をルディーにかかってくる電話を傍受して知り、握ってしまったルディーの弱みに付け込んで、マリーの言うことを聞けばヘルパー会社に何も報告しないばかりか、優秀ヘルパーとして証言してあんたの窮地を救ってやると、ルディーを丸め込むのである。
 何でも言うことを聞く手下を得たマリーは、スイス安楽死機関のフランス支社に息子ブルーノの代わりに同行させ、ルディーを息子と偽って”安楽死契約書”に同意の署名をさせるのである。この時点でマリーの安楽死計画を知っているのは、昨日まで赤の他人だったルディーだけなのである。
 そしてその夜、マリーの家での夕食は、ルディーを含めた4人、すなわちマリー、息子ブルーノ、離婚後ブルーノが男手ひとつで育てている14歳の娘アンナ(演ジュリエット・ガスケ、素晴らしい!)そしてヘルパーのルディー。この席でマリーは自分の安楽死計画を公けにしようとするのだが、言い切れず、スイスに旅行するとだけ告げる。「何しに?」とブルーノが問えば、口から出まかせで「未処理の遺産相続の件でスイスの公証人に会いに」と。激しい金欠トラブルの只中にいるブルーノは、自分の窮地はこれで救われると勝手な早合点で自分もスイスに同行すると言い出す。学校休み中のアンナも一緒に行くと言い出す。家族でヴァカンス旅行などほとんどしたことのないマリーは、それもいいわね(その道々で機会が来たら真実を打ち明けようと)と乗り気になるが、車の運転ができないブルーノに代わって誰が?という問題に、マリーは何でも言うことを聞く手下となったルディーを指名する。こうして、車庫に長い間眠っていた1980年代の年式のキャンピング・カーに乗り込み、ルディー(+ネズミのレノン)の運転でマリーの”死出の旅”珍道中が始まる。南仏からスイス・チューリッヒまでの道、通常ならば1日ほどで走破できる距離、金のトラブルを早く解消したいブルーノはできるだけ急いで現地に行きたいのだが、マリーはルディーにできるだけゆっくり進むようにと頼む。躊躇しながらゆっくりと息子と孫娘に真実を告白する機会を伺っているのだから。
 こうして始まるロードムーヴィーは道中何度も停車し、何泊もの時間をかけて目的地スイスまで向かうことになる。この休み休みのゆっくり進む時間が、ギスギスしてトゲのあるコミュニケーションしかできなかった父の娘の関係を和らげたり、不本意ながらこの一種の運命共同体の一員にさせられたルディーのヒューマンさを全開にさせたり、マリーの”生きていた時間”の記憶を再生させたり、4人のひとつのユートピアが幻視される旅になっていく。この旅のテーマソングのように何度も挿入されるのが、1986年の地球規模ヒット曲デジルレス「ヴォワイヤージュ・ヴォワイヤージュ(Voyage Voyage)」なのだが、これがまさに必殺の効果を醸し出している。こんなにエモーショナルな歌だったのか、と今さらながら。泣ける。
 いつマリーは真実をブルーノとアンナに告げるのか、その時がたぶんこのユートピアの終わる時だ、ということを映画を観る者は勘付いていく。しかしその真実はマリーが告げる前に、具合の悪くなったマリーの薬を取りにキャンピング・カーに戻ったアンナが、マリーのバッグの中にあった”安楽死契約書”を見つけてしまう、というかたちで暴露され、そのショックでアンナはひとり走り出し、大人の世界の汚い隠し事に絶望したかのように大人3人から逃走していく。必死で追う大人たちの車はようやくアンナを見つけ出すのだが、そのアンナが紛れ込んだのが(↑)上の方で述べたロマ(ジタン)たちの野営キャンプ地なのだった。
 何十台ものキャラバン、何百人というロマの人たちがこの野営地に集結して、ひとりの死んだ女性の天国行きを祝福し、大盛餐を分かち合い、婆さんのたくさんの遺品を分配し合い、老若男女飲み歌い踊っている。一期一会の縁、ここに居合わせてしまった4人をロマたちは手厚く迎え、一緒に婆の旅立ちを祝ってくれ、と。この大祝宴の野営キャンプの一夜が、この映画のターニングポイント。ブルーノもアンナもルディーも「ヴォワイヤージュ・ヴォワイヤージュ」に合わせて踊り狂いながら、何かを悟るのである。死を迎える者を前にして、生きている者たちがなすべきことは何か。このロマたちのように、その生涯を祝い、向こうへの旅路を歓呼で送ってやることではないか。

