2021年6月28日月曜日

造反有理ガガーリン

『ガガーリン』
"Gagarine"

2020年フランス映画
監督:ファニー・リアタール&ジェレミー・トルーイ
主演:アルセニ・バチリー、リナ・クードリ
フランスでの公開:2021年6月23日

供たち、1920年代から第二次大戦後のフランスの経済成長期末期まで、パリ市を取り囲む郊外の町々は、サンチュール・ルージュ(Ceinture rouge 赤いベルト)あるいはバンリュー・ルージュ(Banlieu Rouge 赤い郊外)と呼ばれ、その頃大挙して郊外に住んでいた工場労働者たちの支持を受けて地方選挙に連戦連勝していたフランス共産党が町々の市政をつかさどっていたのだよ。この映画の舞台であるパリの南郊外ヴァル・ド・マルヌ(94)県イヴリー・シュル・セーヌ市に至っては第二次大戦期(1939 - 1944)を除いて1925年から今日(2021年)まで、絶えず共産党市長が選出されている。赤い旗がはためく郊外。1980年代以降、全国的には共産党の勢力は弱まっていき、その後国際的にソ連・東欧共産国群が崩壊していくや、共産党は一挙に「時代遅れ」となり、共産党市政の郊外市町村の数は大幅に減った。だからこのイヴリーも今や共産党”最後のモヒカン”的な趣きがある。
 映画の冒頭は、そのイヴリーに1963年に建設された巨大な公営高層集合住宅「シテ・ガガーリン」の完成記念セレモニーの様子を伝えるモノクロのドキュメンタリー映像である。言うまでもなくこの建造物につけられた名前は、1961年に人類初の宇宙飛行士となったユーリ・ガガーリンの栄誉を記念してのものだが、このシテの完成セレモニーにガガーリンその人がテープカットのためにやってきたのである。その英雄を熱烈歓迎するイヴリー市民たち、ロックスターのようだ、とりわけ子供たちは誰もが「ぼくも宇宙飛行士になりたい!」と夢見ていた頃だもの... 。ああ、ガガーリンも、ソ連も、共産党も、みんな偉大だった。その良き時代のシンボルが赤レンガ貼りの”近代集合住宅”のシテ・ガガーリンだった。
 場面は現代に移り、築70年になろうとするシテ・ガガーリンは激しく老朽化し、エレベーター故障や電気回線と上下水道のトラブルは日常茶飯事、空き家階のスラム化も起こっている。市や管理機関からは修繕修理の手がほとんど回ってこない。16歳の黒人少年、その名もユーリ(演アルセニ・バチリー)は、自己流で身に付けたDIYノウハウをフルに生かして、この巨大な公営住宅のよろず修繕をボランティアで行っていて、中古でも部品さえあればエレベーターでも直すことができる。他の郊外シテが次々に解体されていったように、このシテ・ガガーリンも遅からず壊されてしまうことをユーリは知っている。だが少年はその解体をなんとかして引き延ばしたい、できるものなら解体せずに残してほしいと願っている。ソ連→ロシアがソユーズ宇宙船やバイコヌール宇宙基地を修繕に修繕を重ねて使い続けているように。
 そしてユーリにはその修繕活動を支持してくれる住民たちがいて、部品購入のための資金カンパや肉体労働支援もある。このシテの間借り人たちはは大家族的なつながりで結ばれていて、その中心となっている女性がファリ(演ファリダ・ラフアディ)で、まさにこのシテの”おっかあ”のような行動的で人望の厚い素晴らしいキャラ。ファリがオーガナイズするシテのおばちゃんたちのエアロビクスやヨガや太極拳のサークル活動や、小さな子たちの共同託児や、宗教関係なしの合同カーニバルやら... 色とりどり&さまざまな体操着でダイナミックに体を動かすおばちゃんたちのこれらの映像はまさにユートピア的なのだ。われわれが持つ判で押したような郊外シテのあのイメージは大きく覆される(まあ、映画ですから)。バンリュー・ルージュのインターナショナリズムとはこういうものだったのかもしれない。
 ファリはユーリが生まれた頃から少年を知っていて可愛がっている。ユーリの母親が新しい愛人のためにユーリをひとり残してシテから出て行ったことも。今週観た映画『イブラヒム』と同じように、この映画でも”母の不在”が大きなカギになっている。同じような16歳、17歳の男の子の主人公であるからして。
 さて、ユーリはシテの部屋から(天体)望遠鏡で下界を覗き見していて、スパナとペンチを使って器用に自動車メカをいじくっているロマの娘ディアナ(演リナ・クードリ、2019年ムーニア・メドゥール監督映画『パピシャ』で同年セザール新人女優賞)と遭遇する。ユーリと同じほどメカに強いこの娘はシテに近い空き地に(不法)野営するロマの一団に属していて、ユーリのシテ・ガガーリン修繕のボランティアの強力なパートナーになっていく。廃品・クズ鉄(ロマのスペシャリティーであるが)に通じたディアナに連れられて、とあるガラクタ倉庫に行くと、そこは郊外で解体された多くのシテ建造物の墓場のようなところで、現場から回収されたケーブルや配電機材や鉛管などが堆く保管されている。その倉庫番で現金での売買もしている薄汚いオヤジの役でなんとドニ・ラヴァンが特別出演している。
 こうしてユーリとディアナのゴールデンタッグの活躍でシテは機能を取り戻していくのであるが、住宅公団の調査団がやってきて、ユーリやファリら住民たちの抗議にも関わらず、シテ・ガガーリンの取り壊しが決定されてしまう。住民たちは解体工事開始前の期日までに出ていかなければならない。思い出のいっぱい詰まった"わが家”との別れ。大移動の悲しい光景。「これだけは誰にも渡さない」と備え付けの自分宛郵便受けボックスを持ち去る老人(悲しい...)。
 ユーリは(愛人と暮らしている)母親のところに受け入れられることになっていた。ところが引っ越しの段になって、母親から「おまえとは一緒に住めない、伯父のところで世話してもらえ」と現金入りの封筒が...。家(シテ)も母の愛も失ってしまったユーリは絶望の淵に。
 映画はここから全く別のディメンションに突入していく。もう素晴らしすぎて、あまり描写してはいけないとは思うのだが、さらっと書いておく。住民が撤去され、解体作業が開始された誰も住んでいない立ち入り禁止のシテ・ガガーリンにユーリはひとり残り、ハンマーで壁を打ち抜き、広いフロア全部を使ってまさに宇宙ステーションのようなサバイバルゾーンを作り、発電、給水、食品保存、(人工光による)食用植物の栽培、天体観測、音楽創造... すべてハンドメイドのシェルター基地にしてしまったのだ。ガガーリンフォーエヴァー。シテ・ガガーリン砦の最後のモヒカン。
 ユーリのガガーリン基地から見えた建築現場のタワークレーン、その最上部(クレーン操縦室)から光がチカチカ。そのモールス信号を解読し、それがディアナとわかる。ガガーリン基地とクレーン操縦室の間で交わされるモールス信号光の会話。美しいなぁ。ディアナはユーリのサバイバル体験を理解し応援する。そして二人は恋に落ちる。美しいなぁ。
 しかし映画ですから、恋は引き裂かれるのね。それもいとも社会状況的な事件によって。ディアナと家族とその一団が野営している空き地に、機動隊がブルドーザーなど重機でもってやってきて、強制退去令を執行してしまい、キャラバンカーが無残にクレーンの爪でバリバリと破壊されるシーンあり。この理不尽を必死で抗議するディアナとユーリだったが、ロマの一団は逃げを決め込み(たぶん、”いつものことだから”という含みあり)、ディアナはその父親の厳命で家族と共に逃走を余儀なくされる。
 そしてガガーリン基地にひとり残されたユーリは、冬の厳寒に凍え死にそうになりながらも、苦しいサバイバルを続けていく。そして月日は過ぎ、解体工事は大詰めの「爆破破壊」の日を迎える。ファリやおばちゃんおっちゃんたち子供たちの旧住民たちが招待され、その”わが家”に別れを告げるべく爆破倒壊シーンを見守るのだった。その中にディアナもいて、作業員に詰め寄り、中にまだ一人いるはずだから救出してほしい、と嘆願するもむなし。無情にも、爆破のカウントダウンが始まってしまう。10、9、8、7、6....。

 この映画も奇跡は起こるのですよ、映画ですから。

 映画監督コンビ、ファニー・リアタールとジェレミー・トルーイの初の長編映画。前作短編映画『青い犬(Chien Bleu)』(2019年、セザール賞短編映画賞にノミネート)もシテを舞台にした旺盛な想像力と遊び心とメランコリックな詩情あふれる作品。『ガガーリン』はそのレトロ・フューチャーな風景と、シテというコミュニティーの暖かさ、そして16歳の少年の絶望から転じた反抗的サバイバルのドラマに心を鷲掴みにされる。バンリューは未来だったし、人間の住処だった。あふれる創造性を宿した黒人少年と鍵なしでどこにでも入れるロマの少女の愛、アトモスフェリックなたくさんのスタジオ魔術、風穴だらけの宇宙船、エフゲニー&サッシャ・ガルペリン作のドリーミー&スペイシーなエレクトロニック・ミュージック(サントラ)、どれをとっても、ウンウンうなずくしかない快作。新しい才能たちに感謝。

カストール爺の採点:★★ ★★☆

(↓)『ガガーリン』予告編

(↓)シテ・ガガーリン解体決定後、2019年パリジアン紙による動画ルポルタージュ。

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