アンドレア・ラスロ・デ・シモーネ『かくも長き影』
影をつくるものは光である。なにやら禅問答みたいな物言いであるが、光源がなければ影はできない。そもさん。
デ・シモーネ本人曰く「かくも長き影」とは外部から侵入増幅していく思念のメタファーである。それは具体的にはインターネットやらSNSやら、われわれの明晰さ・晴朗さ・沈着冷静を脅かしてやまない圧倒的な影響の数々のことなのだろうが、その影が色濃いと思うのは光が向こう側にある証しなのである。
イタリアはトリノ出身の39歳、カンタウトーレ/マルチインストルメンタリスト、アンドレア・ラスロ・デ・シモーネの3枚目のアルバムである。フルアルバムとしてはファースト『エッチェ・オーモ(Ecce Homo)』(2012年)、セカンド『ウオモ・ドンナ (Uomo Donna)』(2017年)に続くものだが、2019年の4曲EP『インメンシタ(Immensità)』も重要な作品(レ・ザンロック誌激賞)として注目された。あとフランスでは2023年のトマ・カイエ監督の大ヒット映画『動物界(La Règne Animal)』のサントラも。時間のかけ方に頓着しない独立独歩のインディーの人だが、このアルバムは前EP『インメンシタ』から5年後の録音。とは言っても自宅だろうが、旅先だろうが、閃けば作曲/録音する極端な多産家で、この5年間にできた/録音した曲は732(ななひゃくさんじゅうに)曲。しかし発表するには極私的なものがほとんどだったとデ・シモーネは言う。厳選の上残った17曲(トータル70分強)がこのアルバム『かくも長き影』となった。
鬼才の風格、フランク・ザッパ顔、70年代カンタウトーレ(フランコ・バッチャート、ルーチョ・バッティスティ、アンジェロ・ブランドゥアルディ...)風な佇まい、硬派で難解であってもおかしくないのだが、それはない。因みにセカンドアルバムからこのアーチストとレーベル契約してフランスに紹介してフランスでのアーチスト活動を牽引しているのが、ラファエル・アンビュルジェ(Raphaël Humburger、 1981年生れ、父はミッシェル・ベルジェ、母はフランス・ギャル)のレーベル Humburger Recordsである。その亡き父ミッシェル・ベルジェには1971年『パズル(Puzzle)』と題されたピアノ・コンチェルト(20分)を含むプログレアルバムがあるんだが、その頃は非常に”硬派”だったということを蛇足で付け加えておく。
アンドレア・ラスロ・デ・シモーネを初めて聴いた。歌詞も聞かず(聞いてもイタリア語だから馬耳東風であるが)70分通して続けて2回聴いた。メランコリックで美しいハーモニーを構成する楽器(豪奢な弦もヴィンテージ・シンセサイザーも)の数も声の数も豊富で、街音、自然音、機械音、子供の声、通りのブラスバンド、スタジアムの歓声、聖堂内の残響音.... これらをこの青年は集めたり、貼り付けたり、編曲したり、歌わせたり、鳴らせたりが自在にできる人なのだ。これまで聞いたことがない”ウォール・オブ・サウンド”だと思った。そしてデ・シモーネのヴォーカルは、几帳面に楽譜に書かれた通りの旋律と歌詞を穏やかで明瞭でフラットな歌唱で聞かせるのだが、そのエフェクトは20世紀の電話受話器から聞こえてくる声のような、あるいは20世紀のトランジスタAMラジオから聞こえてくる声のようなフィルターがかけられたような...。このヴォーカルのおかげで、全体のサウンドはなんとも言えないノスタルジーに包まれてしまうのである。まず私はこの未体験のメランコリック/ノスタルジック・ウォール・オブ・サウンドに震えてしまったのですよ。
そしてその歌詞の世界を解くために、テレラマ誌2025年10月8日号(↑表紙写真)の(インタヴューを含む)3ページ記事を熟読した。そこには”外部”との関わりにややナーヴァスに注意して暮らすデリケートな”万年少年”の39歳の音楽家像があった。一家(伴侶+2人の子供=13歳と6歳)でトリノのヴァンシリエッタ(Vanchigliette)地区の一戸建ての旧店舗を改造(中)した家に越してきたばかりで、地下室は録音スタジオとして使っている。デ・シモーネにとって最も大切なものはこの4人家族であり、ここで一緒に暮らすことがすべての中心だと言う。私の音楽は(さまざまな媒体を通して)世界中に行くことができるが、私はこの家にいる、と断言する。この地下室で生まれた曲も多い。地下室には21時半に降りて行って、朝6時半に階上に戻るのが日課だそうだ。「私のヴォーカルがささやき声なのは、子供たちを起こしたくないからなんだ」と。そのクリエーションは発表する作品もあるが、ほとんどの場合が極私的な営為である。「私は聴衆たちが大好きだし、彼らがもたらしてくれるものには感謝しかない。でも彼らと私の関係は真のものではない。私は自分のために音楽を創造している。もしも彼らのことを思ってその創造姿勢を失ったら、私はすべてを失ってしまうんだ。」