 80年代型のキャンピング・カーは遂に動かなくなり、ロマたちが提供してくれたサーカスの呼び込み宣伝カー(これ、すごくいい!)に乗り換え、4人はスイスに入り、チューリッヒの”安楽死施設”に到着する。マリーに用意された部屋で、キャンピングカー道中での定番メニューだった配達ピザで最後の晩餐をし、4人でモノポリーゲームを夜更けまでワイワイはしゃぎながら興じて、その屈託のない笑顔でその夜は閉じる。

 The day after。3人はマリーの遺灰壺を持ち帰り、動かなくなったキャンピングカーのマリーの座席にマリーの灰を散らし、車体に沢山の花火筒を巻きつけ、車内にガソリンを撒いて... 点火する。マリーの死出のヴォワイヤージュ・ヴォワイヤージュは火祭りで送られる。ああ、良いエンディングだ。

 2024年のフランソワ・オゾン監督映画『秋が来るとき』("Quand vient l'automne")に続いて、(失礼ながら80歳を越えた)エレーヌ・ヴァンサンの主演映画である。どんな映画でも漂ってしまうこの人の持って生まれた気品のオーラはもちろん、不安げで壊れもののようで、少女的でもあるこの高齢女優の魅力に圧倒されるべし。安楽死/尊厳死という極端に重いテーマをここまで祝祭的に昇華させた”コメディー”風シナリオにも拍手を送りたい。死出の旅、かくあるべし。
Voyage, voyage
旅、旅
Plus loin que la nuit et le jour (voyage, voyage)
夜と昼よりも彼方へ(旅、旅)
Voyage (voyage)
旅(旅)
Dans l'espace inouï de l'amour
驚異の愛の空間へ
Voyage, voyage
旅、旅
Sur l'eau sacrée d'un fleuve indien (voyage, voyage)
インドの大河の聖なる流れの上(旅、旅)
Voyage (voyage)
旅(旅)
Et jamais ne reviens
そして二度と還ってこない
カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『オンニラ』予告編

2025年2月28日金曜日

手を取り行くのも絵空事

"Yôkai - Le Monde des Esprits"
『スピリット・ワールド』

2024年シンガポール日本フランス合作映画
監督:エリック・クー(Eric Khoo 邱金海)
主演:カトリーヌ・ドヌーヴ、堺正章、竹野内豊
フランス公開:2025年2月26日

