2018年1月29日月曜日

Ta douleur efface ta faute

"La Douleur"
『苦悩』

2017年制作フランス映画
監督:エマニュエル・フィンキエル
原作:マルグリット・デュラス
主演:メラニー・ティエリー、ブノワ・マジメル、バンジャマン・ビオレー
フランス公開:2018年1月24日

 が痛くなるシークエンス多し。撮影技術のことはよくわからないが、たぶん望遠レンズで近くに焦点を合わせると背景はボケボケになるという効果だろうと思う。焦点の合ったところだけしか見えないが、人間の目って見えないところを見ようとして、そのボケボケの外周や背景に「自分の目で」焦点を合わせようとするんですね。ところがそれはそう作られた映像なので、ボケボケはボケボケのまま。無駄な努力を何度も試みた私の目は痛くなってしまう。
 として不透明な部分の多い映像。そしてサラウンドで取り巻く(雑音を含む)すべての音がどんどん入ってくる音響効果。だからいろんなことが気になって仕方がない。観客席に座っているだけで不安になる。「デュラスですから」と言って済むことではないんでは。
 デュラス『苦悩』は1944年から46年にかけての自身のノートをベースにした6編の短編集で40年後の1985年に発表され、その中心的作品で表題作でもある「苦悩」は、ナチス占領下のパリで政治犯として捕らえられ強制収容所に送られた夫、ロベール・アンテルムの生還を信じて待ち、人間として生きる姿をほとんど留めない状態で帰ってきたロベールを長い月日をかけて献身的な介護で人間の姿に戻してやり、そして別れを告げるという話。
 時代も場所も不透明なナチス占領下のパリで、夫と共に地下レジスタンス運動に関わっていたマルグリット(演メラニー・ティエリー)。捕らわれた夫はフランス国内の監獄にいるはずなのだが、情報がなく、監獄宛の手紙や小包にも返事がない。その差し入れを届けに行った占領軍役所で、マルグリットは夫ロベールを逮捕したゲシュタポのフランス人刑事ラビエ(演ブノワ・マジメル)と出会う。ラビエは文学に精通した男でマルグリットとロベールが何者であるかも知っていて、彼女の才能を評価していて、彼女のためにロベールに差し入れを届けることはもちろん、ロベールの現在の状況を教える、と言う。ラビエはその日から毎日のようにマルグリットを呼び出し、ロベールの情報を提供する見返りに、マルグリットからレジスタンス組織の情報を聞き出そうとする。
 モルラン(演グレゴワール・ルプランス=ランゲ)というコード名の人物(実はフランソワ・ミッテラン)に指導された地下レジスタンス組織には、ロベールの親友にしてマルグリットの愛人でもあるディオニス・マスコロ(演バンジャマン・ビオレー)がいて、ゲシュタポのラビエがマルグリットに接近してくるのを危険視するが、リーダーのモルランはラビエからナチスの情報が得られるという利用すべきチャンスとして、マルグリットの諜報活動を指示する。
 ゲシュタポだからという目で見るからかもしれないがラビエは面妖なキャラクターであり、文学的であり、ナチスは人類の未来であると自ら飛び込んで行った純な右翼青年であり、十分に誘惑的でもある。複雑な誘いの手で何度も密会に呼び出される度にマルグリットは、この男の蛇のような性格に屈してはならないと身構える。
 一方の愛人ディオニスも、マルグリットを彼なりに支えようとするのだが、映画はその「愛人性」を極力隠そうとしているような描き方に見えた。ここでディオニスがロベールの生還を望まないようなそぶりでも見せたら、映画はさぞチープなものになったろう。バンジャマン・ビオレーは良い役者だ。「裏切らない愛人 」というのは難しい/ほとんど困難な役ではないか。
 しかし、最も大切なことは、マルグリットにとっても映画にとっても「ロベールの生還」なのである。そのしょっぱなからマルグリットにはその生還に確信があったし、ロベールが「私が待っていることを知っている」ことにも疑いの余地がないのである。だが、いつなのか、そしてどんな状態で還ってくるのか。この「待ち」の長さが、計り知れない苦悩となるのである。
 1944年から45年、戦況は変わり、ラビエと対独協力ブルジョワ女たちが優雅にレストランで昼食していると、空襲警報のサイレンが鳴り、マルグリットはラビエたちの敗北が近いことを知り、勝ち誇ったように「誘惑者」ラビエに接吻する。そして赤いセーターを着たマルグリットがたった一人自転車で無人のコンコルド広場をぐるりと回るという、なんとも言えぬ美しいシーンがあるのですよ。
 ドイツ軍の敗走、連合軍の入城、パリ解放。われわれがナチスがいかに残虐であったかを知るのはその後なのだ。待てど暮らせど消息のしれないロベール。その間に駅に次々に帰ってくる生存兵たちや収容所生存者たち。特に後者は、ガスで痛めつけられ、激しい栄養失調で骨と皮になり、かの悪名高き収容所のパジャマ姿でそのまま汽車から降りてくる。映画はたとえエキストラとは言え、よくぞここまで衰弱した姿の人々を集めたものだと、観る者の正視を妨げるほどである。
 映画はこの後半の耐え難い「待つこと」の深みで窒息しそうになる。ギリギリのところでマルグリットは自問する「これ以上の苦悩が来れば、私は存在できない」。なぜロベールを待たねばならないのか、なぜ他の人であってはいけないのか。そういう苦悩の頂点に、愛人ディオニスは残酷にもこう言うのだ。
A qui êtes-vous le plus attaché ? (あなたが何に最も執着しているのですか?)
A Robert Antelme ou à votre douleur ? (ロベール・アンテルムにですか?それともあなたの苦悩にですか?)
激昂したマルグリットはディオニスに激しい平手打ちを喰らわし、"Salaud(卑劣漢)!”と罵る。映画はその夜、この二人が性交したことを間接的にほのめかす。そしてその朝に二人は「ロベール生存」の知らせを受け取るのである。
 もはやロベール・アンテルムと誰も認知できぬほど衰弱していた、ということを映画は映し出さない。前述のボケボケ映像効果で、ジャコメッティ彫刻のような(あるいはSF映画の異星人のような)デフォルメされた姿が漠然と現れる...。この映画が「映画化不可能」と言われ続けてきたこのデュラス作品を、驚嘆すべき映像作品として完成させた最大の功績は、このボヤボヤ映像であろう。人命の極限、人類の残虐性の極限、私たちは何も知らないかもしれないが、それを文字化(文学化)したり映像化したり、ということに立ち会うことはできる。そしてそのあとで冷静に考えると、私たちはどうしようもなく不透明であり、苦悩は不透明さを少しでも晴らすために受け入れなければならないものなのだと思う。
 マルグリットは、腐敗物のように変わり果てたロベールを献身的な努力で年月をかけて元通りの健康体に戻してやり、再びロベールに笑顔が出るようになった頃、ディオニスの子を宿したことを理由に別れを告げるのである...。上映時間2時間の苦悩。満たされた苦悩だと私は思う。

カストール爺の採点:★★★★☆

↓『苦悩』予告編


↓記事タイトルの出展はヴェロニク・サンソン1974年作品"Le Maudit"(呪われ者)
Ta douleur efface ta faute (あなたの苦悩はあなたの誤りを消す)
(1976年ライヴ映像)

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