有名になったり、町で人に呼び止められたり、セルフィーを求められたり、ということは避けたい。”上の人”になることは絶対に避けたい。地面に足のついた無名の人として、この世の”リアル”と繋がっていたい。記事中に飛び込みでフランス国営テレビがインタヴューを申し込んできたのを断っている(”2分30秒で自分の仕事を説明できるのか” ← えらい!)。だからこの人のプロモーションは難しいだろう。マネージャーもレーベルも大変だろうが、平衡を保ってほしいとデ・シモーネは言う。平衡が崩れたら私はすべてを止めてしまうだろうとも言う。実際にツアーを途中で中止してしまったこともあり、その理由は”家族の都合”だった。
自分が”リアル”を失ってしまう脅威は、外部からとめどなく押し寄せてくる。そんな個人的な恐怖や、失いたくないものへのしがみつきを歌にしている。イタリア語はほとんどできないので仏語翻訳経由の又訳であるが、訳してみました。
La notte
夜は
Cela i ladri e cela anche un fiore
泥棒だけじゃなくて花も匿っている
Sfuggito al giorno ma non a vento e pioggia
日の光から逃れられても、風と雨は防げない
E tutti quanti ci fa innamorar
そんなすべてのことが僕らを恋に落とすのさ
E io vorrei tornare
僕は還りたい
Al tempo della mia prima voglia
初めて欲望が目覚めた頃に
Quando si godeva ancora
まだ育ち盛りだった頃
Mi abbandonai a vivere il fiore
僕は心に花を育てていた
Avaro della tua primavera
きみの春を大事にしまっていた
E ora sconvolto dal dolore
今は苦しみに打ちひしがれ
Abbandonato nella mia sventura
不幸の中に投げ捨てられた
Se c'è qualcuno che non ha paura
もしも怖さ知らずの人がいたら
Io prego mi soccorra
お願いだから僕を助けに来てほしい
Ma il tempo non si ferma
でも時間は止めることができない
Desiderata vita e trascurato amore
望んでいた生活となおざりにされた恋
Ma finché non si muore avremo sempre un cuore
でも死なないでいる限りは人にはまだ心がある
E che stringa giuste nozze o che non sappia amare
結婚だけに縛られ、愛することを知らないでいるのか
Vorrò sempre tornarе
僕は今でも還りたい
Al tempo della mia prima voglia
初めて欲望が目覚めた頃に
Quando si godeva ancora
まだ育ち盛りだった頃
Mi abbandonai a vivеre il fiore
僕は心に花を育てていた
Avaro della tua primavera
きみの春を大事にしまっていた
E ora sconvolto dal dolore
今は苦しみに打ちひしがれ
Abbandonato nella mia sventura
不幸の中に投げ捨てられた
Se c'è qualcuno che non ha paura
もしも怖さ知らずの人がいたら
Io prego mi soccorra
お願いだから僕を助けに来てほしい
La notte, la notte
夜よ、夜よ
La notte, la notte
ラ・ノッテ、ラ・ノッテ
(Dieci, nove (vai), otto, sette, sei, cinque, quattro, tre, due, uno)
10、9(行け!)、8、7、6、5、4、3、2、1
Ho perso il cuore ed un amico vero
私は私の心とひとりの真の友を失った
Ho perso tutti e non ho più nessuno
私はみんなを失い、もう私には誰もいない
Ho dato amore, ma non son stato sincero
私は愛を与えたのだが、私は真剣ではなかった
Ed ho mentito senza rimorso alcuno
私は何の後ろめたさもなく嘘をついた
Ho avuto un padre e dico un padre vero
私には父がいた、それは真の父だった
