2008年10月21日火曜日

機関車は走るのです



Jean Echenoz "Courir"
 ジャン・エシュノーズ『走るなり』


 タイトルの出典は小坂忠の71年頃の歌です。「忘れ物はもうありませんねと機関車は走るのです」という歌い出しです。妙な歌です。
 遠い昔,北国の洟垂れガキだった時分,西津軽郡鰺ヶ沢町立西海小学校という古い学校に入学する時,どういうわけか学力テストのようなものがあって,先生が1枚の絵を見せて,それにどんなものが表されているかを言ってみてごらん,と言うのです。そこには一台の自動車が描かれていて,都会のような光景だったと記憶しています。私は見たままにこう答えました。「自動車が歩いています」。先生は笑って「自動車は歩くもんじゃないよ。自動車は何をしているかな?」と質問を変えました。- 私の家に自動車はなかったし,生まれてからそれまで自動車なんか数度しか乗ったことがなかった私には,自動車が何をするものなのか,私には答えることができなかったのです。答えに窮して,私はその場で大声で泣きました。
 このショックで私は小学校に入りたくないとかなりゴネたのですが,時はゆっくりとその痛手を解消してくれたものの,その後もずっと私には「自動車は歩くものではない」というロジックが理解できないでいたのです。「自動車は動く」「自動車は走る」は日本語として正しいが「自動車は歩く」は正しくない。人間や動物は「歩く」ことも「走る」こともできるのに,自動車や汽車は「走る」ことはできても「歩く」ことができないのです。 「歩く」と「走る」の違いは何でしょうか? 速度の問題ではないのです。歩くとは「足裏の一部が常に地面に接地している」一連の動作のことで,それに対して走るは「足裏のどの部分も地面についていない瞬間がある運動」なのだそうです。自動車や機関車には足裏があって,それが地面についていない時があるのか!
 まあ,それはそれ。
 機関車は走るものであり,歩くものではありません。「人間機関車」と呼ばれた人間も走ることだけが許され,人間並みに歩くことができなかったのです。

