生産地イタリア風に読めば「ランチア・ムーザ」、当地フランスでは「ランシア・ミュザ」と呼ばれる。こちらでもあまりポピュラーな車種ではないが、ときたま見かける。日本語版ウィキペディアの記述によると「イタリアの自動車メーカー・フィアットのランチア部門が2004年から製造販売する5ドアのミニバン風ハッチバック型乗用車」だそうだ。「2012年生産終了」との記述も。
あんまり触れたくないのだが、このランチア・ムーザのCMスポットはトップモデルからシンガー・ソングライターに転身して成功を収めた頃(サルコジ大統領夫人となる前)のカルラ・ブルーニが起用された大予算もの。連作で3作ぐらいあったのかな? 言い訳するわけではないが、私はこのCMのこと知らなかった。知っていたら購入するの躊躇したはずだ。それはそれ。
カルト・グリーズ(Carte Grise 灰色カードと呼ばれる自動車登録証)によると、その発行日が2010年4月9日ということになっている。人生で2度目、新車で買ったクルマ。人生で7台目の自家用車。イタリアの工場からフランスの販社に移送されて私が受け取ったのが2010年4月だったのか。このランチア・ムーザを2022年5月14日に手離した。12年も乗っていたのだね。手離すことを決めたのは、この3月の(2年に一度の)車検で、第一回の検査で修理義務を命じられた箇所がかなりあって(2年前はかなり簡単に通ったのに....)、しかも重要かつ高価な交換パーツのものばかりで。2千ユーロ近くかけてまで、この12年選手を保持する価値があるか。おまけに私は2017年の発病・退職・隠居以来、運転することもずいぶん減った上、病気ゆえの運転することへの恐怖があり、そのせいもあって事故も何度か起こしてしまった。もう運転しない方がいい、というのは私も含めた家族の一致した意見であり、遠い郊外の病院通いも病院から保険カバーのタクシー使用許可をもらえるようになったので自分のクルマで行かなくなった。昨今は愛犬ウィンキーの散歩に適した近くの郊外の緑地公園(ムードン、セーヴル、ヴィル・ダヴレー、サン・ジェルマン島、ロンシャン競馬場...)に行ったり、ハイパー(カルフール、オシャン)への買い出しに行ったりが主な役目となっていた。
2016年に娘が免許を取ってからは、娘がよく運転するようになっていて、毎夏のヴァカンスも娘に運転してもらって私はずいぶん楽になっていた。写真(→)は初めてムーザを運転した時にフロントガラス側から撮った(2016年)。その娘は(2021年独立別居したので)今や自分のクルマを5月に購入してしまったし。
ランチア・ムーザとの思い出はたくさんある。最初はまだオーベルカンフ通りにオフィスを構えていた頃で、後部座席を畳んでミニバンにするとかなりの量の荷物が積めて、毎週木曜日の集荷周りに大活躍してくれた。それは2013年7月にオフィスを自宅に近いブーローニュ・ビヤンクールに移してからも事情は同じだったけれど、週1回の集荷作業を除いて、通勤は徒歩かバスになったので、仕事でのクルマの出番は少なくなった。
愛犬ドミノ(2001年6月 - 2016年10月)は抜け毛の量がたいへんなものだったので、クルマの中は常に毛だらけだった。ムーザの最初の遠出が2010年5月、ブルターニュのコンカルノーだった。ホテル泊まりにどうしても慣れなかったドミノは、コンカルノーのホテルの部屋で長時間吠え続け、たいへんなクレームをもらったものだ。写真(←)は2016年10月4日、ドミノを最後に獣医病院に連れていった時のもので、その翌日ドミノは旅立った。一緒にいろんなところに行ったね。
夏のヴァカンスは概ね地中海方面と決まっていたが、2017年闘病生活が始まってから、治療通院(2〜3週間に1回)の合間を縫ってということになって、滞在は短期化を余儀なくされたけど、ムーザはがんばって私たちを南に連れて行ってくれた。コート・ダジュールにいれば、どうしてもイタリアまで足を伸ばしたくなるもので、サンレモで昼食なんてことも何度かあった。イタリアが生まれ故郷のクルマだから、やっぱり町に似合うのだね。コート・ダジュールでは犬が許可されているビーチが限られているから、ドミノもウィンキーも宿泊地からムーザに乗ってそのビーチまで行って、夕方砂や海水を吸った体毛のままムーザに乗り込み帰路に着く、という往復。車内は一回の夏ヴァカンスでたいへんな汚れ方になるのだけど、しかたないよね。
定番のコート・ダジュール往復の他にはアルザス、ヴォージュ、ピカルディー、パ・ド・カレ、ノルマンディー、ブルターニュ、ヴァンデ、シャラント(レ島)... 娘がトゥールーズの大学に行ってた頃は、引越しも含めてトゥールーズ往復3回。よく走ってくれたものだ。メーター上の総走行距離は14万キロ弱。地球3周半分。
2017年6月まで音楽業界人だったが、オフィスでも自宅でも「いいオーディオ」装置を持ったことがない。現役の頃は月に30枚〜50枚の新譜見本を受け取っていて、それを聴いて資料/インフォペーパーを作成して日本に売り込みをかけるというのが私の仕事だった。電話や雑事に邪魔されることなくこの新譜見本を聴き通せる最適な場所がクルマの中だった。ムーザは間違いなく私の生涯最高の"リスニングルーム"だった。オーベルカンフ通りにオフィスがあった頃はクルマでは片道平均45分。CD1枚の時間。ここで初めて聴かれた音楽が、数日後数週間後に日本で”輸入盤ヒット”するなんてことが、少なからずあったのだよ(クロ・ペルガグさんは私のムーザに感謝してほしい)。
というわけで40年近かったクルマ生活を終わりにして、クルマのない生活になった。行動範囲がさらにせまくなった印象があるが、もともと出不精だから、さほど変わっていないかも。さすがにウィンキーは好きな(ちょっと遠めの)緑地公園に行けなくなったからフラストレーションはあるようだが、こらえてほしい。これまで空港送迎などしてもらっていたわがVIP同志たちは、これからは自力でパリ市内に入りなさい。私は歩く人として生き続けます。Ciao ma musa, ciao ma bella...
(↓)ランチア・ムーザ最後の頃(生産終了1年前)、2011年のCMスポット(女性モデルはカルラ・ブルーニではない)
あんまり触れたくないのだが、このランチア・ムーザのCMスポットはトップモデルからシンガー・ソングライターに転身して成功を収めた頃(サルコジ大統領夫人となる前)のカルラ・ブルーニが起用された大予算もの。連作で3作ぐらいあったのかな? 言い訳するわけではないが、私はこのCMのこと知らなかった。知っていたら購入するの躊躇したはずだ。それはそれ。
カルト・グリーズ(Carte Grise 灰色カードと呼ばれる自動車登録証)によると、その発行日が2010年4月9日ということになっている。人生で2度目、新車で買ったクルマ。人生で7台目の自家用車。イタリアの工場からフランスの販社に移送されて私が受け取ったのが2010年4月だったのか。このランチア・ムーザを2022年5月14日に手離した。12年も乗っていたのだね。手離すことを決めたのは、この3月の(2年に一度の)車検で、第一回の検査で修理義務を命じられた箇所がかなりあって(2年前はかなり簡単に通ったのに....)、しかも重要かつ高価な交換パーツのものばかりで。2千ユーロ近くかけてまで、この12年選手を保持する価値があるか。おまけに私は2017年の発病・退職・隠居以来、運転することもずいぶん減った上、病気ゆえの運転することへの恐怖があり、そのせいもあって事故も何度か起こしてしまった。もう運転しない方がいい、というのは私も含めた家族の一致した意見であり、遠い郊外の病院通いも病院から保険カバーのタクシー使用許可をもらえるようになったので自分のクルマで行かなくなった。昨今は愛犬ウィンキーの散歩に適した近くの郊外の緑地公園(ムードン、セーヴル、ヴィル・ダヴレー、サン・ジェルマン島、ロンシャン競馬場...)に行ったり、ハイパー(カルフール、オシャン)への買い出しに行ったりが主な役目となっていた。
