2009年11月30日月曜日
メラニーからうろこ
ディアムス『S.O.S.』
DIAM'S "S.O.S."
2006年"DANS MA BULLE"は100万枚を売りました。ちょっと太めの郊外少女ラッパーが,サルコジや極右をめった切りにするライムと私小説的な郊外少女の生きざまが同居するカラフルなアルバムで,一方で政治的なリファレンスとなり,もう一方で少女たちの姉御分的アイドルになり,PARIS MATCH誌の表紙を飾ったり,2007年大統領選セゴレーヌ・ロワイヤルに肩入れするスターのひとりになり...。この最後の「スター」という言葉がくせ者で,スターシステムに乗ったその時からフレンチ・ラップの了見の狭い連中は猛烈な批難といやがらせをディアムスにするようになります。またスターになった時から黄表紙ピープル誌のパパラッチたちが待ち受けるようになり,私生活をぐじゃぐじゃにします。
2007年後半から2008年にかけて,ディアムスの醜聞がピープル誌にさまざま書き立てられます。ナイトクラブで暴行,泥酔,暴言...。2008年3月,フランスで最も栄誉ある音楽賞ヴィクトワール賞に2部門ノミネートされ(結局ひとつも取れないのですが),そのセレモニーで"Ma France à moi"を歌ったあと涙を流しながらこう言います「私に次のアルバムができるのか私にはわからない。これが多分私の最後のヴィクトワールの宴になるわ。メルシ」。
メラニーの地獄は既に始まっていたのです。
この迷いと自信喪失、すなわち「書けない」「表現できない」「言葉が出ない」「人前に出れない」の数ヶ月間、心の平静を取り戻すきっかけを作ってくれたのがイスラムの教えであった、とメラニーは言います。イスラム改宗はずいぶん前だったそうですが、2008年その教えが上の事情でほとんどセラピーとなった頃からメラニーはヘジャブ(イスラム教徒女性のスカーフ)で頭髪を隠すようになります。この姿がパパラッチに盗撮されピープル誌を賑わします。曰く「元ヒット歌手ラッパー、イスラム原理主義に入信」のような書かれ方です。
2009年、多くの人たちから再起不能と言われていたディアムス/メラニーMCが、新アルバムを準備していて、しかも予定されているツアーにはヘジャブ姿(一説には全身を覆い隠すニカーブ姿)でステージに出るという噂が流れます。折りも折り、フランスではニカーブをめぐって公共の場所でのニカーブ着用を禁止する法律を作るべきか否かの論争があり、またサルコジ政権の移民担当相エリック・ベッソンが「フランス人のアイデンティティー(identité nationale)」を明確化する全国的議論を展開して、極右まがいの論法でイスラム教徒や外国人および異文化を保持する移民出身フランス帰化人の表面化を制限しようとしている時でした。
ディアムスの新アルバム『S.O.S.』はそんな時勢に押しつぶされて、愚かにも元人気歌手が話題狙いでイスラム帰依したことが一笑に付されて、誰からも相手にされずに消えていくはずと予想されていました。ところが、ところが、11月13日、EMIからリリースされた『S.O.S.』はアルバムチャート初登場1位。たとえどんな雑音があっても、郊外少女たちがその姉御アイドル、ディアムスを死守するために結集したということでしょうか。そしてNO.1FMネットのNRJがそっぽを向いても,ヒップホップ/R&BのFMであるSKYROCK,FUN RADIO,VOLTAGE FMなどが強力にディアムス新アルバムを後押ししたことも,美しい連帯だなあ,と見ました。
11月18日,ディアムスが国営TVフランス3のフレデリック・タデイの番組CE SOIR OU JAMAISに出て新アルバムの中の最後の曲"SI C'ETAIT LE DERNIER"(これが最後だったら)をライヴパフォーマンスしました(ヴィデオ見ると口パク混じりですね)。10分のパフォーマンスです。こんなものなかなか国営テレビで見れるものではないです。白いキャップ(カスケット帽)の下にメラニーMCはイスラムのスカーフを見せています。フレデリック・タデイはそのイントロダクションで,この2年間にディアムスについて問われたこと(人気転落,神経衰弱,精神分析,イスラム,アフリカ旅行...)すべてに対する回答がこの曲にある,と語ってその10分のスペースを明け渡したのでした。
アルバム『S.O.S.』は「メラニー」という曲に始まり,この「これが最後だったら」(14曲め)で締めます。この2曲がこのアルバムの核心中の核心と言えましょう。「メラニー」は,メラニー(生身の自我)とディアムス(アーチスト)という一心同体で二つに切り離された自分のひとりダイアローグです。メラニーは自分がこんなにボロボロになったのはディアムスのせいだと恨み言を言います。ディアムスはおまえはそれしかできないのだから(ライムを)書くしかないんだ,とメラニーを苛めます。その対話は何一つ包み隠すことなく,驚くほどはっきりと明晰に語られます。
アルバムは地獄からの蘇りの記録です。前アルバムが"DANS MA BULLE"(ビュルの中で。ビュル=泡=漫画の吹出し)というタイトルであったから,メラニーはビュルを抜け出さなければ再生することができないと考えました。泡から抜け出すにはアフリカの砂漠を歩いて渡り切らねばならなかった(3曲め"Enfants du désert")のです。
S.O.S. S.O.S. S.O.est-ce que tu pleures
Dans le fond tout comme moi ?