 小説とは関係のない長いイントロになりました。ジャン・エシュノーズの小説『Courir - 走るなり』は,前作の『ラヴェル』同様,実在した人物の自由翻案によるポートレイトで,モデルは人間機関車エミール・ザトペック(1922-2000)です。『ラヴェル』の時もそうでしたが,エシュノーズは史実に即した偉人伝を書く意図は全くありません。実像を暴露するという意図もありません。しかし,この人物について多くの人たちが伝え聞いて想像していたようなスポーツヒーローの姿はこの小説には登場しません。むしろヒーロー像とは無縁の「フツー」の人がそこにあります。たまたまその状況に居合わせた人という感じなのです。
 チェコ(当時はチェコ・スロヴァキア)のモラヴィア地方の職工の息子エミールは,スポーツ嫌いの子供ででした。学校で無理矢理させられる体育授業が嫌いで,特に団体競技が嫌いで,欧州の子ならば誰でも好きでやるはずのサッカーが大嫌いでした。それでも授業などで強制的にサッカーをやらされる時,エミールは球が自分にやってきたら,とにかく出来るだけ遠くに蹴り返すというのが彼のやり方で,ルールや敵味方の動勢などまったく頓着しないのでした。靴の工場で働きながら,教員資格のための学校にも通う,勤勉な青年でしたが,ナチス・ドイツがチェコを占領して運命は変わります。ナチの国家社会主義は体育教育を重要視し,靴工場でも学校でもスポーツと競技会が頻繁に行われるようになり,運動嫌いの青年も競技会に出場させられ,長距離走で,こんなめちゃくちゃな走り方では絶対に最後まで走り通せるわけがないという,後世に知られることになるザトペック走法で勝ってしまいます。
 野球でも,美しい投球フォームのピッチャーが必ずしもすごい球を投げるわけではありません。村山実はその全身投げのようなピッチングを「ザトペック投法」と呼んだのですが,それは美しくないだけではなく,体に大きな余分な負担をかけるのです。エミールは腕の振りにしろ,上体の傾きや揺れにしろ,足の蹴り出しにしろ,無駄が多く,不規則で,体の各部位への負荷も大きく,スポーツ力学の理論にことごとく反するわけです。だからエミールにはコーチがいないのです。自分のやり方でしか走れないから,自分にしか通用しないトレーニング方法(ザトペックの「インターバル練習法」)を自分で考案してしまいます。
 しかしこの自己流の長距離ランナーは,多くの識者/専門家の予想を裏切って,次々と勝ち進み,記録を更新して行きます。これは当時のチェコの指導者たちからすれば,必ずしも歓迎されたことではなかったのです。地方大会や国内大会で勝っているうちはまだしも,国際競技会で勝つということは,なにかと波風が立つのです。ナチス占領時代は,この選手がドイツ人選手を破って勝つというのは... まずい。ナチス時代が終わり,チェコの共産主義建設時代は,この選手が共産主義の偉大な先輩たるソ連の選手を破って勝つというのは...まずい。というふうにエミールの国の上層部は思うわけですね。にも関わらず,エミールはそんなことおかまいなしに勝ち進んで行きます。しかも,いくら勝っても,ゴールに入るまでのあの断末魔の苦悶の顔をしながら,体を傾けながらがむしゃらに走るのは変わらないのです。
 この小説の23頁めで,エミールは世界で最初に「ラストスパート splint final」を生み出したことになっています。それまで長距離走というのはできるだけ平均的に走行速度を保って最後まで走り抜けるのが常識だったのに,エミールは最後の直線まで十分な力を温存させておいて,そこで一気に全速力で走りきるということをしてしまったわけです。
 今と違って,長距離ランナーというのは「職業」になりえなかった時代です。ましてや共産主義の国チェコ・スロヴァキアではエミールはそればかりをしているわけにはいかず,職業的には軍人として体育教官となります。国際大会に勝つたびに軍人ザトペックの階級は昇進していきますが,国際的なスポーツヒーローとして派手な生活ができるわけはなく,同じく陸上選手(やり投げ。60年ローマオリンピックのゴールドメダリスト)の妻とたいへんつましい生活を送っています。エミール・ザトペックの頂点は52年ヘルシンキ・オリンピックでの,長距離3種目(5000メートル,10000メートル,マラソン)での金メダルです。こんなことは後にも先にも誰にもできるわけのないことでしょう。
 しかしいくら勝っても,共産主義チェコはこの国際チャンピオンをことさらに重要視しようとはしないのです。個人タイトルというのは共産主義の理想とは異なるものだからかもしれません。建設途中の貧しく小さな国は,エミールの遠征費をしぶり,むしろ早く落ち目になって勝たなくなってくれた方がいい,と願っていたかのようです。とりわけ当時の共産圏は西側世界との接触に神経質で,エミールが西側でスター化することを嫌い,エミールが西側からさまざまな影響を受けることを恐れていたのです。そのせいだけでなく,エミール自身も走ること以外にあまり興味がなく,西側のこともあまり知らないのです。
 そういう時に,パリ滞在中のエミールにチェコ・スロヴァキア共産党の指導下にある地方新聞がインタヴューします。「同志ザトペック,パリの印象について語ってくれたまえ」。エミールはあまりそんなことを考えたことがないので,しどろもどろの答をします。「いや,パリはあまり見るべきものがないね。そりゃあピガールは悪くない。女たちもきれいだ。新聞に出ている女たちでもとてもきれいだ。それからもちろん,ワインもいいね。それとこの国ではたくさん店があるんだ。こんなにたくさんの店,僕は見たことないね。どこまでも店だらけだ」と答えます。このインタヴューがどんなふうにチェコの新聞記事になったか : 「ザトペック,パリの幻滅を語る。パリには下品な新聞雑誌があふれ,売春婦とエロ写真に飾られた町がある。市民の心はその奥深くまで商業主義や販売競争で蝕まれている」!!!。 数日後,フランス外務省はコミュニケを発表し,この新聞での「ザトペック氏のパリとフランスを侮辱する発言により,フランス国は今後同氏のフランス入国を拒否する」ということになるんですね。

