2016年11月26日土曜日

きょう、ベベンが死んだ

Leïla Slimani "CHANSON DOUCE"
レイラ・スリマニ『やさしい歌』

2016年度ゴンクール賞受賞作品

  1981年ラバト(モロッコ)生まれ、当年35歳のフランス・モロッコ二重国籍女流作家の第2作目の長編小説で、この11月2日に2016年度ゴンクール賞を受賞しました。
 この小説を書くきっかけとなったのは2012年アメリカで実際に起こった事件だそうで、二児の母が家に帰ってみると、幼い子が二人とも50歳の乳母に刺殺されていたというもの。フランス語で言う 「フェ・ディヴェール(faits divers)」、つまり「三面記事ネタ」です。こういうフェ・ディヴェールから発して20世紀文学の一つの巨峰となったのがトルーマン・カポーティ『冷血』(1965年)ですが、『冷血』のようなジャーナリスティックなアプローチで殺人事件に迫るノン・フィクション的文体で書かれたものとは、このレイラ・スリマニの作品はだいぶ異なります。事実に発して、人物たちを作り上げ、劇的に自分の小説世界に取り込む、という純フィクションです。
 小説第一行めがすごいです。
Le bébé est mort.
赤ん坊は死んだ。
 もう一人の幼女(赤ん坊の姉)は、救急隊が到着した時にはまだ命があった(しかし病院で命を落とす)。赤ん坊は即座に死んだが、幼女は苦しみ悶絶のうちに死んだ。そういう小説の導入部なのです。 結部が先にある。小説はどうしてそこに至るのかを、乳母の側、子供たちの側、その両親の若夫婦の側、その他複数の関連人物の側から、立体的に分析展開していくのです。レイラ・スリマニも元ジャーナリストです。現場のリアルさを伝えながら、読む者をその場の証人にしてしまう筆力があります。
 ミリアムとポールは若くして結婚した夫婦です。そして若くして二人の子供を授かった。ポールが録音スタジオで働くサウンド・エンジニアだったが、そのセンスが評価されて制作側にどんどん入り込んでいき、プロデューサー(この意味は出資者ではなく、制作監督者)の地位にまで至ろうとしています。その代わりこの世界は時間が無制限で、アーチストの気まぐれにも付き合わなければならず、徹夜で作業というのは日常茶飯事のこと。昨今どんどん難しくなっている音楽産業内で生き延び、なおかつプロデューサーとして成功していく、この展望にミリアムは熱い支援の目を注いでいる反面、それにひきかえ自分は一体何をしているのか、という嫉妬もあります。ミリアムは法科の学生時代、クラスで最も優秀な成績で誰もが一目置いていて、弁護士資格も簡単に取得して有望な将来があったはずだった。しかし結婚・出産・育児という日々はそれから遠ざけ、ポールと子供たちに24時間尽くす主婦になってしまいました。その上子供たちは難しい。小さいお人形というわけではなく、こんな幼さで反抗もすれば拒否もする。そんな日々にフラストレーションを蓄積していたミリアムに、偶然出会った学生時代の友人パスカルは、ミリアムの優秀さを知っているがゆえに、もったいないと思い、自分の弁護士事務所のスタッフとして加わらないか、と誘います。これはミリアムにはまさに渡りに舟だった。ポールもミリアムの職業復帰ということには全面的に賛成するのですが、さて子供たちをどうするか?
 上の子ミラはエコル・マテルネル(2歳から入れる幼年学校)に通っているが、下の子アダンはまだベビーカーが必要な小ささ。これを夫婦共働きの場合、その不在時間に世話してもらえるのが "nourrice"(ヌーリス、乳母、子供ことばではヌーヌー)という職業婦人です。私たちの現地人的印象ではどうしてもアフリカ系、インド・パキスタン系、アンチル系(マルチニック、グアドループ...)のおばちゃんというイメージが強いです。しかしミリアムとポールが何人も面接した後で最終的に採用したヌーリスは、白人フランス人中年女性ルイーズでした。経験が豊富で前雇用者からの照会もいい。そして時々非常に難しくなる幼児二人でもすぐさま懐いてしまう熟練の子育て術を持っています。
 ポールとミリアムはこの天からの贈り物のような理想のヌーリスに大満足です。若夫婦のヌーリス採用の最大の目的は「子供のことを考えずに仕事に没頭できること」でした。第一線の現場で仕事して成功していくという夫と妻のそれぞれの希望は、このほぼ完璧なヌーリスの登場でほとんど叶えられたかに思えます。おまけにこのルイーズは、家事全般にその能力を如何なく発揮して、若夫婦のアパルトマンの不備・不具合を改善し、無駄を節約し、完璧に清潔で整理された居住空間を作り出し、さらにミリアムになど到底出来ない料理を子供たちと若夫婦に用意します。ヌーリスに求められることの10倍ものことをルイーズはやってのけるのです。 若夫婦はこれを友人たちに自慢しまくり、自分たちの幸運を見せびらかし、人を呼んでルイーズの絶品の料理を賞味させます。これは若夫婦のサクセスストーリーなのです。思う存分仕事をして、家庭は円満で、子供たちは幸福に成長している。
 この幸福をもたらした張本人はルイーズなのです。子供たちはすでに「第二の母」としてルイーズに対する愛情と依存度を深めていきます。ともするとミリアムよりもずっと深い関係になっている部分ができてきます。どんどん家庭に深入りしてきます。ある種この共同体は4人で成立している、という深みにまで入り込みます。そしてこの深い関係に対して最初は全面的に好意的だった若夫婦は、ルイーズを夏のヴァカンスにまで招待して「家族同様」の関係を築こうとします。その行き先のギリシャで、ルイーズは自分の弱点(水が怖いこと、泳げないこと)などを露呈してしまいますが、個人的に自分が味わったことのない美しい時間を体験し、彼女にとっては「ひとクラス上の」幸せを感じてしまうのです。
 若夫婦が故意に感知しようとしないことですが、ルイーズには暗い過去があり、それを引きずった現在があります。暴力的で実生活で失敗して多額の借金を残して死んだ夫、その家庭にいる未来を絶望して家出した娘、今でも夫の借金の返済に追われながら、家賃の滞りにパリ郊外の住処を今にも追い出されそうになっている毎日があります。
 ルイーズはこの若夫婦の家庭で働くことで得ているつかの間の幸せがあります。だから時間のことなどとやかく言わず、たとえポールとミリアムの帰宅が仕事の都合で遅くなっても、24時間常にリカバリーができるスーパー・ヌーリスとして奉仕ができるのです。ルイーズはそういうアプローチをするのです。できるならこの幸せを延長したい、と。
 しかしほぼ「第二の母」ほぼ「家族の一員」ということが越えられない一線というのが厳然と存在します。それはポールとミリアムがルイーズに対して最初の前提として固辞している「雇用者と被雇用者の関係」なのです。若く未成熟なこの夫婦はこの関係はあくまでも雇用関係の内部でのみ成り立っていると思っている。つまりたとえどんな完璧で天使のようなヌーリスであっても、それは主従関係のルールの下にあるものと思っている。だからいつまでたっても、若夫婦とルイーズの関係はフェアーなものではなく、上下関係なのです。これはルイーズには何かしら諦めのつかないものであるのです。
 さらに複雑なのは子供たちの態度です。次第に子供たちは多忙で不在がちなミリアムよりもルイーズの方に親近感を抱いていき、その懐き方はミリアムへのそれを上回っていく。ここでミリアムとルイーズの間に確執が生まれていきます。
 ポールも次第にルイーズの育児の仕方が自分の思っている方向とは違うと感じ始めます。ある日、ミラのわがままでルイーズの手持ちの安い化粧品の全てを使って、ミラが自分の顔にケバい化粧としてしまいます。私はこれは幼い女の子だったら本当に大好きなことだということを経験として知っています。それを見てしまったポールは逆上して、下品で下劣で娼婦まがいの顔になったわが娘を力づくで洗面させ、わが娘をここまで貶めたルイーズを徹底的に糾弾します。
 結局若夫婦にとっては、ルイーズは「使用人」でしかない。たとえどんなに恩寵のような瞬間が4人の間にあっても、ルイーズは金で雇われた人間の域を出ないのです。過度にエゴイストというわけではない、一生懸命に生きているミリアムとポールの姿はあれど、読む者はこの若夫婦の未成熟に苛立つはずです。それはある種恵まれた環境の中で生きるということが、子供の教育に関しても非現実的で、自分の仕事を優先させることが今日的で、自分たちが子供たちの前に不在であるということの重いデメリットがわかっていない。そして「使用人」は差し替え可能という思い上がりすらある。ルイーズとの関係がダメになったら、次を探せばいい、という思いあがり。
 小説はこの人間同士の全くフェアーでない関係を浮き彫りにします。ほとんどマゾヒスティックと言っていいルイーズの努力は報われず、ルイーズの小さな夢は水泡に帰します。その中間にアダンとミラという幼児たちがいて、この二人は絵に描いたような良い子ではなく、凶暴で残酷な一面があります。これをポールとミリアムはほとんど知らない。ルイーズは言うことを聞かないミラに血がにじむほど腕を噛まれるのですが、それを若夫婦には言いません。ルイーズはルイーズでこの子らに関しては若夫婦の知らないたくさんの秘密を知っているし、それを言わないけれどその点でルイーズの方が優位にあるという自尊心もあります。
 なぜ凶行に至ったのかは、読み進むにつれて不思議のないことに了解されていきます。若夫婦、幼児二人、ルイーズからの視点だけでなく、この関係に関与した複数の人々の視点を差し込みながら、小説は立体的にこの事件の深刻さを明確にしていきます。私が最もこの小説で考えるのは、何ゆえにこれほど人と人の関係はフェアーでないのかということです。「第二の母」「家族同然」と言われながら、越えられない主従関係。人を見れば、最初に自分より上か下かを読み取ろうとする態度。入り込もうとしても予め拒否されている社会構造。その進行につれて、ルイーズは怪物化していくのです。この怪物は読む者にとって少しも不可解ではないのです。この三面記事ネタからここまでの拡がりを持った今日的人間ドラマに展開できた文学力、私はそれに敬服しますし、ゴンクール賞の名にふさわしい傑作だと思います。

