アルバン・ド・ラ・シモーヌ『この先100年』
1970年生れの52歳。一種の遅れてきた青年ではあるが、2003年のファースト以来これが7枚目のアルバムだそう。ジャズ・ピアニストとしてデビューしてから、ワールド(サリフ・ケイタ、アンジェリック・キジョ...)、90年代仏ポップ(-M-、マチュー・ボガート、アルチュール・H...)のピアニスト/アレンジャーとしての長い下積み期間がある。その頃イニアテュスの自宅パーティーで出会ったような記憶があるが、定かではない。いずれにせよ、”業界人”だった頃の私の記憶では、スタジオの人/縁の下の苦労人のような印象がある。仏ウィキペディアの記述ではソロ・アーチストとしての初コンサートが日本(2003年、マチュー・ボガートツアーのオープニングアクト)ということになっている。その後もこの人日本に縁があるらしく、自分名義のコンサートだけでなくバビックスやバスティアン・ラルマンのプロジェクト Les Siestes Acoustiquesと共になど、かなりの回数日本の土を踏んでいる。もう根強いファンたちがついているのでしょう。
フランスではシンガー・ソングライターとしてヴィクトワール賞に何度かノミネートされるほど高く評価されている一方、職人肌のピアニスト/編曲家/プロデューサーとして90〜00年代のシーンの立役者たち(-M-、ジャンヌ・シェラル、ミオセック、ヴァンサン・ドレルム、オリヴィエ・リヴォー”ヌーヴェル・ヴァーグ”、ラファエル...)の協力者として確固たる地位を築いてきたが、2020年にカルラ・ブルーニ(→写真)のアルバム"Carla Bruni" をプロデュースするという....(嘆息)... これで少なくとも数千人のフォロワーを失ったのではないかと推測する。それのせいかどうかは明らかではないが、2021年、コロナ禍外出禁止令の年、詩的インスピレーションが枯渇してしまい、秋にリリース予定されていた新アルバムは、なんと歌詞なしのインストルメンタルアルバム、題して”Happy End"を発表することなる。
2年後、このアルバム『この先100年』でアルバン・ド・ラ・シモーヌが”歌への帰還”を果たしたというわけである。この帰還はテレラマ、レ・ザンロキュティーブル、ル・モンド、ラジオFIPなどからおおいに祝福されていて、(ヴァリエテでない硬派の)シャンソン・フランセーズ界の2023年春の重要作品となっている。このシンガーソングライターはアラン・スーション、マクシム・ル・フォレスティエの真正な後継者であり、両先達にの流儀でその優れた感性が捉えるのはその”時”のアンビエントとしてあるメランコリアである、と私は思っている。2023年春のこの時期にアンビエントとしてわれわれにふさぎのタネとなっているのは、不安である。より端的には未来に対する不安である。地球規模での伝染病流行があり、ヨーロッパで戦争が始まり、温暖化が起因している巨大な自然災害や手のつけられない大火災が続発し、私たちは地球の明日に関して茫茫たる不安を抱いている。子供たち、孫たちはどんな地球に生きることになるのか。そんな中で数少ない希望のタネのひとつが、人間寿命の延びである。私たちは過去の人たちよりも長生きできる。人生100年。これは朗報である。ところが、この朗報をあたかも政治的社会的大問題のように、人間の寿命が延びれば年金制度が崩壊してしまうと脅迫する大統領と政府がフランスにはある。私たちの朗報が悪夢であると言うがごとく。寿命が延びた分だけもっと長く働けと言っているのだ。冗談じゃない。私たちがもっと長く人生を享受できるという希望を、彼らは挫き、延びた人生を労働奉仕に提供しろと言う。国民の6割が反対し、2023年1月から労組がストライキで国の機能をマヒさせるまで抵抗し、十回を越える統一行動日には毎回全国で何百万人という市民が街頭に出て新年金法廃案を訴えている。2023年春フランスの空気は緊張している。未来はこの上なく不透明である。このアンビエントにアルバン・ド・ラ・シモーヌのアルバムは呼応しているのだ。
Je suis père et fils et je fus mari僕は父であり息子でもあるAnnées 70 avant Jésus-Christ紀元前70年代には夫でもあったJe reviens de loin à travers le temps僕は時を越えてはるか昔から戻ってきたJ'ai fait le chemin à dos d'éléphant象の背に乗って旅してきたMon cheveu farine et ma peau me ment僕の髪は白い粉、僕の肌は偽物C'est une patine, c'est un ornementそれは古く見せるためのただの飾りものJ'ai bien aimé hier, bien aimé avant昔は好きだった、かつては本当に好きだったMais j'ignore comment faire sans toi maintenantだけど今、きみなしではどうしていいのかわからないQu'est-ce que tu faisこれから先100年Les cent prochaines années?