 いつしかエミールは人間機関車と呼ばれるようになります。この呼び名はエシュノーズによるとその名「ザトペック」に負うところが大きいのです。 Zatopek。Za - to - pek。これを小説の93頁めはこう解説します。

このザトペックという名前はただの名前だがとても奇妙な名前で,有無を言わさず3つの音節が動的で機械的な音を立て始め,それは過酷な3拍子であり,馬の駆け足の音,タービンの唸り音,連結棒やバルブのカチカチいう音,それは[k]という音で区切れるが,すぐさま[z]がまたやってくる。それは最初に[zzz]と音を立てるが,あたかもこの子音がスターターであるかのように,この後はすぐに速度が上がる。おまけにこの機械は流体のように響くファーストネーム(エミール)によって潤滑される。ザトペックというエンジンにはエミールという潤滑油がつきものなのだ。

 拙い訳でごめんなさいね。原文はとても面白いことを書いているのに。「ザ・ト・ペック」は耳にそのまま3拍子の機械音で,「エミール」はオイルのように聞こえるように潤滑油なのだ,という詩的で文学的な解釈です。わかってくださいな...。ずずず・・・ざっ・・・とっ・・・ぺっく・・・ざっ・・とっ・・ぺっく・・ざっ・とっ・ぺっく・ざっとっぺっく・ざとぺっ・ざとぺっ・ざとぺざとぺざとぺざとぺ......

 この小説の名調子は,国際陸上の偉大なチャンピオンなのに,どこにでもいそうな男に描かれ,あまり感情をあらわにしない朴訥な青年であるのに,ときどき「むっ」と来るところなのです。このことをル・モンド紙のパトリック・ケシシアンはこの小説の書評で "Idiosyncrasie"(イディオサンクラジー)という難しい言葉で説明していて,それは個体が持っている衝動的な反応で,それが意図せぬ結果となる場合があります。例えばエミールは,貧乏国チェコが予算がないために国際大会に参加するのでも,交通手段も最低,宿泊も最低(時には野宿もします)の状態で,疲労困憊の態で競技に出場し,それでも前を走る選手の態度に「むっ」と来て,勝ってしまうのです。それからもう落ち目でもう上位を望めない状態になった頃,パリのオルリー空港に着き,たくさんの記者団が待ち受けていると思ったら,自分のためではなく,同じ時間に別地から到着したエリザベス・テイラーのためであり,自分の前からひとりの新聞記者もいなくなってしまったのに「むっ」と来ます。翌日エミールは大方の予想を裏切って,見事1位になってしまうのです。

 競技から引退して,普通の人に戻ったエミールは,1968年「プラハの春」にドプチェクの自由化政策に賛同して,有名な「二千語宣言」に署名し,ソ連の戦車によるプラハ制圧の時に壇上に昇り即興で演説してソ連に「オリンピック停戦」を求めたりしています。その結果,何百万という自由化支持者たちと同じように逮捕され,身分を剥奪され,職を追われ,6年間に渡って「修正主義者矯正」の強制労働をさせられ,過疎地のウラン鉱山の鉱夫となります。伝説ではその後,プラハに移送され,プラハでゴミ清掃トラックに伴走するゴミ収集夫となります。この小説ではプラハ市民はかつての陸上ヒーロー,ザトペックの顔を忘れるはずがなく,毎朝プラハの通りをゴミトラックを追って走っていくザトペックに拍手の嵐が起こった,と書いています。

 もうあまりの名調子で,あっと言う間に読める140頁です。スポーツ伝記のような,どこの大会でどんな風にして誰を破ったとか,そういうのはあまり重視されていません。型破りの走り方と超人的な記録と金メダルを残した人物なのに,それを中心にしないで,まるでフツーっぽい朴訥人間の物語です。それだけでもすごいのです。そして,今日,人間はもう機関車のようには走らないのです。ロボットのように走るのです。


JEAN ECHENOZ "COURIR"
(EDITIONS DE MINUIT刊 2008年10月。142頁。13.50ユーロ)




PS 1 (10月24日)
1952年ヘルシンキ・オリンピックのザトペックの映像がYouTubeにありました。5000メートル,10000メートル,マラソンの3種目金メダルの映像です。すごいなあ...。

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