Leïla Slimami "Chanson Douce"
Gallimard 刊 2016年8月、 230ページ、18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)自作『やさしい歌』を紹介するレイラ・スリマニ。



 


 

2016年11月21日月曜日

今朝のフランス語:エリミネ

Eliminé
エリミネ

1.(無用・有害な要素として)削除された、排除された。(受験者・選手・チームなどが)ふるい落とされた、不合格となった、外された。
2. 《数》(未知数などが)消去された。
3. 《生理》(老廃物、毒物などが)排出(排泄)された。

 日本語的な語感ですよね。「エリミネ」さんという苗字の人いますでしょうし。フランス語には結構ありますよね、どこか日本的な響きの言葉、「マカベ」とか「オノレ」とか「イヌイ」とか。

 時は2016年11月20日(日曜日)、パリ圏地方は雨と曇りの典型的晩秋・初冬の空模様、わが町ブーローニュでは第20回目になる11月恒例のセミ・マラソン(21,1キロ)大会が開かれ、わが家の前のセーヌ脇道路も車両がエリミネされて、8000人ものローカル・マラソニアンたちが雨に打たれながら走っていたのでした。その日、フランス全国のトップニュースとしては、2017年フランス大統領選挙の保守・中道派からの統一候補を選ぶ保守中道有権者による予備選挙市民投票の第一回投票が行われたのでした。立候補者数は7人。保守最大政党にして第一野党であるLR(レ・レピュブリカン。日本では「共和党」と訳されている)から6人:アラン・ジュペ(1995〜97年首相、現ボルドー市長)、ニコラ・サルコジ(2007〜12年大統領)、フランソワ・フィヨン(2007〜12年首相)、ジャン=フランソワ・コペ(LRの前身UMP党党首2012〜14年)、ナタリー・コシュスコ=モリゼ(2007〜12年環境大臣)、ブルーノ・ル・メール(2009〜12年農相)。そして非LRの保守政党でPCD(キリスト教民主党)の党首であるジャン=フレデリック・ポワソンが立候補して、計7人の候補者で争われました。9月からの選挙戦は、3回のテレビ公開討論会を含む全国選挙レベルの展開でしたが、序盤中盤は圧倒的にアラン・ジュペ優勢と見られ、それをサルコジが追う形で、この選挙はジュペ/サルコジが2強と思われていました。
 この予備選挙は2回の投票。まず11月20日が第一回投票で 7人の候補者から上位2人を選出し、下位5人をエリミネします。そして1週間後の11月27日が決選投票で、勝者が見事保守・中道統一の大統領候補となり、敗者ジュペはエリミネされます(と断言したら、ジュペ派から天誅を喰らうかもしれません)。
 11月20日、この雨混じり曇天の日曜日、驚いたことにこの予備選挙に保守系有権者たちは大挙して投票所に向かい、予想をはるかに上回る430万人が票を投じたと言われています。その数日前からメディアは様々なアンケート調査機関の数字を上げて、ジュペ急落、フランソワ・フィヨン猛追と声高に報道していたのですが、「アンケートなんてね、けっ!」という市民感情があるじゃないですか、当地でもトランプ当選の後遺症は大きいのですよ。後遺症だけでなく、不可能が可能になるというモチヴェーションを名も無き投票者たちに与えたのかもしれません。
 11月20日、フランス全土の予備選挙投票所は19時に門を閉ざし、20時半すぎには開票速報が出始めると言われていました。
その夜、 私たちはパリ18区ピガール地区にあるトリアノン劇場にいて、フランスの代表的な独立レーベル『サラヴァ』の50周年を祝うコンサートを着席して鑑賞しておりました。年齢層も高く、長年のピエール・バルーのファンたちの集まりという感じで、一階席と2階バルコニー席までほぼ埋まってました。ピエールさんの「サンバ・サラヴァ」で20時に始まったコンサートは、娘マイア・バルー、ダニエル・ミル、アルチュール・H、ジャンヌ・シェラル、アルバン・ド・ラ・シモーム、バスチアン・ラルマン、ドミニク・クラヴィック、クレール・エルジエールなども出演して、派手ではないけれど丁寧なオマージュでピエールさんをもり立てていた、暖かい50周年イヴェントでした。
 ところがそういう心温まるコンサートにあっても、不逞の輩たちはいるんですね。演奏の最中にもスマホを開けて、予備選挙の開票速報を追っていた人たち、少なくなかったんじゃないかな。21時近くになって、私たちの座っていた一階席の後方から、小声で「サルコジ、エリミネ!」のささやき。それがどんどん伝わってしまう。あちこちでささやき声「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」「サルコジ、エリミネ!」...。
 21時すぎに幕間休憩があり、みんなホールに出て、たくさんの人たちがスマホ開いてカチャカチャやっている。私もすぐさまスマホを開いて開票速報:フィヨン 42%、ジュペ 28%、サルコジ 20%の数字。わお、サルコジ、エリミネ確実ではないですか! ー その後のコンサート第二部はそれとなく会場全体の気分が上々になった感じ。わかりますとも。これで少なくとも2017年5月の大統領選挙・決選投票で「ニコラ・サルコジ vs マリーヌ・ル・ペン」という悪夢の二者択一の可能性は消えたわけですから。

 冒頭に訳語挙げておきましたが、エリミネは強烈な言葉です。不要なもの、有毒なものを除去・排除するというだけでなく、マフィアが邪魔者や裏切り者を消すときも使いますし、スターリン時代のソ連KGBが反革命分子を粛清するときも éliminer という動詞を使っていたのです。私がこの言葉をちゃんと記憶したのは1980年代のヴィッテル(ミネラルウォーター)のテレビCM(↓)だったと思います。

スローガンは「Buvez, Eliminez」つまりヴィッテルを飲んで、エリミネしようという意味になると思いますが、この場合は体内の水分の不純な部分をヴィッテルを飲むことによって浄化して、悪いものはオシッコとしてエリミネしましょう、というメッセージです。オシッコとして流される、これもエリミネ。

 私なりのコメントはほとんどありません。この予備選挙にも大きな興味を持って傍観していたわけではありません。伝統的保守政党の器はどれも似たようなものという先入観があります。ジュペ、フィヨン、サルコジを分つものは何かと探すのも徒労だと思います。似たものですし、2007年から12年までサルコジは大統領でしたし、フィヨンは首相でした。私はフランスに来てからジスカール・デスタン、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドという各大統領の政治を経験してきました。2007年から12年までどれほど暗く、フランスに不信を抱いていたか、私の個人的記憶ははっきりしています。12年の大統領選挙前、この選挙に敗れたら政界を引退するか、というBFMTV(ジャン=ジャック・ブールダン)という問いに、サルコジは三度「ウィ」と答えました(↓)。


