アメリー・ノトンブ『もっけのさいわい』
アメリーの曽祖父(ピエール・ノトンブ)に始めるベルギーの由緒ある男爵(バロン、baron)家系であるノトンブ家の男爵位は男系子孫によって継がれ、父パトリックに続いて、その長男(アメリーの兄)アンドレに継承され、本来アメリーに爵位は与えられないはずだったが、2015年9月、ベルギー王フィリップは勅令でアメリー・ノトンブに"バロンヌ baronne"の爵位を授けた。 つまりアメリーは個人としてバロンヌ爵位を授けられた(英語式に言うと)”レディー”であり、女爵貴族であり、王室認定ベルギー貴婦人である。
夏の終わり恒例アメリー・ノトンブの新作小説(第34作め)は、作家の母(実在した人物ダニエル・シェイヴェン Danièle Scheyven 1936 - 2024)をめぐる作品であるが、亡き父パトリック・ノトンブへのオマージュ小説『最初の血 Premier Sang 』(2021年ルノードー賞)が実名で書かれたのに対して、この母を描いた新作では母を「アドリエンヌ」という仮名にしてある。これは小説の後部で言い訳してあるが、母方の一族がその家系にまつわる(醜聞的)細部を作家が公にすることを禁止するよう申し出ているからで、作家はあえてその禁を破ろうとはしない。その母方の家系もまた父方と同じようにベルギーの貴族であり、小説の冒頭から10分の9まで(212ページ中178ページまで)、作家の母にあたる人物(作中仮名アドリエンヌ)の母(作中仮名アストリッド)、そしてそのアストリッド方の祖母(作中では名指さずその居住地に因んで「ヘントの祖母」と呼ばれる)という二人の非常に奇態な人物とアドリエンヌ(幼少時から成人するまで)の絡む奇譚の数々が展開される。読む者はこれは20世紀前半のベルギー上流社会を舞台にしたノトンブ創作の純フィクション、お伽話的絵空事のような印象を受けてしまうが、作者ノトンブはこれらのストーリーは紛れもない真実である、ということを声を荒げて強調する。困った大作家レディーだこと。
小説は212ページ中、冒頭から178ページまでアドリエンヌの4歳から22歳(結婚=1960年)までの数奇な”娘時代”体験が綴られている。結婚とはとりもなおさずアメリーの父パトリック・ノトンブとの婚姻であるが、この部分は父も名を変えてアルメルという名の若き外交官として登場している。この22歳までの日々が母ダニエル・シェイヴェン(作中のアドリエンヌ)の人格形成を決定してしまったと言いたいのだろう。
時は1942年、第二次大戦(1940年から44年までベルギーはナチスドイツに占領されている)ベルギー首都ブリュクセルは空襲に見舞われていた。4歳のアドリエンヌと3つ歳上の姉ジャクリーヌは、学校の2ヶ月の夏休みの間中、父ドナシアンも母アストリッドも多忙で子供たちの世話ができないということで、ジャクリーヌは父方の祖母(在ブリュージュ)へ、アドリエンヌは母方の祖母(在ヘント)へあずけられる。裕福で温厚なブリュージュの祖母とは真逆で、ヘントの祖母は鬼婆としか言いようがない。小説冒頭は、朝食として出されたカフェ・オ・レ+ニシンの酢漬けを強権的な老婆に完食を強要され、皿が空になるまで食卓を離れるべからずという厳命に、幼女アドリエンヌがニシン酢漬けを一旦口に入れたがすぐに嘔吐してしまう。老婆はその嘔吐物を食べよ、と。幼女はその試練に耐えなければならなかった。
この小説のタイトルの”Tant mieux"という言葉はここで初めて登場する。それは「どんな障害や逆境に遭遇してもそれを克服できる内面の強さと回復力を誇示する」おまじないとして幼いアドリエンヌが見つけ出した言葉である。「Tant mieux もっけのさいわい、上等じゃないか」ー 強敵や窮地を跳ね返す(強がりの)セリフなのだ。この言葉を唱えて幼女は平静のうちに自分が嘔吐したニシン酢漬けを再び口に入れ、飲み込むのである。
