2014年10月10日金曜日

作詞家モディアノの妙


 
Francoise Hardy "Soleil"(1970)
フランソワーズ・アルディ『ソレイユ』(日本題『アルディのおとぎ話』日本発売1973年)

 トリック・モディアノ様、ノーベル文学賞おめでとうございます。モディアノ読みの端くれとして心からお喜び申し上げます。
  1945年生れのモディアノの小説群のすべての源流となっている家族(父親)との問題、暗い子供〜少年時代があり、それを吐き出すように文字の世界に入っ ていくのですが、広告や新聞雑誌の記事という文字の仕事の体験に混じって、作詞という実験もありました。1968年に最初の小説『エトワール広場』で作家 デビューする前のことです。パートナーはリセ・アンリ・キャトル(パリのエリート高校です)の旧友でミュージシャンのユーグ・ド・クールソン
 この人は1973年にガブリエル・ヤクーブと共にプログレッシヴ・フォーク・グループ、マリコルヌを 結成し、90年代にはバッハとアフリカ(アルバム"Lambarena")、モーツァルトとエジプト(アルバム"Mozart L'Egyptien")、ヴィヴァルディとケルト(アルバム "O'Stravaganza")といったクラシック+ワールドフュージョンで知られるようになります。作詞モディアノ、作曲ド・クールソンの作品がオフィシャルに発表されるのは 1979年のことで、ユーグ・ド・クールソンのアルバム『1967年の抽斗のすみっこ (Fonds de tiroir 1967)』(2005年にCD再発)です。それまでは駆け出しの作詞作曲コンビとして、レコード会社や歌手たちにデモ売り込みをしていたのですが、それに注目した数少ない人のひとりがフランソワーズ・アルディでした。アルディが取り上げた最初の曲が「驚かせてよ、ブノワ (Etonnez-moi, Benoît !)」で、フランソワーズのアルバム『さよならを教えて (Comment te dire adieu ?)』(1968年)に収録され、シングル化もされ、今日まで「作詞家モディアノ」の最も知られた曲になっています。

 それから2年後に、アルバム『ソレイユ』(1970年)のためにフランソワーズ・アルディは二人に協力を依頼するのですが、それがこの「サン・サルバドール」なんですね。『ソレイユ』は私の好きな英人コンビ、ミッキー&トミー(ミッキー・ジョーンズ&トミー・ブラウン)が目立つアルバムなので、よく聞いてましたが、聞く度にこの曲は飛ばしてしまうという感じで毛嫌いしておりました。なんでこんな曲をカヴァーするんだろう、と思ってました。曲はもとはスペインのトラッド曲で、ルネ・クレマン映画『禁じられた遊び』(1952年)のテーマ曲としてナルシソ・イエペスが演奏し、たちまち全世界のギター初心者の避けて通れない練習曲となった「愛のロマンス」です。少年の日にギターを持ったことがある人なら、おそらくあまり思い出したくないメロディーでしょうし、そうでなくても初心者の下手なギターでこれを聞かされた分には耳を覆って逃げ出したくなる気持ちになるでしょう。禁じられてほしい、と思ってしまいますよ。ま、それはそれ。このメロディーにパトリック・モディアノ(当時新進作家)が詞をつけたのが「サン・サルバドール」なのです。

夜の間に
冬が戻ってきた
今日、通りの木々が
すべて枯れてしまった
雨の音を聞きながら
あなたはその国のことを想う
その名はサン・サルバドール
目を閉ざすと
あなたの記憶によみがえる
不思議な庭園
そこでは毎朝
幾千もの香りと
青い蝶々が舞い上がる
それがたぶんサン・サルバドールだったのね
サン・サルバドール
あなたはその名を繰り返す
その薄紫の黄昏の反影と
宝の島から港に戻ってきたたくさんのガリオン船を
もう一度見たくて
どうやってそこに帰っていくのか
あなたはもう覚えていない
その国が本当に存在したのかどうかも
誰も知らない
あなたがサン・サルバドールを知ったのは
あなたの夢の中でだったのか
あるいはあなたの前世でだったのか
サン・サルバドール
雨の音に混じって
風が窓を打ち付ける
あなたはその残響を聞く
それはあなたが二度と見ることができない
あの国から聞こえて来る
失われた歌

 訳してみて初めてわかる。これは正真正銘のモディアノ・ワールドなのでした。記憶にあるようでそれが何だったのかわからない、狂おしい不確かさ、これがノーベル文学賞に値するんです! モディアノさまさま。素晴らしい詞。誰かこれに違うメロディーで作り直してくれないだろうか、と願うのは私だけではないでしょう。

(↓)フランソワーズ・アルディ「サン・サルバドール」




4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Pere Castor様
翁のブログの素晴らしく魅力あるcultureの紹介のおかげで、モディアノ、ウーエルベック、エシュノーズ、最強のふたりと私のculture部門が充実していきました。いつも感謝の花束を贈っています。ありがとうございます。
ブログを読んでいなければ、ノーベル文学賞が発表されて、その受賞者の作品を既に読んでいた(初めてです)なんてことは起きなかったでしょう。
本当に毎回新しい記事を読むのを楽しみにしています。一度お礼を伝えたかったのでモディアノ受賞を機に投稿しました。

Pere Castor さんのコメント...

匿名様
コメントありがとうございます。2年ぐらい前から読者コメント欄が表ページに反映されなくなって(どうやって修復するのかわからないのです)、普通には見えないところになっています。ごめんなさい。極端に読者コメントの少ないブログなので、大変励みになります。
パトリック・モディアノの新作は今週読み始める予定なので、今月中には記事アップできるかな、と目論んでいます。お楽しみにお待ちください。

かっち。 さんのコメント...

優れた文学者の優れたテキストは全延長において,どこを切っても同じ血が流れると,僕が私淑する篠沢秀夫先生もおっしゃっています。モディアノは,いつもモディアノ。最近,5年前の上智の入試に出ていたので1988年のカトリーヌ・セルティチュードを読んだのですが児童文学なのに滅茶苦茶モディアノ。もしかすると一番好きなモディアノかもしれません。

Pere Castor さんのコメント...

かっち。さん、コメントありがとうございます。最新作『おまえが迷子にならないように(Pour que tu ne te perdes pas dans le quartier)』読み終えました。また同じ夢を見ているなぁ、というのと同じ感覚の、また同じモディアノを読んでいるなぁ、ですけど。茫茫(この日本語形容詞、まさにモディアノ的)とした記憶のピンボケ画像が、少しずつフォーカスが合って行く過程は、推理小説的ですけど、解決も大団円もない推理小説って「純文学」ですよね。この五里霧中の名人芸が人を惹きつけずにやまないわけですから。今度の小説も、読む時に手元にパリ地図帳が必携です。