『錆と骨の味』
"DE ROUILLE ET D'OS"
監督 : ジャック・オディアール
主演:マリオン・コティヤール、マチアス・シェナールツ
2012年フランス/ベルギー合作映画
2012年カンヌ映画祭コンペティション出品作
フランス公開:2012年5月17日
フランスに来たての頃はお金もなく、娯楽と言えば映画ばかり観ていて、80年代には年間100本ぐらい観ていた頃もありました。その頃は5月となればカンヌ映画祭で、一度もそんな映画祭など行ったことがなかったものの、雑誌やテレビに踊らされて、カンヌ上映作品をパリでいち早く観るということをまじめにやってました。
あれから幾星霜、映画館にはごく稀にしか行かなくなりましたが、しっかり観たら、忘れないようにこうやってブログに記録するというのは、今でも大変楽しいことです。そして今回は若い頃のように、カンヌ公開と同じ日にこの映画をわが町ブーローニュで観てしまって、ちょっとした若返り気分です。しかもこの作品はカンヌでは17日朝にプレス向けの上映、パレ・デ・フェスティヴァルでの本上映が19時30分、私たちはブーローニュで午前10時40分の回に行ったので、カンヌ本上映よりも半日早く観たことになります。だからどうだ、ということもないのですが、なんとなくうれしい。
フィルム・ノワールのダイアローグ名人ミッシェル・オディアール(1920-1985)の息子、ジャック・オディアール(1952 - 。映画監督、シナリオ作家)の6作目の監督作品です。前作『預言者』は2009年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞するなど、前5作ともセザール賞やカンヌその他の国際映画祭でなにかしら賞をもらっている、ハズレなしの映画作家です。また、私たち音楽関係者にはアラン・バシュングの"La Nuit Je mens"(1998)のヴィデオ・クリップ(1999年ヴィクトワール賞最優秀ヴィデオ・クリップ)が強烈な印象として残っているはずです。
さて、この映画はコート・ダジュールが舞台で、画面に映し出されるのはカンヌとアンチーブの風景です。ステファニー(この名前も明らかにコート・ダジュールっぽいのですが、それを狙ってのことでしょう。演マリオン・コティアール)は、アンチーブの観光名所マリーンランドでオルカのショーのインストラクターをしています。(アンチーブのマリーンランドは、リュック・ベッソンの『グラン・ブルー』で、主人公ジャック・マイヨールがイルカと遊ぶシーンで登場する場所でもあります)。アリ(この名前はもろにボクサーっぽいのですが、それを狙っているのは明白です。演マチアス・シェナールツ)は、無職無一文しかも幼い子持ちで、姉アンナ(演コリンヌ・マジエロ)を頼ってコート・ダジュールにたどり着きます。女は華やかなコート・ダジュールに生き、男は賞味期間切れのヨーグルトをスーパー捨て場から回収して食べるという極貧のコート・ダジュールに生きています。この二つの世界は『アントゥーシャブル』のように触れ合えずパラレルなものだったのです。
姉のつてで警備員として再就職したアリが、海辺のディスコテックL'Annexe (ニース空港に近いサン・ローラン・デュ・ヴァールに実在するナイトクラブです)でガードマンをしていると、中で男女の喧嘩騒ぎがあります。割って入ったアリが鎮めた両者の一方がステファニーで、勝ち気なこの娘は鼻血を流しています。ステファニーを家まで送りつける車の中で、こんなところに扇情的な格好でひとりで来るものではない、とアリは言います。後述の事故の後で、ステファニーは自分の男性遍歴に触れてアリにこう言います「わたしは人に見つめられるのが好きなの、わたしは自分が誘惑してるって感じるのが好きなの、わたしは自分が露出してるって感じるのが好きなの、でも、あとで退屈になってしまうのよ」。この女性はこういうアンニュイを持っていたのです。ローカルスターのように、オルカショーのステージで華々しく振る舞い、大喝采を浴びることが好きだったステファニーが満たされなかったものを探しに、彼女はナイトクラブを徘徊していたのです。