《 Tant mieux :
la version joyeuse du sang-froid. 》
《もっけのさいわい:
冷静さの明朗な言い方。》(背表紙)
ここでの文体はノトンブ得意の"conte"(コント、小咄、寸譚)であり、昔語りのような(ほぼ子供向けの)お噺・説話である。日本でも西洋でも、この種の語りものには大別して2種類あり、ファンタスティックなお伽話系= conte de fée(コント・ド・フェー:妖精譚)と、おどろおどろの怖いお化け話系= conte de sorcière (コント・ド・ソルシエール:魔女譚)である。この小説冒頭はまさにコント・ド・ソルシエールであり、古びた埃だらけの城館で一人暮らしをしているヘントの祖母は偏屈で陰険で悪意に満ちていて、幼女アドリエンヌは食事もろくに与えられず、顔や体を洗うのに(一度も汲み変えない)洗面器一杯の水しかなく、一日中不潔な部屋に閉じ込められている。おもちゃと言えば老婆から木の杓子ひとつを与えられ、それでも幼女はそれにマイゼナと名前をつけ、わが子であり、話し相手であり、無二の親友のように可愛がっている。そしてこの極端な冷遇に対してアドリエンヌはいたずらに受動的に悲嘆するのではなく、ある種達観した冷静で明晰な思考で分析し、対応しようとしている。ノトンブの筆にかかると『管の形而上学』(2000年)のアメリーちゃんにも似て、2歳だろうが3歳だろうが4歳だろうが、幼女は世界と対峙して思考する。アドリエンヌはこの鬼婆がいかにして鬼婆と化したのか、鬼婆と交感する接点はないのか、といったことを模索する。それは現実の母ダニエル・シェイヴェンからノトンブが聞かされた幼児期の思い出話をベースにしたことなので、付帯状況の情報は文中にも現れる。このヘントの祖母は名門貴族出身で若い頃は絶世の美女であった。当時羽振りの良かったトゥルネーの実業家(非貴族)に恋請われてプリンセスのような結婚をしてトゥルネーの宮殿に住み、娘三人(そのうちの一人がアドリエンヌの母アストリッド)を産んだまでは良かったが、夫が事業に失敗し全財産を失い、一家は労働者住宅に引っ越して暮らさなければならなかった。妻は一生夫を恨み、罵倒し続け、夫は衰弱しガンを煩い死んでしまう。それ以来彼女はヘントの館で一人暮らししている。
この祖母はアドリエンヌの母アストリッドを嫌っていた。「デブで間抜け」と罵っていた。母親はア・プリオリに子供を愛するものと決まっているわけではない。このテーマはこの小説で何度か顔を出す。祖母の「デブ間抜け」の罵詈とは裏腹に絶世の美女であった若き日の祖母とアストリッドは瓜二つだった。
ある日幼女は祖母が(幼女に見せず)猫を飼っているという事実を知る。文字通り”猫可愛がり”の熱い愛情を猫に注いでいるのだった。この鬼婆にも愛情はある!? ー ここにアドリエンヌは祖母と触れ合える接点があるのではないか、と気配をうかがう。母アストリッドを筆頭に老婆はすべての人間たちを嫌っているが、猫の話をする時だけは柔和になる。老婆と孫娘の間に奇跡的な雪解けがやってくる。p29からp44まで、幼女への虐待は和らぎ、会話が成立し、アドリエンヌはほんの一握りの信頼を祖母から得るようになり、長く辛かった夏休みの2ヶ月は終わる。
しかし少女の試練はブリュクセルの家に帰っても続く。それは今に始まったことではないが、父ドナシアンと母アストリッドはしょっちゅう喧嘩ばかりしていて、暴力沙汰になることもある。おまけに父も母もそれぞれ愛人がいて、大っぴらにそれぞれの逢瀬を重ねていた。
