2019年6月10日月曜日

ギミー・シェルター

"기생충"
("Parasite")
『パラサイト』 

2019年韓国映画
監督:ポン・ジュノ
主演:チェ・ウシク、ソン・ガンホ、チョ・ヨジュン
2019年カンヌ映画祭パルム・ドール賞作品
フランスでの公開:2019年6月5日 

Mmm a flood is threat'ning  (洪水がやってくる)
My very life today  (俺の特別な日だってのに)
Gimme, gimme shelter (避難場所をくれ)
Or I'm gonna fade away (さもなきゃ俺は消えちまうんだ)
War, children, it's just a shot away (たった一発の銃弾で戦争は始まる)
It's just a shot away (たった一発の銃弾で)

(「ギミー・シェルター」ローリング・ストーンズ 1969年)

ンヌ映画祭は(昨年の是枝『万引き家族』に続いて)2年連続で極東のちょっと変わった家族映画にパルム・ドールを与えたわけです。共通しているのは最底辺に生きる人たちのリヴェンジということですね。この映画はエティエンヌ・シャティリエーズの出世作『人生は長く静かな河』(1988年)における最底辺家族グロゼイユ家と最上流ブルジョワ家族ルケノワ家の関係にも似た、最貧が最富を寄生虫(パラサイト)のように侵食していくストーリーが軸になっていますが、シャティリエーズ映画から30年後に作られたポン・ジュノ映画は、今や牧歌的とも思えるシャティリズーズ映画のワイルドながら調和的な"下克上"ハッピーエンドになどなりようがないのです。この30年の時の流れは、ネオリベラル資本主義の極端に苛烈な社会破壊の時間であり、貧乏と金持ちの格差の拡がりは計り知れぬものがあります。韓国は世界経済的には比較的うまく立ち回っているではないか、と思うむきもあるかもしれません。お立会い、そろそろものごとを国単位で考えるのはやめましょう。このネオリベラル経済において、成功している(あるいはうまく立ち回っている)のは国ではなく、その国の寡占階級にすぎないのです。ルールのない(それがリベラルですから)無限の利潤追求に成功する人たちに無限の富が集中し、貧乏人は限りなく増え、その困窮はどんどんひどくなっていく。これがリベラル世界のいたるところで起こっていることで、日本にもフランスにも韓国にも同じようにごく一握りの極端なオリガルシー(寡占階級)と、過酷な条件で生きることを余儀なくされる圧倒的多数の底辺の人々がいます。日本は比較的恵まれていると国単位で考えたがる人たちは、このネオリベラリズムの現実を直視できないでいるのです。オリンピックで金メダルを取れば、万人に富がもたらされるような幻想のまやかしをありがたく信仰しているのです。ま、それはそれ。
 さて映画の主役陣はソウルの最下層家族であるキテク一家(夫・妻・息子・娘)で、路地裏の地下室(明かり取りのガラス窓が道路面に、そこに通りがかりの酔漢が習慣のように立ち小便を)で、スマホとパソコンはあるが、階上住人のWiFiを傍受してやっとネットでつながっている。家族全員失業者、キ・テク氏(演ソン・ガンホ)は元運転手、息子のウー(演チェ・ウシク)は雑学・教養の豊富なインテリ君だが学費が払えず学業を断念、娘ジュン(演パク・ソダン)はパソコン細工が得意。その学歴も経歴もない息子に、大富豪パク家の娘の家庭教師の話が転がってくる。妹の超テクでアメリカ有名大学の卒業証書を偽造し、超豪華建築のパク邸へ面接に。ここでまた『人生は長く静かな河』を引き合いに出しますが、この面接に出てきたパク夫人(演チョ・ヨジュン)は、かのシャティリエーズ映画の大ブルジョワ家のルケノワ夫人(演エレーヌ・ヴァンサン) に本当によく似た気立ての良い世間知らずクーガーで、二人の子供(高校生の娘と幼稚園の息子)を最良の条件で育てたくて、そのためならば何も惜しまない盲目的愛情があります。パク夫人に気に入られ、やや過剰性欲気味のJK娘もとりこにし、ウーは就職に成功して、パク夫人の子思いを利用して、幼い息子の描く絵に精神的トラウマの兆候があり、それは時間をかけて治す必要があり、絵の先生兼心療ヘルパーとしてアメリカで勉強したジェシカ(実は妹のジュン)を雇い入れることを勧めます。こうして大富豪家にはそうと知られず、キテクの息子と娘はパク家で働くことになります。次いでパク家のお抱え運転手をジュンのお色気作戦をつかって解雇させ、晴れて父親キテクも(その家族関係を知られず)運転したこともない最新最高級のメルセデス・ベンツを運転する大富豪家運転手になります。さらに完璧この上ないパク邸家政婦をも(その桃アレルギーという奇病を発生させ)解雇させ、キテクの妻が雇われるという...。こうして大富豪の四人家族の家庭の中に、極貧の四人家族が寄生虫のように侵入することができたのです。
 しかしカタストロフは起こります。パク一家が泊りがけでリゾートに出かけていくのを見送ったあと、不在中この大邸宅を自由に使えると踏んでいたキテク一家は四人でパク家所蔵の高級アルコールと高級食品で豪勢に酒盛りをして盛り上がっています。外は激しい雨。こんな嵐の夜に、解雇された完璧家政婦が地下蔵に私物を忘れていたので取りに来た、と...。ここで一つめの大カタストロフ。それに続いてパク一家も旅の予定が嵐で全部中止になってしまったと、家に帰ってくるのです。第二の大カタストロフ。映画館はこの連続の大カタストロフシーンで大笑いに包まれることになります。実にバーレスクに可笑しい。
 命からがら三人(キテク妻は家政婦なのでパク邸に残っている)が山の手高級住宅街から、ソウル下町に逃げてくると、山の手ではただの大雨だったのが、下町では大洪水になっているのです。そして地面より低い位置にあるキテクの地下住宅の中は汚水が波立つプール状に轟々と...。これがネオリベラリズムの現実の地獄なのですよ。