アリとステファニーの出会いから何日も経たぬうちに事故はやってきます。マリーンランドのオルカのショーは、勢いのつきすぎたオルカがプールからステージの上に陸上がりしてしまい、ステージを破壊したうえにステファニーをプールに突き落としてしまいます。病院で目を覚ましたステファニーは、自分の両脚の膝から下が無くなっていることを知ります。
さて、ここで題名の『錆と骨の味』 について説明しましょう。"De rouille et d'os"は英語では"Of rust and bones"。これはボクシング用語で、口内で感じる血の味のことだそうです。顔面を殴打されて口の中で出る血のことをこう表現するのです。巨大な肉食哺乳類であるオルカはステファニーの両足を喰いちぎった時、たぶん口の中で錆と骨の味を感じたでしょう。
両足を失ったショックでステファニーは一度死んでしまったかのようにどん底に落ちてしまいます。そこからの再生のために、彼女は一度しか会ったことのない男アリにSOSを発します。粗野で乱暴な底辺生活者は、閉じこもってしまった障害者の元ローカル・スターのためにやってきて、その再生への道の伴走者となるのです。ここのところ、まるで『アントゥーシャブル』的だと思われましょうが、気にしないで。
映画のマジック(別の言い方では特撮ですが)は、膝から下がないマリオン・コティヤールを誇張して描きます。(アリ)「泳ぎに行こうか?」、(ステファニー)「あんた自分が何言ったかわかってるの?」 、というやり取りの後で、二人はカンヌの砂浜から地中海に浸り、両足のないステファニーは水を得た魚のように、あるいは人魚のように泳いでしまうのです。なんて美しいシーンでしょう。涙。
単純でデリカシーのないアリと生き返りをしようとしている人魚のステファニーの奇妙な友情は、強い獣が傷ついた身内を守っているような動物的な暖かみで表現されます。すべてを諦めていた娘は、生気を取り戻し、リハビリに汗を流し、車椅子を卒業して義足で歩くこともできるようになり、二度とできないだろうと思っていたオルカ・ショーへの復帰まで考えられるようになります。そして事故の前のように男とセックスできるだろうか、という問題さえ、あっけらかんと「俺と試してみたらいい」と。デリカシーのない言葉で「俺は即戦可能」とアリは言います。この軍隊用語のような「即戦可能(オペラシオネル = opérationnel)」という言葉をこの男は「オペ(opé)」と略して言うのですが、これがステファニーの気に入ってしまい、彼女がアリとセックスしたい時に、携帯メールで「オペ?」とだけ書き送るのが二人のセックス信号になってしまうのです。
ここまで来ても二人の関係は恋ではないのです。獣のように逞しいアリは、獣のような性欲があり、そうなったらどんな女でも抱くしかない。ステファニーの目の前でガールハントをして「俺、先に帰るから」と、女を連れて出て行くアリにステファニーは悲しい思いもしますが、実はステファニーが惹かれているのは、このアリの類い稀なる獣性でもあるのです。
収入が不安定なガードマン稼業では喰えないし、息子を養えない。そこでアリは、闇ギャンブルのストリート格闘技戦に出て、一攫千金(とは言っても500ユーロや千ユーロといった単位の報酬)を試みます。これはリング上ではなく荒れたコンクリート地面の上で行われ、マウスピースも防具もグローブもない状態での素手素足での殴る蹴る締める何でもありの凶暴な格闘技で、流血・負傷はおろか、下手をすると死ぬかもしれない、という危険きわまりないもの。オディアールのカメラ・アイが映し出すこの極端なヴァイオレンスは、目を覆いたくなるところがままあります。この格闘技に登場する獣のような男たちはみな口の中で「錆と骨の味」を感覚しているのです。
ところが、アリは滅法強いのです。連戦連勝。まさに獣となって激情して、相手を叩きのめすのです。これを見ているステファニーは目を輝かせて恍惚とした表情をするのです。このシーンは世界チャンピオン、マルセル・セルダンを見つめるエディット・ピアフの目の再現なのです(cf 2007年オリヴィエ・ダアン映画『ラ・モーム』)。この獣性こそがステファニーを救ってくれたものであり、アリはこの獣性なしにはこの世で生きていけない、とステファニーは確信します。
