2012年3月22日木曜日

外側から見ると(Vu de l'extérieur)

Frédéric Régent "Gainsbourg par ses interprètes"
フレデリック・レジャン編『ゲンズブール共演者たちの証言集』


 年がかりの本だそうです。活字が小さい!440ページの本ですが、読みやすい大きさの活字に変えたら千ページを超す大著になりましょうね。この表紙の写真は近頃どこかで見たことがありますね。そうです、フレモオ&アソシエ社から2011年10月に出た3枚組CD『セルジュ・ゲンズブールとその演奏者たち全録音集1957-1960』のジャケットです。フレデリック・デジャンはこのCDの監修者のひとりで、ブックレットに詳細な解説を書いていた人です。私はこのCDを拙ブログで紹介した時にタイトル中の "ses interprètes"を苦し紛れに「その演奏者たち」と訳したのですが、要はゲンズブールが書いた曲や詞を歌ったり演奏したりする音楽アーチストのことです。「その歌手たち」とすると楽団演奏などが含まれなくなりそうなので「その演奏者たち」としたのですが、この本のタイトルにも "ses interprètes"という言葉が出てきます。"Gainsbourg par ses interprètes"、前例に従うと「その演奏者たちによるゲンズブール」と訳されるべきところでしょうが、この膨大な活字量の本を見て、この場合それは違うんじゃないか、と思ったのです。
 ここに収められたのは、有名/無名を問わず、ヒットした/しないに関わらず、ゲンズブールの詞・曲を歌った歌手たち、演奏したミュージシャンたち、編曲などで共同作業をした人たち65人の人物像、ゲンズブールに関する証言、インタヴューなどをまとめたものです。ソースは新聞・雑誌・テレビ・ラジオでの記録が主ですが、直接に取材したものもあります。ミッシェル・アルノー、ジュリエット・グレコ、ブリジット・バルドー、フランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ、イザベル・アジャーニ、ヴァネッサ・パラディ、シャルロット・ゲンズブール、ジェーン・バーキン(最終章の65人目として長さ25ページの編集インタヴュー集)といったゲンズブール史に大きく関わった人たちだけではなく、彼がピアニストをしていた倒錯キャバレー「マダム・アルチュール」の一座や、1曲や2曲で彼と仕事をしただけの人たち(ニコ、ストーン、マリアンヌ・フェイスフル、シェイク、ミッシェル・シモン、マルタン・シルキュス、ジェラール・ドパルデュー...)、そして編曲や共同作曲で彼を支えた人たち(アラン・ゴラゲール、ミッシェル・コロンビエ、ジャン=クロード・ヴァニエ...)といったように網羅的です。さらに補追の第66章("Les autres et caetera"と題されている)として、生前にゲンズブール曲をカヴァーした有名/無名のアーチストたち126人(フランシス・ルマルク、ミレイユ・マチュー、シェイラ、ヴェロニク・サンソン、ミッシェル・サルドゥー、スライ&ロビー、ジョディー・フォスター、スクリーミン・ジェイ・ホーキンス...)が紹介されています。
 すなわち、この本は大なり小なりゲンズブールと共に仕事をした人たちから見たゲンズブール像を集めたもので、フレデリック・レジャンがいみじくも本書の序章のタイトルに使っているように"SERGE GAINSBOURG VU(ES) DE L'EXTERIEUR"(外側から見たセルジュ・ゲンズブール)なのです。その意味合いから、私はこの本での"ses interprètes"を単純に「歌手」や「演奏家」とするよりは、ゲンズブールと共同で作業をした人たち、というニュアンスで「共演者たち」としたのです。
本書は中央フランスの町シャトールーの小さな出版社エディシオン・エポニムから2012年2月に刊行され,私はフランス最大のブックフェア「サロン・デュ・リーヴル」(3月16-19日,ポルト・ド・ヴェルサイユ見本市会場)で同出版社のブースで初めて見て,即座に購入しました。この分厚いドキュメントが13ユーロ(約1400円)という良心的な値段です。これを書いている時点から4日前に手にしたばかりなので,全ページを読み通したわけではありません。毎朝/毎夕の通勤地下鉄の友として,気になる人たちから拾い読みしていますが,ジェーン・バーキンを別格としても、例えばフランス・ギャルだけでも一冊の本ができてしまうのではないか、という内容の濃さです。 

「フランス・ギャルは俺の命を救った」(ゲンズブール)

