2019年3月27日水曜日

黄色はチューウィー

フランソワ・リュファン『おまえの知らないこの国』
François Fuffin "Ce pays que tu ne connaîs pas"

ランソワ・リュファンは1975年北フランス、カレーの生まれ、ピカルディー地方ソンム県都アミアンを活動の地盤とするジャーナリスト/新聞主宰者(1999年創立の左翼オルタナティヴ新聞FAKIR)/映画監督であり、2017年6月の国会選挙でソンム県「立てピカルディー」会派から立候補して当選し、現在国会議員(所属は「服従しないフランス France Insoumise」党)。本書でも詳しく触れられているが、2歳年下である1977年アミアン生まれの現大統領エマニュエル・マクロンとは、アミアンのリセ・ラ・プロヴィダンス(イエズス会系の私立学校)ですれ違っていたはずである。地方左翼新聞の行動的ジャーナリストだったリュファンが全国的に名前を知られるようになったのは、2016年リュファン監督のドキュメンタリー映画『メルシー、パトロン!』(フランス第1位の超富豪ベルナール・アルノー自身から、その巨大企業LVMHの北フランスの子会社工場の閉鎖で困窮する労働者夫婦があの手この手で損害賠償金を奪取するまでの記録映画、4ヶ月で観客50万人を動員する異例のヒット作にしてセザール賞最優秀ドキュメンタリー)によってであり、ちょうどその映画が話題になっていた当時、社会党エル・コモリ労相による労働法改悪反対運動の興隆があり、さらにパリ・レピュブリック広場を占拠して夜を徹しての討論集会運動「ニュイ・ドブー」にヒーロー的に登場し、一躍中央メディアの寵児になった(テレビ出演時は必ずベルナール・アルノーのポートレートの"I ❤️ Bernard" Tシャツを着用していた)。
 時は移り、今は2018年11月にフランス全土から湧き上がった民衆抗議行動であるジレ・ジョーヌ(黄色いチョッキ)運動の只中にあり、これを書いている2019年3月末現在、運動に衰えはない。4ヶ月を経て、なぜこの運動が終わろうとしないのか? それはエマニュエル・マクロンとその政府が有効な回答を何一つ示すことなく、力(警察+先週からは軍隊も)によって鎮静させて逃げ切ることしか考えていないからである。
 フランソワ・リュファンは最も強力で積極的な運動支援者のひとりであり、自身がニューステレビの座談会に招かれる時は必ずジレ・ジョーヌの運動家を同席させ発言させる。
 2018年12月、ジレ・ジョーヌ危機打開策として大統領マクロンは「グラン・デバ・ナシオナル Grand débat national」と称する全国規模での国民参加原則の大討論会を12月から4ヶ月間に渡って行い、「税制と公的支出」、「公共サービス」、「環境変化問題」、「民主主義と市民権」の4つのテーマで国民の意見を吸収する、と発表。野に下って、民の言うことに耳を傾けよう、という試み。この4つのテーマから、(マクロンが廃止した)富裕税(ISF)の復活というジレ・ジョーヌの要求が除外され、討議対象にならないことからジレ・ジョーヌの大半はこのグラン・デバ・ナシオナルに背を向けている。ジレ・ジョーヌたちは週日は全国の地方幹線道路の都市部入り口のロータリー(ラウンダバウド)を封鎖する抗議活動をし、週末(毎土曜日)にパリをはじめとする都市部に出てデモ行進で要求を訴えている。フランス全国である。
  フランソワ・リュファンは、大統領マクロンが「野に降りて」地方に出向いて(かなり積極的に)グラン・デバ・ナシオナルの討論会にマラソン的に行脚しはじめたのと同じ時期に、友人の映画監督ジル・ペレと共に小さなバン車(シトロエン・ベルランゴ)に撮影カメラを積んで、地元アミアンを皮切りにフランスを南下縦断して地中海に至る「ジレ・ジョーヌたちと出会う旅」に出発する。その各地での出会いは、2019年4月3日公開のドキュメンタリー・ロードムーヴィー『J'veux du soleil(太陽が欲しい)』としてまとめられる。(この映画に関しては4月3日に観たのち、ブログかどこか雑誌にきちんと紹介します。) 本書はおそらくこのロードムーヴィーと同時期に書かれたものであろうし、本にも多くのジレ・ジョーヌたちが登場する。