ここで少し社会背景のことも。アリは周りが失業と不安定な低賃金労働で生きる人々の環境の中にいます。フランスの大都市のどこでも極貧者たちは毎日ゴミ箱漁りをして、少しでも喰えるものや使えるものがあれば回収して生活の足しにしています。スーパーやハイパーマーケットのゴミ箱はそういう人たちには宝の山です。しかしその一方でスーパーやハイパーの経営者は、従業員が例えば賞味期限切れの食品を廃品処理せずに家に持ち帰ったことを「窃盗」と見なし、解雇処分にする、という事件が何度か新聞を騒がせました。この映画はその底辺の人々の日々の闘いも映し出します。
アリがガードマンとして雇われて夜警しているハイパー・マーケット倉庫では、ハイパー経営者がガードマン会社に倉庫内に隠しヴィデオカメラを設置することも依頼しています。その隠しカメラは経営者が、そういう期限切れ商品を着服する従業員を監視するためです。何も知らないアリが設置したヴィデオカメラに、そのハイパーでレジ係として働く姉アンナが映し出され、アンナはハイパーを解雇されてしまいます。姉は恩知らずの弟のために職を失ったことに激昂し、アリと幼い息子サムを家から追い出してしまいます。
南仏を追い出されたアリは長距離トラックの荷台に密航して、雪の降るアルザスへ...。
終盤の事件のことは書きません。壮大なメロドラマは、ハッピーエンドで閉じ、アリはプロボクサーとして成功し、ステファニーはアリと結ばれます。2時間足らず。涙。
『美女と野獣』と『グラン・ブルー』と『ロッキー』と『アントゥーシャブル』と『ラ・モーム』と... 何か数本の名作映画をまとめて見たようなゴージャスさです。私にはこういうストーリー展開よりも、(特撮とは言え)足のないマリオン・コティアールの見せ方(強烈な映像だと思います)、そしてストリート格闘技のヴァイオレンスの方が、強烈にエモーショナルでした。口の中の味が変るほど、と言いたいところですが。
(↓『錆と骨の味』 予告編)
"DE ROUILLE ET D'OS"
監督 : ジャック・オディアール
主演:マリオン・コティヤール、マチアス・シェナールツ
2012年フランス/ベルギー合作映画
2012年カンヌ映画祭コンペティション出品作
フランス公開:2012年5月17日
フランスに来たての頃はお金もなく、娯楽と言えば映画ばかり観ていて、80年代には年間100本ぐらい観ていた頃もありました。その頃は5月となればカンヌ映画祭で、一度もそんな映画祭など行ったことがなかったものの、雑誌やテレビに踊らされて、カンヌ上映作品をパリでいち早く観るということをまじめにやってました。
あれから幾星霜、映画館にはごく稀にしか行かなくなりましたが、しっかり観たら、忘れないようにこうやってブログに記録するというのは、今でも大変楽しいことです。そして今回は若い頃のように、カンヌ公開と同じ日にこの映画をわが町ブーローニュで観てしまって、ちょっとした若返り気分です。しかもこの作品はカンヌでは17日朝にプレス向けの上映、パレ・デ・フェスティヴァルでの本上映が19時30分、私たちはブーローニュで午前10時40分の回に行ったので、カンヌ本上映よりも半日早く観たことになります。だからどうだ、ということもないのですが、なんとなくうれしい。
フィルム・ノワールのダイアローグ名人ミッシェル・オディアール(1920-1985)の息子、ジャック・オディアール(1952 - 。映画監督、シナリオ作家)の6作目の監督作品です。前作『預言者』は2009年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞するなど、前5作ともセザール賞やカンヌその他の国際映画祭でなにかしら賞をもらっている、ハズレなしの映画作家です。また、私たち音楽関係者にはアラン・バシュングの"La Nuit Je mens"(1998)のヴィデオ・クリップ(1999年ヴィクトワール賞最優秀ヴィデオ・クリップ)が強烈な印象として残っているはずです。
