2008年10月15日水曜日

Everybody's got a hungry heart



 J.M.G. LE CLEZIO "RITOURNELLE DE LA FAIM"
 J.M.G. ル・クレジオ『飢餓のリトルネロ』


 リトルネロ(仏語では ritournelleリトゥルネル)はそのイタリア語が示すように音楽用語で「歌曲・舞曲の前後に反復される器楽部。リフレイン」という意味から,現代哲学用語にまでなっていて「折り返し,反復」としてフェリックス・ガタリ&ジル・ドゥルーズの重要概念となっています。
 この小説ではラヴェルの「ボレロ」が重要なカギとなっていて,その特徴も反復にあります。
 また冒頭のエピグラフにル・クレジオはアルチュール・ランボーの詩「飢餓の祭り Fêtes de la faim」を引用していて,土や石を喰らう飢餓のリフレインがあります。
 ル・クレジオは1940年生れです。第二次大戦時の子です。小説の序章で(たぶんル・クレジオ自身と解釈してもいい)話者の戦争終了時の飢えの体験が語られます。「私は飢えを知っている」とその文章は始まります。アメリカ進駐軍のトラックを追いかけて,夢中になってチューインガムや乾パンを拾った子供たちのひとりだったのです。オイル・サーディンの缶詰の油をなめて動物性タンパク質を補給したという育ち盛り(4-5歳)の子供でした。飢えの何たるかを体験して,それから抜け出した人間だからこの小説が書けたのだ,という重い前置きです。
 小説は1930年代から40年代のフランスが背景です。主人公の少女の名前はエテルと言い,モーリシャス島出身の裕福な父母(アレクサンドルとジュスティーヌ)のひとり娘で,パリ15区に住んでリセに通っています。問題は父母の夫婦仲はもうずいぶん前から壊れていて,公然と父の情人(モード)が家庭に入り込んでいて,父母の不仲と絶えない口論を目の当たりに見て育ったエテルは父母を疎み,大叔父のソリマン氏になついて育ちます。ソリマン氏は教養人にして世界文化に造詣が深く,エテルにその知識やコレクションをすべて伝授しようとします。そして彼の趣味を結晶させた建造物「ラ・メゾン・モーヴ」(薄紫の家)を設計し,完成したらエテルがこれを相続することになっていました。
 エテルはリセでゼニアという少女と親友になります。ロシア革命によって国を追われた旧貴族の娘で,父は逃げる途中で赤軍に殺され,母と姉妹と共にヨーロッパを転々とし,パリにたどり着き,極貧の状態で生きています。物乞いまがいのことまでしないと生きていけないゼニアは,素晴らしい美貌の持主で,人生を知り尽くしたような射るような目をしています。すべてに恵まれたエテルとすべてに困窮しているゼニアはそれでも厚い友情に結ばれていきます。二人がパリを散策する時に,その出発点の待ち合わせ場所にセーヌ川に浮かぶ中州「白鳥の遊歩道」が使われます。
 道楽金持ちのアレクサンドルは毎日曜日に親族やモーリシャス島出身の名士たちを集めてサロン昼食会を開きます。これをエテルはいたく嫌っているのですが家族として出席せざるをえない。真の教養人ソリマン氏はこの会に参加しません。ブルジョワの会話は世相や政治になると,共産主義の恐怖であるとか,イギリスの不干渉への嫌みとか,ヒトラーへのシンパシーやら反ユダヤ主義に傾いていくのが当たり前になってしまいます。その中でひとりの(モーリシャス島系)イギリス人の若者でユダヤ人のローランだけが,このサロンで果敢に反対意見を述べる人間で,エテルはやがてこの青年と恋に落ちます。
 ソリマン氏の夢の建造物の着工を待たず,氏は病いに倒れ,氏の遺志にも関わらず,未成年のエテルはその計画および遺産を相続することが出来ず,父のアレクサンドルが代理相続します。ここからエテル一家の不幸は始まり,アレクサンドルが建造物の工事計画の管理を任せた「日曜サロン」の常連二人(戦時に乗じて,権力に通じてユダヤ人財産などを没収管理できる地位になった)によって,ソリマン氏の遺産だけでなく,エテル一家の財産もすべて騙し取られることになります。
 戦争,ドイツによる占領,ユダヤ人狩り,財産没収,食糧難...。病気になってしまったアレクサンドルを連れて,ジュスティーヌとエテルはパリを捨てて,南仏ニースに移住します。そこで彼女たちは,パリよりももっと極端な食糧難を耐え忍ばなければならなかったのです。バラバラだった一家は極貧の中で三人家族の絆を強くしていきます。わがまま妻/母であったジュスティーヌはここで献身的な一家の柱として変身します。そしてニースで偶然その所在がわかった夫の元情人モードは,ボロボロになって建物の地下階に猫と共に生きていました。エテルとジュスティーヌは過去を捨てて,このモードにまで救いの手を差し伸べるのです。