 2014年サルコジは復帰し、いとも簡単にUMP党党首となり、自分の思い通りに党名をLRと変え、この(初めての)「保守・中道統一候補予備選挙」を開催すると決めました。次期大統領の座を奪取・奪還するためです。2015年、2016年、その勢いは伸びず、このカムバックは極右の票を奪い返すことでしか成功しないというはっきりとした教権的・排外的政策を打ち出すところが、フィヨン、ジュペとの違いでしたでしょうか。
 昨夜、開票されるまで、次週は「ジュベ vs サルコジ決戦」だと思っていたでしょうか。3位になってエリミネされたサルコジは、二度目の政界引退を余儀なくされました。11月20日、22時頃、アイム・ア・ルーザー演説(↓)



(↓)その36秒目からこんなこと言ってます。
Il est donc temps maintenant pour moi
D'aborder une vie avec plus de passions privées
moins de passions publiques

今こそ、私には
公的な情熱(政治)を減らし
より個人的な情熱に満ちた生活に向かうべき時がやってきたのです。

これは引退宣言でしょうけど、passions publiques を減らすけれども無くすとは言っていませんからね。エリミネされても、エリミネされても、数年後に帰ってきますよ。まだ62歳ですから。

 

2016年10月28日金曜日

ソングライターなんて皆おなじ

ヴァンサン・ドレルム『今この瞬間』
Vincent Delerm "A présent"

 5曲め "Les chanteurs sont tous les mêmes" (歌手なんてみんな同じようなもの)
詞曲:ヴァンサン・ドレルム
歌:ヴァンサン・ドレルム&バンジャマン・ビオレー

また夜のパリのこと
また去った女のこと
危機の状態にある恋のこと
歌手なんてみんな同じようなもの

またあのソングライターか
よく髪型を変え、よく涙を流す
セーヌに身投げするような

またきみか、同じ上着で
照明係やその他を引き連れて
しばらく前からきみがこのあたりを
うろつくのを見ているが
きみの芸は退屈だ
いつも同じ老ぼれジョーの歌だ
僕がきみのことを見ていなかったとでも思っているのか
僕がきみのことを見ていないとでも

また雨のパリのこと
午後の恋のこと
ヴェルレーヌ流の強いアルコール

またきみのコンサートか
ブーローニュ・シュル・メールの体育館
しばらく前からきみがこのあたりを
うろつくのを見ているが
きみの芸は退屈だ
いつも同じ老ぼれジョーの歌だ
僕がきみのことを見ていなかったとでも思っているのか
僕がきみのことを見ていないとでも

またきみか、同じ上着で
照明係やその他を引き連れて
しばらく前からきみがこのあたりを
うろつくのを見ているが
きみの芸は退屈だ
いつも同じ老ぼれジョーの歌だ
僕がきみのことを見ていなかったとでも思っているのか
僕がきみのことを見ていないとでも

また夜のパリのこと
ネオンとタクシー
また青白い夜明けのこと
歌手なんてみんな同じようなもの

人生の黄昏まで
僕は歌い続けるさ 僕の恋人よ
それが何か問題なのかい?


11曲め "Le Garçon"
詞曲:ヴァンサン・ドレルム
雪降るボーモンで、7月の浜辺で、あなたたちを愛していた子、それが僕。
いとこのトマがカウボーイに扮してるこの仮装写真に写っている子、それが僕。
あなたたちのことを愛していた子、変わってしまったね、ごめんなさい、でも今でも僕のことがわかるかい?
色あせたスーツを着て、中身も色あせてしまった子、それが僕。
2月のルーアンで、21人のチケット購入者のためにバルバラを歌うコンサートを開きたかった子、それが僕。
ある晩第3階段教室で、とても昔のある夜、そこに残っていた学生、それが僕。
希望を持っていた子、変わってしまったね、ごめんなさい、でも今でも僕のことがわかるかい?
20時に楽屋に入る子、それが僕、でも中身は変わっていない。

移動遊園地に近づくと耳が赤くなってしまう子、それが僕。
バレエ教室でたったひとりの男だった子、それが僕。
車に乗ると道順案内をしなければならなかった子、それが僕。
「スターウォーズ」を見なかった子、それが僕。
ブルーノ・マリーローズにサインをねだった子、それが僕。
コールドウェイヴのバンドの一員だった子、それが僕。
ヴァンサン・シュミットと友だちだった子、それが僕。
一人の幼友だちを亡くした子、それが僕。
パリに移り住んだ子、それが僕。
地下鉄駅で言うとアレジア、バルベス、ポワソニエール、ベルヴィルで暮らしていた子、それが僕。
夜中にディアコネス病院(12区)のバルコニーにいた子、それが僕。
12区の区役所で新生児誕生を届け出た子、それが僕。
12区の区役所でもうひとり新生児誕生を届け出た子、それが僕。
雪降るボーモンであなたたちを愛していた子、それが僕。

<<< トラックリスト >>>
1. LA VIE DEVANT SOI
2. DANS LE DECOR
3. JE NE VEUX PAS MOURIR CE SOIR
4. DANSER SUR LA TABLE
5. LES CHANTEURS SONT TOUS LES MEMES
6. LA DERNIERE FOIS QUE JE T'AI VU
7. UN ETE
8. CRISTINA
9. ETES-VOUS HEUREUX
10. A PRESENT
11. LE GARCON