さて、この映画はコート・ダジュールが舞台で、画面に映し出されるのはカンヌとアンチーブの風景です。ステファニー(この名前も明らかにコート・ダジュールっぽいのですが、それを狙ってのことでしょう。演マリオン・コティアール)は、アンチーブの観光名所マリーンランドでオルカのショーのインストラクターをしています。(アンチーブのマリーンランドは、リュック・ベッソンの『グラン・ブルー』で、主人公ジャック・マイヨールがイルカと遊ぶシーンで登場する場所でもあります)。アリ(この名前はもろにボクサーっぽいのですが、それを狙っているのは明白です。演マチアス・シェナールツ)は、無職無一文しかも幼い子持ちで、姉アンナ(演コリンヌ・マジエロ)を頼ってコート・ダジュールにたどり着きます。女は華やかなコート・ダジュールに生き、男は賞味期間切れのヨーグルトをスーパー捨て場から回収して食べるという極貧のコート・ダジュールに生きています。この二つの世界は『アントゥーシャブル』のように触れ合えずパラレルなものだったのです。
姉のつてで警備員として再就職したアリが、海辺のディスコテックL'Annexe (ニース空港に近いサン・ローラン・デュ・ヴァールに実在するナイトクラブです)でガードマンをしていると、中で男女の喧嘩騒ぎがあります。割って入ったアリが鎮めた両者の一方がステファニーで、勝ち気なこの娘は鼻血を流しています。ステファニーを家まで送りつける車の中で、こんなところに扇情的な格好でひとりで来るものではない、とアリは言います。後述の事故の後で、ステファニーは自分の男性遍歴に触れてアリにこう言います「わたしは人に見つめられるのが好きなの、わたしは自分が誘惑してるって感じるのが好きなの、わたしは自分が露出してるって感じるのが好きなの、でも、あとで退屈になってしまうのよ」。この女性はこういうアンニュイを持っていたのです。ローカルスターのように、オルカショーのステージで華々しく振る舞い、大喝采を浴びることが好きだったステファニーが満たされなかったものを探しに、彼女はナイトクラブを徘徊していたのです。
アリとステファニーの出会いから何日も経たぬうちに事故はやってきます。マリーンランドのオルカのショーは、勢いのつきすぎたオルカがプールからステージの上に陸上がりしてしまい、ステージを破壊したうえにステファニーをプールに突き落としてしまいます。病院で目を覚ましたステファニーは、自分の両脚の膝から下が無くなっていることを知ります。
さて、ここで題名の『錆と骨の味』 について説明しましょう。"De rouille et d'os"は英語では"Of rust and bones"。これはボクシング用語で、口内で感じる血の味のことだそうです。顔面を殴打されて口の中で出る血のことをこう表現するのです。巨大な肉食哺乳類であるオルカはステファニーの両足を喰いちぎった時、たぶん口の中で錆と骨の味を感じたでしょう。
両足を失ったショックでステファニーは一度死んでしまったかのようにどん底に落ちてしまいます。そこからの再生のために、彼女は一度しか会ったことのない男アリにSOSを発します。粗野で乱暴な底辺生活者は、閉じこもってしまった障害者の元ローカル・スターのためにやってきて、その再生への道の伴走者となるのです。ここのところ、まるで『アントゥーシャブル』的だと思われましょうが、気にしないで。
映画のマジック(別の言い方では特撮ですが)は、膝から下がないマリオン・コティヤールを誇張して描きます。(アリ)「泳ぎに行こうか?」、(ステファニー)「あんた自分が何言ったかわかってるの?」 、というやり取りの後で、二人はカンヌの砂浜から地中海に浸り、両足のないステファニーは水を得た魚のように、あるいは人魚のように泳いでしまうのです。なんて美しいシーンでしょう。涙。
単純でデリカシーのないアリと生き返りをしようとしている人魚のステファニーの奇妙な友情は、強い獣が傷ついた身内を守っているような動物的な暖かみで表現されます。すべてを諦めていた娘は、生気を取り戻し、リハビリに汗を流し、車椅子を卒業して義足で歩くこともできるようになり、二度とできないだろうと思っていたオルカ・ショーへの復帰まで考えられるようになります。そして事故の前のように男とセックスできるだろうか、という問題さえ、あっけらかんと「俺と試してみたらいい」と。デリカシーのない言葉で「俺は即戦可能」とアリは言います。この軍隊用語のような「即戦可能(オペラシオネル = opérationnel)」という言葉をこの男は「オペ(opé)」と略して言うのですが、これがステファニーの気に入ってしまい、彼女がアリとセックスしたい時に、携帯メールで「オペ?」とだけ書き送るのが二人のセックス信号になってしまうのです。