 もうすべてのものが尽きるというところで,ドイツ軍は占領地を捨てて敗走して行きます。地中海から連合軍が上陸し,南仏は解放されます。アメリカ軍のトラックがチューインガムや乾パンやコーンドビーフやスパム(ランチョンミート)の缶詰を配給していきます。ル・クレジオに残っている鮮烈な飢えの記憶は,この時の真っ白な食パンなのでした。これは極端な飢えの味覚なのです。
 英軍と共にノルマンディー側から上陸してパリに入ったローランは,エテルを探して南仏まで降りてきます。二人は無事に再会し,パリで結婚し,カナダで新生活を始めることになっています。
 ハネムーンの代わりに解放されたパリを何日もかけて散策する二人は,かつてのゼニアとの待ち合わせ場所「白鳥の散歩道」にも行くのですが,ローランは強烈な生理的嫌悪感に襲われます。なぜならその中州のすぐ近くに「ヴェル・ディヴ」(屋内競輪場。パリのユダヤ人一斉検挙の収容所として使われ,そこからドランシー駅に移送されアウシュヴィッツ行きの貨車に乗せられた)があり,ローランの叔母もその被害者であったからです。小説の本筋には付帯的であるとは言え,ル・クレジオはこのユダヤ人一斉検挙にかなりの行数を割いています。すべては戦争という状況があらゆるものを極端でウルトラなものにしてしまうのですが,人間性の上方から下方の裏側までを表現するという理由でノーベル賞を獲得したル・クレジオが書くと,この極端がわなわなと震えているようです。ルイ・フェルディナン・セリーヌの名前を出して,時代のコラボ風潮を唾棄するパッセージもあります。
 そのパリでエテルはゼニアとも再会します。ゼニアは結婚して服飾デザイナーとして成功して,ニューヨークにも自分のブランドを進出させるプロジェクトがあると言います。極貧からその成功の地位まで昇っていったゼニアと,ブルジョワから飢餓の最果てまで落ちていったエテルは,正反対に交差する道を駆け足で進んでいたわけです。この再会で友情は復活しませんが,二人は同じように青春の日々に別れを告げるのです。
 この小説の奇妙なところは,エテルとゼニア,エテルとローラン,というふたつの重要な関係が,いずれも熱愛ではないのです。距離があります。それは最終的に和解することになる父母のアレクサンドルとジュスティーヌにも言えます。飢えから人間を救うものは熱愛ではない,というリアリズムのようにも読みました。その情動を絶対に極度にあらわにすることのないエテルの生き方こそ,飢えから私たちを救うものに思えるのです。

 ラヴェルの『ボレロ』は二つの旋律の繰り返しです。1928年の初演の時,速度をどんどん早めながらクレッシェンドの最高潮で終わるこの曲の混沌的な終わりは,一方で大喝采を呼び,一方でブーイングを巻き起こしました。どちらの側も総立ちです。「『ボレロ』はただの楽曲ではない。これはひとつの予言であった。これは怒りと飢えを物語っている。それが凶暴のうちに終わる時,それに続く静寂はあっけにとられた残存者には恐ろしいものとなる」(P206)。これで予言された戦争は,エテルの世代には『ボレロ』のテンポと旋律でやってきたのでしょう。それは繰り返し,反復,リトルネロであるのです。
 

J.M.G. LE CLEZIO "RITOURNELLE DE LA FAIM"
(GALLIMARD刊 2008年10月3日。206頁。18ユーロ)



PS 1 (10月16日)
タイトルの出典はブルース・スプリングスティーンなんですが,こういうことって説明しなければいけないでしょうか?
Hungry Heart, Paris 85このYou Tube 画像では,ボス自身がフランス語で "Fantastique !"と叫んでます。いい絵ですねえ。これは実はパリではなくて,北郊外ラ・クールヌーヴの野外公園(共産党のユマニテ祭が開かれるワーキングクラスゆかりの地です)での85年6月29日のライヴです。DVDが出ています。

2 件のコメント:

かっち。 さんのコメント...

ここにコメントを書こうと思ってたら、エシュノーズのエントリも上がっていました。フランスは文学国で素晴らしい!とか、思ってしまいます。日本にも、いいものはあるけれど、たぶん翁は知らないし読まないだろうなと。

ええと、機関車にしてもハングリーハートにしても、そういう「もじり」というか「本歌取り」というかそういうのは、判る人だけ判れば良いのだと思います。せいぜい「ボスも歌っている」とか「矢野顕子よりも小坂忠」くらいのヒントがあればどうしても気になる人は調べるし、ずーっと時間が経ってからわかったりするのも趣き深いです。判らなくても、なんだか文章に奥行きがあることは判るのが重層的なテキストだと思う僕は、自分が若い時の文芸批評の潮流から自由になっていないとも思いますが。

今日のお昼に生放送のテレビのワイドショーを見ていたら、年をとるほど人間は体内に含有する水分の割合が少なくなるという話題に「みのもんた」氏が「パサデナのおばあさん」とコメントしていたけれども、スタジオでは誰も反応しないでスルーでした。それでいいのだと思いました。

今月の連載、やっと読みました。10回目ですね。おめでとうございます。僕はメタリックKOはリアルタイムで入手して聴いていましたが、どうしてフランス盤なのかが謎でした。ブートってマニアックなのではなくてその方が値段が安いとか、いろんなことを思い出しました。

Pere Castor さんのコメント...

かっち。君,コメントありがとうございます。
冬時間になったので,本ばかり読んでいます。娘がトゥーサン休みの課題でアンドレ・シェディッドの小説「伝言 le message」を読んでいます。「これマチュー・シェディッドのお祖母さんだよ」と教えたら,マチュー・シェディッドって誰?という反応でした。もはやフランスの中学生は -M- なんか知らないのです。
先週,セルロイドの取材でジルベール・カストロにインタヴューしました。ゼルマティもそうですけど,なぜこんなところにフランス人が?という時代でしたね。ビル・ラズウェルやマテリアルをなぜフランス人がニューヨークで元気にさせてしまったのか,なんて普通の人にはどうでもいいことですけど,それをタネに原稿書きます。