VINCENT DELERM "A PRESENT"
CD TOT OU TARD 3340102
フランスでのリリース: 2016年10月7日

2016年10月20日木曜日

Yes Oui Can

V/A "Les Artistes Français chantent en Anglais - The French Artists sing in English"
V/A 『英語で歌うフレンチアーチストたち』

 マルシアル・マルチネーのMAGIC RECORDSの2016年9月新譜です。この会社も私の会社同様2000年代に何度か倒産を噂され、その「閉業在庫処分セール」を手伝ったこともあります。奥さんと娘さんと3人企業としてしぶとく残っているところは、私の会社と全く同じで、たまに電話で話すたびに、お互いの連帯・友情を確かめ合う、そんな仲でコラボレーションを続けております。コレクターの琴線をくすぐる60-70年代盤の復刻で大変評価の高い仕事をしているレコード会社ですが、オリジナル盤の復刻よりも、そのサービス精神のためかたくさんのものを詰め込む編集盤が多く、その辺がオリジナル盤を求めるコレクターの欲求とソリが合わなかったり。そして、残念なのは解説や資料が乏しいのです。今日び、インターネットで検索すれば、多くのことは知ることはできますけど、ライナーノーツに解説やデータがあれば、どれだけ助かるか、と思うことしばしばです。マルチネー自身が稀代のコレクターなので、 あまり手の内をバラしたくないのかもしれません。
 この編集盤も、おそらく全曲マルチネーのシングル盤(あるいはLP)コレクションからの選曲だと思います。25曲トータルランタイム78分。なんという気前良さ。2枚に分けて、vol 1, vol.2 として、倍の売上を狙ったっていいところだと思いますよ。太っ腹のCD1枚もので登場。しかし解説が皆無。
 要は60年代から70年代前半にかけて、歌詞を英語で録音したレコードを出したフランスのアーチストたちの珍盤の数々というわけです。かつてはフランスは英語を話すのが不得意な国の代表みたいに言われていましたし、隣国ドイツやオランダや北欧が英語バイリンガルが一般的になった時代にも、パリのような大都市でも英語がほとんど通じなかった。この60-70年代ももちろんそんな時期で、英米アーチストならともかく、フランス人が英語で歌ったら、ひっこめバカヤローと言われてもしかたなかったでしょう。
 英語で歌う理由は多々あったでしょう。フランソワーズ・アルディやサッシャ・ディステルのようにイギリスで人気の出た歌手たちは当然英語を要求されたでしょう。1957年に始まったユーロヴィジョン・ソングコンテストは、欧州各国の大衆歌謡曲を加速度的にショービジネス化して、歌の市場の国境を取り去り、国際ヒットという可能性をもたらしました。あの頃はまだフランス語で国際ヒットというのは可能でしたし、ベコー、アズナヴールといった大シャンソン歌手たちは世界中にファンを持っていましたが、次世代はシャンソンの未来というのはあまり考えられなかったようで、英語というのは「世界」という可能性を与える言語だったのです。そして時を同じくしてやってきた「ロック革命」というのがありまして、若い世代を熱狂させたこの音楽は、やっぱり「英語で歌われてこそ」と思われたのです。日本70年代に「日本語によるロックは可能か」と論争されたように、フランスでも同じようなことがあり、フランス語は全然ロックに乗らない、と否定的なことを言う人たちが多かった。ロックだけでなく、ブルース、R&Bなどから音楽を始めた若い人たちも「フランス語で」などと考えもせず、英語の方が本物なのだから、という感覚。
 そんな時期のフランス人アーチストたちなのです。ここに収められた25曲で、真に世界的ヒットで、今日もナツメロFMの定番となっている曲はたったひとつ、ジルベール・モンタニエの「ザ・フール」(1971年。この年モンタニエ19歳)だけです。
 モロッコ出身のR&B歌手ヴィゴン(フランス人ではないんですけど、まあいいじゃないですか)の「ハーレム・シャッフル」(1967年)もザ・ローリング・ストーンズがカヴァーしたということで時々ナツメロTVラジオに登場しますが、これはヴィゴンがオリジナルヒットというわけではない。
 イエイエの大物たるジョニー・アリディ、リシャール・アントニー、ディック・リヴァース(レ・シャ・ソヴァージュ)も意外な側面と言えないことないけれど、国際色よりもローカル色が出ますね。
 大物で大変驚いたのはクリストフで、ジョルジュ・ロートネール監督の『サリナへの道(ROAD TO SALINA)』(1970年仏伊合作サイケデリック・ミステリー映画。主演にあの『モア』 のミムジー・ファーマー)の映画音楽を担当し、その主題歌「サリナから来た女(The Girl from Salina)」は抒情サイケ・プログレど真ん中の迫力です。
 映画音楽ものではレイモン・クノーの同名小説を映画化した "ON EST TOUJOURS TROP BON AVEC LES FEMMES"(1971年、ミッシェル・ボワロン監督 = 日本ではナタリー・ドロン&ルノー・ヴェルレー主演『個人教授』でことさら有名) の音楽で、クロード・ボーリング作 "A LITTLE PEACE OF MINDE"(歌:Trianglophone)という、カントリー調のサントラ大御所芸の作品も。
 しかし、この編集盤の宝ものは、やはりポップ・ロック系の隠された佳曲の数々で、うれしい発見多々あり。後年映画音楽(特に『37,2 ベティー・ブルー』)で名を成すガブリエル・ヤレドと、後年(スタジオセッション)コーラスデュオとして名を成すコスタ兄弟(ジョルジュ・コスタ&ミッシェル・コスタ)の3人組 COSTA YARED COSTA(1973年)とか。それから後年バシュングの作詞家で名を成すボリス・ベルグマンが、ギリシャのアフロディーテズ・チャイルド(デミス・ルソス&ヴァンゲリス・パパタナシュー)「レイン・アンド・ティアーズ」(1968年) に続く国際ヒットを目指して書いた、(フランス人スタジオミュージシャンの即成バンド)ジュピター・サンセットの "BACK IN THE SUN"(1970年)。フェージングのかけ方があの時代を思わせますよね(バルバラ「黒いワシ」も1970年)。同じくボリス・ベルグマンが、同じようにスタジオミュージシャンかき集めの即成バンドで、当時人気のあったアンデス民謡(コンドルは飛んで行く...)にインスパイアされた曲調で(午後の数時間で)録音したシングルがタイム・マシーン「ターン・バック・タイム」(1971年)。こういうスタジオでバンドでっち上げてシングルヒットを狙うというパターン、よくありましたね。
 北フランス、リール出身のバンドで、当ブログで2009年6月に大きく紹介したアナーキック・システムもこの盤で取り上げられてます:「ロイヤル・サマー」(1973年)
 カヴァーものでは、ビートルズの「エリノア・リグビー」を1971年に CSN風コーラスワークとプログレ・ギターでやっているイルース&ドキュイペというデュオ(Bernard Ilous & Patrice Decuyper)。