- S.O.S. S.O.S. おまえも私のように奥の奥で泣いているのか? -
(4曲め「S.O.S.」)
そしてメラニーは閃き的にこう叫びます「アイ・アム・サムバディー」(2曲め"I am somebody")。私はサムバディーよ。これなどはほとんどアルチュール・ランボーの "JE est un autre"(私とは一個の他者である)と同じものでしょうに。「私は」「メラニーは」「ディアムスは」と一人称で私的に,極私的にあらゆることを語り(ラップし)尽くした挙げ句,彼女は「サムバディー」という他者の境地に至ったのです。
テレラマ誌ヴァレリー・ルウーはこのアルバムはこの冬中何度も聞くようなアルバムではないし,前作のように変化に富んだアルバムでもない,と断りながらも,このアルバムは「アッパーカット」であると評しました。この告白の密度と強度によって聞く者は打ちのめされる思いでアルバムを聞き終わる,と。
傷ついた魂が徐々にもとの球形に戻っていくことが記録されたアルバム14曲。74分!長くて当たり前。これに時間がかからないわけがありまっせん。この蘇りに時間がかからないわけがありまっせん。このセンセーションを聞く者が共有できたら,このアルバムは凡百のラップアルバムとは切り離されて扱われなければなりません。アルバムチャート初登場1位。私は多くの人たちがこのアルバムの数曲で涙が迸り出たはずだと確信しています。
<<< トラックリスト >>>
1. Mélanie
2. I am Somebody
3. Enfants du désert
4. S.O.S.
5. Dans le noir
6. Coeur de bombe
7. Rose du bitume
8. L'honneur d'un peuple
9. Lili
10. Poussière
11. Sur la tête de ma mère
12. Peter Pan
13. La Terre attendra
14. Si c'était le dernier
DIAM'S "S.O.S."
CD EMI FRANCE / HOSTILE RECORDS 6860440
フランスでのリリース:2009年11月13日
(↓11月16日 FRANCE 3のフレデリック・タデイの番組CE SOIR OU JAMAISでのディアムス "SI C'ETAIT LE DERNIER")
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2 件のコメント:
2009年最後の最後に聞いたフランスのアーティストが
ディアムスになるとは思ってもいませんでした。
私はタイトル曲「S.O.S」が特に好きです。
爺とパリで会った10月に彼女がパパラッチされた話を聞きましたね。
もうダメかな。なんて思っていた1ヵ月後に
初登場第一位になるなんて、それだけでも
タダものではない。爺の原稿にもグッと熱くなったけど、
彼女の映像を観て「本物だ」と確信しました。
フランス語が出来なくてもオーラがビンビン伝わってきます。涙よりもこのアルバムから私はいっぱい力をもらいました。
どうもありがとう、ディアムス。
メラニー、いいよねえ。
昨今のヴィデオでは、もう元気いっぱいで自分のライヴパフォーマンスを自分で楽しんでる感じ。オーディエンス側の郊外ガールズたちの熱狂がすごい。
今年はこのブログで書きかけてアップしていないものがたくさんあって、ジャン=ルイ・ミュラ、ブリジット・フォンテーヌ、バンジャマン・ビオレー、カルメン・マリア・ヴェガなどのレヴューが「編集中」で眠っています。いいものが結構あったのに、時間が経つのが早くて...。
それでも爺のブログはだんだん良くなってきましたね、と自画自賛して4年目に突入します。
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