母=ヘントの祖母の世にも稀な美貌を受け継いだアストリッドには言い寄る殿方たちが山ほどいて愛人には事欠かないが、対ナチ協力で勢力を伸ばした俗物(当然戦後失墜する)やら巨漢の小金持ちやら、相手を選ぶ趣味は悪い。その美貌はアストリッドから長女のジャクリーヌに受け継がれることになるのだが、美貌の祖母が美貌の母を極度に嫌悪したように、母もまたジャクリーヌを嫌悪するようになる。それに対してプレイボーイであるが教養人にして趣味人である父ドナシアンの知性はアドリエンヌに受け継がれる。(この傾向はノトンブ家にも引き継がれたようで、母ダニエルの美貌は姉ジュリエットに、父パトリックの文人性はアメリーに、ということになる) ー
そしてアドリエンヌは母アストリッドの重大な秘密を知ってしまう。ヘントの祖母が猫のみを溺愛し、娘を蔑ろにしたことへの反動で、アストリッドは極端な猫嫌いになっただけでなく、人知れず町中の猫をさらい、秘密裏にいとも残虐なやり方で殺していたのだ。
(お立ち合い、かの地でも日本でも、戦中・戦後の食べ物が激しく欠乏していた頃、どこかで猫がいなくなったと言えば、市井の人々は”ああ、やっぱりね”と妙な納得のしかたをして、”猫の受難”には冷めていたものですよ)
町から次々に猫が消えていく。誰もこの怪現象に頓着しないが、アドリエンヌはその真実を見抜いていて、いつか母にこれをやめさせなければと思っている。親友マーガレットの家で飼っているビショップという猫にもその魔の手が近づいている。マーガレットの母デイジーとアドリエンヌの父ドナシアンは愛人関係にある。そのデイジーが社交パーティーを自邸で開催するのにドナシアンとアストリッドの夫妻も招待すると言うのだが、それを聞いたアドリエンヌは(理由は言えないが)デイジーに母アストリッドを招待しないで欲しいと嘆願する。アストリッドがデイジー邸に入るやその夜ビショップは亡きものになるというのを知っていたから。しかし、子供の戯言に耳を傾けない大人たちの夜会は予定通り挙行され、哀れな猫は短い一生を閉じる....。
この時アドリエンヌは”実存の危機”のような極端なジレンマに心が破れてしまいそうになる。親友の最愛の猫を、自分の最愛の母が殺し、さらにその母は自分の最も大切な姉を冷遇することをやめない。この母は”あってほしい母”と”あってほしくない母”が同居している二重構造であり、そのことを母は自覚できない。”あってほしくない母”が巨大な魔神のように自分に立ちはだかり、その非業をやめない。私はその前であまりにも無力だ。ここで少女はあのおまじない"Tant mieux"を唱えるのである。私の母親は二重性のバランスを壊してしまった。もっけのさいわい、上等じゃないの。 ー こうして少女はこのジレンマを止揚していくのである。
(中略)
諍いの絶えなかったアストリッドとドナシアンの夫婦が急に自分たちの春の日を思い出すように和解し再び愛し合うようになる。一家にひとときの平和が訪れるだけでなく、ブリュクセルに再び猫たちが戻ってくる。アドリエンヌが9歳の時、父ドナシアンは娘たちに夏にはおまえたちの”弟”がやってくるぞと告げる。アストリッドも待望の男児誕生をるんるんで待ち構えている。(封建的な考えがまだまだ残っていたあの頃、かの地でも日本でも、上流社会でもそうでなくても、しかし上流社会では特に特に”男児”が望まれていたのだが)、名前を前もって”シャルル”と決めていた男児は生まれず、1947年7月、三女シャルロットが産まれ落ちた。妊娠出産のハードワークの果てにまたしても女児誕生を見たアストリッドは絶望する。同時にドナシアンとの短い雪解け期は終わり、二人の激しい敵対が再開する。新生児シャルロットなど顔も見たくない。