2021年6月16日水曜日

ナミの国に閉じ込められて

Julie Blanchin Fujita "Au pays de Nami"
ジュリ・ブランシャン・フジタ『ナミの国』

は納豆が好き』(2017年)のジュリ・ブランシャン・フジタの第二BDアルバム。『納豆』アルバムはずいぶん高く評価したし、日本の友人たちにもだいぶ買ってもらって好評だった。納豆など大衆的で生活臭のする日本文化への好奇心で(2011年東日本大震災を含む)日本体験をイラストと2カ国語(フランス語と日本語)で書き綴った前作は、その最後にイッセイ(一世)という若者と恋に落ち、妊娠した体で南西フランスのペルピニャンで新生活を始めるところで終わっていた。そのペルピニャンで生まれたのがナミ(漢字では"波美”)。本作はこのナミの誕生から始まり、一家の日本への再移住、ナミがバイカルチャラル&バイリンガルな童女として成長していく日常の機微をイラストで記録するBDアルバムである。それは母親ジュリが前作で展開した"フシギ日本”との出会い&発見を娘が再体験するようなところもあるが、視点はあくまで親のもので、ナミが直接日本カルチャーと対面しているわけではない。この構図では「親が代弁しすぎ」は避けられない。たぶん「ナミを主役に」「ナミの視点で」を構想して始めたんだろうが、この企ては長続きしていない。

 Episode 2(p10)でナミが「ハーフ(ha-fu)」という言葉で分類されることに猛烈にからんでいる。人間として半分ではないのに、この言い方はなんだ、と。血の混じり合い、ミクストを意味するフランス語「メティス métis」の方がどれほど尊厳が保たれているか。それはわかるんだが、これ、怒っているのはナミではなく母親ジュリだよね。
 ナミの行く(両親に連れて行かれる)日本のさまざまなところを、きれいにイラスト化するのは母親ジュリだけど、そういうページは本当にカラフルで美しい。この部分は日本の田舎を知らないフランス人読者たちへのイラストレイテッド・ガイドの趣がある。そこでは作者の才能が最良に発揮されるのだけど。ー  

 根本的なことであるが、一体この本は誰に読まれることを想定してつくられたのだろうか、ここがはっきりしない。漠然とそれはフランス人読者であろうし、BDと日本が好きな人たちではないかな。フランスの出版社側の意図としてはそうだろう。仏日メティスの童女ナミの日本行状記のつもりで読んでいると、前半から早くも主題は母親ジュリの苦悩の日々に変わってくるし、インスピレーションの枯渇も吐露されるし、育児疲れもおおいに見えてくる。そして(フランス人的に)政治的オピニオンをはっきり持っているジュリのエコロジスト/フェミニスト傾向がおおいに顔を出してきて、ああ、この人、日本でいろいろぶつかって消耗しているところがあるのだなあ、とおもんぱかってしまう。そして(この時期であるから)コロナ禍でさまざまな予定が狂い、行動が制限され、仕事まわりもややこしくなる。この本全体から感じられるフラストレーションはかなりのものがある。だから、可愛い女の子が主役の"kawaii"系ジャポネ本と思ってこの本を手にすると、たいへんなことになると思う。
 そのフラストレーションにはおおいに同情するものがある。イラストレーター/BD作家としてやっていくのは大変そうだ。日中はフランス人トゥーリストたちのガイドもやっている(うまくやっている人たちもいるかもしれないが、私個人の体験からすれば、見知らぬ人たち数人に半日/全日観光ガイドでつき合うのって本当に消耗するハードな仕事、いやだいやだ)。フランスに(一時)帰りたいのに帰れない2020年的現実も笑えない。
 前作同様、フランス語と日本語のバイリンガル表記だが、前作同様、フランス語と日本語の間には微妙なデカラージュ(差異)がある。日仏バイリンガルの人たちはそこんところ、楽しんでください。それからボーナスとして「マルチニックのナミ」(10ページ)と30種類のスティッカーシールつき。
 『納豆』がジュリがナミを妊娠したところで終わったように、この『ナミの国』もジュリが第二子妊娠、という知らせで終わるのである。だから続編はあるはず。続編はもっと良いコンディションで制作していただきたいと願ってます。いやほんま。

Julie Blanchin Fujita "Au pays de Nami"
Edition Hikali 2021年6月4日刊 130ページ 16,90ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆


0 件のコメント: