Salomé Leclerc "Mille ouvrages mon coeur"
サロメ・ルクレール『千の手仕事 私の心』
ケベコワーズ。フォーク/アコースティック系シンガー・ソングライター。1986年生まれ、これを書いている時点で35歳。これが4枚目のアルバムであるが、2011年のファーストアルバム"Sous les arbres"(フランス/ケベック録音、エミリー・ロワゾーのプロデュース)からすべてフランスで発売/配給されているそう。私は今日まで全く知らずにいた。フォーク系と書いたが、初めてものにした楽器は10歳の時、兄二人と組んだバンドのために始めたドラムスだったそう。しかもオーソドックスなブルース(ハード)ロック系(ZZトップ、AC/DC...)のレパートリーを演奏するバンドだったため、筋力むきだしドラマーとして鍛えられた。これは強いよね。ドラムスできるようになったらどんな楽器でもできるようになるはず。バンドの真ん中にいて、他の楽器を全部聞いてリズムでバンドを引っ張る司令塔だから。現場監督の立場。だからギター、ベース、キーボードなんてちょろいちょろい。
今からちょうど10年前の2011年にエミリー・ロワゾーとのコラボレーションでできたアルバム"Sous les arbres"の時から、この人のサウンドに特徴的なのは繊細なんだけど"きれい”にしようとしない、耳障りを刺激するなにか粗なものを混ぜて構成されていること。例えばギターのチューニングがちょっとだけ狂っていたり、ちょっと外れるタイミングがあったり。20世紀末以降のきっちりディジタルな整然さにちょっと歯向かっているような。息遣いとか体のエモーショナルな動きに忠実な音楽。わざとらしいローファイではなくて。完全主義を目指さない手仕事主義。でも前述のように何でも楽器ができるようになっちゃって、現場監督的な耳が育っちゃったもんだから、スタジオに入ると全部ひとりでできてしまって、その方が思うような音にできる、という自惚が。で、2018年のサードアルバム "Les choses extérieurs"は本当に誰の力も借りず全部ひとりで録音してしまった。一から十まで。このアルバムはすごく評価が高い(ちゃんと聞かねば)。
で、2020年から21年、コロナ禍の”籠り”を余儀なくされた時期、サロメは同じように一人籠りで録音していったのだけれど、このコロナ禍で誰もが思った”籠りを突き破って誰かと共有したい”という切望がサロメにも。で助けを求めたのが同じレコード会社Audiogram(ケベックの独立レーベル)のアーチスト、ルイ=ジャン・コルミエ。サロメよりややキャリアの長い同世代歌手/作編曲家/マルチインストルメンタリスト/プロデューサー、フランスではわが最愛のラジオFIPがかなり押していて、アルバムはナントのヨタンカ・レコードが配給している。
で、ただものではない(かの国のバンジャマン・ビオレーみたいな)コルミエがまずしたのは籠りながらの録音すべてを聞いてやることであり、その結果サロメの多重トラックデモのほとんどすべてを使おうということに。その上でストリングス、ホーン、コルミエの打ち込みなどをほどよく(サロメの"ラフ"さを損なわないほどに)加えていく、という作業。つまり「サロメひとりサウンド + α」のような、”素(そ)”を生かす音環境づくりをコルミエが目指したわけです。歌の世界は(少女期)ノスタルジックだったり、残酷な時の流れだったり、何年たっても消化できない別れだったり...。秋と冬しかない国ケベックならではのモノトーンなメランコリアがさまざまな絵になって、という印象です。
では、曲を聞いていきましょう。2曲め「バルセロナでのあなたの目(Tes yeux à Barcelone)」
昼が夜でなかったことがあったまるでそうだったってこと真夜中になる前に
星を探していたのねバルセロナ
この日がこの世のものでないようにすべてが響きあっていた
夢を見つけすべてを築いたのよ私たち自身の手で
あなたは何を憶えているの?
あなたの目には何が見えたの?
目を閉じると流れ出すあそこで撮った私たちの映画あなたには何が見えるの?