育児を放棄した母親に代わって、アドリエンヌがママン役を買って出て、シャルロットの身の回りの世話一切の面倒を見るのである。しかしアドリエンヌも学校に行かなければならないので、学童と代理母の二役をこなすのは尋常なことではない。新生児なので夜もろくに眠れない。学校に行けば、机に突っ伏して眠ってばかりいる。宿題など全くできない。そんな時親友マーガレットはノートを取ってくれたり、筆跡を真似て宿題を提出してくれたり。しかしかつて超優等生として学校デビューしたアドリエンヌは見る見る成績を落としていき、及第点スレスレラインでかろうじて落第せずにすんでいた。だが育児にかける情熱は凄まじいものがあり、シャルロットはチイネエチャンママによってスクスク成長していく。
この祖母はアドリエンヌの母アストリッドを嫌っていた。「デブで間抜け」と罵っていた。母親はア・プリオリに子供を愛するものと決まっているわけではない。このテーマはこの小説で何度か顔を出す。祖母の「デブ間抜け」の罵詈とは裏腹に絶世の美女であった若き日の祖母とアストリッドは瓜二つだった。
ある日幼女は祖母が(幼女に見せず)猫を飼っているという事実を知る。文字通り”猫可愛がり”の熱い愛情を猫に注いでいるのだった。この鬼婆にも愛情はある!? ー ここにアドリエンヌは祖母と触れ合える接点があるのではないか、と気配をうかがう。母アストリッドを筆頭に老婆はすべての人間たちを嫌っているが、猫の話をする時だけは柔和になる。老婆と孫娘の間に奇跡的な雪解けがやってくる。p29からp44まで、幼女への虐待は和らぎ、会話が成立し、アドリエンヌはほんの一握りの信頼を祖母から得るようになり、長く辛かった夏休みの2ヶ月は終わる。
しかし少女の試練はブリュクセルの家に帰っても続く。それは今に始まったことではないが、父ドナシアンと母アストリッドはしょっちゅう喧嘩ばかりしていて、暴力沙汰になることもある。おまけに父も母もそれぞれ愛人がいて、大っぴらにそれぞれの逢瀬を重ねていた。
母=ヘントの祖母の世にも稀な美貌を受け継いだアストリッドには言い寄る殿方たちが山ほどいて愛人には事欠かないが、対ナチ協力で勢力を伸ばした俗物(当然戦後失墜する)やら巨漢の小金持ちやら、相手を選ぶ趣味は悪い。その美貌はアストリッドから長女のジャクリーヌに受け継がれることになるのだが、美貌の祖母が美貌の母を極度に嫌悪したように、母もまたジャクリーヌを嫌悪するようになる。それに対してプレイボーイであるが教養人にして趣味人である父ドナシアンの知性はアドリエンヌに受け継がれる。(この傾向はノトンブ家にも引き継がれたようで、母ダニエルの美貌は姉ジュリエットに、父パトリックの文人性はアメリーに、ということになる) ー
そしてアドリエンヌは母アストリッドの重大な秘密を知ってしまう。ヘントの祖母が猫のみを溺愛し、娘を蔑ろにしたことへの反動で、アストリッドは極端な猫嫌いになっただけでなく、人知れず町中の猫をさらい、秘密裏にいとも残虐なやり方で殺していたのだ。
(お立ち合い、かの地でも日本でも、戦中・戦後の食べ物が激しく欠乏していた頃、どこかで猫がいなくなったと言えば、市井の人々は”ああ、やっぱりね”と妙な納得のしかたをして、”猫の受難”には冷めていたものですよ)
町から次々に猫が消えていく。誰もこの怪現象に頓着しないが、アドリエンヌはその真実を見抜いていて、いつか母にこれをやめさせなければと思っている。親友マーガレットの家で飼っているビショップという猫にもその魔の手が近づいている。マーガレットの母デイジーとアドリエンヌの父ドナシアンは愛人関係にある。そのデイジーが社交パーティーを自邸で開催するのにドナシアンとアストリッドの夫妻も招待すると言うのだが、それを聞いたアドリエンヌは(理由は言えないが)デイジーに母アストリッドを招待しないで欲しいと嘆願する。アストリッドがデイジー邸に入るやその夜ビショップは亡きものになるというのを知っていたから。しかし、子供の戯言に耳を傾けない大人たちの夜会は予定通り挙行され、哀れな猫は短い一生を閉じる....。
