19時45分頃、娘と私はバスチーユ広場に着きました。地下鉄10号線を使ってきたので、途中モーベール・ミュチュアリテの駅でたくさんの人たちが降りました。ミュチュアリテの公会堂でニコラ・サルコジの(万が一の)「当選祝賀集会」が予定されていた場所です。前日にはオランドはバスチーユ広場、サルコジはコンコルド広場、とその当選大集会の場所が決まっていたのですが、5月6日午後になって、コンコルド広場のことが全く言われなくなったので、敗色濃厚の大勢はもうサルコジ側は午後に察知していたものと思われます。逆にバスチーユ広場は18時頃から黒山の人だかりとウェブ版リベラシオン紙が報じていました。
着いた時から周囲は既にお祭り騒ぎで、シャンパーニュの栓を抜いている人たちもたくさん。巨大スクリーンがニュース専門局BFM-TVから国営のフランス2に変わり、いよいよ20時の公式発表までの秒読みに。20時、「フランソワ・オランド : 51.90%, ニコラ・サルコジ:48.10%」(この数値は20時時点の推定で、その後変わります)という数値と、オランドの顔が新大統領として大写しになった時、大歓声と飛び跳ねる人たち、抱き合う人たち、接吻しあう人たち、歓喜の涙を流す人たち、私と娘はそういう人たちを見ていました。そしてたまたま隣り合わせていた人たちと握手し合い、抱き合い、喜びを分ち合いました。
"Enfin il part"(やっとあの男がいなくなる)と私の隣りのおばさんが言いました。私たちの多くの人たちの心を端的に表してします。この日最も重要だったのは、オランドが勝つことではなく、サルコジが去ることだったのです。バスチーユ広場の塔の根によじ上った人たちは、チュニジアのジャスミン革命と同じ「デガージュ!(失せろ!)」を連呼して、サルコジの退陣を狂喜しています。
"On a gagné ! (オン・ナ・ガニェ! われらは勝利した!)。5年間のサルコ・イヤーズはこの時に終わったのです。
PS : ちょっと飲み過ぎました。中途半端な報告でごめんなさい。明日から私たちは「多数派」です。お祭り騒ぎはもうちょっと続くでしょう。
2 件のコメント:
カストールさま、
こんにちは。
ついにサルコジ政権が終わりを迎えましたね!
フランスの方たちの勝利の喜びを
YouTubeなどを見ながら共有しています♪
Twitterなどでは「新自由主義からの脱却の第一歩」
「原発推進派の敗北」といったつぶやきがちらほらされていますが
日本のネット上では「財政政策はどうなる?」とか
「ファーストレディは事実婚」的なことしか書かれていなくて、がっかりしました。
(あまりテレビを見ないので、ニュースでどのように報道されたのかわからないのですが…)
ところで、少し前の記事のコメントで
ミカエル・フェリエ氏の『フクシマ』を紹介していただける、と書かれていました。
ミカエルさんのDailymotionのインタビューを見て、機会があれば
読んでみたいと思っていました。
http://www.dailymotion.com/video/xpce8e_science-publique-un-an-apres-fukushima-9-mars-2012-entretien-avec-michael-ferrier_tech
お忙しいのがひと段落しましたら
記事として取り上げていただけると嬉しいです。
どうぞ、しばし勝利の美ワインに
酔いしれてくださいませ^ ^
北海道のKayさん、お久しぶりぶりっ!お祭り騒ぎは8日(祝日。第二次大戦戦勝記念日)くらいで終わってしまってます。昨日9日(水)から町は平静を取り戻して、普段の佇まい。15日に大統領職の引き継ぎがあり、オランド時代が始まりますが、今日10日に内閣総辞職の予定。つまり今夜から15日まで、現大統領はいるけれど、政府が無い状態。みんなこの時に戦争があったらどうしよう、などとよからぬことを考えて、夜の戸締まりをしっかりしよう、なんていう冗談を飛ばします。こういうフランスが好きですね。
『フクシマ』はまだ読みかけですが、小説ではなく、ほぼドキュメンタリー・エッセイですから、データや地名や人名や科学的説明が多く、ちょっと前に進むのが遅くなりそうです。「放射能汚染の中で人間は十分に生きられるのだ」ということにしよう、という国の指導者や電力企業トップの意思が、無関心な国民がそれに加担すること(何も言わないこと)によって、まんまと実現してしまう。これこそが人間の歴史上、稀に見る悲劇ではないか、ということをこの本は言おうとしています。「フクシマ」は大自然が起こしたドラマではなく、人間が作ったカタストロフィーです。それに続く人間たちの嘘によって更に大きなカタストロフィーになっていく...。 ちゃんと読まなければいけませんね。
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