 それでもやっぱりイギリス人にはかなわない、と思わせるのが、60年代からシルヴィー・バルタンやジョニー・アリディのライター/コンポーザー/アレンジャー/バンドマンとして活躍していたイギリス人二人、ミッキー&トミー(ミッキー・ジョーンズ&トミー・ブラウン)の手になる曲で、ここでは「フランスのブライアン・ジョーンズ」ロニー・バードが歌っています:「サッド・ソウル」(1969年)。



 と、まあ、いろいろと発見のある盛り沢山の1枚。マルシアル・マルチネーに最敬礼。

<<< トラックリスト >>>
1. JOHNNY HALLYDAY "SHAKE THE HAND OF A FOOL" (1962)
2. JOEL DAYDE "DO IT NOW" (1972)
3. GILBERT MONTAGNE "THE FOOL"(1971)
4. JUPITER SUNSET "BACK IN THE SUN" (1970)
5. HECTOR & LES MEDIATORS "WHOLE LOTTA SHAKING GOIN' ON"(1963)
6. VIGON "HARLEM SHUFFLE" (1967)
7. ALAN JACK CIVILISATION "SHAME ON YOU" (1969)
8. LES 5 GENTLEMEN "DAYTIME" (1968)
9. CENTURY "WHY (DID YOU TAKE SO LONG)" (1970)
10. LES VARIATIONS "COME ALONG" (1968)
11. TRIANGLE "BLOW YOUR COOL" (1970)
12. RICHARD ANTHONY "PERSONALITY" (1959)
13. COSTA YARED COSTA "GOT ME" (1973)
14. DOC DAIL "SAD HAROLD" (1969)
15. TRIANGLOPHONE "A LITTLE PEACE OF MIND" (1975)
16. ZOO "HARD TIMES GOOD TIMES" (1971)
17. MORRIGANN "MY LADY NEVER SAID GOOEBYE" (1972)
18. CHRISTOPHE "THE GIRL FROM SALINA" (1971)
19. HOLLY GUNS "CRAZY WEEK" (1969)
20. CLASSICAL M "SUCH A LOVELT VOICE" (1970)
21. ANARCHIC SYSTEM "ROYAL SUMMER" (1973)
22. RONNIE BIRD "SAD SOUL" (1969)
23. ILOUS & DECUYPER "ELEANOR RIGBY" (1971)
24, LES CHATS SAUVAGES "I'M A PRETENDER" (1962)
25. TIME MACHINE "TURN BACK TIME" (1972)

V/A "LES ARTISTES FRANCAIS CHANTENT EN ANGLAIS"
CD MAGIC RECORDS 3931014
フランスでのリリース : 2016年9月 



PS : これなんかも本当に大好き。ZOO "HARD TIMES GOOD TIMES" (1971)





2016年9月30日金曜日

捨てましょう 捨てましょう

ラリー・グレコ「指輪を捨てろ」(1965)
Larry Greco "Jette-la"

ラリー・グレコは本名をクロード・ドガリエと言い、1941年スイスのベルンに生まれました。父親の楽団でベーシストとしてデビューしたのち、1961年にダチのジャン=ジャック・エリーとローザンヌでロックバンド「レ・ムスクテール」を結成し、62年にバンドはパリに上って活動し、それに注目したのがシルヴィー・ヴァルタンと兄のエディー・ヴァルタンで、レ・ムスクテールはシルヴィーと共にツアーするようになります。63年、ラリー・グレコ(&レ・ムスクテール)初シングル&初ヒットが「マリー・リザ」。好調にヒットを出し、シルヴィーやジョニー・アリディなどにも曲を提供する活躍ぶりで、65年にはなんとザ・ローリング・ストーンズの前座でオランピア劇場に出演します。スイス産ワイルド・ロックンローラーがその65年に発表した、おそらくラリーの最大のヒット曲がこの「指輪を捨てろ Jette-la」で、エディー・ヴァルタン楽団がなかなかいいバッキングの断腸ロックです。
 その後60年代末ぐらいまでは、まだスターだったようですが、ヒットも止まり、75年には芸能界を退き、故国スイスでスキーインストラクターになり、さらにフランスの地方でレストランを開業したり...。2006年にカムバック、2010年にベストCD、そして2015年11月、人知れず74歳でこの世を去っています。
 この断腸の結婚破棄ロカバラード「指輪を捨てろ」ですが、歌詞訳してわかったのは、「おまえ」と二人称で語りかけてるのは自分なんですね。振られた自分を自分で説得してるんです。本当に悲しいです。