2016年に娘が免許を取ってからは、娘がよく運転するようになっていて、毎夏のヴァカンスも娘に運転してもらって私はずいぶん楽になっていた。写真(→)は初めてムーザを運転した時にフロントガラス側から撮った(2016年)。その娘は(2021年独立別居したので)今や自分のクルマを5月に購入してしまったし。
ランチア・ムーザとの思い出はたくさんある。最初はまだオーベルカンフ通りにオフィスを構えていた頃で、後部座席を畳んでミニバンにするとかなりの量の荷物が積めて、毎週木曜日の集荷周りに大活躍してくれた。それは2013年7月にオフィスを自宅に近いブーローニュ・ビヤンクールに移してからも事情は同じだったけれど、週1回の集荷作業を除いて、通勤は徒歩かバスになったので、仕事でのクルマの出番は少なくなった。
愛犬ドミノ(2001年6月 - 2016年10月)は抜け毛の量がたいへんなものだったので、クルマの中は常に毛だらけだった。ムーザの最初の遠出が2010年5月、ブルターニュのコンカルノーだった。ホテル泊まりにどうしても慣れなかったドミノは、コンカルノーのホテルの部屋で長時間吠え続け、たいへんなクレームをもらったものだ。写真(←)は2016年10月4日、ドミノを最後に獣医病院に連れていった時のもので、その翌日ドミノは旅立った。一緒にいろんなところに行ったね。
夏のヴァカンスは概ね地中海方面と決まっていたが、2017年闘病生活が始まってから、治療通院(2〜3週間に1回)の合間を縫ってということになって、滞在は短期化を余儀なくされたけど、ムーザはがんばって私たちを南に連れて行ってくれた。コート・ダジュールにいれば、どうしてもイタリアまで足を伸ばしたくなるもので、サンレモで昼食なんてことも何度かあった。イタリアが生まれ故郷のクルマだから、やっぱり町に似合うのだね。コート・ダジュールでは犬が許可されているビーチが限られているから、ドミノもウィンキーも宿泊地からムーザに乗ってそのビーチまで行って、夕方砂や海水を吸った体毛のままムーザに乗り込み帰路に着く、という往復。車内は一回の夏ヴァカンスでたいへんな汚れ方になるのだけど、しかたないよね。
定番のコート・ダジュール往復の他にはアルザス、ヴォージュ、ピカルディー、パ・ド・カレ、ノルマンディー、ブルターニュ、ヴァンデ、シャラント(レ島)... 娘がトゥールーズの大学に行ってた頃は、引越しも含めてトゥールーズ往復3回。よく走ってくれたものだ。メーター上の総走行距離は14万キロ弱。地球3周半分。
2017年6月まで音楽業界人だったが、オフィスでも自宅でも「いいオーディオ」装置を持ったことがない。現役の頃は月に30枚〜50枚の新譜見本を受け取っていて、それを聴いて資料/インフォペーパーを作成して日本に売り込みをかけるというのが私の仕事だった。電話や雑事に邪魔されることなくこの新譜見本を聴き通せる最適な場所がクルマの中だった。ムーザは間違いなく私の生涯最高の"リスニングルーム"だった。オーベルカンフ通りにオフィスがあった頃はクルマでは片道平均45分。CD1枚の時間。ここで初めて聴かれた音楽が、数日後数週間後に日本で”輸入盤ヒット”するなんてことが、少なからずあったのだよ(クロ・ペルガグさんは私のムーザに感謝してほしい)。
というわけで40年近かったクルマ生活を終わりにして、クルマのない生活になった。行動範囲がさらにせまくなった印象があるが、もともと出不精だから、さほど変わっていないかも。さすがにウィンキーは好きな(ちょっと遠めの)緑地公園に行けなくなったからフラストレーションはあるようだが、こらえてほしい。これまで空港送迎などしてもらっていたわがVIP同志たちは、これからは自力でパリ市内に入りなさい。私は歩く人として生き続けます。Ciao ma musa, ciao ma bella...
(↓)ランチア・ムーザ最後の頃(生産終了1年前)、2011年のCMスポット(女性モデルはカルラ・ブルーニではない)
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