2021年6月24日木曜日

All along Bastille tower

『イブラヒム』
”IBRAHIM"

2020年フランス映画
監督:サミール・ゲスミ
主演:アブデル・ベンダエール、サミール・ゲスミ、ラバー・ナイト・ウーフェラ、ルアナ・バジュラミ
フランスでの公開:2021年6月23日


ミール・ゲスミはかれこれ30数年間、フランス映画で脇役俳優としていい味を出していたベテランで、顔を見ればあの映画でもこの映画でもと思い出す馴染みの顔である。53歳にして初監督作品。手の込んだことなどなく、その俳優の持ち味そのままの、シンプルで味わい深い映画。
 父子家庭。父一人子一人。舞台はパリ東部。「リセ・ポール・ヴァレリー」という実在する学校(パリ12区の公立の職業高校)も登場する。   17歳のイブラヒム(演アブデル・ベンダエール)はそのリセに通う少年。フットボールが好きで父親アハメド(演サミール・ゲスミ)の後押しもあり、地元のフットボールクラブに所属するが、必死の練習の甲斐なく補欠メンバーの地位に甘んじている。"イブラヒム”と言えば2010年代(正確には2012年から16年)首都のチームであるパリ・サン・ジェルマン(略称PSG)で大活躍したスウェーデン人スター・ストライカー、ズラタン・イブラヒモビッチの略愛称のひとつであり、この少年イブラヒムの憧れる人物でもあった。” イブラ”とも愛称された。しかし少年の現実はイブラの夢とは程遠いイバラの道(あ、つまんないダジャレ)。職業リセでは公的ディプロマであるCAP(セアペと読む、Certificat d'Aptitude Professionnelle 職業適合資格)の試験が迫るが、それが保証する未来などない。何になるでも何をするでもなく父親との二人暮らしの単調な日常を繰り返す。
 その父親アハメドはフランス語の読み書きができないながら、オペラ座街の老舗ブラッスリーに雇われたが、前歯を失っているためにパトロンから接客業(この場合"ギャルソン")は無理であると、エカイエ(冬季に店頭屋台でカキを売るカキ開け職)か食器洗い係しかやらせてもらえない。息子と違ってこの父には夢がある。それはこの老舗店で古風なギャルソン正装をつけてうやうやしく/誇り高く客に給仕すること。映画ではその日のために自宅でアハメドが鏡に向かって給仕のポーズをトレーニングしている姿が映し出される。だが、ギャルソンとしてデビューするための必須条件が、醜くボロボロに欠けた前歯を隠す入れ歯、というわけ。これを歯科技工士に発注して、送られてきた請求書の金額が1700ユーロ。その手紙が読めないのでイブラヒムに読んでもらい、小切手帳に金額を書き込んでもらい、父アハメドがサインする。この小切手を送りさえすれば、父の(ささやかな)夢は叶うのだ。しかし...。
 夢も生きる覇気もないイブラヒムは、その日その日を無為にやりすごしているが、友だちと言えるつきあいは、年上の落第同級生のアシル(演ラバー・ナイト・ウーフェラ、ドローンとした目つき、得体の知れなさを漂わせるキャラ、うまい)のみ。窃盗常習犯で、口が立ち、地下経済ともつながっていて、地域のワルたちに人望もあり、人気がある。そのアシルに”一の子分”であるかのように可愛がられ、連れ回されることをイブラヒムは断れない。この強引な兄貴分に付いていってしまう心の弱さがある。
 アシルがイブラヒムを引き込んで行く世界は、うまくやればこれほど簡単な世渡り術はない、という盗みとイージーマネーと暗部コネクションの領域。金は欲しい ー これはリアリティーである。まっとうに最低のディプロマを取得したところで、マグレブ系劣等生にどんな人生が約束されているというのか。アシルは既に”味のある”ワルであり、リアルな生を実現している。このアシルとイブラヒムの関係にホモセクシュアリティーは介在するのか?ナイーヴながら鋭く端正な顔立ちでもあるイブラヒムからおのずと滲み出てしまう「ボーイ」性は無害なものではない。イブラヒムは自覚的ではないが、多分その美貌を使えば簡単に別の世界に入れるということをアシルは知っているのだろう。自慢の”(きれいな)弟分”として傍に置いておきたい、そんなたくらみ/願望も見える。
 しかしイブラヒムは家電量販店での盗みの初歩実地演習でしくじってしまい、警備員たちに捕われる。逃走途中で足がひっかかり壊れてしまった大型テレビを弁償すれば、警察沙汰にしないでおく、という警備員の示談申し出。その場に父親アハメドが呼び出され、父親は抗弁せず無言で弁償金3000ユーロの小切手を切る...。
 