 本記事の頭にローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」の歌詞を引用しましたが、この歌はこの映画と全く関係がないものの、映画はクライマックスとして洪水、そして戦争(おそらくキテクの中での抵抗戦争)を持ってくるのです。そしてシェルターはこの映画の重要な要素です。今日もなお終戦していない朝鮮戦争を生きている国であり、核の脅威が現実にあるところです。この映画の大富豪パクの大邸宅にも、たぶん同地の多くの金持ちたちが設置しているであろう核シェルターがあるのです。映画ではパク邸の地下核シェルターに逃げ込み、生き続ける人がいるのです。この映画はその韓国的現実もはっきりと浮き彫りにするのです。
 第一のカタストロフで逆襲に出て一旦はキテク一家をギャフンと言わせた元家政婦が、北朝鮮中央テレビのあの名物女性アナウンサーの口調で勝利宣言的な演説をするところは、さすがにフランス人観客には笑えなかったですが、私たち日本のテレビでしか知らない人間でも大笑いものでしたよ。
 そして、パク家に寄生虫として入り込んだ四人を「家族だ」と最初に見抜くのは、幼いパク息子なんですね。それは四人が皆同じ匂いがすると言うのです。金持ち社会ではみんなそれぞれ違う匂いがするが、貧乏人は皆同じ匂いがするのですよ。これは悲しいけれど、そうなんですよ。
 いろいろと隠し味的なエピソードもとても効いていて、本当に頭が下がる。ひとつだけ紹介すると、この男たちは老いも若きも(ボーイスカウトなどで教わって)モールス信号を知っているということ。これも朝鮮半島的現実の一部なのかもしれない。このインターネットやスマホの時代にあっても、最終的にサバイバルを可能にする通信手段はモールス信号であろう。映画は核シェルターに逃げ込んだ人間と、外でそのメッセージを受け取る人間がモールス信号でやりとりするのですよ。おそらく何ヶ月も何年も...。
 すばらしい役者たちと、さまざまなカタストロフ(すばらしい洪水)と、ネオリベラル経済の現実と、朝鮮半島の歴史に由来する悲喜劇と... いっぱい詰まった傑作映画です。

カストール爺の採点:★★★★★

↓『パラサイト』 フランス語字幕版予告編


↓『기생충 (Parasite)』インターナショナル・トレイラー


↓ローリング・ストーンズ feat ライザ・フィッシャー「ギミー・シェルター」(Live 1995)


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