不思議の国ニッポンでは生者たちの空間に死者たちの霊がここかしこに同居している。このテーマは2023年エリーズ・ジロー監督フランス映画『シドニー・オ・ジャポン(日本上映題「不思議の国のシドニ」)』で展開され、フランスの大女優イザベル・ユッペールをしてなんとも軽薄な心霊体験を演じさせたのである。今回はフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴが同じような不思議の国ニッポンの死霊と共演するばかりか、自らも死霊となって日本を旅するのである。
 日本通のシンガポール人監督エリック・クーの最新作『スピリット・ワールド』は、前作『ラーメン・テー(日本題「家族のレシピ」)』(2018年)と同じように、群馬県高崎市が重要な映画の顔になっている。高崎は監督にとってよほど思い入れのある町なのだろう。
 老いた著名シャンソン歌手クレール・エムリー 、 Claire Emery 映画中のカタカナ表記では”クレア・エメリー”となっている。エムリーの姓はジャック・ドミー『シェルブールの雨傘』(1964年)の傘店店主マダム・エムリー、その娘ジュヌヴィエーヴ・エムリー(=カトリーヌ・ドヌーヴ)からいただいたものだろう。同ミュージカル映画でジュヌヴィエーヴの歌声はドヌーヴによるものではなく、歌手(ダニエル・リカーリ)が吹き替えしたものだったが、この『スピリット・ワールド』では、シャンソン歌手クレール・エムリーの歌はドヌーヴ自身の声で歌われている。設定は日本で極めて高い人気を博しているシャンソン歌手ということで、モデルとしてシルヴィー・ヴァルタンを想ったりするのだが、映画中で人生最大の心残りのように死んだ一人娘のことが語られるので、これはジュリエット・グレコ(2020年没、不和の関係にあった娘ローランス=マリーは2016年没、最後の日本公演は2014年、予定されていた2016年公演は病気のため中止)と考えるのが自然。グレコが黒のドレスの歌姫だったように、このクレール・エムリーはステージはいつも赤のロングドレスなのだった(美空ひばりのようだ、と私は思った)。
 さてそのクレール・エムリーの久方ぶりの来日公演なのだが、会場はなんと東京ではなく高崎なのだ。ステージにはピアノ伴奏者と赤いドレスのシャンソン歌手ひとり、しかも椅子に座って歌っている(ジュリエット・グレコは最晩年でも立って歌っていたのに)。それを高崎の満員のファンたちは拝むように静聴している。歌はこの映画のためにジャンヌ・シェラルが作詞作曲したオリジナル曲。エミリー・ロワゾー、エミリー・シモン、フランソワーズ・ブルーらと同じように2000年代デビューの女性シンガー・ソングライターとして今や中堅となったジャンヌ・シェラルの才能を私は十分認める者ではあるが、映画で聞くことができるクレール・エムリー(カトリーヌ・ドヌーヴ)が歌う2曲は凡庸ですよ。少なくとも大シャンソン歌手の名曲として観客がうっとりできるような歌のように演出されるには無理がある。それはそれ。そしてこの「ライヴ・イン・タカサキ」コンサートは、高崎には失礼だが、”場末感”が漂っているように見える。それはそれ。
 この高崎コンサートが終わった夜、クレール・エムリーは宿泊ホテルから抜け出すと、目の前に飲み屋が立ち並ぶ小路がある(”場末感”の延長)。クレールは選びもせずに一軒の居酒屋に入り(飲み屋のオヤジが”これはこれはエメリーさん!”と歓待するほどの有名人)カウンターに座り、一言も言葉を言わず手振りで日本酒を注文し、猪口ではなくコップ、徳利ではなく瓶、とその飲む量をどんどんエスカレートさせていき、その挙句、急性アルコール中毒でカウンターに突っ伏して死んでしまう。かなり唐突。
 話は前後するが、その数日前に高崎で元ミュージシャン/作曲家だったユウゾウ(往年のビーチボーイズ系サーフロックのヒットメーカーという設定で、当然この名前は加山雄三に由来する)(演堺正章)がガンで死んだのだが、この男がサーフロック系の分際でシャンソンのクレール・エムリーの大ファンかつ、クレール・エムリーこそ彼の音楽創造の最大のインスピレーションだった、というちょっと無理のあるプロフィール。そのもう一つの創造のインスピレーション源が酒だった、という...。それはそれ。自分の死期を知りながら、大ファンだったクレール・エムリーの高崎コンサートのチケットを買って楽しみにしていたが果たせず。その弔いの意味も込めて、息子のハヤト(演竹野内豊)がそのチケットでエムリーのコンサートに行き、コンサート後のサイン会でエムリーと対面する。
 そのハヤトはアニメーション映画クリエイターとして高い評価を受けているが、創造力枯渇スランプに陥っていて、そのストレスから重度のアルコール依存症(ただものではないウィスキーの量、カップラーメンにウィスキーがばがば入れて食べるシーンあり)になっている。この映画の主役3人はそれぞれがアルコール依存症者で、エリック・クー監督はこれを重大な病気として扱うことはせず、浪花節的な”酒でも飲まなきゃやってらんねえ”人情の側から描いている。これは前時代的な”日本映画”モードであり、私にはあまり感心できない部分であるが、それはそれ。
