5月2日、仏大統領選の決選投票(5月6日)進出者、ニコラ・サルコジ(現大統領)とフランソワ・オランド(社会党)の対決テレビ討論の中で、サルコジがオランドに対して発した奇妙な罵りの言葉です。「Ponce Pilate(ポンス・ピラット)!」
コンテクストを説明しましょう。形勢不利となると、オランドの政策プログラムを攻撃する時に、「あなたはそう言うが、あなたの仲間は違うことを言っている」と、マルティーヌ・オーブリー(社会党第一書記)が言ったこと、マニュエル・ヴァルス(社会党、オランド選挙キャンペーンのスポークスマン)が言ったこと、ローラン・ファビウス(社会党、元首相)が言ったことなどで、オランドとの食い違いを強調して、この党もオランドも一貫性がないとアピールするわけです。オランドの政策プログラムは内部分裂している、と。ところがその戦法はあまり効きません。オランドは「私は私のプログラムに責任を持って討論に答えればよいのであって、他者のコメントはこの場と関係がない」という態度ですから。
サルコジは苛々してきますが、「社会党はダメなんだぞう! 」という最後の切り札を持っています。それはドミニク・ストロース=カーンです。昨年のあの事件(ニューヨーク、ソフィテル...)まで、IMF専務理事という世界的要職にあり、2012年大統領選挙の最有力候補と言われ、世論調査でも抜群の支持率があり、サルコジの最大のライヴァルと目されていた社会党の大物でした。いよいよ、という時にこの切り札を出せば、オランドは動揺するはずだという肚(ハラ)だったでしょう。主題は「政治倫理」の話になります。大統領サルコジが「非の打ちどころのない潔白政治」を謳ったにも関わらず、不正疑惑は政府内や大統領府内でさまざまに取り沙汰されました。オランドは「Justice(ジュスティス、公正さ、正義)」を政策プログラムの最重要ポイントに持ってきます。さあ、切り札が出ます。
サルコジ ー 「ドミニク・ストロース=カーンを先頭に立てて熱狂的に団結しようとしていた政党からいただく教訓など私には一切ない」
オランド ー 「私はあなたがそのことまで言い及ぶのではないかとは思っていた。しかしドミニク・ストロース=カーンをIMF専務理事に任命したのは私ではなく、あなただ」
サ ー 「あなたたちに比べれば、私は彼の関することをよく知らなかったのだ」
オ ー 「私だって彼のことはあなたより知っていることなんかありませんよ。 何はともあれあなたは彼を世界的要職に任命したくらいだから、彼のことを十分に知っているはずでしょう。今日ドミニク・ストロース=カーン事件の領域に入っていくことは、あなたにとってそれほど有利なことではないと思いますが」
サ ー 「 オランドさん、ドミニク・ストロース=カーンの真の顔が暴露された時、私は野党がその責任を持つべきだと思っていた。非常に驚いた。だが、今あなたは大胆にも彼のことをよく知らないと言う。それは奇妙なことではないか」
オ ー 「あなたは私が彼の私生活を知っていたと思っているのですか? あなたは私がそれを知っていたということにしたいのですか? あなたはそれに関して情報を持っていたのですか? 私には何の情報もありませんでした」
サ ー 「ポンス・ピラット!」
オ ー 「いいえ、これはポンス・ピラットではない。あなたにはそういう情報があるのですか? 私にはそういう情報はどういう方法で、どんな手段を使ったら入手できるのですか? あなたはわれわれがあなたの協力者たちやあなたの友人たちの私生活を知っているとでも思っているのですか? 私は知りません!」
白熱した応酬で、どちらも譲りませんが、サルコジはむらむらと昇ってくる怒りを押さえ切れず、「ポンス・ピラット!」とオランドを罵ったのです。
これは歴史上の人物であり、聖書上の人物です。古典ラテン語読みでは「ポンティウス・ピラトゥス」、日本の新約聖書の多くは「ポンテオ・ピラト」と表記しているようです。ローマ帝国のユダヤ属州(現在のパレスチナとイスラエル)の総督で、イエス・キリストが無罪であることを知りながら、イエスを捕えユダヤ人の裁判にかけて死刑にするために、イエスをユダヤ人に差し出した人物とされています。この際、ポンテオ・ピラトは水で手を洗って、自分には一切責任がない、ということを示そうとします。(詳しくはウィキペディア日本語版のここを。)
おわかりかな、お立ち合い、この故事から転じて、事情を知りながら、自分には一切責任がないと、保身する人間をたとえて「ポンス・ピラット」と言うのです。
この討論ではこの罵りの言葉も、あまり効き目がなく、サルコジは深く追求せずに、話題を変えてしまうのです。
(↓「ポンス・ピラット!」 は3.00分めに)
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