2019年3月29日金曜日

(愛に)飢えるべく

Michel Houellebecq "L'Amour,  l'amour"
ミッシェル・ウーエルベック『愛、愛』(※)

息切れ気味の退職年金生活者たちがエロ映画館の中で
凝視していた、そんなもの真には受けないが
肉欲そそる二組のカップルの下手に撮影された戯事
それにはストーリーがなかった

それなのだ、と私は独語した、それこそ愛の顔なのだ
紛れもないその顔
あるものたちは魅力的で、それらはずっと魅了し続けるが
そのほかはぼやけてしまう

そこには運命もなければ、貞節さもない
ただ肉体が引き合うだけだ
一片の愛着もなく、ましてや憐憫などあるわけもなく
体を使い、引き裂く 

あるものたちは魅力的で、とても好かれていて
それらはオルガスムに至るだろう
しかし他の多くのものは疲れてうんざりで、隠すものなど何もない
妄想すら残っていない

女たちの羞恥なしの悦楽によって
深まってしまった孤独だけ
「これは私向きではない」という確信だけ
ただの暗くちっぽけなドラマでしかない

彼らはきっと死んでしまうのだ、少し幻滅はするが
叙情的な幻想などあるはずもなく
彼らは徹底的に自分を蔑む芸を駆使していくだろう
それは機械的なものだろう

人を一度も愛したことがない者たちへ
人に一度も好かれたことのない者たちへ私は言いたい
解放された性を知らない者たちへ
ごく普通の快楽も知らない者たちへ私は言いたい

友人たちよ、何も恐れることはない、きみたちの損失は些細なものだ
どこにも愛など存在しない
それはただのひとつの残酷なゲームで、きみたちはその敗者なのだ
それはスペシャリストだけができるゲームなのだ 
(※)ウーエルベックのいつ頃の詩なのかは知らない。ウェブ上でたまたま見つけたので、2019年3月29日、試訳してみた。たぶん明日には訳の間違いや違う意味の発見があるはず。その都度変更していくので、興味ある同志は何日か経ったらまた読み直しに来てください。
今気がついているのは、昔(70年代頃)、フランスでハードコアポルノの映画館上映ができるようになって、一般上映館がつぶれて町にポルノ映画館がいっぱい出来た頃、その手の映画館の中は真剣な顔した中高年が多かった。ただ、あの頃はまだこれも「映画」であったので、シナリオ&ストーリーがあって、その手の客が待っているシーンになかなかたどり着かない。そういう客たちがつまらん物語よりも早く性交シーンを始めて欲しいというブーイングを(映画なのに!)立てるのだけど、この時「セックス!」「セックス!」と連呼するのではなく、その意味するところは同じでも、"L'amour! l'amour!”と要求する声を聞いたことがある。この詩を読んだ時に、即座に思い出したのは、その70年代のポルノ映画館のおっさんたちの不満の声だった。たぶんこの解釈は直接は当たっていないけれど、遠くないものだ、という自信がある。いつか本人に聞いてみたい。

(↓)ウーエルベック「愛、愛」、朗読ブランシュ・ガルダン


(↓)ウーエルベック「愛、愛」、作曲・歌:ミッシェル・ジャンリス

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