きみは何をする?Je te verrais bien僕にはわかるかもQu'est-ce que tu faisこれから先100年Les cent prochaines années?きみは何をする?Je te verrais bien僕にはわかるかもLes cent prochaines annéesこれから先100年Et après on voitその後のことはまた考えようJ'ai lu dans nos mains l'avenir qui brille僕らの手相には輝く未来が見えていたDe beaux lendemains, roulement à billes美しい明日、よく回る車輪Je tiens la calèche qu'il vente ou qu'il pleuve風が吹こうが雨が降ろうが僕は馬車を走らせるUne rose fraîche entre mes dents neuves僕の初々しい歯で鮮やかなバラの花を挟んでPlongeon saut de l'ange du haut d'un rocher絶壁のてっぺんから天使の飛び込みDans le ciel orange, je t'ai vue m'aimerオレンジ色の空で、きみが僕を愛してるのを見たんだQu'est-ce que tu faisこれから先100年Les cent prochaines années?きみは何をする?Je te verrais bien僕にはわかるかもQu'est-ce que tu faisこれから先100年Les cent prochaines années?きみは何をする?Je te verrais bien僕にはわかるかもLes cent prochaines annéesこれから先100年Et après on voitその後のことはまた考えよう
私たちひとりひとりの個体の中で、時間は「紀元前70年代」から流れているかもしれないし、父であったり子であったり夫であったりを経てきている。この50男が永劫かもしれない時間の流れの一部を100年未来のパースペクティヴで見ようとする時にかかってしまう軽い霞(かすみ)の歌なのだ。恋人との愛で未来は見えるのか。これは反語的メランコリアであり、たぶん私たちひとりひとりには軽い霞がかかってしか見えないものなのだ。この美しいアルペジオ旋律の哀愁は、避けられない不安を愛撫するようなヴォーカルに調和する。おそらく2023年春、最も美しいシャンソン。
3曲めに「未来(Avenir)」という歌。本題をずばり、の歌なのだ。
Aujourd'hui déjà
今日ではもう
On ne parle pas trop
人は多くは語らない
On évoque
ほのめかしはする
On tourne autour du pot
そのまわりをあてこするが
On évite
避けて通る
On n'a pas les mots
言い当てる言葉がないAujourd'hui déjà
今日でもなお
On se joue du violon
芝居がかった振りをして
On dit oui
ノンと言いたくないために
Pour ne pas dire non
ウィと言い
On sourit
微笑むけれど
Mais l'œil en dit long
目は違う方を向いているSera comment l'avenir
未来ってどんなもの?
Quoi sera mieux
何が良くなり
Quoi sera pire
何が悪くなる?
Sera comment l'avenir
私たちを惹きつける
Qui nous attire
未来ってどんなもの?Aujourd'hui déjà
今日ではもう
On ne touche pas
それは触れてはならないもの
Ça casse
それは壊れる
On prend pas dans les bras
腕の中に抱きとめたりしない
On embrasse
接吻してもいいが
Les mains derrière le dos
両手は後ろ手に組んでAujourd'hui déjà
今日ではもう
On ne voit ni loin ni haut
それは高くにあったり遠くにあったりするものじゃない
Ni mal ni bien ni beau
悪くも良くもきれいにも見えるものじゃない
Alors on tend les mains
だから人は手を差し伸べ
On agite un drapeau
旗を振ったりするSera comment l'avenir
Aujourd'hui déjà
未来ってどんなもの?
Quoi sera mieux
何が良くなり
Quoi sera pire
何が悪くなる?
Sera comment l'avenir
未来ってどんなもの?
Qui saura dire
未来がどんなものか
Sera comment l'avenir
誰が言えるの?
Quoi sera mieux
何が良くなり
Quoi sera pire
何が悪くなる?