教会の前に、朝早くから、おまえは立ち尽くしている
おまえは結婚するはずだった
だけど彼女は来なかった
あの女はおまえをコケにしたのさ
だから、指輪を抜いて、捨てちまいな

手のひらの中に指輪握りしめて
おまえはまだ大丈夫だと思ってるのか
おまえは本当にお利口さんで

おまえは本当におめでたいな
ひとりの女に振られたって
そんなもの何でもないんだ
どうってことないんだ

結婚なんておまえ向きじゃない
おまえには向いてないんだ
おまえとは縁がないんだ
わかるか?
だからおまえは何も後悔することなんかないんだ
俺を信じろ
おまえは
指輪をはめて
首に縄をかけて
もう後に引けないと思ってるんだろう
おまえはそんなこと思ってるのか
一体何を考えてるんだ?
おい答えろよ
おまえしっかりしろ
おまえってやつは、おおおお!

冗談じゃないぜ、冗談はよせよ
シャレにならないぜ
ノンノンノンノン...
いつかこんなことみんな笑い飛ばせるんだ
いつか笑い話になっちまうって
だからおまえの悲しみなんか置いていけ
ここにおまえの悲しみを放っておくんだ
いいか、そうしろ
だがその前に、この結婚指輪を捨てるんだ
捨てろ、そうさ、捨てろ、
捨てるんだ
 ("Jette-la"  詞:ジル・チボー/曲:ラリー・グレコ)

(↓ LARRY GRECO "JETTE-LA" 1965年)

2016年9月25日日曜日

まれ!異例のレイ・レマ

レイ・レマ&ローラン・ド・ヴィルド『リドルズ』
Ray Lema & Laurent De Wilde "Riddles"

 レイ・レマ(コンゴ出身のマルチインストルメンタリスト。今回はピアノ専業)とローラン・ド・ヴィルド(ワシントン生れのニューヨーク派仏ジャズ・ピアニスト)のピアノ二重奏アルバム "RIDDLES(謎)"。
 準備期間6ヶ月、リハーサル1ヶ月。だからある日偶然にスタジオに居合わせて作ったアルバムとはまるで違う。全く違う道のりを歩んできた(放浪してきたと言うべきか)二人の音楽家が、(レイの言葉では)「その道が実はひとつだったような」ところまで歩み寄る。(ローランの言葉では)「ひとりのピアニストというのは全部がひとりでできる世界の王者だ。それが目の前にもうひとりの世界の王者が現れて対話する時には、良質の謙虚さが要求される」。腕の競い合いではない。ひとつのメロディーを二人で違う方法で愛でていくような。全体的な印象としてはレイのアフリカ的なるものが、ローランの包み込みで輝きや色彩が増していく感じ。ジャズ的けれんみを排除し、音符数を減らし、二人が相手の次の呼吸を読み合えるまでに近づいていく。バラフォンのような音を出すローランのピアノ(3曲め "Fantani")は鮮やかなアフリカへのオマージュ。ブルース、マンダング、タンゴ、ラグタイム、ジャマイカン... 二人の呼吸が合ったらあれもできる、これもできる、という茶目っ気混じりのオリジナル曲(ほとんどレマ/ド・ヴィルドの共作)は、優美さが際立っている。録音の数日前に知ったプリンスの死を悼んで、録音演目に入れた「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ナ・デイ」(10曲め)。2016年に聞いた最も美しいアルバムの1枚。
<<< トラックリスト >>>
1. INTRO (Lema/De Wilde)
2. COOKIES (Lema/De Wilde)
3. FANTANI  (Lema/De Wilde)
4. RIDDLES (Lema/De Wilde)
5. CONGO RAG  (Lema/De Wilde)
6. TOO MANY KEYS (Lema/De Wilde)
7. THE WIZARD  (Lema/De Wilde)
8. LIANE ET BANIAN (De Wilde)
9. MATONGUE (Lema)
10. AROUND THE WORLD IN A DAY (Prince/John L Nelson/David Coleman)
11. FANTANI - Radio Edit
(Lema/De Wilde)
RAY LEMA & LAURENT DE WILDE "RIDDLES"
CD GAZEBO GAZ127
フランスでのリリース:2016年10月21日
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)メーキング・オブ
 
 
 