この時アドリエンヌは”実存の危機”のような極端なジレンマに心が破れてしまいそうになる。親友の最愛の猫を、自分の最愛の母が殺し、さらにその母は自分の最も大切な姉を冷遇することをやめない。この母は”あってほしい母”と”あってほしくない母”が同居している二重構造であり、そのことを母は自覚できない。”あってほしくない母”が巨大な魔神のように自分に立ちはだかり、その非業をやめない。私はその前であまりにも無力だ。ここで少女はあのおまじない"Tant mieux"を唱えるのである。私の母親は二重性のバランスを壊してしまった。もっけのさいわい、上等じゃないの。 ー こうして少女はこのジレンマを止揚していくのである。
(中略)
諍いの絶えなかったアストリッドとドナシアンの夫婦が急に自分たちの春の日を思い出すように和解し再び愛し合うようになる。一家にひとときの平和が訪れるだけでなく、ブリュクセルに再び猫たちが戻ってくる。アドリエンヌが9歳の時、父ドナシアンは娘たちに夏にはおまえたちの”弟”がやってくるぞと告げる。アストリッドも待望の男児誕生をるんるんで待ち構えている。(封建的な考えがまだまだ残っていたあの頃、かの地でも日本でも、上流社会でもそうでなくても、しかし上流社会では特に特に”男児”が望まれていたのだが)、名前を前もって”シャルル”と決めていた男児は生まれず、1947年7月、三女シャルロットが産まれ落ちた。妊娠出産のハードワークの果てにまたしても女児誕生を見たアストリッドは絶望する。同時にドナシアンとの短い雪解け期は終わり、二人の激しい敵対が再開する。新生児シャルロットなど顔も見たくない。育児を放棄した母親に代わって、アドリエンヌがママン役を買って出て、シャルロットの身の回りの世話一切の面倒を見るのである。しかしアドリエンヌも学校に行かなければならないので、学童と代理母の二役をこなすのは尋常なことではない。新生児なので夜もろくに眠れない。学校に行けば、机に突っ伏して眠ってばかりいる。宿題など全くできない。そんな時親友マーガレットはノートを取ってくれたり、筆跡を真似て宿題を提出してくれたり。しかしかつて超優等生として学校デビューしたアドリエンヌは見る見る成績を落としていき、及第点スレスレラインでかろうじて落第せずにすんでいた。だが育児にかける情熱は凄まじいものがあり、シャルロットはチイネエチャンママによってスクスク成長していく。
(中略)
作家ノトンブによる20世紀ベルギーハイソサエティー奇譚は、鬼婆と猫殺し母、教養人だが暴力的な父と子供を愛せない母によって壊れてしまった家庭、怯えて萎縮する姉、母に養育を拒否された妹、といった環境の中で、幼い時からすべてを直視し、明晰に分析し、大人たちと対等に渡り合って生きてこなければならなかったアドリエンヌの記録である。そして身につけなければならなかったことは"indépendance"(アンデパンダンス=独立、自主)であったとp138で悟っている。それは処世術ではない。苦境を前にして生き抜くために、Tant mieux とおまじないを唱え、達観し、諦めなければならないものは諦める、捨てられるものは捨てる、そうしてアンデパンダンスを保って乗り越えてきた。