ここまで来ても二人の関係は恋ではないのです。獣のように逞しいアリは、獣のような性欲があり、そうなったらどんな女でも抱くしかない。ステファニーの目の前でガールハントをして「俺、先に帰るから」と、女を連れて出て行くアリにステファニーは悲しい思いもしますが、実はステファニーが惹かれているのは、このアリの類い稀なる獣性でもあるのです。
収入が不安定なガードマン稼業では喰えないし、息子を養えない。そこでアリは、闇ギャンブルのストリート格闘技戦に出て、一攫千金(とは言っても500ユーロや千ユーロといった単位の報酬)を試みます。これはリング上ではなく荒れたコンクリート地面の上で行われ、マウスピースも防具もグローブもない状態での素手素足での殴る蹴る締める何でもありの凶暴な格闘技で、流血・負傷はおろか、下手をすると死ぬかもしれない、という危険きわまりないもの。オディアールのカメラ・アイが映し出すこの極端なヴァイオレンスは、目を覆いたくなるところがままあります。この格闘技に登場する獣のような男たちはみな口の中で「錆と骨の味」を感覚しているのです。
ところが、アリは滅法強いのです。連戦連勝。まさに獣となって激情して、相手を叩きのめすのです。これを見ているステファニーは目を輝かせて恍惚とした表情をするのです。このシーンは世界チャンピオン、マルセル・セルダンを見つめるエディット・ピアフの目の再現なのです(cf 2007年オリヴィエ・ダアン映画『ラ・モーム』)。この獣性こそがステファニーを救ってくれたものであり、アリはこの獣性なしにはこの世で生きていけない、とステファニーは確信します。
ここで少し社会背景のことも。アリは周りが失業と不安定な低賃金労働で生きる人々の環境の中にいます。フランスの大都市のどこでも極貧者たちは毎日ゴミ箱漁りをして、少しでも喰えるものや使えるものがあれば回収して生活の足しにしています。スーパーやハイパーマーケットのゴミ箱はそういう人たちには宝の山です。しかしその一方でスーパーやハイパーの経営者は、従業員が例えば賞味期限切れの食品を廃品処理せずに家に持ち帰ったことを「窃盗」と見なし、解雇処分にする、という事件が何度か新聞を騒がせました。この映画はその底辺の人々の日々の闘いも映し出します。
アリがガードマンとして雇われて夜警しているハイパー・マーケット倉庫では、ハイパー経営者がガードマン会社に倉庫内に隠しヴィデオカメラを設置することも依頼しています。その隠しカメラは経営者が、そういう期限切れ商品を着服する従業員を監視するためです。何も知らないアリが設置したヴィデオカメラに、そのハイパーでレジ係として働く姉アンナが映し出され、アンナはハイパーを解雇されてしまいます。姉は恩知らずの弟のために職を失ったことに激昂し、アリと幼い息子サムを家から追い出してしまいます。
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終盤の事件のことは書きません。壮大なメロドラマは、ハッピーエンドで閉じ、アリはプロボクサーとして成功し、ステファニーはアリと結ばれます。2時間足らず。涙。
『美女と野獣』と『グラン・ブルー』と『ロッキー』と『アントゥーシャブル』と『ラ・モーム』と... 何か数本の名作映画をまとめて見たようなゴージャスさです。私にはこういうストーリー展開よりも、(特撮とは言え)足のないマリオン・コティアールの見せ方(強烈な映像だと思います)、そしてストリート格闘技のヴァイオレンスの方が、強烈にエモーショナルでした。口の中の味が変るほど、と言いたいところですが。
(↓『錆と骨の味』 予告編)
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