2019年6月15日土曜日

ザ・キングの名のもとに生まれた男

Roméo Elvis "Chocolat"
ロメオ・エルヴィス『ショコラ』

この山のもの、というわけではない。ロメオ・エルヴィスは、本名をRoméo Johnny Elvis Kiki Van Laekenと言うので、とってつけた芸名ではなく本名の一部なのである。父親がセルジュ・ヴァン・ラーケンという名前だが、芸名をマルカ(Marka)というシンガー・ソングライターで90年代にはフランスのシングルチャートTOP50に2曲ヒットを送り込んだ。そのうちの1曲が"Accouplés"(1995年)であるが、これは2007年にマルカとその奥様で女優のローランス・ビボによるデュオ”ムッシュー・エ・マダム”が日本語ヴァージョン「一緒になろう」を発表している。その夫婦の間に1992年に生まれたのがこのロメオ・エルヴィスということなのだが、やっかいなことにこの両親は1995年にアンジェルという妹をもうけていて、この妹は2017年から2018年、シンガー・ソングライターとして兄を遥かに凌駕する国際的評価と人気を獲得してしまった。 今やこの男は「マルカの息子」と言われても誰もピンと来ないが、「アンジェルの兄」となると誰もが振り向くけれど、妹に比べて何よあの兄は?と世間の目は厳しいものがある。
  公立中学(コレージュ)を放校処分になり、カトリック系アートスクール、サン=リュック=トゥルネ校で絵画を学ぶ。このアートスクール時代にロメオ・エルヴィス少年の音楽はラップ/ヒップホップ一辺倒になり、次いでブリュッセルの高等アートスクール ESA75在学中に当時第一線のブリュッセルのラップトリオだった L'Or du Commun(ロール・デュ・コマン)に接近し、準メンバーのポジションを得る。ずんずんと頭角を表していくのだが、ラップアーチストとしては喰えないのでカルフールのレジ係として働いており、この経験は何度かライム化されている。2016年春、ダチのラッパー、キャバレロとのデュエットで発表したマニフェスト的ベルギー首都賛歌 "BRUXELLES ARRIVE"がヒットし(YouTube 2千万ビュー)、ロメオ・エルヴィスの名はやっと独り立ちして、カルフールを辞職した。
おまえはしまいにはペール=ラシェーズ墓地行きだが、俺は違うぜ
俺にはおまえの頭を一発で狂わせるサウンドがあるんだ
ブリュッセル軍団のお出ましだ、みんな車にギューギュー詰めで乗り込むぞ
仏語圏ラップのメッカであるパリを俺たちは必要としない。パリでくたばりたいやつは(ペール=ラシェーズ墓地に入りたいやつは)好きにしたらいいが、ブリュッセルはもっとすごいぞ、俺たちはギューギュー詰めなほどたくさんいるんだ。クリップに登場するだけでも、キャバレロ、ジャンジャス、ラ・スマラ、ロール・デュ・コマン(3人)... 連帯してブリュッセル・ラップシーンを盛り上げている。これが白耳義国のティーネイジャーたち(特に女子)に爆発的に受けて一大ブリュッセル現象が起こったのだそうだ。この歌の連帯性を地で行くようにロメオ・エルヴィスは連名のEPを何枚か出すのだが、2019年4月、正真正銘のソロ(ロメオ・エルヴィス名義)ファーストアルバムを発表。