ペギー、アンヌ、ロールリンヌ、ズービール、マックス.... これらの名前で登場する人たちは、ソーシャルワーカー、介護ヘルパー、工場労働者、運転手、失業者、老齢年金生活者... 毎月400ユーロから1000ユーロ(5万円〜12万円)の収入で家族と共に生きている。"Fin du mois"(月末)が苦しいどころではなく、月半ばにして家計ゼロになる窮状の中にある人々である。社会運動や政治運動、ましてや労組に関わったこともないような人たちが、2018年11月、地方道路のロータリーに集まり交通妨害をしながらビラを配り、自分たちの我慢の限界を訴えた。日本からは見えないかもしれないが、フランスは圧倒的多数の人々が貧しいのである。それもいつの頃からこんなに貧しくなったと気づかぬうちに、みんな急速に貧しくなった。逆に金持ちは信じがたい伸び率で天井知らずの金持ちになっている。当たり前におかしい話なのである。
 本書はなぜジレ・ジョーヌたちがスローガンの第一に「マクロン辞任!」を掲げるのかという理由が明瞭に理解できる。それは民衆の困窮化の信じがたいスピードを止める大統領ではなく、ますます加速させる者であり、同時に金持ちが信じがたい伸び率で超金持ちになることをますます加速させる者だからなのである。
 この数十年、フランスの不幸の元凶は「失業」とされてきた。失業率を下げるというのが毎度の大統領選挙の各候補の第一公約だった。この失業べらし政策として金持ちに金をばらまくという不可思議なロジックがある。それは大企業主や資本家たちがフランスの重税を理由に、企業や資本や経営者自身を外国に流出させることを防ぐには、彼らの重税を解き、裕福になってもらってその富をさらなる国内資本投下に導くことである、という説。金持ちが増収して満足すれば、企業はフランスで大きくなり雇用も増える、と。金持ちよ、フランスから逃げて行かないでください、と優遇することが失業べらしと雇用の拡大に最も有効であるのだそうだ。マクロンはこのロジックで、裕福税(ISF)を廃止した。おいおい、それでもフランスでどんどん工場は閉鎖され、賃金の安い外国に移転しているではないか、という批判には、失業率がこの程度で抑えられているのは、この金持ち優遇策のおかげなんです、それをしていなければ、フランスに資本家と大企業はガタ減りし、失業率は倍増しているはずです、としゃあしゃあと言うのである。景気回復は資本家層が潤ってからこそ訪れる、というアベノミクス発想と何ら変わらない。
 マクロンとはそんなやつだったのか? ー 本書はまさにそのことを詳説している。リュファンの地元、アミアンで生まれたこの貴公子のように振る舞う若き大統領は、いかにして独占資本階級(オリガルシー)によって蝶よ花よと育てられ、たっぷり金を与えられ、超資本家たちの固く閉ざされたサークルに出入りを許され、ちやほやされ、そのサークルの利益のために大統領にしていただいた、そのストーリーをクロノロジカルに記述している。
 このオリガルシーとはベルナール・アルノー(LVMH)、グザヴィエ・ニエル(テレコム)、フランソワ=アンリ・ピノー(Pinaultグループ)、パトリック・ドライ(テレコム、メディア)、マルタン・ブイーグ(TF1、ゼネコン)、アルノー・ラガルデール(メディア)、ヴァンサン・ボロレ(運輸、重工業、メディア)、セルジュ・ダッソー(2018年没、航空機、兵器)などのことである。フランスが特殊なのはこの寡占的資本家たちが、有力メディア(民放ラジオ/テレビ、新聞雑誌、ウェブメディア等)の所有者なのである。フィガロやパリジアンのような保守寄りメディアだけでなく、左寄りと言われるル・モンド(社主グザヴィエ・ニエルとマチュー・ピガス)、リベラシオン(社主パトリック・ドライ)まで例外なくこのサークルの資本家がパトロンである。これらのメディアのパトロンたちはこぞって「次期大統領マクロン」を推し、その配下のメディアは2016年の時点で立候補表明前から若きキレ者経済相とその優雅な公生活と私生活をスター扱いで第一面報道を繰り返した。大統領選が始まる前からコミュニケーション戦術では既に圧倒的に優位だったわけである。