時は経ち、母に愛されないことに苦悩しコンプレックスの固まりだったジャクリーヌが16歳で遅い初潮を迎えるや、急激に性徴が表れ、祖母→母譲りの美貌がその輝きをはっきりとみせるようになる。唯一の友だちの子爵の娘の夜会に招待され、その宵の注目を一身に集めてしまい、それ以来上流階級の男子たちからの交際申し込みが殺到するようになる。ボディの変化はあっても、その方面のメンタルは全く成熟がなく、男子とのつきあいなど全く興味がなく鬱陶しくて仕方がない。そんな時、アルベリックという名の貴公子から熱烈なラヴレターが届く。どうしていいかわからないジャクリーヌはアドリエンヌにテキトーに返事を書いて欲しいと代筆を依頼する。代筆返信を送ると、すぐにまたアルベリックから熱の込もった手紙が。姉は関わりたくないものだから、また妹に返信代筆をさせる。しつこくもこういったやりとりが何度かあった後、アルベリックの使者アルメルという若者が姉妹の家の門を叩く。姉は居留守をつかい妹に対応させると、使者はジャクリーヌのアルベリックへの本心が知りたいと食い下がる。妹はそれを確かめてあなたに伝えるので、明日の午後5時にどこそこに来てください、と。翌日現れたアルメルにアドリエンヌは、ジャクリーヌはアルベリックに全く興味がないとはっきり告げる。アルメルはそれはおかしい、ジャクリーヌはアルベリックにいとも繊細な文体で前便への興味を書き送ってきたのだから、と反論する。アドリエンヌは若者にアルベリックの情熱的な文章に感じ入り、自分が代筆したと事情を告白した。するとアルメルは、なんとそのアルベリックの手紙は全部自分が代筆していたのです、と。二重のシラノ・ド・ベルジュラック劇が演じられていたのである。この代筆書簡の往復で感じあっていた代筆者二人アドリエンヌとアルメルはここで恋に落ちるのである。(それが未来のアメリー・ノトンブの両親となるダニエル・シェイヴェンとパトリック・ノトンブだった)
このアドリエンヌの生い立ち物語は1960年6月13日のアルメル(24歳)とアドリエンヌ(22歳)の結婚で幕を閉じる。あたかもそれがアドリエンヌ(=ダニエル・シェイヴェン)が旧世界(つまり母方家系の一族の世界)からの解放の瞬間であったかのように。
作家ノトンブによる20世紀ベルギーハイソサエティー奇譚は、鬼婆と猫殺し母、教養人だが暴力的な父と子供を愛せない母によって壊れてしまった家庭、怯えて萎縮する姉、母に養育を拒否された妹、といった環境の中で、幼い時からすべてを直視し、明晰に分析し、大人たちと対等に渡り合って生きてこなければならなかったアドリエンヌの記録である。そして身につけなければならなかったことは"indépendance"(アンデパンダンス=独立、自主)であったとp138で悟っている。それは処世術ではない。苦境を前にして生き抜くために、Tant mieux とおまじないを唱え、達観し、諦めなければならないものは諦める、捨てられるものは捨てる、そうしてアンデパンダンスを保って乗り越えてきた。
時は経ち、母に愛されないことに苦悩しコンプレックスの固まりだったジャクリーヌが16歳で遅い初潮を迎えるや、急激に性徴が表れ、祖母→母譲りの美貌がその輝きをはっきりとみせるようになる。唯一の友だちの子爵の娘の夜会に招待され、その宵の注目を一身に集めてしまい、それ以来上流階級の男子たちからの交際申し込みが殺到するようになる。ボディの変化はあっても、その方面のメンタルは全く成熟がなく、男子とのつきあいなど全く興味がなく鬱陶しくて仕方がない。そんな時、アルベリックという名の貴公子から熱烈なラヴレターが届く。どうしていいかわからないジャクリーヌはアドリエンヌにテキトーに返事を書いて欲しいと代筆を依頼する。代筆返信を送ると、すぐにまたアルベリックから熱の込もった手紙が。姉は関わりたくないものだから、また妹に返信代筆をさせる。