Sera comment l'avenir
私たちを惹きつける
Qui nous attire
未来ってどんなもの?
もう今日になったら
Aujourd'hui je sais
今日なら僕は知っている
Je prédis
予言しよう
Rien n'est impossible
何ごとでも起こりうる
Je le sais
僕は知ってるんだ
Même le passé
過去ですら
Est imprévisible
予測不可能なものなんだ
危機感の希薄な戯れ歌と思われるかもしれない。深刻なように聞こえないからと言って、深刻なことを歌っていないわけでない。私たちは今(Aujourd'hui déjà)未来を語ろうとしても語れないのだ。ライトなポップソングのように歌ってはいるが、しれっとシリアスなメッセージを含んでいる。これはアラン・スーションの得意技だと思うが、ド・ラ・シモーヌはまさにその芸の後継者と言えよう。結論部を見ましたか?「過去ですら予測不可能なものなのだ Même le passé est imprévisible」ー こういう名フレーズ、そう簡単に見つかりませんよ。
さてジャケ写になっている画像(←)は幼い頃のアルバン・ド・ラ・シモーヌが母親に抱き抱えられている図。この極私的な至福の瞬間を、大人になったアルバンは憶えていない。母親にこれはおまえだと言われなければわからなかった。この極私的な写真の情景をド・ラ・シモーヌは「ちっぽけなちっぽけな僕 Petit petit moi」(⒉曲目)という極上のシャンソンに仕上げた。
La photo que je vois
僕が見ているこの写真
Cet enfant dans tes bras
あなたの腕の中のこの子
Je ne le connais pas
僕はわからなかったが
Tu me dis que c'est moi
あなたはそれが僕だと言うJe te reconnais toi
僕はこれがあなただというのはわかる
Ta beauté lumineuse
あなたの眩い美しさ
Hardie et valeureuse
大胆で勇ましい
Heureuse je ne sais pas
幸せかどうかは僕にはわからないIl a bien de la chance
このちっぽけなちっぽけな僕は
Ce petit petit moi
ほんとうに幸運だね
Qui savoure en silence
あなたの腕の中の心地よい瞬間を
Un moment dans tes bras
静かに味わっている
Qu'un jour il oubliera
この瞬間だっていつかこの子は忘れてしまうAu loin dans la nature
遠くの野原では
En liberté l'aînée
自由そのものの姉さんが
Galope à belle allure
ポニーにまたがって
Sur le dos d'un poney
速足で駆けているEt cet homme endormi
Il a bien de la chance
そしてあの眠っている男は
C'est un père un mari
父親、夫、
Est-il déjà parti
彼はもう出て行ったのかな?
Ou encore un peu là ?
それとももう少しそこにいたのかな?
このちっぽけなちっぽけな僕は
Ce petit petit moi
ほんとうに幸運だね
Qui savoure en silence
あなたの腕の中の心地よい瞬間を
Un moment dans tes bras
静かに味わっている
Il a bien de la chance
このちっぽけなちっぽけな僕は
Ce petit petit moi
ほんとうに幸運だね
Qui savoure en silence
あなたの腕の中の心地よい瞬間を
Un moment dans tes bras
静かに味わっている
Qu'un jour il oubliera
この瞬間だっていつかこの子は忘れてしまう
この2分24秒の曲には、ものすごい物語が濃縮されているではないか。母と子の微笑ましいツーショットというだけのものとしてこの写真を見ていた者たちは驚愕する。母親が幸福だったのかどうかを僕は知らない、というくだり。"パパ”と呼ばれず「この男」と呼ばれる人物、この写真の頃にまだ一緒にいたのか、それとももう出て行ってしまったのかわからない、というくだり。言葉少ないのに、極私的で複雑なさまざまな物語がくっきりと立ち昇ってくる - これがシャンソン・フランセーズだと私は思うのですよ、お立ち会い。この極私的情景の現代シャンソン名人は間違いなくヴァンサン・ドレルムであるが、ド・ラ・シモーヌはドレルムほど饒舌でない分、違う味わいがある名人芸と言っておきましょう。
<<< トラックリスト >>>
Albin de la Simone "Les Cent Prochaines Années"
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)アルバン・ド・ラ・シモーヌ「この先100年」ラジオFIPスタジオライヴ
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