2021年7月19日月曜日

合金マイウェイ

"Titane"
『チタン』
2021年フランス映画
監督:ジュリア・デュクールノー
主演:アガート・ルーセル、ヴァンサン・ランドン
2021年カンヌ映画祭パルム・ドール賞
フランスでの公開:2021年7月14日

R指定16歳。
ホラー苦手でかつて『エイリアン』で気を失いそうになった私から見れば非常にゴアな映画である。食前に見ない方がいい。 監督のジュリア・デュクールノーは1983年生まれの現在37歳。母親が産婦人科医で父親が皮膚科医 ー このことでこの監督の作風の背景となっているものがずいぶん説明できよう。これが2作めの長編映画。1作目の『Grave』(2017年)は(私は未見です)ヴェジタリアンとして育てられた女性が強制的に肉を食べさせられ、カニバリストに変態していくという多量のヘモグロビンが流れる作品のよう。
 この映画の冒頭でポタポタ音を立てて滴り落ちるのはヘモグロビンではない。古いメカの車のボンネットの中の機械部から滲み出る黒濁した潤滑油である。不気味な生き物のようなメカなのだが、この黒い油にまみれた機械はメタファーではなく、映画の本物の主役なのだということがわかっていくしくみ。人間のかたちをした主人公はアレクシア(演アガート・ルーセル)という若い女性である。幼い頃から情緒が破綻したような子だったが、車の後部座席に座った少女はその極度に不安定な素行によって父親の運転を狂わせ大事故となり、瀕死の重症を負う。しかし現代医学はこの子の脳にチタン合金を埋め込むことで少女を再生させるのである。
 アレクシアはショーダンサーとして働いている。一見モーターショーの(セクシーな)コンパニオン嬢のような出で立ちだが、ライト&サウンドでショーアップされた巨大な倉庫に陳列された数々のヴィンテージカーの車体を相手に半裸のダンサーがセックスの四十八手で挑むような煽情ダンス。ヴィンテージカーおたくと女体撮りめあての男どもが垂涎しながら見つめる、というショー。このアレクシアの車体を舐めまわしたり、性器を擦りつけたりのセックスそのもののダンス表現が、実はメタファーではなく、性行為そのものであったということがあとでわかることになる。
 早くも映画はアレクシアの残忍な連続殺人が展開される。凶器はアレクシアが髪留めに使っているチタン合金製の”かんざし”。「必殺...」系時代ドラマにありそうなかんざし連続殺人。仏語版ウィキペディアの「かんざし」項では
aussi être utilisés comme armes d’auto-défence
護身具としても使用されうる
との記載あり。女性の自己防衛抵抗の最後の切り札的なイメージを持たれようが、アレクシアの場合は純粋に必殺凶器。これさえあれば誰でも殺せるような自信を与える魔の凶器。アレクシアは殺人衝動に憑かれたら滅法強い。相手を絶対に仕留める。頭にはめ込まれたチタン合金から"ターミネーター”とイメージが重なる。そして殺しのシーンはめちゃくちゃにゴアだ。かんべんしてほしい。
 両親まで殺し(かんざしではなく密室焼殺だが)て居場所を失い逃走するアレクシアは、ショッピングモールのコンコースにいくつもあるニュース映像タレ流し大画面に、連続殺人犯として自分の似顔絵が何度も出てくるのを見た。まずい。顔を変えねば。そこで目にしたのが、10年前行方不明になった少年アドリアンの捜索協力を求めるポスター、10年前の顔写真とAIによって想像された現在の顔写真、これになりすまそう。そして洗面所で髪を切り落とし、包帯絆創膏で胴体をぐるぐる巻きにして女体型を隠し、さらに指名手配のアレクシアの顔でなくなるために洗面台に顔を打ちつけて鼻の骨を折る....。
 警察に出頭し、10年前家出したアドリアンだと告げ、捜索依頼主である父親ヴァンサン(演ヴァンサン・ランドン)と対面する。DNA鑑定をしますか?という警察の申し出に、その必要はない、この子は私の子だと断言するヴァンサン。10年間執念で一人っ子を探し続けてきたという父親の反応ではない。その人間はたぶん誰でもよかったし、それが息子でないということも直感していたはず。親父として(どんな人間でも)息子に改造できるような自信。ここから映画はヴァンサンとアドリアン=アレクシアの屈折した”親子”愛憎心理劇に移っていく(単純なホラー映画ではないっちゅうことです)。
 ヴァンサンは消防署営舎に署長/指揮官として暮らしていて、同じ営舎に寝泊りしている消防隊員たちからは「コマンダン Commandant」と呼ばれている。消防隊員(フランスでは軍隊と同様の厳しい規律と階級制度のもとにある)人生が彼のすべてであり、消防署が彼の世界のすべてである。厳しい訓練に明け暮れる毎日だが、ヴァンサンは老いと体力の低下を喰い止め第一線の指揮官として生き残るため、隠れて筋肉増強剤を注射している。ヴァンサン・ランドンが臀部を露出して自らブス〜っと太いオチューシャを打つシーンが何度も。この女流監督は果敢であると思わせるシーンのひとつ。それにしてもこの初老の消防署長がシルヴェスター・スタローンのような超モリモリの胸筋を誇示するあたりでも、監督はその役作りのためにかなりのことをランドンに要求したのではないか、と思わせる。
 そしてこの消防署ワールドは世にもマッチョな空間であり、消防隊員たちの描き方はハードゲイ的なリファレンスに溢れている。そういう環境の中で、アドリアン=アレクシアは毎朝同じように胴体を包帯絆創膏でぐるぐる巻きにして男になりすまし、父親ヴァンサンから男のスパルタ教育を受け、一人前の”男”消防隊員に生まれ変わっていく。
 話は前後するが、この映画で最も重要な点、アレクシアが妊娠している、ということ。どの辺からだろうか、アレクシアの腹部が膨らんでいく異変が映されるようになる。腹部の膨張は日に日に大きくなっていくが、映画を観る者がこれが妊娠であると気づくのはずいぶんあとになってからであろう。アドリアン=アレクシアは乳房も膨らんだ腹部も包帯絆創膏でぐるぐる巻きにしてカムフラージュする。しかし腹部の異変は(妊娠と同じように)アレクシアに激しい痒みや苦痛を生じさせ、腹部の極度な膨張で張り裂けた皮膚の裂け目からは金属の光沢が見え、下り物のように排泄される液体は黒濁した機械油状なのだ。この苦痛に耐えきれなくなったアレクシアはかの必殺のチタン合金かんざしを股間に挿し入れ、この得体の知れぬものをえぐり出そうとするのだが....。
 笑えるエピソードひとつ。救急出動でかけつけた自殺未遂の息子と母親の二人暮らしの家、昏睡状態の息子を隊長のヴァンサンが酸素吸入など応急処置を始めるが、それをそばで見ていた母親がショックで倒れてしまい心肺が止まってしまう。手が離せないヴァンサンはアドリアン=アレクシアにすぐに心臓マッサージを始めろ、と指示する。アドリアンはそんなものやったことがないよ、とパニックに。ヴァンサンが「おまえマカレナ知ってるか?」と。マカレナのリズムで両手で心臓を押すんだ、とヴァンサン・ランドンがマカレナを歌ってやるのだよ ー 
Dale a tu cuerpo alegría Macarena
Que tu cuerpo es pa' darle alegría y cosa buena
Dale a tu cuerpo alegría, Macarena
Hey Macarena
この「エ〜、マカレナ(ハ〜イ)」の”ハ〜イ”に合わせて口から思いっきり息を吹き込むんだ、と。アドリアンはマカレナのリズムで心臓マッサージを繰り返し、”ハ〜イ”で息を吹き込む。その間ヴァンサンはマカレナのリフレインを何度も歌ってやる。エ〜、マカレナ(ハ〜イ)、これでなんと老女は意識を取り戻すのだよ。ゴアな映画の中にも一輪の花。美しい。

