2023年8月7日月曜日

イミグレおおちゃんと転がる石

"Yamabuki"
『やまぶき』


2022年日本(+フランス)映画
監督:山崎樹一郎
主演:カン・ヤンス、祷キララ、和田光沙
アニメーション:セバスチアン・ローデンバック
音楽:オリヴィエ・ドパリ
(日本公開:2022年11月5日)
フランスでの公開:2023年8月2日

本で公開された映画であるし、たいへん評価も高く、いろんな人が称賛している作品なので、私などが何も付け加えることはないと思う。8月2日からフランス21都市の映画館で公開されているが、パリは唯一5区のルフレ・メドシス座で。私は公開2日めの8月3日午後3時半の回で観たが、130席のホールかなり入っていた。テレラマ評も「bien」(”ひとりの労働者、ひとりの警官、ひとりの苦悩する少女... これらのありふれた日本人の運命が遭遇する出来事の数々がときおり皮肉の色に染まりながらひとつの詩的な寓話を紡ぎ出していく”テレラマ8月2日号)だった。いいことです。
 岡山県真庭市、映画の舞台はすべてここ。主人公が日本語を母語としない人間である、ということがフランス人観客にはわかったかな?映画の後半で憤怒や昂りで発せられる言葉は”生身”の母語である。チャンスー(演カン・ヤンス、素晴らしい)は、東京オリンピック出場も可能だったかもしれない韓国の馬術競技のトップ騎手のひとりだったが、家業の倒産による多額の借金を返済するために日本のこの地方都市にやってきて採石会社の重機操縦者となって働いている。この採石会社にはチャンスーだけではなく、日本語を母語としない移民労働者たち(ヴェトナム人など)も働いている。おお、これはイミグレ(移民)主題の映画か、と一瞬思わせる出だし。非正規/期間限定雇用で汗流すイミグレたちにあって、チャンスーはある日会社上司から正社員採用を仄めかされる。正社員になったら待遇は変わるわ、生活は安定するわ、韓国家族の負債返済も楽になるわ...。この町で知り合い”仮の”家族となっているミナミ(演和田光沙)とその幼い娘ユズキにそのことを伝える。ミナミは夫の実家のハラスメントに耐えきれず娘を連れて家出してこの町に流れ着き、保母として働きながらユズキを育て、新しい家族となったチャンスーを迎えるが未来を想定できない不安定な関係が続いていた。ひょっとして本当の三人家族としてスタートできるかもしれない。それが予告編にも出てくるこのやりとり:

ミナミ「チャンスーはこれからもここでいい?いつか自分の国に帰りたいと思わない?私はもう帰れないから」
チャンスー「私もここでいい。ユズキとミナミのいるここにいたい」

日本の地方の町において、それがこの言葉のように簡単なことではない、というのはフランス人観客にもわかっていることだとは思う。だがいいスタートだと思う。今ここは起承転結の「起」。

 この「起」の部分で、バイリンガルの私はものすごいものとぶつかってしまったのである。それはユズキがチャンスーのことを「おおちゃん」と呼んでいることなのだ。この呼び名の意味はしばらくしないとわからないのだが、ユズキはチャンスーが父親ではないことを知っていながら、その親密度が深まるにつれ、父親のようなものに変わっていっているものへの愛称なのだ。「おとうちゃん」でも「とおちゃん」でもないのだけれど「おおちゃん」になったのですね。これも重要だけれど、もっと重要なのは、この「おおちゃん」をフランス語字幕がなんと... ”Pap” と訳してあるのですよ。最初は注意して字幕なんか読んでないから、なんだこれは、なんか変だな、と思っていたんだが。あとで辞書とかネット検索で調べてみたんだが、”Pap"なるフランス語単語も幼児語も存在しない。はっと気がついた。これは "Papa"から最後の”a"を取り去ったものだ、と。フランスの幼児は父親の愛称は”papa(パパ)"、"papou(パプー)"、"papounet(パプーネ)"などと呼んだりするのだが、この字幕翻訳者は「おおちゃん」というパパならざるものを、"papa"や"papou"の語幹だけ取って”pap(パプ)"として訳し、「とおちゃん」ではない「おおちゃん」のニュアンスを伝えようとしたのだろうな、と私は想像する。 字幕翻訳の方、たいへん苦しんで思案されたのではないかな。私にはわかりましたよ。この苦労、ノン・バイリンガルなフランス人観客にもわかってくれたらいいですね。こういうところに、私は”日仏合作映画”の妙というものを感じて心打たれたり...。
 さて映画はこの希望を思わせる「起」の部分で、家族の再創造を始めようとする三人と、過去のチャンスーの生きるすべてだった馬術への復帰の可能性も見えてくるのだが、そうは問屋が卸さない。
 その一方で町の交差点で(戦争や基地問題や移民人権などに関する)抗議プラカードを持って”サイレントスタンディング”をする女子高校生ヤマブキ(演祷キララ)がいる。本を読み世の不条理不正義に義憤の心を持ち、封建的家父長制権威の権化のような口の聞き方(”まだ高校生だろ、デモはやめろ、そんなことよりもっとやるべきことがあるだろう”)をする父親で警察官のハヤカワ(演川瀬陽太)との二人暮らしはギクシャクしている。この保守反動丸出しの地方警官の亡き妻(ヤマブキの母)が気骨ある国際ジャーナリストであり、トルコとシリア国境付近でジハードの戦争に巻き込まれて命を落としている。この設定ちょっと無理ではないかな?まあそれはそれ。娘ヤマブキは亡き母親に似すぎたところがあるのだろう、と了解しよう。
 この堅物警官の面白いところ(中国人コールガールと”純愛”していることもかなり面白いが)は大の山好きであること。人生の鬱憤のすべてを山登りで発散しているようなところがある。半分日陰で育つ山吹の花が好きで、山登りでその根付きの木を採取してくるところが、この映画の大きなターニングポイント。ネタバレを避けて謎解きのようにボカして言っておきますが、ヤマスキの頑固オヤジ警官とウマスキのイミグレ韓国人、この二人の運命が出会うことになるのは転がる石(ローリング・ストーン)のせいなのですよ。(←映画観ないとわかりませんよ)