Che mi ha mostrato cosa vuol dire essere uomo
父は私に大人になるということはどういうことかを教えてくれた
Ma ho scelto di voler restare bambino
でも私は子供で居続けることを選んだ
Di non seguir l'esempio di nessuno
誰のことも模範にしないと決めた
Ho perso il cuore ed il mio amore vero
私は私の心と私の真の愛を失った
L'ho perso, еd ora non so più chi sono
私は愛を失い、今私は自分が誰なのかもわからない
Ho dato amore, ma non son stato maturo
私は愛を与えたが、私は成熟していなかった
E senza amore dovrò vivеre
そして愛を失ったまま、私は生きていかなければならない
Le ho regalato tutto ciò che avevo
私は私の持っていたものすべてを捧げたのだが
Ma quel che avevo, poi, non era molto
私の持っていたものなんかたいしたものではなかった
E ho preso tutto, derubando il destino
私はすべてを奪い、運命を盗み取った
Ma il destino non è preda facile
でも運命は簡単な獲物じゃない
Forse ho mentito sempre o forse son troppo sincero
たぶん私はずっと嘘つきだったか、まじめすぎていたかのどちらかだ
Ed ho una fragile mente, o sono solo immaturo
私の心は傷つきやすいものなのか、それとも単に未成熟なだけなのか
O, più probabilmente, non voglio pensare al futuro
最も可能性があるのは、私が未来を考えようとしないということ
Perché sono quasi sicuro che sbaglierò per sempre
なぜなら、私はいつも間違った道を進むということをほぼ確信しているから
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Ha mai avuto un momento migliore
より良い時など一度もやってこなかった
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Ha mai avuto un momento migliore
より良い時など一度もやってこなかった
Nessuno, nessuno mai
誰にも、誰にも、一度も
Mai
一度も
Mai
一度も
Mai
一度も
それからテレラマ・インタヴューでもこだわっていた”リアル”との関わりというテーマでは16曲め”Non è reale"(それは真実ではない)で、こんな結語を出してしまう。
Noi
私たち
Cosa sappiamo di noi
私たちが私たち自身について知っていること
Cosa ci illumina
私たちを照らしているもの
Cosa ci spinge
私たちを掻き立てるもの
Cosa ci domina
私たちを支配するもの
Non è reale
それは真実じゃない
Non è reale
Non è reale
Non è reale
Non è reale....
このナイーヴでデリケートで神経質なアーチストに圧倒された。豊かな音楽性、イタリアのDNAのような和声の幻想、囁き声で素朴に歌われる極私的吐露.... そのままでい続けてほしい。爺さんはずっと聴いていたい。
<<< トラックリスト >>>
1. Il Buio
4. La Notte
5. Colpevole
6. Quando
7. Aspetterò
9. Un momento migliore
10. Diffrazione
11. Pienamente
12. Planando sui raggi del sole
14. Quello che ero una volta
15. Rifrazione
17. Una lunghissima ombra
Andrea Laszlo De Simone "Una Lunghissima Ombra"
Ekler/Hamburger Records E05137/HR016
フランスでのリリース:2025年10月17日
カストール爺の採点:★★★★★
(↓)「かくも長き影 Una Lunghissima Ombra」