しつこくもこういったやりとりが何度かあった後、アルベリックの使者アルメルという若者が姉妹の家の門を叩く。姉は居留守をつかい妹に対応させると、使者はジャクリーヌのアルベリックへの本心が知りたいと食い下がる。妹はそれを確かめてあなたに伝えるので、明日の午後5時にどこそこに来てください、と。翌日現れたアルメルにアドリエンヌは、ジャクリーヌはアルベリックに全く興味がないとはっきり告げる。アルメルはそれはおかしい、ジャクリーヌはアルベリックにいとも繊細な文体で前便への興味を書き送ってきたのだから、と反論する。アドリエンヌは若者にアルベリックの情熱的な文章に感じ入り、自分が代筆したと事情を告白した。するとアルメルは、なんとそのアルベリックの手紙は全部自分が代筆していたのです、と。二重のシラノ・ド・ベルジュラック劇が演じられていたのである。この代筆書簡の往復で感じあっていた代筆者二人アドリエンヌとアルメルはここで恋に落ちるのである。(それが未来のアメリー・ノトンブの両親となるダニエル・シェイヴェンとパトリック・ノトンブだった)
このアドリエンヌの生い立ち物語は1960年6月13日のアルメル(24歳)とアドリエンヌ(22歳)の結婚で幕を閉じる。あたかもそれがアドリエンヌ(=ダニエル・シェイヴェン)が旧世界(つまり母方家系の一族の世界)からの解放の瞬間であったかのように。
唐突に179ページから始まる第二部は、すべて実名に戻り(とは言っても”ダニエル”あるいは”ダニエル・シェイヴェン”という名前は一度も登場せず、母は "ma mère"あるいは "maman"という形で書かれている)、終わり212ページまで33ページに渡って綴られるアメリー・ノトンブの「母への言い訳」的なほぼ葬式弔辞のようなオマージュである。2020年コロナ禍の中で他界した父パトリック・ノトンブに対して作家アメリー・ノトンブは珠玉のオマージュ小説『最初の血』(2021年ルノードー賞)を捧げているが、その4年後にこの世を去った母ダニエルに対しては、父へのそれのような作家の筆が動かず、しばらく沈黙していたことを彼女はどうしてなのかと自問していたのだ。父はほぼその人格を保った形で一生を全うしたが、母は夫の死後パーキンソン病に蝕まれ、体の機能や記憶の退化によって4年間苦しみながら逝った。二つの死の違いは歴然としている。国家的に重要な役目を歴任した外交官であった父の死はメディアでも大きく報道され、ベルギー王自身も哀悼を示すほどの事件であったが、母の死は全く世人に知られることのないものであった。これをフェアーではないと感じながらも、アメリー・ノトンブ自身も母の死についてなかなか語り始められなかった。父を愛していたように母を愛していたはずだが、その愛し方はかなり異なっている。父親は多くを語る人ではなかったが、その考えと人となりはよく了解できていた。母親はおしゃべりでたくさんのことを口にする人間だったが、それにはよくわからないものがあった。
コロナ禍の最中の病院が死の床となった父の最後の瞬間に、コロナ厳戒体制下で特例的に病室を入室を許され、末期を看取ることができた母に、アメリーが電話でその様子を聞こうとしても肝心なことは何も言わず、「おなかが空いた」、「犬の散歩に行かなきゃ」などとしか答えなった母。
コロナ禍の最中の病院が死の床となった父の最後の瞬間に、コロナ厳戒体制下で特例的に病室を入室を許され、末期を看取ることができた母に、アメリーが電話でその様子を聞こうとしても肝心なことは何も言わず、「おなかが空いた」、「犬の散歩に行かなきゃ」などとしか答えなった母。