私たちを包んだ風をもう一度連れてきて
実際に再訪したことなんてなかった無理もないわね幸福はそれが与えてくれたものすべてを
取り返すことなど絶対にない
バルセロナでのあなたの目は木炭デッサンの一筆で描かれたものじゃないって見えていたのに
一年前浜辺で影と影が横たわって延びていった
あなたは何を憶えているの?
あなたの目には何が見えたの?
目を閉じると流れ出すあそこで撮った私たちの映画あなたには何が見えるの?もう一度連れてきて
私たちを包んだ風を
あなたは何を憶えているの?
ねえ、何が見えていたの?
ふるえる声、映像的なサウンドデザイン、断腸のワルツ。凝ったことしてると思いますよ。弦楽四重奏団とチューバ奏者の他は全部サロメの多重録音。
続いて6曲め「私のためだけのあなた (Juste toi pour moi)」。どんどんよくなる。こういう複雑で交感不能な恋を歌わせたら、このサロメにかなう人いないのではないかな。
私がここにとどまらないのは私がそう努力しようとしなかったからじゃない私がここにとどまらないのは私がどこかに行こうとしているからじゃない私がどこかに行こうとしているからじゃない
まだあなたを愛しているの知ってるでしょう、私が今まで手に入れたかったものはただひとつ私のためだけのあなた
私があなたに両腕を開けないのは私の体が眠っているからじゃない
私はそれ以上のことができないのは私の心が眠っているからじゃない
ただ過剰なのよ、過剰な努力が要るのよ
まだあなたを愛しているの知ってるでしょう、私が今まで手に入れたかったものはただひとつ私のためだけのあなた
2分9秒目から約1分半続くアウトロが必殺だよね。アドリブのヴォカリーズも。ケレン・アン・ゼイデルやファイストがこういうの得意だったと思う。厚めの室内楽アンサンブルのようなサウンドデザインは、弦楽四重奏団+管隊(トロンボーン+フレンチホルン+チューバ+クラリネット+フルート)そしてその他の楽器とヴォーカルはすべてサロメ。
アルバムにはアコースティック・ギターだけだったり、楽器少なめ編曲の曲もあるのだが、私は圧倒的にこの厚め室内楽アンサンブルのようなバッキングの曲が好きです。
次の曲もそういうサウンドデザインの曲で、シングル化されてたいへん高踏的で難解ドラマティックなヴィデオクリップもつけられた「人生って時々 (La vie parfois)」(7曲め)。
人生って時々投げ出すものね私がもう一回りできるって思ったらあなたはまだそこにいるわねそれは日曜日の長い一日みたいなもの
そんなに早く進もうとしても全然何も変わらない
たいしたものじゃないわ断片的なイメージばかりそれがあなたと私あなたが選ぶのよこれをどうやって終わりにするか?あなたが私を受け入れるならあなたが私を忘れないなら人生って時々ずっと先を進んでしまう
私があなたと私の間の距離を取り払おうとすると
(時々それは距離を通り越してしまう)
時々すべてがごちゃごちゃに混ざってしまう(私は時々自問するのよ)
どうやってそこまで行くの?
(どうやって私は最後まで屈服するの?)
たいしたものじゃないわ断片的なイメージばかりそれがあなたと私あなたが選ぶのよこれをどうやって終わりにするか?あなたが私を受け入れるならあなたが私を忘れないなら
これも弦楽四重奏団+フレンチホルン+チューバ、ルイ=ジャン・コルミエの打ち込み、ヴォーカルその他全楽器がサロメというアンサンブル。難しい歌詞をケロっと歌うクロ・ペルガグに通じるシュールな雰囲気だが、病気っぽくはない。ただ"別離”のようなテーマは、こうやって歌ってくれた方がストレートに聴く者を打つ。
2021年に出会ったアーチストでは一等賞だと思ってます。
<<< トラックリスト >>>
1. Anyway
5. Chaque printemps
カストール爺の採点:★★★☆☆
0 件のコメント:
コメントを投稿