 コトはここでまっとうで一本気で寡黙な父親の(実現寸前だった)夢の崩壊、という悲劇に転化する。ひとり息子の愚行のせいで。父の入れ歯代金を払える可能性がなくなったことで自責の念にかられたイブラヒムはなんとかしてその金を捻出しようと奮闘するが、そのためには”アシルの方法”を使うしかないではないか。ここに至って”悪魔”アシルとイブラヒムの契約は成立しかけるのだが...。
 アハメドは息子の愚行を許そうとしない。息子が入れ歯代金をまっとうでない方法でかき集めようとしていることを知るや、その怒りはさらに掻き立てられる。父と子の関係はいよいよ悪化する。この映画で一貫してこの父と子は対話が少ない。寡黙な関係なのだが、これは日本映画的な体験である。そして父親は息子を殴る。口で言うより手の方が早い昭和(地方部)日本の父親の図である。なぜこの父と子は話ができないのか? この父と子の間に不文律のタブーがあることがだんだんわかってくる。それはイブラヒムの母親のことなのである。息子は母親が着ていた(と思われる)「I❤︎NY」のTシャツを好んで着ているが、父親はそれを好んでいない。息子は母親がなぜ死んだのかを父に問う機会を窺っているが、その機会は巡ってこない。あれあれ?この話どっかで聞いたなぁ。そう、2010年度ゴンクール賞ミッシェル・ウーエルベック『地図と領土』の第一部、造形アーチストとその父建築家の最後の会話でも母親の死の真実が遂に明かされない、というアレ。

 最悪になった父アハメドとの関係、アシルの世界との決別と逃走、夜のパリを彷徨い、バスチーユ運河沿いの灌木の下に身を隠し野宿するイブラヒム。しかし救済の手がかりは見出される。宿無し(父親のいる自宅に帰れない)のイブラヒムを匿ってくれたのは、職業リセの同級生の少女ルイーザ(演ルアナ・バジュラミ、2001年コソボ生まれ)で、この一人暮らしで独立心が強く勝気な娘が、イブラヒムに違う新しい道へと導いていく...。
 映画の中で最も美しいシーンは、ルイーザに連れられてバスチーユ広場中心の「7月の円柱」(高さ50メートル、てっぺんに「自由の精 Le génie de la liberté」像)の内部螺旋階段を登って、二人で頂上からパリを眺望する、というともすれば月並みに取られてしまいそうな図であるが、わぉっ、パリ12区の暗部しか見ずに生きてきた少年が、革命と自由を象徴する塔の上で、やっと広い世界が見えるようになるのである。しかもルイーザと二人で。感涙してしまうではないか。
 (この映画の翌日に観た『ガガーリン』で、同じように最も美しいシーンは、主人公の黒人青年とロマの娘が、建設工事現場のタワークレーンのてっぺんの運転室に登り、郊外上空からパリを見下ろす、という図。塔の高みからずっと世界を見渡せば、一挙に何かが変わるセンセーション。同じような感涙シーン)

 サミール・ゲスミ『イブラヒム』は、その父親像と同じように、言葉少なに、複雑な展開もなく、ゆっくりと、しかも確実に、幸福な和解という大団円に連れて行ってくれる。父と子の寡黙なペアの彩(あや)、初監督作品と言えど、とても職人の匠を思わせる。

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)『イブラヒム』予告編


(↓)『イブラヒム』断片。公営プールでアシルがイブラヒムに窃盗のイロハを教える。

(↓)「見張り塔からずっと」(The Playing For Change Band, 2018)


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