2012年1月22日日曜日

ZはザトペックのZ

Zebda "Second Tour"
ゼブダ『スゴンド・トゥール』

 2003年のアルバム『ラ・タワ』以来9年ぶりの新スタジオアルバムです。2011年秋から始まっている再結成ツアーに関しては拙ブログの2011年12月10日の記事 に詳しく書いています。ジャケットアートに描かれているのは人間機関車と呼ばれたチェコ(当時はチェコ・スロヴァキア)の長距離ランナー、エミール・ザトペックです。1952年ヘルシンキ・オリンピックで、5千米、1万米、マラソンの3種目で金メダルを取ったのですが、これは5千メートル走決勝の時に最終周の最終コーナーでトップに立ったザトペックの写真を油絵風に加工したものです。
 エミール・ザトペック(1922-2000)のことは私のブログでもジャン・エシュノーズの小説『Courir(走るなり)』  で長々と書いていますが、型破りの走法と「プラハの春」への加担などで知られる歴史的スポーツ選手です。ゼブダのこのアルバムの中にザトペックに関連した歌はありません。これはむしろ象徴的な援用でしょう。人間機関車と呼ばれたランナーのように、最後のがむしゃらな走りでもって勝つことが大切なのです。その勝つべきレースとは「スゴンド・トゥール」= 普通に訳すと「二回戦」「二周目」なのですが、この2012年的コンテクストでは大統領選挙「第二次投票」、すなわち、第一次投票の結果その上位の2候補によって争われる決戦投票のことと理解されます。
 ムースことムスターファ・アモクランは、ゼブダの帰還/再結成は5人(マジッド、ムース、ハキム、ジョエル、レミ)の表現への欲求が再び同じ一点に達したからだ、という表向きの理由のほかに、この2012年大統領選挙が大きく起因している、と控え目にインタヴューで言ってますが、多くのファンにしてみれば、大統領選が第一の理由でもいいじゃないか、と思うわけです。なぜならこの選挙は絶対に勝たなければいけないわけだし、もう二度とサルコジの顔を(国のトップとして)見たくないという理由はたいがいのことよりも優先してしまう2012年初頭の状況があります。そしてマジッドの痛恨として、2007年選挙の時にゼブダが不在(活動休止状態)だった、ということが大きくものを言っていると考えられるからです。
 ゼブダは還ってきて、勢力的にツアーを行っていますが、当然この今/現在の状況に古いレパートリーだけでは対応できないのです。8年間の休止期間にフランスと世界は変動し、やんぬるかなフランスは8年前よりも(ひどく)悪くなっている。特に後半4年間(2007年以降サルコ・イヤーズ)は(ひどく)悪くなっている。マジッドの筆は、その失われた8年間を取り戻すべく、新アルバムの歌詞の中でさまざまなトピックについて言及します。イスラムの女性ヴェール装衣ブルカに疑いを投げかける「ショールの定理」(4曲め"Le théorème du châle")、決死の覚悟でアフリカから小舟や筏でヨーロッパに渡航しようとする密航者たちを歌う「ハラガ」( 6曲め"Harragas")、テレビの公開タレントオーディション番組("Britain's Got Talent"のフランス版"La France a un incroyable talent"は2006年から放送されています)を痛烈に皮肉る「タレント」(11曲め”Talent")などはマジッド一流の世相読みです。
 しかし最もひんぱんに出て来るテーマはこの数年間で驚くほど拡大してしまった貧富格差です。 アルバムすべての歌がこのテーマに大なり小なり関係しています。博識であれ、という派と、金持ちになれ、という派、この二つの流派(その他さまざまの相反する二つの思潮)の間で揺り動かされて居眠りしてしまっては、いつか人類そのものに「もうゴメンだね」と言うようになると警告する「二つの流派」(1曲め"Deux ecoles")、貧乏人に金持ちになるチャンスを約束(サルコジの"travailler plus pour gagner plus"へのあてこすり)しても、最貧乏人にはまったくチャンスがないと歌う「チャンス」(9曲め"La chance")...
 そして第五共和制でこれまでに例を見ないレイシスト政策を取るサルコジ(とその移民担当相や内務相、すなわちオルトフー、ベッソン、ゲオン)への反撃もポジティヴとネガティヴ両方あります。シングルカットされた「教会の周りの日曜日」(2曲め"Le dimanche autour de l'église")は、トゥールーズのサン・セルナン教会の周りだけではなく、フランスの大きな都市から小さな村までどこにでもあるコスモポリットな日曜市の光景を描くだけで、サルコジ/ベッソン/オルトフー/ゲオンの企図した「国民資格 l'identité nationale」論争がいかに無意味なものであるかをわからせてくれます。これはポジティヴな反撃です。しかし、このアルバムで最も重い曲である12曲めの「訂正」(“La correction")は、サルコジが世界人権宣言を盾にアフリカや南米や中近東の国々に干渉しようとする時(特にリビアへの武力介入)、これを本当に読んでみろ、と言っているのです。第一条の第一行に何て書いてあるのか、読んでみろ、と。
Qu'est-ce que je lis(何て書いてあるのか俺が読んでやる)
C'est du joli(それはきれいごとだ)
Les hommes naissent (すべての人間は生まれながらにして...)
où ça ? Mais Lis ! (どこに書いてあるんだ? とにかく読んでみろ!)
Qu'est-ce que je lis(何て書いてあるのか俺が読んでやる)
C'est du joli(それはきれいごとだ)
Les hommes naissent (すべての人間は生まれながらにして...)