 残忍な殺人機械のようだったアレクシアがヴァンサンの前に少しずつ”人間ぽく”なっていくという展開であるが、マッチョな消防署ワールドはこのアンドロギュノスを受け入れられないなにかがある。性を超越した存在になりかけては、妊娠した大きなお腹の苦痛に"母性”に無理やり連れ戻される。たぶん性を超越して信頼関係が築けそうなところがヴァンサンとアレクシアのkライマックスであろうが、そこにカタストロフとしてやってくる”出産”とは....。

 この分野に詳しくない私でも、この映画にはさまざまな映画的リファレンスがあることがわかる。霊に憑かれた自動車の映画『クリスティーン』(1983年、ジョン・カーペンター監督、ステファン・キング原作)、自動車事故に性的絶頂を覚える人々を描く『クラッシュ』(1996年、デヴィッド・クローネンバーグ監督)、そして体内に宿る怪物という点では『エイリアン』(1979年、リドリー・スコット監督)もそうかもしれない。映画的想像力では、このチタン合金に取り憑いたなにかを体内に引き受けて殺人機械になってしまった女アレクシアの、人間戻りへの困難な道程というストーリーは「あり」だと思う。その困難を表現するこれでもかこれでもかのゴアな演出の数々がこのジュリア・デュクールノー監督の希有な才能なのだとう。
 2021年(第74回)カンヌ映画祭は、この大胆な「16禁」映画にパルム・ドール賞を与えた。ジェーン・カンピオンピアノ・レッスン』(1993年)以来、二度目(たった!)の女性監督作品のパルム・ドール賞だそう。この点ではおおいに喜んでいいものではあるが、私は妊娠した女性の膨らんだ腹部が真っ黒な機械油で汚されたりすることに、どうしても眉をひそめてしまうのだよ。二度目を観ることはないと思う。

カストール爺の採点:★★★☆


(↓)『チタン』予告編


(↓)2021年カンヌ映画祭パルム・ドール賞受賞の瞬間。スパイク・リー(審査員長)。受賞壇上には興奮で自分で何語しゃべっているのかわからなくなるジュリア・デュクールノー監督と主演のアガート・ルーセルとヴァンサン・ランドン。

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