子供の頃、私は母のようになりたいと願っていた。母は美しく、世にも稀な物腰やそぶりの彩があり、確かな自信と生きる喜びとエネルギーに満ちていた。人々がこれこそ生命そのものと称賛する人物の類に属していた。みんなは私を父にそっくりだと言っていたが、私は抵抗していた。すると母はこう言った「幸せにならなくちゃ!あなたはこの皆に敬服される男に似ているのよ!それなのに、あなたはこのバカ女に似たいと思うなんて!」(p188)
1992年私が初の小説『Hygiène de l'assassin (殺人者の健康法)』を発表した時、父方の親族も母方の親族も大憤激した。私の作品を称賛していた両親のもとに、全親族総動員の罵詈雑言が寄せられた。彼らはこの由々しき問題を両親であるあなたがたが解決しなければならないと迫った。父はそれに答えて「私は娘の作品を高く評価するし、娘の表現の自由を制限することなどもってのほかだ」と言った。それに対して母の答えは私を仰天させた:
「あなたたちは『殺人者の健康法』がお好きでないの?それはわかりますよ、誰だって自分の家にカラヴァッジョがいたら困りますものね。」(p189)
変わったものの言い方をする女性だという印象は上の2例でもわかるだろう。これはどこから来るのだろう、というノトンブ流の種明かしが母の4歳から22歳までの日々を「コント・ド・ソルシエール(魔女譚)」化した小説の第一部なのだった。母の人格はその娘時代の奇譚的体験で出来上がった。その乗り越え不可能な困難を乗り越えるために「もっけのさいわい、上等じゃねえか!」と半分強がり、半分諦念するまじないを使って、うまく、捨てられるものを捨てて生き残ってきた。これがノトンブ自身がわかっていなかったことなのだ。母の死の後の自らの沈黙の時間、少し時間がかかったけれど、ノトンブにはやっとわかったのである。
1998年2月、ノトンブは母に連れられて、祖母(母の母、つまり、第一部で”アストリッド”と呼ばれていた女性)の葬儀に参列する。参列者たちは誰一人としてその女性がかつて夥しい数の猫を殺害したということを知らない。司祭の話が終わり、参列者に誰か弔辞を述べられる方は?と促した。ただひとり母が立ち上がり祭壇に向かい、原稿もなく即興で話し始めた。
母はやっぱり傑物だったのだ、とやっとわかって終わる(変則的)二部構成の小説。ノトンブの母へのオマージュは、やや変則的ではあるが、上等じゃないですか。
Amélie Nothomb "Tant mieux"
Albin Michel刊 2025年8月20日 212ページ 19,90ユーロ
カストール爺の採点:★★★☆☆
(↓)BRUTで『もっけのさいわい(Tant Mieux)』について語るアメリー・ノトンブ
1998年2月、ノトンブは母に連れられて、祖母(母の母、つまり、第一部で”アストリッド”と呼ばれていた女性)の葬儀に参列する。参列者たちは誰一人としてその女性がかつて夥しい数の猫を殺害したということを知らない。司祭の話が終わり、参列者に誰か弔辞を述べられる方は?と促した。ただひとり母が立ち上がり祭壇に向かい、原稿もなく即興で話し始めた。
お母さん、あなたは人間たちを愛することはあまりなかったけれど、自動車と花を愛していましたね...アメリーは笑いすぎて、あとの話が聞けなかった、と記している。
母はやっぱり傑物だったのだ、とやっとわかって終わる(変則的)二部構成の小説。ノトンブの母へのオマージュは、やや変則的ではあるが、上等じゃないですか。
Amélie Nothomb "Tant mieux"
Albin Michel刊 2025年8月20日 212ページ 19,90ユーロ
カストール爺の採点:★★★☆☆
(↓)BRUTで『もっけのさいわい(Tant Mieux)』について語るアメリー・ノトンブ