Mais ça va pas !!! (冗談だろ!!!)
Mais ça va pas !!! (全くの嘘っぱちだろ!!!)
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」(世界人権宣言第一条) − 2012年の今日、私たちはどうしてそこからこれほどまでに遠いところに来てしまったのか、そしてこの言葉をどうしてサルコジのような人間がお題目として口にできるのか、ゼブダは ”ça va pas !!!"(冗談じゃねえ !!!)という叫びと共にアルバムを閉じます。

 フェイスブックというのは便利なもので、私はハキム・アモクランとムスターファ・アモクランの「友だち」ですが、これを通じてハキムとムスターファがどんな音楽を聞いているのか知ることができます。レゲエ、スカ、シャービ、ライ、カビル、フレンチ・オルタナティヴ、レオ・フェレ、バシュング、ゲンズブール... といったさもありなんな楽曲を自分のFBの壁に貼付けていますが、意外に多いのがソウル、R&B、ファンク、ディスコといったブラック・ミュージックです。ジョエルとレミが中心と思われる曲作りチーム(作曲者名義は全曲ともゼブダ5人全員のな名前になっています)は基本的に8年前と変わらぬ、ジャヴァ・ロック、スカ、シャンソン・シャービなどがメインで、ゼブダではおなじみのニューヨークのプロデューサー、ニック・サンサノ(ソニック・ユース、アイス・キューブ、パブリック・エネミー、ノワール・デジール...)が最終的な編集をします。わ、ブラック・ミュージック(!)という仕上がりの曲が1曲あります(11曲め "Le talent")。この曲ではムース、ハキム、マジッドがしっかり「ラップ」しています。
 プロテストやアンガージュマンも還ってきたゼブダの本領でしょうが、このアルバムは自分たちが「ゼブダの復活」を祝福しているような喜びにあふれています。ゼブダはやっぱりゼブダでなければ。ゼブダはゼブダが好き。そして私たちはそういうゼブダが大好きでしょう。

<<< トラックリスト >>>
1. Les deux écoles
2. Le dimanche autour de l'église
3. Un je ne sais quoi
4. Le théorème du châle
5. J'suis pas
6. Harragas (les brûlés)
7.Tu peux toujours courir
8. La promesse faite aux mains
9. La chance
10. Les proverbes
11. Le talent
12. La correction

Zebda "Second Tour"
CD Barclay/Universal 2792408
フランスでのリリース:2012年1月23日

(↓オフィシャル・サイト)
www.zebda.fr 

(↓「教会の周りの日曜日」クリップ)

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