 クレール・エムリーが居酒屋のカウンターに突っ伏して生き絶え、その肉体をそこに残して幽霊となって高崎の町を彷徨う。西洋人としてこの現象は全く理解できず狼狽えているところで、「エメリーさん」と呼ぶ声あり。幽霊のユウゾウと幽霊のエムリーが出会い、この幽霊間のコミュニケーションではユウゾウが日本語で喋り、エムリーがフランス語で応答するのだが、両者は翻訳することなくすべて理解できるのである。映画って何でもできるんですね。あなたの大ファンでしたと前置きし、ユウゾウは日本では生前に重大なやり残しを置き去りにした魂が天界に行けずに現世に幽霊となって彷徨っているとエムリーに説明する。あなたも私もそういう現世の未練に縛られた幽霊なのです。ユウゾウは天界に行けない理由を探しに、私と一緒に旅をしませんか、と。
 エムリーは前述のように現世での大きな後悔として一人娘エルザのことがあるのだが、映画はそっち側のことは軽視して、もっぱらユウゾウの現世の後悔をどうにかする”旅”としてロードムーヴィー化する展開で、エムリーはその旅のお供として霊界と現世の交錯する不思議の国ニッポンの観察者のような立ち回り。そのユウゾウの死んでも死にきれない後悔とは、別れた妻でありハヤトの母親であるメイコ(演風吹ジュン)のことであり、若き日の過ちを御破産にして、メイコとハヤトが再会/和解してくれないものか、と。ユウゾウはハヤトへの遺言として、若き日の(ビーチボーイズ系)サーフロックバンド(ユウゾウがキーボディスト/コンポーザーで、メイコがヴォーカリストだった)の唯一の大ヒットアルバムのアルバムジャケットを飾った因縁のサーフボードをメイコに届けてくれ、と書き残す。それに従ってハヤトは年代もののステーションワゴン車のルーフにサーフボードを積んで、千葉県外房のサーフィン町(映画では地名は出てこないのだが)いすみ市までロングドライブとなるのだが、そのステーションワゴンの後部座席にはハヤトには見えない幽霊のユウゾウとエムリーが同乗している。撮影は2024年1月という冬場であるが、日本のロードは絵になるねぇ、非日本人観客にはここが十分な見せ場でしょうねぇ。カーステからは往年の(ユウゾウ時代の)Jポップ(なんでスパイダーズじゃないんだろうなぁ)。やがて見えてくるいすみ市海岸の風光明媚、光あふれる冬の海。
Mourir seule au Japon, ce n'est pas si mal, finalement...
(日本で私ひとりで死ぬことって、そんなに悪いことじゃないわね...)
(↑)とクレール・エムリーはまんざらでもない感慨をもらすのである。幽霊として現世ドラマを鑑賞する旅を楽しむように。幽霊友のユウゾウの解説を聞きながら展開されるハヤトの現世ドラマは二つの方向に向かっていく。ひとつは(ユウゾウが望んだような)母メイコとの再会と和解というポジティヴな方向、もうひとつはハヤトのクリエイターとしての創造力枯渇の苦悩から堕ちてしまうアルコール依存症地獄というネガティヴな方向。後者は母と再会した上向きの契機を得たハヤトをしてもなお、地獄へ地獄へと追い込み、遂には死の淵まで追いやるのである。それを救うのが吉祥天女のような顔をした幽霊クレール・エムリーなのだった....。

 オールドスクールなマンガを読まされているような映画だった。セリフの少ない映画。日本語もフランス語も解さないエリック・クー監督はその多くを”絵”で表現しようとしたのだろうが、ダイアローグは(日本語もフランス語も)本当に軽い。「禁止されている場所にも関わらずタバコを吸うドヌーヴは、女王の貫禄で不平を漏らし、自分自身の死、そして愛した者たちの死を語る。それは遺言のように美しく、このようなシンプルな映画によって死者たちが私たちを見守り続け、私たちの耳元でメロディーを囁いてくれるという希望がもたらされるということは稀である」(テレラマ誌2025年2月26日号)という好意的な評価もある。これは単純な不思議の国ニッポン肯定論だと思う。宮崎映画を褒めるようにこの映画を褒められるのかテレラマは!20世紀映画の大女優の存在感はこの映画でどうなっているのか、私は呆れましたよ。
 蛇足ながら、鈴木慶一がユウゾウの元バンド仲間という役で出ていて、ハヤトとかなり長いセリフのやりとりをしている。細野晴臣と久保田麻琴もサーフシティーいすみ市の住人という役で短い出番がありそれぞれ短いセリフを。愛嬌。

カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)『スピリット・ワールド』フランス上映版予告編