 さて『ショコラ』である。ショコラは今日のベルギーを世界にアピールできる名産品であり、同じベルギー出身の世界のスーパースター、ストロマエが「ムール・フリット」をフィーチャーさせたような華麗なるベルジチュードか、と思われよう。違います。ショコラで色が黄色というのはおかしいだろう。バナナの皮色とも言えるが、関連はある。なぜならショコラとは"ライトドラッグ"のことなのだから。チョコレートを中毒的に食して恍惚に至る人もいるかもしれないが、この場合は銀紙に包まれた違うもの。ジャケ写の男(ロメオ・エルヴィス)の目が半開き、口が半開きは"ショコラ”が効いてる状態なのね。表題曲「ショコラ」(2曲め)は、自分の悪ガキだった頃(ショコラばかり吸ってた頃)の体験から始まって、若い世代にショコラに手を出したらいかん、ショコラに頼ったらいかん、と説教を垂れる。
ショコラをやり出したらだめだ
もしもやるんだったら必ず二人でやれ
おまえはこれぐらいの算数はわかるよな
葉っぱ(ショコラ)をあてにしたらだめだ
 ライトドラッグをテーマにした曲はこんな感じだが、アルバムにはヘヴィードラッグを歌った曲もあり、これだけではすまない。
 アルバムからの最初のシングルとして先行発表されたのが3曲めの「マラード(Malade)」で、これは失恋という長〜い病気期間のことを直情的に表現したもので、どことなく(大名作)ストロマエ「フォ〜ルミダブル」を想わせるやけっぱち加減。
Quand on a cessé d'aimer on doit se laisser tranquille
愛するのをやめたとき、そのまま大人しくしていないとだめだ 
愛を失った時、大人しくしてられないほど、病気(malade)になるほど人は長い間苦しむのであり、これはアズナヴールやブレルのシャンソンのようなテーマだ。ほかの頭の固いシャンソン歌手たちと違って、アズナヴールは早くからラップ表現を支持していたし、シャンソンの未来までラップの中に見ていた。MCソラール、アブダル・マリック、ストロマエ、オレルサン、グラン・コール・マラード... この言わばラップ/ヒップホップの中の「シャンソン派」のような系列にロメオ・エルヴィスを位置付けてもいいんじゃないですか?
 このアルバム『ショコラ』には、マチュー・シェディド(-M-)とデーモン・アルバーンという二人のゲスト(大)スターのフィーチャリングがある。シェディド・マチューの裏声ヴォーカルをフィーチャーした「パラノ(妄想症)」(5曲め)は上の「マラード」と共通する21世紀的焦燥の歌である。
恋人よ、あなたが前と同じ人間なら
どうしていくつかのことは変わってしまったの?
平日に私に電話くれる回数減ったわね
長い裁判訴訟に私を陥れたみたい
パラノ、パラノ、パラノ、パラノ...
きみがそれを望んだんだろ、俺はパラノのど真ん中だ
パラノ、パラノ、パラノ、パラノ...
俺は死ぬよりは愛することを選ぶよ
性別も愛憎も交錯するスキゾなライムであるが、 妄想する根底には複雑さを超えて生き続けようとするバランス本能のような働きの狂いと修正の繰り返しがあるのだと思う。この歌はわしには結構強烈なのね。
 そしてデーモン・アルバーンが加わったアルバム最終曲(19曲め)「負け(PERDU)」である。これがいい曲なんだぁ!
俺はすべてをコントロールしながら、同時に敗北を喫してしまった
俺は群衆の中で自分を失い、澄んだ空気を求めている
俺はまもなく呼吸すらできなくなるような気がする
人目に追われ俺はその圧力で身をかがめる
通りに追い込まれ、俺は道を識別することもできない
家に帰りたったひとりでショコラを食べる
不快な味はパセリ(葉っぱ)では消え去らない
最後2行は「ショコラ」に始まったアルバムが(人にはやめておけと言いながら)、打ちひしがれて「ショコラ」に戻っていくエンディング。" "ça part pas avec le persil"はその不快感(不安)はパセリ(葉っぱの植物→大麻)では消え去らないという意味と、"persil”(ペルシル=有名な洗濯洗剤)で洗濯しても落ちない、というダブルなメタファー表現だけど、ライトドラッグではどうしようもないという結語。悲しくも美しいルーザーの歌。

 イントロとインターリュードを含み19トラック詰まった長尺アルバムは、そのほかに妙に小難しくなってヒップスターたちにも受けるようになったラップを皮肉る「ボボ(Bobo)」(7曲め)や、ヘヴィードラッグに冒されボロボロになっても正常(ノーマル)と救いようのない状態の「ノルマル(Normal)」(10曲め。閲覧注意だけど力作クリップ)、またベルギーの旧アフリカ植民地に関する政策を直接的に批判する政治的な「ラ・ベルジック・アフリック(La Belgique Afrique)」といった興味深い曲が印象に残った。

Roméo Elvis "Chocolat"
CD/LP Barclay / Strauss Entertainment
フランスでのリリース:2019年4月12日

カストール爺の採点:★★★★☆
 

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