2016年9月15日木曜日

やせガエル、負けるな

Gaël Faye "Pili Pili Sur Un Croissant Au Beurre"
ガエル・ファイユ『唐辛子の乗ったクロワッサン』

 2016年秋、ガエル・ファイユの初小説『プティ・ペイ(小さな国)』(グラッセ刊, 2016年8月)は大変な話題となっていて、FNAC小説賞を受賞したあと、フランスの権威ある文学賞であるゴンクール賞とメディシス賞の候補に選ばれ、ベストセラーを続行中。この小説についてはOVNI2016年9月15日号の「しょっぱい音符」で紹介したので、詳細はそちらにゆずるが、ガエル・ファイユの自伝的なフィクションで、ルアンダ人の母とフランス人の父の間にブルンディで生まれた主人公ガブリエルの幸福な少年時代が、90年代に始まる政変、クーデター、大統領暗殺、フツ族とツチ族の民族紛争から大虐殺へと進展していく歴史に巻き込まれていく10歳から13歳の日々が描かれている。素晴らしいテンポ、小気味良く出て来るアフリカ的ボキャブラリーと言い回し、少年のナイーヴさと大地の子供のしたたかさ、平和から大惨劇までを当事者として見つめる観察眼.... 大変な小説の登場だと思った。
 この当年34歳の作者は、音楽アーチストとして2008年から活動していて、 ラップ、スラム、ヒップホップのシーンではかなり知られている(ということを私は知らなかった)。カメルーン系フランス人のエドガール・セクロカ(aka シュガ)とのデュオ「ミルク・コーヒー・アンド・シュガー」を経て、2013年にガエルがソロアーチストとして発表したアルバムがこの "PILI PILI SUR UN CROISSANT AU BEURRE"。メジャーの仏ユニヴァーサル傘下のモータウン・フランスから。このレーベルはかのベン・ロンクル・ソウルが稼ぎ頭で、ガエルのこのデビュー・アルバムにもベン・ロンクル・ソウルがゲスト参加している。
 さてかく言う私はあの小説を読んだあとで、このガエルのアルバムを3年遅れで発見したというわけなのだ。アルバムの12曲めに未来の小説と同じ題の「プティ・ペイ」というトラックがあるように、このアルバムもまたこの青年の私小説的に、アフリカ、混血、ブジュンブラ(ガエルが生まれ育ったブルンディの首都)、99%の得票率で選ばれる大統領...など小説『プティ・ペイ』に現れる原風景があちらこちらに。冒頭の「A-France(アフランス)」(アフリカとフランスの結造語)から、タンガニーカ湖で一緒に遊んだ悪ガキ仲間の思い出がどれだけ恋しいかを歌うのだが、アフリカとフランスに身を裂かれてしまっていることを死ぬほどの苦しみと言う。フランスの血とアフリカの血の融合によって本来ならば溶け合ったもののはずなのに、この混血は「分離」していると歌う10曲め「メティス」。
 J'ai le cul entre deux chaises, j'ai décidé de m'asseoir par terre.
  僕の尻は二つの椅子の間にあるんだが、僕は地べたに座ることに決めた
              ("Métis")
このようなテーマは同じような混血だが、ルアンダ人(父)とベルギー人(母)の間に生まれたベルギーのスーパースター、ストロマエにも繰り返し現れるものである。ガエルとストロマエに共通する「引き裂かれ」の事件は、ルアンダとブルンディでの大虐殺であるが、ストロマエの場合はその父がその事件で死に、少年ガエルは自身がそれを実体験した。この二人はこの後も歌や小説でそれを語り続けるだろう。
 詞の世界もさることながら、サウンド構成や曲作りもかなり手が混んでいて、その仕掛人はギヨーム・ポンスレという作編曲家プロデューサー/キーボディスト/トランぺッターである。1978年グルノーブル生れのポンスレは、ミュージシャンとしてはもっぱらジャズの世界にいた人で、2011年までONJ(オルケストル・ナシオナル・ド・ジャズ)の一員だった。こちら側の世界ではMCソラールやミッシェル・ジョナスなどと仕事してきた人だが、ガエル・ファイユとはミルク・コーヒー&シュガー以来作編曲プロデュースでペアを組んでいる。ポンスレはこのガエルの初ソロアルバムのために、28人のミュージシャンを集め、録音はパリとブジュンブラ(ブルンディ)で行われている。大きなプロジェクトだったのだ。ブルンディの演劇/映画人/ミュージシャンのフランシス・ムイレ(「プティ・ペイ」)、セネガルのジュリア・サール(「スローオペレーション」)、アンゴラのボンガ・クエンダ(「大統領」)、南アフリカ・ジョハネスバーグのヒップホップバンド、トゥミ&ザ・ヴォリューム(「ブレンド」)、RDC(キンシャサ・コンゴ)のピチェンス・カンビロ(「アフランス」)、フランス人シンガーソングライター/フランソワ・グロワンスキから(偽)セネガル人ミュージシャンに転身したウースマン・ダネジョ(「メティス」)、 そしてフランス随一のソウルマン、ベン・ロンクル・ソウル(「イシンビ」)といった人たちがドンピシャの場所にいてガエルをサポートしている。
 あの本の後なので、私の興味は真っ先に12曲め「プティ・ペイ」に向かうわけだが、「小さな国、おまえは押しつぶされてしまったが死ななかった。おまえは苦しんだがその苦しみはおまえを倒すことはなかった」と満身創痍でも立ち続けた小国ブルンディをいとおしむ。自分自身も引き裂かれたままなのに。勇気ある大作アルバム。もっともっと知られるべき1枚。小説が引き金になったとは言え、こうやって3年後にアルバムを手にする人たちは少なくないはず。

<<< トラックリスト >>>
1. A-France (feat PYTSHENS KAMBILO)
2. Je Pars
3. Ma Femme
4. Slow Operation (feat JULIA SARR)
5. QWERTY
6. Blend (feat TUMI)
7. Charivari
8. Fils Du Hip Hop
9. Isimbi (feat BEN L'ONCLE SOUL)
10. Métis (feat OUSMAN DANEDJO)
11. Président (feat BONGA)
12. Petit Pays (feat FRANCIS MUHIRE)
13. Bouge à Buja
14. Pili Pili Sur Un Croissant Au Beurre
15. L'ennui Des Après-Midi Sans Fin

GAEL FAYE "PILI PILI SUR UN CROISSANT AU BEURRE"
CD Mercury/Motown/6D Production 3701593
フランスでのリリース:2013年2月

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ガエル・ファイユ「プティ・ペイ」


(↓)ガエル・ファイユ「メティス」