 私たちは往々にして「報道の自由」「報道の独立性」という点においては、フランスは世界でも上位にある健全報道の国と思いがちであるが、リュファンの詳説するマクロン大統領誕生における(ある息のかかった)フランスの大メディアの役割を知らされると、あ〜あ、と嘆きたくなる。だから、国営ラジオのフランス・アンテール、ウェブメディアのメディアパート、 風刺(&暴露)新聞のカナール・アンシェネ、風刺画報のシャルリー・エブドが、この国には絶対必要なのである。その中にリュファン主宰の新聞ファキールも加えておこう。
  ENA(国立行政学院。エリート養成グランゼコールのひとつ)卒業後、上級公務員(財政検査官)となる前、マクロンはオワーズ県庁の研修中に、土地の有力実業家アンリ・エルマン(1924-2016)の目に止まる。エルマンは戦後フランスで郊外型ハイパー・マーケット/ショッピングセンターのパイオニアのひとりで、大規模センターの全国展開で大成功した男だが、マクロンをわが子のように可愛がり、財を成す方法、人脈の作り方などを伝授し、自ら媒酌人となって結婚させたブリジット&エマニュエルのマクロン新郎新婦にポケットマネー(55万ユーロ=1370万円)で家屋を進呈する。財界とつきあうには自ら財を成さなければならないという教え。そこから(サルコジ大統領の諮問機関のジャック・アタリ座長の)「フランス経済成長自由化委員会」の報告書作者となったり、ロスチャイルド国際投資銀行の重役になったりするのだが、人脈はエルマンから。そしてエルマンは大実業家・大資産家の身ながら社会党員なのだった。財を成す社会党員ということだけで、私などは疑ってしまうが、大企業と連動で国の政治を進めるしかなかったミッテランの14年間(1981 - 1995)で社会党は大きく変わった。そのふにゃふにゃになった社会党の候補でも、サルコジの失政に愛想を尽かしたフランス人は2012年フランソワ・オランドを大統領にした。そこで若きエリート君はオランドの右腕のキレ者経済相となるのだが...。そのENA → 高級官僚 →アタリ委員会 → ロスチャイルド銀行 → 経済相という黄金の出世コースと並行して、エルマンが仲介となって開ける超強烈なオリガルシー人脈が固められていき、オリガルシーの利益確保&倍増のための大統領誕生のシナリオは確実なものになってしまったのである。
 リュファンはこの上昇ストーリーを、ほとんど悪意をこめて書いている。この男はものをもらうことを拒まない。エルマンにヴァカンス招待されることも、ベルナール・アルノーに頻繁に食事接待を受けることも、妻ブリジットがルイ・ヴィットンからすべて無料で衣服を与えられることも。マクロンはやってもらったことすべてを大統領としてお返ししていくだけのことである。
 富裕税を廃止した穴埋めを、老齢年金から引くCSG(一般福祉税)のパーセンテージを上げたり、住宅保護手当の額を削ったりして補う。つまり金持ちに金をばらまき、その分貧乏人から吸い上げる。ジレ・ジョーヌたちは、それがオリガルシーの子飼いでしかないマクロンの本意だと見抜いているから、もう単純に「マクロン辞任!」で闘争するしかないのだ。
 この怒りをより鮮明にわかってもらうために、この本はマクロン天下取りストーリーと、地方道路のロータリーでバリケードを組む人々の現実を交互に挿入している。おそらくドキュメンタリー映画だと、もっともっと鮮明になるだろう。
 そして本書のタイトルが伝えるように、たとえどんなにマクロンが野に下りて「グラン・デバ・ナシオナル」に奔走しようが、マクロンはフランスの人々を知ることができないし、知ろうともしない。だが、マクロンが生返事をし、高圧的に機動隊や軍隊でジレ・ジョーヌたちを力づくで押えこもうとすればするほど、黄色い蛍光は輝きを増していくであろう。11月から始まったこの運動は、冬を越したのだ。季節はこれから、街頭に出る人たちに味方する。花も太陽もジレ・ジョーヌに味方する。

François Ruffin "CE PAYS QUE TU NE CONNAIS PAS"
Les Arènes 刊 2019年2月20日 220頁  15ユーロ

(↓)予告なしに出版された本書について語るフランソワ・リュファン


(↓)ドキュメンタリー映画『太陽が欲しい(J'veux du soleil)』予告編


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