 その結果、「おおちゃん」は片脚を潰される大怪我を負い、馬術を再開する夢はもちろんおじゃん、さらに非情なことに採石会社の正社員雇用の話もおじゃん、八方塞がり四面楚歌。ミナミとユズキとの全幅の信頼関係も翳りが見えてくる。Nobody knows you when you're down and out. そんな時に天から降って湧いたように、巨額の万札がチャンスーの目の前に。だがしかし、昔のイギリス人はうまいこと言いますね、Soon gotten soon spent あるいは Easy come easy go、つまり「悪銭身に付かず」という意味なのだが、これはチャンスーのチャンスとはならず、逆にこのせいで警察に追われる身に。署での取り調べにチャンスーは「遺失物横領、隠匿、使い込み、これは何年の懲役になるんですか?」と自虐的開き直りを。家族を顧みなかった罪に何重もの天罰が下ったとチャンスーは涙した。この取り調べでのチャンスーの独白が素晴らしい。家族とは何か、祖国とは何か。韓国の兵役での訓練で朝に穴を掘らされ、その日の終わりに穴を埋める話。しかし万事休す。そこに因果応報、身から出たサビ落とし、転がる石の逆のぼり、救済はヤマスキ警官ハヤカワから差し出される...。

 テレラマ誌が「詩的寓話 fable poétique」と評したこの映画の寓話性は多面的である。苦悩する少女ヤマブキは難しい顔をして交差点にプラカードを持って立つことで、変わる何かを待っているが、”釣れた”のはナイーヴな男子高校生の片想いだけである。しかしその男子ですら、スタンディングを妨害する右翼ファシストに突進して行ったり、「自衛隊に入ろうかな」とか(バカなことを)考えるようになる。映画はこの片想いを救済してやる。心優しい監督さんだ。

 映画の二つの軸、重なる災難で押し潰されそうになるイミグレのチャンスーと世の不条理に押し潰されそうになっている少女ヤマブキは、映画の中で一度だけ出会う(←写真)。そこでその美しい名前「ヤマブキ」を知ったチャンスーは、”いい名前ですね”と断りながら、かつて山吹とはその色が小判と似ていたから賄賂を意味する隠語であった、とウンチクを垂れるのだった。Money money money。あなたは資本主義の歪みを名前としてこの世に生まれてきたのだよ、と言外に言っているようなシーンではない。大判小判はきれいだが人の心を狂わせる、山吹もまたしかり、なんていう含蓄もないと思う。ゆめゆめ全然そんなことないですから。しかし、このウンチクはやっぱり何かを語っているのであって、これも「詩的寓話」の重要な一部なのだと思う。
 そして映画は「おおちゃん」を救済して終わる。おおちゃんに愛する家族(ユズキが呼びかけて、ミナミ+チャンスー+ユズキで「ぎゅっ」とハグしあうところで、観客はみんな涙を流すのだよ)と馬を戻してやる。その頃、少女ヤマブキは砂丘で風に吹かれ、戦地にいた母がそうしたように、スカーフで頭を覆うのである...。

 地方の市井の人々の生きる姿を撮りながら、世界の細部まで視界が広がってしまう映画。16ミリフィルム。地方の粗い舗装道路やジャリ道を進む自転車感覚。あそこにもここにも味のあるポエジーが、というカメラアイ。印象が長時間残り続ける映画でした。ありがとうございました。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)フランス上映版の予告編



(↓)断片。ヤマブキと生前の母のスカイプ対話。「おかあさん、いつもきれいごと言ってる」(私もそう思う)


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