シャンソン作家になったのは、ゲンズブールが喰っていかなければならない絶対の必要からのことです。画家になることは天賦の才(同じ言葉ですが"天才" )が必要で、その天才が世に認められるのに50年や100年もかかることがあり、往々にしてその天才は同時代人から認められません。つまりメジャー芸術者は喰わなくてもいいという覚悟が要る。ところが俺は喰わなければならない。マイナー芸術(この場合「シャンソン」「大衆音楽」)は多くの才能がある者は未来を待たずとも今日明日の食い扶持にありつける。類い稀なる自尊心の持主であるゲンズブールは、俺には多くの才能がある、メジャー芸術は無理かもしれないが、マイナー芸術では絶対に喰える、という自信がありました。プロとしてのシャンソン作りは1955年に始まりますが、先達ボリズ・ヴィアンのように高慢なこの青年は、マイナーとは言いながら「低級マイナー」には手を出さず、左岸派の「高級マイナー」にこだわったために、最初は思うように喰えないのです。曲を作ってある歌手に断られると、その同じ曲を違う歌手たちにプロポーズしてまわり、必ず歌い手を見つけてしまうという不屈の営業マンの一面も身につけました。できるだけたくさん曲を書き、できるだけたくさんの歌手に歌ってもらうこと、そうしなければ喰えなかったのです。それが一変するのが、1965年ユーロヴィジョンでのフランス・ギャル「夢見るシャンソン人形(Poupée de cire, poupée de son)」の優勝です。この世界的大ヒットによってゲンズブールには巨額の金が転がり込むのです。
 ゲンズブールはフランス・ギャルによって命を救われたわけですが、この二人の共同作業は5年間続き、フランス・ギャルはかの「アニーのペロペロ・キャンディー」などで深く傷ついたりしながらも、後年にはこの「ゲンズブール期」を再評価し、アーチスト「フランス・ギャル」を創ってくれた3人の人間(父親ロベール・ギャル、セルジュ・ゲンズブール、ミッシェル・ベルジェ)のひとりとまで言っているのです。この5年間を記述した本書の10頁だけでも和訳される価値ありでしょう。
 ユーロヴィジョンで65年「夢見るシャンソン人形」の栄光を見ることができなかったのが、67年モナコ代表曲の「ブン・バダブン」(詞曲:ゲンズブール)です。「サン・ジャンの恋人」の歌手リュシエンヌ・ドリールと花形トランペット奏者/楽団指揮者のエーメ・バレリの間に生まれた娘、ミヌーシュ・バレリ(1947-2004)がその歌手でした。リンクで貼ったヴィデオをごらんになればわかるように、歌うというよりは音符関係なくシャウトするような歌唱法が災いして、この曲は5位どまりでした(因みに同年の優勝はサンディー・ショー「パペット・オン・ナ・ストリング」)。ミヌーシュ・バレリはこの曲の録音リハーサルがとてもアグレッシヴで、彼女の通常のトーンよりも2音階上で歌わされ、15回もNGを出されたことを証言しています。するとゲンズブールが「きみは "もういい加減にしてくれ!”と言いたくなるだろう? 俺はきみがそういう感じで歌ってくれるのを望んでるんだ」と言うんですね。この歌手への無理強いはジェーン・バーキンをはじめ、いろいろな人に実践されるのですが、同じような証言はこの本の他の箇所でも出てきましょうね。
 ニコ(1963年にジャック・ポワトルノー映画『ストリップ・ティーズ』に出演。音楽担当がゲンズブール。主題歌「ストリップ・ティーズ」を録音していますが、ゲンズブールの満足を得られずボツになり、この録音は2008年まで未発表のままでした)に関しては、晩年のゲンズブールの呑友になっているアリ(ニコの息子。父親はアラン・ドロンと言われてますが、ドロンは認めていません)が亡き母に代わってインタヴューに答えています。アリが言うには、63年当時母はまだアルコールにもドラッグにも染まっておらず、クリーンで背が高く、大変な美人だったけれど、性格は悪く正真正銘の「バッド・ガール」で、ゲンズブールはむしろニコを怖がっていたのだそうです。
 また驚いたのはマリアンヌ・フェイスフル(1966年アンナ・カリーナ主演のミュージカル映画『アンナ』の中で「昨日か明日(Hier ou demain)」という曲を歌っています。 この録音を2006年まで未発表でした)が、1968年にゲンズブールから(ブリジット・バルドーとの破局でオクラ入りした)「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」の再録音の相手役にプロポーズされていた、ということ。ジェーンの前に! フェイスフル曰く「彼はいろんな人にそれを依頼していたわ。私はなぜそれを断ったのかしら。たぶん羞恥心からね。私はあの頃ミック・ジャガーとのアバンチュールの最初の頃で、それしか頭になかったの。ミックも多分その歌を好きにはなれないだろうって(...)」。フェイスフルは「私はとてもセクシュアルな人間」と言いながら、セルジュとはずっとプラトニックは友情関係が続いていた、と言います。その関係はフェイスフルが地獄のような転落をしていた時期を越えてずっと続くのです。その友情の証しのような短編フィルムが1982年仏テレビ「レ・ザンファン・デュ・ロック」にあり、フェイスフルのクリップ制作のドキュメントです。
 ほんのかじりだけですが、このように思いがけぬたくさんの証言が詰まった「外側から見たゲンズブール」です。読了後にまた書き足しましょう。研究者諸姉諸兄は今すぐ入手しましょう。

FREDERIC REGENT "GAINSBOURG PAR SES INTERPRETES"
(Editions Eponymes刊 2012年2月、440頁、13ユーロ)

(↓)マリアンヌ・フェイスフル「昨日か明日(Hier ou demain)」

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